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観  光
日本全国どこに行っても同じ様な店が並び同じものが売られています。道路も宿泊も同じように整備され、教育も『子供の個性を尊重しよう』と良いながら、横並びの教育を押し進めています。そこにしかない店があって、そこでしか売られていないものがあって、そこの場所でしか出来ない教育があってそれで良いと思います。雪の降る地域と、雪の降らない地域と、同じように用水や川を整備する必要があるでしょうか。子供の描いた太陽が『黒い』からといって『その色は違う』と直させる必要があるでしょうか。『同じ』でないことが『平等』でない、『同じ』でないことが『差別』である、と勘違いしているように感じるのは私だけでしょううか。
『観光』という言葉があります。観光とはその字のごとく、『光(ひかり)』を『観(み)る』と書きます。この光とは『知恵』のことです。その土地土地でつちかわれてきた知恵でありその土地の風土、気候に合わせて創意工夫されてきた知恵であります。
 その土地・地域で、生活・生きていくために、工夫され磨かれた知恵。この知恵を『観る』ことを『観光』というのです。ちなみに、この観るは、触れ、感じ、学ぶという意味です。
名勝やテーマパークに行って、ピースサインで写真を撮ってくることが観光ではないのです。
衣食住に根付いている知恵を観てくることが観光なのです。そこに生きている生活の息吹を感じてこなければ、そこに住む人たちの生活を感じてこなければ、本当に観光してきたとは言えません。昔から『可愛い子には旅をさせろ』と言われた理由もそこにあります。様々な地域の、そこに住む人たちの知恵と工夫と努力を観て学び、そして旅に出る前より、人間的に一回りも二回りも成長して欲しいと言う親の願いの現れと言えましょう。
 多くの観光を主としている地域が、この違いを消すことに躍起になっています。綺麗に、同じに、そして生活感を感じさせないように。観光客のために道路を広くしたり、観光施設に行くために道をつけたり、古い街並みを保存と言う名目で新しい材料で綺麗にしたり・・・・。
 しかし、本当に観光を主とするなら、逆に、その土地に住む人たちの生活の息吹きを見せることに価値があると思います。いつも不思議に思うことは独自性、独創性と声高だかにいいながら、やっていることは結局みんなと同じ、他と違うことを嫌うという物事の考え方をします。
『同じでない』ことは、決していけないことではありません。『違っている』ことも決していけないことではないのです。違っていることを排除しようとすることを差別と言います。これは人間が犯してはならないこと、最も恥ずべき行為です。違いをもっともっと認めてもいいと思います。いけないのは、『同じでない』『違っている』ことに疑問を持たないこと、それが何故なのか考えないことにあります。『違い』に『なぜ?』をくっつけてみませんか。
 そうすれば、もっともっといろいろな物事の『光』が見えてきます。
違いの光が見えてくれば、その違いは『誇り』となるはずです。そしてその『誇り』が、本当の意味で地域を、人間を個性的にしていくのです。仏教の真の平等性はここにあるのです。
 小さな争いから、大きな戦争まで起きる原因は差異を認めない私たちのこの心にあります。
 人間が人間らしく生きていくヒントがこのあたりにあると思うのですが・・・・。