美しく老いる
 
今、日本は歴史上経験のない高齢化社会を迎えています。今からわずか五十年前の平均寿命が六
十五歳程度でしたから、この急激な高齢化は様々な問題を抱えています。政治や福祉、年金、そし
て家族と、システムも大きな変化が求められました。しかし高度化された社会とは反比例するよう
に、『美しく老いる』ということは難しいことです。
やさしい子供や孫に囲まれて楽しく老いる、回りから見ますとこんな幸せな図はないことでしょう。しかし本当にそうなのでしょうか。《大事にしてくれる》というのは、置物のように厚い座布団の
上に座らされ、(いい爺ちゃん、いい婆ちゃん)を演じているからなのかもしれませんね。何かし
たいと思ってもじっと我慢して周りに嫌がられないように精一杯気を使い続ける、これが家族に囲
まれて美しく、楽しく老いるということなのかもしれません。飾り物になっていればおだやかない
い年寄りと、ほめられ、動き回り過ぎますと(年寄りの冷や水)と言ってあきれられ、たまには息子や嫁に説教されます。ケガでもしようものなら『それみたことか』と言われたりします。
子供が転べば『かわいそうに、痛かったでしょう、ちちんぷいぷい』としてくれますが、老人の場合はだれもそんなことはしてくれません。老人も本当はそうしてほしいのですが、期待はいつも裏切られます。入院しても子供ならいつも二十四時間付き添ってくれますが、老人の場合は、『今日は忙しいから』でおしまいです。体は長い間使っていますと、あちこちがガタガタになってきます。子供がかまってくれなければ病院が頼りです。あちこちと病院のはしごが始まります。外科、内科、眼科、鍼、灸、按摩、しかし、なかなか、はかばかしくありません。『もう年だから仕方がない』とは知っているのですが・・・・・
なかでももっとも嫌なことは、排泄でしょう。世話するほうもたいへんですが、世話される方もたいへんです。一人でトイレに行きたい、しかし足腰も弱り動きの悪さからちょくちょく《おもらし》をするようになってきます。家人が大騒ぎを(ひそひそ話)始め、おむつか、病院かなどとなってまいります。それがいやさに、水けのものを控えたりしますと、脱水症状になったり便秘を起こしたり悪循環になってきます。これが子供なら、お尻の一つもたたかれておしまいでしょうが、老人はそんなわけにはいきません。子供のおしっこはきたなくない、老人のおしっこはきたない、これが老いということなのかもしれませんね。老人は眠りが浅いものです。ですから夜中に何度も目が覚めます。でもだれも起きてはいません。そんなとき思うことは、寂しい寂しい、でありましょう。さびしい時は昔、親の懐に抱かれた事を思い出すのが安心の境地のようです。昔の思いに感情を移入して生きている、又感情を移入してボンヤリしている。他人はこれをボケたと言います。
お寺を頼りにしてくれればと思うのですが、『縁起でもない、お寺なんか・・・・』と言われそうです。でも阿弥陀様を昔から先人は親様と慕っていたのですから・・・・・
せめて老人の思いに対する想像力を若い方々にも持っていただけたらなぁと、感じています。