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見えないもの
 
科学の発達は私たちの生活に多大の貢献をしてくれました。何でも便利であり、ものばかりではなく、情報も、スマートフォン、携帯電話、インターネットを通じ、いつ、どこてでも、誰とでも世界中がつながり、瞬時に伝わるようになりました。
世界を驚かすこともネット社会は平気で行います。逆に情報の恐ろしさも感じますね。    今福山雅治さんのテレビドラマ「ガリレオ」という番組があります。
 これは少し変わった天才物理学者の主人公が難事件の謎を科学によって解き明かしていくものです。得意の台詞は「科学で説明できないものはこの世に存在しない」であります。
 人間の合理的な知性がすべてを解き明かしていくということでありましょう。この進んだ時代に今の私たちもそのような感覚があるようです。
 しかし現実をよく見ますと簡単に説明できないものが多くあります。「幸福」「悲しみ」「喜び」「涙」このようなものを科学で説明できるでしょうか。科学のように数字、実験をいくら羅列したところで人間の心までは入っていけません。
 心理学といいましても、人間の心は誰も別だと思います。統計で私の心を見られたくはありません。科学や知性にばかりに頼っていて「見えなくなってきたもの」が逆に生まれてきたようです。最近のテレビの笑い一つとりましても、腹を抱え、笑い転げるようなことがなくなりました。薄ら笑い、軽蔑の笑い、にやけ笑い、こんな顔しかできなくなってしまっています。
科学文明の発達がこんな結果の笑いしか生み出していないのです。手触り感もなくなり、バーチャルの世界と現実の区別も見えにくくなってきています。
 進歩とは何だったのでしょうね。かって貧乏であり、未開と言われた人々の文明は合理的な知性から見れば取るに足らないものでしょう。多くの人々はこの「レベルの低い」文明を打ち壊し近代的知性を得ることを進歩と考えました。しかし今私たちは本来の人間の生きる道をその未開の地にこそ学ばなければならないことに気づくべきでしょう。
 人間観、自然観、人生観見方がひっくり返るのです。    それらは決して近代的知性からは見えないものです。東洋的な思想、仏教思想、これらはその見えないものを見ようとする営みでありました。「わびさび文化」「粋」「感謝」「尊さ」、これらのものを数値に出来ますか、計算できますか。このようなものを失った代わりにとにかく今の日本は「景気」「成長」ばかりが大きく扱われます。数値に表れますのでわかりやすいのかもしれませんね。
 戦後は発展、成長を合い言葉に頑張った私たちですが、今や何のための頑張りなのかを問い直す時期に来ているようです。経済至上主義による自然破壊、人間格差、貧困、差別の再生産、人間性の無視、最終ゴールがこれではたまりません。
 これは他との関係性の無視からきていると思えるのです。人間同士ばかりでなく、自然との関係、国同士の関係、それらのバランスが悪くなっていま「私」「我が国」ばかりのエゴイストたちが国益とか権利とかを吹聴し見えないものを作っています。
 仏教の関係性(縁起)の世界を見つめられたらと思います。