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充 実 感
 
現在NHKで「百名山一筆書き」として、日本国中の百名山を交通機関を使わずに、自分の足だけで踏破しようとする番組があります。九州の屋久島を出発し最後は利尻島の利尻山までの道のりです。肉体的にも精神的にも大変つらい厳しいことです。
 それでも踏破したときの充実感は何ものにも代えがたい姿であります。この姿を見ながら人生の充実感とはいったい何なのか考えさせられました。楽をして苦しい思いもせずに安楽な人生が望みであり、お金が自由になり、暇で一生遊び歩けることが幸せであるのか、ちょっと頭を使いパソコンの前に座り短期間で大金持ちになる人生に本当の充実感があるのか、どうなのでしょうね。山登りに生きがいを感じ、登ることはつらいのです、きついのです。だからこそ充実感があるのだと思います。人に見せるためのものでもなく、お金のためでもないからなのでしょう。努力も苦労もない充実感はないのです。親が子供に有り余る多くの財産を残し楽をさせることが子供の充実した人生とは言えないのです。私たちは誰もが過ちを犯し、失敗し、挫折を繰り返し、そして後悔をしながら迷いつつ歩むものだと思います。人間と他の動物の違いはそのような中から反省をし自分を見つめ直すことにあるのです。今、日本では、立ち直りが難しい社会になっているようです。間違いや失敗を許さないような雰囲気が漂っています。 そのために「恥をかきたくない、負けたくない、カッコ悪いことは嫌だ」、という思いが強いようです。一度失敗しますと立ち直りが大変です。現在病院でも神経内科が大流行と聞きます。精神的な落ち込みが激しく、病気になってしまいます。人間の体は鍛え使った場所は強くなるといいます。逆に使わない場所は退化し衰えていきます。今の私たちが弱い場所は、恥をさらしたり、負けたり、カッコ悪さに耐えていく心なのかもしれません。
 つまり何でも思い通りになるのが当たり前と思っているようです。自分の思いが通らない時に人間は次の二つのどちらかの行動をとります。一つは自分の欲望を制御して耐えるか、もう一つはわがままと愚痴をこぼし何としてでも思いを通そうとし、自分のそのような行動を正当化しようとするかです。周りもそれらのことを見守り続ける心の余裕が欲しいですね。
 子供時代からの親の育て方も問われているのかもしれませんね。
 子供が本来持っていた耐える力を親が取り上げているのかもしれません。親が先回りをして子供の成長を止めているようですね。そのような子供に「手を焼いて」「手に負え」なくなっていのが現状なのかもしれません。
 江戸時代の川柳に「もてあますように育てて、もてあまし」というのがありますが、昔も今も変わらないようです。私たちの人生は思い通りにならないのが当たり前なのです。
 思いが通らないことが圧倒的に多いのです。勝つことよりも負けることが多く、成功よりも失敗が多いのです。仏教で説く苦しみは思い通りにならない人生をどのように解決していくかを教えます。仏教を信ずれば苦しみが無くなるのかといえばそうではありません。
 苦しみは変わることなくつきまといます。しかし苦しみを充実感に転じていく道が説かれているのが仏教です。