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                                 進 歩 と 調 和
 
四十年以上も前になります。人類の進歩と調和を高らかに掲げ大阪万国博覧会が開催されたのは。今から考えますと、あのころが日本全体が活気に溢れ絶頂期だったのかもしれませんね。月の石を見るのに三、四時間も暑さの中を並んだことが思い出されます。あれから四十年進歩と調和が実現したかと申しますと、どうも逆の方向に向かっているようですね。
 戦争は内紛も含め止むことはありませんし、殺戮は殺戮を呼び、憎しみは憎しみを招き、負の連鎖ばかりが目につきます。テロの根絶の戦争が新たなテロリストを生んでいき、それが世代を超えていくことに恐怖を感じます。矛盾だらけなのでしょうね。環境についても京都議定書の決議は日本でも約束は先延ばしであり、守れそうにもありません。地球の温暖化も進んでいます。二酸化炭素を金によって売買するのもおかといと思います。結局金持ちの国は二酸化炭素を垂れ流し続け、金でその権利を買いとり続けるのです。環境よりもお金なのです。
大阪万博の頃はまだ地球自身にも環境に対する抵抗力があったように思いますが、いまは専門職でない私達にも何か不気味なことが起こりうる予感がしませんか。文明の発達を手放しでは喜べなくなってきています。品物が溢れかえっている店先を見ましても「これでよいのか?」と思ってしまいます。毎日テレビではテレビショッピングの花盛りです。店頭販売と違い安い商品がたくさん出てきます。しかしどの商品も「おまけ」つきです。テレビやパソコンには、台、プレイヤー、カメラ、印刷機、すべて「コミ」の値段です。結局いらない物は捨てられ営々とゴミを作っていくようなものです。進歩は確かに私達の生活を豊かにし、人間に幸福感を与え続けてくれました。その中で少々の事故や犠牲がありながらも、便利さを享受してまいりました。私達は原発の事故、放射能漏れ、チェルノブイリ事故が起きようとも、原子力利用を止めようとは思いませんでした。交通事故で一万人亡くなろうとも、車を撤廃する動きはありませんでした。便利さが少々の?事故よりも勝っていたのでしょう。今では便利さも質が変わってきています。以前でしたら不自由さが先にあり、それを解消するのに工夫しながら便利さを求め開発されてまいりました。「こうなって欲しい」という思いが文明を創ってきました。
 しかし今は「こうなってほしい」というよりも「欲しくさせられる」ような時代です。なくてもすませる事が出来るものが多いにもかかわらず、欲しくさせられるのです。利潤の追求は、温暖化とか、環境とかは「あとで考えよう」ということなのかもしれませんね。私達が本当に必要な物を、望むより先に製品が用意されているのです。今使われているアナログテレビは使えなくなりますが、いったいいつそのような事を誰が望んだのかもわからないうちに決められたというのが本音です。使用目的よりも開発、開発なのです。生活に不可欠なモノより、売れるものなのです。いつまでたってもハツカネズミが回転車の中を走り回っているように思えてなりません。ちょつと立ち止まり自分と向き合いませんか。間違いを起こしうる人間という押さえを仏教に訪ねてみませんか。テレビが二十四時間も放送しなくても、季節外れの果物を無理をしてまで食べなくても、こんな思いから結構、環境は守れそうな気がするのですが・・・