2012/02/24
『機械仕掛けの神』
{deus ex machina}

-a general manager(Special Effects Director & Music)-
Yayoi-Asuka
-Director-
Yayoi-Asuka
V-REX
-scenario-
Yayoi-Asuka
-Assistant Editor-
AI
Alisa
Ranmaru
(by Ghost-Write)
-prop-
Misaki-Hatoba
Editor-P
Dydo
(by Ghost-Write)
-Special Thanks-
TAK
****
and ALL
2013年05月26日22:49:36
********************
『機械仕掛けの神』deus ex machina
――飛鳥弥生 著(by Yayoi-Asuka)
※この物語はフィクションです(This story is fiction)
※四〇〇字詰原稿換算枚数、二百八十六枚 { }はフリガナ含む
※40字×16行原稿枚数換算、二百十五枚 { }フリガナ含む
『目次』
・機械騎士
・殄滅師
・真理
・惑星浄化
・出発
・黒薔薇姫
・剣侠
・機師
・跳躍
・規格外
・死神
・泣き妖精
・勇者
・開闢の記憶
《機械騎士》
「ちっ! やはり〈ナッシュバル〉は俺向きじゃあない! 挙動が緩慢にすぎるんだよ、次からは今まで通り〈ローゼーン〉で出るぞ! 良いな? カッシュ、猊下{げいか}には貴様から伝えておけ」
「え? 又俺ですかぁ? ラプル、たまには頼むよ、な? 苦手なんだよ、宮廷はさ……」
「……却下」
様々な文明や技術が、それらを産み出した人々や彼らの属する国や組織と共に、現れては消えて行く。その度に繰り返される闘争の目的や無意味さや下らなさは、どの時代も大差無かった。
同じく、その手段も、本質においては、それこそが唯一無二の真理であるかの如く、不変とも言える程代わり映えがしない。石槍を使おうが火薬を使おうが、とどのつまりそれは破壊の為の道具でしかない。
現在のガイアナ大陸でのそれは、機械騎士〈オブジェ〉である。
オブジェとは、精練金属アーマライト甲冑をまとい、その身に人知の結晶たる頭脳、静電差エンジンと、無限動力機構を宿した戦闘兵器である。その、人の姿を模した巨大な金属塊は、それまでの兵器と比べて容姿においては特別でも奇抜でもなかったが、こと威力≠ノ関しては頭抜けていた、不必要な程に。
もしもその、山脈を海溝に変えるだけの力を秘める兵器を無知な野蛮人が手にしたのであれば、彼らは真っ先に自滅し、大陸一間抜けな生物として、他の分別ある生物達の笑い者になるところであった。
だが、オブジェを操る〈機師{きし}〉達が特別に優れていたり道徳的であったと言うよりは、それ以外が、彼ら機師程思慮深くなかっただけなのかもしれない。如何に賛美の言葉を連ねようとも、所詮はその程度なのであろう、人類と言う奴等は。
ガイアナ連邦暦前二五年。
大陸南方ルイ・ル・グロ神国の神都ニーザミーでは、バルブラン大砂漠での、北方セエーヴェル帝国との激戦から帰還した機師達は、いつものお楽しみである、彼らの隊長ヴィクトリエ・ユイットとその両翼、カシュミール・ニードリヒ、ラプラッグ・ディーゼンの三人による漫才≠観戦していた。
「カーッシュ! 俺の命令に不満でもあるのか?」
「へ? とんでもない! 俺は隊長の為ならば、出来ない事以外は何でもやりますよ、ほんと、何でも」
「……ならばいちいち無駄口を叩くんじゃあ無い! 黙って猊下の所へ行けよ」
「へーい」
カシュミールは薄情な戦友ラプラッグを睨みつつ、宮廷へと駆けて行く。三人を遠巻きに囲う機師達から笑いが起こる。
その光景は数日前、砂漠で死闘を繰り広げていたとは思えないほど和やかで、隊長であるヴィクトリエがなにがしかの効果を狙って、部下が密かに漫才と呼ぶそのやり取りを行っているのだとしたら、大した物である。
生死の境をさ迷った機師達が、僅か数日で生気を取り戻す、心からの笑顔を取り戻す様子は、機師達の体験した地獄を共に見ていれば正に魔法≠フ如きである。そして、だからこそ彼らは、彼らの若き隊長、若干十九歳の機師ヴィクトリエ・ユイットに忠誠を誓っているのかもしれない……。
「ラプル、〈ローゼーン〉を頼むぞ。俺は〈ナッシュバル〉の調整を始める」
「隊長、差し支えなければ〈ナッシュバル〉の調整も私が。帝国も数日は沈黙を保つと思います、少しでも休んでおられた方が……」
「オブジェの調整を他人に任せられるか! 貴様は言われた事だけやっていれば良い。それから、俺の体の事より自分の体調を万全にする事を最優先しろ、何度も言わせるな!」
「了解」
遠くからカシュミールが「ざまあみーろ!」と叫び、ラプラッグは犬を追い払うような手振りで応える。取り巻きからは数度目の歓声が上がった。
大陸随一の永き歴史を誇るルイ・ル・グロ神国。その歴史の中に一風変わった機師がいた。
仇敵セエーヴェル帝国から〈殄滅師{てんめつし}〉と恐れられ、同胞からは〈女神〉と崇められ、大地を裂いて天空を貫く〈雷鳴のナッシュバル〉、幾千万里を駆ける〈疾風{はやて}のローゼーン〉、二体のオブジェを繰り、死者をも惑わす美貌を備えた若き機師。その名は、ヴィクトリエ・ユイット。
彼女≠フ元に集う機師達は〈ヴィクトリウス(ヴィクトリエの為の)〉と呼ばれ、〈殄滅師〉と共にその存在を大陸中に知らしめていた。
《殄滅師》
ガイアナ連邦暦前三年。
ルイ・ル・グロ神国の神都ニーザミーは、数日後に迫った仇敵セエーヴェル帝国への侵攻を前に、臣民や兵士の士気を高める為の昼夜にわたる盛大な宴が催され、建国記念祭さながらの喧騒と活気で満ちていた。
神都城下の貴族御用達の絢爛{けんらん}たる社交会館は、本日に限り軍部の貸し切りとなり、兵士達は普段は口にする事はおろか、見る事も叶わぬ程の上等の酒や料理を堪能していた。
しかし、神国の勇撃神儀隊〈ヴィクトリウス〉隊長、機師キャセロール・ユイットは、彼女の部下達ほどはその贅沢を楽しんではいなかった。手にした葡萄酒をちびちびとすすっては周囲の赤ら顔を眺め、溜め息を吐く、その繰り返しだった。
「灰色の葡萄酒に灰色の顔、我が体躯に流れる血もまた、灰色、か……」
〈殄滅師キャス〉ことキャセロール・ユイットは、先天性の色盲だった。
彼女の硝子色の瞳には、全てが明暗の階調でしか無い。生まれ落ちた際に既にそうであったので、彼女はその事を思い悩む方法すら知らないのだが、その影響からか、彼女には喜怒哀楽といった感情が著しく欠如していた。
神王ルスト・クシャトリア直属の機師として育ったキャスは、オブジェ操演技術をその脳髄に強制的に刷り込まれてきたのだが、欠如した感情が幸いし、苦痛と感じた事は一度も無かった。それらは彼女にとっての日常であり、また、本能でもあった。
キャスの機師としての能力は、彼女の通り名〈殄滅師〉が示す通りである。
彼女のオブジェ、黒薔薇姫の二つ名を持つ〈シュバルツローゼ〉の鋭利な刺は、慈悲の欠片もなしに眼前の全ての敵を漏らさず滅ぼし尽くす、いつ如何なる時も。
〈殄滅師キャス〉は、神王や部下から全幅の信頼を置かれていたが、そこにはキャセロール・ユイットの人格や感情の居場所は無かった。彼女は一つの武器≠ニしてのみ、存在を許されているのだった。
朝まで飲もうとまくし立てる部下達を後にし、キャスは夜闇の中を、独り歩んでいた。
冷えた外気が体温を奪う。街灯は当の昔に消え去り、視界は黒一色だったが、彼女は気配でその暗がりに人が立つのを察した。煉瓦道を革靴が踏む僅かな音で、その人物が自分の方に体を向けた事を知る。
民間人や同業者ではなさそうだし、こちらに危害を加えるつもりも無いらしい。
「何か用か?」
気配を二歩程過ぎ去ってから、キャスは言った。子供であろうか? その人物の気配は彼女にそう思わせた。
「……あんた、キャセロールさん?」
女性の、若い女の声だった。が、聞き覚えはない。キャスは返答せずに、相手の次の言葉を待った。
「ああ、失礼。あたしはディージェイ、よろしく」
「何か用か?」
キャスは先程と同じ調子で言う。ディージェイと名乗る女の声は、ごく普通の日常的な会話の調子だったが、それがキャスに警戒心を持たせた。それは余りに普通すぎるのだ。キャスは振り返り、月明かりに浮かぶ女の顔を見た。
黒に見える髪を短く切り揃え、小ぶりな鼻や口に比べ大きな瞳をした女だった。顔立ちは異国人らしく、一見して東方出身者を思わせるが、そう言い切れるほどの特徴は無い。
小さな口の両端を僅かに上げるその表情は、微笑んでいるようにも嘲笑しているようにも見える。声と同じく、ごく普通の女だった。
「あたし、傭兵やってんの。仕事、ある?」
「……機師か?」
「見えない?」
キャスはディージェイをじっと見詰めた。傭兵にはとても見えなかったが、キャスは、ならば一体何者なのかと、相手を暫く観察し、そして小さく微笑み、言った。
「見えない」
もしも、その場にキャスの部下が居合わせたら、さぞ驚き、そして叫んだだろう。
「おい! 隊長が笑ったぜ!」と。
戦闘機械であるキャスに笑み≠ネど備わっている筈が無いのだから。キャスはこの奇妙な女のあまりに無防備な態度に対して、自分が過剰に警戒している事が、急に可笑しくなったのだった。
キャスの様子を見て、ディージェイは鼻の頭を掻きながら「やっぱり?」と苦笑混じりで言った。
「ディージェイと言ったな、お前は運が良い。我々は数日後に大掛かりな作戦行動を起こす、帝国へ仕掛けるのだ。オブジェは一体でも多い方が良い」
キャスの喋る内容は明らかに情報漏洩であった。機密とまでは言えないものの、仮にディージェイが敵側の諜報活動者であれば、大問題になる。だが、キャスはそれを全く気に掛けていなかった。目の前の女が何者なのかは解らないが、少なくとも敵ではない、そう確信していた。
「商談成立?」
上目遣いで右手を差し出し、ディージェイは言った。
「成功報酬だ」とキャスは差し出された右手を握った。ディージェイの小さな手から、皮手袋を通して体温が伝わる。私の手はさぞ冷たかろう、キャスは思った。
「明朝、兵舎へ来い。詳しくはそこで話す」
キャスは言い、再び夜闇へ向け歩き出したが直ぐに立ち止まり、振り向いて「オブジェの名は?」と尋ねた。ディージェイは「そっちは?」と返すと、キャスは再び微笑み応えた。
「〈シュバルツローゼ〉だ……知っているだろう?」
ガイアナ大陸にいる限り、キャセロール・ユイットの名を知るものが、彼女のオブジェ〈シュバルツローゼ〉を知らない道理は無い。その二つは、語り継がれる神々の名を含めたとしても、間違い無く現時点では最も知られた名なのだから。
「勿論。ほんの冗談よ」
ディージェイは一つ頷き、返す。
「〈デウス・エクス・マキナ〉」
「……覚えておこう」
そう言い残し、キャスはその場を後にした。
ガイアナ大陸中央、バルブラン大砂漠の非戦区域、シャランブロン中立自治区。
東方のダルトア王国から内地に訪れていた田舎機師、アルブレド・クラインゲルトは、酒場〈アンヌ・ド・トゥ〉の店主から、最近この辺りで話題のオブジェの噂話を聞かされた。
かなり酒が回っているらしく、小太りで禿げた店主の口調には、耳障りな粘り気がある。
「噂なんで、大袈裟な部分もあるだろうけど」と断ってから、店主は喋り始めた。
「ルイ・ル・グロの〈ヴィクトリウス〉にとんでもなく強い機師が、これまたとんでもなく強いオブジェ持参で傭兵として参戦してるらしいんだ。なんでも、セエーヴェルの青機師エト・ワジムーの〈ヴェルチュガド〉を、一撃で粉微塵にしちまったんだと。あの〈ヴェルチュガド〉を一撃でだぜ、信じられるかい?」
店主はそこで言葉を切り、反応をうかがう。アルは、さっさと続けろと目で合図する。
「でよ、傭兵ってのが、猫目、とかってふざけた女らしいんだ。まあ、事情通の俺が知らないんだから大した奴じゃあないんだろうけどな。で、だ、面白いのはここからだ。その小猫ちゃんのオブジェには、顔に目が二組付いてて、腕が四本もあってな、それぞれに剣を全部で四本持ってるんだとよ! どうだ! 笑えるだろ? それじゃあまるで絵本か聖書の化け物だぜ。そのオブジェの名前は――」
同年。
大陸東方ダルトア王国に、貴族ユーク家から一体のオブジェが献上された。静かなる勇者≠フ二つ名を持ち、黄金色に輝くオブジェ〈ハイナイン〉である。
工芸品の如きその機械騎士は、最新の技術と莫大な資金により誕生した、大陸最強の勇者であった。国内外が大騒ぎになったのは言うまでもない。
〈ハイナイン〉の生みの親は本人の要望で極秘とされていたので、各地で様々な噂が飛び交った。
余りに頭抜けたその性能に大陸内の勢力地図が一変するかと思われたが、当時のダルトア国王はセエーヴェル帝国やルイ・ル・グロ神国に攻め込む事はせず、〈ハイナイン〉の静電差エンジンを封印≠オたのだった。
「彼女ならば、こうする事を望むはずだ」
ダルトア国王の言葉である。彼女とは〈ハイナイン〉の生みの親の事であろう。
現在、ダルトア王国の〈ハイナイン〉は一般公開されており、見物者は断たない。
一時の安らぎを経て〈ハイナイン〉は再び目覚めの時を迎えるのだが、それはもう暫く後である。
《真理》
フォン・ハウサは混乱していた。
この国に、いや、秘密警察〈ネオテニー〉ハロアール伯爵に機師として仕えての六年、そしてまだ二十三年に満たない彼女のささやかな人生で培った価値観に照らし合わせてみて、今、彼女の深緑色の瞳に映る、まさに起ころうとしている情景は全く持って理解し難いものであった。
彼女は正真正銘正式な命令を受け、エンフィールド工業都市共和国の首都アグスティアの商業領に彼女の上官や数人の兵士、そして彼女のオブジェ〈バイバルス〉と共に今朝、到着したばかりだった。
とある人物≠門閥領に居を置くミゼール・ラッダイトという名のネオテニー幹部に引き渡す、たったこれだけの至極簡単な任務であった。
当然、上官に任務の全権があるのでフォンにはこれといってするべき事などなく、その日も連日の周辺警戒と同じく退屈な一日になるであろうと彼女は出発前も、そして到着してからも想像していた。
しかし、今、一体何が起きて、何が起きようとしているのか、フォンの想像力ではとても理解できなかった。
直属の上官である機師ジャンジュ・キャビアンを、フォンは機師としては尊敬していた。しかし、一人の人間としてはその浅黒い肌をした赤毛の男を恐らく軽蔑さえしていた。
だが、彼女自身がそれをはっきりと自覚した事はなかった。幼い頃から脳細胞に半ば強制的に、機械的に刷り込まれてきた機師の理{ことわり}≠ヘフォンに、彼女の上官ジャンジュやその上に君臨している筈の――直接見た事は唯の一度も無いのだが――ハロアール・クワント伯爵を崇{あが}める以外の一切の思考をほぼ完璧に排除してきたからだ。
それでも、〈粛殺{しゅくさつ}のジャンジュ〉の文字通り、草木を損ない枯らす厳しい秋気の如き戦い振りは、フォンにそれまでは存在し得なかった感情を芽生えさせるに十分であった。
三年前の連邦歴一〇三十九年、彼女の初陣である『王政区ダルトア制圧作戦』の折、待機中であった敵オブジェ群を夕闇に紛れ背後から強襲し、周辺に配された整備要員もろともオブジェをなぎ払う、両肩に真紅の交叉鉄鎚{こうさてっつい}≠象{かたど}る、神罰≠意味する名を冠したオブジェ〈マシュハド〉の姿と、〈マシュハド〉の主である〈粛殺のジャンジュ〉の無線から響く高笑いは、経験浅い機師フォン・ハウサの深層を揺さぶった。
真紅の交叉鉄鎚≠ヘ〈粛殺のジャンジュ〉の名と共にエンフィールド工業都市共和国の覇権の象徴として大陸辺境にまで知れ渡り、敵味方を問わず恐れ崇められていた。
そんな、絶対服従が当然の彼に向かって、そのくたびれた甲冑を着込んだ古傷だらけの年老いた〈剣師〉は……。
「三度は言わんぞ若造! すぐさま我が主に非礼を詫び、その木偶共々早々にこの場を立ち去れ! さすれば慈悲深き我が主、高貴なるアンナベルク様は、愚かな貴様をお許しになるであろう!」
商業領中に響き渡る老剣師の力強い声で、〈アンヌ・ド・トゥ〉と刻まれた看板の下からぼろをまとったバシネ(貧民階級)の野次馬がぞろぞろと出てきた。彼らが酒瓶を手にしているのを見てフォンはそこが酒場だと漸く気付いた。
老剣師の発言は彼女に此処に到着してから数度目かの眩暈を浴びせた。全身から血の気が退いて行く音が聞こえてきそうである。
剣師を従えて戦地に赴いた経験は彼女、フォン・ハウサにもあった。
機械騎士・オブジェのみで全ての争いが決着するほどに世界は、そして政治は単純ではなかったし、もしオブジェのみでけりを付けようとするのであれば、それは解決などではなく単なる破壊≠ナある。
だからこそ彼ら剣師のような人道的な――あくまでオブジェに比べて――武力がどの国にも必要なのである。彼らの限界まで磨きぬかれた肉体と技、そして、時には無謀とさえ思える勇気を、フォンはオブジェ〈バイバルス〉の目を通して幾度と無く見てきた。
しかし、である。
今、彼女の眼前では、剣師が機師に対して、その剣を突き付けている……。僅か三歩後方に彼の忠実なる武器、地上最強≠フ破壊兵器〈オブジェ〉が無言の圧力を放ち主の命を今や遅しと待ち構えている、その機師に対してである。
老剣師の握る剣がオブジェの骨格、絶対硬度のストロマトライト鉱をも両断するといわれる鍛えぬかれた超硬化アーマライト鋳鉄であり、刃こぼれどころか傷一つ曇り霞一つなく、彫りの深い皺だらけの顔に向け鈍い剣輝を放っており、その射抜くような鋭い眼光や隙の無い構えを見るまでもなく彼の剣技が間違いなく皆伝級であり、彼が――彼の言葉が真実だとし――ガイアナ連邦総帥をも唸らせる、あの〈剣侠ハイデス〉である事を踏まえた上でさえ、フォンには、そして声も無く見詰めている野次馬にとっても、その光景は明らかに歪であった。
さらに、ハイデスの剣先の機師が彼女の上官〈粛殺のジャンジュ〉で木偶≠ニハイデスが吐き捨てた背後のオブジェは、真紅の交叉鉄鎚〈マシュハド〉ときた。
とどめは、〈剣侠ハイデス〉ことハイデス・ルキアノスの我が主≠ェフォン達の目的であるとある人物≠ニ同一であり、そのニフェ・アンナベルクという名の十七歳の栗色の長髪をした薄汚れた少女が、自らが名門貴族アンナベルク家の次女であると解らぬほどの重度の精神障害だという事。
たちの悪い冗談か喜劇の一場面としか思えないその様子を唯一理路整然と説明できそうな頭のおかしい老剣師≠ニいう言葉はしかし、ハイデスの――内容はともかく――言動からはとても浮かんできそうになかった。
「き……機師であるこの私よりも、その、その白痴女を選ぶと言うのか! 貴様は!」
辛うじて冷静さを保っていたジャンジュ・キャビアンだったが、その表情が見る見るうちに豹変していった。フォンは深い溜め息を一つ、〈バイバルス〉の操座に身を沈め、事の一部始終を思い返す。何故こんな理解不能な状況になってしまったのか……。
――降下地点の正確な座標が隊長機〈マシュハド〉から伝送されてきたので、フォン・ハウサは目的地が商業領の広場だと漸く知った。
オブジェ輸送用航空機から空離して〈バイバルス〉の姿勢制御に手間取りつつフォンは、彼女が降り立つ予定の広場が住民で溢れている事を、網膜に直接投影される索敵画面の映像から知ると、共用通信回線を開き、上官ジャンジュ・キャビアンに指示を仰いだ。
しかしジャンジュからの応答はなく、代わりに〈マシュハド〉の腰部から信号焼夷{しょうい}弾が地面に向けて射出された。驚いて広場を映した索敵画面を覗いたフォンは、蜘蛛の子を散らすように住民が散会し、彼女達の降下地点が確保された事を知った。
「下らん事で私の手を煩わせるな」
押し殺した声が無線から聞こえた。そんなやり方は士官学校では教わっていない、と喉まで出掛かったが、勿論フォンは押し殺した。
土埃を舞い上げつつ二体のオブジェ〈マシュハド〉と〈バイバルス〉が廃屋群の直中に降り立ち、すぐさま〈バイバルス〉背部に収容されていた〈ネオテニー〉兵士二人が同じく地面に降り立った事を確認し、フォンは〈バイバルス〉の正面・背面視覚域を通常≠ノ設定するよう静電差エンジンに脳波信号を送った。それで温度感知視界の緑色と朱色の世界が見慣れた風景に戻った。視界右上の索敵画面の赤縁の星型が子供の姿に変わる。
ジャンジュは既に〈マシュハド〉から降機し、先に降りた兵士に何やら指示を出していた。彼らが手近な建物に駆け込むとジャンジュは〈バイバルス〉の目を通してフォンを睨み付け「別命あるまでその場で待機」と、飼い犬に「伏せ」と命令するのと同じような調子でいい、兵士とは別の方向へ歩き出してから「警戒を怠るな」と付け加えた。
これで今日の任務は九割方完了した、殆ど確信しフォンは胸を撫で下ろし、操座の後ろから読みかけの分厚い冊子を手探りで取り出した。
表紙に金文字で『山毛欅{ぶな}の木の下で 翻訳』とある。
三年前に内地北方セエーヴェル地方で出版され瞬く間に大流行し各国語に翻訳された、戦場を舞台にした文学色の濃い純愛物語である。
目の前にぶら下がる照準装置を兼ねた硝子眼鏡を跳ね上げ、両腿の間にある操作盤を数度叩くと、後頭部の覆いに接続された数百本の軸策バスを通じて静電差エンジンから絶え間なく送信され直接網膜に投影される〈バイバルス〉の視界が半分ほどに縮小され右隅に移動、フォンの目に『山毛欅の木の下で』の読みかけの頁が映った。これで心置きなく物語に没頭できるのだ。
こんな事も国立士官学校では決して教えてはくれないのだが、警戒任務中に彼女と同じくらい暇を持て余していた別の機師はそういった有益な技術を至極丁寧に教えてくれた。
そんな訳で暫くするとフォンは、美人薄命を突っ走るうら若き令嬢メルリーヌとなり、幾多の戦場を駆ける英雄、カミオン・シストラーとの甘く切ない恋物語を演じていた……。
「おお、麗しき方! そなたの美しき瞳は花々を嫉妬で身悶えさせ、そなたの美しき名は貴様! ハイデスとか言ったな――」
「わあ!」
驚きの余りフォンは冊子を操座の配線だらけの天蓋に力いっぱい投げつけてしまった。英雄カミオンの想像上の透き通った声がいきなり彼女の上官ジャンジュの野太く押し殺した声にとって変わり、フォンの九割方完了した本日の任務の残り一割が突然開始された。
「ラッツ伍長! 至急状況報告願います」
『山毛欅の木の下で』を背後に放り、照準装置を降ろし視界を読書用ではない方の通常≠ノ設定するまでの動作を一秒以下でこなすと、フォンは〈バイバルス〉の視覚域にあるジャンジュに同行した兵士の一人、ラッツ・メイアー伍長に専用通信回線で呼びかけた。
「それがその、少尉……」
普通、機師は軍部とはほぼ完全に独立し、別格扱いなので軍隊内での階級は存在せず、作戦行動で部隊を編制する際に単なる呼称として一定の階級を与えられる事になっている。しかし殆どの場合一般兵や剣師などの下士官級より上、士官級となり戦闘の指揮を取る。今回フォンは士官最下の少尉である。
「我々はジャンジュ大佐と共に予定通り要人との接触に達したのですが、その、妨害に遭いまして……」
「……ボー、ガイ?」
〈バイバルス〉の白濁色の眼球が素早く動きジャンジュの後頭部を捉えた。フォンは視覚域の明滅する青十字の一つをジャンジュに重ね、彼を中心に画像を拡大した。頭の中に彼やそれ以外の人間の声が直接響く。
「誰の入れ知恵かは知らんが、先ほど貴様がその女と交わしてみせた忠誠の儀≠ヘ無しだ、私と交わせ。貴様ほどの男にその女は相応しいとは思えんからな。その様な白痴女など……」
朗々と語るジャンジュの言葉はしかしフォンにはさっぱり訳が分からなかった。
忠誠の儀が機師や剣師が仕えるべき主君と交わす誓いだという事は当然フォンも知っている。他でもない彼女自身がそれを口にする日もそう遠くはないのだから。しかし仮に今、彼女の視界にあるハイデスという老人が機師か或いは剣師だとしても主{あるじ}≠轤オき人物が見当たらない。
そこにはジャンジュとハイデスという名の老人、ラッツ伍長ともう一人の兵士であるリェージュ・ユクスキュル一等兵。そして、十代半ばに見える恐らくバシネであろう少女ともうひとり、自分と同じ年代の、短く切り揃えた黒髪の女がいる。
つまり、栗色の髪をした少女と、見ているだけで暑苦しくなる革製の腰丈上着を羽織り偉そうに腕を組んでふんぞり返っている女の、どちらかが老人の主という事になるのだが、当然そうは見えない。
「我が主、ニフェ・アンナベルク様を愚弄{ぐろう}するか!」
老人が怒鳴り、そして……。
「それ以上は〈剣侠ハイデス〉の名に懸けて、許しはせんぞ!」
「け、け、け、剣を……抜いたの?」
その老人が〈剣侠ハイデス〉と名乗った事を驚く暇もなくフォンは唖然とした。その名前は、軍隊に籍を置かない一般市民にも数々の偉業と共に知れ渡っていた。
彼がルイ・ル・グロ神国のオブジェを一刀の元に両断し、窮地に立たされた連邦軍を救い出したとされる十二年前の『豪雨の神都内乱』の話は、ニフェの脳裏にも焼き付いていた。実際はオブジェの、直前の戦闘で大穴の開いていた胸部操座に乗り込み機師を斬り付けたそうなのだが、それにしたって普通は出来るものでないし、誰もやりたがらない。
派手な尾鰭が付こうが付くまいが〈剣侠ハイデス〉ことハイデス・ルキアノスは間違いなく現代の英雄である。いつものフォンであればすぐさま〈バイバルス〉から無許可で降機して握手の一つでも求めるところであるのだが、その英雄は事もあろうに彼女の上官に対して抜刀したのだった。いや、上官だとか部下だとかは関係ない。彼は、機師に対して、抜刀したのだ。
その事自体はガイアナ神法違反でもエンフィールド軍規違反でもなく、また禁忌の類でも決してない、が、世にいう常識を遥かに逸脱する行為に他ならないのだった。
それは、児鼠が飢えた猫に対して牙を剥くに等しい行為である。
機師に、つまりオブジェに対して争い挑む行為は、たとえオブジェ以外のこの世のありとあらゆる、考え得る全ての武器のどれでも好きなものを手に出来るとしても、満月を射落とすが如く=Aつまり不可能で無意味≠ネ行為なのである。
世の中には努力や意志、理想や奇蹟とは全く無縁な事も存在するのであり、オブジェにそれ以外で挑む≠フはそういった真理の最たるものである。そんな事は、手を捻られてばかりの赤児でも知っている理屈であり、決してあり得ない光景がフォンの眼前に、あった。
「私は、ニフェ・アンナベルグ様の剣師となったのだ。剣師に主は二人も要らん!」
ラッツ伍長が何事か騒いでいるが、茫然自失のフォンの意識にはもはや届いていなかった……。
「貴様! 貴様はその剣で私を斬るつもりか? その飾りで我がオブジェ〈マシュハド〉と戦うと言うのだな?」
「我が剣は、斬るものを選びはせん!」
回想していたフォンはジャンジュが〈マシュハド〉の静電差エンジンを起動させた事に暫く気付かなかった。彼が脳波による遠隔操作で〈マシュハド〉を僅かに屈ませ胸部操座にその身を埋めた頃、漸く彼女は我に返り専用通信回線に怒鳴り付けた。
「ジャンジュ様! どうされるおつもりですか!」
彼女への返答はなく〈マシュハド〉の頚部からの対外音声が彼の意思を代弁した。
「……良かろう。生身の無力さを――」
機師フォン・ハウサの意識が瞬時に暗転し、直後、閃光が瞬いた。
「――その白痴女共々噛み締めるが良い!」
フォンは無意識のうちに操演桿と踏板を操りつつ網膜隅部の索敵画面を非常≠ノ切り替え、無数の数列を青く明滅する十字と共に表示させる。
青十字は真ん中から二段になったフォンと〈バイバルス〉の視界域を飛び回り、上部正面視界の温感・電磁波映像の〈マシュハド〉の右腕と重なってから、内接する正方形を持つ円に姿を変え、相対距離などのあらゆる外部状況を意味する数列と共に彼女の瞳と同じ深緑に輝く。
〈バイバルス〉の両腕が、真紅の交叉鉄槌の片割れを振りかぶる〈マシュハド〉の右腕肩口と手首を掴んでいた、まさに瞬間に、である。
「どういうつもりだ……フォン・ハウサ!」
共用通信回線を通じジャンジュの、いや、今やすっかり豹変した〈粛殺のジャンジュ〉の声が軸策バスを通じフォンの頭に響いた。しかし一連の動作を機師の本能でやってのけた彼女は返答するのに戸惑った。どういうつもりだ、彼女自身が聞きたいくらいであった。そう、私は一体どういうつもりなのだろう……。
口の中がすっかり乾ききり心臓の鼓動が耳を打つ。全身から気色の悪い汗が滲み出て手足は細かく震えている。視覚と聴覚が辛うじて正常なのはそれが〈バイバルス〉の静電差エンジンの制御に向けられているからであり、そうでなければ今頃は……。
「処分は帰還後だ! この腕をどけろ!」
再びジャンジュの声が響き、上部正面視界の〈マシュハド〉が彼女の、〈バイバルス〉の腕を振り解こうとした。
フォンの視覚域では〈マシュハド〉の腕の瞬秒後の予測地点を示す黄線画像が現状視界に重なり、中央の深緑円に沿って数列が表示された。円に内接した正方形が半回転し〈マシュハド〉の現状・黄線画像二つの右腕の中央へ新たな正方形が出現、半回転した正方形との頂点を同色の線が結ぶ。側頭部から高音の非常警報が聞こえ――
「どけません!」
それは意思とは関係なく発せられた言葉のように彼女自身には感じられた。
機体が僅かに揺れ、〈バイバルス〉が〈マシュハド〉の挙動を押え込んだ事を彼女に知らせる。
震える顎が音を立てる。歯がぶつかる小さな音が頭蓋を通して聞こえる事で、彼女は自分が恐怖を抱いていると気付いた。小さな手は汗まみれだが、それでもしっかりと操演桿を握り続けていた。何が、何が起きて、自分は一体どうするつもりなのだ。同じ言葉がくり返しくり返し頭を過ぎる。
突然視界に細かい目盛りの印された薄青の三次元十字が重なり、それに伴い新たな画面が二つ左隅に開く。未作動の筈の多次元照準装置が彼女の、今は〈バイバルス〉に直結されて外景を投影している、瞳に回路を開放したのだ。
フォンは驚いたが、装置が彼女の意志とは関係なく動く事など決してあり得ない。そして、左隅の全武装管制画面と戦術検討・選択画面、中央の立体照準は〈バイバルス〉とフォンが攻撃態勢≠取りつつあり、つまり二人が〈マシュハド〉を敵≠ニ識別している事を暗黙のうちに語る。
「せ、戦闘の許可は、オブジェの市街地使用許可は、下っていません!」
今度は何とか自身の言葉が出た。
〈マシュハド〉からの返答はなく、しかし彼が動きそうな気配は消えた、気がした。背面視界を通常下方に切り替え、彼女が救った人々を拡大する。
そうか! ……私は、彼らを助けようとしていたのだ。何もかもをほぼ無意識でこなしていたフォンは自身の取った行動を理解した。
下方視界では相変わらず〈剣侠ハイデス〉が剣を構え、彼の後ろではアンナベルク家の次女が満面の笑みで石ころでお手玉をしている。どうやら二人共無事な……。
「あ、れ?」
思わず声に出して呟いた。何かがおかしい、そう感じた。……足りない? ……。
全く前触れなく、耳を劈{つんざ}く破裂音と空挺降下の数十倍の衝撃がフォンの体躯を貫いた。体中の骨が砕けるような激痛が襲い、事実何本かは粉々になっていた。
操座前壁にしたたか顔面を打ちつけ額が割れ、滝のような血流が吹き出し操座内壁と薄手の戦闘服を黒く染め上げる。眼球は両方共潰れてしまったらしく殆ど真っ黒になった視界の僅かに生き残った部分に全機能停止・再起動不可≠フ文字を漸く読み取った。
耳は全く聞こえない。砕けた肋骨が肺や内臓を貫き破裂させたらしく、口から血の泡が後から後から這い出してくる。
操座を埋め尽くしていた数々の装置群は真っ赤な瓦礫の山と化し、座席の背もたれが上部を覆い通常は正面である筈の方向に重力を感じる。どうやら〈バイバルス〉は前のめりに倒れているらしい。
立体照準の欠片が完全に消滅し、数列は判読不能な図形になっていた。脊髄の腰の付け根と肩甲骨の辺りが砕け、頚骨も折れたらしく頭を動かせない。赤黒い塊が口から吐き出された。意識と体は完全に隔離され、もはや痛みは感じなかった。
何が起きたかさっぱり解らなかったが、どうやら自分が重傷を負い、程なく死ぬであろう事を彼女は実感していた。薄れて行く意識の中を先だっての疑念がよぎる。そうだ、一体何が足りなかったのだろう。
……何が? ……違う! 誰が! そう、あの場には確かもう一人いた筈だ。確か……、確か……。
「――もしもーし、聞こえるかーい? ……おーい」
……声が、聞こえた、いや、響いた。
フォンの頭の中に直接その声は響いていた。静電差エンジンからの回線が生きているのだろうか。〈バイバルス〉を通して直接頭蓋を震わして聞こえる声には覚えがなかった。
「ああ、そっか。聞こえても返事が出来ないんじゃ意味がない、って事か。ちょっと待って――」
フォンの視覚が周辺部分から中央へ向け徐々に鮮明になっていった。天蓋が外されており、高く上った太陽の光と逆光で真っ黒な人影がそこにあった。
いや、おかしい。確か〈バイバルス〉は前のめりに倒れた筈だ。なのに、どうして太陽が……。……しかし、一体誰だろう? 意識には未だに霞がかっている。
「――よし、と。大丈夫? ……な訳ないか。とりあえずは彼≠フ生体維持機能を拝借してるけど、本格的な治療が必要なのは、言うまでも無いか。すぐにでも医者に運びたいところだけど、その前に、一仕事をば……。あいつを片付けないと、ね」
大きな雲が太陽光を遮ったおかげで、フォンはその女の顔を見る事が出来た。
黒髪を短く切り揃えた二十代前半の小柄な女は、指先の露出する皮手袋をはめた手で操座側壁の装置をいじっている。お気に入りの玩具で遊ぶ小さな子供のようにその顔は実に楽しげであった。
小ぶりな鼻や口に比べ、くっきりと大きく、そしてとても澄んだ黒い瞳。くりくりと動く、まるで小猫のようなその瞳は、その時の不鮮明な情景の中にあってそれだけは鮮明にフォンの脳裏に刻まれた。
その日の彼女の記憶は、ここで唐突に終わる。
その黒髪の女が〈剣侠ハイデス〉と一緒にいた人物と同一だった事に思い当たったのは、二ヶ月間の昏睡状態から奇跡的に意識を回復し、その後丹念な療養期間を更に半年費やし、彼女の復帰を祝う同僚や両親にもみくちゃにされてからであった。
フォンは事件後、ラッツ・メイアー軍曹から今回の任務の経過報告書を入手する事が出来た。
「……ボーソー、……ジコ?」
閲覧自由の報告書の写しをラッツ軍曹に手渡されたフォンは、寝台の上でしきりに首を傾げる。
彼女は現在、自宅で静養中である。
作戦経過報告書の内容は前後の状況から判断する限りでは事実のようであったが、彼女のかすかな記憶とは僅かにずれを生じていた。
『――機師ジャンジュ・キャビアン大佐以下三名は、治安維持機関〈ネオテニー〉東部方面軍政務大臣ミゼール・ラッダイトの要請で特級要人ニフェ・アンナベルク捜索任務に就任、首都商業区へ出動した。
――中略――
要人確保の際、作戦任務に同行した東部方面軍所属機師フォン・ハウサ少尉の搭乗するエンフィールド製彫機{ちょうき}〈バイバルス〉の機体制御器官、静電差エンジンの故障による統制出力低下現象が発生、搭乗機師の操演制御を一時的に拒絶、暴走状態となる。
作戦続行と周辺民間人の安全を憂慮し、機師ジャンジュ・キャビアン大佐は作戦責任者に付与される権限で甲種警戒宣言≠発令、彫機〈マシュハド〉による暴走機体の静電差エンジン完全停止を遂行した。
彫機〈バイバルス〉は甚大{じんだい}な損傷により廃棄処分が決定され、分離された静電差エンジン故障原因の解明は技術団により現在も続行中。暴走機体停止に際し重傷を負った機師フォン・ハウサ少尉は一命を取りとめ――』
捏造された書類である事は一目瞭然であったが、この内容であればフォンが何らかの責任を追及される事も無く、関係者全員にとっても最良なのであろう。しかしフォンは胸が締め付けられる思いだった。〈バイバルス〉は彼女のかけがえのない仲間であり友だったのだ。もはや体の一部とまで感じていた〈バイバルス〉は彼の主の保身の為、只一人責任を被せられ、葬られた。
機師はその全てをオブジェに預け、オブジェもまた全てを機師に託す。
フォンは自らが機師として決して失ってはならないものを、たとえその命に代えてでも守り貫き通さなければならない誇りや絆を、我が身可愛さに放り捨ててしまった、そう感じ、引き止める仲間を振り払って除隊した。
報告書にはフォンが出会った〈剣侠ハイデス〉らしき老剣師や黒髪の女については一切触れられていなかった。彼らは存在しなかった℃魔ノなっているそうである。
当初の任務である要人ことニフェ・アンナベルク捜索任務のその後については機密扱いで詳細を聞き出すに至らなかったが、フォンは存在しない二人の手により作戦が失敗したような気がしていた。理由は特になかったが、そうであれば良いのに、そう思っていた。
上官であるジャンジュ・キャビアンとは彼の遠征任務とやらの為、結局顔を合わせる事は無かった。
自室の窓枠に肘を突き、小さな雲の欠片があるだけの抜けるような春空を眺め、フォン・ハウサは存在しない二人の事を考える。
近頃はあの一年前の不可思議な事件を、それほど奇妙とは感じなかった。剣師ハイデス・ルキアノスはあの不幸な少女ニフェ・アンナベルクの中に、彼にしか見えない光≠見出しそれに対して忠誠を誓ったのではないだろうか、そう思ったからだ。
剣師や機師はその身に独自の真理≠持つ。
時には誇りであり時には正義であり、また私益や野望である事も。それらは各人各様異なってはいても、それでも真理なのである。そして機師や剣師の忠誠とは彼らの真理を実践する行動に他ならない。彼らは自分であり続ける為≠ノ忠誠を誓い彼らの主に仕えるのだ。
〈剣侠ハイデス〉は「我が剣は、斬るものを選びはせん!」、そう叫んでいた。彼がオブジェを前にその剣を収めれば、主に危機が訪れる。手にした剣ではその危機を回避出来ない事はきっと当人が一番理解していたに違いない。だが、彼は退かなかった。
無駄死にではないだろうか、フォンは考えたが直ぐに首を振る。ハイデスが彼の主である少女ニフェを見捨てて逃げれば命は助かるが、剣師の真理は消滅するに違いない。たとえ斬り付けるべき相手でも場合によっては剣を収める、そんなものは真理ではなく、だからこそ「斬るものを選ばない」のだろう。
「私には、もう無いのかな」
声に出しても返事はない。フォンは胸に大きな穴が空いているような居心地の悪さを感じ胸に手を当ててみるが、勿論穴など無く古傷が疼くだけだった。
もう一人については、先の老剣師ほど明快な解釈は出来なかった。
あの猫のような目付きの女が自分の命を救ってくれた事は間違い無さそうだが、それだけではない筈、フォンはそう確信していた。あの女の表情や態度、そして「あいつを片付ける」という発言がフォンに何かとんでもない事≠やったに違いないと感じさせていた。
母親が昼食を運んできて、フォンの回想は中断された。
同日同時刻、エンフィールド南端にある〈ネオテニー〉オブジェ整備施設の若い技構師は、混乱していた。
施設内では二体のオブジェが整備用足場に囲まれており技術者が走り回っている。そこには装甲を殆ど除去され原形を留めないほどに分解されたフォン・ハウサのオブジェ〈バイバルス〉の姿があり、その直ぐ隣には別のオブジェの上半身と下半身が別々に置かれていた。
オブジェの上半身部分の両肩にはかつての主の趣味らしい丁寧な徽章{きしょう}が描かれている。若い技構師は身の丈ほどもある色褪せた徽章、真紅の交叉鉄槌≠睨みながら独り言を吐く。
「エンジンの止まったオブジェが動いたってだけでも驚きなのに、あいつときたら……桁違いの性能差のあるオブジェを素手で、片手で真っ二つとは……。仕様書を見る限りそんなこたぁ不可能≠ネ筈なんだけどなぁ……」
《惑星浄化》
「馬鹿じゃないの? 連邦軍でさえあの、ていたらくよ? あんたらに何が出来るってのよ! どうせ死ぬからって、進んで墓穴を掘る事は無いんじゃあない?」
ガイアナ連邦暦三九九四年。
私設軍隊〈ファー・レイリー〉北部基地の面々は、既に十四時間にも及ぶ作戦会議で心身ともにへとへとになっていた。
「さっきからなんだよ! あんたには関係ないだろ! 俺達はそうする為に集まってんだよ! 外野にとやかく言われる筋合いはない!」
「旧世代のオブジェ数十体で、よくもまあ軍隊なんて名乗れるわね。勝てない戦争やるような奴は……」
先程から人一倍大声を上げている少女は、作戦室の面々を一瞥すると一息つき……。
「馬鹿! 単なる馬鹿よ!」
そう怒鳴り、腰掛けた。なおも食って掛かろうとする若い男を議長である老人が制し、静かに語る。
「アリスさん、だったかな? 貴方の言いたい事も解らないではない。だが、何もせずに死ぬ事を選べるほど我々は、そして他の人々も潔くはないんじゃ。生きる為にあがく事を貴方が愚かと言うのなら、地上の人間はどうすれば良い? 滅びを素直に受け入れる事など、私達のような凡人には無理じゃよ……」
――惑星ガイアナの衛星、移住星〈フォコン〉に本拠地を置き、惑星浄化と称する殺戮{さつりく}劇を画策する武装組織〈グリス・グロス〉は、連邦軍防衛部隊〈ヴィクトリウス〉を、部隊長〈殄滅師アリス〉ことアリシェラ・バナレットと彼女のオブジェ〈ローゼーン〉を残し、全滅させた。
〈グリス・グロス〉が神話時代から発掘したオブジェの一つ、黄金色に輝く体躯と図抜けた能力を有する〈ハイナイン〉ただ一機により。
しかし、連邦の全ての軍人が消えてしまった訳ではなかった。
連邦を離れた一部の軍人、主にオブジェの搭乗者・機師達は、なおも〈グリス・グロス〉に対抗すべく一般市民に決起を促した。僅かではあったがそれに賛同するものが各地で現われ、遂に彼ら、私設軍隊〈ファー・レイリー〉の結成となったのだ。
規模はあまりに小さく、その活動も「焼け石に水」程度だったが、惑星ガイアナ全ての人類を守ろうとする唯一の組織、絶望と悲観が立ち込める地上を射す、一筋の光(ファー・レイリー)である。
「将軍の言う通りだ。我々は! たとえ勝てなくても戦う! 奴等にむざむざと殺されてなるものか! 我ら〈ファー・レイリー〉に栄光――」
「大馬鹿っ!」
将軍と呼ばれた老議長の言葉を継ぎ、先程から少女――アリスの罵声を一手に引き受けていた若い男が拳を高々と上げると同時に、またもやアリスが怒鳴った。いつもの決まり文句を遮られた男は、驚き呆けている。
「ったく、どうしてこうも馬鹿なのかしら? ……よーく聞きなさい。あんたら〈ファー・レイリー〉の目的は、抵抗して死ぬ事、じゃあ無いのよ。でしょ? マリヴァー?」
鋭く指を差された若い男――マリヴァー・ルキアノスは、それには応えず睨{にら}み返す。どうやらすねているらしいがアリスは構わず続ける。
「あんたら〈ファー・レイリー〉は〈グリス・グロス〉と戦う為に集まってんでしょ? 戦争する為に。良い事? ……古今東西! 負けても良い戦争なんて、一度も無いのよ、い・ち・ど・も!」
「てめぇに言われなくったって! それくらい解ってんだよ!」
傾{かし}いだ木卓を殴り付けながらマリヴァーが、席の向かい側で朗々と語るアリスを怒鳴りつけた。いくらか先程の仕返しのつもりらしい。
虚をつかれたアリスは口を小さく開け、まばたきを数回、マリヴァーを見詰める。しかしその沈黙があまりに長く、何時まで経ってもマリヴァーの顔から視線を外さないので、彼も同じくアリスの顔を見詰めるしかなかった。
大人顔負けの厳しい口調をもってしても、十七歳の少女、アリスことアリシェラ・バナレットのあどけなさは消し切れない。
マリヴァーは、幼さの影から女性としての美しさを覗かせるアリスを真正面からじっと見詰める。その様な事は彼女がここ〈ファー・レイリー〉北部基地にやって来てから一度も無く、それ故、彼女を女性として意識した事など、同じく一度も無かった。
言動や態度の悪さを大いに減点しても、アリスは間違いなく美人の部類に入る容貌を持っていた。
マリヴァーは自分達が何について論じていたかを忘れ、ただただアリスを見詰めていた。
「……どこ見てんのよ、すけべオヤジ……」
二人の只ならぬ沈黙を破ったのはアリスの静かな、それでいて鋭い一言だった。
マリヴァーは、自分が彼女の胸から腰の辺りを、鼻の下を伸ばしきった顔で食い入るように覗き込んでいる事にようやく気付き、必死に取り繕う。
「あ? え? いや、その……。お、俺は、ただ……。そ、そう、おれはまだ二十五で、オヤジじゃ……」
「オヤジじゃないの……」
何時の間にかすり替わった論点を修正したのは、二人のやり取りを見るに見かねた老議長、〈ファー・レイリー〉北部基地の指揮者で、かつてのガイアナ連邦軍士官機師ウィル・ジルコン将軍だった。
「確かに、アリスさんのおっしゃる通りだ。わしらは〈グリス・グロス〉に殺される為に仲間を募った訳ではない。地上を、惑星ガイアナの人類を、きゃつらの手から救うべく結集しておるのだ、確かに。だが、それが恐らく単なる希望でしか、理想でしかない事も……また確かなんじゃ。わしらの力はあまりに脆弱で、小さい。勝たなければならない戦いではあるが、勝てない戦いでもある。……認めたくはないがね」
ジルコン将軍の言葉で漸く現実世界に帰ってきたマリヴァーとアリス、先に口を開いたのは、やはりアリスであった。
「……これだから老い先短い人は嫌なのよね。ジルコン将軍? 勝たなければならないが勝てない戦い、なんてものは無いのよ。世界はもっと単純で、解り易いのよ。あるのは、勝利と敗北、勝者と敗者、ただそれだけなの」
「おっしゃる意味が……」
「失礼、少しばかり抽象的に過ぎたわね。つまり、戦うのなら勝てるような戦いをしなさい、そう言いたかったのよ。端から負けを前提にした戦いなんてものには、まーーったく、意味はないのよ」
そんな二人のやり取りに、すけべオヤジ……もとい、マリヴァーが割って入る。
「あのなぁ、そんなもんがあるならとっくにやってるさ。これだからジャリ(子供)は嫌いなんだよ……」
「ジャ、ジャリぃー? すけべオヤジの分際で偉そうな!」
二人の視線が激しく激突し火花を散らす。
「なんにも出来ないジャリが大層な口利くんじゃねえよ。大人のやる事にいちいち横槍入れんな」
「口だけで何にも出来ないすけべオヤジが偉そうに私に説教しないでよね」
「何をっ!」
「何よ!」
作戦室の一同が呆れ果てているのにも気付かず、二人の他愛ないやり取りは続く。
そんなものでも、張り詰めた緊迫感を僅かでも緩和してくれるのなら有り難い、ジルコン将軍のそんな思いを知ってか知らずか、マリヴァーとアリスの子供の口喧嘩は一向に終わる気配を見せなかった。
大陸全土に散る〈ファー・レイリー〉による迎撃活動は、人々に僅かな希望をもたらしてはいたが、しかし、所詮それが単なる悪あがきでしかない事もまた、人々は承知していた。
次々に降下する〈グリス・グロス〉の部隊を〈ファー・レイリー〉が撃退した所で、彼らの本拠地である衛星フォコンには、かつて連邦軍を完膚なきまでに叩きのめした主力が、かつての数倍の規模にまで拡大された上で待機しているのだ。
更に、母星制圧兵器、規格外オブジェ〈ワンデルク〉の成熟は最終段階にあるという。
その実体こそ不明だが、彼ら〈グリス・グロス〉が最終兵器≠ニ呼ぶそれがどれほどのものか、もはや想像すらしたくない、地上の人々の正直な思いである。
「――俺達のオブジェじゃ奴等にはかなわないんだよ! 性能が違い過ぎるんだ!」
マリヴァーの何度目かの怒鳴り声が作戦室に響く。と、罵詈雑言{ばりぞうごん}の応酬はぴたりと止んだ。もはや二人の言葉など聞いていなかった面々はその突然の静寂で、一体何事かとアリスを見る。
怒りも顕わだったアリスの形相は一転笑顔に変貌、余裕の表情でマリヴァーを見据えている。
左手を腰に当て、右手人差し指を自らの前でぴんと立て、左右に振る。
「チッチッチッチッ」
目を閉じたまま口を鳴らすアリス。
マリヴァー、そしてジルコン将軍を含む作戦室の全員が自分に注目した事を薄目で確認し、アリスは「散歩してくるわ」と同じような軽い調子で、こう言った。
「グリグロ(グリス・グロス)のへなちょこオブジェなんて、束でかかってこようと、切り裂きの黒薔薇姫〈シュバルツローゼ〉の前じゃジャリよ、ジャーリ」
「……シュバルツ……ローゼ?」
作戦室の面々は合唱の如く呟いた。
天窓から差し込む美しい月明かりは、そこに彼らの敵が潜む事を、暫しの間忘れさせる。
――夜空の朧{おぼろ}月、移住衛星フォコンの灰色の研究室で、機師アルブレド・クラインゲルトは二度目の眠りから目醒めた。
少なからず時が過ぎた筈だったが、彼の眼下には飽きもせず以前と変わらぬ、いや、更に下らなさを増した愚行を繰り返す人々で溢れ返っていた。
反吐が出そうなその光景に、アルは抱えきれない無力感、底無しの虚脱感を覚え、悲しみに伏した。
「俺達のやった事は、味わった苦労は……一体何だったんだ? キャスやミディやドゥーシーの……」
アルが、その昔、彼の一風変わった女友達がやったのと同じ方法で人々の歩むべき道を示す事を決意するのには、それ程時間は必要では無かった。
しばらくしてアルは黄金色に輝く友、オブジェ〈ハイナイン〉と、〈グリス・グロス〉のオブジェ殲滅用無人兵器〈ワンデルク〉と共に、月を飛び立つ。
〈グリス・グロス〉の母星制圧作戦『惑星浄化計画』の切り札、規格外オブジェ〈ワンデルク〉は、連邦オブジェを殲滅する為に開発された無人兵器である。
〈ワンデルク〉の基本構造は、機械騎士・オブジェと同じく粒子静電差現象の産物であったが、搭乗者である機師を必要としないので、人道的判断による搭載兵装の使用制限や、搭乗者の肉体的限界から来る機動性能の制限が一切無く、その、文字通り無限の能力を最大限まで発揮させた。
更に、重力場干渉により母星へ小惑星群を誘導・落下させる能力を持ち、楔{くさび}≠ニ呼ばれる大質量隕石による爆撃を行う。
まさに死刑執行人(ワンデルク)である。
《出発》
「ったく、もうちっと、ぬるくしてくんなきゃあ。熱いのは苦手だっていつも言ってるじゃない……」
小雪が舞い下りる冬の夜、ガイアナ大陸中南部。
ウランバル盆地を見降ろす高台の粗雑な丸太小屋で、キャラウェイは木卓の向こうの態度のでかい居候を見、柔らかくくねる赤い髪を所存無さげに指でいじっていた。
「僕はね、こっちの方が好きなんだよ。第一、冷めた紅茶じゃ体が温まらないじゃあないか」
「そりゃあ、でもさあ……苦手、なんだから……」
キャラは白い湯気の立つ陶器盃を一口すすり、今日はやけに物分かりの良い、猫舌の居候が悪戦苦闘する様を眺め、十日前、彼女が落ちてきた%を振り返る……。
突然丸太小屋を揺さぶった地鳴りで、キャラは危うく転びそうになった。
月の奴等≠ヘこんな辺境をも、連邦軍施設どころか八百屋の一軒も無い僻地をも標的にするのだろうか。
半年前、地上最後の軍事施設、大陸東方の連邦軍エンフィールド工業区が、奴等〈グリス・グロス〉が楔と呼ぶ大質量隕石によって海洋の一部に変えられた。
雑音だらけの共用通信受信機で連邦の無条件降伏と共にその事を知ったキャラは、さっぱりした気分だった。所詮は負け戦なのだから、手の打ちようが無ければ諦めもつく、そう思ったのだ。
「隕石でも何でも降って来い」
小屋を出てキャラの見た光景は、彼の頭の中を雪原と同じ色に塗り替えた。
降ってきたのは隕石ではなく、大地に深深と突き刺さる……オブジェだった。
その、装甲の焼け焦げたオブジェから人間が這い擦り出して来ても、彼の放心状態は続く。
雪に降り立った彼女は、悪戯を見付けられた子供の様な、何ともばつの悪そうな態度でキャラに歩み寄り、短く揃えた黒髪の後ろを掻きながら「やあ」と手を挙げた。
キャラは同じく「やあ」と言い、自らの頬を力いっぱい捻り上げた。
「こんちわ、あたしはディージェイ。で、こっちは〈ナッシュバル〉。よろしくね」
――必死で息を吹きかけ、幾らか冷めたらしい紅茶を嬉しそうにすするディージェイにキャラが声を掛ける。
「その、アリスとかって人、友達なのかい?」
ディージェイは、遥か大陸北端のアリシェラ・バナレットという名の機師に用事があるとかで、明日の日の出と共に、彼女を目指し旅に出ると、昨晩教えてくれた。
「借りた物を返す」と言っていた。
「うーん、顔を合わせた事は無いから友達って訳じゃないんだけど……まあ、近からず遠からず、かな?」
「へえ、何だか複雑らしいね」
笑みで返すと、彼女は再び紅茶に取り掛かった。
キャラは自分の多くの友人達の顔を思い浮かべてみたが、それらが全てオブジェから逃げ惑う、恐怖におののく苦悩に満ちた表情だったので、慌てて頭の中から追い払った。
〈グリス・グロス〉は、楔の後に決まって無数のオブジェを空からばら撒き、辛くも破壊を免れた建物や、そこに住む人々を徹底的に掃討していった。
それが奴等の言う浄化≠ナあるのなら、キャラ達地上の人間は染み≠セとでも言うのだろうか。
その染みの一つ、キャラの母親は彼の二歩手前で瓦礫に磨り潰され、父親は瓦礫ではなくオブジェの足の裏で同じく磨り潰されたのだった。キャラの耳にはその時の両親の悲鳴が、染みの如くこびり付いている。
「どうなるんだろう、僕達は……」
深い溜め息を吐き、キャラは何時の間にか冷えてしまった紅茶を一息で飲み干した。やはり熱い方が美味い。
丸太小屋の木床を窓から差し込む朝日が照らし出し、新たな一日の始まりを告げる。
キャラは毛布に顔を埋め、部屋の隅から聞こえる衣擦れの音をぼんやりと聞いていた。
僅か十日余りとは言え別れは辛く、キャラは、ディージェイの旅立ちを寝たふりでやり過ごそうと前日の夜に決めていた。彼女はきっと悲しむだろうが、彼は別れ≠ヘもう味わいたくはないのだ。
この十日余り、キャラは数年ぶりにゆったりとした時間や、どうでも良い下らない会話を、ディージェイのおかげで楽しんだ。きっと二度と手に出来ないくらい贅沢な時間を。
これからは、そんな思い出を胸に残り僅かであろう人生を歩む、頭上に楔が打ち込まれるその日まで。そう決心したのだ。
だが、悔しさからか悲しさからか、キャラの瞳に涙が滲む。
「わ!」
突然毛布が剥ぎ取られ、キャラは驚いて瞼を拭う。ディージェイが手にした毛布を床に放り、その大きな目で彼を見下ろしていた。深い湖のような澄んだ瞳だった。
「……悪いとは思ったけど、でも、僕は……」
「準備は済んだの? そろそろ出発よ?」
「……え?」
長い長い沈黙。キャラは、ディージェイのころころ動く瞳を見詰めている。
「急かすつもりはないけど、急いでね。思ったより皆の動きが速いから。リシェから借りた〈ナッシュバル〉を返さなきゃアリスは〈ハイナイン〉に太刀打ち出来ないのよ。〈シュバルツローゼ〉でなきゃね。アルの奴ときたら……ったく世話の焼ける。ま、あたしにも、ほんのちっと責任が無くも無いから、わざわざ届けてあげるんだけど。
それにあの〈ワンデルク〉とかって物騒な玩具を止めるには泣き妖精≠ノ頼る以外無いわよ。幸い、ルジチカの了解は取り付けたし、あんな調子じゃ情けなくて見てられないからね。さ、さ、荷造り開始!」
全く理解不能意味不明の洪水の如きディージェイの言葉に溺れそうになりながら、キャラはどうにか一言だけ返した。
「……な、泣き妖精って、……何?」
呆れた顔でディージェイは彼に言い放つ。
「何って……あんたが乗るオブジェに決まってんじゃないの。〈エコー〉よ、忘れたの?」
「……えこ?」
こうして、技師フリアエ・ワクスマンと機師ルジチカ・シュナイドルの血を継ぐ、今では数少ない真機師(純血の機師)キャラウェイ・シュナイドルの宇宙≠ヨの旅は、慌ただしく始まったのである。
冬の直中の、澄みきった青空の美しい、肌寒い朝だった。
《黒薔薇姫》
〈ファー・レイリー〉北部基地。
真機師アリシェラ・バナレットは、遥か昔に存在したといわれる伝説のオブジェ〈シュバルツローゼ〉が、対〈グリス・グロス〉の切り札になると同胞達に告げた。
〈シュバルツローゼ〉とは、およそ四千年前に旧ガイアナ連邦軍が所有していた高性能オブジェの名である。
だがそれは、連邦暦一〇五〇年前後を境に、歴史から忽然と姿を消していた。
一縷{いちる}の望みを託した彼ら〈ファー・レイリー〉だったが、決死の探索も空しく、大陸上にオブジェ〈シュバルツローゼ〉は存在しなかった。
〈グリス・グロス〉の『惑星浄化計画』は最終段階に差し掛かろうとしていた。
地上に降り注ぐ楔は、遂に完成し起動を待つのみとなった規格外オブジェ〈ワンデルク〉により質・量とも劣悪を極める事は必至だった。
もはや一刻の猶予も無く、玉砕覚悟の決戦に挑もうとする面々。
そんな、緊張と焦燥で溢れかえる私設軍隊〈ファー・レイリー〉北部基地に、その二人は突然現れた。
「こんちわ、あたしはディージェイ。んで、こちらはキャラウェイくん。よろしく」
ことことという小さな音と甘い香り。母親の自慢料理、羊肉のシチューがもうすぐ出来上がる。
絶品の味は、口にせずとも保証済み。小さなアリスは「お待たせ、お嬢様」といういつもの母親の言葉を、今か今かと食卓で辛抱強く待つ。
ことこと……。
ふっ、と小さな溜め息の後、窓から射し込む日差しで輝く母親は、アリスを振り返り、言った。
「起きろ! アリス! おい!」
両肩をがっしりと掴む腕を跳ね除け、目の前にあった顎目掛けて右肘を振り上げ、その勢いで飛び起き、更に体をくねらせ、よろめく相手の脇腹に渾身の回し蹴りを放つ。
寝起きで視界もままならないアリスは、そこまでを反射でやってから、漸く瞼をこすり、左手の薄汚い壁でぐったりとしているマリヴァーを見付けた。
欠伸を噛み殺し、伸びをする。寝台が固すぎたのか、節々が少々痛む。
「……ふぁ? 何? 呼んら?」
当然、返答はない。
休憩室の騒ぎを聞き付けたのか、ジルコン将軍が勢い良く扉をくぐってきた。
「アリスさん! 早く来て下さい! マリヴァー! 何をして……」
ジルコン将軍は、口元のよだれを面倒臭そうに拭う、肌も顕わなアリスと、壁際の、何故かぼろ切れの如きマリヴァーを交互に見て、一瞬絶句する。
「マ、マリヴァーも。ともかく、二人共!」
「……ふぁい」
「…………ぐっ」
ジルコン将軍は、どうにか返答らしきものが聞けたので、来たときと同じ勢いで休憩室を出ていった。
下着姿だったアリスは毛布を適当にまとい、未だ意識朦朧のマリヴァーの足首を掴み、ふらふらとジルコン将軍の後を追う。
床のでこぼこに後頭部をぶつける度、マリヴァーの悲鳴ともうめきとも取れる声がする。アリスにはそれが、ことことというシチューの音に聞こえていた。
「……い、息がはっ!」
マリヴァーの必死の訴えは、アリスには、
「お待たせ、お嬢様」
と聞こえたらしく、自然と口元が緩む。何せ、絶品なのだ。
〈ファー・レイリー〉北部基地の玄関先、肌寒い荒れ地は騒然としていた。
ジルコン将軍と寝起きのアリス、どうにか意識を取り戻したマリヴァーは人波を掻き分け、騒動の源と対面した。
面々に取り囲まれていたのは、小柄な黒髪の女性と、同じく小柄な、こちらは赤毛の少年だった。その背後には、見たことも無い型のオブジェが一体、静かに立っている。
ジルコン将軍がさっと手を挙げると、喧騒はぴたりと止んだ。鋭い眼光を放ち、押し殺した声がその二人を捕らえる。
「私が、ここ〈ファー・レイリー〉北部基地の代表、ウィル・ジルコンだ」
怒気をまとうその声色は、仲間でさえもどきりとさせる。赤毛の少年がたじろぐ。が、女性の方はというと……。
「ジルコンさん、ね。あたしはディージェイ。で、こちらはキャラ、キャラウェイ・シュナイドル。よろしく」
身じろぎ一つせず、笑顔のまま答え、やあ、といわんばかりに手を軽く挙げた。
ディージェイと名乗った女性と、端から何も聞こえていないアリス以外の、ジルコン将軍を含むその場の面々がたじろぎ、どよめいたのは言うまでもない。うろたえを必死に押え、ジルコン将軍は続ける。が、声は微妙に震えていた。
「ディージェイさんに、キャラウェイさん、こ、こちらこそ、よろしく……」
ディージェイにつられて作った笑顔は、しかしぎこちない。
「んじゃあ、早速用件を」
いつの間にか二歩手前にまで迫っていたディージェイが声をかけ、ジルコン将軍は我に返り、あからさまに取り乱した。
「よ、よ、用件? なな、何かね?」
すっかり困惑しているジルコン将軍だったが、面々とて同じくだったので、彼が特別弱々しく見えることはなかった。
「えっと、まずは……」
ディージェイは右手人差し指を軽く顎に当て、雲の一つを注視する。赤毛の少年キャラは、ディージェイの背後にぴったりと寄り添ったまま、一言も発しない。
「えー、アリシェラ・バナレットさんは?」
雲に向けられていた視線がジルコン将軍の額に戻る。
この状況の源や質問の意図を探るべく、ジルコン将軍はディージェイの黒い瞳を見詰め返す。が、それは、先程の怒気を放つ鋭い眼光ではなく、子供の好奇心にも似たものであった。
黒い、しかし透き通ったディージェイの瞳。
深く深く、澄み切った泉の如き、一点の曇りも無い瞳。そこには、当初彼が向けた怒気や敵意の対象は一切なく、それどころか、何一つ無かった。無機質なそれはまるで……。
「ふぁーい」
背後からの寝ぼけ声でジルコン将軍は再び我に返る。彼は完全にディージェイの瞳に魅了されていた自分に気付き、慌てふためく。
ジルコン将軍の脇から現れた、毛布をまとった寝起きの少女、アリシェラ・バナレットの両瞼は、辛うじて開いているといった状態だった。
もっと正確に言うと、彼女は、まだ寝ていた。
「アリシェラさん?」
「ふぁい」
欠伸のようなアリスの返答に、ディージェイは満面の笑みを浮かべた。満足、そんな風な笑顔を。
「いちおう……」
そういいつつディージェイが腰から抜き放ったのは、黒光りする大型の輪胴拳銃だった。
その脈絡の無さにジルコン将軍を含む一同は何の反応も出来ず、ただ光景を眺めているだけである。
ディージェイは笑顔のまま、取り出した弾薬を一つだけ装填し、輪胴を勢い良く弾く。
からからと乾いた音がして、止まる。撃鉄を起こす重々しい音が一同の耳に届いた時、輪胴拳銃の銃口はアリスの額に向けられていた。
ジルコン将軍の掠れた悲鳴より早く、ディージェイは笑顔のまま引き金を引いた。
……荒れ地を漂う風鳴り、あたりは静寂のままだった。
「本物ね。ま、確かめなくっても解ってたけどさ」
「……っくしゅん!」
アリスのくしゃみと同時に、とうとうジルコン将軍は腰を抜かして、その場に座り込んでしまった。
「ここは冷えるわ。良かったら中で続きを、どう?」
ディージェイは屈んで視線をジルコン将軍に合わせる。彼はこくこくと頷き、仲間に手で合図をする、それが精一杯だった。
「夏とはいえ、やっぱ北は寒いわね、キャラ?」
キャラもまた、こくこくと頷くのみ。そして、夢見心地のアリスもまた、こくこくと頭を揺らしていたが、こちらはどうやら違う意味らしい。
ぎゅう詰め状態の作戦会議室はしかし、静寂に包まれていた。
議長席にはいつもの如くウィル・ジルコン将軍がつく。長い木卓の上座には将校が並ぶのが常なのだが、今、そこには、血気盛んな機師マリヴァー・ルキアノスと、未だ夢の中の真機師アリシェラ・バナレット。そして正体不明の来訪者、ディージェイとキャラウェイ・シュナイドルが座していた。
技師、歩哨を含む〈ファー・レイリー〉北部基地の全員がその会議室に居並び、にもかかわらず、誰一人として声を発することなく、上座を、来訪者を凝視していた。
「お茶をもらえるとありがたいんだけど。何せ長旅でさ」
静寂を崩したのは、全員の予想通り、ディージェイだった。
どうにか冷静さを取り戻したジルコン将軍はゆっくりと頷き、左手を軽く挙げる。数秒もせぬうちに上品な香りを漂わす紅茶が木卓にずらりと並んだ。炒れたてらしく、湯気が立ち上っている。
と、これまで無言だった赤毛の少年、キャラがくすりと笑みをこぼし、何やらディージェイに耳打ちする。
「ほら、どうする?」
ちらりとキャラを見て、ディージェイは苦笑いを浮かべた。
「……待つわよ、ひたすらに。あたし好みになるまでね」
二人してくすくすと笑い合う。取り残された面々は仕方なく紅茶を飲んだり咳払いをしたり、ともかく待つしかなく、しかし好奇心は今にも爆発寸前といったところだった。
キャラが紅茶を一口啜り、盃を置く。彼の、ふぅ、という吐息を合図に、ディージェイが、彼女の言う用件とやらを語り始めた。
「〈グリス・グロス〉の――」
一同に緊張が走る。但し、アリスを除いて。彼女はマリヴァーの肩に頭をもたげ、小さな寝息をたてていた。
「――『惑星浄化計画』。大したものだわ。そんな間抜けなことを考えること自体もさる事ながら、それをやってのけるだけの装備なり準備なりを既に整えている、そこが凄い。あっぱれ、ってな感じかしら?」
ディージェイの視線は向かいの窓の外、彼女か、赤毛の少年、キャラのものらしいオブジェに向けられている。
「そして、それを阻止しようとする〈ファー・レイリー〉、あんた達も大したもんだわね。装備も準備もなしにそれをしようとするんだから」
黒い瞳がジルコン将軍を捉える。鋭い視線に彼は無言で頷く。
「とはいえ、その意気込み、いや、決断かしら? それは敬意に値する。あたしとしてはね。だから、ちっとだけお手伝いをしようと、そう思ったのよ」
「つまり? 貴方も我々と共に――」
いいかけたジルコン将軍をディージェイが制す。
「〈グリス・グロス〉の機師とオブジェ。あいつらはそう呼んでるみたいだけど、あんなものは機師でもオブジェでもない。単なる肉と鉄屑。ついでにいうと、〈ファー・レイリー〉の方も同じくね。但し、一人と一体を除いて……」
と、手が挙がった。腕を組んで朗々と語るディージェイの真向かいに座る、マリヴァーだ。
「い、意味が解らない、んだが?」
その声は踏み潰された蛙の断末魔のようにひしゃげていた。肩に乗せたアリスを気にかけつつ、右脇腹をさする。
「大丈夫? あんた、真っ青よ?」
「……だ、大丈夫、だと思いたい」
ほう、と軽く頷くディージェイ。了解、ではなく、ああそうなの、そんな風だった。
「じゃ、質問は後回しにしてくれる? とりあえずこちらの話を聞いといて。えっと……そう、オブジェ。あんた達がオブジェと呼んでるものは、実の所オブジェじゃあない。しいていうなら、オブジェみたいなもの、ってところかしら。ま、それでも、〈グリス・グロス〉の方もそうだから、問題無い、といいたいところだけど、そうじゃないから面倒なのよね」
一息つき、ちらりと紅茶を見、ちぇっ、と小さく舌打ちし、キャラがまた意味ありげな含み笑いをする。
「〈グリス・グロス〉の手に、機師とオブジェが渡っちゃったのよね……」
「黄色い奴か!」
マリヴァーが勢い良く立ち上がり、しかし慌てて座り直す。
椅子に激突寸前だったアリスをそっと抱え、脇腹をさする。と、ディージェイの顔色が微妙に変わった。黒い瞳がマリヴァーを貫く。
「……あんた、名前は?」
「お、俺? ああ、俺はマリヴァー、マリヴァー・ルキアノス。機師……みたいなものってのか? 挨拶が遅れたが、よろしくな」
「マリヴァー・ルキアノス? ルキアノス……。歴史は繰り返す、なるほど、そういうことか」
険しかったディージェイの表情が再び温和に戻る。
「いちおう教えておくと、〈グリス・グロス〉のその黄色いオブジェ、名前は〈ハイナイン〉。機師はアルブレド・クラインゲルトって男。根は良い奴なんだけどね……。でもって、現時点の〈ファー・レイリー〉が千個向かったとしても〈ハイナイン〉に傷一つ付けられないのは、連邦軍を見れば明白」
一同から溜め息が出る。ディージェイに言われるまでもなく、彼らはそれを充分に知り、実感しているのだ。
「おまけに、噂の〈ワンデルク〉って奴。あれもなかなかどうして、大した物。同じく〈ファー・レイリー〉じゃ太刀打ちできない、断言するわ」
溜め息が鳴咽に変わりそうな、そんな雰囲気だ。ディージェイはあたりを見回し、ふむ、と頷く。
「これが現状。間違い無いわね? ジルコンさん?」
「……確かに」
うなだれたジルコン将軍がか細く返す。作戦会議室に充満する落胆の中を、アリスの小さな寝息が漂う。
「で、ジルコンさん。確認しておきたいんだけど、あんた達〈ファー・レイリー〉は、〈グリス・グロス〉と奴等の『惑星浄化計画』を木っ端微塵にするつもりなのよね?」
ジルコン将軍の表情は険しかった。それは怒り、憤り、悲しみがないまぜになった、複雑な険しさである。
「確かに。じゃが――」
口元に人差し指が向けられ、又もジルコン将軍の言葉はディージェイに制された。
「了解。じゃ……木っ端微塵にしなさい。勝てるように、戦いなさい」
ジルコン将軍は呆気に取られ、口をだらしなく開く。一同もまたしかり。
が、マリヴァーとアリスだけは違っていた。マリヴァーは脇腹と顎の痛みを堪えつつも、その表情を鋭くし、アリスは……相変わらず寝ていた。
「その手助けに、あたしとキャラは参上したのよ。ね、キャラ?」
「……え? 僕?」
キャラもまた、ジルコン将軍と同じくだったが、ディージェイは構わず続ける。
「一騎当千を地で行くオブジェ〈ハイナイン〉と同等に戦えるオブジェは古今東西、有史以来、ただの一つ、それは?」
その問いが自分に向けられたことを疑問に思うより先に、マリヴァーは返した。
「……〈シュバルツローゼ〉? だがよ、なかったぜ? どこにも」
「今はね」
ディージェイの笑みが親愛のそれから、不敵の笑みに変わる。マリヴァーの視線に鋭さが加わり、ディージェイを凝視する。
「麗しの黒薔薇姫〈シュバルツローゼ〉はね、ちっと変わったオブジェなの。どういうのか……そう、器用なのよ。昔々、訳あってその器用さを発揮して、お陰であんた達には見えなくなっちゃったの」
言いつつディージェイは、両手を肩の高さに挙げ、人差し指をぴんと立て、その両指をぴたりとくっつけた。
「これが〈シュバルツローゼ〉。器用な彼女は……」
揃えていた指をぱっと離し、
「その昔、二つのオブジェへと姿を変えた。一つは……」
左指を見詰め、
「〈疾風{はやて}のローゼーン〉。その機動性能はガイアナ史上最速。恐らく今後も」
「……〈ローゼーン〉! それって、アリスの……」
マリヴァーは言いかけ、しかし絶句する。肩にアリスの吐息を感じる。会議室にどよめきが走り、ジルコン将軍などは今にも失神寸前といったところだった。
「もう一つは……」
周囲のことなどお構い無しにディージェイは右指を見詰め、続ける。
「〈雷鳴{らいめい}のナッシュバル〉。戦闘能力は向かうところ敵無し、同じく今後もね。さて……」
全員の――アリスを除く――視線がディージェイの両指に注がれる。離れていた右と左の人差し指がゆっくりと近付き、再びぴたりと揃い、それと同時にマリヴァーが叫んだ。
「〈シュバルツローゼ〉か!」
どよめきが一瞬にして歓声に変わった。
「そうか! その〈ナッシュバル〉とかってオブジェを探し出せば! よし!」
固く結んだ拳をわなわなと震わすマリヴァーに、ディージェイが意味ありげな笑みを投げかける。
「良い天気ね。おや? あれは?」
ディージェイは彼女の正面、マリヴァーの背後にある小さな窓を見て、呟く。
言われてマリヴァーは背後を振り返り、埃でくすんだ窓を見て……息を止めた。物凄い勢いでディージェイを振り返り、再び窓を見、それを数度繰り返す。
「ねえ、キャラ。あれ、オブジェよね? なんて名前だっけ?」
ディージェイはマリヴァーのそんな様子を面白がるように見つつ、傍らのキャラに言った。キャラは、これまでの会話が自分には無関係だと確信していたのか、冷静かつ淡々と答える。
「名前? 〈ナッシュバル〉だろ? そう言ったのはディージェイじゃあないか」
キャラの何気ない一言で歓声が爆発し、作戦会議室は一転お祭り騒ぎとなった。悲鳴やら叫びやら。
大した騒ぎにもかかわらず相変わらず夢見心地のアリスを見て、ディージェイは、やれやれといった顔をし、漸く彼女好みになった紅茶を呷った。
キャラがなんといおうと、彼女にはこれくらいが一番美味しいのだ。
ジルコン将軍の表情は複雑だった。
興奮、恍惚、充実、そういったものが入れ替わり立ち替わり現れる。彼のくすんだ瞳は、神話にある、闘いと勝利と平穏の神〈三神〉や、伝説上の勇者〈豹機カミオン〉の慈悲に向けられていた。
どちらも古ぼけた図書館にある、子供向けの絵本の中でのお話だ。奇蹟か夢か、そんな思いのジルコン将軍に、紅茶を堪能したディージェイが声をかける。
「……ねぇ、続き、いいかしら?」
ジルコン将軍は我には返らず、安堵のまま頷き、面々を静める。ディージェイは周囲をくるりと見回し、変わらぬ声色でいう。
「〈ナッシュバル〉は置いていくわ。そもそもがアリスのものだからね。ってことで〈ハイナイン〉、〈シュバルツローゼ〉の件は彼女に任せておけば問題無し。でも、問題はまだ残っている、でしょ?」
「〈ワンデルク〉か」
もはやこの場でまともに会話が出来るのはマリヴァーだけである。それを承知してか、ディージェイは彼に言葉を向けている。
「〈グリス・グロス〉全部を〈シュバルツローゼ〉で片付ける、ってのも出来なくはないんだけど、今のアリスにはちっと重いわ。多分、いや、間違いなく〈ハイナイン〉とアルを相手にするので精一杯でしょうね。相手がどう出るかは解らないけど、〈ハイナイン〉と〈ワンデルク〉の両方は、アリスには難しい。だからアリスは〈ハイナイン〉に専念させるべきで、〈ワンデルク〉には別をぶつける必要がある」
収まったお祭りが漸く作戦会議らしくなってきた。程々の緊張感。但しアリスと、今度はジルコン将軍をも除いてだが。
「現状の〈ファー・レイリー〉の戦力で、〈ワンデルク〉はどうにか出来るのか?」
「不可能。無理、無茶、無謀。断言するわ」
ディージェイの即答にマリヴァーは頷く。やはりそうか、と。
「〈シュバルツローゼ〉で〈ハイナイン〉を叩いて、アリスが戦線復帰するまで俺達で〈ワンデルク〉を足止めする、ってのは?」
「同じく不可能。マリヴァー、だっけ? 〈ワンデルク〉について、どれだけ知ってる?」
言葉を交わす毎に変化して行くマリヴァーの顔色。が、それに気付くものはディージェイただ一人であり、マリヴァー自身でさえも自覚していないようだ。その変化にディージェイが大した満足感を得ていることにも。
「〈ワンデルク〉……。〈グリス・グロス〉の最終兵器。そう呼ぶってことは黄色い奴、〈ハイナイン〉と同格か、それ以上、か? 楔を打ち込む張本人で、確か、機師不要のオブジェだとか。今の所、その程度だ」
合格、といわんばかりにディージェイは微笑んだ。
「〈ファー・レイリー〉の情報網も、なかなか大した物ね。機師不要のオブジェ、ってのがどういう意味かと言うと、ある点では〈ハイナイン〉、そして〈シュバルツローゼ〉をも凌ぐってことよ。〈ワンデルク〉も、まぁ、オブジェと呼べなくはないわ。ねぇ、マリヴァー、オブジェって……何?」
その問いにマリヴァーは軽く俯き、下唇を摘まみ暫く思案する。
「……兵器?」
「お見事! そう、オブジェは兵器。破壊そのもの。でもって機師ってのはそれを操るものなんだけど、それのない、不要なオブジェ〈ワンデルク〉」
「成る程。……つまり、容赦ない?」
「〈ワンデルク〉は、存在する限り破壊し続ける、延々と。誕生の経緯はどうあれ、そういう意味では、あれは確かにオブジェね。だからこそ、ちと厄介。あれはね、人がどうこう出来るものじゃあない。ってことで……」
ぽん、と肩を叩かれ、アリスを見ているうちに同じく夢見心地だったキャラは、小さな悲鳴を上げた。
ぶるぶると頭を振り、自分を凝視するディージェイの黒い瞳を、訳も解らず見詰める。彼女が奇麗に並んだ白い歯を見せるが、やはり意味が解らない。
「キャラ、あんたの出番よ」
「え?」
「は?」
キャラとマリヴァーが同時に声をあげる。
「ここに――」
ディージェイは手書きの、数列が並んだ紙切れをマリヴァーに渡す。
「――彼を運んで。それで〈ワンデルク〉の方は解決」
手渡された紙切れを注意深く見るマリヴァー。キャラの話らしいが、キャラには全く伝わっていない。
「これ……座標か? それにしても、この位置は戦闘宙域でもないし、そもそも何もない筈だが……」
「ええ、何もないわよ。それはね、待ち合わせ場所なの」
深呼吸を一つ、マリヴァーは真剣な眼差しで問う。
「誰との? ……教えてもらえると、幾らか安心出来そうなんだがな」
と、ディージェイは両拳を胸の前で握る。何故かとても楽しそうだ。
「機師マリヴァー、教えてあげるわよ、あんたになら。相手の名はルジチカ・シュナイドルと……」
「と?」
「〈ワンデルク〉を木っ端微塵にしてくれる、優しくも残虐な泣き妖精=Aオブジェ〈エコー〉。どお?」
左掌に右拳を打ち付け、マリヴァーは一つ頷く。眼差しは鋭く、しかし口元だけは微笑んでいる。先のディージェイに似た、不敵の笑みである。
「安心したよ。ところで、機師って?」
「〈シュバルツローゼ〉はアリスのものだけど、今の彼女のオブジェは〈ローゼーン〉。ってことで、オブジェ〈ナッシュバル〉は――」
ひょいと軽くマリヴァーを指差す。
「――あんた、機師マリヴァー・ルキアノスに、託すことにする」
「……俺で、いいのか?」
口調には戸惑いが混じっていたが、マリヴァーのまとう覇気は変わらない。ディージェイは笑みを崩し、黒い眼差しをマリヴァーに向け、しかしそれを真っ向から受け止める彼に、小さく頷いて見せた。
「あんた以外じゃ無理よ、機師じゃなきゃあね」
紅茶の最後の一口を啜り、盃を置くと、ディージェイの表情は笑みに戻っていた。音もなく椅子を引き、立ち上がり、両手を大きく広げ、派手に打ち鳴らした。
「さ、これでお終い。紅茶、御馳走様。キャラ、がんばってね」
目で礼を返すマリヴァー。
キャラは呆気に取られ、ジルコン将軍は面々共々上の空。
一同をよそに革靴を打ち鳴らし作戦会議室の扉をくぐりかけたディージェイだったが、歩を止め、マリヴァーを振り返った。
「ああ、もう一つ忘れてた。アリスに伝言を」
肩にあったアリスをそっと椅子に寝かせ、マリヴァーも立ち上がる。
「伝言?」
「『仕えなさい』、と」
一拍置き、むにゃむにゃと何事かを呟くアリスを横目に、マリヴァーは、了解、と頷く。
〈ファー・レイリー〉北部基地、作戦会議室。
目をぱちくりさせるジルコン将軍、会話に全くついて行けなかった面々。気が付けば置いてきぼりのキャラウェイ。
その時の〈ファー・レイリー〉の戦力は、機師マリヴァー・ルキアノスと、とうとう熟睡に入り、羊肉のシチューを堪能している真機師アリシェラ・バナレット、ただ二人であった。勿論、その時に限ってだが。
「……ごちそうさまれした……ぐぅ」
《剣侠》
「……〈疾風のローゼーン〉に、〈雷鳴のナッシュバル〉? ふふぅん。……楽しそうじゃあないの」
乾いた空気中に微細な塵が舞う〈ファー・レイリー〉格納区画。
天井傍に穿たれた窓から薄曇りの陽光が射し、塵と、ずらりと居並ぶオブジェを浮き上がらせる。
が、その二体は、通常の整備位置とは別の、格納区画の片隅に特別に設えられた専用整備部に置かれていた。二体、〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉の足元に一人の少女。彼女は、先刻から二体の足元を、顔を綻ばせつつ、ぶつぶつと呟きつつ、一つに束ねた薄茶色の髪を振りつつ、右往左往していた。
少女の名は、リリィ・ノイロン。
連邦消滅以前、人類華やかなりし頃、民間のオブジェ整備施設に従事していた、今は幼いながらも〈ファー・レイリー〉に参戦している、数少ない技師である。
「で……黒薔薇姫〈シュバルツローゼ〉? ……っくぅー! こりゃあ、もう、やるしかないってか?」
一人芝居に熱が入る。リリィは完全に自分の世界で舞い踊っている。
先日、〈ナッシュバル〉がここに運ばれて以来、ずっとそんな調子だったので、リリィは背後に人が、それも彼女の上官級にあたる技師、老齢のガボット・リャザーノフが迫っていることになど、全く気付きはしなかった。
「天才技師、リリィちゃんの手にかかれば……」
くるりと身を翻し、リリィは絶句する。
額に汗が浮かび、瞳孔の開いた目に、髭もじゃの鬼、ガボット・リャザーノフの恐るべき形相が映り込む。丸太のような腕が上がり、その先にある岩の如き拳骨が、リリィの脳天を直撃、格納区画に低く鈍い打撃音がこだまする。
「リリィ! 何度も言わせるな! お前には、緊張感が足りんのじゃ!」
掠れた濁声がリリィの鼓膜をびりびりと震わせる。撫でているつもりのガボットの拳骨はしかし、リリィの意識を分断したらしく、その六十二年の含蓄を持つ一喝は、彼女には届いてはいなかった。
こうして、技師リリィ・ノイロンは十五年の人生に幕を閉じ……は、しなかったが、それから数日間、彼女は生涯で最高の仕事を手掛けることになるのであった。
それも、技師として最大級のものを……。
リリィが格納区画で昇天している頃、ジルコン将軍の質素な個室では、〈ファー・レイリー〉幹部による作戦会議が開かれていた。幹部の顔ぶれは、そのまま〈ファー・レイリー〉北部基地の主力と同義でもある。
指揮官にして機師のウィル・ジルコン。〈殄滅師アリス〉の二つ名を持つ真機師、アリシェラ・バナレット。
今やアリスにも及ぶ覇気をまとう若き機師、マリヴァー・ルキアノス。
そして、〈ファー・レイリー〉創設以来、ジルコン将軍と活動を共にしてきた二人の辣腕機師、カナデ・ヤシロとサイゾウ・ミブ。
ヤシロとミブは同郷、大陸南部出身者であり、また、恋仲との噂もちらほらと。
「――つまり、〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉はともかく、〈シュバルツローゼ〉は余りに未知数で、とても戦術には組み込めん。彼女、ディージェイさんの言っていたことが、全て事実だとしても、だ。同じ理由で、キャラウェイ君も戦力とは見なせないと考えるが、どうかね? アリスさん、マリヴァー」
ジルコン将軍の声色は厳しさと戸惑いを醸している。アリスはジルコン将軍を見詰めてはいたが、その瞳に彼は映っていないのか、何処かを凝視し、無言だった。アリスから返答がないのでジルコン将軍は、彼女の横に座るマリヴァーに視線を移す。
「〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉は他とは別格扱い出来る筈です。技師の意見を待ちますが、まず間違い無く戦力の要でしょう。〈シュバルツローゼ〉とキャラウェイに関しては将軍と同じく、祈るのみ、ってのが妥当かと。現時点での〈ファー・レイリー〉北部基地は、現用各機と、先の二機のみでの戦術立案でしょう」
「私も彼と同じ意見です」
鋭い、しかし良く通る低い声でカナデ・ヤシロが継ぎ、続ける。
「つまり、〈ハイナイン〉と〈ワンデルク〉に限っては、出たとこ勝負。こんなものが戦術と呼べるかどうかは疑問ですがね。本当に、祈るのみ、ね」
「ならば――」
ミブが立ち上がり、一同を見渡す。
「――北部基地の戦力は三つ。編制は、ジルコン将軍指揮の部隊と……」
アリスとヤシロを振り向く。
「アリシェラを先発としたヤシロ部隊。それと、マリヴァーが先発の私の部隊。但し、〈ローゼーン〉及び〈ナッシュバル〉の状況により、ジルコン将軍、ヤシロ、私の三編制ということも」
「……ふむ。そうじゃな。マリヴァー、〈ナッシュバル〉は?」
身じろぎ一つしないアリスを横目に気にしつつ、マリヴァーは答える。
「これからです。……ところで将軍、〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉に、技師を一人、専属させてもらえませんか?」
途端に一同が顔をしかめる。
何もかもに人手が足りない〈ファー・レイリー〉において、最も不足しているのが技師なのだ。彼等は昼夜を問わない激務に追われ、にもかかわらず作業は一向に追いつかないでいる。
そんな状況で、別格とはいえ、たった二体のオブジェに技師を一人、専属で付けたいというマリヴァーの提案は、余りに無茶だった。
「マリヴァー! それって余りに――」
食って掛かるヤシロを制したのは、意外にも、ジルコン将軍だった。表情はヤシロと同じく険しかったが、彼は言った。
「一人で、いいんじゃな?」
ヤシロが、今度はジルコン将軍に食って掛かろうとし、しかしそれをサイゾウ・ミブが力ずくで押え込み、マリヴァーに軽く頷いてみせる。滅多に見せない笑みさえ込めて。
ミブはヤシロの胸座を椅子に押し付け、口を大きな掌で完全に覆っている。ミブの計らいに笑いを堪えつつ、マリヴァーはジルコン将軍に向く。
「……はい。誰でも、って訳にはいきませんが、一人で充分だと思います。選定は皆の了承を得た上で、そう……明日にでも。ヤシロ、駄目か?」
ミブの豪腕から解放されたヤシロは、細く端整な顔を奇妙に歪め、ぷいと顔をそらす。艶やかな黒髪がふわりと舞い、薄い香水の匂いが部屋を漂う。
「……いいわよ、勿論。でもね、ガボットを、なんて言ったら、その場で蹴り倒してやるからね!」
冗談か本気か、あるいはその両方か、ともかくマリヴァーは笑みで返し、場は和んだ。
その後、暫くして作戦会議は終了したのだが、マリヴァー以外は、ジルコン将軍もヤシロもミブも、自らのことで手一杯らしく、結局アリスが一言も発しなかったことに気付かず、また、気に留めさえしなかった。
月の落ちた真夜中。
基地裏手の凍える荒野でキャラは、満天の星空と、手にした紙切れを交互に見詰めていた。眩い星々は彼の視界を埋め尽くし、今にも零れそうなほどに瞬いている。
キャラは思う。もう暫く後に、自分はあそこに行く、らしい、と。
焦ったり恐れたりするほどにキャラの心情は整ってはおらず、ディージェイにここに連れられて以来、彼はずっと呆けたままなのだった。
紙切れの数列が示す場所がどの辺りか、それさえも解らない。ただ、そこが星空であるということ以外、何も。
脅えるほどの余裕があれば、今頃は一人、逃げ出していたかもしれないが、そんな気力さえなかった。
ただひたすらに星空を眺めるキャラ、その空っぽの心に突然、それは響いた。
「頑固じじぃー!」
飛び跳ね、ひっくり返りそうになりながら、キャラは辺りを見回す。鼓動が加速し、星にも負けないほど目を瞬かせる。左手にある廃材置き場の脇に、音源らしい人影を見付けた。と、またも大音響。
「こんちくしょー!」
キャラは、駆け出している自分を不思議に思ったが、程無くその人影、小柄なキャラよりももっと小さな女の子の眼前に身を乗り出していた。
「あの――」
「ふっざけんなぁあー!」
言いかけたキャラは、その、ふざけた叫びに殴り付けられ卒倒、物凄い勢いで仰向けに倒れる。大きく見開いた瞳に満天の星空が映り込み、キャラは久方ぶりの感情、驚きを、思う存分味わった。出来事よりもその感情にキャラは翻弄されていた。
星空の一部が遮られ、女の子のそばかす顔が現れ、一転、囀るような声が届く。
「……貴方、どなた? で、何やってんの?」
「……キャ、キャラウェイ・シュナイドル……です。えっと……驚いて、ます……」
小さな手が差し伸べられ、キャラは置きあがり、大きな溜め息を吐いた。鼓動は未だ収まらない。
「キャラウェイ? ……〈エコー〉の……キャラ君?」
少しだけ見上げる様にして問う女の子の顔は、好奇心に満たされていた。大きな薄茶の瞳を時折ぱちくりさせ、キャラの返答を、がっしりと組んだ両拳と共に待っている。
鼓動と驚きを必死で押さえ、キャラは喘ぐように返す。
「え? あ……はい、キャラウェイです……。〈エコー〉の……」
途端、女の子はその場で飛び上がり、きゃーきゃーと騒ぎ出し、果てにはキャラに抱き着き、一気に捲し立てた。
「私、私はね! 技師、リリィ・ノイロン! 天才技師リリィちゃん、って呼んでね。キャラ君? 凄い凄い凄ーい! グリグロのお間抜け〈ワンデルク〉を退治する、あの〈エコー〉のキャラ君? きゃー! すっげー! ねねね、〈エコー〉ってどんな? どんなオブジェなの? 〈エコー〉ってノーザス地方の泣き妖精≠フことよね? 羽根あるの? 飛ぶの? 緑色? ぴかぴか光る? ひょっとして物凄ーく、ちっちゃいのかしら? ででで、どうやって〈ワンデルク〉退治するの? やっぱ歌声かしら? らららーって澄み切った正義の歌声は、悪しきものを滅ぼす! 凄い! かっこいい! いつ? 明日? もう来てるのかしら? ねねね、キャラ君、〈エコー〉見せて見せて見せてー! 私も見たいし、いじりたいし、出し惜しみは無し無し無ぁーし!」
リリィの連続射撃は、キャラの感じた貴重な驚きを完全に吹き飛し、ついでに疲れやら呆けやらも遥か彼方へと追いやってしまった。ぎゅうぎゅうと体を締め上げるリリィに、キャラは全身の力を振り絞り、一言だけ、断末魔の如く発した。
「……リリィ、ちゃん? 君、……猫舌?」
満天の星空の元、運命に……いや、他人に振り回されっぱなしのキャラは、自分が何処で何をしているのか、何をするのかについて、そろそろ真剣に考えねばと、決意するのであった。
同刻、休憩室の一つ。
鏡台に向かって髪をとくアリスは、そこに映る虚ろな表情を、銀髪の小さな顔の機師を、鏡像と同じく虚ろに眺めていた。
照明に照らされた銀髪は、その下にある生気の枯れた瞳とは対照的に、美しく輝いていた。鏡台の横、小さな窓がかたかたと音を立てる。
基地周辺、荒野を渡る砂埃は彼女の心情と同じく、強くも、乾ききっているようだ。
死人の叫び、或いは、自分を呼ぶ声か。彼女を親い、散っていった仲間達の……。風鳴りとは別の音が、そんなアリスに割って入る。背後の扉が数回、小さく叩かれ、「マリヴァーだ」と声がした。
「どうぞ」
とアリスは答えたが、それは彼女の声帯が震えたに過ぎず、意識は未だ鏡台に映る虚像と、今は無き仲間達の元にあった。扉を静かにくぐるマリヴァーが、鏡の中のアリスの横に現れる。
肌の透けた薄手の夜着姿のアリスにマリヴァーは一瞬躊躇し、しかし扉を閉じ、彼女の休憩個室に入った。
目のやり場に困りつつ、手探りで椅子を寄せ、左手の壁を向いて座る。視界の片隅に、辛うじて銀髪が映っている。さらさらという音、アリスは髪をといている。
「……悪いな、こんな夜中に」
「ん? いいわよ、別に」
薄汚れた壁へのマリヴァーの呼び掛け、鏡に反射するアリスの返答、小さな窓の軋みにかき消されそうな、そんな声だ。
「なぁ、アリス。……大丈夫か?」
「ええ。万事順調、問題なし。楽勝とはいかないでしょうけど、でも、勝てるわよ」
鏡に映るマリヴァーに笑顔を見せ、小さく頷く。が、マリヴァーの表情は変わらない。
「夕方の作戦会議の時……」
「ああ、ごめん。あの時はちょっと考え事をしてて、それで……」
笑顔のまま続けるアリスだったが、鏡越しでマリヴァーと目が合った瞬間、それは止んだ。
銀髪をといた櫛が落ち、それを握っていた白い腕もまた、だらりと下がる。そのまま倒れてしまいそうな様相だったが、それを鏡越しのマリヴァーの視線が繋ぎ止めている。
十秒足らずが十年にも感じる沈黙の後、アリスの声は年月の為か、変わり果てていた。
「……連邦の精鋭部隊〈ヴィクトリウス〉、隊長〈殄滅師アリス〉。〈殄滅師〉……全てを滅ぼし尽くす者。〈殄滅師アリス〉……皆を滅ぼす、アリシェラ・バナレット。仲間をも、滅ぼす……」
アリスの瞳の曇りは、鏡のそれではない。マリヴァーの肩に緊張が圧し掛かる。
「……奴は言ったわ。お前にお似合いの通り名は、〈殄滅師〉じゃあなく……〈死神〉だ――」
「俺のご先祖様に!」
唐突に、マリヴァーの明瞭な科白が割り込む。それは、部屋に充満する沈黙を全て消し去るほどの勢いを放っていた。
「ハイデスって人がいるんだそうだ。その人は凄腕の剣師で……ああ、剣師ってのは、生身で戦う軍人のことで、昔々はそういう戦争のやり方だったんだとよ。で、そのご先祖様、ハイデスの剣技は、それはもう見事で、何でも、生身でオブジェと対等に戦ったらしい。嘘か本当かってとこだが、それでついた彼の呼び名は……」
立ち上がり朗々と語るマリヴァーに、アリスは知らず顔を向けていた。鏡にではなく、彼そのものに。
「〈剣侠{けんきょう}ハイデス〉! その鋭利な刃は、オブジェをも断ち切る! 機師もろともだ。……どうだ? 凄いだろ? ひょっとしたら俺にもその〈剣侠ハイデス〉の血が、少しくらいは残ってるかもしれないぜ? だとしたらよ、俺は〈剣侠マリヴァー〉ってか? この――」
腰に下げた短刀を勢い良く抜き放つ。護身用の、研ぎ澄まされた片刃に、アリスの顔が映り込む。
「――刃は、〈グリス・グロス〉のオブジェどもを一刀両断だ! 〈ハイナイン〉だろうと〈ワンデルク〉だろうとな。そりゃあ楽勝さ、なんたって〈剣侠マリヴァー〉様がついてるんだからな。……だろ?」
口の端を僅かに上げ、マリヴァーは短刀を仕舞う、その刃にも勝る眼光を、アリスに向けたまま。
短刀と柄の合う音を合図に、硝子玉のようだったアリスの瞳に、数日来姿を隠していた感情が徐々に現れ、遂にそれは涙となって零れ落ちた。
一筋の、透明な嘆き。溢れる涙を拭おうともせず、アリスは再来した感情のまま、夜闇を恐れる子供の如く、叫ぶ。
「死ぬことなんて恐くはないのよ! 全然! でも……」
歯を食いしばり、マリヴァーに歩み寄る。頬は涙でびしょ濡れだった。
「でも、みんなが死ぬのは……嫌なの! 〈ヴィクトリウス〉は仲間だったけど、友達も大勢いたの。みんなの悲鳴が耳に染み付いて、頭に響くのよ! 苦しい! 熱い! 助けてくれ! 死にたくない! って。どうして? どうして私だけ、私だけが、ここにいるのよ! どうして死なないのよ! 〈死神〉だから? 奴の言うように。そんなのって……あんまりよ……」
固く結んだ拳がマリヴァーの胸板に何度も何度も打ち付けられる。が、力はなかった。
アリスのいう奴≠ェ、〈ハイナイン〉の機師、アルブレド・クラインゲルトであることは明白だった。マリヴァーの、オブジェをも両断する研ぎ澄まされた眼光は、その、奴に向け、ぎらついている。胸元で縮こまるアリスの背中を、マリヴァーは優しく抱いた。
「〈剣侠マリヴァー〉は二刀流で、敵は勿論、〈死神〉の鎌なんてのも、ぶった斬るのさ。だから……」
アリスがゆっくりと顔を上げ、マリヴァーはそれを静かに見下ろす。歳相応の幼さのアリスと、それを遥かに上回るマリヴァーの態度は、両極にあった。
「……何も心配するな」
マリヴァーの言葉がアリスに徐々に染み込む。暫くして彼女は小さく頷き、再び彼の胸元に顔を埋めた。
十年の如き沈黙。十秒足らずの、しかし、充分な沈黙。砂塵が窓を打ち、かたかたと音を立てる。
「……マリヴァー、あんた、変わったね」
「ん? ああ、ヤシロに髪を刈ってもらったんだ。彼女、床屋の娘なんだとよ。どうだ? 似合うか?」
「じゃなくって……似合ってるわよ、まあまあ、ね」
明朝、まだ太陽が地平の下にある頃、いつもより随分と早く目覚めたカナデ・ヤシロは、基地内をぶらりぶらりと散歩していた。
霞む思考で編制を練り直しつつ、同時に、終戦後の生活について思いを馳せていた。
場所は大陸南部、心地良い春風が漂う片田舎。鋏{はさみ}を片手の彼女の横には、今は戦友である亭主が、暖かい日差しの下、澄ました顔で佇んでいる。
普段は鋭い顔つきのヤシロ、が、その時に限っては柔和だった。寝起きの為でもあるが、それでもまるで、恋する乙女の如くであった。
鉄板を張り付けた廊下をとことこと歩く床屋のカナデ。基地を横断する長く薄暗い廊下。その壁の一つでゆっくりと開く扉から現れたのは、マリヴァー・ルキアノスだった。
途端に床屋のカナデは、機師カナデ・ヤシロに戻り、歩を止めた。開くとき以上の慎重さで扉が閉じ、一拍置いて、マリヴァーとヤシロはお互いを見詰め合う。それは文字通り、絶句であった。
ヤシロは半ば仰け反り、マリヴァーは逆に背を丸め、足音を殺して素早く歩み寄る。マリヴァーの上目遣いは、苦笑いと共にヤシロに向けられ、それを彼女は呆れた顔で見下ろす。
「……マリヴァー。どうして貴方が、そこ……アリスの個室から出てくるのかしら? それも、こんな時間に。それとも実は、貴方はアリスで、私がまだ目醒めていないだけかしら?」
ヤシロの声色にからかいを読み取ったマリヴァーは、ここぞとばかりに切り返す。勝負は常に、一瞬の判断に委ねられているのだ。
「多分……寝ぼけてるんじゃあないか? ヤシロはきっと、未来の旦那様と、夢の中で仲良くやってるよ。……だろ?」
お互い、姿勢はそのままだが、形勢は一転、五分五分となった。
「これから決戦って時に――」
「なんなら確かめてみようか? ……ミブにでも」
遮られたヤシロは悟った、今回は引き分けだと。ふん、と鼻を鳴らし、ヤシロは表情を和らげ、首を傾げる。
「あら嫌だ。私ったら寝ぼけているみたい。マリヴァーがいた気がしたけど、本当に妙な夢ね」
マリヴァーの肩をぽんと叩き、ヤシロは再び薄暗い廊下を歩き始め、大袈裟に欠伸などをしてみせる。
「また後でな、床屋さん」
そう言うとマリヴァーは、ヤシロとは逆方向、自室へと忍び足を開始した。
〈ファー・レイリー〉北部基地。
地平が白く輝き始め、無人の荒野と風鳴りを徐々に照らし出て行く。雲一つない青空には、薄い月が一つ、〈ファー・レイリー〉を待ち受けるように、佇んでいた……。
《機師》
昨日の、マリヴァーによる「専属技師案」を検討すべく、ジルコン将軍を筆頭に、ヤシロ、ミブ、アリス、そしてマリヴァーは〈ファー・レイリー〉格納区画へと入り、その怒鳴りあいに遭遇した。
二体のオブジェ、〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉の足元で、二人の技師が激を、いや、罵詈雑言を飛ばしあっている。
火の粉を避けるように距離を置いて取り巻く面々。機師、技師、その他、恐らく全ての仲間達がその二人、ガボット・リャザーノフとリリィ・ノイロンの鍔迫り合いを、固唾を飲んで見守っていた。単なるもめごととは明らかに違う雰囲気だ。
手近にキャラウェイを見付けたマリヴァーが、彼の背を叩く。
「キャラ、あれは何だ? どうしたんだ?」
身長差の為、上目遣いのキャラは、困り果てた顔で訴える。
「リリィちゃんが、その……」
「お前! 機師を殺すつもりか!」
歯切れの悪いキャラの言葉を突き破る勢い。格納区画に怒声が響き、マリヴァーとキャラは思わず耳を塞ぐ。技師ガボットの、ジルコン将軍にも匹敵する咆哮だった。
「グリグロにやられるオブジェなんか、戦場に送り出せるもんかぁー! 頑固じじぃ! そっちこそ、機師を殺すつもりかぁー!」
今度は可愛らしい、しかし迫力と音量だけはガボットに匹敵する叫び。技師リリィである。
「お前だって知ってるだろうが! 静電差エンジンからの反動は機師の精神に負荷を与え――」
「本当の機師は! 並の人とは全然違うー! ガボットじじぃ! 勉強不足だぞー! 反動じゃなくって、それはオブジェからの反応だぁー!」
ジルコン将軍を含む一同が目をむいた。あのガボットを、小さな、そばかすリリィが一喝したのだから当然だろう。しかも、リリィのそれには、一同を納得させるだけの覇気なり熱気なりが感じられた。
「年寄りの癖に歴史を知らなすぎるぞー! 昔の、本当の機師は、本当のオブジェを動かすんだー!」
「昔は昔じゃ! 今は――」
「同じだー! 反動遮断回路なんてのは! 邪魔邪魔邪魔ぁー! そんなもん、くっつけてるから、グリグロにやられるんだ! 機師とオブジェの本当の力を邪魔してるそんなもん、外せー! 断固として外せー! 殺す気かー! 拳骨なんか恐くないぞ! やっぱり恐いけど、こんちくしょー! とりゃあー!」
音量こそ同等だったが、ジルコン将軍も一目を置く老齢技師ガボット・リャザーノフは、そばかすリリィに完全に圧倒されていた。その小さな体は、怒気だかやけだかによりガボットの数倍は大きく感じられる。
マリヴァー、キャラは呆気に取られ、それは皆も同じだった。激突は睨み合いに変わり、しかし、それすら拮抗する。
押しつぶすようなガボットの威圧をリリィのつぶらな瞳は受け、押し上げてすらいる。そんな圧迫感を伴う沈黙の最中、マリヴァーの背後でアリスが小さく呟いた。
「本当の……機師?」
と、マリヴァーは背後を振り返り、それを継ぐように囁く。その表情は一転、驚きに満ちている。
「……オブジェみたいな、もの?」
「人体実験まがいなことに仲間を晒せるか! それこそ機師を殺しかねん!」
「そん時は私も死んでやるー! 機師とオブジェは命を預けあって、でもって技師と機師も命を預けあうんだー! 覚悟しろよー! うおー!」
「この! 頑固娘が――」
一際激しい怒鳴りと共に、ガボットがその岩の如き拳を振り上げた。対等、いや、優勢だったにも関わらず、リリィは思わず目を閉じる。体がそう反応してしまうのだ。
が、老齢技師の戒めの一撃は空を切り、鉄板床の上で静止した。ガボットの曇った目の前を一筋の光が、銀色の糸が過ぎる。
「わぁ、軽い! 貴方、お人形さんみたいね。お名前は?」
場違いなほどに軽やかな音色、一同はガボットの横を呆けて眺める。アリスと、彼女に両脇を抱えられ、弧を描きつつ宙を舞うリリィがそこにいた。
「リリリィーちゃんだー! 目が回るー!」
リリィを両手にくるくると踊るアリス。旋律を刻む軽やかな足音と共にふわふわと漂う銀髪が、格納区画の照明により煌びやかに輝き、見るものを魅了する。
埃だらけの格納区画にあって、そこだけはまるで舞踏会のようであった。満面の笑みのアリスと、文字通り目を回しているリリィに、観客は釘付けとなっている。
「リリィちゃん? あたしはアリシェラ。アリスって呼んでね。ははは! ほんと、かわいい!」
最後に無重力を体感したリリィは、漸く地面へと、ぴたりと揃えられたアリスの足元へと降ろされ、しかしそのまま尻餅をついた。再び銀髪をなびかせ、アリスは、その澄んだ瞳でマリヴァーとジルコン将軍を順番に見詰め、奏でるようにいった。
「この子、リリィちゃんで決定。反対は一切受け付けないわよ」
マリヴァーは「当然だ」と頷き、ヤシロとミブはジルコン将軍をうかがう、が、二人の表情は「勝手にしてくれ」といっている。ジルコン将軍は一同を見渡してから、ガボットに歩み寄った。
「……リリィ・ノイロン、だったかの? 彼女を暫く借りたいのだが、どうじゃろう?」
ジルコン将軍は濁った眼差しで言葉を補い、戦友を凝視する。ガボットは沈黙の後、それを渋々ながら承諾した。
「ふん! 煮るなり焼くなり、好きにしてくれ。……リリィ!」
未だ頭をふらふらさせるリリィに、ガボットが声をかける。相変わらず怒気を含んだそれはしかし、ジルコン将軍やヤシロなど、ガボットを良く知る面々を苦笑させた。
「勝負は後だ! 技師ってのはなぁ、口なんぞではなく、技術で、腕で競うんじゃ!」
「ののの望むところだぞー!」
リリィの決意を示す指先と視線はしかし、明後日の方向を向いており、途端、格納区画は笑いに包まれたのだった。
屋外、基地そばの荒野に移された二体のオブジェ、〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉は、整備用簡易足場に取り囲まれ、面と向かって立ち、無表情な大地に真っ黒な影を刻んでいる。
〈ローゼーン〉の操座にはアリス、〈ナッシュバル〉にはマリヴァーがそれぞれ乗り込み、開け放った天蓋から射し込む強い日差しが操座装置群を輝かせ、二人はその照り返しに目を細めていた。
天蓋下部、操座部分にあたるオブジェの胸元を横切る手摺のついた足場は、中央にある渡り歩路で二つの整備用簡易足場を、オブジェを繋いでいる。
数段になった足場の至る所に梯子や階段が設けられており、そこをがしがしと音を立て飛び回るのは、様々な工具を重装備した技師リリィ・ノイロンと、その後を追うキャラウェイ・シュナイドルだった。
「よぉし、準備完了だー! 〈ナッシュバル〉……起動ー!」
リリィの満足げな雄叫びをよそに、マリヴァーは頭部操演端末の下で呟く。
「……なあ、キャラ。お前さん、何やってんだ?」
〈ナッシュバル〉の喉部にある対外音声装置から、マリヴァーの、当然ともいえる質問が響く。
「ぼ、僕は――」
突然、マリヴァーの世界が豹変した。
走り回り、息の切れたキャラのか細い声を〈ナッシュバル〉の聴覚器官が拾い上げ、静電差エンジンで処理されたそれは後頭部にある配線束、軸策バスを抜け、マリヴァーの上頭部を覆う操演端末装置の先、彼の鼓膜の内側で再生される。
雑音を取り除かれたキャラの声は、生身で聞くそれとは比べ物にならないほどに澄んでいる。
「――リリィちゃんの手伝いを――」
マリヴァーの視界は頭部の操演端末から伸びる数千本の軸策バスを介し、静電差エンジンと直結≠ウれており、彼の視覚域は上下二段、上は正面、下は背面に分割され、更に補助画面が両脇に幾つか開いている。
その一つ、左隅の画面に、両手一杯の機材を抱えたキャラが、拡大され映し出されている。画像のキャラに幾つもの数列明滅表示がついてまわる。
〈ナッシュバル〉を基点にした対象――キャラ――の相対座標、相対・絶対速度や表面・内部温度、地軸を基点にした角度、輝度、兵装や耐久度や起動性能などの数値化された相対戦力、脈拍や血圧に至るまで、およそ考え得るあらゆる情報が、次々と吐き出されては消えて行く。勿論、今は全く不必要なものばかりなのだが。
「――しているんです。今は、やれることもないし、彼女、とっても忙しそう――」
右隅に開いた画像はリリィ、上部視覚域の大部分を占める正面視界は、整備用簡易足場に取り囲まれた〈ローゼーン〉と、操座に佇むアリスをそれぞれ捉えている。
但しアリスの方は、正面視界に重なるようにして浮かぶ補助映像であり、これは〈ローゼーン〉側、アリス側との連携により実現されており、画像の片隅にそれを示すかの如く、〈ローゼーン〉という文字が明滅表示されている。
「――だから、せめてこれくらいは、と思って」
それらは全てマリヴァーの網膜に、正確には脳髄に、内側から£シ接投影されており、故にマリヴァーは、奇妙に歪んだ世界に、自分よりも遥かに巨大に見える、数列だらけの虚像に取り囲まれた異界に入り込んだ気分であり、実際、その通りだった。操演桿{そうえんかん}や踏板、頭部を覆う操演端末装置の僅かな感触が残っていなければ、彼は夢の中といった気分だったろう。
視線をリリィに向けようと……思う。その瞬間、片隅にあった補助画像が一気に視界を埋め尽くし、先のキャラの如く、余計なお世話ともいうべき数列が溢れんばかりに現れる。キャラの声が遠退き、代わりにリリィの独り言らしき音が頭部端末から響く。同じく、雑音を除去された上で。
「……キャラ君は私の助手なのさ、助手。さて、ほうら! やっぱ、ここはこれで……あれ? こっちか。……マリヴァー? なんか用?」
視界を埋め尽くすリリィがマリヴァーを振り向き、まるで耳元で囁いているかのように言った。リリィの態度は自然で、しかしマリヴァーの方は不自然極まりなく、大袈裟に声を上げる。
「助手? ……ってそれよりも、リリィ! なんで解る? 俺が今……」
「だって、こっち向いてるもん……目玉が」
まとわりつく蝿を払うような科白に、アリスの笑い声が重なる。彼女のそれも、目の前にいるかのような距離感。
アリスを捉えた浮かぶ補助画像が、僅かに拡大され、やはり明滅する数列が出現し、今度は、その美声の周波数の高低や波長域を解析した波形図を伴った。
「ははは! マリヴァー、あんた、どうかしたの?」
と、アリスの姿は一旦下がり、直後、視界の右半分を、リリィを押しのける様にして再び現れる。マリヴァーと同じく操演端末を頭部にしたアリスは、そこだけ見える口元を大きく開け、耳元に囁くのと同じような微笑をたたえている。
口の大きさは幾らで深さは……と、またも数列が並ぶ。彼女との距離感は、まるで枕元にいるかのようだった……昨晩のように。
この、十数秒足らずの体験は、マリヴァーを大いに驚かせ、ついでにおののかせた。彼は感じる。まるで自分が〈ナッシュバル〉のようだ、と。
「……アリス。そっちはまだ、あの反動遮断とやらがあるから、そんなことが言えるんだぜ。断言する、静電差エンジン、いや、オブジェと直結≠ウれたら、アリスだってきっと俺と同じくさ」
「うんにゃ! まだまだ、こんなもんじゃないのよ」
リリィが人差し指を突き立て、〈ナッシュバル〉の白濁した眼球越しにマリヴァーに言う。
「この状態でもまだ、反応速度は安全値の一割にも満たないんだぞ? 制限、限界、臨界、絶対値、想像できる? 極限の極限。今はまだ映像も二次元だし、体の方も稼動してないし、索敵・兵装管制も次元立体照準も、波動干渉炉も回折装甲も亜空間通信も、何もかも、まだだぞ。……ぜーんぶそろった時、それが! 本当のオブジェで本当の機師なのだー!」
力説する自称天才技師、そばかすリリィ。マリヴァーはふと、背筋に冷たさを感じた。ガボットが口にした「人体実験」という単語が頭をかすめたのだ。
「……リリィちゃんよぉ、程々に、たのむぜ?」
今やオブジェ〈ナッシュバル〉と化したマリヴァーは、そう囁き、しかしリリィは適当に頷くだけであった。キャラの必死の息遣いが小さく頭に響き、しかしそれを羨ましく思うマリヴァーだった。あっちの方が楽かもしれない、と。
「マリヴァーったら、今になって尻込み? くくく!」
「……その科白、そのまま返してやるよ」
そして、他人事であったアリスの笑い声は、数分後、悲鳴に変わった、マリヴァーの予言通りに。〈ナッシュバル〉の調整を終え、漸く〈ローゼーン〉にリリィの手が入ったのだ。
「――げっ! 気持ち悪ぅー! きゃー! 何よこれ! 変なのが一杯……うわっ! た、助けてー! ――」
数時間後、〈ローゼーン〉及び〈ナッシュバル〉、二体の全ての基本調整は、無事、終了した。
旧連邦や〈ファー・レイリー〉では、オブジェを「操縦する」といい、実際その通りであった。
機師と呼ばれる軍人達は、教本と教官に教わった通りに操演桿を右に左に動かし、操座を埋め尽くす装置群を叩きつつ、その中央にある画面を睨み付けては、照準装置越しに敵なり的{まと}なりを斬りつける。まるで、何らかの重機なり機械なりを動かすように。
それがこの時代の、オブジェと機師の姿であった。
時代と逆行する機師とオブジェに対する技術はしかし、退化ではなく、激減する機師(真機師)資質に対する、人類のあがきの結晶でもあった。オブジェに頼る人類の……。
だが、二人の体験したそれは「操演」であり、それこそが「本当のオブジェ、本当の機師」の一部≠セと、リリィは二人に教えた。
だが、本当の機師、真機師たるアリスとマリヴァーには、それを聞き、理解するだけの気力は、残っていなかった。
お互い肩を寄せ合い、休憩室でぐったりとし、生返事をするのが精一杯だった。
その虚ろな瞳に、リリィとキャラは映ってはいない。圧倒的な物量の残像が、意味の無い数字や図形としてこびりつているだけであった。
「ほらね?」
「何が?」
誇らしげなリリィにキャラが問う。彼もまた疲労気味だったが、それは眼前の二人に比べれば取るに足らないものらしい。
「死ななかったでしょ? これぞ天才技師リリィちゃんの腕なのだー!」
キャラにはしかし、アリスとマリヴァーが絶命寸前にさえ見え、更に、暫く後には自分もこうなるのだと思い出し、先刻のマリヴァーに似た薄ら寒さを感じた。
「頑固じじぃめー! どうだ! 思い知ったかー! てやー!」
小さな拳が空を切る。彼女の宿敵、老齢技師ガボット・リャザーノフがどう思ったかは不明だが、少なくともリリィのそばの三人は、それを充分すぎるほど思い知ったようである。
「……マリヴァー……生きてる?」
「死んでる……間違いなく……そっちは?」
「同じく……脳みそが溶けてる、絶対……」
「……これって、戦死なのか?」
「二階級特進? ……いらないから……寝る」
「……同じく……」
断末魔のような囁きはリリィとキャラには届いておらず、しかし届いたところで、キャラはともかくリリィが耳を貸す筈もなかった。彼女は、頑固じじぃ相手に、我流演舞の最中である。
寝息すら聞こえぬ、深い眠り。夢さえ見ない、深淵の果て。アリスとマリヴァーが寝台に折り重なる様にして倒れるのを見届け、リリィとキャラは休憩室をそっと出た。
太陽は天頂目掛けてゆっくりと進む。
機師達は決戦に備え休息を取り、技師達は今まさに決戦といった様相で、慌ただしく駆け回る。
天才かどうかはともかく、技師であるリリィもまた、キャラの手を取り、駆け出していた。
「さー! 仕上げに入るぞー!」
「ま、まだやるの?」
「これからが、天才技師リリィちゃんの腕の見せ所なのだー!」
「ぼ、ぼ、僕も?」
「キャラ君はリリィちゃんの助手! 当然だぞ!」
何処にそんな力があるのか、リリィはキャラを半ば引きずるようにして、一路、格納区画へと猛進する。本人が如何に決意しようとも、やはり他人に振り回される運命にあるキャラウェイであった。
扉越しのどたばたという足音に、カナデ・ヤシロはちらりと目を向け、ふっと溜め息を吐き、再び無機質な天井を眺める。
固めの寝台に仰向けのヤシロを見守るように、壁際の椅子でサイゾウ・ミブが、腕を組んで座していた。
瞑想、悟り、そんな形容が相応のミブに、寝返ったヤシロが微笑む。床屋のカナデの柔らかな笑顔である。
「……寝てるの? サイゾウ?」
「そう見えるか? 目を開けているぞ?」
ヤシロの笑みが笑い声に変わる。くすくすと、心底楽しそうに。目を細め、奇麗に並んだ白い歯をちらりと覗かせる。
「貴方なら有り得そうよ。違って?」
「カナデ、人を変わり者みたいにいうな。俺は普通だ」
女性にしては低めのヤシロの声色は、体格同様の重厚さを持ったミブのそれに比べれば、淑女の如きであった。
「普通の、仏像? ……くくっ!」
寝台で体を丸め、ヤシロは腹を抱えて笑う、まるで子供のように。それにつられたのか、ミブの顔にも僅かな笑みが浮かぶ。
「それでいい。カナデがそうだというのなら」
「あら嫌だ! ひょっとして、ぞっこん? 私一筋? 照れるじゃあないの、ははは!」
「それは……」
置物のようだったミブは言いつつ立ち上がり、ぎしぎしと床を鳴らし、寝台に、ヤシロの間近に腰掛ける。ミブの体重の分、寝台は沈み、傾いた寝床を彼の腰目掛けてヤシロが転がる。
「……お互い様だ」
「床屋に仏像を飾るの? くははっ! 妙だけど、でも、悪くないわね……。繁盛するかも……ね」
ヤシロの休憩個室のからからという笑い声は、最初は大きく、しかし徐々にしぼみ、最後には止んだ。傷だらけの大きな掌に、白く細い指が絡む。敵、味方、無数の死を払いのけてきた、それぞれの掌。
「サイゾウ……死なないで」
「それも、お互い様だ」
休憩室の扉の外では、相変わらずどたどたと駆け回る技師達の足音が響き、それでも、二人には充分な静寂であった。
「わしらではなく、皆の、若い者達の未来。我々が必死に守ろうとしているのは、そんなものだと思わんか?」
自室で、ウィル・ジルコン将軍は壁の飾りに向けて呟く。
直線を描く背筋、腰の後ろでがっしりと組まれた筋肉質の両腕。突き出した胸板と、その分引いた顎の上には、白い眉が覆う濁った、しかし射抜くような眼光。
旧ガイアナ連邦軍の上級将校、機師ウィル・ジルコン。歴戦の覇者にして、現代の〈豹機カミオン〉と称えられた、正真正銘の戦士。
背後に立つ熟練の技師、ガボット・リャザーノフが、そんな戦士の呟きに頷く。
「かもな。だが、あいつらの未来はあいつら自身が切り開くのが筋で、わしらはその手伝いをしているに過ぎん。老後の為にな。世話をしてもらわねばならんからの」
ガボットの笑い声は雄叫びにも似たもので、ジルコン将軍と、彼の周りの大気をびりびりと震わせる。
「ふむ、わしらの為でもある、か。そうじゃな。孫の顔を久しく見ておらん。戻らない訳にはいかんか……」
壁に掛けられた額縁の一つ、色褪せた写真を見詰め、ジルコン将軍は自身を諭すように言った。腰に下げた工具をがちゃがちゃと鳴らし、ガボットはジルコン将軍と肩を並べ、同じく写真を見る。
晴れた空にまばらな白い雲。何処かの小さな家の前に立つ、幾らか若いウィル・ジルコンと、その肩に乗る小さな女の子。傍らに彼女の親らしき夫婦と、知り合いの数人。
何処にでもある、ごく普通の写真。
昔はごく普通だった、今は無き、平穏な日々。
「わしは――」
首をごきりと鳴らし、ガボットは顔の前に拳を作る。数々の仲間を送り出し、そして帰還させて来た太い魔法の杖。その先端にある、彼の信念と同じく、岩の如き拳。
「――あの頑固娘と決着をつけねばならんからのぅ。技術屋として、いや、技師として。この神聖な決闘に今の戦争は……邪魔だ!」
「リリィ・ノイロン、か? お前さん、孫のような娘を相手に決闘するのか?」
ジルコン将軍の、そのからかうような口調は、決して誰も知らない、ガボットだけが知る、彼の一面である。〈ファー・レイリー〉北部基地指揮官、ジルコン将軍ではなく、戦友、ウィル・ジルコンの面影である。
「あんな小生意気な孫は、根性から叩き直さにゃあならん!」
「まあ、精々、叩き直されんようにな」
皺だらけの顔をお互い眺めあい、二人は大声で笑う。
「ウィルよ、戻れよ……必ず」
「当たり前じゃ。孫はわしを好いておるし、何より、お前さんの鼻がへし折られるのを、見逃すつもりはないわい」
又も笑いあい、暫くして、二人は所定の位置に戻った。今は無きガイアナ連邦ではなく、〈ファー・レイリー〉北部基地のそれに。
格納区画、の屋外裏手。
一体のオブジェに、先の〈ローゼーン〉〈ナッシュバル〉と同様、整備用簡易足場が設けられていた。旧ガイアナ連邦軍の汎用機であるそれは、〈ファー・レイリー〉の戦力の大半を占める、ごく普通の、ゾエア級オブジェである。
搭乗機を〈ナッシュバル〉へと変えた、マリヴァーの使用していたそのオブジェの背後には、重機が数台、仕事を終えて佇んでいる。
「ねぇ、これで?」
「そう。キャラ君はこれで暗洋(宇宙の意)へと、旅立つのだー!」
半ば強引に操座に押し込まれたキャラは、搭乗口から頭を出し、オブジェ頭部付近の足場に座り込んだリリィを見上げる。リリィの周りには配線やら装置やらが無数に転がり、彼女はそれを一心不乱にいじり回している。
「ねぇ、リリィちゃん。ぼ、僕も、マリヴァーさんみたいになるのかい?」
手にした無線端末に向けキャラは訴え、それが頭上にある、オブジェの対外音声装置で再生される。
キャラにはオブジェの搭乗経験は無く、また、操縦なり操演なりをする知識も皆無だった。彼は民間人であり、当然といえば当然で、だからこそ操座にありつつ無線端末を握るのだ。
彼には自分を取り巻く装置群のどれもが、未知の塊なのだ。ただ一つ解るものといえば、操座正面中央にある画面に映るのが、リリィである、ということくらいだった。
「マリヴァー? なんないよ。キャラ君は〈エコー〉専門だから、変な癖、つけちゃあ駄目なの。これは〈エコー〉の待つ暗洋への、単なる旅支度なのさ」
背後、操座からのリリィの言葉に安堵するキャラ。と、彼の目の前にリリィが、梯子を滑って降りてくる。
「さ、交代。中、見るから。キャラ君はそこにいて、私のお手伝いだ」
搭乗口に飛び込むリリィを横目にキャラは、やはりどういうものか解らない装置やら機材やらの並んだ足場に立ち、なんとはなしに上を、オブジェの頭部を眺める。
ごてごてとしてはいるが、両眼があり、鼻や耳のように見える突起があるので、それは人の顔か、仮面のように感じる。
見下ろせば四肢があり、手には五つの指もあり、それら全ての長短大小の比率は、キャラやリリィ、マリヴァーやアリスと殆ど同じである。
キャラには、オブジェは大きな人、人間だと見えた。
「キャラ君、それ、横の箱、取って」
言われて我に返るキャラ。数年ぶり、漸く回転を始めたキャラウェイの思考。しかし、横にある無数の箱の群れのどれが「それ」なのかは、やはり全く解らなかった。
「……これ?」
「違うー! その横! 助手! ちゃんと働けー!」
キャラウェイがもし、オブジェに対して幾らかでも造詣があれば、彼の道先案内人であるゾエア級汎用オブジェの背を見て、仰天したであろう。
超重量の塊であるオブジェを空中へと、更には宇宙へと運ぶ電離推進機構、通称〈アーマライト・リアクター〉。
粒子静電差現象を応用した推力発生装置であるそれは、普通、いや、常識として、オブジェ一体につき一基が背部に搭載される。
粒子静電差現象による恒星に匹敵するエネルギーによりオブジェは基本的に永久機関であり、それの応用たるアーマライト・リアクターとて一基あれば十分なのだ。
それが、その、キャラを運ぶ、リリィの玩具と化したゾエア級汎用オブジェには、三基、取り付けられていた。
これが何を意味するのかは、リリィと他の技師や機師にしか解らず、つまり、キャラ以外なら誰にでも理解可能であり、恐らく仰天して卒倒するか、卒倒して仰天するかの、どちらかであろう。
「ねぇ。あの……座標? 〈エコー〉の場所って、遠いのかい?」
知らぬが仏のキャラは、工具を手渡しつつ、そう尋ねる。操座でじたばたするリリィは体をよじり、頭をぴょこりと出し、にやりと白い歯を見せた。そばかす顔が柔らかくねじれる。
「ほんのすぐそこ、あっという間だぞ。そ、あっ! という間」
そうなのか、と又も安堵するキャラ。これぞまさに、知らぬが仏である。
頂点へと辿り着いた陽光は〈ファー・レイリー〉北部基地を、荒野、格納区画、休憩室、倉庫、武器庫、廃材置場、あらゆるものをまんべんなく照らし、また、各人に優しく微笑みかける。
駆け抜ける砂埃もまた、激励するように風鳴りをあげる。やがて日は落ち、辺りは風鳴りと、静寂に満たされて行く。
マリヴァーとアリスは延々と眠り続け、ヤシロとミブ、仕事を終えた技師や機師各人もしかり。〈ファー・レイリー〉北部基地は、久方ぶりの小休止といった様子だった。
ずっとこのままだったらどれだけ素晴らしいか、そう、誰かが呟く。
そして、嘆く。その慌ただしくも平穏な時は、儚き寿命を一瞬にして終えるのだと……。
《跳躍》
漆黒の闇、遥かなる暗洋。
白く輝く真円、太陽と、それを取り巻く星々。無言の宇宙、静寂が埋め尽くす、永遠の沈黙。その片隅に、引力の鎖を断ち切り大地を発った、一筋の光(ファー・レイリー)が射す。深青を覆う白い大気、惑星ガイアナからのかすかな灯かりで背後を照らされた〈ファー・レイリー〉北部基地部隊、ジルコン将軍率いる、総勢百十二の機師とオブジェ達である。
その眼前に佇むのは、美しい半円の月と、彼等の敵〈グリス・グロス〉の展開した、壁であった。半円の月の下半分を隠す、圧倒的な大編隊、無数のオブジェ。『惑星浄化』を掲げる、膨大な殺戮兵器の壁である。
「……な、なんて数……」
カナデ・ヤシロの震える声が、通信周波帯を渡り、僚機、サイゾウ・ミブと、旗機、ウィル・ジルコン将軍に届く。
「索敵急げ! 先行した西部基地と東部基地の部隊は?」
ミブの怒鳴り声に、ジルコン将軍の歯ぎしりする音が重なる。間髪を入れず、ミブ隊の一人から通信が入る。
「敵の数は……お、およそ、二千八百! 西部及び東部部隊との交信は不通……いや、は、反応が、ありません! ……将軍!」
操座側壁を殴り付け、ジルコン将軍は喘ぐように、軋るように洩らす。
「……全滅、したのか? わしらが到着するまでの僅か一時間足らずで、……四百余りの同胞が? そんなことが! ……ミブ君、例の、〈ハイナイン〉か〈ワンデルク〉の仕業なのか、これは……」
ジルコン将軍のオブジェ〈フォーマルハウト〉が剣を放つ。押し殺した怒り、憤りの込められた、白く光る剣が、無言の暗洋を切り裂く。
「まだ、のようです。……ミブ隊、臨戦編制! 十秒以内だ!」
言いつつミブのオブジェ〈スパンカー〉もまた、反り返る刀を抜き、未だ射程距離外にもかかわらず、構える。彼に続き、三十余りの剣が抜かれ、機師達は眼前の敵、オブジェの壁を睨み付ける。
「ヤシロ!」
「ヤシロ隊、同じく……五秒で配置につけ!」
まだ戦闘は始まっていない。
にもかかわらず、ヤシロの呼吸は荒立っていた。気密戦闘服の内側は既に汗だくで、しかし照準端末を睨むヤシロ自身はそれに気付いていない。
ヤシロの駆るオブジェ〈グラナドス〉は盾を背に仕舞い、刀を、ミブの〈スパンカー〉と同じく反り返った刃を抜き、それを眼前の敵の群れに突き出す。切っ先が月光により白く鋭く輝いている。ヤシロの鋭利な眼光の如く。
「各機各人――」
ジルコン将軍の〈フォーマルハウト〉から、今やただ一つとなった〈ファー・レイリー〉全員に向け、静かな、しかし明瞭で力強い声が駆け抜ける。
「――ここが、最後の戦場だ。……死ぬな、決して、誰一人として、死ぬな。これは〈ファー・レイリー〉指揮官、ウィル・ジルコンからの……命令だ! ミブ君! ヤシロ君!」
「ミブ隊……迎撃開始!」
「みんな、ついて来て! 先行〈グラナドス〉、出るぞ!」
両翼を広げた〈ファー・レイリー〉の二つの爪が、無尽蔵とも思える壁に向けられた。そして、くちばしたるオブジェ〈フォーマルハウト〉もまた、それに続く。
「ジルコン隊、〈フォーマルハウト〉を先頭に左右に展開! ミブ、ヤシロ、両隊に続け!」
だがしかし、その様子はまるで、獅子の群れに飛び込む、ひな鳥のようであった。〈ファー・レイリー〉が進行を開始するのを見届け、獅子たる〈グリス・グロス〉の大部隊が、ゆっくりと動き始めた。惑星ガイアナ、ガイアナ大陸全土に中継される戦況に、人々はただ、ひたすらに祈るのみだった。ひな鳥の、獅子の群れになぶられるひな鳥のかすかな奇蹟を。有り得ない、夢の如きそれを、ただただ祈る。
「祈るのみか? ふん! 祈る時間くらい、稼いでやるさ! 床屋の鋏を甘く見るな! 刈り取ってやるよ! 丸坊主だ!」
先行する〈グラナドス〉、ヤシロが最初の一体と刃を交え、静寂に包まれた暗洋は、一転、戦場と化したのだった。獅子の群れとひな鳥の、無意味とさえ思える闘い。無謀の極みの……抵抗。人々の祈りすら玉砕する、獅子の雄叫び。『惑星浄化』という名の、遠吠え。
何もせずに死ぬ事を選べるほど我々は、そして他の人々も潔くはない。だからこそ、と、ジルコン将軍は呟く。
「戻らない訳にはいかんのだ……」
敵対反応警報音、照準装置を睨む戦士の眼光は、古びているが、しかし錆びてはいない。〈フォーマルハウト〉の剣は、それを示すかの如く、〈グリス・グロス〉オブジェの壁に叩き込まれた。
「〈豹機カミオン〉、力を、わしに力を授けてくれ!」
「――これで! 九つ! みんな、生きてるな? ちっ! きりがない!」
〈グラナドス〉を筆頭とするヤシロ隊は、〈ファー・レイリー〉本隊から切り取られ、周囲を、上下左右を完全に包囲されていた。まるで鳥かごのように。
〈グラナドス〉の刀は確実に敵を捉える、が、その必殺である筈の太刀筋は、一撃で致命傷を与えるには至らない。オブジェの性能差、ただそれだけのことが、彼女、機師カナデ・ヤシロを大いに逆撫でる。オブジェ〈グラナドス〉は汎用機ではなく、だからこそ無数と思われる敵のうち、九体を落とすことが可能なのであった。
だが、彼女の部下達のオブジェはそうではない。旧連邦の、摩耗しきった汎用機なのだ。皆、降り注ぐ斬激を受け、かわすことで精一杯であり、開戦から僅か数分ながら、まだ一人として撃墜されていないのは、ヤシロ隊の旗機たるオブジェ〈グラナドス〉、機師カナデ・ヤシロあっての奇蹟であった。
しかし、それが程無く限界を超えるであろうことは他でもないヤシロ自身が痛感しており、また、サイゾウ・ミブ〈スパンカー〉やウィル・ジルコン〈フォーマルハウト〉もまた、彼女と同じくであった。
せめて数か、性能か、どちらかが拮抗していれば、剣を振るう〈フォーマルハウト〉、ジルコン将軍はそう思い、また、叫ぶ。
「……ほう。良く動く機体が幾つかあるな」
それは突然、戦闘宙域全員の耳に届いた。
「地上にもまだ、それだけの血が残っていたか……」
共用通信回線。戦闘・軍事用ではない、一般・民間仕様の、傍受自由なそれが、戦闘宙域を駆け抜けたのだ。〈ファー・レイリー〉があからさまに動揺する。
「……月にしか、〈グリス・グロス〉にしか無いと思っていたが。しかし――」
冷徹さを思わせる声色は、ヤシロ、ミブ、ジルコン将軍、その他多数の機師達を狼狽させ、その集中力を削ぎ取る。戦闘中に何故、共用通信? そんな無意味な……。疑念が溢れる。
「――機師はともかく、オブジェが伴っていない。ならばやはり、ないに等しいか。しかし、良い動きだ。落とすのは惜しい気もするが、それもしかたがないか。……まずは――」
十二体目の頭部をなぎ払った〈グラナドス〉の眼前に、それは突然現れた。息を切らしたヤシロの視界を埋め尽くす、黄金色の……。
「――貴様からだ」
「……な、何!」
「カナデ!」
ミブの叫びが真空を伝播する。
勝たなければならないが、勝てない戦いでもある。〈フォーマルハウト〉で同胞を庇いつつ、ジルコン将軍は自身の言葉を思い返し、噛み締めていた。開戦から僅か数分、戦死する暇すらない数分間にも関わらず……。
深青を覆う白い大気の下、ガイアナ大陸北部、地上最後の〈ファー・レイリー〉。
離着陸場に二体のオブジェが佇む。アリシェラ・バナレットの〈ローゼーン〉と、マリヴァー・ルキアノスの〈ナッシュバル〉である。
二人は、半ば叫びと化した戦闘宙域からの通信に耳を傾け、断片的な映像を無表情で見詰めていた。頭上とは対極に、夜明け前のそこは闇と静けさに包まれていた。まるで、先の、ジルコン将軍の見た暗洋の如く。
二人は既に静電差エンジンへと直結されている。アリスは眼前で黙するマリヴァーに、小さく囁く。
「……どう? 行ける? リリィちゃんの話が本当なら、十秒であそこに辿り着けるわよ?」
ジルコン将軍達が三十分以上かけて到達した宇宙。
惑星引力を電離推進機構により引き千切り、更にそのまま超重量のオブジェを星空へと、機師への負担を最小限に押さえて飛び立つには、最低でもそれだけの時間が必要だった。
だが、それはリリィの言葉を借りれば「オブジェもどき」の場合であり、アリスとマリヴァーの搭乗するオブジェはそうではない。それはリリィにいわれるまでもなく、既に二人共、実感し、体感している。
「もう少しだ。……リリィちゃんは確か五秒以下だと、そう言っていなかったか?」
「〈ローゼーン〉は、でしょ? 〈ナッシュバル〉に歩調を合わせれば、大体それくらいは必要よ。でしょ?」
二体はそれぞれ特化したオブジェである。起動性能を追求した〈ローゼーン〉、戦闘能力に長けた〈ナッシュバル〉。共に汎用とは桁違いの基本性能を有していたが、アリスの言うように、二体にはそれなりの差があった。
「よし、炉圧安定。歩調を……そうか」
「そうよ。さあ、そろそろ行かないと……」
視覚域を遥か上空、戦闘宙域に切り替える。〈ローゼーン〉は、〈スパンカー〉や〈グラナドス〉、ジルコン将軍の〈フォーマルハウト〉の中継無しにそれを出来、〈ナッシュバル〉もまた同じくであった。
「そうだな……。じゃあ……あ!」
と、それまで軍法会議か密談の如きであった会話に、マリヴァーの場違いな、頭の先から飛び出したような間の抜けた叫びがする。アリスがあからさまに顔をしかめた。
「ちょっと、何よ。この後に及んで忘れ物?」
その声色が「緊張感を壊すな」と訴えている。マリヴァー側の操作により、アリスの視界に彼の顔が拡大され、まるで間近で見詰め合うような具合になる。
「そう、忘れ物だ。アリス、君に伝言があった。……ディージェイから」
「……ディージェイ? ……ああ、例の猫背のなんとかって?」
「猫目だ。まあそれはいい。じゃあ、伝えるぞ……」
とぼけた口調が再び先刻の厳しさを取り戻し、アリスは構える。マリヴァーは一字一句、区切るように、明瞭にいった。
「『仕えなさい』、そう伝えろと」
「…………誰が? あたし? で、誰に? っていうか、何に? そもそも何で?」
「……知るか! ともかく、確かに伝えたぜ。さあ……行こうか。みんなが待ってる」
「ちょ、ちょっと!」
基地の通信室で、二体の様子をじっと見守っていた面々に緊張が走る。技師、歩哨、戦えぬ機師、雑兵、発起した民間人、皆の見守る中、微動だにしなかった〈ナッシュバル〉の体躯がかすかな軋りを上げ、遂に動き出す。
ゆっくりと膝を曲げ、屈み込み――
「マリヴァー・ルキアノス! 〈ナッシュバル〉、出るぜ!」
――重圧なアーマライト装甲板を敷いた大地を蹴り上げ、〈ナッシュバル〉が跳躍し、一瞬にして視界から、画面から消え去った。通信室でその光景を見た面々は、驚愕の余り絶句する。
「……な、何だ! おい! 今の! 何だよ!」
「リアクターは? どうやった? ……消えたぞ!」
電離推進機構〈アーマライト・リアクター〉による離陸が常識である彼等にとって、マリヴァーの、〈ナッシュバル〉のその跳躍は、文字通り常軌を逸脱したものだった。
「もう! ……アリシェラ・バナレット、〈ローゼーン〉、出撃!」
通信室の発声器が響き、惑星を中心に据えた電光表示の戦略地図上を、〈ナッシュバル〉を示す点滅が、文字通り光速で進み、次いで〈ローゼーン〉のそれが〈ナッシュバル〉に追いつく。
技師は真っ白になった頭で思う。何故、リアクター無しでオブジェが飛べるんだ? と。機体中の機師が肉片となって操座にこびりつく様を、皆が同時に思い浮かべる。が、画面の一つ、操座を写すそこには、笑顔こそ消えたものの、先程と変わらぬ姿の二人があり、それがまた技師達を驚愕させ、眩暈を起こさせる。
人ならざる人、機師は、瞬間を永遠に引き伸ばし、永劫の時を千思万考し、広大な虚構を歩む。無限に加速する思考、オブジェに、静電差エンジンにより加速される、幾万通りの諦観。鋭利な五感はオブジェの体躯。その最強の四肢は、時空を超えて、敵を討つ。
(ヤシロさん? 奴? マリヴァー、右、ミブさんの所へ。あたしは先に。奴が待ってる)
(後で行く、無茶はするな。あいつ、半端じゃあないぞ)
(知ってる、充分に。だから、急いで)
(……了解。おとなしく待ってろ)
ヤシロの視界を埋める黄金色。
「――まずは貴様だ」
「いいえ、あんたよ!」
突然、〈グラナドス〉とカナデ・ヤシロの瞳に、黄金色の残像と、閃光が焼き付く。手で顔を庇うヤシロの仕草はそれらが消えてからの、それでも瞬間の反射であった。
「……な、何!」
〈グラナドス〉の索敵機能にはそれら、黄金色の残像なり閃光なりは、一切捕捉されていない。
自分は死んだのだ、ヤシロはそう確信した。だが、苦しまずに、一瞬にして死界に辿り着けたことが、喜ぶべきことなのかどうかは、良く解らない。ともかく、自分はもはや無く、それを悲しむであろうサイゾウを思うが、ヤシロはそれすら実感出来ないでいた。
「カナデ!」
鼓膜を打つ声。サイゾウ・ミブの叫びで、ヤシロは我に返る。死界から戦場へと舞い戻った。
「何?」
操演桿を再び握り、ヤシロは照準装置と索敵画面に目をやる。どうやらまだ生きているらしいことを、彼女は徐々に理解する。〈グラナドス〉が再び動き出す。が、静止していたのは、ほんの一秒足らずである。戦況は全く変わってはいない……筈だった。
「何が……」
ヤシロは繰り返す。意識は元に戻ったが、理解がついて行かない。部下は、そのまま。〈グラナドス〉の被害もまた、変わらず。だが……。
「隊長! 包囲網の一部が破れました、離脱を!」
部下からの入電で索敵画面を確認する。下方、〈グラナドス〉と部下達の足元にあったオブジェの壁に、大きな穴がある。理解は後回しだと自身に言い聞かせ、ヤシロは叫ぶ。
「全機! 包囲網突破! 下方、ガイアナ方向だ! 急げ!」
部下の汎用オブジェはその最大出力で突破口目掛けて猛進し、しんがりに〈グラナドス〉、幾つかの追撃をなぎ払う。
「ジルコン隊、〈フォーマルハウト〉と合流して! 〈グラナドス〉は状況確認に残る……行け!」
恐らく十七体目であろう〈グリス・グロス〉オブジェを落とし、ヤシロは再度、命令を下す。刀を構える〈グラナドス〉。しかし、ヤシロ隊を包囲していた敵部隊は追撃を止め、後退を始める。いや、本隊と合流するつもりらしい。千だか二千だかの本隊と。
「ヤシロさん! 無事?」
無意識、反射で全てをこなしていたヤシロに、聴きなれた声がかけられる。
「……ア、アリス?」
味方識別反応の位置を確認し、ヤシロと〈グラナドス〉は頭上、暗洋を見上げる。そこで漸く、彼女は黄金色の残像の正体を知ったのだった。
「あれが? ……例の、〈ハイナイン〉か?」
そこでは、黄金色に輝くオブジェ〈ハイナイン〉と、もう一体のオブジェが睨み合っていた。
「アリス?」
またも繰り返すヤシロ。あの機体は確か、いや、間違いなく、アリスの〈ローゼーン〉。理解がどうにかついてきたヤシロだが、しかし、出てくる言葉は変わらない。
「アリス? アリスなの?」
落ち着け、冷静に、ひたすら自身に言いきかせる、カナデ・ヤシロ。その遥か上空で、〈ローゼーン〉と〈ハイナイン〉は、一触即発の睨み合いを続ける。
真機師アリシェラ・バナレット出撃から、僅か十二秒後のことである。
遥か別宙域。
サイゾウ・ミブの部隊もまた、圧倒的な物量に押しつぶされていた。ミブの〈スパンカー〉の斬激は、砂漠に水滴を一つ落とすに等しい。一撃必殺はしかし、その対象が無尽蔵ゆえ、守りにさえならないでいる。
「ローキー機、被弾!」
部隊からの入電にミブは即座に判断しつつ、また一つ、撃墜する。
「コールドウェル! ローキーを援護しつつ後退しろ!」
「りょ、了解!」
二人が同時に返す。二十倍以上の数の敵、これでも全〈グリス・グロス〉の、ほんの一部に過ぎない、しかしミブを追いつめるに充分な敵の群れ。だが……。
「だが! 一体でも多く落とせば! その分は愚行が遅れる! 〈スパンカー〉を甘く見るな!」
性能差を剣技と覇気で補い、〈スパンカー〉の刃は次々と敵オブジェを両断する。しかしそれは、無限とさえ思える数の前では、余りにも途方もない行為であった。
「編制は――」
再度の入電。ミブは刃と同じく耳を研ぎ澄まし、その声に驚く。
「――俺が先行、だったよな? ミブ?」
「マリヴァーか?」
「すまん、遅れた。が、その分はすぐに取り戻す。そう……あっという間にな」
今まさにミブ隊に降りかからんとしていた敵の波が、弾け、そして、消えた。
まず中央、数体の敵が砕け、そこに出来た穴が、まるで焼け焦げて行く紙のように徐々に広がり、無数の敵、の破片がミブ〈スパンカー〉に降り注ぐ。高速度で移動するそれを〈スパンカー〉が捉え、視界に伝送する。味方識別信号、機体名は……。
「〈ナッシュバル〉! マリヴァーか!」
ミブは先日、作戦会議での彼、マリヴァー・ルキアノスの言葉を思い返す。〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉は……。
「……別格? これほど、これほどにか?」
その光景に目を奪われるミブ。彼が呟き終わる頃、無尽蔵だった敵の壁、オブジェの波は、無尽蔵の欠片へと姿を変えていた。そして、星屑と鉄屑の直中、一体のオブジェが「どうだ?」といわんばかりに、〈スパンカー〉を見詰めていた。
「……マリヴァー」
「これは貸しにしとく。帰ったら一杯おごれよ、ミブ」
マリヴァー・ルキアノスの駆る〈ナッシュバル〉。彼は言った。〈ナッシュバル〉は別格だと。そして、戦力の要だとも。
「ああ……久々に飲み比べでも、やるか。……ミブ隊各機はジルコン隊〈フォーマルハウト〉と合流する。再編制だ」
「底無しのお前とか? いいぜ。今度こそ負かしてやるさ。退路を確保する、任せろ」
アリス〈ローゼーン〉到着から遅れること、五秒、ミブ隊は移動を始めた。
アリス、マリヴァーの両機が出撃して暫く、キャラウェイ・シュナイドルと、彼のゾエア級汎用オブジェは、〈ファー・レイリー〉基地を幾らか外れた場所に位置していた。
空の上、戦場の様子は〈ファー・レイリー〉旗機からの通信と映像で、キャラにも届いている。
「リリィちゃん! 僕らも早くしないと!」
握り締めた通信端末に半ば怒鳴るキャラ。雑音だらけの通信と映像でも、戦場の緊迫感、迫り来る死の感覚は充分すぎるほど彼に伝わっている。リリィからの返答は地上同士であるので、雑音のない、聞き取り易いものだった。
「あいよ。座標確認……固定。リアクター電荷、その他もろもろ、ぜーんぶ完了。……キャラ君、旅立ちだぞ。でも、キャラ君の行くとこは、将軍さん達とは正反対って知ってる?」
「え? そうなの? じゃあ……」
「急ぐ気持ちは解るぞ。私だってさ。でもね、戦うのはそのオブジェじゃない、でしょ?」
解っている! そう叫びそうになるキャラだったが、それをねじ伏せ、ゆっくりと、慎重に呼吸する。ヤシロ達の焦燥が、自分にまで及んでいたことを実感した。目を閉じ、再び深呼吸、それでキャラは冷静さを取り戻した。
「……そうだった。僕は〈エコー〉で戦う。その為にリリィちゃんは一生懸命、準備をしてくれたんだ。そう……。ごめん。何だか……」
「とっても良く解るぞ。解るから……さあ、旅立ちだー!」
キャラは大きく頷き、通信端末を握り直す。目の前に貼り付けた二枚の紙切れ、目標座標と、操作手順を記したそれらを見直し、もう一方の手で、書かれた通りに装置を叩き、操演桿を引く。
「キャラウェイ・シュナイドル、出発します!」
基地内に響くキャラの声は、直後の、突然の大爆音により掻き消された。
荒野が、大地が揺れ、振動は基地通信室にまで達した。ガボットや他の技師達は足元をすくわれつつ、キャラのいた方向を映す画面を見て仰天、卒倒した。ガボットがあんぐりと口を開いて、各人を代表するかの如く叫ぶ。
「な、なんじゃあ? あれは! リアクターが……爆走しているのか!」
戦闘宙域とは反対の星空に向け、惑星に添って飛び立ったキャラのオブジェ。しかしその様子は、技師達の知るそれとは全く違っていた。
先の、アリス、マリヴァーとも違う、しかし技師達を唖然とさせる、キャラを乗せたオブジェの輝き。それはまるで小さな太陽のような光を放ち、超速度で飛び去っていったのだった。先の二体には及ばないものの、それでも常識外れの速度である。
「は、早く、早く止めろ! オブジェが粉微塵になる! キャラウェイが挽肉になっちまうぞ! おい! リリィを呼べ、いや、わしが行く!」
呆気に取られた面々をよそに通信室の扉を蹴破り、ガボットはリリィの休憩個室へと猛進し、同じくその扉を蹴破りつつ叫ぶ。
「リリィ! あれはどういうことだ! キャラウェイのリアクターが! おい! 起きろ!」
怒鳴りつつ寝台にしがみつき、毛布を剥ぎ取ったガボットは、そのつぶらな瞳を見て、またもや口をあんぐりと開き、絶句した。
毛布の下のつぶらな瞳。放心したガボットを慰めるように、かわいい熊のぬいぐるみが、にこりと微笑んでいた。
「……リ、リリィー! 何処に行きやがったぁー!」
「ここだぞー、頑固じじぃー」
基地内各所に設置された発声器から、かわいい熊のぬいぐるみではない、しかし可愛らしい声が響く。
うろたえ、休憩個室を見渡すガボット。再び通信室へと取って返した彼は、画面の一つを見て腰を抜かす。
基地の面々に向け、舌をだして「べろべろばぁー」などという技師、リリィ・ノイロンがそこにいた。勿論、それは基地面々に向けてではなく、頑固じじぃこと技師ガボット・リャザーノフに対してなのだが、しかし皆もまた、ガボット同様、腰を抜かさんばかりに脱力する。
「……リ、リリィ! ……ここ? 何処だ? ……!」
画面の隅に浮く電光表示を見て、ガボットは気絶しそうになる。通信室に形容し難い沈黙が充満する。溜め息か鼻息か、そんなところだ。場違いは続き、通信端末の一つが、なにやら喋り出す。
「あれ? リリィちゃん? なんでそこに?」
別画面上のキャラが背後を振り返り、先の「べろべろばぁー」画面にキャラの赤毛の後頭部が映り込む。基地、ガボットをよそに、二人は茶会の如き和やかな会話を始め、通信室もまた、奇妙な茶会の様相となった。
「キャラ君、オブジェ動かせないでしょ? いちおう目的地は座標固定して自動操縦だけど、万が一、例えばグリグロがやって来たりしたら、逃げるとか戦うとか、必要だぞ。だからリリィちゃんがここにいるのだ」
「ああ、そうか。そういえば、僕、オブジェとかって全然解らないし、そうか、ありがとう。でも、〈エコー〉はどうなんだろう?」
地上に残った〈ファー・レイリー〉面々の放心をよそに、和やかな雰囲気は続く。ひなたぼっこか散歩かといった様相である。
「うーん。よく解んないけど、多分、〈エコー〉の方がキャラ君を手伝ってくれるんじゃない? でも、そん時に中身とかいじる必要があるかも知れないし、だから天才技師リリィちゃんはここにいるんだぞ」
「そうか。何だか安心したよ。正直、不安でたまらなかったからね。リリィちゃん、よろしくたのむよ」
「あいよ! まっかせなさい!」
這いずる様にして通信端末へと辿り着いたガボットが、嘆くように、訴えるように、二人の会話にそっと入る。
「……た、たのむから、リリィ。リアクターのことを教えてくれ。わしはもう、今にも失神しそうじゃ。あの、お前さん達の加速、どうして、なんともない? それだけでも……後生じゃ!」
通信室全員の代弁でもあるそれに、リリィは当然といった風に、軽い調子で返す。
「速い方がいいからリアクターを三基くっつけて、加速衝撃は回折させてるのだ。ゾエア級は波動干渉炉に向ける出力がちっちゃいから操座の分しか無理だったけど、外装とかは全然大丈夫な筈だぞ、どお?」
ガボットは、自分が何かを問われているらしいことになど頭が回らず、断末魔の如くうめく。
「リ、リアクターを三基! 衝撃を……カイセツ? は、波動干渉、炉?」
「粒子転化の出力を静電差エンジンで分配して波動干渉炉に渡せば、三基のリアクターの分を差し引いても、操座の分の衝撃くらいは回折できるのだー! 常識だぞー!」
常識ではない、技師達はそう叫ぶが、それはもはや声にはなっていなかった。
「頑固じじぃ! 勝負は後でだぞ! 待ってろよー! とりゃー!」
通信室の冷たい床に座り込んだガボットは思った。もう、とっくの昔に負けている、と。しかし、悔しさや嬉しさなどは一切感じない。彼と、技師達の頭の中は既に真っ白で、そんな感情が入り込む隙間など全くないのだ。
彼女、自称、天才技師リリィ・ノイロンの常識は、オブジェとその関連技術の常識ではあったが、彼女の生きる時代の常識ではなかった。ほんの少し前と後、一万年ほど前と、二千年ほど後の、常識である。
後に「ノイロン効果」と呼ばれる波動干渉理論と、それを実現可能にする画期的な発見。オブジェの放熱器官と位置付けられていたそれを、理論提唱者は〈波動干渉炉〉と名付けた。
それは、静電差エンジンの粒子静電差現象、粒子転化に関する技術の、魔術的で非常識な応用により誕生した、神話を現実へと変える夢の如き機関である。
電波、磁場、力場、光波、重力、そして衝撃。あらゆる空間的作用・波動に干渉し、自在に操作する機関、ノイロン効果を具現化する〈波動干渉炉〉。
「目標地点到達まで後、三、二、……到着しました! ……けど、何もないよ」
「向こうからやってくるんじゃない? ……〈エコー〉! どんなだろう、ぴかぴか光るかしら? 緑色? ちっちゃい?」
二人の嬉しそうな声が、只ならぬ沈黙を醸す通信室を渡る。ガボットを仰天させたリアクターの大爆音から僅か数分間の出来事であった。
《規格外》
美しい半月を背景の、閑散たるオブジェの墓場と化した宙域。
月から、そしてガイアナからの光により、そのオブジェは黄金色に輝く。複雑な紋様と装飾を各所に散りばめ、見るものを圧倒させる高貴さを醸すその姿は、かつて静かなる勇者≠ニ呼ばれ、また〈三神〉とも呼ばれた。
太古、ガイアナ大陸の東部に位置したダルトア王国の、ダルトアール王家の象徴にして守護神。そのオブジェの名は、〈ハイナイン〉。
「……誰かと思えば、貴様か」
共用通信回線を渡るその声の主は、〈ハイナイン〉の主{あるじ}、機師アルブレド・クラインゲルト。神話、ガイアナ聖戦を演じた〈三神〉そのものである。
〈ハイナイン〉と共に眠り、そして目醒めた、人ならざる人、正真正銘の機師である。
「……〈殄滅師〉」
体躯と同じ黄金色の剣先が鋭く指し示すそこに、〈グラナドス〉を、カナデ・ヤシロを、ヤシロ隊を静かなる勇者≠ゥら解き放った、暗洋に溶ける黒色のオブジェが、刀を構えている。
「気安い奴、なれなれしいわね。礼儀作法がなってないわよ」
同じく共用通信。旧ガイアナ連邦の精鋭部隊〈ヴィクトリウス〉隊長、今は〈ファー・レイリー〉に属する、〈殄滅師アリス〉の二つ名を持つ、真機師アリシェラ・バナレット。そして、彼女のオブジェ〈ローゼーン〉。
「初対面でもないだろうに。違うか?」
〈ハイナイン〉も〈ローゼーン〉も微動だにしない。宙域、そして惑星ガイアナの全人類が、その通信に耳を傾け、聞き入る。
「どうだったかしら? あたし、冴えない奴のことはすぐに忘れるのよ……――」
硬質な金属音が通信を駆け、オブジェの墓場に衝撃波が広がる。
「――腕の冴えない奴はね! 落ちろ!」
〈ローゼーン〉の初弾が黄金色の盾を撃ち、辺りに漂うオブジェの残骸が瞬時に消し飛ぶ衝撃波。野獣の牙に似た〈ローゼーン〉の片刃の一撃は、緻密な徽章を施した盾に弾かれた。
「……忘れる? 腕?」
位置はそのまま、ゆっくりと盾を降ろし、〈ハイナイン〉が再び剣を構える。〈ローゼーン〉は既に初弾を放った位置、睨み合いの、お互いの射程距離に戻っている。
「ふん。……自分が落とされたことさえ、忘れたとでもいうのか? この――」
暗洋に光の筋が現れる。細い、黄金色のそれは瞬きよりも速く〈ローゼーン〉に達し、その片刃を弾いた。
「――冴えない腕で落ちたことをか? 大したものだな、〈殄滅師〉よ」
〈ローゼーン〉の一撃は盾を震わせ、しかし〈ハイナイン〉の一閃は〈ローゼーン〉とアリスを吹き飛ばしたのだった。その違いは光景を見るもの、中継を聞くもの、そして、アリス自身が一番理解していた。
「そういえば……」
アリスと〈ローゼーン〉は、次元立体照準で〈ハイナイン〉を捉えつつ、初弾からここまでを解析し、静電差エンジンは戦術を数百に渡って弾き出し、軸策バスを通じてアリスの脳髄に伝送する。
アリスの瞳には無数の明滅表示と、二体の仮想立体映像が飛び交っている。文字通り無数に。遠巻きにはヤシロ〈グラナドス〉や、マリヴァー〈ナッシュバル〉を筆頭のミブ〈スパンカー〉の戦況が、あらゆる情報と共に鎮座している。
対〈ハイナイン〉の全戦術情報が芳しくないことに悪態をつく彼女に、それは、静電差エンジンを介する〈ローゼーン〉の反応よりも俊敏に、そして過敏に届いた。
「……〈ヴィクトリウス〉の皆は元気か?」
囁くような共用通信のその一言に、別宙域でミブ隊を援護していたマリヴァーと〈ナッシュバル〉がうろたえる。
「アリス! 耳を貸すな! 喋ってないで戦え!」
「や……喧しい!」
アリスの咆哮がどちらに向けられたものかは、アリス自身でさえ解らなかった。〈ローゼーン〉の刃が二度、三度、数度と〈ハイナイン〉を襲う。次元立体照準の明滅十字と補助映像、数列が猛速度で入れ替わり立ち替わりアリスの瞳と脳髄を駆け巡る。だが、〈ローゼーン〉の疾風の刃は空を切るか、盾を震わすかであった。
〈ローゼーン〉の挙動、そして剣戟は、それを見るものを唖然とさせるほどの速度と威力であった。もはや、この時代の、オブジェという概念を超える、神技に等しいものだった。
だからこそ、それに対して構えたまま、盾を操り、四肢を僅かに動かす程度の〈ハイナイン〉は、それを見るものにとって、そして何よりアリスにとって、悪魔の成す奇蹟、災いそのものに思えるのだった。振るう毎に速度と威力を増し、今や静電差エンジンの臨界に達する〈ローゼーン〉の猛威は、しかし、〈ハイナイン〉を変えるには至らない。
「あんたが!」
「それは違うな」
怒気と刃を撒き散らして叫ぶアリスとは対照的な、淡々としたアルブレド・クラインゲルトの声色。それは〈ローゼーン〉と〈ハイナイン〉の様子とも等しかった。
〈ローゼーン〉の太刀筋は既に汎用オブジェや、ジルコン将軍の〈フォーマルハウト〉でさえ捉えられないほどであり、映像は残像の塊と化していた。機体速度を示す数値はとうの昔に許容を超え、表示されていない。黄金色の〈ハイナイン〉を、月からの照り返しで黒光りする残像が覆っている。
地上で固唾を飲む技師ガボットには〈ローゼーン〉が爆走しているように見えた。
自身の常識が通用しないことはリリィのお陰か、既に承知しており、〈ローゼーン〉の性能は、知り得る全てを遥かに凌駕していることも承知している。だが、それでもやはり、爆走している、そう見え、知らず、拳を握り締めていた。リリィのそれとは訳が違う、そう彼の、技師の熟達した勘が喚{わめ}いている。「それでは駄目だ」と。
全身を漂う彼の異様な殺気は、地上基地通信室の面々をたじろがせる。ぎりぎりというガボットの歯ぎしり。ただ画面を、様子を見ているだけであるにも関わらず、彼の息は荒く、全身は汗まみれであった。
「……〈殄滅師〉、貴様だ。皆を滅ぼす、貴様の仕業だ、エリュシオン(楽園。転じて、死後の世界の意)の使徒。哀れな〈ヴィクトリウス〉。次は〈ファー・レイリー〉か? なあ……」
〈ローゼーン〉の左肩を深々と切り裂く黄金色の光の筋。
捕捉はしていた。〈ハイナイン〉の挙動の始めと経過を〈ローゼーン〉と、その静電差エンジンは余すこと無く捕捉していた。にも関わらず、〈ローゼーン〉の左肩の装甲は裂け、その、波動干渉の許容を超えた衝撃と、斬られたという事実が、アリスの深層を激しく揺さぶる。
「アリス!」
「……〈死神〉よ。そうだろう?」
共用通信回線。暗洋に匹敵する冷たい笑いが、アルブレド・クラインゲルト以外の、全ての地上人の鼓膜を震わせる。そして、〈ローゼーン〉は、……静止した。
「アリス!」
カナデ・ヤシロとマリヴァー・ルキアノスの、悲鳴の如き叫びが共用通信回線を渡り、ガボットは装置台を拳で殴り付け、咆哮を上げた。握り締めた拳からどす黒い血が滴り、冷たい床で小さな音を立てて爆ぜる。
満天の星空。何処までも続く無限の静寂。
ガイアナ大陸中南部、ウランバル盆地を見降ろす高台の、粗雑な丸太小屋に居を構えていた赤毛の少年、キャラウェイ・シュナイドルは今、どういう訳か暗洋の片隅に佇んでいた。
その光景は彼を魅了して止まない。
漆黒に広がる小さな光の群れ。振り返れば、青く輝く美しい惑星、ガイアナ。真円を描く白い太陽に照らされた、暗黒に浮かぶ、大地と大洋と白雲で彩られる、神秘の宝玉。
「……奇麗だ」
そんな陳腐な一言は、しかし彼の視界を埋める様々を形容するに充分である。高台から見下ろすウランバル盆地の霧景色も大したものだったが、今、キャラのいる場所はそれを遥かに上回る。美しさも、そして、高度も。静寂が耳を打つ暗洋。
しかし、操座内はそうではなかった。見惚れるキャラの背後は何やら、がさごそとうるさい。同乗者が狭い後部操座で工具を振るっているのだ。
「――ゾエア級じゃ駄目だな。炉圧が全然安定しないぞ。エンジンの反応も鈍いし、調整してもきりがないー! うりゃ! てやっ!」
自称、いや、今や誰もが認める天才技師リリィ・ノイロンの、喧しい独り言。だが、それを含めてキャラは自身を取り巻く現状に安堵し、満足し、堪能しているのだ。目を釘付けにする暗洋と、頼もしい限りの同乗者。
「ねぇ、リリィちゃん。君は宇宙に出たことがあるのかい?」
「むきー! なんでそんなに! ん? 何?」
「宇宙。ここ? 来たことがあるの?」
リリィの意識が漸く自分に向けられたらしいので、キャラは繰り返した。彼女の集中力は大した物で、猪突猛進どころの騒ぎではないのだ。
「ない、全然。だってリリィちゃんは天才技師で、機師じゃないもの。宇宙に来れるのはオブジェだけだぞ」
暗洋、宇宙へと辿り着ける技術はオブジェのみが有する。そして、オブジェに乗れる、操れるものは機師のみである。リリィの返答は当然といえば当然であり、しかし彼女は今、宇宙にいる。機師ではないにも関わらず。
「でも、僕だって機師じゃあないよ」
キャラの返答もまた、ごく自然である。彼は大陸中南部に住んでいた、ごく普通の民間人である。
「キャラ君は、まだ機師じゃないってだけ。それはともかく、お星様と宇宙はみんなのものだから、誰が来てもいいんじゃない? 今はオブジェと機師だけでも、そのうち、みんなが来れるところになるのだー!」
その元気な声は、それを自分が実現させる、そうキャラには聞こえた。彼女に満ち溢れるものは、自信と野心と、夢と希望。
キャラはふと考える。友達を、家族を、夢や希望を失い始めたのはいつ頃だったろうと。それらを全てを残らず失ったのは、いつだっただろうか。
楔=B
失ったのではなく、突き崩され、潰された、それら。被害を免れるためウランバルへ脱出した当時のキャラは、自分に強く言い聞かせていた。これは避難だ、恐怖から逃げ出しているんじゃあない、と。しかしそれが単なるごまかし、虚勢であることを、見付けた丸太小屋にうずくまるキャラは程無く気付き、彼の生涯は一旦終わった。
目醒めの日のことは今でも忘れない。そんなに昔のことではない。たかだか数ヶ月、それくらい前である。楔ではなく彼女が落ちてきた、あの日。キャラが目醒め始めた、冬の晴れた日。
「……元気かな。今頃、どこにいるんだろう。……また、来るのかな」
奇妙な居候を思い返し、キャラはそっと、リリィに聞こえない様、小さく呟く。猫舌の、図々しい、偉そうな、……朗らかで、優しさを滲ませた、澄んだ瞳の――
「来たー!」
突然のリリィの大声に、キャラは大袈裟に驚く。
「嘘? 来たの? また?」
「反応感知! 相対座標は……あっちだー!」
キャラを無視して、リリィは操座の正面右上を指差す。ウランバル盆地から操座へと戻ったキャラは、操座中央の画面を睨む。相変わらず美しい暗洋。眩い星空。
「……何も見えないよ? リリィちゃん」
「キャラ君、反応はまだ索敵区域外だぞ! でも、天才技師リリィちゃんによる亜空間探査装置は無敵なのだー! 一粒たりとも見逃すものか! とりゃー!」
元気だか空回りだか、とにかく覇気に溢れるリリィを背後に、キャラは全身を強張らせる。
「そう……そうか。やっと〈エコー〉に――」
「敵機接近! 識別不能でこの反応は間違いないぞ!」
もはや完全にキャラを無視したリリィの咆哮。キャラは瞬間、息を止める。
「て……敵?」
「〈ハイナイン〉があっちで、識別不能の敵といえば、ただ一つ!」
キャラは操演桿を握った。それを操れないことなど忘れて。
背を操座に押し当て、踏板に足をそっと伸せ、正面の画像とリリィの声に全神経を集中させる。リリィが工具を仕舞う音がし、また、後部操座に身を固定する音と、それを示しているらしい装置の瞬き。
「グリグロ最終兵器! 規格外オブジェ〈ワンデルク〉だー!」
暗洋を映す画面に変化はない。が、キャラとリリィを乗せたゾエア級汎用オブジェの操座内は一転する。技師と民間人をのせた無力兵器、ゾエア級汎用オブジェは、中身だけ臨戦態勢となった。
「副司令! ……ガボットさん!」
通信担当のベレニケが叫び、ガボットはその怒りまみれの眼光を彼女に放つ。が、ベレニケはそれを逆に睨み返した。
「キャラウェイ、リリィ機より入電! しっかりして下さい!」
ガボットはそれには答えず、キャラ機操座と、機体の捉える映像を凝視し、どす黒い血で濡れた皮手袋で通信端末を握る。
「……状況を」
「キャラウェイです! えっと――」
「リリィ!」
「天才技師リリィちゃんより頑固じじぃに超特急入電! 〈ワンデルク〉が出たぞー! 絶対・相対座標、その他盛り沢山を伝送! ゾエア級のエンジンじゃ解析が遅い。助手は頼りないから、頑固じじぃが手伝えー!」
可愛らしい、しかし迫力は変わらずのリリィ。通信室に響くそれを聞き、通信担当ベレニケを始め、全員がガボット・リャザーノフを凝視する。
〈ファー・レイリー〉。ウィル・ジルコン将軍の指揮する私設軍隊。指揮官はしかし戦闘宙域であり、地上での全権は副司令官に委ねられている。副司令官は彼、技師ガボットである。
ガボットは大きく息を吸い込み、一旦止め、ゆっくりとそれを吐き出す。そして、首をごきりと鳴らし、丸まっていた背筋を直立させ、通信室を端から端まで見渡し、画面の一つを睨み付ける。
「誰が頑固じじぃだ! リリィ! 手伝ってやるが、勝負はまだだからな!」
「おうさ! 負けるもんかー! うりゃー!」
通信室に充満した悲観を消し去る二人の銅鑼声。ガボットと、そして地上の〈ファー・レイリー〉全員の瞳に精気が、決意が蘇る。
「〈ワンデルク〉、確かか? キャラ! 何か見えるか?」
「いえ、まだ何も……」
次々と伝送される情報を技師達がそれぞれの持ち場で解析する。敵味方識別反応無し。〈グリス・グロス〉であることは間違い無いが、それらのオブジェの反応とはまるで違う。粒子静電差現象による出力は桁違いで、さらに、別の数値が極端に高い。
「ガボットさん! これを!」
ガボットの眼前の画面に示されたそれを見て、彼は通信端末と、操座内の二人に向け、押し殺した声色でいう。
「強力な、頭抜けた重力場。計測器が振り切れる、間違い無い……〈ワンデルク〉だ。リリィ」
怒鳴るような、ではない。慎重極まりない呼び掛けに、リリィは無言で返す。
「ゾエア級では無理だ。例のオブジェ、〈エコー〉との接触まで、全力で回避。助手にもそう伝えて、おまえはそれを手伝え。……いいな?」
一拍置いて、リリィが返す。「とりゃー!」でも「うりゃー!」でも「頑固じじぃ!」でもなく、ただ一言。
「了解!」
〈グラナドス〉を除くヤシロ隊と合流し、ミブ隊を待つ〈フォーマルハウト〉率いるジルコン隊、いや、〈ファー・レイリー〉。地上基地、副司令ガボットからの入電に、ジルコン将軍は眉をしかめる。
「囮{おとり}ではない主力がこちらで、更に最終兵器が裏側……。これが戦略と呼べるのなら、奴等〈グリス・グロス〉には一体、どれだけの力があるというのだ?」
眼前の〈グリス・グロス〉主力部隊は後退し、彼等の本拠地である半月を背に、沈黙している。
「いや、戦略などではないのか。これが……『惑星浄化』で、……『計画』か」
合流したヤシロ隊、間もなく到着するミブ隊。戦闘不能となった機体を差し引き、残った戦力はおよそ八十。これが〈ファー・レイリー〉の主力であり、また、ガイアナの全てであった。戦術の立案は、順調に予定をこなす計画≠フ前では無力らしいことを、ジルコン将軍は改めて痛感する。彼に残されたことは、部下を生きて母星へ返すことと……。
「……祈るのみ、か。しかし、やれることは全てやる。そして、必ず戻る」
操演桿を放し、操座の隅に貼り付けた紙切れをそっと手にする。色褪せた写真。そこに写るのは、過去と、そして、彼等〈ファー・レイリー〉が取り戻そうとしている、未来だった。
突然の警告音に、キャラは度肝を抜かれた。操座中を急き立てるそれを後部操座のリリィが止める。
「敵、射程距離内! キャラ君、戦闘か撤退準備だ!」
「え? でも、何も見えない――」
「回折装甲の不可視属性だぞ! 見えないけど、目の前だー! そこにいる!」
何処だと辺りをうかがうが、キャラには意味不明な装置群と、暗洋を写す画像しか見当たらない。地上から敵対反応に関する解析情報が伝送され、リリィの、後部操座に設置された簡易端末に表示される。ガボットの言うように、それらは全て桁外れであった。
リリィは彼女らしからぬ顔で思案する。が、それは独り言として口から全て漏れ出しているので、キャラにも、地上のガボットにも伝わる。
「でっかいな。戦うにしてもゾエア級じゃ歯が立たないし、逃げるのはなんか嫌だし。むー……あ、まてよ、キャラ君と静電差エンジンを直結させて反応速度を臨界まで上げれば、ゾエア級だろうとノープリウス級だろうと、粒子転化出力に代わりはないか。性能に差があるにしても、それでもオブジェには違いないぞ。よし、これでいこう。っていうか、それ以外思い付かないし、考えるのは面倒だぞ。決まりだ。キャラ君!」
緊張しきったキャラにリリィは呼びかけ、同時に彼女の目の前にあった操演端末装置を蹴り付ける。突然頭を覆われたキャラは悲鳴を上げ、しかし体を操座に固定しているので飛び上がることはなかった。
「ななな何! リリィちゃん? 何?」
「時間稼ぎだぞ。〈エコー〉が来るまで、これで……戦えー!」
後部操座からの操作により、キャラの上頭部を覆う操演端末装置が灯る。次元立体照準が降ろされ、亜空間探査を開始。軸策バスからの無限の信号がキャラの後頭部を貫くように脳髄に達し、彼の世界は豹変した。
「戦えって、わ! ……あれ? 何? ……これは?」
「オブジェだぞ」
辺りを埋め尽くしていた装置群が消え、キャラは一人、暗洋に佇んでいた。
背後からリリィの声が聞こえるが、振り向いても彼女の姿は見えない。数列がキャラを取り巻き、傍らに板切れのようなものが浮かび、そこに、リリィの姿を見付けた。
「オブジェ? マリヴァーさん達と同じ? でも、全然なんともない」
「そうなのだー!」
板切れからリリィが飛び出し、キャラの傍に立ち、えっへんとばかりに胸を張る。
「マリヴァーとアリスは、連邦仕様のオブジェの癖が体に染み込んでて、だからあんなにへばったのだ。キャラ君は連邦仕様のへっぽこオブジェを知らないから、全然平気なのさ」
「……そうなのかい? 難しくて良く解らないけど……」
呆けて辺りを見回すキャラは、右手前方に何かを見つけた。
「何だろう、あれ……」
と、そこに突然、巨大な塊が現れる。見たことも無い、訳の解らない、異様なものが。傍にいるリリィが、さも当然といった調子でそれに答える。
「あれがグリグロの〈ワンデルク〉だぞ。回折装甲なんて、天才技師リリィちゃんと真機師キャラ君には通用しないのだー! いちおう基地にも伝えとこう。キャラ君、映像を頑固じじぃに伝送、よろしく」
「え? ああ、ガボットさんに伝えればいいのかい?」
キャラの体は操演桿を右に左に倒し、踏板を撫で、装置群を素早く叩いている。画面の一つに映るその操座内の光景に、地上のガボットが驚く。が、放心したり卒倒したりはもはやない。驚きつつも、リリィのやったこと、キャラの状況を、徐々に理解する。
「体の方は反応、いや反射しているだけで、意識は静電差エンジン、オブジェに直結か? キャラの体は今はオブジェで、しかし静電差エンジンからの莫大な過負荷に耐えられるのは、本当の機師、真機師。……そういうことだな? リリィ」
「む……やるな、頑固じじぃ。なかなか手強いぞ」
別画面にキャラからの伝送、〈ワンデルク〉の姿が、不可視属性を除去した上で、映し出される。その異形は、基地を只ならぬ雰囲気で満たす。ガボットはそれを凝視し、無数の毒蛇を生やした巨大な狼の頭を連想した。
陽光の元、錆色にぎらつく異様な姿。周囲に無数の岩石を侍{はべ}らせた奇怪なそれこそが、規格外オブジェ〈ワンデルク〉であった。
人を模していない金属塊、触手を揺らす怪物の頭部。惑星ガイアナに、侍らせた大質量の楔≠打ち込む、〈グリス・グロス〉の最終兵器。その大きさは、キャラのオブジェの数百倍、かすかながら地上からでも見えるほどである。
「……規格外? そんなもん、断じてオブジェではないわ!」
副司令、技師ガボットは吐き棄てるようにいい、キャラ機操座画面に目をやる。そこにはリリィの、声色とは裏腹の、形容し難い顔つきが映っている。彼女は何も言わないが、同じ思いであろうことはガボットや他の技師にも察しがつく。
〈ワンデルク〉の錆色の触手が揺れる。
手招きをするか、獲物を探るように。その触手の先端部分と、キャラ機、ゾエア級汎用オブジェが同程度の大きさで、しかしその触手が見た限りでは数十本はあり、本体の方は、途方も無く巨大である。ゾエア級だとかそういう問題ではない。単純に質量が桁違いなのだ。だが、ガボットは通信端末を握り、リリィに、同じ技師にいう。
「リリィ。キャラウェイとゾエア級でやれるんだな?」
「時間稼ぎだ。それくらいなら問題無いぞー」
険しい、しかし頼もしいガボットの眼光。地上基地、通信室は無言で二人のやり取りに耳を澄ます。
「……〈ワンデルク〉は任せる。勝負は後でだ、リリィ!」
「負けるもんかー! キャラ君、戦闘準備! っていうかもう戦闘中だぞー!」
うかがうように揺れていた触手の一つがキャラ機に迫る。蚤を踏み潰す、そんな様相であった。
「キャラ君! 来た! 盾を出すぞ! 静電差出力を干渉炉に再分配! 波動干渉障壁、展開! やれー!」
《死神》
ことことという小さな音と甘い香り。母親の自慢料理、羊肉のシチュー。
袖を通したばかりの、着慣れない連邦礼服を嬉しそうに撫で、アリスは母親の肩を叩き「どお?」と聞く。窓からの春の日差しで黄金色の母親は、満面の笑みを浮かべる。
「良く似合ってるわよ、お嬢様。あら、機師さんかしら?」
くすくすと笑い合い、アリスは食卓を振り返る。彼女と同じ礼服を着た友達が数人、談笑している。アリスもそれに加わる。士官学校で出会った友達と、それ以前からの長い付き合いの友達。男女それぞれ。皆、今は友達で、これからは戦友となる、仲間達。
自慢料理を披露するというアリスは、それを自分が作るかのように誇らしげであった。
食卓でヨセフスを論破したユーリーがアリスを見て、女性にしては掠れた声で言う。彼女のそれはしかし魅力的であり、ヨセフスが彼女をどうこうしようという魂胆を抱いているのは、皆に見透かされている。
「何だ。てっきりアリスが作るのだと思っていたのに、お母様じゃあないの。オブジェ以外じゃあからきし不器用なアリスが、あんなに自信満々だったのは、そういう訳なのね」
「でも、いい匂いだ。自慢するのも解るよ。これはもう口にするまでもなく、だね」
ふん、と鼻を鳴らし、アリスは胸を張る。
「だから言ったでしょ? 絶品だって」
今日は大所帯なので煮込みに時間がかかるらしく、もう少し待つようにと母親がアリスに目配せする。それを皆に伝えると「じゃあ」とヘンナが襟を正す。
「飲み物は先に頂いても構わないの? アリス」
「ええ、勿論」
ヘンナは甘い葡萄酒を満たした透明な硝子盃を手に立ち上がり、それにアリスが続き、ヨセフス、ユーリー、リベル、カピティアンもそれぞれ盃を手に椅子を引く。ヘンナに促され、各人を代表してアリスがささやかな宴、祝杯の席の幕を開く。
「では、不肖アリシェラ・バナレットが、僭越ながら挨拶など。……我ら、ガイアナ連邦、〈ヴィクトリウス〉に! ……御馳走あれ!」
間を置いて、一同から歓声が湧き、それぞれの盃を軽く合わせる。鐘の音のような澄んだ音色が、甘い香りを響き渡る。
「……〈ヴィクトリウス〉の皆は元気か?」
ええ。みんな、とっても元気よ。
「アリス!」
〈ローゼーン〉との回線は繋がったままだったが、ヤシロ〈グラナドス〉に応答はない。〈ローゼーン〉と〈ハイナイン〉から遥かに距離を置く〈グラナドス〉。これ以上接近すると、両者の鍔迫り合いによる強烈な衝撃がヤシロと〈グラナドス〉を襲い、それにヤシロも〈グラナドス〉も到底持ちこたえられないのだ。
だが、このままでは……。
カナデ・ヤシロは凍えた焦燥で必死に思案する。性能差どころの騒ぎではない。〈ローゼーン〉や〈ハイナイン〉から見れば、ヤシロの〈グラナドス〉など鉄屑に等しい。何か手が、方法が、全身の筋肉を硬直させるヤシロ。両掌は操演桿を握り潰す。そして、彼女の思案、混乱をその一言が両断した。
「……〈死神〉よ。そうだろう?」
「アリス!」
今度はリベル機だった。
彼の機体は上下に両断され、惑星ガイアナへと落ちて行く。猛速度で母星に迫り、真っ赤に光り、しかし大地に達することなく四散した。
ユーリーを庇ったヨセフス機は、守るべき彼女もろとも串刺しにされ、落ちる前に爆砕。悲鳴が聞こえた。照準装置をカピティアンだった塊が横切り、脇にいたヘンナが彼女の部隊を引き連れて、そして、無数の欠片へと姿を変える。
四肢が震える。顎がかちかちと音を立てる。恐れ、ではない。憤怒だ。
操演桿を握り、照準を、黄金色の敵に固定し、刀を構える。刺し違える覚悟。命くらい幾つでもくれてやる。だが、必ず、おまえもろともだ、そう決意し、口に出し、〈殄滅師アリス〉は刃を放った。
ことことという小さな音と甘い香り。みんな元気かしら。待ってて、私も行くから、まだ食べては駄目よ。みんな……。
「……〈死神〉よ。そうだろう?」
〈死神〉? あの黄金色が? いや、違う? 〈死神〉は……。
「〈死神〉は……」
ヤシロの耳にそれは小さく、囁くように、かすかに響いた。
「……アリス?」
ヤシロは耳を疑う。彼女の声だが、彼女ではない。まるで、そう、幼い子供のような、か弱い、小さな声。
次の瞬間、ヤシロの脳裏に閃光が瞬き、〈グラナドス〉は〈ハイナイン〉目掛けて、〈ローゼーン〉との間に割って入るように、限界速度で突入する。
加速衝撃が彼女を操座に押し付け、呼吸もままならない。
機体が悲鳴を上げ、装甲に亀裂が走り、被弾部分がめくれる。アーマライト・リアクターの噴射口と〈グラナドス〉の両足が溶けて、その輝きは白色に達する。ヤシロの意識は潰れて遠退き、だが、照準装置に向けられた射抜く視線だけは明瞭で、それは黄金色を捉えて睨み付けている。
「祈る時間くらい――」
振り絞るような叫びと、振りかぶられる〈グラナドス〉の反りかえった刀。
「――作ってやるよ!」
「……自己犠牲。それを必要とする、悲しき人類。繰り返される愚行にあって、しかしそれは栄誉だと思いたい。無駄だと知りつつ、あえてそれをするお前は、それでも人類で、だが、機師だ。機師とは何だ? それがもし、人類の次の姿なのだとしたら、愚行は終焉を迎えるのかもしれない。だからこそ、惜しい。それを断たねばならないということが……」
白い刃と化したヤシロには届かぬ呟きと共に、〈ハイナイン〉がゆっくりと黄金色の剣を構える。
「……或いは、これこそが愚行か……」
ゾエア級汎用オブジェの操座に衝撃が走り、キャラウェイ・シュナイドルとリリィ・ノイロンを貫く。
規格外オブジェ〈ワンデルク〉の触手、鋭い爪がキャラ機を襲い、しかしそれを両の掌で受け止める汎用オブジェ。その光景は地上基地の面々には奇蹟とさえ見えた。だが、操座内画面を凝視するガボットは、その奇蹟に歓喜することはなく、苦い表情だった。
「リ! リリィちゃん!」
「だー! 操座の分を減らしたから、衝撃を回折しきれないぞ! おえっ! 気持ち悪いし、頭が痛いぞー!」
リリィによって作られたキャラ機の唯一の兵装は、盾であった。それは波動干渉炉による回折作用を局所的に発生させた時空の壁、波動干渉障壁である。
「……出力が足りんのか! リリィ! どれくらい持つ?」
ガボットは通信端末を握りつつ、もう一方で装置を叩く。キャラ機の状態を示す数値を横目に、目線で仲間に合図する。
「ぐぅ。……多分、あと二回が限度だぞぅ」
ガボットのそばにある画面の数値もそうだと示している。
「キャラウェイ! 聞こえるな?」
「は……はい」
彼の声はリリィよりはましだが、しかし先の衝撃で極端に消耗している。
「ゾエア級……その機体では〈ワンデルク〉とは戦えん! 攻撃は可能な限りかわせ! 干渉……さっきの盾を使うと、機体ではなく、おまえらが持たない! いいな!」
「……は、はい。何とか、やってみます」
通信端末を一旦切り、ガボットは叫ぶ。
「〈エコー〉らしき反応は? 付近の筈だ!」
別の技師は首を横に振り、ガボットは舌を打つ。
「キャラ機、被弾!」
通信担当のベレニケが叫び、操座画面が大きく揺れる。
「あ! 足が!」
キャラ機の左足の腿から下が粉々に砕け、その欠片が飛び散る。〈ワンデルク〉の爪の速度は、キャラ機の離陸、三基のアーマライト・リアクターに匹敵していた。それが四方八方から降り注ぐ。
「足なんて後でくっつければ――」
再び衝撃。今度は背後から。
「かすめた? かわせない!」
下から突き上げるように迫る爪を右腕で反らそうと構え、しかし爪は右腕そのものをもぎ取った。更なる衝撃。又もや背後から。
「まずいぞ! キャラ君! リアクターが壊れた! 分離――」
リリィの叫びを爆音が遮った。背後に青白い反応火球が現れ、キャラ機の背部装甲を吹き飛ばした。キャラは背骨を蹴り付けられた格好になり、そこに、確実に操座を目指す爪が迫る。
「た、盾!」
残った左手を爪に向けてかざし、大質量の爪を受け止める。
途端、背後からの衝撃が爆発、操座を貫いた。爪に向けて波動干渉障壁の盾を展開したゾエア級汎用オブジェは、背部の電離推進機構〈アーマライト・リアクター〉の爆風を浴び、それは機体と、操座を容赦無く襲った。
突然の青白い反応火球に、爪の群れは一旦退く。霞む視界。キャラの呼吸は不規則で、鼓動は逆に忙しなく急かすようだった。知らず奥歯を噛み締めていたキャラは、傍らの画像を見て我に返る。
「リリィちゃん!」
操演端末装置を跳ね上げ、固定帯を外し、キャラは後部操座に身を乗り出す。
彼の横をふわふわと漂うのは、幾つかの赤い玉。装置に額を打ちつけたリリィの血であった。リリィは片目は閉じ、もう一方を薄く開き、しかしそちらは真っ白である。小さく開かれた口は、呼吸をしていない。
先のリアクターの爆発衝撃が回折されず、直接彼女を貫いたのだ。爪を受ける為に展開した干渉障壁により、無防備となった操座の後部を。
「リ……リリィ、ちゃん?」
唇が震え、声にならない。キャラの頭の中は真っ白になり、それは地上のガボットもまた同様であった。
操演端末装置を切ったので操座内映像は消え、キャラ機の視界を示すそれもまた消える。キャラは止血剤をリリィの額に吹き付け、気密服の頭部分をリリィに被せ、自分も気密服をまとう。震える声はひたすらにリリィを呼び、しかし体は素早く動く。
「キャラウェイ!」
地上、ガボットからの声が通信端末からかすかに聞こえるが、キャラはそれに耳を向けていない。一旦退いた爪が再び揺れ出すが、それにすら目を向けていない。キャラは気密服に身を包んだリリィを抱え、操座側壁、装置の一つを力一杯蹴りつける。上部で小さな爆発が起こり天蓋が吹き飛び、暗洋、瞬く星空が顔を覗かせる。しっかりとリリィを抱き、キャラは一瞬の躊躇も無く座席を蹴り上げ、搭乗口から飛び出す。
直後、無数の爪がゾエア級汎用オブジェを貫き、粉々に砕いた。
「キャラ機……撃墜、されました」
ベレニケが吐き棄てるように呟き、ガボットは遂に膝を突く。
「キャラ……リリィ……」
リリィを抱えたキャラウェイは機体の爆発で飛ばされた。
不規則にきりもみし、ガイアナも月も太陽もない、漆黒の宇宙へと舞う。リリィの気密服、顔を覆う特殊硝子にキャラの顔が映り込む。その表情は地上のガボットのよう、ではなく、まるで、機師マリヴァー・ルキアノスかジルコン将軍のように研ぎ澄まされたものだった。
両手でリリィを抱き、キャラはその眼光を辺りに撒き散らし、鋭く叫んだ。
「〈エコー〉! 僕は、キャラウェイはここだ! 今だ! 今すぐ来い! ……ルジチカ・シュナイドル! 今すぐ……来い!」
キャラの叫びが真空を、こだまする……。
ガイアナ大陸北方には、古くから語り継がれている有名な民間伝承があった。森に住む樹木の精霊、緑色に輝く羽根を持つ、青い瞳の泣き妖精≠フ御伽噺{おとぎばなし}である。
大陸北端、ノーザス山脈の森の奥深くに、粗末な炭焼き小屋があった。父親からその小屋を受け継いだ麓{ふもと}町に住む青年は、毎年冬と共にその小屋を訪れ、数ヶ月を過ごすと、春の日差しと共に去っていった。三度目の冬、十九歳になった年に、彼は彼女と出会った。青年の掌に収まるほど小さな彼女、幼い泣き妖精と。
風の囁きにも似た幼い泣き妖精の美しい声と、文字通り輝く容姿は青年を魅了し、また、穏やかで曇りの無い青年の心に、幼い泣き妖精も好意を抱いた。二人は時を忘れて語り合う。下界や森の事、互いの兄弟や家族の事、そして、それぞれの種族の事を。ずっと一緒に、何度も交わした言葉を暖かい春風が包み、永遠の幸せに終わりが近付く。
ついに青年は、麓町で待つ人々を捨て、森の炭焼き小屋で彼女と共に暮らす決心をする。異なる種族同士、青年と泣き妖精は属する世界を離れ、共に暮らそうと約束しあった。だが、森の一族の掟は、二人の想いを許すだけの肝要さを持ち合わせてはいなかった。
一族の長に問い詰められた幼い泣き妖精は、彼女の想いを疎ましく思った長により、言葉と姿を封じられる。
忽然と姿を消した幼い泣き妖精を来る日も来る日も待ち続ける青年の目は、自らの鼻先を漂う彼女を捉える事は出来なかった。幼い泣き妖精は日々青年に向け歌を囀{さえず}る。しかし青年の耳には、その歌は風の囁きにしか聞こえない。
次の冬の訪れと共に、青年は麓町へと帰っていった。夢だったのだ、そう何度も何度も自分に言い聞かせて。通じぬ思いに耐え兼ねたは幼い泣き妖精は、森にある澄んだ湖にその身を投げた。
幼い泣き妖精の物悲しい歌声は、主を失ってからもそよ風を漂い、こだま(木霊)となった。
この御伽噺が元となり、ノーザス地方の一部では思春期を迎える頃の幼い女の児を泣き妖精≠ニ比喩するようになった。泣き妖精≠ヘ、現地語でエコー≠ニ発音する。
遙か昔、オブジェの頭脳たる静電差エンジンを二基搭載し、通常の二乗倍の出力と状況判断分析を行い、それに見合う過剰兵装と爆発的機動力を備えた、天才技師アドホッグ作の超性能オブジェ〈エコー〉、別命泣き妖精≠ェ誕生した。
だが、その二基の静電差エンジンは機師の思考の肩代わりをするのでは無く、膨大で際限無い情報量で搭乗者・機師に過負荷を与えるのだった。〈エコー〉に搭乗した機師の頭の中には、各種情報がこだま≠フ如く響き渡るのである。
暗洋を漂う、リリィを抱えたキャラは、不規則なきりもみから一転、静止した。
リリィの頭越しには白く輝く壁があった。右と左、両脇から同じく白い壁が現れ、二人をそっと包む。
壁ではない。それは、巨大な手だった。
ゆっくりと視線を上に向けるキャラ。頭部、鼻梁と耳が突き出てまるで狐のような顔。一見すると白い、しかし惑星からの照り返しにより眩く輝く、宝石の如き白さ。
キャラとリリィをそっと包んだ掌が持ち上がり、胸元で止まる。そして、輝く白の一部が口を開けた。天蓋が開くそこは、搭乗口。
キャラウェイを呼ぶ声がする。彼にしか聞こえない、柔らかな音色。それは言う。さあ、乗れ、と。
「エ……〈エコー〉?」
キャラに向け、彼は続けた。そう、君が呼んだ。だから来た、と。
白い掌をそっと蹴り、リリィを抱えたキャラは、まるで吸い込まれるように、そこ、搭乗口へと飛び、操座についた。
「は! 反応感知! ガボットさん!」
通信担当ベレニケが悲鳴を上げる。膝を突き放心していたガボットが体を震わせ、彼女を見詰める。これ以上、何を失うというのか、彼の目はそういっている。だが、ベレニケはそうは言わず、立ち上がって画面の一つを指差し、こう叫んだ。
「未確認のオブジェです! キャラウェイとリリィが接触、いや、搭乗しました! あれが……」
ガボットは弾けるように立ち上がり、ベレニケの指し示す画面、電光表示の戦略地図上に現れた、一つの光を凝視し、呟く。
「……〈エコー〉?」
それに答えるように、沈黙していた別画面が灯る。そこに映るのは……。
「キャラウェイ! 後ろは……リリィか! 二人共……」
ガボットの濁った瞳にかすかな涙が浮かぶ。数年、いや、数十年ぶりだろうか。全身を身震いさせ、ガボットはキャラと、背後のリリィを見詰める。
「キャラウェイ・シュナイドル、リリィ・ノイロン両名は……」
その声色は、それまでのキャラとは明らかに異なっていた。淡々として、しかし限りなく頼もしい、力と自信が溢れる、そんな声色だった。
「……予定通り〈エコー〉に搭乗。ガボットさん、リリィちゃんは気絶しているだけです。軽症をおっていますが、すぐに目を醒まします」
こくこくと頷くガボット。その頬に一筋の涙が零れた。皮手袋を握り締め、震わす。
「キャラウェイ、〈エコー〉はこれより、〈ワンデルク〉を迎撃……消滅させます。戦況は伝送します」
先程までゾエア級汎用オブジェの視界を映し出していた画面が生き返り、再び〈ワンデルク〉の異形が現れる。更に、別画面が開き、それは〈ワンデルク〉と、白く輝くオブジェを映し出していた。
「あれが……泣き妖精=A〈エコー〉か?」
それを捉えられる位置にオブジェなり映像装置なりは一切無い。〈エコー〉による亜空間索敵の応用である。映像に基地通信室が釘付けになる。固唾を飲む面々の頭上をキャラの静かな声が渡る。
「さあ〈エコー〉、あいつを処分しよう。……規格外らしいからね」
《泣き妖精》
カナデ・ヤシロとアルブレド・クラインゲルト、白色と黄金色の閃光。静止したアリス〈ローゼーン〉の頭上でそれは、交叉した。
剣戟が火花となって散り、暗洋を激しく揺さぶる。そして、黄金色、〈ハイナイン〉の切っ先は暗黒に突き立ち、白色、〈グラナドス〉のそれもまた、無数の星屑に向けられていた。遅れて到達した衝撃波が〈ハイナイン〉と〈グラナドス〉を叩く。
「ったく、ミブの頼みは断れないからなぁ……」
共用通信回線。薄れた意識のヤシロは、その声に顔を起こす。
操座内。計器類は全て停止し、静電差エンジンは補助動力に切り替わっている。戦闘不能を示す文字が、ちかちかと瞬く。推進装置、溶解。同じく使用不可。辛うじて生き残っているのは、補助動力でまかなえる程度の姿勢制御と、通信各種のみ。
「カナデを頼む、だってよ。聞いてるこっちが恥ずかしくなるぜ。ほんと、お熱いこって。なあ、……床屋さん?」
何時の間にか戦闘は終了したのか? ヤシロは一瞬そう思う。だが、そうではないことを、通信各種が教える。あれから、まだほんの二秒かそこらで、ここはまだ戦場だ。だが……。
「……マリヴァー?」
「よお、やっとお目醒めかい? 声が聞こえないから死んじまったかと思ったぜ。危うく俺がミブに絞め殺されるところだ。脅かしっこは無しだぜ」
姿勢制御、機体を反転させる。照準装置は死んでいるが、視界は生きている。星が流れ、そこに黄金色の〈ハイナイン〉と――
「マリヴァー!」
「ああ、そうだってば。何度も呼ぶなよ。悪い……待たせたな」
――マリヴァー・ルキアノスの駆るオブジェ〈ナッシュバル〉を捉えた。アリスの〈ローゼーン〉と同じく、黒い機体。反り返った刀を二本握る〈ナッシュバル〉。
「……〈ハイナイン〉の剣を、流す? 貴様、何者だ?」
押し殺した声は、アルブレド・クラインゲルトだ。冷徹で、しかし、これまでとは微妙に違う声色。
「アリスは暫く動けない。ヤシロ、アリスを頼む。後で一杯おごるからよ、な?」
「……え? マリヴァー? ええ、でも……」
「と言っても、ミブにおごらせる分をそっちにやるだけだがな。ははは! ああ、それとも、三人で飲み比べ、ってのもいいなあ。ヤシロを酔わせると、笑えるからな」
ヤシロはたじろぐ。
彼、マリヴァー・ルキアノスは〈ハイナイン〉、アルブレド・クラインゲルトを完全に……無視している。〈ハイナイン〉が振り返り、その黄金色の切っ先を、マリヴァーの黒いオブジェ〈ナッシュバル〉に向ける。が、〈ナッシュバル〉は相変わらずヤシロの〈グラナドス〉を向いたまま、マリヴァーは場違いな与太話を続ける。
「……耳が悪いらしいな。何者だ、そう聞いたぞ?」
「笑い上戸の床屋さん。見てるこっちの方が可笑しくなるんだよなぁ。けらけらけら、ってな」
〈グラナドス〉の視覚域。〈ナッシュバル〉の背後で〈ハイナイン〉が、その黄金色の剣を構える。
「マリヴァー!」
「まあ良い……消えろ」
黄金色の一閃が暗洋を両断し、〈ナッシュバル〉を両断……しなかった。
「……うるさいぞ、金ぴか野郎」
背を向けたまま、右手に握る刀を肩に担ぐような格好の〈ナッシュバル〉。その頭部がゆっくりと背後を振り返り、漸く〈ナッシュバル〉は〈ハイナイン〉と対峙した。〈ハイナイン〉の放った一閃は、右手の刀により、流されたのだ。
「何者だ、だと? そうさなぁ。ま、ならず者ってところだ。どうだ、満足か? 金ぴか野郎」
左手の刀を柄に仕舞い、右の刀を真横に降ろす〈ナッシュバル〉。その両眼が〈ハイナイン〉を睨み付けた。
「片割れのオブジェで、この〈ハイナイン〉と対等とでもいいたいか?」
盾を横に、切っ先をマリヴァー〈ナッシュバル〉に向け、アルブレド・クラインゲルトの凍えた声が共用通信回線を渡る。
「この〈ハイナイン〉? ああ、その、貴族趣味で反吐が出る金ぴかの遺物のことか? まるで化石だな。博物館にでも飾ってやろうか?」
「……ふん。虚勢でも大した物だ。貴様のオブジェでは〈ハイナイン〉の性能を見定められないらしいな」
と、〈ナッシュバル〉は右手にした刀を器用にくるりと回して、今度は先程同様、肩に担ぐ。
「性能? なんだ? 金ぴか野郎。てめえは俺と、駆けっこか腕相撲でもやりたいのか?」
「……何が、言いたい?」
肩にあった反り返った刀が、そこで始めて〈ハイナイン〉に向けられる。
「随分と長いこと眠ってたそうじゃあないか。てめえ……寝ぼけてんじゃあねえのか? その派手な剣は、思った通り、錆付いてるってことか」
〈ハイナイン〉が動く。構え直したのだ。その異様なまでの殺気は、ヤシロの〈グラナドス〉にも達する。
「どうにも……。オブジェの性能差を剣技でまかない、それで〈ハイナイン〉と対等だと、そう聞こえるがな」
「残念。惜しいが、間違いだ。対等じゃねえよ。言っただろう、おまえの剣は錆付いてるって。それはなぁ、なまくらだって意味だよ」
「ふん、大した虚勢だ」
最初に仕掛けたのは〈ハイナイン〉だった。だが、〈グラナドス〉の索敵性能ではそれを捉えられない。それが可能なのは、アリスの〈ローゼーン〉と、マリヴァーの〈ナッシュバル〉だけである。
閃光が瞬くが、ヤシロにはその光と衝撃波と、二人の会話しか捉えられないのである。しかし、そこで何が起きているのかは察する。暗洋と通信回線を抜ける覇気と殺気により。
「虚勢? なあ、金ぴか野郎。寝てるか落ちるか、どっちかにしろよ」
「……」
閃光の瞬きが止み、二体は睨み合う。そしてヤシロは絶句する。どちらにも、傷一つ付いていないことに。先のアリス〈ローゼーン〉の、同じく壮絶な剣戟を見ていたヤシロ、だからこその絶句。
「解るかい? 金ぴか。てめえの剣技はなぁ、古臭いんだよ、錆付いてるんだよ」
起動性能を追求したアリスのオブジェ〈ローゼーン〉。そして、マリヴァー・ルキアノスのオブジェ〈ナッシュバル〉は戦闘能力に長けており、それは他の追従を許さない。ヤシロは誰かが言ったその言葉を、漸く理解する。
「……第一、刃の数が違うぜ、金ぴか野郎。二対一で、ならず者の俺様の勝ちだ。でも、一本でもいいぜ。なにせ相手は、博物館行きの、なまくらだからなぁ。物足りなくて仕方ねぇよ」
呆然とするヤシロを尻目に、マリヴァー〈ナッシュバル〉の反りかえった切っ先が、再び〈ハイナイン〉に向けられた。
「さあ、どうする? 開き、短冊切り、微塵切り、どれがお好みだ? ……原始人よぉ」
戦闘宙域。
〈グリス・グロス〉主力部隊を牽制する、ジルコン将軍〈フォーマルハウト〉率いる〈ファー・レイリー〉。
〈ハイナイン〉と〈ナッシュバル〉のその光景は、カナデ・ヤシロのオブジェ〈グラナドス〉から、各機に余すことなく伝送されている。そして地上からの入電もまた各人に伝わる。眼前に広がる膨大な数の敵。しかし〈ファー・レイリー〉は威風堂々、整然としていた。誰も口にしないが、誰もが思っている。奇蹟なのか? と。圧倒的な勢力差であった〈グリス・グロス〉と〈ファー・レイリー〉が今や、拮抗している。
「戦うのなら……」
誰かが呟く。そしてそれをまた誰かが継ぐ。
「勝てるように、戦え……」
ジルコン将軍は祈ることを止め、色褪せた写真を覗く。可愛らしい孫と、息子夫婦。晴れた空と白い雲。それらを取り戻すのに祈ることなど無意味だと、彼は感じる。慈悲を求めることは無意味だと。ジルコン将軍は、豹機の再来と称えられた過去を吐き棄て、自身に言う。わしは大昔の英雄カミオン・シストラーなどではなく、ウィル・ジルコンであり、〈ファー・レイリー〉の機師だと。
そして、彼の元に集ったのは、地上に、ガイアナに再び光を取り戻さんとする、仲間なのだと。ミブの〈スパンカー〉がまた一つ、敵を撃墜する。敵の数は無尽蔵。しかし、彼等〈ファー・レイリー〉は臆すること無くそれらと対峙していた。
「……だあー! 盾だぞ! ……いてて、あり?」
額の傷を撫でつつ、技師リリィ・ノイロンは周囲を見渡す。
オブジェの操座であることは一瞬で理解する。しかし、自他共に認める天才技師リリィちゃんは、目をぱちくりさせ、呆ける。オブジェの操座だが、見慣れない型の装置ばかりである。それらが何かは当然すぐに理解するが、彼女は一番肝心なことに気付かず、それを口にした。
「……ここ、どこ?」
「リリィちゃん! 良かった」
聞きなれた声はキャラウェイ・シュナイドル。それもすぐに理解し、彼が彼女の前に座していることにも気付く。しかしである。
「キャラ君? ここ、どこ?」
と、リリィの頭部を装置が覆った。
操演端末装置の一種であるらしいが、機師ではないリリィに対しその、操れない、無意味である筈の装置は各種情報を、彼女の網膜に表示する。反動・負荷と呼ばれる静電差エンジンからの反応は一切ない。数列や図形はリリィの思うがままに切り替わる。それらを一瞥し、リリィは漸く気付く。
「〈エコー〉だ! そうだな? キャラ君! これ、〈エコー〉だぞ! 絶対そうだー!」
「うん。〈エコー〉だよ」
そしてリリィは歓喜、せずに怒鳴り散らした。
「リリィちゃんは〈エコー〉の姿を見てないぞー! キャラ君ずるいぞ! 見たいっていったのにー! 卑怯者ー!」
キャラは僅かに動揺し、しかし笑顔のまま言う。
「見えるよ。中からでも。そっちで操作できる筈、やってみて」
とりあえずそれでリリィは収まった。彼女は言われた通り、操演端末装置に向け「見せろー!」と叫ぶ。でたらめなその命令に装置は答え、彼女の視界は、地上基地に伝送されているものに切り替わる。〈エコー〉と〈ワンデルク〉を映す位置に。
〈ワンデルク〉ではない方、白く輝くオブジェ。リリィは「ほほぅ」などと言うが、その鼻息は荒い。
「緑色じゃないし、ちっちゃくもないけど……」
操演端末の操作に慣れたのか、リリィは視覚域を自在に切り替え、〈エコー〉の全景をなめ回すように見詰める。
「……ぴかぴか光ってる。……奇麗。それに、かっこいいぞ!」
手足をばたつかせ、リリィは喜びだか満足だかを体で表現する。その楽しげな雰囲気は、キャラや地上基地のガボットにも伝わる。ガボットは呆れつつ、しかし、それに勝るほどに安堵する。リリィが無事であった。ガボットにはそれで充分なのだ。
「顔が鋭いぞ! 手足が強そうだし、姿勢がりりしい! キャラ君。〈エコー〉はかっこいいぞー!」
「うん。僕もそう思う……〈ワンデルク〉が来る、リリィちゃん」
キャラは視覚域に映る、触手を揺らす巨塊〈ワンデルク〉を眺める。
次元立体照準が降り、全ての触手先端と、その本体を、明滅する立体十字が洩らさず捉える。相対距離を示す数値がみるみる減り、しかし警告音などはしない。
「リリィちゃん。僕は〈エコー〉を動かせるけど、武器とか性能とかはこっちでは解らないみたいなんだ」
「今度はリリィちゃんがキャラ君の助手?」
リリィの声色は微妙だった。
「……駄目かな?」
一瞬の沈黙後、リリィは快活に答える。
「いいぞー! 〈エコー〉の副機師リリィちゃんだ! キャラ君、まかせなさい!」
迫り来る〈ワンデルク〉ではなく、リリィの方を警戒していたキャラは、安堵の溜め息を吐く。
「良かった。とりあえず、武器とか何か――」
「みなまでいうなー! リリィちゃんにおまかせあれだぞ!」
リリィはまず、〈エコー〉の設計図と静電差エンジンの結線図を呼び出し、兵装管制と機動性能を確認する。次々と切り替わる表示を素早く読み取る。そして、相変わらずの独り言。
「設計者が二人? アドホッグとフリアエ・ワクスマン……知らん。んで、……あれ? これは……おい! キャラ君! なんともない?」
リリィの呼び掛けが何を意味するのか解らず、しかしキャラは答える。
「なんともって? いや、別に。さっきのオブジェよりは随分と楽だよ。こう、なんていうのか、良く動く、そんな感じかな?」
キャラは感じたままを口にし、それはしかしリリィを困らせたようで、彼女は唸る。
「……そう? なんでだろう? 静電差エンジンが二基もあるのに――」
「何!」
リリィの独り言に割り込んだのは、ガボットの叫びであった。彼の喜怒哀楽の変化は彼自身を摩耗させていた。だが、それでもそう叫ばずにはいられなかった。
「む、頑固じじぃ。勝負はまだだぞ。それにこっちは結構忙しいから、後でだ。んでんで、キャラ君が平気だってことは、二つ目の静電差エンジンは……ああ、なるほど。んで――」
「リリィ! こっちにも教えろ!」
再度のガボットの叫びに、リリィは顔をしかめつつ、渋々答える。
「もー。解ったぞ。教えるから、静かにしろー。えっと、〈エコー〉には、まず二基の静電差エンジンがあって、それから、アーマライト・リアクターを内蔵してるぞ。小型化してるけど、出力は普通の奴と一緒で、それが十基、背中とか後側にくっついてる。でもって、えーと……」
「リアクターを内蔵! 十基!」
「静かにするー。ああ、これだな。なになに……〈ロゼッテ〉?」
「〈ロゼッテ〉って?」
これはキャラだった。
「ええと、〈ロゼッテ〉は……お! 凄いぞキャラ君! 〈ロゼッテ〉ってのは、静電差砲だ!」
「……何? その静電差砲ってのは」
キャラの質問はガボットのそれでもあった。ガボットは煙たがられるが、キャラには親切らしいリリィ。ガボットはその静電差砲≠ニやらについて、詳しく聞くことが出来た。
「えっとねぇ。静電差砲〈ロゼッテ〉は、粒子転化出力を指向性の粒子線に変換して放出する、つまりは鉄砲だぞ」
「鉄砲? でも、〈エコー〉は何ももっていないよ」
キャラのいう通り、〈エコー〉の両腕はなにも握っておらず、五指を軽く曲げているだけだった。
「〈ロゼッテ〉は両腕に内蔵されてて、ああ、だから腕が太いのか。なるほど。でもって、その威力は粒子転化の反応出力、そのもの、だ、か、ら……」
リリィの声が止む。技術指南の講演会と化していた操座は一転、沈黙。キャラ、そしてガボットはその只ならぬ様子に緊張する。暫くして、リリィは溜め息を交えていった。
「キャラ君、〈ロゼッテ〉は使えないぞ」
「え? 武器なのに? 壊れてるのかい?」
即答せず、一拍置くリリィ。どうやら彼女はこれまで以上に真剣らしく、声色もまた、それを伝える。
「〈ロゼッテ〉は、静電差砲は、強力過ぎる。こんなの使ったら、ガイアナが木っ端微塵だぞ」
意外なリリィの返答にキャラ、ガボットは戸惑う。あのリリィがためらうほどの威力を秘める兵器。そんなものがあるのだろうかと。
「静電差砲は粒子転化出力を指向性粒子線に変換して放出する。でも、粒子転化ってのは無限なんだな。粒子静電差現象は永久機関の源だから無限だ。ってことは静電差砲の火力も、無限。だから、使えない」
リリィの声色は複雑だった。残念だとも聞こえるし、もどかしいとも聞こえる。どちらにしろ彼女は何やら困っているらしく、キャラはそんなリリィにほんの少しでも手助けが出来ればと、必死に、彼なりに考えていう。
「あの、全然解らないんだけど、その指向性なんとかっての、調整とか出来ないの? ほら、半分にするとか。さっきの波動なんとかって盾みたいに、切り替えたり――」
「あー!」
必死の提案を遮るリリィの咆哮に、キャラはうろたえる。一体、僕は何をしでかしたんだろうと。額に汗が浮かぶ。
「凄いぞ! キャラ君! そうだ! だから静電差エンジンが二基あるんだ! キャラ君! 天才だぞ! そうかそうかそうかー!」
と、地上基地の〈エコー〉操座画面に映るリリィが、画面越しにガボットをちらりと見て、にやりとする。
「頑固じじぃ……知りたい?」
リリィはこの後に及んでガボットをからかっている。ガボットがどう反応するかは、基地面々には手に取るように解り、実際その通りだった。
「リリィ! ふざけてないで伝えろ!」
拳をわなわなと震わせ、ガボットは叫ぶ。
「あいよ。……〈エコー〉は複座で、リリィちゃんが座っているここは、砲撃主が座るとこだぞ。つまり! 〈エコー〉は二人乗りのオブジェなのだー! 二つ目の静電差エンジンは静電差砲の制御専用で、十基のリアクターは静電差砲の反動を押さえる為だ。どうだー!」
開戦から幾度となく驚かされ、慄き、幾分慣れてきていた技師ガボットだったが、これには文字通り度肝を抜かれた。
理屈ではどうにか理解出来る。しかし、技術的には到底不可能な筈で、にもかかわらず〈エコー〉は二千年以上は昔のオブジェである。
つまり、現在では到底思い付かないような設計をした技師が遥か昔に存在し、更にそれを〈エコー〉というオブジェとして具現化していたのだ。熟達したと自負していたガボットだが、彼にはまだまだやるべき事が山積しているらしく、闘志だか意地だかがふつふつと湧いてくる。リリィ、ガボット、二人の技師はそれぞれ奮起し、それ以前に興奮している。
そんな二人だったが、キャラの何気ない一言が、それをあっという間に萎縮させたのだった。
「じゃあ、リリィちゃんがその静電差砲の担当なんだね?」
二人の技師の頭の中に、同時に雷が落ちる。
「あー! 違う! 全然違うぞー! だって――」
「リリィは機師じゃあない! 静電差エンジンの制御は機師以外では絶対に不可能だ! そもそも軸策バスからの信号受信も無理で――」
「言うなー! リリィちゃんの科白だぞ、それはー! そうだそうだ。複座だけど、こっちにもキャラ君が乗らなきゃ駄目なんだ! リリィちゃんじゃ静電差砲は動かないぞー! こんちくしょー!」
何やら訳の解らないキャラだったが、ともかく自分の言葉が二人を惑わせたらしく、責任を感じて取り繕う。
「え、あ、じゃ、じゃあさ、もう一人、例えばマリヴァーさんとかアリスさんとかに手伝ってもらえば? 機師? だったらいいんだろう?」
「違う違うー! こっちもキャラ君じゃなきゃあ駄目だぞー! 静電差エンジンの結線図を見ろー!」
リリィの操作によりキャラの視界と地上基地の画面に、その結線図とやらが表示される。キャラには意味不明なのはいうまでもない。が、ガボットや地上の他の技師達はそこに示された図形を見て、納得し、溜め息を吐く。
「〈エコー〉は静電差エンジンを二基積んでて、一つは静電差砲専用なのに、この二基は直列してるから、機師が一人で二つの静電差エンジンを動かすか、全く同じ機師が二人で動かさないと〈エコー〉自体が動かないんだぞー! なんてへなちょこなんだー! かっこいいのにー! 騙したなー!」
「機師一人で二基の静電差エンジンの制御なんぞ不可能だし、全く同じ機師なんぞおるもんか!」
落胆が操座と基地を漂うが、キャラにはやはり意味不明だった。そして呟く。
「でも、リリィちゃん。〈エコー〉は動いてるよ? ほら」
白く輝く右腕を持ち上げ、〈エコー〉は掌で自身の顔を覆って見せる。沈黙は続き、しかしそれを破ったのは他でもない、キャラ自身の声だった。
「〈ワンデルク〉!」
ゾエア級汎用オブジェを粉々に砕いた爪が、〈エコー〉に迫る。速度は先程よりも増している。
キャラの視覚域は近接する爪を捉え、その軌跡を立体映像化し、到達地点を知らせる。爪は〈エコー〉の胸、操座を狙っている。キャラの体は素早く操演桿を動かし、〈エコー〉は猛速度の爪を手刀でなぎ払う。
〈エコー〉とほぼ同じ大きさだった爪はその一撃で両断され、〈エコー〉の脇をかすめ、粉々に砕けた。上下左右から次々と襲う爪を〈エコー〉は全てなぎ払い、〈ワンデルク〉からの攻撃は一旦止んだ。
周囲に欠片が漂う。爪を切り裂いた〈エコー〉の手刀には傷一つなく、相変わらず白く輝いていた。
「……ふぅ。ねぇ、リリィちゃん。その静電差砲とかって――」
「なんでー! なんで動くんだー! 変だぞ! 絶対に変だぞー!」
リリィの声は今にも泣き出しそうな様相を呈していた。地上基地、通信室の様子を捉えるキャラの視覚域のガボットもまた、泣き出しそうな、或いは困ったような、そんな表情である。何が何やら、キャラは困り果てる。ガボットが恐る恐るといった風に尋ねる。
「……キャラウェイ、どうやった? 今、〈エコー〉は動いたぞ? 確かに、間違いなく。わしは見たぞ……」
キャラを取り巻く様相は戦況とは逆に、暗澹たるものだった。キャラは困りつつ、しかし思う。少しくらいは誉めてくれてもいいのにと。先の〈ワンデルク〉からの攻撃は大した物で、それを上手くやり過ごしたのだから、と。だからといって、それですねたりするキャラではない。以前ならそうだったかもしれないが、今は違う。何せ彼には力強い味方が二人もいるのだから。
そこまで考えて、漸くキャラは気付く。何がリリィとガボットを困らせていたのかを。
「そうか。リリィちゃん、ガボットさん。難しいことは良く解らないけど、多分、エンジンがどうのこうのっていうのは、きっとルジチカさんのお陰だよ」
「……解んないぞー!」
「ルジチカさん?」
キャラに対して、彼は呟く。自分の声は君にしか聞こえない、上手く説明してあげるといい、と。彼、二つ目の静電差エンジンに宿る古の機師、ルジチカ・シュナイドルは、そうキャラに優しく言って、微笑む。
ガイアナ連邦暦一〇四二年。
連邦と、秘密警察〈ネオテニー〉の不沈要塞〈ベルンシュタイン〉との激戦『ガイアナ大戦』に際し、名付け親にしてオブジェ〈エコー〉の初代機師であるルジチカ・シュナイドルは、静電差砲〈ロゼッテ〉を放った。
〈ベルンシュタイン〉のみを消滅させるべく、二基の静電差エンジンをねじ伏せたルジチカの意識は、臨界を越えた過負荷の為、〈エコー〉の静電差エンジンと融着し、機師ルジチカ・シュナイドルは人としての$カ涯を閉じた。
ルジチカの目醒めぬ眠りを未来技術に託し、彼の若き主、準技師フリアエ・ワクスマンはルジチカの肉体を〈エコー〉の生体維持器官へ連結し、誰の手にも届かぬ宇宙へと彼らを打ち上げたのだった……。
《勇者》
眼前の敵、黄金色のオブジェ〈ハイナイン〉に対し、マリヴァーは次元立体照準を消す。
視覚域を埋め尽くしていた膨大な明滅表示の大半が消え、視覚域には、ほんの僅かな数列と、〈ハイナイン〉のみが残る。
数えるのも面倒なほどの〈ハイナイン〉の斬激。もはや照準など必要ないのである。繰り出されたそれを受け流し、試しに刃を数回、盾に当て、マリヴァーは〈ハイナイン〉の、アルブレド・クラインゲルトの太刀筋を、剣の流派を見切ったのだった。
それに対してマリヴァーは、自身の体得している剣技多刀流≠ェ大いに勝ることを確認し、改めてオブジェ〈ナッシュバル〉と〈ハイナイン〉の性能差を見返す。
繰り出した左、居合いが黄金色の盾を両断し、それを握る腕を深々と切り裂き、しかしこちらも無傷ではない。機動に支障をきたす被害はないが、それは相手も同じくである。両者は完全に互角だった。睨み合い、鍔迫り合い、牽制、致命傷に至らない一閃。寸分違わず拮抗している。
「……虚勢ではない、ということか」
共用通信回線を渡る声にマリヴァーは、相手が同じ答えに達したことを読み取る。暫しの思案。瞬間の、無数の判断で、マリヴァーは結論に達する。相手がどうかは解らないが、彼、マリヴァー・ルキアノスが達する結論はただ一つである。
「……アルブレド・クラインゲルト、とかいったな。聞いてもいいか?」
沈黙は了承である。マリヴァーは深い溜め息を吐き、からかうようでも、冗談のようでもなく、ごく普通の調子で呟く。
「お前は、何故そちら側にいる? 『惑星浄化計画』、〈グリス・グロス〉の言うそれは、お前には似合わない気がするぜ?」
アリスの〈ローゼーン〉に取り付いたヤシロ〈グラナドス〉は、それを聞き呆然とする。
「地上は、ガイアナは、そんなに汚れているか? そう、お前には見えるのか?」
長い沈黙の後、微妙に声色を変えたアルブレド・クラインゲルトが、返す。
「……名は?」
「……マリヴァー、マリヴァー・ルキアノスだ」
ヤシロは戸惑い、しかしその原因が解らず、余計に戸惑う。強烈な焦燥感が彼女の胸を支配する。不吉な匂いを感じる。
「……マリヴァー・ルキアノス。お前はまるで、俺のようだな。静かなる勇者=Aこの〈ハイナイン〉に相応しいのは、或いはマリヴァー、お前かもしれない」
ヤシロは震える手で通信端末を握り、〈ローゼーン〉を、アリスを呼ぶ。溢れ出しそうな焦燥が、声を枯らす。
「アリス……お願い、答えて。マリヴァーが……アリス、アリス。彼が……ねぇ、アリス……」
「何故こちら側か……。さあ、どうだろう。偶然か必然か、それさえも解らない。ともかく、ガイアナ、故郷を悪くは思う奴などいない、違うか?」
「……アリス」
叫ぶことさえ出来ない不安。ヤシロは必死に囁く。両目に涙を浮かべ、通信端末を両手で握り締め、必死に、必死に。
「それでも、あえて、そちら側に立つのか。……オブジェ〈ハイナイン〉、俺の器じゃあない。お前ほど、俺は……」
「マリヴァー・ルキアノス。お前にはどう見える? ガイアナは、地上は……」
「……お願い、答えて」
マリヴァーの視覚域、背面視界がガイアナを捉える。三日月のような母星。白い雲で彩られた、青い星。
「奇麗に見えるよ……お前と同じにな。だが、それで納得出来ないからこそ、アルブレド、お前はそちら側に立つのか……あえて」
「……マリヴァー、機師よ。お前は誰に仕える機師だ?」
「仕える? ……お前とは違う主に、だと思うぜ。さあ、もうお終いにしよう……」
〈ナッシュバル〉が両手の刀を構え、盾を捨てた〈ハイナイン〉は黄金色の剣を両手で握る。
「……アリシェラ・バナレット! 答えなさい!」
「『仕えなさい』、そう伝えろと」
「ねえ、ユーリー。あれってどういう意味なの?」
堅苦しい式典を終えたアリスは、溜め息交じりで彼女に問う。ユーリーが振り返り「あれって?」と同じく溜め息交じりで返す。式典の重苦しくて退屈な空気は二人だけではなく、それに列席した全員が感じたものである。
「さっきの、ほら、しんらなんとか、って奴」
疲労を漂わすユーリーは、呆れた顔でアリスを見返す。
「アリス、あなたってば、意味も解らずに連邦に仕えたの?」
母親に諭されたような、そんな気分である。
ユーリーはアリスと同年で、しかし見た目も中身も、アリスを数年は上回っている。要するに大人なのだ。「だって……」と言葉を濁すアリスは、子供そのものだった。
「ったく。まあ、アリスらしいといえば、らしいけど。……あのね、『森羅万象{しんらばんしょう}』ってのは、この世界全て。『灰燼{かいじん}に帰す』は、えっと、灰になって、要するに燃えて跡形もなくなるってこと。で、『盈虧{えいき}の果て』、盈虧は月の満ち欠けで、これはね、文明とか文化とか社会とかが月の満ち欠けみたいに、現れたり消えたりする、そういう意味よ。ほら、栄枯盛衰とかいうじゃない、あれよ。どお?」
ユーリーの説明に、アリスは眉間に皺を寄せ、唸っていた。
「……解ったような、解らないような。ねぇ……ぜーんぶを翻訳して、簡潔に教えてよ」
疲労を上回るユーリーの顔。呆れてものも言えないと、彼女の顔は言っている。だが、それでも彼女が教えてくれることをアリスも、そしてユーリー自身も知っていた。
「翻訳って……。『この世界の全てが消え去ったとしても、私は貴方を守り、共に戦い、そして、共に歩む』ってなとこかしら。どお、これなら完璧でしょ?」
曇っていたアリスの表情が明るく灯る。ぱん、と手を打ち「なるほど」などと頷く。
「じゃあ、『刃となりて』って部分を『伴侶となりて』にしたら、これって熱烈な恋愛詩じゃあない? 婚姻の儀≠ニかさあ」
はしゃぐアリスにユーリーは、肩を竦めて「かもね」と、溜め息を吐いた。
婚姻の儀=A婚姻、結婚。
「ねえ、アリス。誰にも内緒よ? ……私、この戦争が終わったらね、サイゾウと、……結婚するの」
「……アリシェラ・バナレット! 答えなさい!」
「ヤ、ヤシロ……さん?」
「『仕えなさい』、そう伝えろと」
「仕える? ……お前とは違う主に、だと思うぜ。さあ、もうお終いにしよう……」
「……マリヴァー!」
〈ハイナイン〉と〈ナッシュバル〉の、互いの必殺の一撃は、アルブレド・クラインゲルトとマリヴァー・ルキアノス、互いの命を奪い合う一撃である。時間が静止し、そして、動き出す。
そのまさに一瞬前に〈ローゼーン〉が動いた。史上最速である機動性能により、一瞬にして二体の間に現れた。
「……何だ?」
「アリス?」
〈ローゼーン〉の両掌は、〈ハイナイン〉〈ナッシュバル〉に向けられ、それは「待て」と言っている。マリヴァーが驚くよりも速く、彼の視覚域は消え去り、操座内の装置群が現れた。全ての装置の光が順番に消え、警告音が響く。
「アリス、何だ? 天蓋が……開く? 降りろってのか! 何を!」
素早く気密服をまとい、漏れ出す空気共々、マリヴァーは暗洋へと放り出された。
「……今頃になって。しかし、結果は同じ。誰でも構わないか……」
「ヤシロ! マリヴァーだ! すまん、回収してくれ。位置は――」
言い終わる前に、マリヴァーはヤシロの〈グラナドス〉の手に収まった。ヤシロは気密服に身を包み〈グラナドス〉の搭乗口から顔を覗かせ、手招きする。傷とひびだらけの装甲を蹴り、マリヴァーは〈グラナドス〉の顎の下、搭乗口に取り付き、狭い操座のヤシロの背後に体をねじ込む。
「どうなった!」
マリヴァーは叫びつつ、索敵画面を睨み付ける。
「どう、って、アリスが――」
戸惑うヤシロの声は、次の閃光により制された。
アリスの〈ローゼーン〉が跳ね、無人の〈ナッシュバル〉が後に続き、両機は〈ハイナイン〉の遥か上空で接触し、そこに焼き付けるような閃光が瞬いた。その光は戦闘宙域全てを照らし出し、惑星ガイアナの夜を一瞬だけ真昼に変えた。恒星の如き輝きは、現れた時と同じく瞬時に消え、後には、一体のオブジェが残った。しかしそれは〈ローゼーン〉でも〈ナッシュバル〉でもない、別のオブジェであった。
「漸く出たか……」
索敵画面に釘付けのヤシロとマリヴァーは、同時に、確かめ合うように、呟いた。
「黒薔薇姫……〈シュバルツローゼ〉?」
新たに出現したそのオブジェは、巨大な、身の丈の倍もある槍状のものを右肩後部に備えていた。
装甲、造形が鋭角的で、全身が刃のようにも見える。体躯は黒。照らすものがなければ暗洋に溶けるであろう漆黒である。高度を〈ハイナイン〉と合わせるように落とし、しかし背を向けている。
〈ハイナイン〉は動かない。動けないのではなく、あえて動かないのだと、マリヴァーには解る。静寂を過ぎ、その声は高らかに戦闘宙域と、月と、惑星ガイアナ全土に、余すことなく響いた。
「……森羅万象、灰塵に帰すその日まで、我は汝の刃となりて、盈虧の果てを、共に、歩まん」
アリスのその言葉に、誰も反応できなかった。が、ただ一人だけ、それに答えるものがいた。〈ハイナイン〉、アルブレド・クラインゲルトである。
「忠誠の義=c…貴様の目の前には、誰もいないぞ? 仕えるものなど、ただの一人も……」
彼の言うように、アリスの眼前には誰も、欠片の一つも浮いていなかった。だが〈ハイナイン〉に対し、アリスは返す。
「……我が名は〈殄滅師アリス〉! 体躯は〈月虹{げっこう}〉、月とガイアナを結ぶ虹……オブジェ〈シュバルツローゼ月虹〉!」
マリヴァー、ヤシロ、ジルコン将軍、ミブ、その他、宙域全員が固唾を飲む。ヤシロの背後でマリヴァーが囁く。
「〈シュバルツローゼ月虹〉? あれが……」
背を向けたままの〈シュバルツローゼ月虹〉、〈殄滅師アリス〉は続ける。
「我は機師。……ガイアナの、機師!」
それに弾かれるように、〈ハイナイン〉が剣を構える。
「ガイアナが! その惑星が! 大地が! 貴様の主だとでも?」
「我が主、ガイアナを脅かすものを、〈殄滅師アリス〉と〈シュバルツローゼ月虹〉は、全て……滅ぼす!」
ゆっくりと振り返り、〈シュバルツローゼ月虹〉は長大な槍を抜き放ち、〈ハイナイン〉を指し示す。
「……〈死神〉だと、そう言ったわね? それは、あんた次第よ」
〈シュバルツローゼ月虹〉の背後には、青く輝く惑星、ガイアナが静かに佇んでいた。
リリィは複座で必死に思案し、ガボットもまた同様であった。
だが、キャラには彼に必要な、充分な理解があり、故に次元立体照準を〈ワンデルク〉と、その全ての触手に向け、固定する。ルジチカがそっと手渡してくれたそれが、二人の技師を悩ませているもの、静電差砲〈ロゼッテ〉であった。
安心して使え、そう彼は言う。
次元立体照準に別の明滅表示が重なる。標的の質量を計測し、それに見合った分の静電差粒子線量を弾き出すのは彼。引き金はキャラに委ねられる。準備完了だ、いつでもいい、好きな風に使え、そういい残し、彼、ルジチカ・シュナイドルは〈エコー〉の奥深く、静電差エンジンの奥深くへと帰った。
「照準固定!」
キャラが叫び、しかしリリィは懸命に現状を理解しようと躍起になっており、それに耳を貸さない。
「出力調整、完了……」
無数にも見える錆色の触手と、巨体。次元立体照準はそれらを余すこと無く捕らえ、決して離さない。
「リアクター電荷! リリィちゃん! 対衝撃姿勢!」
「なんでだー!」
「静電差砲……〈ロゼッテ〉! 発射!」
両の手を合わせた〈エコー〉。その先端が青白く輝き、そして無数の光の筋が一瞬にして広がった。それに呼応するように、〈エコー〉背部各所からアーマライト・リアクターが噴射される。
緑色に輝くその噴射は、まるで〈エコー〉の羽根のように羽ばたく。
「な、泣き妖精?」
放たれた青白い閃光は自在に屈曲し、触手先端を目指し、それらを次々と消滅させる。
一際大きな光の筋は〈ワンデルク〉本体を捕らえる。
重力場を発生させ、それを回避しようとあがく〈ワンデルク〉だったが、静電差砲〈ロゼッテ〉はそれを貫通し、装甲を破り、内部に達し、そこで無数の光の筋へと姿を変えた。〈ワンデルク〉は周囲から光の矢を打ち込まれたように見え、その閃光と共に姿を消していった。悲鳴も塵も残さず、完全に消滅した。
全ての閃光が消え、画面と瞳への残像以外、辺りには欠片の一つすら残らなかった。緑色に輝く羽根をゆっくりと閉じ、再び静寂と化した暗洋に、白く輝く、惑星ガイアナのような、美しい宝石〈エコー〉は無言で佇んでいた。
ふぅ、と溜め息を吐き、キャラは耳を澄ます。だが、ルジチカの声はもう聞こえない。どうやら彼は仕事を終えて再び眠りに就いたらしく、キャラは小さく微笑み、その栄誉を彼なりに称える。
「……終わった。リリィちゃん……」
〈エコー〉はその役目を終え、しかし、複座は今まさに臨戦態勢といった有り様だった。
「どどどどどどーして! おかしいぞー!でも、〈ワンデルク〉はやっつけたぞ! でもでも! うー! 〈エコー〉とキャラ君は勝ったけど、でもリリィちゃんと頑固じじぃは負けたような気がするぞ!」
キャラは満面の笑みでそれを聞き、眼下、惑星ガイアナと暗洋に見惚れていた。
――黄金色の〈ハイナイン〉、漆黒の〈シュバルツローゼ月虹〉。惑星ガイアナを眼下に、二体は睨み合う。漂う気配は緊張でも焦燥でも覇気でも殺気でもない。無、永劫の無であった。月、ガイアナ、暗洋、全ての瞳が釘付けになる、虚無。
だが、宴は終焉を迎えつつあった。
(アルブレド・クラインゲルト。……アルって呼んでいいかしら?)
(何? 貴様……)
(もういいの。ねぇアル、お芝居はここまで。みんなには聞こえないから安心して)
(芝居? 何故そうだと?)
(キャセロール・ユイット、キャスさん? 彼女がそう教えてくれたの。あたしと同じ髪の人が)
(……〈殄滅師〉の血? それとも〈シュバルツローゼ〉の記憶?)
(多分、両方だと思う)
(……そうか。アリシェラ、アリスだったよな。そう呼んでも構わないか?)
(ええ、勿論。アル、貴方はそこまでして……)
(可笑しいかい? だろうなあ。自分でもそう思うよ。柄じゃあないんだ、実は)
(お芝居が? それとも、悪役が?)
(どっちもだよ。剣術とオブジェ、俺の得意分野はそれだけさ。だが……)
(せざるを得なかった?)
(……ああ。なあ、アリス。俺は、間違っているように見えるか?)
(解らないけど、でも……とっても辛そうに見える)
(そうだな。舞台裏ってのは大抵そんなもんさ)
(全ての悪を背負って、人々を一つにする。そんな重たいものを、何故?)
(彼、マリヴァーに言った通りさ。俺はガイアナが好きで、そこで争いが起こるのは嫌なんだ)
(……他に、もっと良い方法があるかも、いや、あると良いのに……)
(ああ。こんな役割は、誰もやるべきじゃあない。だが、マリヴァーならやる。ああいう奴は)
(そうかもね。それに、あたしだってそうかもしれない)
(……ずっと、このままなんだろうか、人々は。それでいいんだろうか)
(解らないけど、でも、一つだけ気付いたの。それは貴方のやったことを否定することになるかもしれないけれど、聞きたい?)
(当然だ。是非、聞かせてくれ)
(ここからは、母さんの顔は見えないの。お家も、何も見えない)
(……神の視点か。こんなに遠くからでは、人々は見えない、か。……きついな)
(ごめんなさい。でも……)
(ああ、アリス、君の言う通りだ。人々を、人類をと口にするような奴は、たった一人の顔でさえも見えない、そんな遠くからそれを言う。……間抜けかお節介か、そんなところだな)
(強さも弱さも、栄誉も愚行も、全てを含めて……それで人々。そう思いたいの)
(……多分、それが正解だ。誰かを救うには、その誰かの顔が見える位置に立たなければ、無意味。空の青さが罪だとしても、それでも空は青い。罪をも含めて、全ては一つ)
(良くしようとあがくこと、それ自体を含めて、人)
(そんな簡単なことに気付かない、それが神の視点の愚かさ、か)
(でも、アル。貴方のお陰でガイアナと月は一つになる。自分を責めるのは……)
(いや、俺はこれでいい。自身で選んだことだし、後悔はしない主義なんだ)
(……ごめんなさい。もっと早くに気付いていれば……)
(いいんだ、アリス。俺は俺の役目を、君は君の役目を、ただそれだけのことさ)
(……〈イージス〉? これを使うのが、貴方に向けるのが、あたしの役目?)
(すまないな、辛い思いをさせて。だが安心してくれ。それは兵器じゃあない。俺を何処か別の場所に飛ばす、水先案内人みたいなものだ。痛くも苦しくもないんだ)
(ねえ、今のガイアナで暮らすつもりはないの?)
(それじゃあ、せっかくの芝居が台無しだ、解るだろ?)
(……なんて悪趣味な芝居なんだろう。辛い思いばかりで……)
(役者はそうだが、観客はそれで大歓声。芝居なんてそんなもんだよ。〈ワンデルク〉も落ちた。そろそろ幕を引こう)
(……他に、……無いのよね。ねぇ、また、会えるかしら?)
(〈三神〉ってのは腐れ縁らしくって、いつの時代でも必ず出会うようになってるんだ。今の俺と君みたいに。次がいつかは解らないが、会うだろうな)
(その時はもっと……)
(ああ、楽しくて素敵な出会いを期待しよう。さあ、幕だ。……やれ!)
「愚かなる地上人類! 〈シュバルツローゼ月虹〉共々、全て滅びよ! これぞ『惑星浄化』だ! 〈殄滅師〉! 貴様もだ!」
黄金色のオブジェ〈ハイナイン〉が超速度で剣を振り下ろす。太刀筋の先、漆黒の〈シュバルツローゼ月虹〉はその槍を脇に抱え、刃を睨み返す。マリヴァー、ヤシロが息を呑む。
「ガイアナを脅かす! 滅びるのはおまえだ!」
アリスは叫ぶ。〈シュバルツローゼ月虹〉の槍が白く輝き、閃光を放った。反次元砲〈イージス〉。その一閃は〈ハイナイン〉捉え、黄金色のオブジェを一瞬にして、悲鳴も欠片も跡形も無く、消し去った。
暗洋は再び静寂を取り戻し、戦場は沈黙する。
「一筋の光……ファー・レイリー」
ウィル・ジルコン将軍が呟く。〈ハイナイン〉は、消えた。脅威は去った。彼の意識をアリスが分断する。
「〈グリス・グロス〉に告ぐ! 月へ帰還しろ! 〈シュバルツローゼ月虹〉は見た通り、お前達を月ごとでも木っ端微塵に出来る! だが、あたしは無益な争いは好まない。今すぐ帰還しろ! ジルコン将軍、いいわね?」
「……ああ。我らもそれを望む。退け! 〈グリス・グロス〉よ!」
二人の言葉は徐々に伝わり、眼前に展開された壁は、ぽつぽつと穴を空け始める。玉砕覚悟などはただの一人もなく、程無く戦闘宙域の全ての〈グリス・グロス〉は姿を消した。
この瞬間、人々の心に垂れ込めた暗雲は晴れ、地上にファー・レイリー(一筋の光)≠ェ静かに射し込んだのだった。斯くして『第九次圏外紛争・降下戦』は、後の新ガイアナ連邦軍の完全勝利で終了した。
……ありとあらゆる生き物が平等で平和な世界、人はそれを求めて止まない。ある時代、各地で自らの教義を説く男がいた。彼は「共存平和」を達成するべく思想活動を続ける。懸命な彼に興味を持ったのか人ならざる者≠ェ語り掛けてきた。
「人間、君は面白い事を言う。皆が平等な世界とは一体何だ? 牧童と羊、漁師と魚、獲物と餌が平等な世界で君は生きて行けるのか?」
言葉に詰まる男に対し彼は続ける。
「君は人間だろ? 人間なら人間らしく、人間の利益だけを望めば良いんだよ。皆が自らの幸福のみを追求する、私はそれが一番自然だと思うがね……」
《開闢の記憶》
「こりゃあ、大したもんじゃ。表面が退色して、まるで銀だ。二万、いや三万年以上だな……。しかしどうだ、生きている間にこれ程完全な化石を、それも最高の保存状態のものを拝めるとは……」
土色の断層から覗く金属光沢を前に、無我夢中で語るエニアックの飛び上がらんばかりのはしゃぎようを、彼の助手シクスは呆れ顔で眺めていた。毎度の事とはいえ、これでは作業が一向にはかどらない。荒野に終日吹き荒れる砂埃で茶色になった自身の作業服を、いまいましげに睨{にら}む。
上層部からの再三の催促を一手に引き受ける役目を不幸にも押し付けられているシクスは、無駄とは知りつつ彼女の師、工学博士エニアックの背に向け力無く言う。
「セェンセー、詳細は研究室でお願いしますよ、期限はとっくに過ぎてるんですからね……」
そんな彼女の言葉など耳に入ってない様で、エニアックは太陽光を反射する、人間の骨格にも見える白銀の金属塊を食い入るように見詰めていた。
ただし、詳細に観察すれば、それが人間のものとは明らかに異なる形態をしている事は明らかであったし、何よりその骨格は、人間のものの十倍以上の大きさがあった。
それは丁度、片腕で逆立ちをしたような格好で岩壁に埋もれている。彼らの長期にわたる発掘作業のお陰で、漸く全体像を確認できるまでになったのだ。気持ち良く晴れ渡った青空が、シクスの溜め息を吸い込む。
「うーむ。見れば見るほど素晴らしい……。混ざり物が無い、純度は九九.九九パーセント、殆ど百パーセントのメテニウム骨格じゃ……。上手くするとストロマトライトの鉱脈も発見出来るかもしれん。復元も時間の問題じゃな」
「セェーンセー! いい加減に……」
傍の岩に腰掛け、シクスは半分諦めながらも一応声を掛ける。
しかし予想とは裏腹に、エニアックは突然踵{きびす}を返し、軽やかな足取りで彼女の方へ近付いてきた。そして、腰掛けていたシクスの両肩に自身の手を置くと、今迄で一番の笑顔でこう言った。
「九九.九九パーセント、つまり……ハイナイン! こいつの名は〈ハイナイン〉じゃ! 決めた! これしかないぞ!」
「さいですか……」
粒子静電差理論≠フ提唱者、工学博士エニアックは、元素鉱物〈メテニウム〉の謎を遂に解き明かした。
地殻深部から隆起した断層で発掘される、巨大な骨格標本のような姿のメテニウムと、メテニウム化合物である知性鉱物〈ストロマトライト〉は、人類史上初の永久機関を現実のものにしたのである。
メテニウムとストロマトライトとの間で発生する粒子静電差現象は、発生源物体の属する場≠ニ周辺の場≠相互転化させ、発生源物体に恒星に匹敵するエネルギーを発生させた。エニアックの提唱した粒子静電差理論での仮説通りに。
更なる研究により、静電差現象は絶縁物質〈アーマライト〉で覆われた領域内でのみ発生することが確かめられた。
続く、一連の現象を人為的に統御する装置〈静電差エンジン〉の誕生は、人類全てに無限の可能性を約束するかのように思われた。
只一人、全ての産みの親であるエニアック自身を除いては。
「なあシクス、不思議じゃと思わんか?」
研究資料や書物が高高と積み上げられ、今にも雪崩を起こしそうな研究室で、エニアックは昼食の買い出しから戻ったシクスに声を掛けた。シクスは抱えた食料を床に置くと、中身を確認しながら生返事で応える。
「何が、です?」
「我々は夢の如き機関をこの手にしつつある。しかしじゃ、あの化石が結局何なのか、一番肝心な事が解明されておらん。メテニウムは自然界には存在せん、君も知っての通りじゃ。人為的に作り出す事も不可能……。ならば、あの化石は……何を意味する?」
顔を上げたシクスは、エニアックを見詰め陽気に応えた。
「御褒美じゃないですか? 博士への」
「御褒美? ……誰から、かね?」
顎に指を当て首を捻って思案するシクスは、手を一つ叩くと言った。
「神様、じゃあないですか?」
『機械仕掛けの神』……完
2001年04月13日創元落選
2013年05月27日
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『機械仕掛けの神』
『粗筋(ネタバレ含む)』(九五〇文字)
おわり
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