人    類


《およそ一時間かけて自転車通勤する。エネルギーを大量消費する自動販売機で物
を買わない。 でんき電気掃除機、アイロンは使わない。外食しない。食器は水で洗
う・・・・》(卓上四季)
福岡県の新聞記者、福岡賢正さんが一年間続けた実験です。このことは『たのしい
不便』という本になりました。あるものを使わずに生活することはどれほどの事だった
でしょう。便利さにすっ かり慣らされた私たちは便利さが当たり前であって生活の最も
大切な基本的なことを忘れてしまっているようです。しかしこのような生活は僅か50年
いや30年前まではそうだったのですよね。『あの時代は良かった』などと言いますと
若い方からヒンシュクを買いそうですので申しませんが自然に対しての思いがすっかり
変わってしまったように思えます。大地の恵み、海の恵み、太陽の恵み、そのような
ものがよく見えていた時代だったようです。ハウス栽培、水栽培、バイオテクノロジー、
また、保存技術により季節の野菜は姿を消し、見かけだけは見事なまでの野菜、
果物が季節を問わず店先を彩っています。美しい旬のものなどは死語になって
しまったようです。地球ができて四十六億年、生物が誕生して四十億年、
人類が誕生して三百〜四百万年などと言われています。ただ同じ生き物として
人間と他の動植物とは異なっています。他の動植物は自然環境と合わせようとして
進化してきました。キリンの首が長くなったり、小動物が見事な棲み分けをしたり、
自然に沿った生き方をしています。ところが人間だけは人間の英知か、
万物の霊長かは知りませんが、自然を自分たちに合わせようとしています。
科学の発達はまさにこのことだったようであります。すなわち人間は自然を人間に
合わせて変えようとしてきたのではないでしょうか。夜になりますとほとんどの
動植物は寝てしまいます。太陽の照っているときに活動し、暗くなりますと
休んでしまう、自然の摂理のようなものでしょう。寒くなりますと、体温を
保存するために、毛が生え変わったり、冬眠などいたします。見事なまでの
自然への合わせです。ところが人類だけは(特に先進国)暑いときには
クーラーですし、寒いときには、暖房機、夜になりますと昼間より明るい照明です。
地球の表面をほじくり返し、大気を汚染し、おかしな化学物質を作り経済優先は
あらゆるものを壊し続けてきました。人類は哺乳類、四千種の一つにしかすぎません。
こんなことをしているのは人類だけです。最近のはやり言葉に『地球に優しく』
『環境保護』『自然を守れ』『宇宙船地球号』など掛け声は立派です。
しかしこの言葉一つ一つに人間の傲慢さが感じられないでしょうか。
なぜなら優しくとか保護とかとは、強いものが弱いものにもつ感情であり態度なのです。
いつから自然より人間が偉くなってしまったのでしょうか。人間さえいなければ・・・
どれだけ自然は豊かであったことか。《共生》も一時流行いたしましたが、
これでは自然と人間が五分五分でしょう。しかし自然に対しては人間の方が負い目を
もっているのです。仏教者として、念仏者として自然に対し頭が下がっていく生き方が
今ほど望まれている時代はありません。『念仏の声を世界に子や孫に』という言葉は、
次世代に何を残すのか今の私が問われているのです。