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何を求めて
 
アベノミクスが声高らかにもてはやされ、景気と経済が、強調されています。
 もう戦後、六十年になろうとしていますが、戦前と戦後では、私たち日本人の考え方も、大きな変化がありました。それはモノに対する、価値観が変わったと思われます。戦前は、「モノがなくとも、五分の魂」、というような、プライドだけは持っていたようです。しかし戦後は、特に近年になってからは、戦前、または戦後まもなくのひもじさの反動としてか、必死になってモノを求めました。アメリカ的な生活が、テレビなどを通して、私たちの欲望を引き起こし、豊かさの、象徴として、追っかけ始めました。私たちが子供の頃テレビで見ました、アメリカのホームドラマ、「うちのママは世界一」、「パパは何でも知っている」、「名犬ラッシー」などが家庭の理想として、その中で使われる車、掃除機、オーブンなのなどが憧れになっていきます。 そのような生活を求め、日本人は必死になって、企業戦士、また「二十四時間働けますか」?などと宣伝文句に踊らされながら、働き続け、豊かになり、便利さを手に入れてきました。
 日常生活には文明の力や、物が溢れていなければ、安心できない、豊かでないというような思いが強くなり、モノがあることが当たり前のようになっていきます。今日本のように、ティッシュペーパーが、溢れている国はありません。コンビニエンスストアがこんなに多い国もありません。そんな生活が当たり前のようになっています。皆様は、携帯電話のない生活が、想像できますか。夜の闇の深さを実感したことが最近ありますか。生活環境は、とにかく「都合よく」、が基本となり、不自由さ、不便さは許せなくなっていますね。福島の原発事故以来、原発廃絶の声は高らかですが、不便になっても良い、と言う意見は、ほとんど聞こえてきません。食べ物にしても、季節感がなくなり、旬のものが何であったのかも、忘れてしまいます。 
 すべてが市場経済のもとで、儲かれば、売れればに、翻弄されています。いつでもどこでも、なんでも手に入って当たり前になっています。皆様も家庭の中で、「買わされたけれど、不必要だった」というものがありませんか。本当に必要だったものがどれだけありますか。必要でもないものを、広告や口コミ、または多少の見栄もあるかもしれませんが、経済のサイクルの中で買わされることが非常に多いと思うのです。そのことを景気が良くなることと、国が丸ごと推奨するのです。そんな生活にいつの間に慣らされてしまったのが私たち日本人の歩みだったように思えるのです。落ち着かない、忙しい、息苦しい、現在の世相はこんなところから発生しているのではないでしょうか。日常の生活から僅かな時間でも良いのです。離れてみる、自分が翻弄されている日常から、離れれば大切なものが見えてくるように思えるのです。1人旅でも、ちょっとした放浪でも良いと思います。昔の鴨長明やら、吉田兼好、芭蕉のような、隠棲とまでは出来ずとも、本当の時間を取り戻すことが必要です。仏教の世界はそのようなためにあると思うのです。日々生活に追われ続けている私たちが。自分を見失い本当の私が何だったのか、自分を探求する旅、それが仏教を聞くということです。
 お寺もその中で役割の一端を担っていけたらと思っています。
皆様は何を求めて生きていますか・・・・・