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育てる
 
四月は受験シーズンも終わり、新しい気持ちになるものです。日本人はどうも、正月と四月は心機一転やり直しさえも考えます。少子化一億総活躍とか言われますが、進学、就職の方々は将来がかかる大切な時期です。しかし一生を決定すべきこの時期に、一度限りの勝負で未来が決まるこのシステムはどうなのでしょう。人はそう簡単には出来てはいないとおもうのですが・・・たまたまその時に体調が悪かったり、突発事故が起こったりすることもあるでしょう。そのようなことで自分の一生がたった一度で決定されるのもたまらないことですね。受験や就職試験などは若者が通り抜けなければならない関門でしょうが、これから教育を受ける人を事前にふるいにかけて可能性の芽を摘み取っているように思えませんか。
これはただ効率的に人間を選抜しているだけなのです。大学受験も優秀な学生を集め学ぶことよりも、入学するのが目的化してしまい、単なる肩書き欲しさに、親も子も目の色を変えます。難関な大学に入れたとしても、その後は青春を謳歌する学生を大量に生み出し、四年間学ぶ機会を二年目の終わる頃からは就活と称し学ぶことよりもそちらの方に向かいます。企業は求める人材(即戦力)を欲しがり、大学もその期待に応えようと実務教育に力を注ぎます。余裕がなく、ギスギスしているように思えてなりません。高度成長期の大学進学率が二、三割の時代は大学=エリートの図式が成立しましたが大量生産される大学では企業の求める人材も変わってきたということでしょう。企業はとにかく即戦力というよりも、即稼げる人材です。
企業で悠長に人材を育てる暇がないのでしょう。大学も学びを究める本来の意義は陰を潜め早々と時代に合わせ就職予備校と化しているように見えます。企業も大学も人を育てる意識が欠如しているのかもしれません。企業や大学は人を選抜する権利はあるかもしれませんが大学生に四年間の学ぶ機会を奪い取るような新卒採用をいまだ続けている理由はなんなのでしょう。 長い目で育てる事がおろそかになり、目先のことばかりです。今の日本は政治をはじめ行き当たりばったりのように見えます。税金が足りなくなれば消費税、年金が足りなくなれば年金カット、支給年齢を上げる、国の借金は公債で賄う、全てが先送りばかりです。
 巧みな言葉で誘導し、繕い、ごまかし、後の祭りばかりです。私たちは本当に何を必要としているのか、「最低限の生活でもなく」、「なるべく多くのもの」、でもなく一人一人がどう生きるかを問われているのです。本当に大切なモノが何であったのかを、見失っている時代なのかもしれませんね。
「はだかに生まれてきたに 何不足」(小林一茶)「こんなにあるのにまだ足らんのか」一茶さんから怒られているようです。旅立ちの季節です。本当の世界に向かって歩みたいものですね。 進路は損得だけでなく大切なものを求めたいものです。行き先が見えない不透明な事ばかりですが、育ち、育てられるのは時間がかかるものです。同じように今、真実に生きる辛さを思います。悲しいことに効率が勝ちなのでしょう。しかし仏法の値打ちは真実にあります。
 誰も認めなくとも仏様は認めてくれます。逞しい歩みを仏法は認めてくれるのです。
 あわてない、あわてない・・・・です