健康・不健康


《健康は一時的なもので、人生は不健康な時代の連続だと気づいている人がどれだけいるだろう。病気にかかったり、けがをしたりして、『健常』な状態というのは実は錯覚にすぎない。老いは、この延長線上にある。》(北海道新聞 サンデー ひと)より
《二十五歳はお肌の曲がり角》《二十五歳を過ぎたら脳の細胞は日々少なくなり老化がはじまる》とかこの生身の身体は少しも止まってはくれませんね。子供と言うより幼児の時代から私達は病気怪我との戦いであります。よく考えますと、今まで健康で何も心配が無かった時期はいつだったのかを考えますとまず、ほとんど無かったようなきがいたします。また、たとえ身体が少々健康でありましても、心の中の心配、悩みは尽きることもなく、心の不健康は日常連続でありましょう。
先日、東京、メキシコ、ミュンヘン、と三回のオリンピックマラソンランナ−の君原健二さんがお話しをされていました『東京オリンピックの出場選手はその後、若くして亡くなられた方が大変多いのです。これも重圧と言うかプレッシヤーというのでしょうね』と。
今日もオリンピックの放送をしており、女子マラソンで高橋尚子選手が見事な金メダルを獲得した日です。スポーツは健康のためとは言いますが、オリンピック選手ともなれば、それこそ肉体を極限まで痛めつけなければならないことでしょうね。ですからそうなりますとスポーツも身体には総て良いというのもあやしいものであります。どなたか『オリンピックほど不健康なスポーツは無い』と言われた方もありました。私達も日々の生活は健康を保つために必死であります。
栄養ドリンク、葉っぱジュース、健康キノコ、肉体改造マシーンと次から次へと健康食品、健康機械が出てまいります。また、健康祈願の神社、また病気を治す神様は大繁盛のようであります。
新興宗教の中でもこれでガッポリ・・・・というところがけっこうあるようですね。
どっかの宗教の、『最高ですか』『最高で〜す』『それは定説で〜す』『それはサイババの勝手です』 お笑いですよね。え、笑えない!笑えないあなたは心が大変、不健康です。笑ったあなたは健康です。ばかばかしいと言ってくだされればよろしいのですが、そうもいかないところに私達の心の迷いがあるようです。健康が当たり前で、不健康が不思議な事というのは逆ではないか?というのが文頭の言葉であります。一時は健康であっても老いが来れば身体も弱り悪い部分が徐々に増えてまいります。身体の弱さ、体質、遺伝性もあるでしょうが、自分自身で自分の身体をいたわらなかったために起きた不健康もありますよね。健康が当たり前の考えは人間のおごり、勝手さであります。健康は大切でありますが、すべての幸福が健康にあるというのはどうでしょうか。不健康であって病気を持ちながらも、喜びを持てる人生を歩むことの大切さを思います。念仏のみ教えはまさにどのような方をも、特に強い人より弱い《あなたこそ》を対象にしています。煩悩は強く、心の病気は止むことがない私、そんな私の弱さに気づく大切さを思います。