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                      折 り 合 い
 
百年に一度の経済危機、不況が叫ばれています。こんな時に政界、経済界の迷走ぶりは情けなくなってしまいますね。ハローワークには就業出来ない人々が溢れ、倒産も、大手の企業といえどもわからない状態です。しかしそれだけ困っている人々が存在するにもかかわらず、海外旅行のパンフレットの山、買い物ツアー、グルメツァー、等と盛んにあおり立てます。テレビ番組でも必ずどこかて、旅番組、グルメ番組がセットになっていつでも放映されています。取材を受けた店は絶好の宣伝として、次の日からはお客が列をなすことも珍しくないようです。インターネットの世界、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、情報の大半は「商品」という広告です。 何が何でも売った方が勝ち、そのためにはテレビ広告なども見せるのに必死です。チャンネルを変えられないために、実際の番組の中でもちょうど良いところでコマーシャルになりますね。そうしてひどいときには、番組が十秒で又々コマーシャルというのも珍しくありません。
 以前はもっと良心的なコマーシャルの入れ方だったような気がします。「商品」には「売らんかな」がつきもので「いいことづくめ」ばかり流してきます。「いいことづくめ」にはちょっと人間を長くやっていればそうそうないのはわかっているはずなのに、欲望が目を曇らせるのか。溺れてしまう方も結構いるようですね。何百億の詐欺事件などが報道されるたびに何と、何回も同じように騙されることかと思ってしまいます。情報の豊富さが豊かさの象徴だったのでしょうか。戦後六十年もの長い間日本はほとんど右肩上がりの経済成長を成し遂げてきました。「どこかおかしい」と疑問を持ちながらの歩みでもあったように思います。他の国の貧困さなどを見ながら、日本だけが奇跡的な成長をしたからです。しかし今の日本は戦後生まれが圧倒的多数を占め、成長しか知らない人がほとんどなのです。そのため「ものを持つのは良いこと、金は多ければ多いほど、財産も多いほど」という信仰めいた考えさえあるようです。今この不況の時にもまず「景気回復」「消費拡大」が叫ばれるではありませんか。定額給付金の目標が「消費を刺激したい」というのは言い換えれば「大量消費、大量生産をしよう」、それが経済発展、国の繁栄ということなのでしょう。私は国から「消費してくれ」とは言われたくないのです。
 今私達に求められるのは「折り合い」ということではないでしょうか。何でも「自分の思う通り」の考えがすっかり折り合いを忘れてしまっているようです。長い間「思い通り」にやってきた日本人、そのことを見直す時期なのかもしれません。それは、商品ばかりでなく、自然や環境との折り合い、又他の人との関係の折り合いもあるでしょう。それにもまして、今私達が折り合いをつけられないのが、自分の心の内なるものとの折り合いがつけられなくなってきているようです。思いがけないこと、突然の出来事、それらのことに折り合いをつけながら対応するのが下手になっているようです。仏教の諸行無常は「何があっても不思議でない」ということです。ほんの六十年前に戦争で家を焼かれ、財を失い、子供を亡くし、夫を亡くす、そんな時代に生きられた方は、どうやって自分の心と折り合いをつけたのでしょうか。どこかに「何があっても不思議でない娑婆」という仏教の折り合いの智慧を持たれていたように思えるのです。喧噪的な世の中に静かに「折り合い」を考えてみませんか。