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 高速化
  高速化が進んでいます。こことあそこを何時間で結ぶ。新幹線も北海道までやってきます。
 めまぐるしくなってきますね。急げや急げと、どこもかしこもせっかちです。
 旅をする楽しみも、ゆったりと時間が流れるひとときを人間はすっかり忘れてしまったようです。子供の教育でも「早くしなさい」が親の叱る言葉の第一位です。
 人間はもちろん生きるために経済活動をしなければなりません。この流れもすっかりと変わり「急げ、急げ」です」。以前証券会社のコンピューター入力のミスで株の売買の桁数を間違えて、数分間で数億円儲けたという人がおりました。
 黙ってコンピューターの前に座り、キーボードを叩くだけで短時間で巨額の収入を得ることが出来る、そんな時代に私たちは生きています。「とかくこの世は無責任、こつこつやる奴ぁご苦労さんっ」と植木等さんが歌っていたのが思い出されます。楽して金儲けが出来る、これは人間にとって憧れる世界なのかもしれません。昔から狩猟生活でも、農耕生活でも働くことから収穫までの間にはそれなりの時間が必要でした。一年間でようやく働く苦労が報われたり、下手をすれば数年、数十年たたなければその成果が報われないこともざらにありました。
 しかし今は社会全体が高速化になりました。それは、列車や移動ばかりでなく、情報、サービスなども一瞬のうちに世界中を駆け巡ります。これをグローバルともいうのでしょう。
 そのため長い時間をかけてゆったりと熟成するような仕事が減少しているように思えます。 第一次産業の衰退もこんなところが原因なのかもしれません。農業も、漁業も、林業も長い時間が必要です。TPPとか、外国の圧力とかが原因ではなく、収入を獲得するまでの時間を耐えられなくなってしまっているのかもしれません。労働がきついとか、収入が少ないというよりもゆったりとした時間ががまんできないのでしょう。農業でしたら何年間も畑作り、土作りから始まり、漁業であれば、船の用意、漁具の準備など大変な準備が必要ですし、林業ならば、植林から伐採までは百年という途方もない時間がかかります。 
 数分で億単位の収入を得られる時代に、今やっている仕事が次世代にならないと回収できないと言うことは我慢できないことなのかもしれません。しかし、人間の営みの本来の姿とはそのようなものなではないかと思います。文化とか思想はそのようなもので彩られてきたのです。 急ぐ時代はそのようなものは生み出してはいません。激烈な競争、憎しみ、奪い合い、これが高速化してきたなれの果てではたまりませんね。世代間の争いもあります。スピードの違いが世代間の確執を生み出しています。世代間の断絶もよく言われます。世代で輪切りにされ、社会のあらゆる問題が世代間の争いとされますね。同時代、異世代ということによって寸断される今です。しかし社会を生き生きとするのは異世代による同時代の共有です。
 違った世代が同時代を共に生きることが大切なことでなくてはならないものとしなければ、私たちの社会は何と味けのないものになることでしょうか。仏教は長閑で東洋的な、時間の流れを大切にいたします。争いをせず、どんな人をも包み込み、ゆったりとした時間で生きることを勧めます。時間の持っている重みをもっと感じられたらと思います。