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「有  情」
 
今年は北海道でも暑い夏で、しかも八月九月は連続して台風が襲来し例年になく、自然の災害が多く発生し避難生活を送ったり、農作物も取り入れ間近に被害が多いことです。地球の温暖化の影響とも言われますが、何か気候が変動しているように思えます。
 作家の高史明(コウサミヨン)さんは「人は山に木材を見て、木を見ない」と述べられましたが、この自然界にあるものすべてを経済的価値としか見なくなってしまったのが現代の人間なのかもしれません。以前温暖化を食い止め二酸化炭素を減らすために京都で「京都議定書」が決定されましたがアメリカをはじめそのことで莫大な利益を上げている国では決して認めず批准はしませんでした二酸化炭素を減らし、酸素が人間をはじめ、あらゆる生物の「いのち」を支えているという大きな働きを忘れてしまっているようです 地球上の自然から支えられている人間が自然に対して逆に牙を向いているようです。
 金のため、もうけのため、今が良ければという一時的な欲望の満足のため・・・・
人間の考え方は自分にとって有用か無用かという考え走りがちであり、しかも人間にとって有用なものは善であり正しいことであり、無用なものは悪であり誤りであると考えがちです。
 害虫とか害鳥、益虫とか益鳥という考えも人間はいたします。蚊やハエは人間にとって害虫でしょう。それらを始末してくれるトンボは益虫になります。しかしよく考えますと蚊やハエがいなくなれば益虫のトンボも食べ物がなくなり生きられなくなってしまうのです。ですから人間の害とか益というのは勝手な自分に都合の良い思いで、自己中心の見方の一つにしかすぎないということです。親鸞聖人は「歎異抄」の中で「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり、そのゆえは如来のおんこころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにもあらめ、如来の悪しとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ 悪しさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫火宅無常の世界よろずのことみなもて、そらごとたわごと、まことあるとなきに、ただ念仏のみぞまことにおわします」と述べられました。私たち人間にとって勝手な善悪、正邪の判断がいかに危ないものかを繰り返し説かれています。
 人間にとって必要なことは間違いを犯す種子を持っている凡夫としての自覚、私利私欲で動いている私を知ることが大切であります。今は立派な間違いを犯さない(つもり)人間が増殖しています。今の時代は以前と異なり流れスピードが加速しています。
 人間にとって快適なものが次から次へと作り出され商業主義に席巻され目まぐるしいことですね。手に入れ使いこなすことが出来れば便利このうえないことでしょう。しかしながらそれは一部の人間であって逆に住みづらくなったと考えるのは私だけなのでしょうか。少し歩みをゆるめても良いように思いますが・・・仏教はあらゆる生きものを「有情」と言います。「いのち」あるものすべてです。 
 この「いのち」すべてに思いを寄せることが仏教に生きるということです。「人間は考える葦である」「万物の霊長」というような西洋的な考えは仏教にはありません。「いのち」そのもの「有情」に対する畏敬を私たちはもっと持っていければと思いますが・・・