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人 工 着 色

 季節感が薄れ、夜の闇を失い、まばゆいばかりの都会の生活、夏の暑さも冬の寒さも、忘れたような感覚、人間の英知なのか、肉体的にはすっかりと楽になった日本人の生き様。まさに人工着色したような日本です。食べ物は本物が手に入りにくくなり、何が口に入っているのかもわかりません。旬の食べ物がなくなり一年中金さえ出せば、であります。昔小泉八雲(ラフカジオ・ハーン)が感動し『春は桜の花の色に、夏は生まれて忽ち死ぬる蝉のいのちに、秋はうつろふ紅葉の色に、冬は降り積む雪のこの世ならぬ美しさに』と詠んだ日本人の心の風景はすっかり失われていっています。元々日本人は鋭敏な感受性、そして季節感覚を持っていると言われましたが、今ではそんな言葉には、お恥ずかしい限りです。高速道路、飛行機、新幹線、スピードと効率のみを追い求める社会、忙しく、いや忙しそうに立ち回らなければ立ちゆかない仕事、人間中心にあらゆるものを、変えてきた私たち、ここにも人工ばかりが目につきます。仕事、働くことは「ハタをらくにする」と昔はいわれました。それは、働く人の誇りでもあったはずです。商い人は、良い商品を売ることに誇りを持ち、農民、漁民は良い作物、良い海産物を、作ったり採ったりすることが誇りであり喜びで会ったはずです。お金儲けはその結果としてついてきたものであって、良質なものを作ることが第一義だつたはずです。今はいやな言葉「勝ち組、負け組」、グローバル化の波に飲み込まれ誰もが必死になって勝ち組になろうとしています。でも勝ち組が出来ればその何倍もの負け組も出てくるのが世の常です。金を儲けたのが勝ち組と囃したてるのはもう止めませんか。お金、モノ、これらに振り回され続け、手に入れたものの代償として失ったものの大きさを思います。失ったものを取り戻すには相当のエネルギーを要します。それは進むことではなく、立ち止まることを意味するからです。お金やモノは使えば減りますし、傷んで来ます。目に見えたり、触ることの出来るモノはすべてそうでありましょう。しかしそれとは別に使えば増え、しかも価値がどんどん増す世界があります。しかも使えば使うほど磨きがかかり値打ちが増すのです。とは申しても『何でも鑑定団』の骨董品ではありません。例えば「親切」などはどうでしょうか。「心の優しさ」などはどうでしょうか。私たちは親切とか優しさを感じることはありますが、その親切や優しさを品物のように触ったり出来ないですし、目に見えたりすることはありません。学ぶということもそうです。そうしてこれら心で感じる世界の原則は、「使えば増え」「使えば磨かれますます美しくなる」ということでしょう。親切とか、学びとか、優しさは、使えば減りますか? 真実はこんなところにあるのではないでしょうか。仏教の価値観もこれと同じことが言えると思います。何でも使えば損と、貯め込み、損得勘定ばかりが巧みになり、『良く生きる』事をすっかりと忘れているようです。たまにはそんな世界から離れて、使えば増える世界に行きませんか。人工着色した世界はどこまで行ってもほんとうではありません。どこかでごまかし、他人を、そして自分を騙しながら生きているようなものです。仏教を聞くのはまさにこの本当の世界を聞くのです。 こんなささやかな喜び、これが人間の至上の喜びということを仏教は示しています。