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テ レ ビ
 テレビが茶の間に入り込んでからもう六十年近くたちました。隣の家に見せてもらい、やがて我が家に入った時のうれしさは今も憶えています。何せ今まで動く映像は映画館でしか見られなかったものが毎日、封切りで見られるのですから・・・そのうち総天然色になり、ビデオが入り、デジタル、液晶薄型、大型化、又三Dという立体化までもが実現しています。
 進歩の早さについて行けなくなりそうです。テレビが普及してきた頃、評論家の大宅壮一氏は「日本人総白痴化」等と評論しましたが、今はまさにそんな時代がきているようにも見えますね。何せこちらが考える以前に懇切丁寧に説明し映像で流してくれるのですから! 世界中の情報が一瞬のうちに同時に飛び込んできます。即時的に情報が流れ、映像付きですので疑問もなしに受け止めてしまいます。確かに映像付きですので嘘はないでしょう。しかし嘘ではないかもしれませんが、そこにどれだけ真実性があるのかと思うのです。同じ映像を繰り返し繰り返し流され、見せられ、いつの間にかこちらの考えもコントロールされているように思うのです。今の時代、お金になればどんなことでもしてしまう恐ろしさがテレビにもあるのです。
 情報も嘘は流さないのかもしれませんが、スポンサーの都合の悪い情報は真実でも決して流さないのです。又視聴率の競争もそのことに輪をかけて、視聴率さえ取れれば何でもありという状態でないでしょうか。テレビばかりか新聞も同じようなものです。新聞広告をよく載せるスポンサーはどんなことをしても、批判は書かないのです。いや書けないのです。このようなことはわかりきった嘘をつくことよりも始末が悪いのです。なぜなら「嘘をついている」という自覚もないからです。今のテレビコマーシャルの入り方は意地悪としか思えませんね。落ち着いて番組を楽しむ余裕すら感じられません。同じような顔ぶれのお笑いタレント、旅、大喰いグルメ、これが主流です。手っ取り早く、お金のかからない、視聴率がそこそこ稼げるということでしょうか。又そのような番組を口を開けて面白がって見ている「私」がそこにいます。 恥ずかしいことなのかもしれませんね。「子供化した社会」、「未成熟な私」を思い知らされます。視聴率・「お金になれば」が、今の日本には蔓延しています。以前にライヴドア事件の時に、堀江社長が「人の心はお金で買える」と言った時に、廻りの記者は何の反論もしませんでした。 成熟した大人社会であれば、何らかの疑問、質問をしても良かったと思いますが、これが今のマスメディアというものなのでしょうね。今の日本の大きな問題、格差社会、フリーター、ニート、うつ、引きこもり、そして自己責任論を言います。未成熟社会が生み出した産物のように思えるのです。お金社会、便利さは「人間とは何か?」とか「いかに生きるべきか?」等を考える暇もなくしてしまいました。効率で人間も見ていくのです。しかし人間は悩み、苦しみ、迷い、考える非効率な存在なのです。仏教の人間の見方は、非効率な存在として「私」を見ていくことに他なりません。効率を排し回り道をしながら歩みませんか。他の人の自己責任論を問うよりも私の歩みを仏法に照らし考えてみませんか。
 テレビを否定しているのではなく優れた情報の媒体として、良質な番組を願っています。