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プラス思考
 
「何事もプラス思考で積極的に前に進みましょう」、最近よく言われる言葉です。
 ポジティブ、ネガティブも良く聞きます。積極的は良いけれど消極的は良くないことととれます。何でも前向きにとらえられれば良いのですが、人間はそんな簡単にはできてはいないのです。どうしても状況が良くならなければ落ち込み、暗くなってしまいます。
そんな時に回りから「元気を出して、積極的に・・・」などと言われましても、苦しくなるばかりです。子供の虐待が問題となっていますが、子供を育てるのには、「ほめて、育てよ」、ともよく言われますね。でもそれだけで良いのでしょうか。ほめることで積極的に何でも取り組む子供もいるでしょう。でもそればかりでなくほめることによって、思い上がり自惚れる子供もいると思います。逆に叱ることによって頑張る子供もいると思いますし、又自信を失いやる気がなくなる子供もいると思います。人の心の働きは何とも微妙で言い切れない部分を持っているのです。私たちは何をもってプラス、マイナスといっているのでしょうか。
「ころは三月花のころ、おまえ十八わしゃ二十、死なぬ子三人みな孝行、つこうて減らぬ金百両、死んでもいのちがあるように」という狂歌がありますが、自分の都合の良い方に考えるのが、プラス思考と言うのでしょうか。健康ープラス、病気ーマイナス、お金持ちーブラス、貧乏ーマイナス、長生きーブラス、早死にーマイナス、ブラスの条件を増やしマイナスの条件を減らしていくのが私たちの日々の営みのようです。しかし残念ながらこの思考は長続きしません。誰しもが無常の中にあり、老病死に縛られていることを忘れているのです。私たち人間の思いは勝手に自分の都合(ものさし)で判断します。
 持っているものさしは、人それぞれ異なっているのに勝手なものです。煩悩具足の凡夫と言いますが、過ちりばかりを犯しながらそのことさえにも気づかない私自身をさす言葉です。人間の価値判断がいかに危ういかを考えさせられます。仏法は人間のものさしの不完全さを気づかせます。島根の妙好人(念仏を喜ばれた方)足利源佐さんはいつも「困ったときにはお念仏に相談なされ」と言ったそうですが、私たちの判断はいつも自分の都合の良い方ばかりを、向いているようです。「比べなければ楽になる」と言いますが比較の心が私たちの苦しみの元凶なのかもしれません。見えないモノ、気づかない、いや気づこうとしないモノが今はあまりにも多くなっています。もてはやされるモノばかりに目が向き肝心なことは見ようともしないのでしょう。一年に何度か介護施設に行くご縁がありますが、行くたびごとに教えられる事が多くあります。特に献身的に介護されている介護士の方々の姿はただ頭が下がるばかりです。
 少子高齢化なのか「親孝行したくないのに親がいる」という歌がありましたが、私たちが育っていくうえで、誰が食物を口に運び、排泄物を何年も始末をしてくれ、病めば寝ないで看病し付き添ってくれたのでしょう。すっかり忘れたのでしょうか。心のもちようなどと言いますがあてにはなりません。心はコロコロなのです。条件が変われば平気な顔をして変化していくのです。「人間は量と長さばかりを問題にしている。お金、いのち・・・大事なのは方向が決まること」。本当の強さが何なのかを示してくださる言葉です。