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リ セ ッ ト
猟奇的な事件が続発しています。親殺し子殺しは今に始まった事ではありませんが、最近の事件は私の想像力をはるかに上回って理解がなかなか出来ません。その中でただ一つ言えることは、死というものを知らなさすぎるのではないかということです。日本では「死の教育」というものが、忌まわしい、いやなものとして遠ざけられています。人間は死ぬと言うことは、どんな状態になり、いつから腐敗が始まり、骨になっていくのか、人間一人が死ぬということは、まわりの多くの人々にどれだけの衝撃を、そして悲しみを与えるのかそれらのことに全く蓋をして隠そうとさえしているように見えます。「死は残酷だから小さな子供の教育に悪い」、とか日本では病院でなくなる方が圧倒的ですが、家族でさえも亡くなった後はすぐに病院側で処置として遺体の後始末が行われ、家族が出会うのはもう優しい顔になった遺体との再対面です。
 子供ばかりでなく大人も死とは徹底的に遠ざけられているのが今の日本でしょう。しかも核家族化が進み、自宅で看取るということもなくなり、実際に死を見たり、考えたりする機会が極端に減っています。子供に残酷な死は見せない事が本当の教育なのでしょうか。本物の死というものは、むごく残酷なものだということを教えるべきだろうと思います。むごたらしく、「気味が悪い」と思われても現実の死とはそういうものだということを知らすべきです。本物の死から遠ざけられている一方で、子供たちは偽物の死には取り囲まれています。テレビをつければ殺人事件のオンパレード、ゲームの世界も格闘やらバーチャルな死ばかりです。何度でも生き返る事が出来ます。今の小学生に「死んでも、生き返る事が出来るか」とアンケートをとったところ、半数以上が「生き返れる」と答えたそうです。驚きますね。ですから「死」はたいした問題ではなくなっているのかもしれません。一度死んでも何度でもリセット出来ると考えているのでしょうか。奈良で医師である父親から「集中治療室」と呼ばれた勉強部屋で毎晩のようにつきっきりで勉強させられた十六歳の少年が自宅に放火をして母親と弟妹を殺害した事件では逮捕後「自分のおかれた環境をリセットしたかった」と語りました。本物の死のむごさ悲しさを知らなさすぎるとしか言いようがありません。リセットもやり直しも出来ないいのちの教育を大人が怠ってきた結果がこんな時代を創ってしまったのかもしれません。
 そんなことから子供の大人への不信感も強いように思われます。「悪いことはするな、よい子になれ」と子供に強要しておきながら自分たちは金儲け、モラルも人間性も置き忘れ、法律にさえ触れなければ「何でもアリ」というような生き方をしているのですから・・・ 子供たちは、大人の犠牲者なのかもしれません。携帯電話、様々なグッズ、子供を目当てにした金儲け主義、子供は決して自由で自主的に生きてはいません。すべてが大人が用意した人工的なものばかりに囲まれて生活しています。しかもそのことを大人が「子供は自主的に選択している」と言い訳するのです。死の教育を以前はお寺がしていたようです。地獄図であったり、死の恐怖を語ったり・・・・そんな世界を大人もそしてお寺も語れたらと思います。物神礼拝の考えが、様々な事件から見えてきます。リセット出来ない私の人生を今一度見直しませんか。。