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 善し悪し
近頃、地方議会の議員さんの資質が取りざたされています。セクハラ発言やら、アイヌの人々に対する発言やら、いささか乱暴な言いように聞こえますね。人の考える正義や主張は立場によって様々なものと考えさせられます。以前「はだしのゲン」という漫画が図書館で、又学校によっては閲覧禁止になったことがありました。「はだしのゲン」は、広島の原子爆弾で被爆した中沢啓治さんが、自身の体験を描かれた漫画です。戦争の悲惨さや酷たらしさを後世に伝える内容になっています。しかし、その描写や歴史認識が子供たちに悪影響を与えるとの抗議などで閲覧禁止になりました。この時に世間の耳目を集めることになり、賛成、反対の議論がありました。今の「集団的自衛権」の問題と似ているようなところもありますね。
 ここでこの問題の善し悪しを言うつもりはありません。それにしても人によっては正義も大義も、正反対に表れるものだということです。政治の世界も互いに他の意見を尊重すると言うより、自分の意見を多数による押しつけ合いのようですね。なんと正義が満ちあふれていることでしょうか。歎異抄に次の言葉があります。「善悪の二つ総じてもって存知せざるなり。
 そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ、念仏のみぞまことにおわします」(私は善悪は、どちらもわかりません。私は深い煩悩を抱えている凡夫です。この世界はたちまちに変化していく無常の世界です。あらゆることはすべてが、うそ、いつわり、たわごとでありしてまことではありません。ただ、念仏だけは変わることのない真実なのです)と、親鸞聖人のお言葉として、人間の考えること、なすことがどれだけ、不完全なものかを述べられています。私達は自分が男であるとか女であるとか、日本人であるとか、色が白いとか、黒いとか、美醜にこだわり、自分の都合の良いように正しさを押しつけているのかもしれません。
 自分の物差しであらゆることを判断しているのです。しかもその事の不完全さに気がつかないところに迷いの深さ、罪深さがあります。明治時代の妙好人、念仏詩人の浅原才市さんは夫婦喧嘩の後に次のような歌をつくっています。
   おらのかかあの寝姿見れば じごくの鬼にそのまんま
   うちには鬼が 二匹おる 女鬼に 男鬼
   あさましや あさましや なもあみだぶつ なもあみだぶつ
 最初は喧嘩をした奥さんを鬼のように思ったのでしょう。しかしよく念仏に照らされますと、奥さんを鬼にしてしまった自分こそが鬼であったと気づかさせられたのです。自分こそが正義であったと思っていたことからの転換、これこそが念仏のはたらきであります。
 人によって見え方が変われば答えも変わり、違う言葉が解答として繰り出され人の数だけ正義もあるのかもしれません。いい人や、正義や、大義、言い換えれ「私は正しい」ばかりがの人が蔓延しています。息苦しい現代社会はこんなところに原因があるようですが・・・・