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<META name="description" content="茨城県東海村から原発・再処理施設など核のない安全で環境にやさしい脱原発社会をめざす反・脱原発のページ">
<META name="keywords" content="寺沢迪雄,反原発,核,再処理,水戸平和問題懇談会,東海村,脱原発,原子力発電,原発事故">
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<TITLE>かんそいも通信−寺沢迪雄を偲ぶ</TITLE>
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      <TD nowrap width="95%" align="right"><IMG src="title_mini.gif" border="0" align="bottom" alt="かんそいも通信" width="130" height="28"></TD>
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      <TD valign="top" colspan="2"><FONT size="+3" color="#990000"><FONT size="+2" color="#990000"><B>意志と優しさの人・寺沢迪雄さんを偲ぶ</B></FONT></FONT></TD>
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<DIV align="right"><FONT color="#0000d0"><A href="terasawa_biography.htm">寺沢迪雄さん略歴</A>　　</FONT></DIV>
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      <TD width="75%" rowspan="6" valign="top" align="left"><FONT size="-1">　寺沢さんと始めてお会いしたのはもう、20年ほど前になる。茨城大学での講演会にお呼びしたときだったと思う。寡黙な感じだが、えらの張った顔から意志の強さがうかがわれた。<BR>
      　その後、再処理工場の異議申し立てをはじめ、反原子力運動のさまざまな場面でお世話になった。戦前からの一貫した市民活動家であり、大先輩というのもおこがましいほどの人なのだが、茨城大学「『科学と人間』ゼミ」という学生サークルでの私たちの稚拙な活動にも、批判がましいことなど一切語らず、やさしく見守っていてくれた。（しかし、その圧倒的な存在感に、私たちはつねに畏敬の念を持っていた）たとえば、夏の暑いなか、六ヶ所村での野外集会に車で行き、夜はキャンプという強行軍にも、車内で毅然としていた寺沢さんの姿を忘れることはできない。<BR>
      　社会人となってから、よく寺沢さんのお宅におじゃまして、夕飯とビールをごちそうになった。連れ合いのはるさんの手料理をごちそうになり、運良く巻き寿司の日に伺うことも多かった。食後のコーヒーは、いつも寺沢さんが狭い県営住宅の台所で淹れてくれた。<BR>
      　話題は原子力の問題が中心だった。歴史的な体験をしてきた寺沢さんの昔の話も聞くことができたが、「同年輩の人たちと話していると昔話が多くてつまらない、私はこれからのことを語りたいんだが」と言っていた寺沢さん。科学の問題を考えるに、「ドイツ・イデオロギー」などの初期マルクスの著作を読み直している、と言っていたこともあった。<BR>
      　寺沢さんの晩年には、あまりお会いする機会もなくり、笠間のケアハウスに移ったこともしばらく知らなかった。亡くなる１月前ほどに訪問したのだが、時間に遅れた私を何度もケアハウスのロビーに出てきて待ち受けていてくれた、と職員の方がおっしゃっていたのが、たいへん心に残った。ケアハウスの寺沢さんの部屋には、引っ越しで処分したたくさんの資料・書籍のなかから残した数冊のマルクス関係の文献と、書きかけの原稿用紙があった。まだまだお元気で良かった、またお会いしてお話ができると安心して帰ってきたのだが。<BR>
      　訃報を聞き、寺沢さんが不帰の人となってしまった。その衝撃、圧倒する寂しさは、思い出すたびに、いまだ癒されがたいものがある。世界的な脱原発への流れ、新エネルギーの台頭、東海村では相沢さんの議員当選、この場面を寺沢さんとともにしたかった。そして、ともに脱原発への歩みに向けてたたかいたかった。<BR>
      　私は、ＪＣＯ事故や相沢さんの選挙、私の今回の補欠選挙と、反原発運動の転機ごとに寺沢さんを思い出さずにいられない。寺沢さんがどう考え、どう語ってくれるのか…。今度の補欠選挙で私がかかげた「お年寄りの力を活かしたい」という公約を話すとき、私はつねに寺沢さんの姿を思い浮かべていた。<BR>
      　唯物論者であった寺沢さんの霊魂について語るのはおかしいかも知れないが、私たちの脱原発の運動がまた大きな進展を迎えたとき、寺沢さんを強く思い出したい。だから、まだ寺沢さんのお墓参りはしていない。　　　　　2001.9.7　黒羽
      宏</FONT></TD>
      <TD nowrap valign="middle" align="center"><IMG src="terasan1.jpg" width="198" height="292" border="1" alt="寺沢迪雄さん"></TD>
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