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                      使い捨て

「産業廃棄物、不法投棄」、ゴミの問題は深刻な状況です。モノが足りなく、節約したり工夫をした時代はゴミも大量には発生しなかったのですが、現在はモノ余りなのか、贅沢なのか、いつのまにやらいつでもゴミ箱は山になってしまいます。「金を除くゴミでないすべてのものは、ゴミになろうとスキをうかがっている」と言う言葉があるぐらいです。経済成長時代は大量生産、大量消費が随分ともてはやされてきました。しかし今この不況にあってもゴミは大量に生産されています。しかも好景気になるように消費を煽り、次から次へ新製品は開発され、販売され、消費され、そしてゴミができあがっていきます。経済論理ばかりが先行し、ゴミが出来ようが、後のことはともかく「金さえ儲かれば」のような風潮が充満しているように思えます。
 戦争さえもそうです。今のアメリカの好景気はイラク戦争の軍需景気、そしてこれからは復興景気にしたい目論見があるようです。石油の利権もからみつつ好景気にならなければブッシュ大統領の再選が難しいというのです。もし本当であればあのイラクの戦争で死んでいった人たちはなんだったんでしょうか。モノばかりでなく人間のイノチさえも経済優先、金儲けの道具にされているようです。BSE問題、鳥インフルエンザ、エイズ、見かけは立派な農薬まみれの栄養サッパリな野菜、これらの問題の根っこになっているのは同じなのです。イノチよりも金儲けです。いつの頃からでしょうか、野菜、肉、魚や、そのほか製品にイノチのぬくもりがかんじられなくなってきたのは・・・・
 モノを創るのも、届けるのも、人の息づかいとか手ざわりとかが感じられなくなっています。
 あるタバコ屋をされていたお母さんは自動販売機で売れたタバコの代金がどうしても自分のものとは思えないと、タバコは手渡しして、そして代金を受け取って、はじめてタバコが売れた実感がわくと言うのです。品物、商品に暖かさが感じられなくなったのはこんなところに原因があるように思えるのです。使い捨てが平気になってきたのも、人のぬくもりが感じられなくなってきてからなのではないでしょうか。人が潰れて会社が生き残り、金のために人が死んでいく社会はおかしいのです。会社や金は人が幸福になるためにあるべきなのです。ゴミばかりでなく、人間までもが使い捨てられるような日本を誰が望んだでしょうか。
 しかし今の日本では会社も国も、優しくはありません。リストラ、フリーター、そしてパートばかりを増やして会社の経費を抑えます。人間が生きるためには「働く喜び、創る喜び、使う喜び」この分かち合いが大切なのです。そのためにはあらゆるモノにイノチを感じ取っていかなくてはなりません。本願寺八代蓮如上人は、廊下に落ちていた、一枚の紙を拾われて「一枚の紙といえども、これみな仏法領(仏様からのいただきもの)のものを、あだ(粗末)にするとはもったいない」と二つの手でうやうやしくおしいただかれたといいます。
 使い捨てばかりの世の中でこの死語になりそうな「もったいない」心をわきまえていきたいものです。ゴミをどうするのかよりもゴミをださなくてもよい社会をめざしたいですね。