マニュアル

 『いらっしゃいませ』『ありがとうございました』『ポテトはいかがでしょうか』
『またどうぞ、お車に気をつけて』。あるお店の基本的な一部のマニュアルと言われるものです。全国チェーンのこの店はどこに言っても全く同じことを言われます。マニュアルとは『手引書』ということらしいのですが、多いところでは二千もの手引きが用意されているようであります。
まさに至れり尽くせりということでしょうか。しかしこの至れり尽くせりが、機械か、ロボットのように思われ、切なく又、滑稽にさえ見えてくるのは私だけでしょうか。『個性を延ばし、創造性を育てなければ』とはもう随分前から言われてはいます。しかしけっして誰もがそのような事は望んではいなかったようであります。それは個性的、創造的な人間は会社、社会から白眼視されていたのではないでしょうか。それよりもマニュアル通り無難で、我慢をしても誰とでも上手に付き合っていける人間ばかりを育ててきたようであります。教育もマニュアルが優先されます。例えば小学校の漢字には次のような言葉が出てまいります。《べん所・ 道あん内・れん習》便や案や練はまだ教えられないということでしょうか、マニュアルのばかばかしさでもありますよね。
マニュアルは基本的には大切なものだとは思いますが、あまりにも捕らわれ過ぎますと悲喜劇のようなものであります。以前NHKで『男たちの旅路』というドラマがありました。鶴田浩二演じる初老のガードマンが自分の管轄のみを見廻り、隣で犯罪があったことを感じていながら管轄外と見知らぬふりをした若いガードマンに怒りながら言う台詞であります。『お前たちが靴の職人であったとするなら、もし糸がほつれ、痛んだカバンをもって直して欲しいと言ってき人が来たらどうするのか?』と問うのであります。そうして『もっと仕事からはみ出してもいいじゃないか』と結びます。もう20年以上も前のドラマでありますが、今でも強く心に残ります。まさに現在がマニュアル社会と人間が綱引きをしているように思えるのです。昔私が子供の頃家の修理に来てくれた大工さんが仕事の合間に器用に船を造ってくれたことがありました。子供ごころにもその出来栄えの素晴らしさ、そしてその心の暖かさは今でも忘れられません。管理社会、組織化され尽くした現代社会では、はみ出すのは勇気のいることなのかもしれませんね。管理され効率の良い社会に生活していながら、その中でもがき苦しんでいるのが私たちの現代病だと思えます。私たちが本当に望んだのは機械のような人間ではなく、人間そのものになることではなかったのでしょうか。
人間は機械のようにマニュアル通りにはいかないものであります。特に心の働きなどはまさに複雑怪奇でありましょう。お釈迦様はその複雑な人間の心の働きを凝視された方であります。
そうして型に執らわれないその人その人に応じた多くのマニュアルを説いてくださいました。
これが八万四千の法蔵と言われる教えであります。二千五百年も前からお釈迦様は『真実の人間になってくれよ』と呼びかけておられます。