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<META name="description" content="茨城県東海村から原発・再処理施設など核のない安全で環境にやさしい脱原発社会をめざす反・脱原発のページ">
<META name="keywords" content="アレクセイと泉,自主上映会,反原発,臨界事故,再処理,東海原発裁判,東海村,脱原発,原発事故">
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<TITLE>かんそいも通信−低線量被曝の影響とJCO事故健康被害</TITLE>
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      <TD nowrap width="95%" align="right"><IMG src="title_mini.gif" border="0" align="bottom" alt="かんそいも通信" width="130" height="28"></TD>
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<A href="rinakiziko_saiban_ichikawa.htm">学習集会</A></DIV>
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    <TR>
      <TD valign="middle" nowrap align="center" height="20"><FONT color="#990000" size="+3"><FONT color="#990000" size="+3"><FONT color="#ffffff" size="+3"><FONT color="#ffffff" size="+2"><B>低線量被曝の影響とJCO事故健康被害<BR>
      </B></FONT><FONT color="#00ffff" size="+1"><FONT color="#c0c0c0" size="+1"><FONT color="#c0c0c0" size="+1"><B>講師：市川定夫・埼玉大学名誉教授</B></FONT></FONT></FONT></FONT></FONT></FONT></TD>
    </TR>
  </TBODY>
</TABLE>
<BR>
<B><FONT size="+1">講演録</FONT>（2）</B><BR>
<BR>
<FONT color="#0000cc">2003.8.25 <A href="rinakiziko_saiban_help.htm">臨界事故被害者の裁判を支援する会</A></FONT><BR>
</DIV>
<HR>
<P><FONT color="#0000ff" size="-1"><B>東海村との関わり</B></FONT></P>
<CENTER>
<TABLE width="85%">
  <TBODY>
    <TR>
      <TD><FONT size="-1">　ご紹介いただいた市川です。私が初めて東海村に来たのは、昭和33年、1958年です。それは京大の学部を卒業して大学院に進んだ年で、東海村にできたＪＲＲ１という実験用の原子炉を使った共同利用というのに関わったことなんですけれども。生物実験には昭和33年から予算がつきまして、それで来てやりだして、そのあと1965年、７年後に京大で博士号をとって、アメリカのブルックヘブン国立原子力研究所というとこに行くまでは、毎年東海村に来てたんです。<BR>
      <BR>
      　そのころは上野から汽車で来ますね。悠長だったのに、今日はスーパー日立に乗って、スピードがぜんぜん違うんでビックリしたんですけども。とにかく、そうしてここで一番長いときは、村松にある寮に１ヶ月以上滞在したこともあります。ただそのとき驚いたのが、結核の療養所がすぐ隣りにあるということでした。何でこんなところに作ったんだろうと。しかし、そのころ僕は原子力にさほど興味をもってなくて、ただ、生物学者ですけど習っている物理学とか、そういう知識から考えて、相当制御しないとダメだろうと思いました。<BR>
      <BR>
      　それから知識として持っていたのは、ここで99年の９月30日に起こった臨界事故と同じことが、核技術の開発の初期に何回かアメリカやソ連で起こっていたことは書物で知っていました。だから、そういうことが日本の原子力開発の初期にも起こるんじゃないかという心配は持っていました。<BR>
      <BR>
      　それから茨城県を越して、アメリカの国立研究所の研究員となり、ムラサキツユクサという優れた実験材料に出会いました。東海村でも実験を行われた植田さんがそこにいらっしゃいますが、その時も度々実験の指導だとか、その結果の説明だとか、得られた実験データの分析の説明だとかにも来ました。</FONT></TD>
    </TR>
  </TBODY>
</TABLE>
</CENTER>
<P><FONT color="#0000ff"><B><FONT size="-1">ＮＡＳＡでムラサキツユクサの生物衛星実験</FONT></B></FONT></P>
<CENTER>
<TABLE width="85%">
  <TBODY>
    <TR>
      <TD><FONT size="-1">　アメリカにいる時にムラサキツユクサを見つけたんですが、やがて、現在でもまだ使われていますが、働く人の許容線量の20分の１まで下げても、これだけ突然変異が起こるということをムラサキツユクサで実験的に証明したところ、アメリカの原子力委員会から公表禁止という措置を受けました。僕は、その直前からＮＡＳＡ、アメリカの航空宇宙局からムラサキツユクサの実験をしないかと誘われていたので、それに参加したんです。<BR>
      <BR>
      　それはなぜかと言いますと、ムラサキツユクサというのは、花に６本のおしべがあって、そのおしべにはたくさんの毛が生えてるんですけども、一本一本の毛は25細胞から30細胞ぐらいの細胞が一列に並んでるんです。一列にまっすぐ並んでいる。ということは、おしべの毛が細胞分裂するたびに、いつも同じ方向に分裂してるということを示しているわけです。ＮＡＳＡはそこに注目したわけです。<BR>
      <BR>
      　そういう、細胞が一列に並んでる生物系というのは非常に少なくて、例えば藻の仲間とか、そんなのでいくつかはありますけど、それを培養して宇宙で実験するのは難しいのです。培養液を植物用に入れ替えたところに、開花直前のムラサキツユクサの枝をさして、それで宇宙で実験できるだろうということで誘われたわけです。<BR>
      <BR>
      　それで、生物衛星という、最初の生物実験をやった衛星なんですが、その生物衛生実験でやった結果、地上に帰ってきたムラサキツユクサのおしべの毛は直線になっていませんでした。あっちへ曲がったり、こっちへ曲がったり、枝分かれしたり、つまり前回の分裂と同じ方向を維持することができない。つまり、地上に１Ｇという大きさの重力がコンスタントに、いつも一定の重力がある地上と違って、無重力になると細胞分裂の方向が乱れる。我々の体の中にも細胞分裂の方向が決まっているものがあります。心臓なんかを作っている筋肉がそうです。いつも同じ方向に細胞分裂しています。そういうことで無重力は危険だという報告書を書いたら、今度はＮＡＳＡにより、それも発表禁止になりました。</FONT></TD>
    </TR>
  </TBODY>
</TABLE>
</CENTER>
<P><FONT color="#0000ff"><B><FONT size="-1">大宮のガンマフィールド施設での実験</FONT></B></FONT></P>
<CENTER>
<TABLE width="85%">
  <TBODY>
    <TR>
      <TD><FONT size="-1">　２つのことを続けざまに、ひと月の間に２回経験して、私はアメリカの国立研究所で研究するのを断念しまして、ちょうど京都大学で助手として帰って来いという話があったものですから、帰る決心をしました。ただし、その頃１月36万円、１千ドルだったんですが、その頃360円のレートですから、36万円の月給をもらってたのが、京大に帰って初任給をもらったのが36,800円だったんですよ。<BR>
      <BR>
      　その他、例えば湯水のごとくガソリンを使う5,400CCの８気筒の車に平気で乗ってたんですが、日本に帰って来て買えたのが360CCの軽自動車だったり、いろんな変化があったんです。<BR>
      <BR>
      　それでも日本に帰ってきて、今度はがんばって、やっぱりそれと同じ証明をもう１回やり直そうとしました。それで来たのが、ここの常陸大宮の農林水産省のガンマフィールド。そこで、来る年も来る年も、何回も何回も実験を繰り返しました。僕は67年に京大に帰って来たんですが、ブルックヘブンに行ったのが65年で、２年で帰ってきたんです。<BR>
      <BR>
      　そういう経緯を経て、帰ってからずっとガンマフィールドで何年間か続けて、そして1970年に初めて許容線量の７分の１でも、これだけ突然変異が起こって、しかも線量と突然変異の発生率はきれいな比例関係になっているということを英語での論文で発表しました。口頭で発表したのは70年ですが、71年に英語の論文で発表しました。<BR>
      <BR>
      　そういうのが出てしまうと、アメリカ側で1966年から67年にかけて出したデータの公表禁止というのは無意味になってしまって、アメリカでのデータもその後許可が出まして、72年に発表されました。その72年の論文を出したことによって、許容線量の20分の１でもこれだけ突然変異が起こって、それ以上ではずっと線量と比例関係になるということが証明されました。</FONT></TD>
    </TR>
  </TBODY>
</TABLE>
</CENTER>
<P><FONT color="#0000ff"><B><FONT size="-1">放射線の「しきい値説」を否定</FONT></B></FONT></P>
<CENTER>
<TABLE width="85%">
  <TBODY>
    <TR>
      <TD><FONT size="-1">　その実験はそれまで言われてた放射線の「しきい値説」、今でもＪＣＯの事故が起こったあとでも、ある量の被曝がないと影響は出ないんだ、なんていうことを言ってますが、そういうのを「しきい値説」といいます。敷居が高くて家に帰れないという「敷居」と同じです。ある量を超えないと放射線の影響は出てこないんだというのが、僕が習ったときもそうでした。大学で習ったのもそうでしたし、その当時の英語やドイツ語で書かれた教科書は全部それでした。日本語で書かれたものも当然そうです。<BR>
      <BR>
      　とにかく、そういう経験をしながら、やっぱり茨城県と縁がありまして、常陸大宮で微量放射線の影響を実験的に証明するのを成功しました。しかも、植田さんたちが東海村の原発の近くや再処理工場の近くでやった実験では、ムラサキツユクサは明らかに突然変異率が周辺で上がるということを証明しています。東海村だけではありません。いちばん最初に1974年から行われた実験は、静岡県にある浜岡原発。次いで、その次の年から、島根県にある島根原発。それから福井県の高浜にある高浜原発。その次の年から同じ福井県の大飯にある大飯原発で始まって、その次の年から東海村でも始まったんですが、どこでやっても同じでした。</FONT></TD>
    </TR>
  </TBODY>
</TABLE>
</CENTER>
<P><FONT color="#0000ff"><B><FONT size="-1">世界中でムラサキツユクサ実験</FONT></B></FONT></P>
<CENTER>
<TABLE width="85%">
  <TBODY>
    <TR>
      <TD><FONT size="-1">　僕は、70年の中頃にアメリカやヨーロッパでムラサキツユクサの実験結果についての説明、いろんな説明をやりました。大変な時は、飛行機で飛ぶのに要する時間も入れて２週間で17カ所とか16カ所。<BR>
      <BR>
      　そういう講演をするうちに、やっぱりアメリカやヨーロッパでも実験する人が出てきまして、まずアメリカのオレゴン州にある原発、トロージャンという原発ですが、そこで日本と同じ明確な結果が出ました。それから、その次の年に当時の西ドイツのウンターベッセルというところでも同じ結果が得られました。<BR>
      <BR>
      　そういうことで今度はアメリカの、その当時はＥＰＡといって環境保護局だったんですが、今は省に上がってますが、そこの招待で1980年にアメリカで招待講演をして、それ以来外国では少なくとも放射線の「しきい値説」を取る人はいなくなりました。学問上もいなくなったし、法律上もなくなっています。ところが、日本だけはまだ「しきい値説」なんです、法律上も。これだけの危険度を見積らなければいけないというのが国際的な委員会で出てても、日本の法律は変わっていません。</FONT></TD>
    </TR>
  </TBODY>
</TABLE>
</CENTER>
<P><FONT color="#0000ff"><B><FONT size="-1">埼玉大学へ赴任して</FONT></B></FONT></P>
<CENTER>
<TABLE width="85%">
  <TBODY>
    <TR>
      <TD><FONT size="-1">　そういう状況のなかで、こういう事故が起こってしまって、また茨城県とご縁ができてしまうことになりました。<BR>
      <BR>
      　僕は1978年に埼玉大学に新しい学科を作るために移って来ました。また、埼玉大学には、まだ大学院が修士課程までしかなかったんで、博士課程を作るために埼玉に移って来たんです。博士課程もできたし、いろんな学生もたくさん入って来て、優秀な学生が来て、いろんな研究ができましたが、それからも茨城県の、東海村はもう使わなくなりましたが、大宮のガンマフィールドを使って学生達がいろんな実験をやりました。それで次々といろんな証明をしました。<BR>
      <BR>
      　例えば核爆発が起こり、放射能が飛び出して、その放射能が落ちてくる。ところが、その放射能には半減期という寿命がある。それぞれの放射性核種の種類によって寿命が違います。例えば、チェルノブイリ事故のあと日本にも降ってきたヨウ素131というのは、8.06日経つと放射能が半分に減ります。また、8.06日経つとその半分、つまり４分の１、それから８分の１、16分の１と減っていくんですが、同じヨウ素、放射性ヨウ素でも、ヨウ素129という、数字が２つ小さいのは、1700万年経たないと放射能は半分になりません。1700万年って、人類が現れてから何倍もの年月が経つまでかかる。<BR>
      <BR>
      　そういうふうに、核分裂の結果としてできるもののなかには、非常に長寿命のも短寿命のもあるんですが、そういう寿命に合わせて被曝が減っていったら、どういう結果がでるだろうか。あるいは逆に、降下する放射能の量が増えていった時にどうなるだろうか。それをシミュレーションする実験をガンマフィールドで何度もくり返しまして、汚染量が増えたり減っていったりした時に、ムラサキツユクサの反応はどうなるかというのを調べ、シミュレーションの理論と、実際に一致するということも証明しました。</FONT></TD>
    </TR>
  </TBODY>
</TABLE>
</CENTER>
<P><FONT color="#0000ff"><B><FONT size="-1">ＪＣＯの事故を知らされて</FONT></B></FONT></P>
<CENTER>
<TABLE width="85%">
  <TBODY>
    <TR>
      <TD><FONT size="-1">　とにかく、こういうことで縁があったんですが、このＪＣＯの事故が起こった時に、まず驚いたのは、それが起こってしまったということに驚いたんですが、それを知ったのはどういうことかといいますと、ある新聞社の記者が私の研究室に電話をかけてきました。当日の午後です。比較的早い時間にかけてきました。そして、水戸局に勤めていた記者ですが、今、東海村に飛んでいったら、工場の近くの人が、建物の中の２階の窓から青い光が見えたと、つまり青い光が出ていたと言ったという。それは女性の記者なんですが、その人に僕は「それは臨界事故だ、それしかない」と言いました。<BR>
      つまり、ウランの核分裂が連続して起こるようになると青い光が出るんです。だから、その新聞社だけは、その日の夕刊に「臨界事故」と書きました。他の新聞社は、放射能漏れだとか、爆発事故だとか、間違った見出ししかつけていませんでした。翌朝の朝刊からは、どの新聞も臨界事故になりましたが。<BR>
      <BR>
      　とにかく、その記者も僕のところになぜ電話をかけてきたかというのは、その人が浦和支局に勤めてた時に、僕の放射線生物学という講義に興味を持って、聴講生で来てたんです。それで最初に僕の名前を思い出して、大学にかけて僕の研究室の番号を内線電話につないでもらって僕が初めに聞いたんです。</FONT></TD>
    </TR>
  </TBODY>
</TABLE>
</CENTER>
<P><FONT color="#0000ff"><B><FONT size="-1">チェルノブイリ事故でも</FONT></B></FONT></P>
<CENTER>
<TABLE width="85%">
  <TBODY>
    <TR>
      <TD><FONT size="-1">　同じことはチェルノブイリ事故の時も起こってます。報道機関等が、あるいは政府自身が、そういうチェルノブイリ事故が起こったという情報を外交筋を通じて知る前に、私は、チェルノブイリとはまだ特定できませんでしたが、とんでもない大事故が起こったと知りました。それは、ストックホルムにあるスウェーデンの国営放送。僕はスウェーデンの国営放送で、放射線の影響とか危険とか、そういうことを何度かお話してます。スウェーデンで国際会議に行ってお話したこともあり、国営テレビにも出演したことがあるんですが、それで思い出して。<BR>
      <BR>
      　それともうひとつ、隣のフィンランドのヘルシンキで原子力をめぐる公開聴聞会があった時に、そこで私はお話をしてます。その時は隣の国のフィンランドから、スウェーデンの国営放送はスウェーデン全土に放送してましたから。そういうこともあって私のところにかけてきたんです。<BR>
      <BR>
      　放射性ヨウ素がどんどん検出されていると言うのです。放射線レベルがどんどん高くなっていると。僕は、すぐに風向きはどっちだと聞いたんです。南東から風が吹いているという答えだったんです。そうすると、スウェーデンのストックホルムから見て南東の方向というのは、ポーランドだとか、あるいは今のベラルーシぐらいが、そういう方向が南東にあたりますから、そっちで起こった原子炉事故としか考えられないということを言いました。だから、スウェーデンの国営放送は、そのとおり僕の英語で話したのをスウェーデン語に訳して放送して、テープも送ってくれました。</FONT></TD>
    </TR>
  </TBODY>
</TABLE>
</CENTER>
<P><FONT color="#0000ff"><B><FONT size="-1">壁をつらぬく中性子</FONT></B></FONT></P>
<CENTER>
<TABLE width="85%">
  <TBODY>
    <TR>
      <TD><FONT size="-1">　新聞社とか、それらが知る前に僕が知ってしまったというのは、その時に次いで今回２度目だったんです。とにかく、そういうことが起こりますと、何がまず飛び出してくるかといったら、高エネルギーの速中性子がどんどん出てきます、核分裂によって。それはコンクリートの壁だとか、そんなものは簡単に貫きます。なぜかというと、名前のとおり「中性」子といって、プラスの電気も、マイナスの電気も帯びてないから中性。中性子とは、そういう粒子なんですけども、それは、いろいろなものを貫いて小さな粒子が飛び出していくわけです。<BR>
      <BR>
      　だから、あの建物の壁ぐらいではほとんど何の障害にもならなくて、そのままどんどん飛び出します。しかも事故が起こったときに、あそこの施設では普通の測定器、ガンマ線を測定するガイガーカウンターで測定しようとしましたが、ほとんどかかりません。中性子は通常の計数器では測定できませんから。だから、ある意味では安心したというか、すぐには非常事態体制をとろうという手はずをしなかった。ただし、作業をしていた３人は酷い状態になっているんで救急車を呼んで搬送した。ところが、放射能で汚染されているということを一切言ってませんから、消防士も被曝しましたし、それにあたった人も被曝した。臨界になって中性子が出てるということをすぐには気がつかなかったわけです。中性子の測定は原研とか、そういう原子炉を持ってるところしかなかったんです。JCOは本来はそれを備えるべきだったのに、それがなかったために、中性子を測定しなかった。</FONT></TD>
    </TR>
  </TBODY>
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