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慣れ

 慣れは惰性にもつながり、恐ろしいものです、なんでもが当たり前になり、深みを持つことができません。先日、オリンピックの開催地をめぐり、大騒ぎでした。テレビも新聞も、オリンピックの東京招致に、必死のようでした。そのことに、反対する意見は、ほとんど聞かれませんでした。いや思っていても、テレビに出れなかったり、反対する意見を書きたくても書けなかった現実があったのかもしれません。そうして、そのようなものを、見聞きしている、私くしたちも。そのような世界に、どっぷりつかっているのでしょう。本当に私たちが考え思い望んでいることを、主張できにくく、なっているのかもしれません。
 大きな流れ、大きな体制、と言うよりも、そのような雰囲気に負けています。今日本を覆っているのはこの空気なのかもしれません。そうしてそれが当たり前となり、自らの頭で考え行動することが反逆のように自分で思ってしまうのでしょう。空気に抵抗するのはバッシングを受けるからなのでしょう。この空気に抵抗するのは大変な勇気が伴います。
 でもこのような世界から離れてみますと、今まで気づかなかった世界が、開かれます。
 次のような、話を聞きました。
 病院で、お婆さんが、重い末期ガンを患い、入院しておりました。医者も看護師も、痛がるお婆ちゃんにはほとんど、言葉を交わさないで、本人は1人苦しんでおりました。
 そこに見習いの若い、看護学生が、このおばあちゃんの介護につきました。看護学生は、どうしたらよいかわからず、途方にくれながら、ただ手を握り、背中をさすり、どんな言葉をかけて良いかもわからずに、お婆ちゃんの話す言葉を必死に聞き取ろうとしながら無言でただひたむきな、看護をしておりました。そのうちにおばあちゃんは、この若い看護学生に、心を開き、今までの長い人生の、家族のこと、結婚の事、子供のこと、苦労して育てながらも、今はひとりで暮らしていることなど、そのようなことを話しているうちに、痛みの訴えが少なくなっていきます。看護学生は時々、「そうそれはよかったでしたね」、などと、相槌を、打つだけです。ガンと腹水で、大きくなったお腹をなでながら。初めて妊娠した時のように、少し動いたよ、などとうれしそうに話します。こうしてお婆さんは、最後を満足したように穏やかに亡くなられました。重い死を前に、深い悩みに、寄り添うというのは、技術論とか慰めの言葉ではありません。熟練の医者やベテラン看護師ではなく若い看護学生は、慣れを知らないことにより、ただひたすら寄り添い、傾聴してあげただけなのです。私たちは、えてして、勝手に、慣れが正しいことと錯覚しているのかもしれません。浄土真宗の聞法の心持ちの中に、第8代蓮如上人の言葉があります、「このたびのことは初事と思うべし」「私1人のためと思うて聞くべし」「今生最後と思うて聞くべし」とあります。現在は聞くことが難しい時代です、その反動として、慣れを要求されます、しかし慣れは自分を見失います。本物を見抜くまなざしが求められます。私たちが見ているものは、その人自身ではなくその人の背中に背負っているものを価値基準としているのかもしれません。それは地位であったり経済力であったり少し違うものを判断しているようですね。改めて人間としての原点が求められていると思いますが。