ボクは子供の笑顔が好きです。
そして、その笑顔を見つめる母の目が好きです。
でも、最近そんな素敵な親子が少なくなった気がするんです。親が弱くなってきてるのかもしれません。
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アヤト・アクラスという18歳の少女を覚えていますか。彼女はVTRに声明を残し、今年の3月29日にエルサレムのスーパーマーケットの入り口で爆弾を抱えて自爆しました。
アヤトは過激な宗教組織に参加する訳でもなく、学業も優秀でごく普通の女子高生だったそうです。彼女の手帳の中にはお気に入りだった映画「タイタニック」のレオナルド・ディカプリオの写真が入っていました。彼女には恋人がいて高校卒業後には彼との結婚をひかえていていました。
アヤトは自爆テロ敢行前夜に自宅で恋人を交え家族と団欒の一時をすごしていました。彼女の姿には不信な様子は微塵も感じられ無かったそうです。
アヤトには素敵な未来が待っているものと誰もが信じていました。
そんなアヤトが突然過激テロ組織に加わり自爆テロにいたった動機は、イスラエル兵が遊び半分で彼女の家に打ち込んだ銃弾が彼女の親族に命中したことに始まったそうです。彼女の反発は宗教的というよりも政治的なものだったのかもしれません。
自爆テロで殉教した人たちはパレスチナの英雄になるそうです。殉教者のブロマイドもたくさん売られています。街の子供達はそのブロマイドを持ち歩きチャンスがくれば自分達も英雄になるんだと声高に主張していました。
アヤトのお葬式が盛大に行われ、彼女を称え大騒ぎする参列者で溢れかえっていました。彼らに担ぎ出されたアヤトの母親は、参列者に向かって両手を突き上げてその歓声に答えていました。
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アヤトの自爆テロの犠牲で亡くなった女性二人のうちの一人はラヘルという17歳の少女でした。彼女はエルサレムで暮らし、詩を作るのが好きな少女でした。彼女はパレスチナの人々の不幸を嘆き、平和を望んだ詩をたくさん作っていました。
イスラエルの人達は、学校、レストラン、スーパーマーケットなどの日常の生活の中で絶えず自爆テロにおびえて生活しています。自爆テロは人の集まる場所を選んで行われます。爆弾には釘やネジのような尖った金属がたくさん仕込まれ爆風とともにそれらが飛び散り多くの被害者がでるように設計されています。
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アヤトが自分の人生すべてを投げ出して得たかったモノが、ラヘルの死だったはずは無いですよね。でもそれが事実です。その事実が衝撃的で悲惨であればあるほどNEWSになり世界に報道されます。もしかするとラヘルが犠牲になったことはただの偶然じゃなかったのかも知れません。
「パレスチナとイスラエルの問題は解決できっこない。宗教が絡んだ、根深い問題だからだ。」なんて言って宗教を諦めのカードに使うのはボクは好きじゃないです。
パレスチナ問題の根がいくら深く長い戦いであったとしても恐れることは無いと思います。だって、宗教の歴史なんて人類の歴史と比べれるまでもないじゃないですか。
アヤトとラヘルは目が合ったんだろうか。その時のアヤトは何を考えていたんだろうか。スーパーマーケットの入り口はどんな匂いがしたんだろうか。風は吹いていただろうか。スイッチを押す瞬間彼女は何を思ったんだろう。スイッチは硬かっただろうか。
結局のところボクには大切なものが何なのかなんて解からないけど、宗教・民族・国家・歴史なんてアヤトやラヘルの命と比べるほど大したモノじゃない。だってそれらは生きてさえいないんだからね。
だから、もう、やめようよ。
受け継ぐべきは知識であって感情じゃない。知識でしかない悔恨を現実の憎しみに更新して未来に繋げるのはやめようよ。現在、そして未来に血を流さなければいけないのは今、生きている人だけじゃないか。
生きる事が幸せだと言いきるのは無理だけど、生きていても意味が無いと感じる世界はご免です。宗教ならばしっかりと人を救ってください。国家ならば安全に安心して生活できる環境を作ってください。
これは皮肉でもジョークでも無いんです。ボクはコーランや旧約聖書が現在の平和の妨げになるのならば、そんなもの無くていいと思ってます。それよりもアヤトの手帳のレオナルド・ディカプリオにこそわずかな希望を感じてしまいます。
本気で平和を望むのならば、無邪気な笑顔で笑う子供達に過去のいさかいを注ぎ込むのは止めるべきです。誰かを苦しめなければ手に入らないモノは幸せなんて言いません。
人間は弱いです。でもその弱さを受け入れ、なおかつ強く生きようとする精神に憧れて止みません。
みんながみんな解り合える時はなかなか来ないかもしれません。でも、せめて明日が今日よりも憎しみあわない日になって欲しいです。
それを手に入れられるのはきっと強い心を持った優しい子供達です。ボクはそんな未来を願います。
優しさは強さです。子供達を見つめる母親の視線にそんなことを感じました。