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 残 酷
 
残酷な事件が報じられます。「歯止めがきかない」「今時の人間は何をするかわからない」「自己抑制が働かない」等と言われます。日本のリーダーも抑制がきかなくなっているようですが?
 ところで「残酷」とはどんなことなのでしょう。子供は小さな頃は無邪気で可愛く見えますが、トンボの羽をむしったり、カエルのお尻にストローを差し込んで息を吹きかけ、お腹を膨らましたり、小動物を平気で傷つけながら成長していきます。その子供が大きくなるにつれ、やたらと生き物を殺傷することは少なくなっていきますが、今度はスポーツと称して魚釣りをしたり、鳥獣のハンティングなどに興じます。しかしそれを残酷とは言いませんね。
 凶悪犯は「残酷で人の心を持たない」等と言われますが、どうしてどうして私たちもなかなかなものですね。テレビの野生動物の番組でライオンや虎などが食物としてシマウマなどを巧みな狩りで襲い食べる、そんな光景を「なんて残酷なの、かわいそうに」等と目を背け「あんな場面は子供の教育に悪いから放映するな」という苦情までも視聴者から寄せられると言われます。ライオンがシマウマを捕って食べるのは自分の「いのち」を維持するために必要な行為です。人が為す趣味や道楽とは違います。人間もあらゆる生物も他の動物の「いのち」を食物としなければなりません。文明人と言われる人間はその食物に調味料などで味付けをして食べます。しかも必要以上に「楽しみ」という付加価値をつけてグルメだ、食文化と言っては食い散らかしています。そしてそれを「残酷」と言う人は誰一人いません。
 食だけでなく快適な文化生活を営むために、ハエ、蚊、を駆除し田んぼにはタニシもカエルもいなくなりました。そのような小動物から見ますと人間ほど残酷な殺し屋はいないでしょうね。しかも貯めるということまでするのですから。高校生がバットで親を殴り殺したり、中学生がハンマーで「オヤジ狩り」と言いながら殺人を犯すことは異常であり許されることではありません。しかしそれを「残酷」といって「あんなの人間じゃない」「人の皮を被ったけもの」と考えるのは人間の本性を見誤っているのかもしれません。以前「本当は恐ろしいグリム童話」という本がありましたが、この童話の原話は残酷な物語になっています。大人はきれいな美しい話を見せたがりますが本当の教育はこの残酷性を見せるべきなのかもしれませんね。
 現在地球上には約二十億の子供がおりますがその八十五パーセントは途上国と呼ばれる貧しい国の子供です。しかし全体的に子供の精神は途上国の方が健全と言われます。
 自然に育ち、体を精一杯使い戸外で遊んでいるからなのか瞳も輝いています。
 生き物を平然と殺し先進国では「残酷」と言われることも平然と見えなくし為すのです。私たちは豊かになった分だけ見えていたものを見えなくしてしまったのかもしれません。「残酷」と言われることは見えにくく【きれい事】ばかりしか見えません。これが先進国と呼ばれるのでしょうか。
 残酷なことは他にやらせ、自らは清潔な安全な場にいます。
 仏教は真実を見る【如実知見】(ありのままに見る)教えです。この真実性を見るところから自らの本質、本性が知らされるのです。これが私の救いと言われるものなのです。