印刷はこちらからどうぞ

 
                                
                                
貧しさ
 
 
今年は、未曾有の原油高で、世界中が大騒ぎです。私達の暮らしも、車やら、色々なものがどこまで値上がりするのか、先の見えない不安で大変です。今、暖かい夏の間はともかく、冬の暖房燃料を考えますと頭が痛いことですね。つくづく私達の今の生活は石油文明で生活していたことを思い知らされます。油を断つと書いて油断と呼びますが、現代は油を断たれますと何も出来なくなってしまうようです。考えますと私達の豊かさは石油によってもたらされているのでしょう。電気、衣類、車、農業、ありとあらゆるものが、石油、又石油製品に囲まれています。太陽光、風力、水力、地熱等自然界のエネルギーを活用する取り組みも進んでいるようですが、豊かさの象徴としては石油が今まで中心だったのでしょう。しかし本当の豊かさはそのようなものなのでしょうか。「モノがある、便利である、それが豊かさである」、そのようなことに安心する人間に私達は慣れっこになってしまったようです。ゴミの山、使えるものを平然と捨て、食べられるものを無駄にし、そのようなことが豊かさになっています。皆様の家の中を見て下さい。ゴミ箱にはきれいな包装紙が山になっていませんか。使わずにただ置いて泣いているモノはありませんか。しかしそれでも使わない中途半端なモノが身の回りにないと私達は豊かさを実感できなくなってしまったようです。無論「いざ」という時の用心は必要でしょう。しかし有り余る「いざ」はどうなのでしょう。際限がなく、「まだまだ足らん、もっと貯めろ」になってしまいます。そうして、今まさにするべき事をお粗末にしてしまうのです。無駄なモノ、無駄な時間を持っている人が豊かなのでしょうか。
 ブランドで身を包み、高級車を乗り回す、とにかくお金さえあれば豊かで幸福である考えは、もう見直す時期に来ていると思います。モノがあふれかえっている生活をしながらその中に私達はかえって貧しくなっているように思えるのです。テレビは家族の会話をなくし、電話は、手書きの活字ににじむ、その人の人格とかを感じる暖かさを見えなくしましたし、電子メールは、生き生きとしたその人の生の声とか、姿を感じられなくしてしまいました。仕事でも、予定を無理に、詰め込んでみたり、忙しく振る舞わないと安心できなくなつているようです。
 誰もが手帳に予定がギッシリ書き込んでいる人をエライ人と評価するようです。時間に追われ、多くのモノに囲まれている人を豊かな幸せな人と思ってはいませんか。しかし、誰でも時間はあるのです。自分でなくしてしまっているだけなのです。そのために見えるモノも見えなくなってしまっているのです。忙しさにかまけて、美しいものを見る感動さえも失われつつあるのです。最近ゆっくりと月を眺めたことがありますか、美しい夕焼けを眺めたことがありますか、一輪の野の花に感動したことがありますか。そのようなモノは忘れてしまいましたか。 私達の豊かさはこんなところにあったのではないでしょうか。貧しくしているのはまさに「私」の思いです。石油不足は深刻です。しかし私達はこのようなときにこそ人間としての原点を見直すべきだと思います。仏教は「上見て暮らせ」でも「下見て暮らせ」でもありません。「私」がこの短い人生の中で、どれだけ感動できたかを問うていく教えです。一日一回でも感動しませんか。豊かささとはそんなものだと思いませんか。心が自ら貧しくなるのは止めませんか。