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若い時には、みずみずしいお肌も歳と共に、衰えていきます。
『化粧などしなくても・・・・』という時期はすぐに過ぎ去ってしまいます。もっとも今では
若くても、子供の時から化粧はしているようですが・・・かえって美しい肌を覆い隠してしまっているようにも思えるのですが、男の目線なのでしょうか。
 ところで私たちは化粧の必須条件として必ず鏡がなければなりません。鏡は私の真実の外見、姿を映しだしてくれます。 
 おそらく皆様の中でどれだけの時間を鏡に向かっておられるでしょうか。
 鏡に向かわれているとき、どのような事を考えられておられますか。『なんて私って綺麗なのかしら』『ここをこうすればもつと美しくなれるのに』等、思われるのも結構でしょう。    しかし鏡は本当の自分、欠点、短所をもっともよく見せてくれると思います。短所、欠点は自分自身ではなかなか見えません。どうしても鏡が必要です。
 以前伺った話ですが、昔、鏡の持っていない文化を持っている奥地の民族のところに、訪ねて行った人がおりました。そこでそこの原住民の人たちの写真を撮りました。その出来上がった写真を見た原住民の人たちは大笑いをいたしました。『お前がここにいるぞ』『あいつがこっちを向いてるぞ』と。しかしその時にある男が言いました『ところでオレはどこにいるんだ・・・・』
 いままで鏡で自分の姿、顔を見たことがなかったのです。鏡のないのは、他人は見えても自分を見ることは出来ないのです。私たちもこれと似通ったことがなあるのではありませんか。
 姿、見た目ばかりで鏡も必要ですが、自分の心の働きを映す鏡も大事なのではありませんか。
 その意味でいつでもどこかに心の鏡をしのばせておく大切さを思います。その私の心を鏡に映しますとどうでしょうか。私の『本当』を人前にさらけ出せますか。私の勝手な都合で覆い隠してしまい心にべったりと『厚化粧』を施している私が見えてはきませんか。世界中で戦争、紛争が起きていますが、どうもいまの人は人間を『良い人』『悪い人』に分類しようとしてしまいます。『良い人』とは自分に都合の良い人『悪い人』とは自分の欠点や醜さを指摘してくれる人と思ってはいないでしょうか。しかし人間は『悪い人』『良い人』がいるのではなく『弱い人』しかいないのです。誰もがお金も欲しい、地位も上になりたい、誘惑には負けやすい、自分の家族が一番と思いたい、おいしいものは食べたい、旅行に行きたい、こんな弱さを体一杯に持ちながら生きているのが『私』だろうと思います。これを見ることの出来る鏡こそが『念仏』なのです。
 強さを見るのではなく、弱さ、そして私の多くの欠点を照らし続け見せてくれるものこそ念仏のみ教えです。電車の中で人目を気にせず鏡を見ながら化粧することよりも、たまには心の鏡を取り出して化粧してくれたらなぁ・・・と思います。
 自分の弱さを見せてくれるそして、学ばさせられる『念仏の鏡』を、自分の『本当』を生きてみませんか。