No.44

 久しぶりに映画の銀河鉄道999を見ました。999は製作が1979年ですから24年前の映画になるんですね。立派な二回目の年男(?)です。

 999は大好きな映画です。アニメ映画としてではなく映画として大好きな作品です。松本零士作品の映画化は他にもたくさんありますがボクは999だけが好きです。太平洋戦争時代の戦艦が飛んで行って宇宙で戦争するお話もありますが、あれは大嫌い。

 999には魅力的な脇役がたくさん登場します。おなじみのキャプテン・ハーロック、大山トチロー、クイーン・エメラルダス、葡萄谷のアンタレス、リューズ、食堂車給仕係りのクレアさん、999の車掌さん。その中でもボクが一番好きなのは衛星タイタンで会ったトチローのお母さんです。「それでも行くなとは言えないんだよ、男の子を産んだんだからしかたないんだよね。」と語る彼女が印象的でした。ボクに親の心は解りません。でも彼女の親としての潔さ(ちょっと違うか・・・)には何度見ても泣けてしまいます。

 鉄郎の旅立ちの日、小さくなる地球を999の車窓から見ながらメーテルは鉄郎に忠告します。「人間の目で地球を見られるのはこれが最後になるから、後悔しないように地球を見ておきなさい。」それに対して鉄郎は「後悔は歳をとってからすればいい」と自分の未来だけを見つめていました。そんなちょっとした車窓のシーンが999の人生と旅の世界感を色濃く浮き立たせています。

 トレーダー分岐点で時間城の情報を探すために立寄ったバーでリューズの歌を聴く客達の涙の意味を理解出来ない鉄郎は、その理由を年老いたマスターに尋ねます。彼は優しく語ります。「遠い昔、もう二度と返らない若い頃を思い出すんじゃ。旅路の果てに行き着いた者達にはやるせなく聞こえてくるんじゃよ。」こんな台詞にも999的な人生と旅のイメージが強烈に語られています。

 鉄郎の一つの冒険が終わり、地球に戻りメーテルとの別れの場面でメーテルは鉄郎に言います。「私はあなたの想い出の中にだけいる女、私はあなたの少年の日の心の中にいる青春の日の幻影。」この台詞がボクにとって999の全てかもしれません。メーテルは少年の日にだけ感じる事が許される存在の象徴だったんですね。ボクが999をはじめてみたのは最初の年男の歳でした。その頃は間違いなく鉄郎の心で999を、鉄郎の冒険を、人生の旅を感じていました。現在は鉄郎よりもトレーダー分岐点でリューズの歌を聴いて涙を流している人たちの気持ちに近いかもしれません。。。

 999にもツッコミたい所はたくさんあります。鉄郎の冒険は機械伯爵への復讐です。そしてそれは成就されます。その善悪の問題もしかり。また機械の心を持ったとたん優しい心を失って人間に危害を加えるようになった機械伯爵を倒そうとしたトチローがアルカディア号のコンピューター(機械)になって友と共に永遠の宇宙を旅するって言う矛盾。さらに女王プロメテウスが実の娘であるメーテルに裏切られた結果の台詞に「おまえは母親を裏切って何もかも奪い去った。だから私はおまえから鉄郎を奪いとってやる。おまえが生涯嘆き悲しんで暮らすのが私の願い。ふっふっふっ。」ふう。。なんて「ちっちぇ」女王なんだろうと嘆かわしいし、機械化母星なるものを造った程の女王たる者が999のたかが給仕係りに抱きつかれて爆発しちゃうところにも、なんて「よえー」女王だろうかと切なくなります。

 そんな「おいおい」な部分はあるのですが、999から伝わってくる温度は今でも感じます。機械の体と永遠の命の対極として限りある命とともに人生の旅路を力強く行きようというテーマは悪くないですが、ボクはそんな事よりもやっぱり「二度と返らない少年の日」というキーワードに心を焼かれます。

 暗黒の宇宙の中を汽笛と煙と蒸気機関の音と共に走り去る999の車窓からもれる黄色い光。そんなイメージはあいにく宮沢賢治を知る前にボクは999で知ってしまったんですね。

 松本零士は次に何を飛ばしてくれるんでしょうか??

 

03/02/19

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kuntan's note