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公  共
生活保護費の不正受給が話題になっています。私達の子供の頃の大人は「どんなに困っていても国の世話にはなりたくない」などと言っていたのが思い出されます。今はとにかく「得になれば」ということでしょうか。不景気や失業もこのことに輪をかけています。
 どうしようもなく困っている人たちは支援を受けなければならないことでしょう。
いや受けて当然なことであります。しかし何事につけ今は「得になれば、うまくやれば」の思いが強くなってきています。個人から、企業から、そして国まですべてが「公共心」の欠如が招いている事象が多いと思います。今現実に日本で起きている事故を見ますとすべてがこの公共の概念が薄くなってきている事が多いのです。
 世界一安全と言われた国で起こる度重なる鉄道事故、先日の高速道路での多数の死亡者を出した交通事故、食品の偽装工作、そして原発事故までどれもが「安全」を信頼しきっていた私達にとって驚きでありました。そんなときマスコミはこぞって「悪者」探しを始めます。会社の体質、労働者の過激な労働、そのような場面を切り取り扇情的に煽り続けます。
 ある鉄道会社は経営の第一目標は「稼ぐ」ということだったそうです。本来会社や企業は「安全・安心」を目標に掲げるものでしょう。しかしグローバル化が進み競争原理の中で生き抜き勝ち抜くためにはそんなことは言ってられないことなのかもしれませんね。
 私達が公共として信頼しきっていたものが覆されていく時代が今なのかもしれません。
 国も同じ事が言えるかもしれません。「お上」意識が長らく日本人の中にあり、国だけは「間違わない」というものがありましたがそれも怪しくなってきています。個別な企業だけの問題ではなく今日本全体が大きく変わってきたのだと思います。
 一兆円を超える借金がありながら、財政再建のかけ声だけで、問題を先送りする、年金も、沖縄も、電力問題もすべてが「今をやり過ごす」ことばかりです。先送りは「今さえ良ければ」「後は知らない」ということでしょう。原発の「ゴミ」も解決するメドもないのに稼働するのは象徴的に著しています。これは時間的な「公共」か失われていることに他なりません。
 このような企業や人を「何てことを」と非難するのは簡単です。しかしよく考えますとこの私もそのような場面に立たされますと同じ事をしそうです。何となく流されて問題は先送りし、「上手く生きる」方向に走りそうです。やはりどこかに「これをやったらおしまい」の意識を持たなくてはなりません。それが「公共心」というものでしょう。国も企業もそして個人もすべては「公共」なのです。私は決して一人では生きられないのです。
 必ず「他」とかかわりあっており私の行為は他に影響を及ぼします。まさに「縁起」の教えそのものです。これは今だけの問題ではなく時間を超えて未来の時代まで影響を与え続けます。 耐震偽装工作か以前問題になりましたが、今、目の前の作業を楽にするのに水を多く入れたり、儲けを多く出すのにコンクリートの量をへらしたりする。
 やがては脆弱性が露見してもそれはその時のこと・・・・。
 こんな思いが今の日本をつくっているのかもしれませんね。