j
              印刷はこちらからどうぞ

 
                                     
                        
メッセージ
 
景気回復が叫ばれて久しくなりますが、なかなかうまくはいかないようですね。企業は空前の利益を上げいてると言われますが、誰しも不安いっぱいです。もう二十年前ぐらいのアンケートになりますが、人々が支出を抑える理由の第一位は「将来の仕事や収入に不安があるから」第二位「今後年金や、社会保険の給付が少なくなるのではないか」第三位「不景気やリストラのために収入が頭打ちになっているから」とありました。二十年前から不安は全くと言っていいほど改善されていないのかもしれませんね。これを打破するために、「構造改革」「規制緩和」が進められ、起業やベンチャービジネスと呼ばれるものがもてはやされました。
 かっての、一つの会社で生涯真面目にコツコツ働き続けた会社人間が批判され不安の海に投げ込まれました。気持ちも体も余裕がなくなり、しかもこれだけ長い時間続きますと、やがて抵抗する気持ちも失せ、諦めさえになっていきます。豊かな才能やチャンスに恵まれれば一攫千金も狙えますが、残念ながら世の中は圧倒的に才能にも機会にも巡り会えない方がほとんどです。今の時代は結局は努力すれば報われ、勝った方はあらゆる成功が約束される社会のように見えるのは私だけなのでしょうか。負けた方はあらゆる場から排除され、立ち直れなくなってしまいます。以前「骨太の方針」とされた基本計画の中に次ぎのような文がありました。
「効率性の低い部門から効率性やニーズの高い成長部門へとヒトと資本を移動すること」と。 人間が「ヒト」とカタカナ表記される時代に今私たちは生きているのです。人間である労働者をヒトと呼び資本(お金)と同列扱いする感覚に寒気がいたします。経済成長も「人のため」ではなく「経済成長」のために「ヒト」が必要なのでしょう。よく言われるトリクルダウン、企業が儲かり上が豊かになると下にもおこぼれに預かれる理屈で、人間性を全く無視したようなことが平然と語られます。人間が単なる労働力だけの「ヒト」であり人間性を否定されることは、幸福な社会とはいえません。勝ち組も本当に幸福を実感出来るのでしょうか。
 負け組はもちろん、勝ち組もいつ負け組に落ちるか不安に怯えながら生きているように見えます。ネズミが回し車で走り続けるようにいつも動き続けていなければ不安でどうしようもないのです。人間は本来、安心して生きていけること、安心して死を迎えられることが本当の幸福なのかもしれませんね。豊かであっても安心できない時代です。
 私たちの宗名は「浄土真宗」ですが浄土とは人間が人間を、いのちがいのちを尊重し、される世界です。今現実に私たちの生きている世界は穢土と申します。
 穢土とは人間同士が殺し、殺し合い、人が人を差別し差別され、人が人を傷つけ合う世界です。どのように考えても今の世の中は「穢土」としか言いようがありません。
 その世界を作り上げているのは実は政治家でも企業人でもありません。
 この私たち一人一人なのです。そのことを糾弾し呼び続けているのが浄土の世界であり念仏の声なのです。南無阿弥陀仏の声はいかに私たちが他のいのちを粗末にし、私のいのちさえも傷つけているかを知らされる浄土からのメッセージなのです。
 仏様からのメッセージ、静かに聞き取りたいものですね。