無 責 任
 

『サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ♪』と植木等さんが歌っていた頃はもう三十年

以上も前になるでしょうか。 無責任一代男とか無責任の言葉が流行いたしました。(実際

の植木さんは、実直な責任感の強い方であります) あのときは歌の世界であったのが、

今では現実に無責任時代になってきたように思えます。機械化、合理化が進みますと、

工場での生産もオートメーション化され、流れ作業であり、その中では人間も一個の歯

車にしかすぎません。逆に言いますと現代は人間の歯車化を望んだ時代だったのかもし

れません。部品一つだけ、何かも解らずに同じ作業を繰り返す、そこにはモノを創り出

す喜びも、誇りもないのではないのでしょうか。そんな歯車社会では責任はだれも取ろう

とはしないのです。歯車に責任は覆いかぶせてしまいます。

金融機関が破綻しても、大手デパートが倒産しても、核燃料が漏れていても、政治家が

大きな失敗をしても、だれも反省もなく、責任の所在もつかめません。

バブルに浮かれ大儲けをしたときは(自分の手柄)、バブルが弾け大損をしたときは、

(穴埋めをしろ)ではおかしなことですよね。でもそんなことが知らず知らずまかり通っ

てしまっている世の中のようです。これでは、少年少女、若者達に無力感が広がるのも

無理ならぬことかなァなどと思ってしまいます。真面目に生きようとすればするほど、

苦しくなってしまう社会、金と地位さえあれば勝手、気ままな人生を送れ、周りもチヤ

ホヤしてしまう社会、現実はこのようなものではないでしょうか。国の借金は日本人一人

あたり五百万円といわれます。お年寄りから乳飲み子まで、いつこんなになってしまった

のでしょう。しかもその額は年々、増え続けているのです。

政治家が借金をしても自分が返すわけではありません。次の世代か、次々の世代か、とに

もかくにも後回しのようであります。(そう言えば二世議員も多いようですので借金も面

倒みてもらいましょうか) 若者世代に年金未払いが、増えているといわれます。

こんなことは当たり前のような気がします。借金地獄の時代がやってくるのに、年金積み

立ての余裕はないのです。それどころか少子化は確実に進み、計算上では六百年後日本人

は一人もいなくなるとさえ言われています。

先行き不安が一杯のようでありますが、『そんな事より今がよければ・・・』が蔓延して

いるようです。せめて無責任のツケがそれをなした本人に返ればよいのですが・・・・

でも私達がなした無責任のツケは確実に子供、孫の世代におそいかかってきます。

仏教は因・縁・果の教えそのものです。つまり自己の因、縁は自己がしっかりと果として

受けねばならないのです。(うまい)ことをする人がよい結果を得る社会はおかしいので

す。真面目な人が生きずらい社会はおかしいのです。そんな欲ボケの社会を作り、そして

そんな社会に流され続けている私達、仏法に照らされてみれば『お恥ずかしい』かぎりの

《私》であります。真実に生きる大切さを仏教は呼び続けています。お盆を迎え、時代に

対しこんなことをちょっと考えてみませんか。