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欲望ということ
 
ガソリン価格の高騰が続いています。灯油も電気代もすべのものが値上がり気味です。生活が日々苦しくなり、仕事も最低賃金で長時間労働が普通のようになっています。便利になった時代は様々な矛盾を抱えています。しかし問題は矛盾を抱えなながらも、矛盾を矛盾と見せなくなってきていることです。いや見せずらくなっているシステムが出来上がっています。私たちの生活ぶりはおかしなことがたくさんあります。あるときは環境に優しくエコ商品を使い、電気やガスの節約に心を砕き、あるときはガソリン価格が低下したときにはこのときとばかりレジャー、ドライブに走り、世界中の食材を集め、たらふく食べる。おかしなことです。 今日、新聞では北海道ミシュランガイドなるものが掲載されました。食のブランド店でありますが、もうすでにミシュランツアーが計画されているといいます。三つ星がついた店は決して安くはないのですが、この不景気な時代にも殺到するのでしょうね。まさに支離滅裂という言葉にふさわしいことです。地方の時代と言いながら、一極集中は進み、地産地消と言いながら、流通は、世界中から集まります。この日本の狭い国土に、新幹線など鉄道と道路が整備され、車と鉄道が売り上げの競争をいたします。今、家電メーカーが大きな赤字決算を出しています。人員の削減等も為されるようです。テレビの売り上げなどが急激な落ち込みに見舞われています。ほんの数年前まで国ごと(総務省など)デジタル化を喧伝し誰もが大型薄型液晶テレビに嫌でも買い換え、大きな利益をメーカーは出したはずなのですから。経済の素人の私から見てましても今売れなくなっても、それは当たり前だと思うのですが・・・・私たちの欲望は無制限、無分別この上ないものであります。しかもこの欲望を今は押さえ込むよりも、欲望の顔をしないで理性的な顔さえいたします。個人的にも、国家的にも欲望は制限するよりも主張し実現した方が勝ちと言う時代に生きているようです。欲望が制限できない品性のない時代は多数での利害の調整が難しいということでしょう。この狭い島国に生きている私たちは知恵を働かせ誰もがのんびりと、肩を寄せ合い安楽に暮らしていたはずなのですが時代はすっかりと変わってしまったようですね。他を蹴落としてでも、「私」のエゴの満足ならば何でもしてしまいそうです。今東日本の復興もなかなか進まないようです。「絆」が随分言われます。
 しかし現実には仙台では「復興ビジネス」として空前のバブル経済に沸いていると言います。 他の悲しみさえも経済効果としてしか見られないのが今の私たちの性なのかもくれません。
 テレビでも新聞でも被災者の良いことずくめの感動物語ばかりです。しかし私たちの本性は、原発の避難地域での自由勝手な盗難とか、またこの震災を利用して儲けようとする内面が見え隠れしているように思えてなりません。人間の欲望はきりがないものです。仏教は人間の内面をえぐり出すことです。私たちの人間の悲しさとは、そのことさえも隠そう、取り繕うとすることなのです。お寺に来られたときや、仏壇の前に座ったときには、自らの姿を隠さず告白していただきたいのです。それは仏教の教えに照らされ、気づいていく世界です。自分探しなどと言いますが本当の「私」との出会いは、辛いことなのかもしれません。しかし私が私であるために、大切なことでありましょう