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お金
 
今時の子供に「君が一番欲しいものは何ですか?」とききますと筆頭の答えにくるのは「欲しいものはお金」でありましょう。これは子供だけではなく、おそらく大人も同じようなものです。他のどんなものよりお金を欲しがり、お金に憧れるのです。タレントや、芸能人にあこがれを持つのも、人気者になれ、華やかな中に究極のお金持ちになれるからなのでしょう。確かに理屈ではなんと言おうとも、お金があれば、生活苦がなくなり、欲望の大半をお金の力で満たすことが出来ます。幸福さえも手に入ると考えられます。満足感はお金で程度の差こそあれ満たされるのも事実でしょう。しかしまだ就学前の子供までも欲しいものが「お金」と言うのはどうなのでしょうか。今から四、五十年前の子供はそのようには答えませんでした。欲しいものは「グローブ」であったり「お人形」であったり「腕時計」であったり何らかの「モノ」が欲しかったのです。もちろんグローブでも人形でも買うのに必要なモノはお金であることは知っていました。しかしお金はあくまでもモノを手に入れる「手段」だったのです。それに加えて昔の教育は直接的にお金を欲しいというのは何か「はしたない」という意識を持たされたように思います。又「お金はあっても幸せは買えない」とも言われました。誰もがみんな貧しかったのです。映画も「名もなく貧しく美しく」「キューポラの町」「にあんちゃん」どれも貧しい中で肩を寄せ合っていく美しさを描いた映画が共感を呼びました。金持ちになるより貧しくとも精一杯生きていく事が尊い事とされていました。それがいつの頃からか「消費は美徳」「大きいことはいいことだ」「二十四時間働けますか」と、大型消費社会になり政治家さえも「大いなる消費を」勧めるのです。質素、倹約の美徳の時代はどこかに行ってしまったようですね。ものが豊かになるにつれ私達は心の美しさを言わなくなっていったようです。豊かになればなるほどものを多く手に入れれることに憧れお金が「大好き」になっていったのです。国も、社会全体も「もっとお金が欲しい」「どうすれば儲かるか」ばかりです。子供が欲しいモノが「お金」と言うのも当然でしょう。私達が子供にそのように教育してきたのですから・・・子供たちも「イラつく」「ムカつく」と言うのも口癖です。「腹が立つ」のではないのです。そして「キレる」のです。この言葉には鋭利な刃物ののような鋭さがあります。中高生の三割が生活の中でわけもなく「イライラする」と答えています。子供がイライラしているのは社会全体がイライラしているからだと思います。これがお金を頼りにしていった戦後日本の行き着いた姿だったのでしょうか。欲望社会は人間を勝ち組、負け組に分ける社会です。それもほとんどの人がこの社会では負け組になります。そのために大人たちもギスギスした不満やイライラが募っています。もっと「人として生まれることは尊いそして希なことである」というのが仏教です。「人として生まれ生きているだけで素晴らしい値打ちのあること」ともっと伝えていいと思います。 役に立つ人、勉強できる子供のみが尊いのではありません。人は誰もが皆尊い存在であります。