老 境

少子化、高齢化社会等、日本は老人大国に進んでいると言われます。『二人で四人の親を見なければならない』とか、『年金が破綻してしまう』など社会的な問題は山積しています。
それはともかく『私など何の役にも立たないから・・・』『どうせ生きていたって迷惑ばかりかけるから・・・』とよく老人本人からよく聞かされることであります。しかしこのような言葉を聞かされるたびに私は悲しい思いをいたします。それほどまでに老境は忌まわしいものなのでしょうか。『年はとりたくないものだ、若い昔に帰りたい』このような事もよく聞かされます。
でもそれなら幼年期、少年期、青年期、壮年期は素晴らしい人生で、老年期だけは悲惨ということになってしまいます。『年寄りの冷や水』という言葉があります。これは老人が若者ぶって若者と同じような事をすると大怪我をするということでしょう。老人がどんなに頑張ってみたところで若者と同じようには出来ないのです。それよりもこの言葉の戒めの裏側には年寄りには年寄りにしか与えられていない豊かな境地があると言うことをいっているように思えるのです。老いることが嫌われるのは次ぎのようなことでありましよう。《仕事に対する熱意を失わせる、肉体が弱ってくる、快楽の多くがなくなってしまう、病気や死と直面しなければならない等》どうでしょうか、確かに一面ではこのような指摘はされることでありましょう。仕事に対する熱意は若者のように体を使っての仕事はなくなるでしょう。しかし老人には老人にしか出来ない精根を込めた仕事があるのです。体力を使わず動かさずともじっと見ていて舵を取るような役目であります。快楽が少なくなるのも事実でありましょう。こんな言葉を聞きました。『自然が人間に与えた肉欲ほど致命的な禍はない』と言うのです。肉体の快楽に引きずられて人間はどれほど苦しみ禍をなし、他を傷つけてきたことでしょうか。老境に入ってからようやくこの束縛から逃れる事が出来るということであります。しかし快楽がすべて失われているのかといえばそうではありません。老人には老人の楽しみがあるのです。ただ若者とおなじ快楽ではないのです。『老いるにしたがって学ぶこといよいよ多し』と言う言葉があるように精神的な快楽は老境でしか味あうことができないのかもしれません。病気や死と近づくというのもこれは別に老人ばかりではなく、若者も同じであります。死や病気は年齢にかかわらずやってまいります。そう考えれば不用意にそのようなものと直面するよりも病気は死を熟慮した上で体面した方が好ましいことではないでしょうか。人生の収穫期とも言える老境をどのように迎えるか、大切なことであります。お釈迦様、親鸞聖人、蓮如上人、皆八十才以上の長寿であります。肉体の衰えはありましたが、若々しい言葉は老年期に入ってからこそ多く見受けられます。どれだけ豊かな老年期であったかを彷彿とさせてくれます。八十歳になっても権力欲、物欲、名誉欲と、欲ボケで生きておられる方をよく見受けますが見苦しきものでありますよね。こんな気持ちで老境を迎えられればと思いますが・・・・・さて、さて。