j
              印刷はこちらからどうぞ

 
                                     
                       
 孤  独
 
「孤独死」「無縁社会」何とも言われない悲しい言葉です。横のつながりが形ばかりとなり、一つ屋根の下に暮らしていても一日中顔を合わせない家庭もあるようです。家族、家庭の崩壊が言われだして何年たったことでしょう。孤独のつらさ、一人ぼっちの恐怖、孤独死などを聞きますとやりきれない思いです。グアム島のジャングルで二十八年間一人で暮らした横井庄一さん、フィリッピンで三十年間も戦い続けた小野田寛郎さん、孤独の恐怖に耐え抜いた体力そして精神力に驚愕いたします。誰もが孤独になる恐怖は恐ろしいものでありましょう。
 しかしこの孤独の恐怖とは逆な恐怖もあるのです。それは一人になれない恐ろしさです。
 ロシアの文豪ドストエフスキーの作品の中に「死の家の記録」があります。
 この中で主人公は十年間監獄生活をおくります。そして述懐するのです。「十年にわたる囚人生活のあいだ、一分一秒たりとも一人になれないというのはどれほど恐ろしいことか」と。
一般的には孤独の恐怖はよく言われますが「一人になれない恐怖」も息苦しいものですね。
自分で選んだわけでもなく突然として全く面識のない多数の人間の中に放り込まれ、一刻も一人になれないというのも耐えきれない恐怖でしょう。東日本大震災以来「絆」が叫ばれます。
 しかし絆とは、本来「動物・他人を束縛し動けなくする」と余り良い意味では使われなかったのです。それが転じて最近では「人と人との強い結びつき」という意味に使われているのです。本来的には縛られ不自由なことを「絆」と言ったのです。人間は社会的な動物でもありますし、又孤独にもなりたがる動物なのでしょう。その事を勝手に思うように使い分けしようとしますが思い通りにはならないようです。孤独を求めつつ孤立を怖れ、その中ほどを求めようとしたのが、昔の出家、隠者と呼ばれた人々でした。世捨て人とも他人は言いますが、世間と完全に交際を絶ち切ったわけではありません。鴨長明の方丈庵も、吉田兼好も松尾芭蕉の住んだ場所も静寂な地ではありましたが人跡も絶えるというところではありません。「人家よきほどに隔たり」と芭蕉が言うようにほどよい距離に人家はあったのです。「もう世間はうんざり」と思いながらも人との交わりを断つことの出来ないのが人間なのでしょう。
 しかし現実社会は孤独になりたいときには回りに人が大勢いたり、孤独になりたくないときには孤立してしまうことがよくありますね。
 ほどよくがなかなかうまくいかないものです。狂歌師大田南畝は【山里はふゆぞさびしさまさりける ゆはり市中がにぎやかでよい】と皮肉を込めて歌っています。一人で生きていきたいが一人じゃ生きていけない人間社会の難しさですね。しかしそれは人間社会の難しさというより私自身の思いの難しさなのです。一人で誰とも会えないときには人と無性に話がしたくなったり、逆に多くの人たちの喧噪の中におりますとストレスもたまり一人になりたくなります。自分の都合ばかりです。どうも私たちは目先の都合、楽ばかりを追い求めているようです。「子供と一緒になんて暮らせない」「一人の方が楽だから」、この気持ちもわからないわけではありませんが、しかしそれが自分の勝手な都合とは思ってはいません。私の苦しみ悲しみの原点を持っているのは「私自身」であることを仏法は気づかせてくれるのです。