う そ つ き

                   
あるところで、うそつきコンクールがありました。だれもが大きなうそを考え発表しておりまし
た。しかしそこで優勝したうそは『私はうそをついたことがありません』というものでした。
笑い話のようでありますが、人間の生きて行くうえでの真実性をついている話であります。  
考えてみますと人間はうそでうそで塗り固められているようです。正直がすべて良いのかと申しま
すとそうとも言い切れないのです。正直さは以外と冷酷さを併せ持っているものです。
次のような話を聞いたことがあります。
《ある小学生のはなしです。その子の学級の中には身なりのいつも汚れている生徒がおりました。
学級の中でオナラの臭いがすればいつもまずこの子のせいにされます。この子はいつもそう言われ
ましてもニヤニヤしているだけでした。ある日自分がオナラをしてしまいました。そうしますと学
級中、当然いつものあの子のせいにされました。その時にオナラをしたこの小学生は気づきます。
『何だ、いつも自分でしたことをあの子のせいにして、みんな知らん顔をしていたのか』と言うこ
とを・・・・・・ そしていかに自分を含め《ウソツキ》だと言うことを・・・・・
又、大人になるということは、いかにうまく《ウソ》をうまくつくことができるかと言うことを
数年前に佐賀バスジャック事件というのがありました。犯人は十七歳の少年でありました。
包丁で殺人まで犯したこの少年は小学生までは素直な少年であったと言われます。
この少年か中学生の時に修学旅行に行きました。あるお土産店での前での出来事です。その店の前
では名産品の試食のお菓子がおいてありました。それを食べたとき『こんなまずいもの・・・』と
言いました。廻りの同級生たちが店の人に気を使いまして『そんなこと言っちゃいけないよ』と言
いますと、この子は『僕はお母さんから決してウソをついちゃいけないと言われている』と平然と
言ったそうであります。その時に同級生たちは何らかの違和感を感じたと言います。
私たちは何らかの二面性を持って生きているようであります。うそをついちゃいけないし、真実ばっかり
じゃギスギスした世の中になりそうですしどうしたらいいのでしょうね。
お釈迦様は説法に方便という方法をとられました。正しい道に導くためにあらゆる方法をとられま
した。これも真実に導くための《ウソ》と言ってもいいのかもしれません。《ウソ》にも二種類あ
るようです。一つは他を思うがためにつくウソ、一つは自分の正当性のためにつく《ウソ》。
前者はともかく、私たちは後者のためにつく《ウソ》が多いようですね。自分の正当性のためなら
《ウソ》に《ウソ》を重ね合わせその《ウソ》のために又《ウソ》をつくようです。早口言葉みた
いですが、こんなウソの塊が私なのかもしれません。いまイラク戦争の真っ只中です。これを皆様
がご覧になっている時に状況はどうなっていることでしょうか。情報戦と言われているようにこの
戦争もウソ、ウソ、の情報で固められ情報時代と言われながら逆にそれを利用してウソの連発で真
実が見えて来ない戦争のような気がしてならないのです。