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欲 望 社 会

 お釈迦様在世の時代から果てしない人間の欲望は度々指摘されて参りました。二千五百年たった今も人間はこの欲望から逃れられないどころか、ますます盛んになっていますね。
 この狭い地球上に多くの生物が住み生きています。その限られた資源の中で争いは絶えることがありません。小競り合いから、大きな戦争まで、原因はすべてが欲望を満足させるために為されます。限られたものしかないのに、手に入れるために必死です。手に入れた者を、勝ち組といい、手に入れられなかった者を負け組と言います。限られたものしか無いのですから全員が満足というわけにはいかないのでしょう。分け合う知恵もない代わりに、ため込むことだけはしっかりしたもんです。欲望には限度がないのですから結局は一部の人間が勝ち組となり、多くの人々は負け組になるのです。ほとんどの人が、不満とストレスをためて生きています。 ギスギス、イライラしながら暮らしているのが今の日本の姿のようです。経済的なお金や物ばかりでなく、学業も一緒なようなものです。自分がダメでも、子供に過剰な期待を寄せて学業優秀なコースについて欲しいと親は望みます。これもそちらの方が勝ち組につながるということでしょう。しかし誰もが学業優秀というわけにはいきません。つまりスタートからまもなく自分の置かれている位置が見えてきます。ほとんどの子供には勝ち組に入る道が閉ざされてしまいます。それなら趣味や才能を生かしてスポーツ選手や芸能界でタレントを目指すかもしれませんが、そんなに甘い世界ではないのです。勝ち組に残れるのはほんの一握りの人間です。 最近セレブということがもてはやされています。セレブとはセレブリティの略語で、名士とか、有名人という意味です。セレブ御用達の店、セレブ行きつけの食事処、セレブの週末はパーティばかり、このようなことがもてはやされます。近頃つかわれているセレブの意味は有名でお金持ちということでしょう。そのような人に憧れ、テレビを見ながらため息ばかりです。
持っているのはブランドばかり、商業戦略にまんまとはまり、馬鹿馬鹿しいことですね。最近の子供の夢は、野球選手になりたい、サッカー選手になりたい、パイロットになりたい、医者になりたいとかいうよりも、イチローになりたい、石川遼になりたい、AKBに入りたいというように有名でお金持ちになりたいということみたいですね。それが勝ち組ということなのでしょう。近頃本が売れなくなったといいます。大型書店に行きますと新刊の多さに驚きます。
探すのに困るくらいの本の山ですが書く人は増えているのです。新人賞などの本の応募件数は増えています。ある出版会社の方の話です。「最近の新人賞応募者のほとんどがろくに小説を読んでいないのです。」と。驚きますね。小説が好きで好きで何冊も読みあさり、ついには自分で書いてみたいのが小説家のスタートだと思っていましたから・・・これも有名人になれお金が手に入るということなのでしょう。欲望社会は自分さえよければの世界です。他に対する想像力が失われ他人の目さえも気にならなくなります。仏教は一人の教えではありません。つながりの教えです。関係性の教えです。「あなたが救われなければ私も救われません」が基本です。経典の言葉「設我得仏・・不取正覚」(私が仏となって願いが叶わなければ、私は仏とはなりません)です。
 欲望社会を少し視点をずらして見てみませんか。