1月5日米フロリダ州タンパの高層ビルに男子高校生が操縦する小型機が激突する事件がありました。地元警察当局の記者会見では、この高校生が米中枢同時テロの首謀者とされるウサマ・ビンラディン氏に共感し、同時テロを支持するなどと書いた内容のメモを持っていたと発表しました。
ボクはアフガンの平和に足らないものは情報量だと思っていました。いまでもそれは変わりません。その情報は正しい必要は無いですが検閲されては意味がありません。大事なのは情報を得ようとしてる人間がそれを自分の価値判断で選択できる環境です。
アメリカにはその環境があります。学校では多くの学問を学ぶ事ができるし、図書館には数え切れない種類の本が並んでいます。情報を得ようとする人間には好都合です。
ただし情報を聞かされる人間にとってはどうでしょうか。同時多発テロ事件でのマスコミの姿勢はフェアだったでしょうか。事実以外に思想を含めた報道をしなかったでしょうか。
民主主義国家では上記のどちらの種類の人でも同じ投票権を所有します。純粋に自分の利益だけを考えての投票であれば情報量なんて関係ありません。ただし投票にシンプルな理由が無い人にとっては理想や思想もしくはイメージが重要な問題になり、判断の為には情報量と情報解析能力が必要になります。その時ににこそ得る意思が無ければ入手出来ない情報と、聞こえてしまう情報に大きな違いが出てきます。
聞こえてしまう情報の多くは無料です。そしてCMのように巧みに人の心を動かし多くの人の耳に入るのです。無料といっても情報はタダでは流せません。その情報を流す事にお金を払うだけの価値があると判断した誰かが存在するから聞く人にとっては無料なんです。
12月になってようやく米マスコミは正常な状態に戻って来てるように感じます。炭疽菌と米軍の関係や、アルカイダと同時テロ実行犯との関係など、多方面からの情報や見解が報道されるようになりました。
そんな中で起きた今回の高校生の事件です。警察当局は「高校生は友人がほとんどなく、一人でいることが多かった。悩みを抱えた若者だ」と発表しました。当局は高校生が自殺覚悟で故意にビルに衝突したと断定しテロとは関係無いと強調しましたが、仮に彼がテロ組織とは関係が無かったとしても彼は今回のテロと無関係じゃない。いや彼こそがテロリストなんです。
おそらく現在米国の専門機関では高校生の情報源の洗い出しに躍起になっていることだと思います。彼は毎日呪文のように聞かされた偏った情報のみで行動したのではなく、自ら選択して受け入れた情報に命までも捧げてしまったのです。たかが情報にです。彼はウサマ・ビンラディンに会ってさえいないのです。彼に事件を起こさせるまでに至った情報の形態や内容がどんなモノであったかが研究の対象になるかもしれません。それは事件の再発を防ぐ為の研究であると共に、積極的に利用する目的だってあるかもしれません。
悲しい事件が起きてしまいました。残されてしまった彼の両親の事や、衝突した高層ビルや飛行訓練学校の後始末のことよりも、ボクは操縦桿を握る彼の目の前に広がるタンパの景色を想像します。コックピクトはどんな匂いがしただろうか。エンジンの音はどんな音だっただろうか。キャノピーに乱反射する太陽はまぶしかっただろうか。風切り音は聞こえただろうか。空の色は。海の色は。
いいかい、君は架空のゲームの一齣じゃない。