******************** 2014年04月30日1:41:00 『機械仕掛けの神』deus ex machina  ――飛鳥弥生 著(by Yayoi-Asuka) ※この物語はフィクションです(This story is fiction) ※四〇〇字詰原稿換算枚数、四百九四枚 ( )はフリガナ 《目次》 《前五六億七〇〇〇万年》 《前六〇〇七年》 《前二六年》 《前二五年T》 《前二五年U》 《前三年T》 《前三年U》 《前一年》 《元年T》 《元年U》 《元年V》 《一年》 《一〇三九年T》 《一〇三九年U》 《一〇三九年V》 《一〇三九年W》 《一〇三九年X》 《一〇三九年Y》 《一〇三九年Z》 《一〇四〇年T》 《一〇四〇年U》 《一〇四一年T》 《一〇四一年U》 《一〇四二年T》 《一〇四二年U》 《一〇四三年》 《一〇五四年》 《三九六九年》 《三九九二年》 《三九九四年T》 《三九九四年U》 《三九九四年V》 《三九九四年W》 《三九九四年X》 《四万〇〇二二年》 《五六億七〇〇〇万年T》 《五六億七〇〇〇万年U》 《彼らの願いが貴方の耳に届きますように……》 《前五六億七〇〇〇万年》  形は欠片(かけら)へと崩れ去り、生には死が訪れる。欠片は再び形となり、死は新たな生を産む。出会っては別れ、別れては出会う。出発は終着であり、終焉(しゅうえん)は発端である。永劫回帰の輪の中で、全ては巡る水車の如く、くるくると、くるくると……。  悠久の静寂の片隅で、開闢(かいびゃく)の産声と共に世界≠ヘゆっくりと姿を現わし、消滅へと歩を進める。我らが母、〈想像者デウス〉の優しき眼差しにより、ゆっくりと……、ゆっくりと……、ゆっくりと……。  ……光の陰、……連綿なる欠片、……永遠の瞬間、……罪深き――正義。  始まりは遥か昔の様でもあり、つい先程の様にも感じる。変化の無い経験が堆積する、ただ繰り返すだけの無色の記憶。  勝機など無い、私でなくともそれくらいは解る。「死んでも生き残るんだ」、奴の口癖だ。冗談なのか本気なのか、それを口にする時の奴の表情は、年頃の娘の屈託無い笑顔よりも輝いていた。嫌なら荷物をまとめて逃げ出せば良い。もちろん、逃げ込める場所があれば、だが。誰も強制などしないし、第一ここ≠ノ何かを強制できるような奴はいやしない。かといって、好き好んで集まっている訳でもない。  要するに、「そうするしかない」のだ……。 「ああ、信じたくはないが、〈ヴァスクリュス〉と〈ハイナイン〉は堕(お)ちたよ。良い策はあるかい?」 「……無い、……事も無い、だが――」 「だが、は無しだ。何でも、やれる事はすべてやる。良いか〈マキナ〉、死んでも生き残るんだ!」  瞼を上げる。私の辺りには、かつて同胞であった者達が、変わり果てた姿で散ばっていた。原形を留めていない戦友達が、視界を埋め尽くす。地と空、刃物で曳いたかの如き地平線のみで構成された荒涼たる風景。音も臭いも無く、紫色の天空が無数の絶望を覆い尽くす風景。  再び静かに目を閉じるとそこには私の、私達の唯一の記憶が、断片的な映像で浮かんでは消える。それは、ただ一色、灰色で塗り潰された戦い≠フ記憶であり、金色の翼をはばたかす奴≠フ貫く眼光である。もはや躊躇(ちゅうちょ)も後悔も、そして選択すら無意味なのだ。既に私は独りであり、策は一つ、たったの一つしか残されてはいないのだから。 「さあ、共に眠るとしよう! 何人たりとも手の届かぬ、永遠の眠りだ!」 〈マキナ〉とは、ある一体の、翼を持つ白銀の機械騎士・オブジェに冠せられた名である。 〈マキナ〉は「絶大」であり、「消滅の摂理」にして「神々の神」たる〈想像者デウス〉が解き放たれた後にあっても、事象最強無敵の刃であり続けた。しかし、〈機師〉なきオブジェは単なる道具であり木偶であり、それのみでは無力なのだ。そもそも「破壊の破壊者」たるオブジェには、存在意義はあっても自我や意思はなく、指一本動かすことすら出来ず、それどころか動こうとすらしないのだ。絶大でありながら……。 〈マキナ〉に搭載された〈ディージェイ〉と呼称される〈静電差エンジン〉は、特注なのか欠陥なのか、まるで〈マキナ〉の「自我」のように振る舞った。しかし彼女とて単なる器官・装置であり、結局それは「自我に良く似たもの」に過ぎなかったのだ。彼女達の「自我」はどこにあるのだろう? 〈ディージェイ〉と〈マキナ〉の二人≠ヘ、課せられた使命を、与えられた役割を果たすべく、自らの主≠求め、長い長い旅路を、ややのんびりと歩み始めた。 「ま、先は長い、気長にやりましょうよ。……ね?」 「……戦況は? くそっ! 何も見えやしないじゃないのさ!」 「ところで、君はお酒を飲むかい? 深酒で寝覚めの悪い思いをしたことは? そんなときに良く効くおまじないがあるんだけど、試してみないかい? 本当は酔いが醒めた気になる≠ィまじないなんだけど、きっと二日酔いにも効くさ……」 『森羅万象(しんらばんしょう)、灰塵(かいじん)に帰すその日まで、我は汝の刃(やいば)となりて、盈虧(えいき)の果てを、共に、歩まん……』 「なに? ……うわっ! やった! 静電差エンジン再起動! 視界・兵装共に完全回復! 射程内に反応感知? そら、臨戦態勢だ! さっさと立ち上なさい! この木偶の坊がぁ!」 『――了解、……指令確認、任務再開。静電差エンジン、始動、……出力上昇中。回路接続、動力伝達、機能調整完了、動力確保、各部異常無し。全武装、安全装置解除。弾薬装填、火力上限開放。  ……索敵区域内に反応感知、映像・相対座標を正面視界へ伝送。……最優先殲滅(せんめつ)目標を三次元照準にて完全捕捉、絶対射程距離まで残り二秒、……んじゃ、そろそろやりますか? ……我らが主(あるじ)殿?』  ……儚(はかな)き真理、……漠然とした決断、……愚かなる英知、……寂しげな――笑顔。 《前六〇〇七年》 「こりゃあ、大したもんじゃ。表面が退色して、まるで銀だ。二千、いや三千年以上だな……。……しかしどうだ、生きている間にこれ程完全な化石を、それも最高の保存状態のものを拝めるとは……」  土色の断層から覗く金属光沢を前に、無我夢中で語るエニアックの飛び上がらんばかりのはしゃぎようを、彼の助手シクスは呆れ顔で眺めていた。毎度の事とはいえ、これでは作業が一向にはかどらない。荒野に終日吹き荒れる砂埃で茶色になった自身の作業服を、いまいましげに睨(にら)む。  上層部からの再三の催促を一手に引き受ける役目を不幸にも押し付けられているシクスは、無駄とは知りつつ彼女の師、工学博士エニアックの背に向け力無く言う。 「セェンセー、詳細は研究室でお願いしますよ、期限はとっくに過ぎてるんですからね……」  そんな彼女の言葉など耳に入ってない様で、エニアックは太陽光を反射する、人間の骨格にも見える白銀の金属塊を食い入るように見詰めていた。ただし、詳細に観察すれば、それが人間のものとは明らかに異なる形態をしている事は明らかであったし、何よりその骨格は、人間のものの十倍以上の大きさがあった。  それは丁度、片腕で逆立ちをしたような格好で岩壁に埋もれている。彼らの長期にわたる発掘作業のお陰で、漸く全体像を確認できるまでになったのだ。気持ち良く晴れ渡った青空が、シクスの溜め息を吸い込む。 「うーむ。見れば見るほど素晴らしい……。混ざり物が無い、純度は九九.九九パーセント、殆ど百パーセントのメテニウム骨格じゃ……。上手くするとストロマトライトの鉱脈も発見出来るかもしれん。復元も時間の問題じゃな」 「セェーンセー! いい加減に……」  傍の岩に腰掛け、シクスは半分諦めながらも一応声を掛ける。しかし予想とは裏腹に、エニアックは突然踵(きびす)を返し、軽やかな足取りで彼女の方へ近付いてきた。そして、腰掛けていたシクスの両肩に自身の手を置くと、今迄で一番の笑顔でこう言った。 「九九.九九パーセント、つまり……ハイナイン! こいつの名は〈ハイナイン〉じゃ! 決めた! これしかないぞ!」 「さいですか……」 粒子静電差(りゅうしせいでんさ)理論≠フ提唱者、工学博士エニアックは、元素鉱物〈メテニウム〉の謎を遂に解き明かした。  地殻深部から隆起した断層で発掘される、巨大な骨格標本のような姿のメテニウムと、メテニウム化合物である知性鉱物〈ストロマトライト〉は、人類史上初の永久機関を現実のものにしたのである。  メテニウムとストロマトライトとの間で発生する粒子静電差現象は、発生源物体の属する場≠ニ周辺の場≠相互転化させ、発生源物体に恒星に匹敵するエネルギーを発生させた。エニアックの提唱した粒子静電差理論での仮説通りに。  研究により、静電差現象は絶縁物質〈アーマライト〉で覆われた領域内でのみ発生することが確かめられた。一連の現象を人為的に統御する装置〈静電差エンジン〉の誕生は、人類全てに無限の可能性を約束するかのように思われた。  只一人、全ての産みの親であるエニアック自身を除いては。 「なあシクス、不思議じゃと思わんか?」  研究資料や書物が高高と積み上げられ、今にも雪崩を起こしそうな研究室で、エニアックは昼食の買い出しから戻ったシクスに声を掛けた。シクスは抱えた食料を床に置くと、中身を確認しながら生返事で応える。 「何が、です?」 「我々は夢の如き機関をこの手にしつつある。しかしじゃ、あの化石が結局何なのか、一番肝心な事が解明されておらん。メテニウムは自然界には存在せん、君も知っての通りじゃ。人為的に作り出す事も不可能……。ならば、あの化石は、……何を意味する?」  顔を上げたシクスは、エニアックを見詰め陽気に応えた。 「御褒美(ごほうび)じゃないですか? 博士への」 「御褒美? ……誰から、かね?」  顎に指を当て首を捻って思案するシクスは手を一つ叩くと言った。 「神様、じゃあないですか?」 《前二六年》  様々な文明や技術が、それらを産み出した人々や彼らの属する国や組織と共に、現れては消えて行く。その度に繰り返される闘争の目的や無意味さや下らなさは、どの時代も大差無かった。同じく、その手段も、本質においては、それこそが唯一無二の真理であるかの如く、不変とも言える程代わり映えがしない。石槍を使おうが火薬を使おうが、とどのつまりそれは破壊の為の道具でしかない。  現在のガイアナ大陸でのそれは機械騎士〈オブジェ〉である。  オブジェとは、絶対硬度を誇る元素鉱物メテニウムの骨格と、知性鉱物ストロマトライト合金被覆による体躯に、精練金属アーマライト甲冑をまとい、その身に人知の結晶たる頭脳、静電差エンジンと、無限動力を宿した戦闘兵器である。その、人の姿を模した巨大な金属塊は、それまでの兵器と比べて、容姿においては特別でも奇抜でもなかったが、こと威力≠ノ関しては頭抜けていた、不必要な程に。  もしもその、山脈を海溝に変えるだけの力を秘める兵器であるオブジェを、無知な野蛮人が手にしたのであれば、彼らは真っ先に自滅し、大陸一間抜けな生物として、他の分別ある生物達の笑い者になるところであった。  だが、オブジェを操る〈機師(きし)〉達が特別に優れていたり道徳的であったと言うよりは、それ以外が、彼ら機師程思慮深くなかっただけなのかもしれない。如何に賛美の言葉を連ねようとも、所詮はその程度なのであろう、人類と言う奴等は。 「援軍を出したのですか? ……少々やり過ぎでは?」 「念には念を、今の内に叩いておいた方が良さそうだからな」  帝国軍きっての名機師は、小部隊と共に偵察任務で敵陣目指し、大陸中央の砂漠を南下していた。だが、小部隊は予想に反し、砂漠に布陣されていた敵の要撃部隊と遭遇した。追撃を辛くも振り切った機師以下十数名の偵察部隊は、状況報告と共に本部に応援を要請した。状況は絶望的であった。 「了解、確認の上速やかに対処する」  高度な政治的判断や戦略上の理由を持ち出さずとも、自分の部隊が切り捨てられるであろう事は機師でなくとも解る。場所は砂漠の辺境であり、彼の部隊は偵察任務の為にのみ編制された必要最低限の兵力である。帝国軍の司令官達にしてみれば、彼ら偵察部隊を失う事と、応援部隊に予想される損失は、到底割に合うものではない。  だが、必ず援軍が自分達を助けに来てくれる、彼の若い部下達は心からそう信じていた。それが帝国軍への忠誠や信頼からなのは確かだったが、現時点では希望的観測でしか無く、機師は、せめて彼らだけでも救う方法はないか、たとえ自分の身を犠牲にしてでも、と、あらゆる戦術を模索した。  比較的突破が容易であろう方角を漸く割り出し彼は、これが初陣であり、最悪の場合、最後の作戦となる若い部下達に告げた。 「良く聞け、援軍は来ない。恐らく我々は切り捨てられる。しかし本部や我々の上官を怨むな。今、敵と正面衝突する事は我が国にとって非常に危険なのだ。私が本部にいたとしてもきっと今と同じ判断をする。しかしだ。まだ若いお前達をむざむざと死なす訳にはいかない。この脱出作戦は他より幾らかマシと言うだけで、無謀である事には代わり無い。それでも無駄死にするよりは良い。……命令だ、生き残れ」  駐留中の小さな遊牧民族村で、翌日の脱出作戦を前に、ささやかな宴(うたげ)が催された。酒の勢いで踊り狂う若い部下達を、隊長である機師は悲しげに眺めている。その様子は、季節の終わりに鳴き狂う蝉の憐憫(れんびん)さを思わせた。間近に迫る身の危険、死への恐怖は、今や経験の浅い彼らとて肌で感じる事の出来る程強烈なのである。  機師は、自らの部下を危機に晒す不甲斐なさを痛感していた。たとえそれが彼の責任でないとしても、己の無能さを呪う事しか出来ないのであった。  夜が更け、しかし幾ら飲んでも酔えずいらついている彼に、若い娘が話し掛けてきた。四肢の露出した娘の服装は、砂漠を旅するにしては軽装に過ぎるように見え、言葉遣いは遊牧民とも機師達の属する帝国とも違っていた。奇妙な事に、強烈な日差しに晒されている筈の肌は、焼けるでもなく白く透き通っていた。  十代後半かそこらの短い黒髪をしたその娘は、顔の半分を覆っていた大きな防塵眼鏡を取り、黒く澄んだ瞳で機師を見詰め、彼の落胆など気にも留めずに馴れ馴れしく喋り掛けてきた。 「あのさ、頼まれ事があるんで、砂漠の外れまで連れていって欲しいんだけど」  若い娘を一瞥(いちべつ)すると、機師は酒壜を手近の樽に置き、足元にすがる飢えた野良犬を追い払うような調子で言った。 「すまんが他をあたってくれ、それ所ではないんだ」 「とっても大事な用事なのよ、そう言わずに何とか、ね」  娘は、彼の態度など一向に意に介さぬといった風に続ける。村全体が宴で活気付いている為か、娘の態度はいやに楽しげに見えた。言い繕う事すら面倒になった機師は、再び酒壜を手にし勢い良く呷(あお)ると、娘を睨み付け言った。 「……我々の目的地も砂漠外輪だ。付いて来るのなら止めはせんが、命の保証は出来んぞ。今の我々には、他人を庇うほどの余裕は無いからな」  娘はまるで端からその返答を予想していたかの如く一つ頷くと、微笑みながら革手袋を脱ぎ、右手を差し出した。 「ありがと。あたしはディージェイ、よろしくね」  機師は、ディージェイと名乗る娘の笑顔と、差し出された右手を憮然とした表情で眺めて、「出発は夜明け前だ」とだけ吐き捨てた。彼は翌日の脱出作戦――そう呼ぶには余りに御粗末だが――を練り直すべく、目の前の得体の知れない娘を黙殺しようと決めたのだった。足元の石ころを、それがまるで貴重な宝石であるかの如く凝視し、頭の中に周辺地形や敵軍の予想配置を描く。脱出経路はどれも絶望的であり、検討や選択にそれ程意味は無い様に思えたが、部下達のように――虚勢とは言え――はしゃぐ気にもなれなかった。  或いは彼は、どうすれば若い部下達が苦しまずに死ねるか≠選ぼうとしていたのかもしれなかった。  暫く後にその事に自ら気付いた機師は、深い溜め息と共に顔を上げ、そこに、先程の娘がまだ立っている事に驚いた。娘は口をへの字に曲げ眉をひそめていた。機師が声も無く見詰めていると、彼女は両手を腰に当て、大袈裟に鼻を鳴らし、 「あたしはディージェイ、よ・ろ・し・く!」と、語気を荒げて言い放った。どうやら彼女は、彼の態度に少なからず気を悪くしているようだった。だが、先の応対は彼なりに考慮してであり(煩わしく思ったのも事実だが)、今度はその事も説明する事にした。 「巻き込まれたくないのなら、俺の名前なんて聞くんじゃない。奴等は容赦無い、あんたにまで死なれたくない」  国家間戦争という状況下では、機師の対峙している敵国でなくとも、捕虜への拷問は執拗なものである。武力と同等に情報は戦況を左右し、時には正反対にくつがえす事すらある。成功の見込みも無い作戦を明日に控え、忠告したにもかかわらず同行しようとするこの娘が不幸にも$カき残った場合、彼女へ与えられるであろう数々の苦痛を僅かでも和らげてやるには、彼女は何も知らない方が良いのである。それは、彼の属する帝国に捕虜として連行された敵軍兵士の末路を見れば明らかだった。  そんな彼の思いを知ってか知らずか、彼女は少しだけ首をかしげ言った。 「あっそ。じゃあ、よろしくね、おっさん」 「……早く寝ろ」  ディージェイと名乗った娘は、回れ右をして、宴の直中へと歩いていった。冷気が肌を刺し、機師の酔いは一向に深まる気配が無かった。  砂漠での戦闘は、文字通り地獄絵図であった。若い部下達の悲鳴が、機師の無線に際限無く響き渡る。砂漠を中央から北東へ進む脱出経路には予想通り陣が敷かれており、その数は機師達の数倍にも達していた。更に、敵国オブジェの性能までも遥かに上回っていたのだ。もはや彼らには死∴ネ外の選択肢は残されていなかった。  砂漠に点在する開けた岩場の一つで、アーマライト甲鉄(こうてつ)刀の鍔迫り合いの甲高い音が響き渡る。胸部操座を深深と貫かれたオブジェが岩壁に串刺しとなる、叩き割られた頭部の静電差エンジンが稲光を上げつつ爆発する、三方から同時に装甲を切り刻まれ手足を落とされる、そのどれもこれもが機師の同胞であり、敵国オブジェへの被害はほぼ皆無であった。部隊長である機師の腕を持ってしても、三倍以上の数の敵を同時に相手には出来ず、未熟な部下達を庇うどころか、自らに向けられる執拗な攻撃を受け流すので精一杯であった。  そんな永遠とも思える殺戮(さつりく)の遥か上空を、一つの影がゆっくりと横切った。 「隊長! 来ました! え、援軍が!」  どうにか生き残っていた部下の一人の叫び声で、機師は索敵画面を一瞬だけ見やると、迫る斬激を火花と共に弾き返した。体勢を崩した敵オブジェの頚部を轟音を立てなぎ払い、そのままの勢いで真横の敵の腰部を突き刺す。窮地にもかかわらず勇猛さを振るう機師に対し、敵オブジェは距離を置いた。手負いの獣の恐ろしさをその身で痛感した彼らは明らかに躊躇していた。  機師はオブジェの眼球を通して上空の影を捉え、彼の網膜に投影される映像を拡大した。巨大な四枚翼と独特の推進音、オブジェ輸送用航空機〈カーゴ〉らしい。 〈カーゴ〉が戦場の上空に差し掛かり、そこから無数の空挺オブジェが降下してくる。若い部下達の歓喜の声が無線から聞こえてくる、が……。 「違う! て、敵だー!」  敵は勝利を完全にするべく、過剰なほどの戦力を、その小部隊に差し向けてきたのだった。 「何も……、そこまでしなくてもいいじゃねえか!」  機師の叫びを無視し、敵の空挺オブジェが彼らの退路を完全に断ち、同時に彼らの運命をも断ち切った。包囲された部隊は反撃に打って出る士気を失い、今や刈り取られるのを待つ雑草の如き有り様である。  投降する事すら出来ないその状況で、機師は敵陣めがけて突撃をかけた。せめて一太刀、そんな彼の思いはしかし敵にとって、そして彼の部下にとってさえ、もはや何の意味もない程、戦況は圧倒的であったにも関わらず。  地響きと共に岩場の大地をえぐり、機師のオブジェが疾風の如く駆けて行く。 「たとえこの身が滅びようと、我が魂は不滅! 脳裏に刻め! カミオン・シストラーの名をー!」  砂埃が上がり、轟音が響く。舞い散る破片が陽光を反射し、眩く輝く。そして、静寂が辺りを埋め尽くした。四散するオブジェ、無数のオブジェ……。  だが、機師、カミオンの一太刀は未だ振り下ろされてはおらず、にもかかわらず、彼の眼前にあった敵のオブジェの群れは、風に舞い散る木の葉の如く次々と吹き飛んでいった。 「なんだ、やっぱりあんたが〈豹機(ひょうき)カミオン〉か。おほん……、遅れ馳(ば)せながら! 援軍ただいま到着! ……なんちて」 それ≠ヘ彼、〈豹機(=勇ましい機師)カミオン〉ことカミオン・シストラーの眼前に、何の前触れも無く、現れた。そう、降りてきたのでも駆け付けたのでもなく、文字通り、現れたのだった。  背中に鷲に似た巨大な四枚の翼、胴体に細い四本の腕、頭部飾りに穿たれた二対、四つの青い目を持つ、恐らく機械騎士・オブジェであろう白銀の輝きを放つそれ≠ヘ、突然カミオンの視界を塞いだのだった。 「……え、援軍?」  風になびく黒髪や顔部分の造形が、見る者に女性的な印象を与えるその白銀のオブジェは、外観からは想像も付かない破壊力と機動性を、無遠慮なほどに発揮した。  四条の刃により百体を超える敵国オブジェの最後の一体が木っ端微塵になるまで五分とかからず、その様子はまるで、庭を埋め尽くした雑草を勢い良く刈り取る鎌のようであった。悲鳴とも風鳴りともつかない雑音が消え去り、一部始終を声も無く眺めていたカミオンの無線に、その場には不釣り合いな明るい声が響いた……聞き覚えのある声が。 「カミオン・シストラーの部隊が窮地に立たされている、どうか彼を救ってくれ。そう依頼されたの、目玉が飛び出るくらいの前金付きで。でもね、最初に名乗らなかったあんたが悪いのよ。あたしはなーんも悪くない、でしょ?」 「あんた一体……」  渇いた喉から絞り出した声は、自分のものとは思えなかった。 「物忘れが酷(ひど)いわね。あたしはディージェイ、〈猫目(ねこめ)のディージェイ〉なんて呼ぶ奴もいたかしら? 今は傭兵やってんの。んで、こっちはあたしのオブジェ〈デウス・エクス・マキナ〉。よ・ろ・し・くっ!」  呆然としながらもカミオン・シストラーは、前日のほんの些細な疑問を思い返していた。砂漠で肌を顕わにしているにもかかわらず透き通るような肌、なるほど、日差しを受けなければ肌が焼ける事は無い。そう、〈オブジェ〉に乗っているのであれば……。  永きにわたるガイアナ大陸の歴史に、その二つの名が初めて登場した。後に世界≠フ命運を握る事になる二つの名が。  野良猫機師〈猫目のディージェイ〉、そしてオブジェ〈デウス・エクス・マキナ〉。またの名を〈機械仕掛けの神〉。 《前二五年T》  ガイアナ大陸北方セエーヴェル帝国。上帝(帝国最高権力者)直属の機師団〈六天(りくてん)〉を束ねる名機師、〈豹機カミオン〉ことカミオン・シストラーは、警戒任務で駐留中の城塞都市ジェザイルの外れで彫機(オブジェ)工学技師、〈技構師(ぎこうし)〉の少女と出会った。  数日前、帝国南端の仇敵、大陸南方ルイ・ル・グロ神国の精鋭オブジェ大隊〈ヴィクトリアス〉による、突然の侵攻があった。カミオン以下迎撃部隊の奮戦により辛くも国境防衛は達せられたが、カミオンのオブジェ〈メルクルディ〉は、彼の宿敵にして神国の守護神、〈殄滅師(てんめつし)(=滅ぼし尽くす者)〉の二つ名を持つ機師、ビクトリエ・ユイットの駆るオブジェ〈疾風(はやて)のローゼーン〉により、致命的な損害を受け、絶命寸前にまで追いやられた。  生物であるオブジェは高度な自己復元能力を有しており、殆どの場合、人の手を借りる事無く傷を癒す事が出来た。しかし、復元能力を超えた深い傷を負った場合、他の生物同様、死を迎える事となる。帝国選りすぐりの技師達の健闘空しく、〈メルクルディ〉はその生涯を終えようとしていた。  カミオンは取り乱し、打ちのめされ、塞ぎ込んだ。機師とオブジェの絆≠ヘ、時に人間同士よりも深く尊いのである。それは、互いにその身を、その命を預け合う、戦友同士の絆だった。  そんな時である、その技構師の少女が、城塞都市ジェザイルに現れたのは。彼女は幾つかの条件を飲むのであれば、と断ってから、自分が〈メルクルディ〉を復活させると帝国技師団に申し出た。その一つは、彼女が帝国滞在中に接する人間を〈メルクルディ〉の主(あるじ)、カミオン・シストラーに限定する事だった。こうしてカミオンは、その技構師の少女と出会う事となった。二人がどのような会話を交わしたのかは、技構師の出した条件により周囲に知られる事は無かった。  彼女が現れてから数週後、〈メルクルディ〉は、その技構師の少女により新たなる体躯と名を授けられて復活した。後に豹機の遺産≠ニ評される帝国史随一のオブジェ〈ヴァスクリュス〉として。目を見張るその性能は、神国の二大オブジェ、〈ナッシュバル〉〈ローゼーン〉を遥かに凌いでいた。  しかし、カミオンは遂に〈ヴァスクリュス〉を駆る事無く、ジェザイルにて謎の刺客により暗殺される。享年三十一歳。カミオン直属の部下マーロ・バウアーに託されていた彼の遺言により、〈ヴァスクリュス〉はセエーヴェルの富豪、チェルバ家の本家、武器商ノーチェ家により買い取られ、城が一つ買える程のその代金の内、半額だけ技構師の少女に渡された。 〈メルクルディ〉を蘇らせた彼女へのカミオンからの報酬は〈ヴァスクリュス〉の売値全額との約束だったらしいのだが、少女がそれだけしか受け取らず、かわりに、彼女の出した新たな条件の手間賃として、ノーチェ家に残りの半額を返したのだった。  豹機の遺産、オブジェ〈ヴァスクリュス〉はミディ・ノーチェこと後のガイアナ連邦初代総帥、ミナルディー・シストラーの手に渡る。カミオン・シストラー以降のシストラー家の機師が受け継ぐ、という技構師の出した条件通りに。  その後勃発した三年間にわたる大紛争、第一次|帝神(ていしん)戦争『ジェザイルの攻防』による混乱の為、カミオンが出会ったとされる技構師の素性は、現在に至るも不明なままである。 「とにかく無礼な女だった。(カミオン)隊長に向かって「あんたが噂のビョーキ(病気)のカミオンさん?」などとぬかしやがったんだ。あの時は腰が抜けるかと思ったよ。根が優しい隊長だったから良かったものの……他の機師だったらその場で殺されてるぜ。十七、八歳の小娘なのに(技構師としての)腕は物凄かったな。  前からの知り合いらしくて、隊長はえらく気に入っていたみたいだったけど、俺や他の連中はあんまり……。凄くいい女だったんだが、あの性格のきつさは半端じゃないよ。結局最後まで本名は名乗らなくて、他でそう呼ばれてたから猫目≠ナいいとか言って、そう言えば、隊長は猫目嬢≠ネんて呼んでたな」 《前二五年U》 「ちっ! やはり〈ナッシュバル〉は俺向きじゃあない! 挙動が緩慢すぎるんだよ、次からは今迄通り〈ローゼーン〉で出るぞ! 良いな? カッシュ、猊下(げいか)には貴様から伝えておけ」 「え? 又俺ですかぁ? ……ラプル、たまには頼むよ、な? 苦手なんだよ、宮廷はさ……」 「……却下」  ガイアナ連邦暦前二五年、大陸南方ルイ・ル・グロ神国の神都ニーザミーでは、バルブラン大砂漠での、北方セエーヴェル帝国との激戦から帰還した機師達が、いつものお楽しみである、彼らの隊長ビクトリエ・ユイットとその両翼、機師カシュミール・ニードリヒ、機師ラプラッグ・ディーゼンの三人による漫才≠観戦していた。 「カーッシュ! 俺の命令に不満でもあるのか?」 「へ? とんでもない! 俺は隊長の為ならば、出来ない事以外は何でもやりますよ、ほんと、何でも」 「……ならばいちいち無駄口を叩くんじゃあ無い! 黙って猊下の所へ行けよ」 「へーい」  カシュミールは薄情な戦友ラプラッグを睨みつつ、宮廷へと駆けて行く。三人を遠巻きに囲う機師達から笑いが起こる。その光景は数日前、砂漠で死闘を繰り広げていたとは思えないほど和やかで、隊長であるビクトリエがなにがしかの効果を狙って、部下が密かに漫才と呼ぶそのやり取りを行っているのだとしたら、大した物である。  生死の境をさ迷った機師達が、僅か数日で生気を取り戻す、心からの笑顔を取り戻す様子は、機師達の体験した地獄を共に見ていれば正に魔法≠フ如きである。そして、だからこそ彼らは、彼らの若き隊長、若干十九歳の若き機師ビクトリエ・ユイットに忠誠を誓っているのかもしれない……。 「ラプル、〈ローゼーン〉を頼むぞ。俺は〈ナッシュバル〉の調整を始める」 「隊長、差し支えなければ〈ナッシュバル〉の調整も私が。帝国も数日は沈黙を保つと思います、少しでも休んでおられた方が……」 「オブジェの調整を他人に任せられるか! 貴様は言われた事だけやっていれば良い。それから、俺の体の事より自分の体調を万全にする事を最優先しろ、何度も言わせるな!」 「了解」  遠くからカシュミールが「ざまあみーろ!」と叫び、ラプラッグは犬を追い払うような手振りで応える。取り巻きからは数度目の歓声が上がった。  大陸随一の永き歴史を誇るルイ・ル・グロ神国。その歴史の中に一風変わった機師がいた。仇敵セエーヴェル帝国から〈殄滅師(てんめつし)〉と恐れられ、同胞からは〈女神〉と崇められる機師。  大地を裂いて天空を貫く〈雷鳴のナッシュバル〉、幾千万里を駆ける〈疾風(はやて)のローゼーン〉、二体のオブジェを繰り、死者をも惑わす美貌を備えた若き機師。その名は、ビクトリエ・ユイット。彼女≠フ元に集う機師達は〈ヴィクトリアス(ビクトリエの為の)〉と呼ばれ、〈殄滅師〉と共にその存在を大陸中に知らしめた。 《前三年T》  ルイ・ル・グロ神国の神都ニーザミーは、数日後に迫った仇敵セエーヴェル帝国への侵攻を前に、臣民や兵士の士気を高める為の昼夜にわたる盛大な宴が催され、建国記念祭さながらの喧騒と活気で満ちていた。神都城下の貴族御用達の絢爛(けんらん)たる社交会館は、本日に限り軍部の貸し切りとなり、兵士達は普段は口にする事はおろか、見る事も叶わぬ程の上等の酒や料理を堪能していた。  しかし、神国の精鋭部隊〈ヴィクトリアス〉の隊長、キャセロール・ユイットは、彼女の部下達ほどはその贅沢を楽しんではいなかった。手にした葡萄酒をちびちびとすすっては周囲の赤ら顔を眺め、溜め息を吐く、その繰り返しだった。 「灰色の葡萄酒に灰色の顔、我が体躯に流れる血もまた、灰色、か……」 〈殄滅師キャス〉ことキャセロール・ユイットは、先天性の色盲だった。彼女の硝子色の瞳には、全てが明暗の階調でしか無い。生まれ落ちた際に既にそうであったので、彼女はその事を思い悩む方法すら知らないのだが、その影響からか、彼女には喜怒哀楽といった感情が著しく欠如していた。  神王カスト・クシャトリア直属の機師として育ったキャスは、オブジェ操演技術をその脳髄に強制的に刷り込まれてきたのだが、欠如した感情が幸いし、苦痛と感じた事は一度も無かった。それらは彼女にとっての日常であり、また、本能でもあった。  キャスの機師としての能力は、彼女の通り名〈殄滅師〉が示す通りである。彼女のオブジェ、黒薔薇〈シュバルツローゼ〉の鋭利な刺は、全ての敵を滅ぼし尽くす。〈殄滅師〉は、神王や部下から全幅の信頼を置かれていたが、そこにはキャセロール・ユイットの人格や感情の居場所は無かった。彼女は一つの武器≠ニしてのみ、存在を許されているのだった。  朝迄飲もうとまくし立てる部下達を後にし、キャスは夜闇の中を、独り歩んでいた。冷えた外気が体温を奪う。街灯は当の昔に消え去り、視界は黒一色だったが、彼女は気配でその暗がりに人が立つのを察した。煉瓦道を革靴が踏む僅かな音で、その人物が自分の方に体を向けた事を知る。民間人や同業者ではなさそうだし、こちらに危害を加えるつもりも無いらしい。 「何か用か?」  気配を二歩程過ぎ去ってから、キャスは言った。子供であろうか? その人物の気配は、彼女にそう思わせた。 「……あんた、キャセロールさん?」  女性の、若い女の声だった。が、聞き覚えはない。キャスは返答せずに、相手の次の言葉を待った。 「ああ、失礼。あたしはディージェイ、よろしく」 「何か用か?」  キャスは先程と同じ調子で言う。ディージェイと名乗る女の声は、ごく普通の日常的な会話の調子だったが、それがキャスに警戒心を持たせた。それは余りに普通すぎるのだ。キャスは振り返り、月明かりに浮かぶ女の顔を見た。  黒に見える髪を短く切り揃え、小ぶりな鼻や口に比べ大きな瞳をした女だった。顔立ちは異国人らしく、一見東方出身者を思わせるが、そう言い切れるほどの特徴は無い。小さな口の両端を僅かに上げるその表情は、微笑んでいるようにも嘲笑しているようにも見える。声と同じく、ごく普通の女だった。 「あたし、傭兵やってんの。仕事、ある?」 「……機師か?」 「見えない?」  キャスはディージェイをじっと見詰めた。傭兵にはとても見えなかったが、キャスは、ならば一体何者なのかと、相手を暫く観察し、そして小さく微笑み、言った。 「見えない」  もしも、その場にキャスの部下が居合わせたら、さぞ驚き、そして叫んだだろう「おい! 隊長が笑ったぜ!」と。戦闘機械であるキャスに、笑み≠ネど備わっている筈が無いのだから。キャスはこの奇妙な女のあまりに無防備な態度に対して、自分が過剰に警戒している事が、急に可笑しくなったのだった。キャスの様子を見て、ディージェイは鼻の頭を掻きながら「やっぱり?」と苦笑混じりで言った。 「ディージェイと言ったな、お前は運が良い。我々は数日後に大掛かりな作戦行動を起こす、帝国へ仕掛けるのだ。オブジェは一体でも多い方が良い」  キャスの喋る内容は明らかに情報漏洩であった。機密とまでは言えないものの、仮にディージェイが敵側の諜報活動者であれば、大問題になる。だが、キャスはそれを全く気に掛けていなかった。目の前の女が何者なのかは解らないが、少なくとも敵ではない、そう確信していた。 「商談成立?」  上目遣いで右手を差し出し、ディージェイは言った。「成功報酬だ」とキャスは差し出された右手を握った。ディージェイの小さな手から、皮手袋を通して体温が伝わる。私の手はさぞ冷たかろう、キャスは思った。 「明朝、兵舎へ来い。詳しくはそこで話す」キャスは言い、再び夜闇へ向け歩き出したが直ぐに立ち止まり、振り向いて「オブジェの名は?」と尋ねた。ディージェイは「そっちは?」と返す。  キャスは再び微笑み応えた。 「〈シュバルツローゼ〉だ。……知っているだろう?」  ガイアナ大陸にいる限り、キャセロール・ユイットの名を知るものが、彼女のオブジェ〈シュバルツローゼ〉を知らない道理は無い。その二つは、語り継がれる神々の名を含めたとしても、間違い無く現時点では最も知られる名なのだから。 「勿論。ほんの冗談よ」  ディージェイは一つ頷き、返す。 「〈デウス・エクス・マキナ〉」 「……覚えておこう」  そう言い残し、キャスはその場を後にした。 《前三年U》  ガイアナ大陸中央、バルブラン大砂漠の非戦区域、シャランブロン中立自治区。東方のダルトア王国から内地に訪れていた田舎機師アルブレド・クラインゲルトは、酒場〈アンヌ・ド・トゥ〉の店主から、最近この辺りで話題のオブジェの噂話を聞かされた。かなり酒が回っているらしく、小太りで禿げた店主の口調には、耳障りな粘り気がある。 「噂なんで、大袈裟な部分もあるだろうけど」と断ってから、店主は喋り始めた。 「ルイ・ル・グロの〈ヴィクトリアス〉にとんでもなく強い機師が、これまたとんでもなく強いオブジェ持参で傭兵として参戦してるらしいんだ。なんでも、セエーヴェルの黒機師エト・ワジムーの〈ヴェルチュガド〉を、一撃で粉微塵にしちまったんだと。あの〈ヴェルチュガド〉を一撃でだぜ、信じられるかい?」  店主はそこで言葉を切り、反応をうかがう。アルは、さっさと続けろと目で合図する。 「でよ、傭兵ってのが、〈猫目〉とかってふざけた女らしいんだ。まあ、事情通の俺が知らないんだから、大した奴じゃあないんだろうけどな。で、だ、面白いのはここからだ。その小猫ちゃんのオブジェには、顔に目が二組付いてて、腕が四本もあってな、それぞれに剣を全部で四本もってるんだとよ! どうだ! 笑えるだろ? それじゃあまるで絵本の化け物だぜ。そのオブジェの名前は――」  大陸東方ダルトア王国に、貴族ユーク家から一体のオブジェが献上された。静かなる勇者≠フ二つ名を持ち、黄金色に輝くオブジェ〈ハイナイン〉である。工芸品の如きそのオブジェは、最新の技術と莫大な資金により誕生した、大陸最強の勇者であった。国内外が大騒ぎになったのは言うまでもない。 〈ハイナイン〉の生みの親は、本人の要望で極秘とされていたので、各地で様々な噂が飛び交った。余りに頭抜けたその性能で、大陸内の勢力地図が一遍するかと思われたが、当時のダルトア国王はセエーヴェル帝国やルイ・ル・グロ神国に攻め込む事はせず、〈ハイナイン〉の静電差エンジンを封印≠オたのだった。 「彼女ならば、こうする事を望むはずだ」  ダルトア国王の言葉である。彼女とは〈ハイナイン〉の生みの親の事であろう。  現在、ダルトア王国の〈ハイナイン〉は一般公開されており、見物者は断たない。一時の安らぎを経て〈ハイナイン〉は再び目覚めの時を迎えるのだが、それはもう暫く後である。 《前一年》  セエーヴェル帝国の西端辺境の村落ナッソーで、ミディ・ノーチェことミナルディー・シストラーは、現帝国上帝アジーン・ブラートの暗殺計画を企てていた。機会をうかがうこと半年、虫の音もせぬ精緻な夜闇、遂にそれは決行される。  ミディは宮廷に潜入し、彼女の一族、シストラー家を崩壊させたとされる上帝アジーンと対峙した。 「上帝! 我が名はミナルディー・シストラー! カミオンの、……シストラーへの雪辱! 今こそ返さん!」  だがしかし、ミディが今正に斬り付けんとしたその時、上帝アジーンは逃げるどころか、両の手を広げその身を彼女に晒したのだった。 「……そうか。それが道理、いや、真理というものかもしれぬ。シストラーよ、……忌まわしき過去を……絶て!」  思いもよらぬ状況に、ミディは一転、狼狽した。覇気を削がれた彼女に対し、仇敵アジーン・ブラートは静かに語る。それは、シストラー家崩壊にまつわる意外な事実と、アジーンの妃であり、またミディの母であるジェナーへの、彼の汚れ無き慈愛の念であった。  連邦暦前二五年の第一次帝神戦争『ジェザイルの攻防』勃発の直前、ルイ・ル・グロ神国では、ある計画が実行に移されようとしていた。能力差の殆ど無い汎用オブジェ同士の消耗戦を、少しでも有利に運ぶ為考案された計画、それが『機師暗殺』である。  機師は、オブジェの搭乗者としては特殊だが、それ以外はごく普通の人間と変わり無く、特別に優れている訳ではない。訓練された兵士に、オブジェを降りた機師では太刀打ちできないので、それは一種の禁忌とされていた。無論、この『機師暗殺』は秘密裏に策謀、そして実行された。この時、セエーヴェル帝国随一の機師一族、シストラー家が最優先の標的にされたのは言うまでも無い。  六代目上帝ランシェ・ブラートの右腕、かつ良き友人でもあった機師、〈豹機カミオン〉ことカミオン・シストラーを始め、老若男女を問わず、シストラー家ゆかりのものは尽く殺害されていった。当然、それがルイ・ル・グロによるものとは一切知られぬように。上帝ランシェは僅かに残ったシストラー一族を、国外辺境へ脱出させ、更なる脅威から、謎の刺客から守る為「謀反の疑いにより追放した」と公表する。  無念ではあったが、シストラー家遠縁の、もはや機師としての能力の影すら無い者をも守るには、他に手の打ちようが無かった。辺境へと逃れた同家は散り散りになり、九代にわたるシストラー家の歴史は、人知れず幕を下ろす。  上帝ランシェの他で真相を知るものは、夫カミオンを失った未亡人ジェナー(当時二十五歳)、上帝ランシェの子で、シストラー一族の出国時に護衛の任に就き、その後も同家に献身的に助力し続けた、後の七代目上帝アジーン・ブラート(当時三十五歳)の僅か二人のみであった。  ジェナーは辺境村落ナッソーに、カミオンとの唯一の子、当時二歳のミナルディーと共に移り住み、そこでシストラーを名乗る事は無かった。 『機師暗殺』がルイ・ル・グロ神国によるものでは、との噂がナッソー村のジェナーの耳に入ったのは、一連の騒動の僅か半年後であった。夫カミオンの無念を晴らそうと躍起になるジェナーを、時折彼女のもとに訪れていたアジーンは、時期尚早だと必死になだめる。  暫く後、アジーンが上帝の座に就くのと同時に、二人は結ばれた。ジェナーには復讐を有利に運ぶ為との打算があり、アジーンも、それは承知の上での婚姻であった。彼は、最初に出会った時から彼女に惹かれており、形はどうあれ、思いは成就したのだった。  ジェナーは「シストラー家唯一の生き残り」として、帰国する事となる。  カミオンの娘、ミナルディー・シストラーは辺境村落ナッソーの商人、ノーチェ夫妻に引き取られ、ミディ・ノーチェと改名される。ノーチェ家の一人娘として育ったミディが自らの生い立ちを知るのは、彼女が十九歳の誕生日を迎えた日であった。それは第二次帝神戦争『バルブラン大戦』が起こった年でもあり、そして、育ての親であるノーチェ夫妻との、永遠の別れの年でもあった。  ジェナーは復讐を果たせず病死、享年四十六歳。  虫の音もせぬ精緻な夜闇。ジェナーの決意は上帝アジーンの手により、地上に残された唯一人のシストラー=Aミナルディー・シストラーへと受け継がれたのだった。豹機の遺産〈ヴァスクリュス〉と共に。  同年末、セエーヴェル帝国は、新上帝の戴冠に歓喜した。ブラート家が束ね続けたセエーヴェル帝国。八代目上帝の座が他家に委ねられることを疎ましく思う間もなく、大いに歓喜したのだった。  セエーヴェル帝国八代目上帝、ミナルディー・シストラー。〈豹機カミオン〉の娘、ミナルディー・シストラー。上帝の駆るオブジェ、豹機の遺産〈ヴァスクリュス〉。その歓喜は、帝国臣民ならずとも、である。 《元年T》  セエーヴェル帝国領最西端の淡水湖、エレオノールのほとり、ミナルディー新上帝率いるセエーヴェル帝国〈六天(りくてん)〉と、ルイ・ル・グロ神国〈ヴィクトリアス〉の、互いの国の覇権を賭けた激戦、それが第三次帝神戦争『エレオノール湖の決戦』である。  気高き機師の血を受け継ぐミナルディー・シストラーは、帝国内において先帝アジーンを遥かに凌ぐ支持を得る。大陸各地に配置された〈六天〉への十二年ぶりの召喚命令は、セエーヴェル臣民を奮い立たせた。 「ガイアナ大陸に、真の正義と秩序を!」 〈六天〉が一堂に会した様は、文字通り帝国の持てる力の全てであった。  青帝ドバー・ブラートとオブジェ〈蒼帝・フトールニク〉。赤帝トリー・カルシャと〈炎帝・スリェーダー〉。白帝チェティーリェ・ブラートと〈金帝・チトヴェールク〉。黒帝ピャーチ・バストロと〈水帝・ピャートニツァ〉。黄帝シェースチ・ブラートと〈土帝・スボータ〉。  だが、それらを統括する役目はオブジェ〈天帝・パニェジェーリニク〉から、上帝ミナルディー・シストラーの駆る脅威のオブジェ、豹機の遺産〈ヴァスクリュス〉へと継承されたのだ。  猛進する帝国勢に対し、ルイ・ル・グロ神国神王カスト・シャトリアは、銀髪の機師〈殄滅師キャス〉ことキャセロール・ユイット率いる〈ヴィクトリアス〉を矢面に立てた。キャスは、東方ダルトア王国の機師アルブレド・クラインゲルトと彼のオブジェ〈アイエール〉、そしてディージェイと名乗る傭兵と彼女のオブジェ〈デウス・エクス・マキナ〉の援軍を得て、帝国〈六天〉に挑む。  この、別名『覇者無き戦い』と呼ばれる戦闘は、開戦から僅か半日後、〈デウス・エクス・マキナ〉の爆走≠ナ唐突に幕を下ろした。一切の交信を拒絶した〈デウス・エクス・マキナ〉は、帝国〈六天〉と〈ヴィクトリアス〉をその四本の刃で切り裂き、天高く舞い上がったのだった。 「ディージェイ! 私だ! 応答しろ!」 「……絵本の化け物? あれが……そうなのか?」 「何が、……何が起きると言うのだ!」  人知を超えた破壊力により、セエーヴェル帝国、ダルトア王国を相次いで壊滅させた〈デウス・エクス・マキナ〉はゆっくりと、だが確実に、大陸南方のルイ・ル・グロ神国へと向かう。この突然の出来事に、ルイ・ル・グロ臣民はもとより、大陸中が騒然となる。数度にわたるルイ・ル・グロ神国のオブジェ大隊での足止めは全く役に立たず、混乱は加速度的に広まっていった。  強大な敵を前に国同士で争っている場合ではないと、帝国上帝ミナルディー・シストラーは、来るべき危機を打開するべく、総力を集結させるべく『ガイアナ連邦創立』を宣言した。これに大陸中が応え、各国代表合意の上、初代総帥は発案者であるミナルディー・シストラーとなる。意外な形でガイアナ大陸は、史上初めて統一されたのだった。  オブジェ〈デウス・エクス・マキナ〉とガイアナ連邦との決戦は、『ガイアナ聖戦』として、後世まで語り継がれる事となる。  ガイアナ連邦はミナルディー・シストラーの駆る、豹機の遺産〈ヴァスクリュス〉を旗機に、『エレオノール湖の決戦』前にディージェイにより未知の兵器〈イージス〉を搭載され改良された、キャセロール・ユイットの〈シュバルツローゼ改〉、そして、アルブレド・クラインゲルトと、ダルトア王国で封印を解かれた、静かなる勇者〈ハイナイン〉の三体で〈デウス・エクス・マキナ〉を迎え撃つ。  人々はこれらを〈三神〉とたたえ、自らの思いを、人類の命運を託したのだった。 《元年U》  ガイアナ大陸中央バルブラン大砂漠、シャランブロン中立自治区唯一の酒場〈アンヌ・ド・トゥ〉の主人は、昨晩の深酒からくる二日酔いに苦しんでいた。酒場の主人の二日酔いなど冗談にもならない、そんな思いで自室の壁に穿(うが)たれた両開きの木製窓を開く。すっかり日は高く、強い太陽光が瞼を射抜く。外からはいつものように、大陸中からやってくる出稼ぎ人やそれを目当てにした行商人達のざわめきが聞こえてくる、筈だった。 「……な、なんだぁ?」  もぬけの殻、そう言うしかなかった。賑わいこそシャランブロンの名物である。永い戦乱期を迎えたガイアナ大陸の国々は、喧騒や活気ではなく、人々の溜め息で溢れている。私利私欲の為の戦は、その恩恵を受けないものにとって憂鬱以外何も与えない。そして私利私欲の為ではない戦など、人類の僅かな歴史において唯の一度も無い。なんて事を、いつかの若い客が言っていたな、主人はぶつぶつと独り言を吐いていた。  その日、シャランブロン中立自治区で酒場の主人が体験した出来事は、ガイアナ大陸史に刻み込まれる事となる。  彼がそうだと知ったのは、設立から間も無いガイアナ連邦の、初代総帥ミナルディー・シストラーによる自治区全域に出された退避勧告を無視し、何時までも絶対警戒区域≠ノ居座っている、酒好きの命知らずを救い出す為だけにわざわざ編成された、元セエーヴェル帝国六天直属の機師エト・ワジムーを筆頭とする、オブジェ小隊の輸送用航空機〈カーゴ〉の中であった。  もっとも、彼にとっては、その後数千年に渡って人々に語り継がれる事となる歴史的重大事『ガイアナ聖戦』など、彼の四十八年の人生の、血と汗と涙の結晶であるささやかな酒場〈アンヌ・ド・トゥ〉が、深海魚達の住処になってしまう事に比べれば、ほんの些細な出来事でしかなかった。 《元年V》  元ルイ・ル・グロ神国主力オブジェ、現在は〈三神〉と呼ばれるキャセロール・ユイットの搭乗するガイアナ連邦軍旗機〈シュバルツローゼ改〉に搭載された、史上初のオブジェ専用超°覧」攻撃兵装〈イージス〉は、無限動力ストロマトライト鉱から、変換効率二百倍で動力を抽出し、虚数質量粒子弾を並行空間を経て標的に撃ち込む。  標的は、破壊を振り撒き舞い下りる〈デウス・エクス・マキナ〉、ただ一つである。 〈シュバルツローゼ改〉の全動力を〈イージス〉により撃ち込まれた〈デウス・エクス・マキナ〉は組織崩壊を起こし、周囲の大地もろとも跡形も無く蒸発した。最後の瞬間〈デウス・エクス・マキナ〉の発した断末魔≠ヘ、数秒間大陸全土に響き渡り、全てのあらゆるオブジェの一切の動作を、完全に停止させた。  こうして、六ヶ月に渡った『ガイアナ聖戦』は終結した。ガイアナ連邦暦元年、ようやく人類は一つになり、〈猫目のディージェイ〉のささやかな我がままの一つは成就した。 (必要悪、というものがある。人は常に自身と他とを比べ、他と同等か少しでも優れている、或いは自身は正しく他は間違いと感じる事で心の平穏を得ている。人とは、自身より劣った存在、自身の正当性を証明する存在が必要不可欠な、なんとも面倒な生き物だ) (それが必要悪? あたしは自分と他人とを比べた事なんて無いけど。それに、あたしは絶対に間違ってない。これだけは言い切れるね) (君は心が特別に強いからそう思える。しかし、大多数は君程強くはない。それは感じてる筈だ。たとえば……) (キャスやミディの事? 確かに、あの子達は脆いな、触っただけで砕けそうなくらいに) (自己犠牲を否定してたな) (まあね。あたしは、共に幸せを掴もうともがく、最後の最後までね) (今でも?) (……多分) (この世界に悪≠ヘ存在しない。故に正義≠熨カ在しない、此処には不用なものは一切存在しないのだ) (皆に存在理由がある?) (……さあ時間だ、どうする?) (……。付き合うよ。生き方には反するけど、あたしの責任でもあるものね」 (責任?) (いや、違うか。……そう、これが、存在理由か? 今のあたしの……) (よし、行こう。我々こそがこの世に存在する唯一無二の悪≠セ。そして人々は一つになる。君の主義に反する事なのが悔やまれるが) (いいよ、たまにはこういうのもね) 《一年》  夜明け間近の静けさの中、湖の湿り気を帯びた軟らかな風が、湖岸に一人たたずむキャセロール・ユイットの銀髪を撫でる。遥か遠くで霞む対岸の辺りをぼんやりと眺める彼女の表情には、精気や感情が一切見当たらず、片側だけが黒く焼け焦げた岩に力無く腰掛ける様子は、精巧な蝋(ろう)細工のようであった。  かつての同胞であり、共に力無き民衆から〈三神〉などと祭り上げられ、『ガイアナ聖戦』と呼ばれる茶番劇を演じた、東方ダルトア王国の若き機師、アルブレド・クラインゲルトが背後から声を掛けても、返事はおろか振り向きもせず、キャスは、それが自身の抗えぬ運命、使命であるかの如く、僅か一年前に誕生したばかりの湖を、虚ろな瞳で見詰めている。  アルは、端から返事など期待していないといった態度で彼女の隣の砂地に座り、同じく湖面を眺める。清水は、愚かな記憶や汚れた出来事を湖底に携え、二人の英雄に微笑みかけているようにも見え、また、睨み付けているようにも見える。  永遠の夜が漸く終わりを告げる頃、キャスが、か細い声で振り絞るように呟いた。 「――私は、……決して拭えぬ過ちを、詫びる事の許されぬ罪を、犯した筈だ……。なのに、何故、……何故誰も、私を罰しようと、……しない……」  血の気の退いた唇が僅かに上下するだけで、表情は全く変化していない。漆黒の闇に生の息吹を吹き込む朝日は、しかし彼女の心の底にまでは届かなかったようだ。キャスの音にならない静かな悲鳴を聞き取ったアルは、その場には似つかわしくない陽気さで言い放つ。 「簡単さ。キャスは罪を犯していない、だから誰も責めない。それだけの事さ」  言葉が果たして届いたのか、微動だにしないキャスを見ても、アルには解らなかった。彼は立ち上がり、キャスが掛けている焦げた岩に、彼女に寄り添うよう座ると、湖面を見詰め優しく囁いた。 「なあ、キャス、泣く時は、涙を流すのが礼儀ってもんだぜ。でなきゃ解らない、だろ?」  暫くして、キャスの硝子色の瞳から、一筋の涙が零れた。そして、一旦流れ出すとそれは、後から後から溢れて止まらなかった。アルの手首の辺りを力いっぱい握り締め、それでも湖を見据えたまま、キャスは体を僅かに震わせていた。言葉とも鳴咽とも取れる音が、下唇を噛みしめたその口から漏れる。 「……彼女は、……ディージェイは、……。ディージェイは……、……ディージェイは、……」  唯一教えられた単語を繰り返すだけの鸚鵡(おうむ)のように、キャスは、只只繰り返していた。 《一〇三九年T》  連邦暦一〇三九年、この年、大陸東方のエンフィールド工業都市共和国で勃発した政権奪取紛争『ネオテニー内乱』と、後の『ガイアナ大戦』は、その規模以上に、あらゆる意味でガイアナ大陸史に多大な影響を与える事となった。たとえそれが私益に端を発したものであったにせよ、結果として、三千年もの彼方未来の全人類の運命を左右するとは、紛争首謀者であるハロアール・クワント伯爵はおろか、少なくはない関係者全ての想像も付かない事であった。  この歴史的事件を語るにあたり、幾つか重要と思われる事柄についての簡単な解説は、出来事の本質を理解する為にも有効であろう。以下の解説は、ある学術書からの引用である。  陸上を住処とする様々な生命が営みを続ける、惑星表面のおよそ二割を占めるささやかな大地に、一部の人間達により〈ガイアナ〉の名が冠せられたのは、遥か五千年以上も昔の出来事である。その万物の根元≠ニいう意味の古い宗教用語は、生命の発生は大洋を源とする、という学者の諸説が一般となった今日においても、国や人種を問わず、大陸の唯一の名称であり続けている。  一部の少数宗派や専門家達が、自説に相応しい呼び方を唱える事も幾度かあったが、それ以外の大多数にとって、自分達の足元をどう呼ぶかなど殊更気に掛けてはいず、今迄も、そして恐らくこれからも〈ガイアナ〉は〈ガイアナ〉と呼ばれるであろう。  その、ガイアナ大陸に機師が初めて登場したのはガイアナ大陸(という名称の)誕生から随分後である。公式な記録としては、前七六六年、大陸北方に位置した当時のセエーヴェル帝国のビュスク・ブラートという名の軍人、彼こそが最初の機師である。最も当初、機師は軍部内の階級呼称の一つに過ぎなかったので、同じ呼称を持った軍人は彼以外にも多数存在したのだが、オブジェの搭乗者≠ニいう現在の定義に当てはまるのは、ビュスク・ブラート只一人らしい事が、残存資料から判明した。  オブジェ、つまり知性鉱物ストロマトライトと元素塊メテニウムの発見は、ビュスク・ブラートの誕生を再び溯る。  ひとまずは機師についてごく一般的な程度の説明を行い、後にオブジェに移る事にする。  機師の最も特徴的な常人との差異は、その情報処理能力である。感覚器官のうち、視覚器と聴覚器が特化しており、電磁波可視・音波可聴領域は人間以外の脊椎動物を加えた上でさえ、類を見ない広さを持つ。つまり、彼ら機師は、常人と全く異なる要素で外界を捉えている訳なのだが、にもかかわらず、表面上は人間社会に順応しているのは、それら視聴覚領域を意識的に&マ化させるという、驚くべき能力故である。更に、そうして得た膨大な外部刺激(情報)を迅速に処理し、適切な判断を下す事が出来る。  このような類希なる能力を有するにもかかわらず、人々は機師を人類の進化形態と捉える事はおろか、特別に優れた人種と認識しようとしなかった。理由は、彼ら機師の運動能力が、常人のそれと大差無い為である。機師の特異な能力は、それを発揮する事の出来ない人間の体に宿るうちは、全く存在価値が無いのである。  ごく希に、芸術や学術分野において才能を開花させる者もいないではないが、彼らの能力がその様な活動の為ではない事は、他ならぬ彼ら自身が理解していた。  機師は、各能力を先天的に持つ、人類の突然変異、若しくは奇形として発生(誕生)する。そして発生因子が不明であるにも関わらず、彼らの形質(特徴)は、かなりの確立で遺伝するのである。〈機師〉の呼び名が無い頃、彼らの形質は一種の病として人々に認識され、そして、その多くは不幸な生涯を送る事となった。  しかし、ある時期を境に、そんな彼らの境遇が一変した。そう、機械騎士・オブジェの登場である。  確認可能な記録によると、知性鉱物ストロマトライト、そして化石とよばれる元素塊、メテニウム(骨格形状)が人類にその姿を見せたのは、およそ四千年前である。その時期に起きた大規模な地殻変動により、ガイアナ大陸の北端に巨大な山脈――現在のノーザス山脈――が隆起し、それにより太古の地層が地上に現れた。その地層に含まれていた不可思議な鉱物こそがあの生ける金属塊≠アと知性鉱物ストロマトライト、そしてメテニウム骨格であった。  知性鉱物ストロマトライトについての説明は、その名称により、半分ほどが既に完了しているといって良い。この金属は、成長・繁殖(分裂)し、そして進化する、つまり生きているのである。これらの特徴について、更に詳細な説明がほぼ不可能である事は、この分野の研究者・学者諸氏の怠慢などでは決してなく、全ては残りの半分の特徴故であろう。  ストロマトライトは、地上では追随を許さない絶対硬度を示し、そして、人間が物理的に利用できる形態での動力を無限に含有している。さて、このような性質の物体の――それが生物か鉱物かはこの際関係なく――分析・解析、論理的解説が果たして人類に可能になる日がこの先訪れるのか、どうにも懐疑的にならざるを得ない。  また、メテニウム骨格については、その姿と名称以外、何ら定義も解明もされておらず、それが数千年にも及ぶ間、人類の眼前にあるにもかかわらず、未だ未知の物質≠ナあることは、各人周知の事実である。メテニウムの特性研究は、ストロマトライトのそれに比べれば、充分すぎるとさえ思えるほどである。  大陸北東の高原に住む少数遊牧民族に古くから伝わる諺がある。 「愚者の銀秤(ぎんしょう)、盲(めくら)(へ)の笑み」  銀秤とは、事象の正否を見定める為に神々が持つと云われる銀製の秤である。つまり、価値の無いものや不必要な知識もあるという意味である。  ストロマトライト鉱の物理的動力を、人間が利用する為の物質特性処理・解析・制御器官である〈静電差エンジン〉の発明が、時を置かずして史上最も優れ、そして残虐極まりない戦闘兵器、機械騎士・オブジェを誕生させた経緯の詳細については歴史書に譲るとし、ここでは、オブジェと機師の関係について触れる。  現在〈オブジェ〉と呼ばれる一連の機関は、当初、ストロマトライトの無限動力を静電差エンジンにより人為的に操作する形で開発された、一種の発動機あった。これは後に電離内燃機関〈アーマライト・リアクター〉を産むのだが、ことストロマトライトに関しては、前九〇〇年当時の技術力・工業力ではそれが精一杯であり、可能性を十分に活用しているとはお世辞にも言えるものではなかった。  静電差エンジンからの相互信号情報量はそのままストロマトライト鉱の動作量となるのだが、器官自体の未発達もさることながら、操縦者が人間である以上オブジェ(ストロマトライト)もまた人間の能力以上は発揮し得ないのは当然であるといえる。  その静電差エンジンを機師(の能力を有した人種の意)により操作・制御させるという画期的な発想をある技術団が導き出した。当時機師の形質はあくまで足枷≠竍不幸の象徴≠ナしかなかった事実を考えれば、恐らく偶然の産物だったのであろう。また、後のオブジェ誕生の経緯についても、全てが偶然といっても過言ではなかろう。  知性鉱物ストロマトライト、静電差エンジン、更にメテニウム骨格と精練金属アーマライト、そして機師により、遂に人類はオブジェという究極の武器≠手にした。それらは粒子静電差現象≠ニ呼ばれる空間相互転化による莫大なエネルギーを発生させたのだ。  機師の常軌を逸した能力はこの粒子静電差現象を制御し、オブジェを、文字通り地上最強に生まれ変わらせるに十分すぎるほどであった。  これら一連の出来事が、果たして人類にとって喜ぶべき事象かどうかについては、十分な検討が必要と思われるが、ここに興味深い文献を紹介し、とりあえずの締めくくりとする。以下の文章は、旧教の聖典の一部を翻訳したものである。 『汝の手にあるその一本の羽茎(はぐき)(筆の意)は、汝が言葉を書き記す為の道具であると共に、その羽茎は汝が言葉を書き記すべきを(記す必要がある)、汝に示すものでもある。  汝の手にあるその一条の剣(つるぎ)は、汝の愛すべき我が子らを諸々の災厄から救う為の力であると共に、その剣は汝の愛すべき我が子らに諸々の災厄が見舞うを(災厄が訪れる)、汝に示すものでもある』 《一〇三九年U》  ガイアナ大陸北西端、霧の大地と呼ばれる一帯にあるノーザス山脈は、その名の通り年中深い霧に包まれており、地元エレオノールの者でもめったに足を踏み入れない。そんな場所にその団体が駐留しだして、もう二ヶ月にもなる。セエーヴェル地方、ブレダ運河の中流にある都市ナバラの富豪、チェルバ家の私設発掘隊である。  隊には、ナバラ市では名の通った〈発掘師(はっくつし)〉フランカール・マニノフも同行しており、この発掘作業へのチェルバ家の力の入れ様が伺える。 「本当にこれでいいんですかい? ドゥーシー・チェルバ嬢」  山脈の巨大鍾乳洞で作業中のマニノフが、隊の指揮者らしき女性にこれで三回目の質問をする。 「もちろんです。続けて下さい。それと、何度も言わせないで下さいマニノフさん、私(わたくし)の名は……」 「ああ! そうでしたっけ、失礼、ドゥーシー・ノーチェ嬢」  そう言うとマニノフは、大袈裟な素振りで額に手を当ててみせる。このマニノフという名の中年は、そうやって発掘隊の若き指揮者、ドゥーシー・ノーチェを、作業が始まってから幾度と無くからかっているのだった。  大金を積まれたとはいえ、自分の娘ほどの若者の下に就くのが気に食わない事への腹いせらしい。しかし、ドゥーシーはこの無礼な中年の言う事など、気にしてはいられなかった。  幼い頃から両親に厳しく教え込まれてきたノーチェの名を持つ者が負う使命≠ニやらを、ようやく今日果たせそうなのだから。  十七年にわたる重責が無くなってくれるのに比べれば、マニノフの嫌味など、取るに足らない事であった。これからは思う存分人生を楽しもう、まずは素敵な男性を見付け、お気に入りの恋愛詩の様な恋をしよう、そして―― 「始めますぜ! ノーチェ嬢!」  マニノフの濁声(だみごえ)で、ドゥーシーの甘く切ない妄想は散り散りになってしまった。 「いちいち断らなくても良くってよ! さっさとなさい! ……して下さいません? マニノフさん……」  思わずいつものように反応してしまい、必死に取り繕うドゥーシーであった。  僅かに顔をしかめつつも、マニノフは電離内燃機関〈アーマライト・リアクター〉の制御盤を操作する。リアクターからの数百本の配線は鍾乳壁の、そこだけ色の違う大突起部分に埋め込まれており、それこそが彼等の目的の品だった。  マニノフの操作により、リアクターが唸りを上げ青白く輝き始める。リアクターに呼応するように大突起も僅かに振動を起こし、それは次第に大きくなっていく。しばらくすると、鍾乳洞内の空気が、肌で感じられる程震え、リアクターは既に直視出来ない程の光と熱を放っている。 大突起の周りの壁には細かなひびが走り、頭上から鍾乳石の欠片が、ドゥーシー達に降り注ぐ。  懸命に制御盤を操るマニノフの影に隠れ、何時の間にか防護眼鏡を付けたドゥーシーは、彼女の長年の重責の源である鍾乳壁の大突起を睨み付けながら、リアクターの駆動音にも負けないくらいの大声で叫ぶ。 「さあ! さっさと起きなさい! 〈ハイナイン〉! あなた達のおかげで私の華やかであるべき青春時代の大半は台無しになってしまったのよ! これ以上私の邪魔をする事は断固として許しません! 目覚めなさい! アルブレド・クラインゲルトォー!」 《一〇三九年V》 「――俺はな、昔からあの高慢ちきな機師って奴らが大嫌いなんだよ! 理屈じゃあない。ついでに言うとあの馬鹿でかい木偶(でく)の坊もさ……、何がオブジェだ! ……ふん! 反吐が出るぜ!」  その禿頭の主人は眼前の、薄汚れたぼろをまとった濃青色の髪の男の肩越しに狭い店内の酔っ払いどもに言い聞かせるように大声で吐き捨てた。大半の客達はそんな主人の自分達に向けられたであろう罵声など関心が無いらしく、泥水にしか見えない酒を上手そうに呷(あお)っては、長旅で出会った小数部族の女が如何に具合が良かったかとか、連邦の国境警備軍をすんでの所でかわした際の武勇伝などをがなり合っている。漆喰塗りの壁に掛かった瓦斯(がす)灯の頼りない明かりのみの酒場はその場にいる人間達と同様にすすけている。 「木偶、か……」  大振りの木卓に肘を突き男は僅かに俯く。そんなものに己の全てを、名声や家柄、生命や尊厳、友や家族を預けていた自分はさぞ滑稽だったのだろうと、文字通り全てを失ってから気付く。男の脳裏に浮かぶその考えは後悔というより確認に近かった。故郷を後にしてから何万回とも無く繰り返される、己の行いについての確認作業。  不機嫌そうに主人はなおも愚痴りつつ、しかし自身の役目を果たすべく硝子盃を懸命に磨く手を休めない。出過ぎた腹や丸々とした指に似付かわしくない機敏な動作は男に出来損ないのぜんまい仕掛け人形を連想させた。  鉛色の天空が蓋を被せ、生物の息遣いの欠片も無い寒々しい黄土色の荒野を背にした廃屋群のど真ん中に粗末な小屋が一軒、それがどうやら酒場らしい事が両手を広げたくらいの長さの板切れ看板に刃物で彫り込んだ、それを刻んだ者は文字のつもりらしい傷痕から解る。 〈アンヌ・ド・トゥ(いちにのさんで、飲み干しな)〉、店名なのか落書きなのか愚痴なのか、或いはある種の戒めなのか男には解らなかったが、ともかくそれは此処にとてもお似合いだった。  廃屋以下の酒場小屋の側には、吹きすさぶ砂埃に晒された看板を見下ろすような格好で、人の形をした金属塊が数体屹立している。一見陶器のようにも見える体表は、人間でいう関節部分毎に繋ぎ目があり鈍い艶を放っている。それは一昔前の甲冑と酷似しているが、胸の部分まででその二階建ての酒場の屋根と同じ高さがあり、繋ぎ目から覗くどす黒い肉質部分がまるで脈打っているように間隔を置いて音も無く蠢動(しゅんどう)しており、甲冑やそれをまとった騎士≠ニ呼ばれたものとは明らかに異質であった。時折聞こえる野犬の遠吠えに反応し、一抱えもある眼球が周囲をうかがう姿は、未開地の蛮族のようでもあり、また神話の魔物のようでもある。  主人が反吐を吐く、酒好きの荒くれ者達の力の象徴、そして男の全てであるその巨人は数千年も昔に大陸内地の権力者や上流階級に彫機(ちょうき)と名付けられ崇められた兵器である。しかしそれを操る奇形人種、機師や最前線の兵士、上流ではない大多数の人間達はその生物を生ける金属塊≠ニいう意味の大陸南方言語であり、また発見者の付けた本来の名称でもある〈オブジェ〉と呼称していた。  類型を見ない物質特性、絶対硬度と無限動力を持つ金属、知性鉱物ストロマトライト、それこそがオブジェの真の姿である。しかし成長・進化・繁殖するストロマトライト鉱が果たして鉱物なのか、或いは生物なのかを結論付ける事は人類のささやかな歴史において結局誰にも出来なかった。  だが少なくとも機師達はストロマトライト鉱を生物と捉え、自身が繰るオブジェを友≠ニ認識していた。発生因子不明の突然変異で特異能力を潜在的に有する奇形人種、機師達はその特出した感覚神経をもって、物理法則を無視した機動力を発揮するオブジェを手足の如く操った。その人間離れした力により彼ら機師達が忌み嫌われる事は当然本人達が望んだ訳では無く、物言わぬオブジェとて同じ思いであろう事はしかし機師以外のものには伝わる兆しさえ見えなかった。  現時点では彼ら、機師やオブジェはその他の人々にとっての武器である。オブジェに限らず武器とはある目的の為に作り出された。それを「殺戮の為に生み出された道具」と説明する人種が存在する。武器とは自身や家族やその友人知人の生命や権利をそれを迫害しようとする存在から守る為の力であり、武器とは不足している物質的・精神的豊かさを他から奪い補う為の力である。そしてそれら力の行使は結果として他者を死に至らしめる事がある。  誤った認識は同じく誤った結末を生み出す。愚行の蓄積こそが人類の歴史そのものだとしても、時には踏み留まり振り返る労力を惜しむべきではない。  機師とオブジェの絆は、本来は必要とされない不自然な存在同士の絆でもある。  肌を刺す冷気が人々の気分まで陰らせ、半年もせぬ内に訪れるであろう恵みの季節への思いがひっそりと寝息を立てる。日々の糧の乏しさや永続的な心の貧しさはそれでも思い返せば、平穏と呼ぶに十分過ぎるのだとその街の人々に気付かせる。  連邦暦一〇三八年の魔蠍の月が間近に迫った大陸東端、ガイアナ連邦エンフィールド工業都市共和国首都アグスティアはそういった場所であった。 《一〇三九年W》 「あなた、機師、ですよね? お、お願いがあるんですけど!」  小汚い酒場で安酒を無理矢理臓腑に流し込んでいた濃青色の髪の男は、背後からの囀(さえず)りに思わず振り返った。そこには大陸北方ノーザス山脈の麓の大森林に住むといわれる泣き妖精≠ェ居心地割るそうに立っていた。  そりゃあそうだろう、男は今にも泣き出しそうな妖精に同情した。店中に漂う濁った人いきれは酒でも飲まなければとても絶えられないし、床は瓦礫と反吐と血痕だらけで足の踏み場も無く、壁や天井には煙草の臭いと下らない与太話が染み付いている。  澄んだ空気と清水を照らし出す、眩い日差しも美しい大自然に慣れ親しんだ彼女は、この〈アンヌ・ド・トゥ〉なんて馬鹿げた名前の酒場に何処からか迷い込んでしまったのだろう。何とか力になってやりたいが、あいにく俺にはノーザス山脈までの旅費は疎か今夜の宿代も無い始末だし―― 「私のオブジェを動かしてくれませんか?」  灰色の肩吊り作業服を着た泣き妖精は、油だらけの白手袋を作業服の胸当ての前で組んで茶色の瞳を潤ませ、……作業、服? 「……羽根、窮屈じゃないか?」 「え? ……大丈夫、だと思います、けど……」  形容しがたい沈黙が二人を包む。果てしない時間を掛け、濃青色の髪の男、ルジチカ・シュナイドルはそれ≠ェ森の住人ではなく自分と同じ人間である事にどうにか気が付いた。それ程飲んだつもりはなかったが思ったより酔いが……。 「オブジェ?」  ルジチカの叫び声に妖精は、いや、幼い少女は身を強張らせた。妖精ではないにしろその十代前半の子供は夜更けの酒場には到底似合わない。それよりも何よりも、私のオブジェ≠ニは、……やはり飲み過ぎたらしい。ルジチカは姿勢を戻すと木卓の上の硝子盃を勢い良く呷る。再び声を掛けようとした少女を手で制し、ルジチカはこめかみを指で押し瞼を閉じるとぼそぼそといつもの文句を唱え始めた。それは彼の父が十二歳の誕生日に教えてくれた酔いが醒めた気になる≠ワじないである。 「……森羅万象(しんらばんしょう)、灰塵(かいじん)に帰すその日まで、我は汝の刃(やいば)となりて、盈虧(えいき)の果てを、共に、歩まん……」  効果があったらしく、ルジチカは自分の意識が酒場の扉をくぐる前と殆ど同じになった気がした。父はその文句が機師の理(ことわり)≠フ一節、主(あるじ)に仕える意志の宣言儀式である忠誠の儀≠ナの機師の言葉だと教えてくれたのだが、ルジチカはそれを教わった次の日からその、堅苦しくて胸糞悪く反吐が出そうな下らないたわごとを、酔い醒ましのまじないにしていた。そしてその効果は抜群なのだ。 「よし、完璧だ」  彼は椅子から勢い良く立ち上がると、床に膝を突き少女と目線を合わせた。両手を少女の肩に置くとルジチカは良く通る声で言った。 「……さてお嬢さん、御急ぎでないのなら、もう少しだけ解り易く説明してくれ。手を貸すかどうかは、運次第。まずは自己紹介からだ。俺は酔っ払い、君はノーザスの〈エコー(泣き妖精)〉かい?」  濃い霧が立ち込める朝、街外れの小さな森を人影が二つ、酔っ払いと泣き妖精が人目を忍んで駆けて行く。少女――フリアエ・ワクスマンに手を引かれ、ルジチカは鐘の鳴り響く頭を押さえた。まじないは二日酔いには効かないようであった。小さな丘を上ると前方に窪地があり、其処には木々の枝葉に隠され一体の白いオブジェが鎮座していた。 「あれか?」  ルジチカは息を切らせてフリアエに尋ねる。後頭部で結わえた茶色の髪を子馬の尻尾のように揺らしフリアエが頷く。窪地に降り枝葉を払いのけルジチカは、朝露が降り陽光に輝くその白いオブジェを見上げた。それは彼の知っている汎用オブジェとは明らかに一線を画していた。  遠目には白に見えた装甲は近寄ると硝子のように透き通り、光線の角度により虹色を放っていた。今日日貴族の趣味満足の為のオブジェでもこれ程上等な仕上げを施したものは無い。ルジチカは更に観察を続けた。全体に丸みを帯びた形態で装飾は殆ど施されていない。全高は汎用機より二周りほど大きく下肢、特に膝下が通常の三倍ほどあった。上腕肘下も同じく汎用機より三倍程度太くそこに武器なりが仕込まれているらしかった。頭部は鼻部分と耳が突き出た狐を連想させた。 「……すげえ、な」  とルジチカは溜め息交じりに感想を述べた。オブジェの胸部天蓋の上に立っていたフリアエはそれを聞くと満面の笑みで「ありがとう」と言った。 「アドホッグさんが聞いたらきっと喜びます」  フリアエはそう言いうと天蓋を開きオブジェに乗り込んだ。この白いオブジェの製作者がアドホッグという名前のエンフィールドの技構師であるとルジチカは昨晩フリアエに教えられていた。彼はその名前を知らなかったが、だからと言って誰か他の技構師の名前を知っている訳でもない。数年前に故郷を後にし辺境をさ迷っていたルジチカはそのような情報とは無縁であった。だが、アドホッグが技構師として特別優れていた事が彼にも解る程にこのオブジェは圧倒的な威厳を周囲に放っていた。 「ルジチカさん!」  フリアエが天蓋から首を出し叫んだ。未だオブジェに見惚れていたルジチカは森に響く地鳴りで事態を察し、フリアエのいるオブジェ胸部へ駆け上がった。 「何機だ?」  操座に乗り込みながらルジチカは後部座席のフリアエに尋ねた。 「反応は三つ、後ろに一つと前に二つです。……振り切れますか? ルジチカさん」  不安の表情でフリアエは、座席に着いたルジチカに応えた。端末装置を頭部に被り照準眼鏡を降ろすとルジチカは後部座席のフリアエに向け右手親指を立てて見せた。同時に操座中に警報が響き敵対反応が接近しつつある事を知らせる。ルジチカは照準眼鏡の下で両目を閉じ深い深呼吸を一つ、呟いた。 「……やれる、か? ……俺に、俺なんかに」  ゆっくり目を開くとルジチカの視界は、静電差エンジンから網膜投影され様々な明滅表示が重なるオブジェの視界と直結されていた。朝日に照らし出された木々の間から三体のオブジェが姿を現わした。 「……運、次第だな」  操演桿(そうえんかん)を素早く引きながらルジチカは自分自身に言い聞かせる。  前日の夜。ルジチカは酒場で出会った少女、フリアエ・ワクスマンを連れてくたびれた安宿に入った。彼女のお願いとやらにはどうにも複雑な事情があるようで人目が気になったし、何より十代前半の少女にはその酒場は到底似つかわしくなかった。いぶかしげに睨む安宿の女将に「妹だよ」と言い訳してどうにか寝床を確保できた。ルジチカの手持ちが心もとなかったので部屋は一つだけが精一杯だった。フリアエは全く気にしていない様で、余りに無防備な彼女の態度にルジチカの方が心配して「今後は知らない男についていくなよ」と言う始末であった。あてがわれた部屋は街に訪れる出稼ぎ労働者用のもので狭く埃っぽかった。ルジチカは錆びた燭台に明かりを灯し、軋む寝台のフリアエの隣に腰掛け改めて彼女を観察した。  顔立ちは端整で、大きな瞳と少しだけ上向きの鼻にたっぷりとした唇は、近い将来は間違いなく社交界で貴族達が取り巻く美貌となるだろうが、現時点ではまだまだ幼く何処から見ても子供、女性ではなくやはり少女と言うのが的確だった。瞳と同じ薄茶色の髪を後ろで一つに束ね、小柄な体には大きすぎるだぶついた灰色の作業服、ごつごつした皮製の靴もやはり作業用らしくいたる所に傷がある。外見や服装には無頓着なようである。夜も更けており疲れている為か、或いは抱えている問題がフリアエの手には負えない程深刻な為か、今の彼女はその可愛らしさが消え去ってしまうほど陰って見えた。  そんな様子を眺めるうち、ルジチカは彼女の為に出来得る限りの助力をしようと、まだその内容すら聞かないうちに半ば決めていた。突然妹が出来たようだった。大切な玩具を無くして泣きじゃくる妹をなだめ一緒に部屋中を探しまわる兄、そんな気分だった。ルジチカは目を細め微笑むと、両手を広げ「さあ、話してみな」と頼り甲斐のある兄になったつもりで隣に腰掛けたフリアエに言った。まんざらでもなかった、が、フリアエ・ワクスマンの玩具の物騒さとそれを無くした部屋の広大さは、ルジチカを出来の悪い兄になった気分にさせた。 「私、〈ネオテニー〉のオブジェ製造施設の準技構師なんです。技構師のアドホッグさんのお手伝いです。アドホッグさんはとっても凄い人で、あの人の作ったオブジェは大陸で一番だって皆言ってました。  私はまだ見習いだから良く解らないけど、アドホッグさんが凄い人だって事は解ります。師匠は、あの、私、アドホッグさんを師匠≠チて呼んでるんですけど、師匠はいつも言ってました。  私たち技構師は常に最高のオブジェを作り出すべく日々技術を向上させなければならない。常に最強の兵器を作り出すべく研究を怠ってはならない。でも、そうして誕生したオブジェを戦争に使うか、平和に使うかは私たちが決めるべきではないし、私達が気に病む事では無いって。全ては機師に、オブジェを扱うものの手に委ねる。正否はともかく思想や哲学は技術の進歩の足枷でしかないんだ、とも。師匠の言う事が正しいかどうかは私には解らないです。でも、私は師匠の考え方が好きです。  そして師匠はとうとう作り上げたんです、最高のオブジェ、最強の兵器を。連邦軍のオブジェなんて目じゃないくらい凄いオブジェです。それは〈ネオテニー〉からの指示じゃなくて師匠が研究の成果を形にしたもので、どこのものでもないオブジェでした。師匠はそれを自分の研究所に持って行くつもりだったんです。あんまり凄すぎて何処の軍隊にも渡せないからって。  私、聞いたんです、「使い方は機師が決めるんじゃないんですか?」って。師匠は「例外の無い法則は存在せん」って言って笑ってました。  ……三日前でした、〈ネオテニー〉の兵隊が施設にやって来たんです。あの人達、師匠の作ったそのオブジェを自分達が使うって言ったんです。勿論師匠は断りました。そしたら、その人達、鉄砲で師匠を、あの、……」  長かったフリアエの話はそこで止まった。ルジチカは彼女の話に圧倒され、話が中断した事に暫く気付かなかった。彼女は涙こそ流していなかったがその表情は硬く強張っていた。渦巻く感情をどうにかやり過ごすとフリアエは再び語り始めた。  凶弾に倒れたアドホッグは「後はお前の判断に任せる」と言い残し絶命した。彼女はアドホッグの作り上げたその最強のオブジェ≠ノ乗り〈ネオテニー〉の兵士を振り切り街外れへ逃げおおせたのだった。そして単身街へ戻り、酒場〈アンヌ・ド・トゥ〉でルジチカと出会ったのである。  全てを語り終えたフリアエは隣で呆気に取られているルジチカをじっと見詰め「駄目ですか?」と小さく呟いた。何が駄目なのかさっぱり解らなかったが、彼女の震える言葉を無視できるほどルジチカは出来た人物ではなかった。彼はぎこちない笑顔をどうにか作ると、頭のてっぺんから突き抜けるような声で「まっかせなさい!」と叫んだ。当然、何を任せられるのかなど全く考えてはいなかったのだが。 《一〇三九年X》  そう、この感覚だ。三つの巨人の足音、フリアエの小さな悲鳴、複雑な装置群の奇妙な金属音、敵対反応に対する警報、徐々に高まる自らの呼吸と心臓の音、調和の欠片も無い合唱の最中、ルジチカは、朧げな記憶から今の状況に酷似した断片を思い浮かべ、そして確認した。  そうする為の装置により極限にまで高まった集中力は、体中に張り巡らされた神経細胞の一つ一つをその制御下に置き、願いさえすれば血の通わぬ髪の毛の先さえも思いのままに動かせる、そう彼に、軸策バスを介し静電差エンジンに回路を開放した機師に感じさせる。  それに伴い暴力的に加速される思考速度は、機師達の時間の流れを人の営みから完全に隔離し、暫しの時、彼らは人の身でありながら種としての限界を飛び越え、オブジェの、森羅万象の一部となる。粘度の増した空気を吸い込み、ルジチカはゆっくりと、慎重に回想する。  毎日毎日ただひたすらに繰り返される戦い、若かりし彼にとって、それは日常そのものだった。顔でも洗う調子で剣を振り、花々を愛でるかの如く積み上げた死体を眺めた。何故、そう思ったことは一度も無かった。四六時中、四方八方から降り注ぐ斬激がそれを許してくれなかったからだ。  国、家族や友人、何より自らを守り抜くのに果たして理由が必要だろうか、猛々しさで溢れていたルジチカは常に自分にそう云い聞かせ、納得しようと努めていた。  ルジチカの故郷、大陸の西、王政都市フェロヴィアリアは、三つの宗教国家のほぼ中間に位置していた。だが、十年余り続いた戦争が漸くにして終結した頃には、彼の故郷は地図上からその名を消していた。 「こいつら、プロトゾエア級、にしては……良く動く!」  今は無き故国から帰還したルジチカは、彼らに迫る黒光りする刃を身を翻してかわした。新鮮な大気が切り裂かれる音が操座の中にまで届き、瞬発挙動により後部操座に押し付けられたフリアエが再び小さな悲鳴をもらした。 「三対一なんて、恥ずかしいと思えよ!」 〈ネオテニー〉のプロトゾエア級汎用オブジェはルジチカの訴えなどに構わず、その白いオブジェを挟み込むように移動する。巨大な足を下ろすたび、朝露で輝く大地はえぐられ、鳥達が追い立てられるように澄んだ空へと舞い上がる。三体はルジチカ達に対し充分に距離をとり、手にした剣を盾越しに構え、そうとは気付かないほどゆっくりと迫る。 「……何? 遊びの、つもりか!」  そんな三体の様子は慎重さではなく手加減に思え、大いにルジチカを逆なでた。避けた初弾以降それらしい攻撃もなく、彼らの行動は明らかに戦闘以外の何かが見え隠れしていた。 「成る程、捕獲しようってのか、俺らを」 「ええ、多分……でも」  独り言を繰り返すルジチカにフリアエが後ろから声を掛けた。操演照準端末を被ったルジチカは頭部を装置により固定されているので、首を傾げて言葉を促す。 「でも、躊躇してるんです、あの人達は」 「躊躇? つまり、恐がっている?」  静電差エンジンの制御に向けていた全神経から聴覚を切り離しルジチカは返す。前後に二分された視覚域では、明滅する照準十字と相対座標、数値化されたあらゆる内外部情報が、光に誘われた蛾のように三体のオブジェにまとわりついている。  オブジェ管制装置は大陸内ではある程度規格化されているのだが、この白いオブジェのそれには見慣れないものが幾つかあった。網膜を飛び交う数値群が通常よりやけに多く、お節介なオブジェだとルジチカは苦笑混じりで思った。これを作り上げた技構師はこいつに何をさせようとしたのか、とも。そして、自分の後ろにその技構師が座っているのに気付くと、フリアエが先程の続きを幾分ためらいがちに再開した。 「……このオブジェは、強力に過ぎる、そのことを〈ネオテニー〉は知ってるんです。多分、私がそれを教えちゃったんです、あそこから逃げ出す時に……」 「お嬢ちゃんは――」 「フリアエ! ……フリアエ・ワクスマン、です。ルジチカさんさえ良かったら、そう呼んで下さい、是非」  それまでになく語気を荒げフリアエが訴えたのに対して彼は驚いた。何故こだわるのかはルジチカには想像できないが、当然その申し出を断る理由など彼に有りはしなかった。はっとして頬を赤らめ、所存無さげに茶色の前髪をいじるフリアエに、ルジチカはありったけの誠意とほんの少しの敬意を込めて申し出た。 「だったら俺は、ルジチカだ。ちっ! しつこい!」 「え? 私は……」  前後三体の汎用オブジェから繰り出される牽制を避ける為、ルジチカは舌打ちしながら操演桿を右に倒す。会話がオブジェの操演を妨げることはないものの、機師の、ルジチカの集中力を僅かながら欠くことは事実である。 「さん、は余計だってこと、だ! いい加減に!」  それは無理だ、フリアエが声に出しかけたのと同時に白いオブジェが跳ね、それまでで一番の衝撃が二人を襲い、彼女は頭を押さえつけられ操座に突っ伏した。拍子にぶつけた膝を摩りつつ身を起こそうとした彼女に、今度は横殴りの振動が激突する。 「お嬢……、いや、フリアエ! 武器は? 何か、無いのか! どうにも、くそっ!」  怒鳴り付けるようにルジチカが云った。彼の語調には高揚か焦燥か、只ならぬ雰囲気が溢れている。後部操座の補助画面ではルジチカの、白いオブジェの捉えている視界の僅か一部分しか見えないが、そこに映る大きな〈ネオテニー〉の徽章と数度目の衝撃は、フリアエに状況を否応無しに伝える。 「武器? 武器、武器、えっと、あの……」  技術者であるフリアエは戦闘という慣れない状況により混乱していた。知り尽くしている筈の白いオブジェの兵装群は彼女の記憶から一時待避しているらしく、どんなに探しても影すら見当たらなかった。焦るほどに頭が空になり、呼吸が次第に荒くなっていく。目は霞み耳鳴りすら聞こえてくる。四肢は小刻みに震えており全身を生暖かい汗が覆う。  彼女を揺るがすそれらの正体が恐怖であると漸く気付いたのと殆ど同時に、とどめだと云わんばかりに〈ネオテニー〉汎用オブジェの一体が、振り上げたアーマライト甲鉄刀を白いオブジェの左肩へ猛速度で叩き付けた。 「わ!」  フリアエの悲鳴は、肩部装甲から発せられた耳障りな破壊音で掻き消えた。宝石の如き破片と火花が辺りに弾け、地面や大木に深々と突き刺さる。僅かな間を置き、主であるルジチカの状況判断により、白いオブジェは自らの意思で大地に左膝を突きその動きを止めた。明け方から数時間に渡って響いていた騒音が消えると、森には暫くぶりの静寂が戻った。 「躊躇、ね。……フリアエ、無事か?」 「は、はい。どうにか……私、あの……」  後ろ手でフリアエの言葉を制し、ルジチカは複雑に入り乱れた溜め息を吐いた。操座天蓋に剣を突き付けられ身動きの取れない白いオブジェの中で、機師は静かに呟く。久しぶりの、懐かしくさえある敗北感を嫌になるほど味わいながら。 「運良く生き延びたのか、運悪く、死ねなかった、のか……」  そんな意味深い彼の言葉は、後部操座の準技構師を狼狽させた。彼女は、この絶望的な状況を招いた自分の未熟さを、無関係なルジチカを巻き込んでしまったことを、渦巻く自責と後悔とを、その小さな胸に必死に押し留めていた。力の限り瞼を閉じ、込み上げる吐き気を固い握りこぶしを作ることで堪える。  叫べば、大声で泣けば或いは少しは楽になるのでは、そんな考えが頭を過ぎるが、もう一人の冷静なフリアエが優しく制する。 「楽にはなるけれど、解決ではないのよ」  優しい、しかし冷たいその言葉が幼い方のフリアエにゆっくりと染み込み、彼女を襲った感情の乱れは徐々に収束していった。フリアエが落ち着きを取り戻すのを待っていたのか、二人の遥か上空で、四枚翼の金属塊が独特の推進音を撒き散らしながら旋回降下を開始した。その胴体中央では、ルジチカ達を取り囲む三体のオブジェの盾に刻まれたのと同じ徽章が、傾いた陽光に照らし出されていた。 「ふん、お迎えとは、用意周到なこった!」  口元を緩ませルジチカは道化の如く呟いた。だが、その眼光が未だ鋭さを失っていないことをその場にいる誰も、ルジチカ自身さえも気付いていない。  間断なく続く振動は密かに、だが確実に二人の心身に疲労を塗り付けていた。機師、準技構師共ども白いオブジェを収容した〈ネオテニー〉大型輸送飛行艇は、眼下に雲を従える高々度に位置し母港目指して滑空していた。低い駆動音とめまぐるしく変わる気圧が鼓膜を震わせ、強制開放された共用回線から垂れ流される高圧的な濁声、故意であるのが明らかな、兵士達の何気ない会話が幼いフリアエを萎縮さていた。 『男の方は即刻火刑だな、なあ?』 『ああ。それよりもう一人、女がいるだろ、上玉の』 『おいおい、まだ子供だって話だぜ』 『ふん、歳は関係ない、違うか?』 『はっ! お前も好き者だな』 『くくくっ、云われたかねぇよ』  彼ら〈ネオテニー〉兵士がフリアエに対して行うその私刑は、明かりの消えた操座で沈黙を保つルジチカ・シュナイドルの、長年の放浪により空虚と化していた本能部分にこだましていた。尚も続く会話に耐え兼ねて、フリアエは耳を両手で覆い膝を立てて小さくなる。気配でそれを察したルジチカが、空に上がってから始めて声を発した。 「いつになったら……」 「なに?」  猥雑な音の渦からルジチカの声を聞き取ったフリアエは、安堵を帯びた囁きで聞き返した。ルジチカは手元の装置を数度叩き、被ったままだった操演端末を丁寧に外すと、体をくねらせ後部操座のフリアエに向き直った。 「……フリアエは、なんで技構師に?」 「え?」  その予想外の質問にフリアエは戸惑った。こんな状況下であるにも関わらず、この男は一体何を考えているのだろう、そう思い、まだ幼い顔を懸命にしかめてみせ、ついでに声にも出した。 「今はもっと――」 「もっと大事なことがある、かい? ないさ、そんなもの」  ルジチカは口元を僅かに上げ、フリアエの言葉を遮るように云う。柔らかい、しかし刺のあるその口調に、フリアエは思わずたじろいだ。師匠に、技構師アドホッグに諭された時のように。子供の自分では到底理解できない複雑な命題を、伝わらないと知りながら語るアドホッグの険しい表情が、眼前の機師の端整な顔に重なる。そして重く圧し掛かる空気や居心地の悪さまでもが精巧に再現されフリアエを覆う。 「……悪い、そんなつもりじゃあないんだ」  みるみる豹変するフリアエの顔を見て、ルジチカは慌てた。目一杯顔を綻ばせると、下唇を噛み締め俯くフリアエの肩を優しく撫でる。 「君に当たっても仕方が無い、その通りだ。……いらついてたんだ、きっと」 「……師匠が技構師だったから、だと、思います」  間を置いて、消え入りそうな声でフリアエが云った。それが自身の質問に対するものだと解り、最悪の事態はどうにか回避できたようだと、ルジチカは安堵の溜め息を吐いた。ただでさえ面倒なのに、ここで子供を泣かせては収拾がつかなくなる。 「師匠、って、アドホッグさんのことか?」  フリアエは小さく頷いた。 「戦争で一人になった私を、師匠が引き取ってくれたんです。だから師匠は私の、お父さんでもあるんです。……あ、おじいちゃん、かも。頭はつるつるだし、腰もこーんなだから」  掌をくの字に曲げ微笑みをもらしつつ云うフリアエだが、そこには諦めにも似た、決して明るくはない感情の欠片が見え隠れしていた。だがルジチカはそれには気付かない風を装う。滑稽ではあっても、彼女がそれを望んでいるのだから応えてやれば良い、大した我がままではないのだし。幼い子供であるフリアエから大切なものを根こそぎ剥ぎ取っていった、戦争などという下らない大人の理屈を振り払うように、ルジチカはわざとらしい身振りを添えて努めて明るく云う。 「おじいちゃん? じゃあ、君はアドホッグさんの、孫、みたいなものか?」 「あ、そうなるんだ。何だか変な気分、ふふっ、孫だなんて。私まだ十四なのに……あれ? 関係無いかな? 良く解んないや はは」  フリアエの漏らした澄んだ笑いは、屈託の無い子供のそれであり、そのことがルジチカを余計に陰らせる。  と、不意に操座が大きく右に傾いた。飛行艇が旋回したらしく二人は口をつぐんで事態に備える。体が浮くような感覚で同時に降下していることも解る。先ほどとは打って変わって、きびきびした兵士達の応答が無線から洩れてきた。 『着陸準備! 急げ! 予定より遅れてるんだ!』 『本部との回線、繋がりました! どうぞ』  ルジチカは素早く操演端末を被ると手振りでフリアエに注意を促す。沈黙していた静電差エンジンに補助回路を開放し、しかしそれを〈ネオテニー〉に悟られないよう慎重に装置を調整する。二人の乗った白いオブジェは飛行艇の後部にある貨物空間に厳重に拘束されており、静電差エンジンの主要回路には〈ネオテニー〉により起動制限の為の仕掛けが施されている。力ずくでそれらを振りほどけば静電差エンジンに致命的な障害が起こり得るので無茶は出来ない。  ルジチカは現時点で可能な全ての準備を終えると、両瞼を閉じ無線に聞き耳を立てる。訪れるであろう絶好の機会に備えるべく、深い溜め息を吐く。 「まだ、まだ終わりじゃあない。いや、始まってすら、いない」  自分にだけ聞こえるように、自分に言い聞かせるように、ルジチカは呟いた、不敵の笑みを浮かべつつ……。 《一〇三九年Y》  湿り気を帯びた西風が高原を駆け、芽吹いたばかりの花々を荒々しく揺さぶる。海洋を見下ろすその丘に立つサフィールの肌理細やかな白肌を、彼女の漆黒の髪と濃紺の戦闘服が抗議するかの如く音を立て打ちつける。  踊る枯れ葉を透かし高い青虚を細めた藍色の瞳で睨み付け、彼女は噛み締めた巻き煙草の煙を深々と吸い込んだ。肌寒い大気に紫の筋を曳く煙草の先が風に呷られるたび、その小さな炎は一際激しく輝く。まるでサフィール・アハト・ユーク、彼女の刻々と姿を変える心火のように。 「定刻です、ユーク卿」  風鳴りに掻き消えるほどの小ささで背後から彼女を呼ぶ声がした。左手を申し訳程度に挙げサフィールはそれに応えると、咥えた煙草をそっと放り断末魔すら踏み固めるほどの周到さで、朱色の浄火の息の根を止めた。風に任せるがままだった腰丈の黒髪をしなやかな指先で優雅に束ね、先刻彼女を呼んだ、まだ幼さの残る少年の方へとやおら歩き出す。その舞いの如き一挙手一投足に、彼女への伝令という名誉を賜った少年は、そばかすの見え隠れする童顔を火照らせる。  終始険しい表情の淑女はすれ違いざま、ぎこちなく敬礼する少年に向け弦楽器の音色にも似た緻密な吟声を、僅かな憫笑と共に奏でた。 「モーレスにでも吹き込まれたのでしょうけど、サフィール、そう呼んでくれると有り難いわ。あなたの云うユーク家は、既に歴史書の飾りでしかないのよ」  驚き、顔を上げた少年の丸い目に、聖刀を思わせる切れ長の瞳が、サフィールの碧瑠璃(へきるり)の宝玉が輝いていた。放たれる光輝により脆くも崩れた少年の使命感は彼に声を発することを許さず、幼い伝令はただただ不格好に頷くことしか出来なかった。  今は無き貴族ユーク家の末裔、サフィール・アハト・ユークは立ち尽くす少年の栗色の頭をひとつ撫で、彼の背後の小さな森へ歩を進めた。  天頂の手前に差し掛かった太陽から降り注ぐ黄色い光が、森に築かれた簡易野戦基地をまだらに照らしていた。迷彩の戦闘服を着込んだ男女が忙しなく走り回り、怒鳴るような命令が大木と木箱の間、地面をのたうつ配線群の上を飛びまわっている。瑞々しい枝葉により反響を繰り返してなおしぶとい罵声は、陣地中央に佇む十数体のオブジェの特殊装甲にぶつかると、欠片も残さず消え去っていった。  幾筋もの光の柱と弾薬の詰まった木箱の群れを避けるようにして進み、サフィールは彼女の持ち場である指揮官席へ辿り着いた。 「例の、アグスティアを発った飛行艇を捕捉しました」  軋む木椅子に深く腰掛けたサフィールに、茶色に変色した航空地図を握り締めた青髭の男が耳打ちした。サフィールは小さく鼻を鳴らす。 「続けて」 「はっ。先発隊の報告通り、……白い奴を乗せています。現在、ダルトアの南西、ウランバル盆地上空を航行中」 「ウランバル盆地? これはこれは……」  細い指を尖った顎に当てサフィールは男を見返す。無意識に鋭さを増す眼光が彼女の傍らに立つ青髭の男、副官モーレスを射抜く。 「恐らく――」  突き立てた人差し指をモーレスの口を塞ぐようにかざし、サフィールは彼の言葉を制する。そんな無遠慮、無作法とも取れる動作すら優雅にやってみせる彼女に、青髭の偉丈夫、副官モーレスは感心して見惚れていた。当然そうとは悟られぬよう。 「恐らく? 間違いなく、不沈要塞と合流するつもりね。ウランバルには〈ネオテニー〉の遠征地どころか教会の一つもないのだから。思わぬ収穫、大物ね。先発隊は確かデューイの班だったわね。……ねえモーレス、是非彼らに休暇を、良いかしら? 御褒美として、ね?」  細めた目で微笑み指揮官である彼女は副官モーレスを見詰める。自分は部下なのだから良いも悪いもないものだと、モーレスは両手を左右に差し翳して同意を示す。サフィールは小さく舌を出して「ありがとう」と云った。高貴さを醸し出す風貌からは思いも寄らない彼女の茶目っ気ぶりは今に始まったことではない。だから、ではないにしろモーレスは二十七歳の、自分より二十年も後に生まれ落ちた彼女、サフィール・アハト・ユークを尊敬し、彼女を〈ルイ・ル・ノエシス〉の指揮官に推薦したのだった。  千差万別の意思を束ね、道筋を示す指導者に必要不可欠であり、しかし決して後天的に得ることの出来ないものを血脈として備え持つ彼女を。聞き入れられた用件に満足しサフィールは本題に取り掛かった。 「ウランバル盆地までは十五分かそこらね。……出撃可能な数は?」 「空挺強襲には、貴方の機体を含めて九機。後方支援と撤退陽動にそれぞれ四機ずつ、基地との中継に一機、総計十八機が出撃できます。地上部隊は三十二名、そのうち十一名は既に当該地への配備が完了しています」  部隊編制を熟知したモーレスが消耗の加減を踏まえた上で最も効果的と思われる戦略を提案した。それを聞いたサフィールは暫し思案すると、おもむろに腕を組んで云った。 「強襲は私の〈ノエシス〉と他二体で良いわ。そうねぇ、……カポーティとセスタ、あの二人にします。撤退陽動は四機で変わらず。後方支援及び地上部隊は必要無し。全部で、……六名ね。配置済みの要員はそのまま無線中継に再配置。五分したら作戦開始、皆に伝えて」  目を丸くしたモーレスにサフィールは首を傾げると「どお?」と付け加えた。途端、口を半開きにしていた副官はその青髭が吹き飛ぶような勢いで云い放った。 「む、無茶です! 貴方のおっしゃるその編制は、我々の全兵力の三分の一にも満たない! 不沈要塞は! 〈ベルンシュタイン〉は奴等の本陣です! 先の戦いによる消耗が無ければ総力を持ってして対峙すべき相手なのですよ! それなのに、貴方ときたら!」  そこまで一気に云ったモーレスは、使い切った酸素を肺に送るべく大きく呼吸すると「無茶です!」と繰り返した。咆哮にも似たモーレスのその声に基地中の皆が何事かと二人の方を振り返る。サフィールは面倒そうに木椅子に掛け直すと、わざとらしく声を出して溜め息を吐いてみせ、一層砕けた調子で憤懣やる方ないといった風のモーレスに向き直る。 「指揮官として命令、というのと、とーっても面倒だけど副官がどうしても納得できないらしいから、仕方なく私の考えを至極丁寧に説明するのと、どちらの方がモーレスは動き易いのかしら?」  おどけてみせるサフィールだったが副官の噛み付かんばかりの形相を見ると、やれやれと手を振った。モーレスはもとより、基地の面々が彼女を注視するなか、先程とは別人にも見えるほど顔を引き締めると低く押し殺した声で云った。 「機師ではない貴方には理解し難いでしょうけど、オブジェ戦に数の理屈は通用しないの、覚えておくと良いわ。一対一でも千対一でも機師やオブジェにとっては大差無いの。爆薬や斧とは次元の違う力、オブジェはそういう兵器なのよ。勿論、その際限無い力を機師が引き出してやればであって、残念ながら私が〈ノエシス〉にそれを充分には与えてあげられないのも事実だわね。それでも、数に任せた雑兵大部隊を蹴散らすくらいは私にも〈ノエシス〉にも、カポーティやセスタにだって至極簡単なこと。〈ネオテニー〉との戦いは常に私達〈ルイ・ル・ノエシス〉との一騎打ちになるのよ、オブジェに頼る限りはね。そして何より、貴方の提案した戦略編制にある致命的な問題点、それは〈ルイ・ル・ノエシス〉の皆を駒の一つとして地図の上に置いていったことよ。貴方を責めているのではないけれど、忘れては駄目よ、私達は軍隊ではない。勝利の為に払っても良い犠牲などは私達にはただの一つも存在しないの。皆を合わせて〈ルイ・ル・ノエシス〉であり、また、皆がそれぞれ〈ルイ・ル・ノエシス〉であるのよ。そして……」  険しかった表情を綻ばせると、サフィールは静かに立ちあがり彼女のオブジェ〈ノエシス〉の方へ歩き出し、すぐに立ち止まる。彼女は無言の副官と彼女の同胞達を振り返ると、伝令の少年に向けたのと同じ吟声を奏でた。 「そして、我々は決して倒れる訳にはいかない」  強さを増した西風に幅広の背を向けて立つ副官モーレスが隆々とした右腕を勢い良く振り下ろすと、彼の合図を見取った男達により野戦基地を覆う大幌の一角が器用に仕舞い込まれた。幌の下に封じられていた生暖かい空気が渦を巻き、〈ルイ・ル・ノエシス〉の六体のオブジェがその巨躯を陽光の元に晒す。部隊の旗機である鮮やかな澄碧色の鎧をまとった勇士は、同胞と仇敵に共通の名で知られていた。〈碧瑠璃(へきるり)のノエシス〉。  それは彼の主、サフィール・アハト・ユークの通り名〈碧瑠璃のサファイア〉と同じく〈ルイ・ル・ノエシス〉の理想、澄み切った真理(ノエシス)であり、また、秘密警察〈ネオテニー〉にとっての残敵の呼称でもあった。オブジェ〈ノエシス〉はその頭上の空と同じく彼ら〈ルイ・ル・ノエシス〉を厳格な眼差しで見下ろしていた。そうすることが彼〈ノエシス〉の考える、唯一無二なる真理(ルイ・ル・ノエシス)だとでも云うように。 「……ーレス、ねえ、モーレス、聞こえて?」  首から下げた携帯無線からサフィールが呼びかけ、モーレスは視線を〈ノエシス〉に向ける。それでオブジェの白濁した眼球を通してサフィールと目を合わせている筈だった。オブジェに搭乗したことの無い彼には当然実感はなく、そうして欲しいと以前彼女に云われたからそうしたまでであるのだが。 「……どうぞ」  指揮官サフィールとの専用周波帯を渡る彼の声色は限りなく黒に近かった。副官の心情はその律義な携帯無線により遜色なくサフィールに伝わり、彼女はモーレスに聞き取られぬよう慎重に溜め息を吐いた。 「ねえ、そう心配しないで。なにも不沈要塞を落とそうというのではないのだから。今回は前哨戦の為の偵察と、例の白いオブジェの所在確認、ただそれだけよ。先のデューイ達に比べたら、そう、散歩のようなものよ、空中散歩」  如何にも楽しげに語るサフィールに対しモーレスは、それほど簡単な任務であるのなら指揮官直々に赴く必要性はない、そう胸の内でぼやいた。だがサフィールは彼の訴えを聞き漏らしたらしく、更に続ける。 「仮に、あくまで仮に、〈ネオテニー〉との小競り合いが起きてもカポーティにセスタ、あの二人が同行していれば何も問題はない筈、そうでなくて?」  これには折れるしかなかった。彼女の云う二人が〈ルイ・ル・ノエシス〉屈指の辣腕機師であることは、サフィールの右腕となり部隊を指揮する副官モーレスが誰よりも理解している。 「おっしゃる通りです……もう何も云いますまい。ただ、これだけは肝に銘じておいて下さい。貴方は――」 「私は、〈ルイ・ル・ノエシス〉になくてはならない、ですね?」  その科白がモーレスの云うべきものと一字一句違わなかったので、彼はじっと見詰めていた〈ノエシス〉の抱える程の眼球に向けて頷いてみせた。 「買い被り過ぎだと云うのに……。では、後を頼みます」  無線機はくぐもった音でサフィールの決まり文句を発し、モーレスもまた彼の決まり文句を機械の集音部に向けた。 「御武運を……」  そのしわがれ声を〈ノエシス〉の聴覚器官と軸策バスを介し耳にしたサフィールは、見えないとは知りつつ被った操演端末を更に覆う立体照準装置の磨り硝子の下からモーレスに微笑みかける。モーレスはその心内を俯き再び顔を上げることで表すと、打って変わって厳しい副官の声色で携帯無線を握った。 「カポーティ! セスタ! 偵察と云えど気を抜くことならんぞ! 任務を遂行し、サフィール様と共に必ず帰還しろ。これは命令だ! 良いな?」 〈ノエシス〉の左後方に位置する二体のオブジェ目掛け怒声が飛び、すぐさま野戦基地全体に二人の声がオブジェの対外音声装置に増幅されて響いた。 「了解」 「おうよ!」  二人の、特にオブジェ〈ドレニオン〉の機師セスティナ・ミレイの女性らしからぬ快活なしゃがれ声を号砲代わりに、三体のオブジェがそれぞれの背部推進機構を叩き起こした。間髪入れず粒子反応の咆哮が森中に轟き、大地はにわかに踊り出す。  腰部後方に位置する三対の噴出口の両脇、突き出た階層放電翼による急激な局部気圧差により攪拌された大気が、基地とそこの面々に塵と熱風を容赦なく叩き付ける。震える計器類が所定の値を指し示したことを振動する視覚域で確認し、サフィールは二体の僚機〈イェナ〉のカポーティ、〈ドレニオン〉のセスティナへ離床許可を与えた。 「出撃!」  サフィール、カポーティ、セスティナが同時に声を上げ、三体のオブジェは金属貼りの発着場を蹴り上げ碧空へと跳躍した。モーレス達が見守るなかオブジェ達は瞬く間に小さくなり遂には白雲に掻き消える。引力の鎖を断った機師達は操座に埋もれながらも猛加速に耐え次の動作に備える。暗転した視界が徐々に鮮明になり、体中を貫く加速衝撃が最大から減少へと転じたその瞬間、機師達は数倍の重さとなった指で操作盤を叩く。  直後、彼らの背中で待ちわびていた推進機構が鼓膜を打つ爆音を上げ、一杯に広げた放電翼の中央に斜め上方の太陽にも匹敵する輝度の青白い反応火球が出現した。一様に広がる領域に配慮すべき者はなく、両翼を伸ばした電離推進機構は誰憚ること無くその能力を臨界まで発揮し、今度は一切手加減の無い猛加速が機師達を押し潰した。  青天を轟かす雷鳴と光十字は一拍後には眼下のモーレスにも届き、彼と基地の面々にサフィール達が無事に航行を開始したことを知らせる。彼はいつもの決まり文句を小さく囁き、既に姿の無いサフィール達を細めた目で見詰めた。 《一〇三九年Z》 「……や、やっぱ、あたいは苦手だわ、これ」  サフィールの予想通り、慣性飛行に入り最初に口を開いたのは〈ドレニオン〉のセスタことセスティナ・ミレイ、彼女であった。これ、とは先刻の跳躍加速のことである。サフィールはそんな彼女の声をぼんやりと聞きながら、どうともなく景色に目をやった。電離反応の小刻みな振動はサフィールを柔らかく包み込み、彼女の思考をまどろみに誘う。 〈ノエシス〉を頂点とする二等辺正三角形の編隊、その眼下には草原や砂地が、織り損ねた絨毯のような無秩序さで広がっていた。穴だらけで見栄えも悪く、足拭きにだって使えないような酷い代物だ。それなのに、何故こうも愛しいのだろう。神の視点、とサフィールは思った。  ここまで来れば地上は、世界はとても静かで、そして退屈に見えるものだ。時折雲に隠れる景色はゆっくりと過ぎ去って、また現れる。その繰り返し。赤や黄色、緑や黒の粒にしか見えない様々。その一つ一つがあの伝令の少年であったりモーレスなのだろう。そういったいろいろが寄り集まった絨毯。ふかふかでもなければ小奇麗でもない。  でも、だから愛しいのかもしれない。しかしここからでは決してそうは見えない。それが神の視点と云うものなのだろう。そのことが愚かさなのか賢明さなのかはしかし、神ではないサフィールに解る筈もなかった。 「勿論」  と声に出してみた。云われるまでもないのだ。彼女のその手には銀で出来た審判の秤ではなく、無機質な操演桿が握られている。それは彼女の意志の片側半分だけを精巧に再現する為の死神の鎌で、だから彼女は神である筈がないのだ。オブジェが、機師が創造の側に回るのであれば、役目を終われた神々は一つ残った席、殺戮と破壊の側に押しやられてしまい、そしてまた世界は秩序を取り戻すのだ。  一所を堂々巡りしている思考、そう気付いたサフィールは頭を一つ振り、共用通信を開いた。 「――でさ、こう、おつむが偏ってんの。え? 間違いないって! 頭ん中がどろどろのぐちゃぐちゃになっちゃうんだ、きっとさ。それに、目玉をぐいぐい押されてる感じで……うぇっ!」 「だからと云って、歩いて行くには遠いわよ、ウランバルは。でしょ?」  一人まくし立てているセスタに合わせた調子でサフィールが云う。「まぁね」と返したセスタが〈ドレニオン〉を大袈裟に翻しておどけてみせた。 「それでもだよ、ふわっ、と浮いてくれりゃ良いものを。〈ドレニオン〉とあたいが背負ってやってるこいつはさ、あたいらのお尻を蹴り上げやがるんだ! うるさいし熱いし眩しいし――」  セスタは途切れることなくまくし立てる。超質量金属塊を飛ばす芸当をやってのけた先端技術の集積、電離推進機構〈アーマライト・リアクター〉は、塵屑か掃き溜めの如き云われようで、それでもその能力を持ってしてセスタ達を目的地へと運んでいる。  彼女達を見送った野戦基地の技構師達がセスタの愚痴を聞いたなら、驚きと怒りで気絶するに違いない。推進機構は彼女とは違って物静かで真面目で理知的であり、それを技構師達は知っているのだ。 「慣性飛行に入った今なら静かで心地良いじゃないの」  とサフィール。哀れな技術者達へのささやかな支援。振動も騒音もすっかり消え、実際その通りなのだ。 「あたいら人間はね、飛ぶようには出来ちゃいないのさ。なあ? 〈ドレニオン〉、あんたもそうだろよ……ほうら! そうだってさ! あたいらには、あんよが二っつ有るだけ、地べたをてくてく歩くのがお似合いなんだ。そう、てくてくね。速すぎても駄目さ、全然! 飛ばないし速くない! 落ち葉をかき集めてくっつけてばたばたしたってさ、飛べないんだ。こんなもんに蹴り上げられて飛んだと思ってるのは間抜け連中なのさ! あたいら今、飛んでんじゃあないよサフィール。落っこちてる最中なんだよ!」  二役を演じてまで悪態を吐くセスタだが、サフィールとて彼女が本気ではないことは承知の上だ、恐らく半分位は。ただ何かを喋っていたい、それだけであり今回はたまたま獲物が推進機構だったのだ。僅かにお喋りが過ぎ、言葉使いが少々荒っぽいのだが、飾り立てず裏の無い、自分に正直なセスティナ、無邪気で純粋な彼女にサフィールは好感を抱いていた。 「貴方が羨ましい」とセスタに云ってみたことがある。  二年前、〈ルイ・ル・ノエシス〉へ参加して間も無い頃。エンフィールドの首都、アグスティアの酒場だった。戦況が今ほど深刻ではなく、煤けた街を行き交う人々の表情に笑みが辛うじて残っていた頃、昔だ。喉を伝わる酒は値段とは関係なく酔いを与える。ラフィア(貴族)であれバシネ(貧民)であれ、分け隔てなく。 「私はね……恐い、きっとそう。皆にどう捉えられるのかが不安で仕方が無いのでしょうね。いつも脅えて、顔色を窺って……。云うべき事の半分、いえ、きっと一つも口に出せていないの。たとえ云うべき事でも、それを口にして皆から疎まれるのはとても辛いわ、とても。だったら云わずにいて、少しだけ我慢していれば、そっとしておいてくれる。弱さだと解ってはいてもね、私の求める強さは孤独との引き換え。強さを求めることすら出来ない弱い私、だから――」  安っぽい酔いも手伝い、サフィールは本音を漏らす。薄暗い酒場の彼女の隣の席、眠そうな目で煉瓦色の乾し肉片を懸命に齧っていたセスタは、一瞬だけサフィールの藍色の瞳を見やると、その下がり気味の目を細め、かすれた声で笑った。 「あたいが羨ましい? はん! なんてこたぁないのさ、簡単なのよ! 教えてやろうか?」  短い、艶の褪せた錆色の前髪を無造作にかきむしり欠伸をすると、セスタは剥き出しの右肩に描かれた黒い刺青〈常闇の目〉をそっと撫でた。彼女の癖らしい。 「まず喋っちまうのよ。そいでさ、それから考える。あたいはね、いっつもそうするのさ。何を喋ろうかなんて考えてちゃ、日が暮れて寝ちまうじゃないさ、でしょ?」  無邪気な笑みで云うセスタにつられ、サフィールも顔を綻ばすと「確かに」と頷いた。セスタは噛み切れない乾し肉を断念し盃を呷った。 「間違ってるかどうかなんてのは、云った後で決まんのよ。でもね、云わなきゃ何時まで経っても答えは出ない。そんでさ、そっから一歩も進めないんだ。あたいはね、そんなにのろまで間抜けじゃあないんだよ。サフィール、あんたもね、でしょ?」  素面にすら見えるセスタとは対照的に、すっかり頬を赤らめたサフィールは再び大袈裟に頷いた。間を置いてから、サフィールは縁の欠けた陶器盃を一口啜ると、けらけら笑う彼女へ「でも」と云った。 「もし間違っていたら、どうしたら良いのかしら?」  止まらなくなった笑いで息が切れたセスタは、安酒でそれを強引にねじ伏せると〈常闇の目〉を撫で、返す。 「いつだってさ間違ってないんだ、あたいはね。云わなかったところだけが間違いで、だからあたいの言葉は全部正しいんだよ」  そしてまた笑った。  セスタには常に多くを学ぶが、サフィールがそれを彼女に伝えることは殆ど無い。彼女はそういった辛気臭い会話を余り好まず、下らない方を多いに好んでいたから、その流儀に従った。 〈ノエシス〉の操座の共用回線からは相変わらず彼女の与太話が垂れ流されていた。なだめたり空かしたりしつつサフィールは左舷後方にぴたりとつけた鉛灰色の僚機〈イェナ〉に、終始無言で相槌すら打とうとしないカポーティに目をやった。  彼についてサフィールは、セスタほど多くは知らなかった。ただ、彼は常にセスタと行動を共にし、或いはセスタがカポーティにまとわり付いているのか、サフィールが出会う以前から、彼らは二人一組だと決まっていた。セスタが二十六歳、彼女より随分年上だと聞いたことがあるし、彼の背格好から自分より年上に違いなく、だがモーレスよりは若く見えるので恐らく三十歳くらいだろう。上背はモーレスよりも有るが常に猫背で、そのねじれた骨格を包む筋肉は硬く張っているのに、落ち窪んだ目と眉間の皺が病的な印象を与えるカポーティ。  彼には返事以外の言葉は備わっていないのか、自ら口を開くことは決してない。にもかかわらずカポーティは〈ルイ・ル・ノエシス〉では、その風貌や言動からは想像も出来ないくらい信頼を置かれている。  鬼神の如き戦い振りのカポーティと〈イェナ〉、二人はそれを仲間の為にのみ振い、その為に自らの身を削ることを微塵もいとわなかった。カポーティと〈イェナ〉は多くの仲間を身を呈して救い、その数だけの傷を体に刻んでいた。彼は感謝されたり恩義に思われることを煩わしがり微笑むことすらしない。  散発的で小規模な戦闘行動のたびに〈ルイ・ル・ノエシス〉の面々は、その恩を返そうと機会を窺っているのに、終わってみればまた彼に借りが出来ているのだ。それも生涯を掛けても返せないくらいの飛び切り大きな借りを、である。そして、どれだけ嬉しく思ったかを涙ながらに語ったところで、当のカポーティは頷くだけか、ごく希にだが「ああ」と云うだけだった。  まるで正反対のセスタとカポーティ。何故二人が寄り添うのかはサフィールにも〈ルイ・ル・ノエシス〉の面々にも解らなかったが、それを当人に聞くような酔狂なものは誰一人としていなかった。セスタにからかわれるか、カポーティに黙殺されるかのどちらでかであるのは間違い無いのだから。  それでもサフィールは、近いうちにセスタの口を割らせてやろうと密かに画策していた。ちぐはぐには違いないが、でもとてもお似合いなのだ。問い詰められ図星を突かれ、二人の狼狽する姿を想像しサフィールは微笑んだ。  セスタは飽きもせず喋り続け、カポーティは沈黙を持って応えている。結局それは戦闘空域直前に至り、がなり立てる敵対反応警報が遮るまで間断なく続いた。  ウランバル盆地上空。彼方に浮かぶ標的を捉えた〈ノエシス〉の目が、サフィールの網膜へと拡大映像を伝送した。 《一〇四〇年T》  バルブラン海シャランブロン列島の一つ、イージス島の海岸。海を渡り塩気を含んだ風が、頬に心地よいある日の午後の事。  シェル少年のお気に入りの場所である、打ち上げられた難破船の甲板には、先客がいた。海鳥と一緒に一人の女性が、甲板の手すりにもたれかかり、波の穏やかな海を眺めている。軟らかな風に揺れる短めの黒髪が午後の日差しを受け輝き、まだ幼いシェル少年の眼を、しばし釘付けにした。  自分の姉と同じくらいの年齢に見えるその女性は、シェル少年の存在に気付いたらしく、振り返って微笑んだ。 「あれ、オブジェでしょ?」  そう言いながら女性は、水平線の方を指差す。海の遥か彼方、水平線の少し上を、数個の影が横切って行く。シェル少年は声は出さず、頷きで女性に応える。日差しを背にしているせいか、女性の表情は読み取れない。 「オブジェが空を飛ぶなんて、なんだかなぁ」  静かに呟くその声は、波の音に今にもかき消されそうだった。 「……エレオノールの、〈シャプロン〉……」  俯き、やっと聞こえる程度の音量でシェル少年は呟く。頬を真っ赤に染めた少年をしばらく見詰め、その心情を察したらしく、黒髪の女性は甲板に腰掛けにっこりと微笑む。 「年上が苦手? それとも女が苦手なのかな? どうぞ隣に」  首を左右に力いっぱい振りながら、シェル少年は女性の隣、甲板の手すりの間に腰掛けた。もうオブジェらしき影は見えない水平線を見つめたままの横顔を、シェル少年はちらちらと伺う。女性の表情は実に楽しげだった。 「あたしの知ってるオブジェはもっと奇麗だったのになぁ。〈ヴァスクリュス〉、どうしてるんだろ……」 「あのぉ! 機師、なんですか?」  唐突に、その場に不釣り合いの大きめの声で、シェル少年は振り絞るように尋ねた。女性の方は驚いたらしく、シェル少年の方を見つめ、そして再び微笑む。 「機師、みたいなもの、といったとこかな? そう見えるの?」  見詰められたせいなのか、シェル少年の頬は先程にも増して赤くなり、うなずくのが精一杯だった。意味も無く手すりをなでたり鼻の頭をいじったりしていたが、数回深呼吸をしたら何とか落ち着いたらしく、今度は先程よりはずっと聞き取り易く、丁寧に喋れるようになった。 「オブジェは? 何に乗ってるんです?」  しっかりと女性の顔を見てシェル少年は尋ねた。しかし、女性の方はおもむろに胸の前で腕を組み、少しだけ眉をひそめる。 「礼儀、子供であろうとも、ね?」  意味が分からず、シェル少年はしばらく無言のままだったが、女性が首をかしげると、ようやく理解したらしく軽く肯く。 「シェル、シェル・ユイット、です。十二歳です。セエーヴェルのバルマウに家があります。お父さんとお姉ちゃんが機師で僕も機師になりたくて、ダルトアのタウゼント先生に教えてもらってます。好きな食べ物はお母さんの羊のシチューで、嫌いな食べ物は――」  そこまで早口で言って、女性に手で制された。どうして途中で止められたのか解らず、シェル・ユイットは不思議そうに女性の顔を眺める。 「了解、シチューの大好きなシェル君。嫌いな食べ物とかあこがれのオブジェとかの話はまた今度ね。ふぅん、何処と無く面影が無くもないな。あたしは、機師、と言っても今は寝起きでね、体がなまってて当分オブジェには乗れそうも無いの。だから機師みたいなものって訳。名前は――」 《一〇四〇年U》 「話を聞いて下さい! 私たちは別にあたながたの活動を妨害するつもりなんて無いんですってば。ただ、もう少し事を穏便にして頂きたいだけなんです!」  リシェリー・ユイットは叫んだ。彼女の声はオブジェ〈シュバルツローゼ神式(しんしき)〉の対外音声装置によって増幅され閑静な街、ダルトア王政区モンテヴェルディ市にこだました。周辺国とのささやかな貿易と観光で生計を立て大陸内地の戦乱とは無縁な生活を送るモンテヴェルディ市民は、今朝方から繰り返されているその騒ぎにうんざりしているようで、石畳の広場に屹立する三体の連邦軍オブジェとその肩の上で叫んでいるリシェを恨みがましく睨んでいる。  全身を黒一色で染め上げた鋭角的な〈シュバルツローゼ神式〉の与える攻撃的な印象は観光都市モンテヴェルディにはいかにも場違いに見える。 「黙れ、連邦の犬どもが! 我々は大陸に真の平和と平等を築き上げるべく日々戦っておるのだ。貴様らが不甲斐なく腐りきっているからだ!」  広場に面した煉瓦造りの教会の尖塔に穿たれた窓から十代前半の若い男が顔を出した。男は広場中央のリシェに向かって首を掻き切る仕種をし、「立ち去れ!」と付け加えた。 〈シュバルツローゼ神式〉の斜め後ろで周囲を警戒している青褐色のオブジェ〈ダラディエ〉の胸部操座の天蓋が上がり中から顔半分を無精ひげで覆われがっしりした体つきの男が姿を現わした。男の名はヨアキム・グロース、ガイアナ連邦軍の機師で今回の作戦での階級は大尉である。 「リシェリー中佐ぁ、説得なんて面倒は無しにしましょうや。あいつときたら中佐の言葉なんぞこれっぽっちも聞いちゃいませんぜ。ほっといたら何しでかすかも解りゃしないし、さっさと取り押さえちまいましょうぜ。なあ、ノウェム、お前もそう思うだろ?」 〈ダラディエ〉の隣で同じく周辺を窺っているオブジェ〈ルブルック〉からノウェム・ラドクリフ中尉が無線で応える。 「先輩、操座から離れないで下さい。索敵区域内の反応がこちらに接近しつつあります。既に射程境界を越えています。何時仕掛けてくるか解りません」 「仕掛ける? 俺達にか?」  ヨアキムは押し殺したノウェムの声に鼻を鳴らし、未だに説得を続けている彼の上官リシェリー・ユイットを見た。彼女は灰色の髪をかきむしっては「話を聞いて下さい!」と繰り返していた。教会に篭城している若い男の反応は先ほどと変わらない。「消え失せろ! 小娘が!」と罵声が聞こえた。ヨアキムは天蓋を上り彼のオブジェ〈ダラディエ〉の顎の下辺りに腰を据えると大きな欠伸を一つ、後輩のノウェムに向け無線を握った。 「なあノウェム、あいつら〈ルイ・ル・ノエシス〉が幾ら間抜けとは言え、リシェリー中佐に仕掛けたりすると思うかい?」  ノウェムは少し間を置いてから「いいえ」と応えた。 「だろ? 別にお前さんが弱腰になってるなんて思っちゃいねえよ。教本通りにやってるんだ、それをとやかく言うつもりはねえさ。でもな、中佐といる時だけはやめとくんだな。警戒、なんてもんはあの人と一緒の時には無意味だぜ。大陸中探したって〈殄滅師リシェ〉に奇襲を掛けられる奴なんざぁ、一人もいねえよ」  リシェは〈シュバルツローゼ神式〉の肩の上で地団太を踏んでいた。その様子をヨアキムは可笑しそうに眺めて「可愛いでやんの」と囁(つぶや)いた。煉瓦造りの教会から「無能集団め!」と大声が上がる。  ガイアナ連邦の統治下に置かれた大陸全土は千年あまりの間比較的平穏であった。ほんの些細な紛争はあいもかわらず各地で繰り返されていたが、それらの規模は連邦創設以前に比べると取るに足らないものであった。しかし、近年その平穏が徐々にではあるが揺らぎ始めていた。各国の仲裁的役割を担っている連邦にはそれら統治下の国を支配するといった考えはなく、その創設以来の方針の為これまでは連邦体制に反発する国は出現しなかった。  だが、連邦庇護下の各国は経済力や軍事力を十分に蓄えるとそれが当然であるかの如くその傘の下から踏み出し始めた。連邦がそれら独立国を容認したのは、他者に対する強制力を法的にも軍事的にも一切持たないとするガイアナ連邦憲章の理念からであったが、次第に独裁色を帯びて行く独立国の民衆にしてみればそれは単なる弱腰≠ノしか見えない様であった。暴走気味の独立国に対する連邦の公的介入は勿論行われたが、武力制圧に踏み切るまでには至らず情勢を悪化させないのが精一杯だった。  ガイアナ大陸東、エンフィールド工業都市共和国は連邦傘下を離れた国々の中でも特に独裁的な国であった。大陸では連邦に次ぐ国力を備えたエンフィールドは、遥か昔に廃止された、貴族や華族を筆頭とする身分階級制度≠ニ奴隷≠復活させたのだった。エンフィールドに対し人道的見地からガイアナ連邦は例外的に軍事介入を試みるが、既にエンフィールドの軍事力は連邦と拮抗するまでに増強されており、予測され得る両者の人的損害の膨大さから連邦はそれを見送ったのだった。  しかし、エンフィールドの独裁は国内で留まらなかった。周辺各国への軍事進攻が開始されたのである。  エンフィールド工業都市共和国は軍事組織、秘密警察〈ネオテニー〉を大陸南方の宗教統治国ルイ・ル・グロ神国へ差し向けた。神国領の都市フェロヴィアリアは〈ネオテニー〉の軍勢に対し成す術も無く制圧され、ルイ・ル・グロの神都ニーザミーに対する拠点へと姿を変えたのだった。ガイアナ連邦が漸くエンフィールドへの軍事介入に踏み切った事で〈ネオテニー〉のそれ以上の暴挙は食い止められたものの、両軍勢が衝突した都市フェロヴィアリアは壊滅し数万人の尊い命が奪われた。  この紛争『フェロヴィアリア動乱』以降、ガイアナ連邦とエンフィールド、特に秘密警察〈ネオテニー〉は一触即発の睨み合いを続けていた。ガイアナ連邦はオブジェ小隊〈ヴィクトリアス〉を編成し〈ネオテニー〉への警戒監視体制を敷いた。 〈ヴィクトリアス〉と〈ネオテニー〉が互いを牽制する中、エンフィールド国内では独裁体制に反発する民間組織〈ルイ・ル・ノエシス〉が結成され、各地で〈ネオテニー〉との散発的衝突を繰り返していた。だが彼らはガイアナ連邦〈ヴィクトリアス〉と手を組もうとはしなかった。それまでの連邦の政策、エンフィールドへの軍事介入の遅れから彼らは連邦を「頼るに値しない」と判断し、〈ヴィクトリアス〉の再三にわたる協力提案を拒み続けたのである。  だが、〈ルイ・ル・ノエシス〉の一般人をも巻き込む過激な反発活動は不満を呼び、連邦にとっても彼らの独断専行は悩みの種であった。連邦〈ヴィクトリアス〉としては〈ルイ・ル・ノエシス〉に危害を加える訳にもいかず、しかし彼らを野放しにも出来ず、結果として〈ネオテニー〉と〈ルイ・ル・ノエシス〉の両者を同時に相手にする形を取らざるを得なかった。  そうした訳で〈ヴィクトリアス〉の隊長、機師リシェリー・ユイット中佐は実に多くの人々から目の仇にされていた。生真面目で職務に忠実、人当たりも良く礼儀をわきまえ、街行く人々が振り向く美貌と小鳥のような声、非の打ち所の無い彼女は、しかし〈ネオテニー〉からは目の上のこぶ≠ニ呼ばれ〈ルイ・ル・ノエシス〉には連邦の犬≠ニなじられ、とても二十歳とは思えないほど疲労困憊の日々を送っていた。 「なんで私ばっかり……」  リシェは深い溜め息と共に己に降りかかる災難を嘆く毎日である。 「〈ネオテニー〉も〈ルイ・ル・ノエシス〉もまとめてぶっ潰しちまえばいいものを、連邦のお偉方は、何を考えてるんだか。中佐が可哀相じゃねえかよ、あんな可愛い子を悩ませちゃいけねえよなぁ」  ヨアキムはそう言うと〈ルブルック〉の中のノウェムに向け「だろ?」と同意を求めた。 「無理ですよ。彼らが総力戦を仕掛けてきたら今の我々の戦力では到底太刀打ち出来ませんね、〈ネオテニー〉でも〈ルイ・ル・ノエシス〉でも」  ノウェムはあくまで戦術的分析でヨアキムの意見を否定し、続けた。 「でも、中佐が御美しいってのは、僕も賛成です」 「ほお! 沈着冷静が売りのお前が、言うねぇ。でも、駄目だぜ。俺様の目の黒いうちは中佐に指一本触れさせねえよ、俺のリシェ中佐にはな」  音を立てて〈ルブルック〉の天蓋が上がりノウェムが顔を出した。赤い髪と切れ長の目、端整な顔立ちが知的な印象を与える痩躯の美男子で、筋肉質なヨアキムとは正反対である。ノウェムは〈ダラディエ〉の上で寝そべるヨアキムを睨み付けると言った。 「何ですか、その俺のリシェ中佐≠チてのは?」 「聞いての通りさ。ま、相思相愛って奴か?」  ノウェムを細い目で見、ヨアキムは言い聞かせるように言うと視線を再びリシェの方へ戻す。 「先輩には勿体無いですよ、リシェリー中佐ほどの女性は。あの人にはもっと上品な、そう、僕みたいな男が相応しいですね」  それを聞いてヨアキムは飛び起きた。ノウェムは両手を組み、しきりに頷いていた。 「言うに事欠いて、お前は。後輩は後輩らしく、指でもくわえてろ」 「先輩も後輩も関係ないですよ、恋愛に関してはね」  静かな睨み合いは彼らの憧れの人、リシェリー・ユイットの声で中断された。 「ヨアキムさん、ノウェムさん。臨戦態勢、お願いします」  その言葉で二人の体の力が抜けた。 「中佐ぁ、そのさん≠チての、止めません? 俺らは仮にも中佐の部下なんですから……」 「お願い、ではなく、それは正式な命令ですね? リシェリー中佐」  二人は同時に声を上げお互いを見合った。リシェは、厳格なしつけからか温和な性格からか誰でもさん&tけで呼び、部下だろうが敵だろうが敬語を使っていた。そんな彼女の態度は〈ネオテニー〉や〈ルイ・ル・ノエシス〉以外の、彼女を知る人々からは親しまれてはいたのだが。 「ま、そこが可愛いんだけど、な」  とヨアキムは言いながら操座に滑り込んだ。ノウェムの〈ルブルック〉は既に起動し、〈シュバルツローゼ神式〉との距離を詰めていた。ヨアキムは座席に着くと素早く軸策(じくさく)バス端末を被る。視覚が〈ダラディエ〉と連結され、彼の視界に真っ先に飛び込んできたのは〈シュバルツローゼ神式〉から伝送された、リシェの見ている彼らの上空の映像であった。  別段注視するべきものはなかった。が、漂う小さな雲が揺らぎ青空のど真ん中に、紙の裏側から炎を当てじわじわと焦げて行くように、黒い塊が次第に現れる。数秒後、その塊は視界の半分を埋めるまでになった。 「……い、何時の間に」とヨアキムがもらし「回折(かいせつ)装甲、不可視(ふかし)属性です、ヨアキムさん」とリシェが無線でそれに応えた。  上空にはエンフィールドを軍事大国たらしめている兵器、秘密警察〈ネオテニー〉の〈ベルンシュタイン〉がその巨体から不気味な唸りを上げ浮遊していた。 「で、でかい……」  ノウェムはそれだけ言うのが精一杯だった。 〈ネオテニー〉は粒子静電差現象の応用技術により都市を丸ごと一つ浮かばせるほど巨大な重力場を作り出し、空中移動基地〈ベルンシュタイン〉、別命不沈要塞≠建造した。〈ベルンシュタイン〉は二十四門の攻城砲と十二門の大口径対地火砲、大陸の端々を残らず射程に収める長距離艦砲〈イーゴリ砲〉を二門装備し、常に二百機前後の空挺オブジェを搭載している〈ネオテニー〉の伝家の宝刀にして彼らの本陣である。  城塞都市並の大きさを持つが、その巨体は可視光を屈曲させる回折装甲≠ナ覆われている為肉眼による視認はほぼ不可能。その規模にもかかわらず隠密活動を行う恐るべき兵器で、『フェロヴィアリア動乱』で瓦礫の山を築き、無数の民間人を連邦軍共々消し炭に変えた張本人である。 「〈ベルンシュタイン〉がここダルトア上空を通って本国へ帰還する、本部の情報通りです。〈ルイ・ル・ノエシス〉の方々がこれを放っては置かないでしょう」  不沈要塞のあまりの巨大さに声も出ないヨアキムとノウェムに対し、リシェは矢継ぎ早に彼らに指示を出す。 「こんな所で〈ベルンシュタイン〉を強襲したりしたら、民間人への被害は避けられません。よって、これより〈ヴィクトリアス〉は〈ベルンシュタイン〉を牽制しつつ、予想される〈ルイ・ル・ノエシス〉の部隊を街の外、安全圏へ誘導します。状況が状況ですので武力行使もやむを得ません。ただし――」  突然〈シュバルツローゼ神式〉は爆音を上げて広場を飛び立った。 「中佐!」とヨアキムが叫びそれにノウェムの「先輩! 奴等です!」と言う声が重なった。視覚隅の索敵画面に数体のオブジェが上空の〈ベルンシュタイン〉目掛けて街のあちこちから飛んで行くのが見えた。背部可変翼を広げた〈シュバルツローゼ神式〉がそれを追っている。 「〈ルイ・ル・ノエシス〉の方! 聞いていますよね! 私はガイアナ連邦〈ヴィクトリアス〉のリシェリー・ユイットです。今すぐこの空域を離脱して下さい。モンテヴェルディは連邦条約により非戦区域に指定されています。……返事して下さい!」  全身に掛かる加速衝撃の中、リシェは前方のオブジェへ向け共用回線で交信を試みる。彼女の視界は逆光で真っ黒にしか見えない巨大な〈ベルンシュタイン〉で覆われ、その中に前方を飛行する六体のオブジェの推進機構の青白い光が揺れ動いている。 「〈ルイ・ル・ノエシス〉の方ぁ! 返事して下さーい!」  操演桿(そうえんかん)を握り締め再び繰り返す。〈ベルンシュタイン〉との相対距離は徐々に狭まり、現在の速度で巡航すればあと一分もしないうちに危険区域に突入してしまう。高機動の〈シュバルツローゼ神式〉といえども極短距離からの砲撃をかわす事は容易ではないのである。それまでにどうにか〈ルイ・ル・ノエシス〉のオブジェ共々退避しなければ眼下のモンテヴェルディは一瞬にして火の海と化してしまう。〈ベルンシュタイン〉の対地火砲にはそれだけの破壊力があり、数発も叩き込まれれば小さな観光都市などひとたまりも無い。  最悪の事態に予想される人的被害は計り知れず、五感を研ぎ澄ますべき状況ではあるのだが、彼女は今朝方から繰り返されている〈ルイ・ル・ノエシス〉の連中の数々の罵詈雑言(ばりぞうごん)や無作法に対し胸中穏やかではなく、要するに、いらついていた。  彼女の父親はいつも言っていた、礼には礼を尽くしなさい、と。リシェや彼女の八歳年下の弟シェルはそう教えられ、父親の言い付けを素直に実践してきたのである。そうする事で人々は気持ち良く言葉を交わし心からの交流を図れる、そう父親に教えられたし、彼女もそうだと思ってきたからだ。それなのに、彼らときたら礼儀どころか振り向こうともしないのだ。悲しいやら悔しいやらで、とうとうリシェは涙ぐんで無線に怒鳴り付けた。 「返事くらいしなさいよ! ばかー!」 「ちょっと! 馬鹿とは何よ、馬鹿とは! 失礼ね!」  言葉が返り、リシェは思わず手を叩いて喜んだ。彼女の父親は言っていた、強い思いは必ず通じる、と。リシェは涙を拭い、故郷の父親に感謝した。お父さん、あなたの教えは素晴らしいです。これからもリシェは素直で良い子を貫きます。光明を見た思いでリシェは弾んだ声で続ける。 「あの、〈ルイ・ル・ノエシス〉の方ですよね? 私は――」 「悪魔の申し子〈殄滅師リシェ〉ね」  無線からの冷たい言葉に、頭の中で銅鑼(どら)の音が響き渡る。リシェは目の前が真っ暗になった気がした。もっとも、〈シュバルツローゼ神式〉の視覚域は〈ベルンシュタイン〉の巨体により既に真っ暗なのだが。 「私! リシェリー・ユイットです! 妙な呼び方は――」 「破滅の使者〈殄滅師リシェ〉が何の用?」  更なる一言はリシェを奈落の底へと突き落とした。全身から音を立てて血が引き、眩暈で操座に倒れ込みそうになる。ごめんなさい、お父さん。貴方の娘はとっても悪い子です。もう、合わせる顔もありません。手塩に掛けて育ててくれたと言うのに、貴方の娘は知らない人にここまで言われてしまいました。私、これから一体どうやって―― 「中佐! 〈ベルンシュタイン〉の砲門が回頭してます! ひとまず距離を置いて――」 「は?」  ヨアキムの声で我に返ったリシェの耳に緊急警報が届き、自らに向け真っ黒な口を開けた対地火砲が視覚域で拡大された。彼女が気付いた一瞬後、砲門が火を噴いた。 「……うそ?」  砲門をまともに見詰めていたリシェの視覚は焼き付きで真っ黒になり、直後、全身を叩き付ける衝撃が襲った。モンテヴェルディ市上空の青空に巨大な火の玉が現れ、次いで鼓膜を破るほどの轟音が響いた。圧縮された大気が土埃を舞い上げ、町中に真っ赤な鉄片が降り注ぎ、逃げ惑う市民でモンテヴェルディは一瞬にして大混乱となった。 「中佐!」  ヨアキムとノウェムが同時に叫ぶ。〈ルイ・ル・ノエシス〉のオブジェが散会し、暫くすると上空の気流で形を変える黒い煙の塊から〈シュバルツローゼ神式〉がくすぶりながら飛び出した。 「警告も無しにいきなり発砲するなんて! 条約違反でしょ!」  ヨアキム達は共用回線から聞こえてきたリシェの怒鳴り声にほっと胸を撫で下ろした。 「直撃、だったのに。流石(さすが)は〈シュバルツローゼ神式〉、だな。傷一つ付いてないぜ」 〈シュバルツローゼ神式〉は姿勢制御を掛けつつ大きく旋回すると〈ルイ・ル・ノエシス〉のオブジェの一体と〈ベルンシュタイン〉との間に最大速度で割り込んだ。 「〈ベルンシュタイン〉、それに〈ルイ・ル・ノエシス〉の方、黙ってよーく聞きなさい!」  砲撃による耳鳴りをこらえリシェは共用通信回線を使って両者へ同時に交信する。その声は明らかに怒りで震えていた。言葉こそ丁寧だが口調の強さは只ならぬ雰囲気を醸し出している。ヨアキムやノウェムには、リシェが完全に切れている≠フだと今迄の経験から悟った。  並みのオブジェなら木っ端微塵になるほどの火力を持つ〈ベルシュタイン〉の大口径対地火砲だが、ガイアナ連邦の旗機にして大陸最強のオブジェ〈シュバルツローゼ神式〉には通用しなかった。神の作りしシュバルツローゼ≠フ名は決して伊達ではないのである。目の前でその圧倒的な性能を見せ付けられた〈ベルンシュタイン〉と〈ルイ・ル・ノエシス〉の面々にはリシェの申し出を無視するほどの度胸はなかった。 「私は、ガイアナ連邦〈ヴィクトリアス〉の、リシェリー・ユイットです! あなた方が連邦条約を無視し、非戦区域であるモンテヴェルディで戦闘を続行するのであれば、私達〈ヴィクトリアス〉は、総力を持ってあなた方を迎え撃ちます! 今すぐ武装解除に応じ、この空域から離脱しなさい! 良いですか? これは警告では無く、……命令です! 私達ガイアナ連邦にあなた方の活動を強制する権限はありませんが、……それでも命令です! 従うつもりが無いのであれば……」  そこで一旦言葉を切り、リシェは大きく吸い込むと、 「私を倒してみなさい!」  と張り裂けんばかりに叫んだ。 「かっこいい」とヨアキム、「素敵だ」とノウェム。 〈シュバルツローゼ神式〉は空中で静止し、アーマライト甲鉄刀を抜き放つ。陽光を反射する刀身が肉食獣の鋭い牙のように不気味に輝いている。その位置からなら〈ベルンシュタイン〉、〈ルイ・ル・ノエシス〉のどちらに対しても必殺の一撃を食らわせられるであろうし、攻撃態勢の〈シュバルツローゼ神式〉であれば反撃する暇も無く両方、空域全ての目標にそうする事も可能である事は、軍人であれば知らない者はない。〈殄滅師〉、全てを滅ぼし尽くす者とはそういった機師に冠せられる通り名なのである。リシェの言葉がはったりだとしても、それを試すには己の命を懸ける覚悟が必要である。暫くして最初に返信したのは〈ベルシュタイン〉であった。 「こちらは〈ベルシュタイン〉、〈ヴィクトリアス〉、聞こえるか?」  しわがれた男の声にリシェは応えた。 「……リシェリー・ユイットです、どうぞ」 「私は〈ベルシュタイン〉の艦長、オッフェンバックだ。〈ネオテニー〉からこの艦の全権を委任されている。〈ヴィクトリアス〉の、貴君の意向は十分理解した。我が艦に交戦の意志はない、繰り返す、交戦の意志はない。先程の発砲はやむを得ない防衛行動に過ぎず、我が艦の望む所では無い。我が艦は本国への帰還命令を受けており、以後、我が艦への妨害が無ければ、この空域からの離脱は速やかに執り行われるであろう。以上だ、交信を終わる」  続いて〈ルイ・ル・ノエシス〉から女性の声が届く。その声はリシェを破壊の使者≠ニ呼んだ人物と同じだった。リシェは非礼を詫びろと怒鳴ってやろうかと思ったが、取り敢えず相手の言葉を待つ事にした。 「〈碧瑠璃(へきるり)のサフィール〉、〈ルイ・ル・ノエシス〉の指揮官だ。不本意だが今回は退く事にするわ。〈ルイ・ル・ノエシス〉の敵はあくまで〈ネオテニー〉、連邦とやりあうつもりはないわ、邪魔さえしなければ。〈ベルシュタイン〉はいずれ落とす、が、〈シュバルツローゼ神式〉と怒り狂った〈殄滅師〉が相手じゃこっちもただじゃあ済まないからね。……じゃあね、リシェリーちゃん。また顔を合わせるだろうから、その時は御手柔らかに」  回線が閉じて暫くすると〈ベルシュタイン〉が低い唸りと共に移動を始めた。回折装甲の作用で艦は空と同じ色になり、それを確認してから〈ルイ・ル・ノエシス〉のオブジェは編隊を組んで地平の彼方に飛び去った。視界から両者が消えると、リシェは緊張の糸が切れたのか操座でがっくりとうなだれ「信念を貫け、よね、お父さん」と呟いた。  夕日が街を赤く染め上げる頃、〈ヴィクトリアス〉は連邦本部へと飛び立った。帰路ではヨアキムがリシェに対し、しきりに賛辞の言葉を贈ったが彼女は生返事で応えるだけだった。「御怪我をなさっているんですか?」と言うノウェムにリシェは「心がずたずたです」と聞こえない様に唸った。 「……シェル、お姉ちゃんは、負けないからね。お父さん、私、……頑張るからね」  海洋へと沈み行く太陽がリシェリー・ユイットの半泣きの横顔を淡く照らし出す。朱色にきらきらと光る波間から、遠く離れた家族が励ましの言葉を贈っている、リシェはそんな気がしたのだった。 「そうでも思わないと、やってられません」 《一〇四一年T》 ※エンフィールド工業都市共和国による身分階級制度 ・ラファイエット……王族 ・ラフィア……機師、彫機(オブジェ)、貴族、爵位、領主 ・ラフォルグ……技構師、剣師、発掘師、上級軍人 ・テンブル……僧侶 ・エスクロド……下級軍人、一般人、商人 ・パスコリ……工業系生産業労働者 ・ナゼル……農民、牧畜民、遊牧民、漁師 ・バシネ……貧民、奴隷 ※階級制度による居住区区分 ・ラティガン(門閥領(もんばつりょう))  ラファイエット(王族)、ラフィア(機師、彫機(オブジェ)、貴族、爵位、領主)、ラフォルグ(技構師、剣師、発掘師、上級軍人)以外の者の立ち入りは許されない場所。門閥領とは格式のある場所の意。 ・テンブリンク(巡礼地)  テンブル(僧侶)が暮らし、寺院などがあり大陸各地に点在する。 ・エスカロン(商業領)  エスクロド(下級軍人、一般人、商人)、パスコリ(工業系生産業労働者)の暮らす地域。 ・ナーエ(農耕・牧畜・漁業域)  ナゼル(農民、牧畜民、遊牧民、漁師)の暮らす地域。区分的にはエスカロンと同等。 ・バストーク(奴隷領)  バシネ(貧民、奴隷)が都市を追われ辿り着くところ。ガイアナ神法の通用しない世界。エスカロンに含まれる場合が殆どだがエスクロド(一般人)達はまず立ち入らない。  大陸の東、身分階級制度を復活させたエンフィールド工業都市共和国の首都アグスティア。  労働力という名の家畜達のひしめくバストーク(奴隷領)の片隅で、白痴の少女ニフェ・アンナベルグは同じ家畜達から虐げられながら、静かに暮らしていた。ニフェは、言動が歪(いびつ)で気味悪く、可憐な外見がそれらを際立たせる為か、行く先々で誹謗、中傷、罵声や暴力を受けていた。発する言葉は、十七歳とは到底思えない程にぎこちなく、どこか子供じみていた。  ニフェの症状(先天的ではあるが)は、外界の認識に弊害が及ぶほど重度で、自身の存在を解してさえいなかった。自分が何なのかにまでその思考は及ばず、彼女は、脳髄に刻み込まれた生存本能と、人間のものに似た行動様式を有する、単なる動物であった。衣をまとい二足歩行をする、限りなく人間に近しい、動物である。  ニフェ・アンナベルク、その名は十七年前にエンフィールド名門貴族の名士、オリフィレス・ラ・アンナベルク八世の二人目の息女に冠せられた。ニフェの本来の、或いは当初の、身分はラフィア(機師・彫機・貴族・爵位・領主階級)、アンナベルグ家の次女であった。誕生からほどなく、ニフェが只ならぬ身であることを知った同家は、家柄や名声に傷が付くのを恐れ彼女を秘密裏に除籍し、バストークへと追放したのだった。ニフェ誕生の事実そのものが消え去るのに一年と掛からず、その後の三女は次女へと姿を変る。  バストークでうずくまるニフェには、帰るべき家も、それを暖かく迎え入れる家族も、彼女がこの世にいるという事実を記憶に留めるものすら、ただの一つも無かった。ラフィアとバシネ(奴隷・貧民)、そこには神と人間に等しい隔たりがある。それすら認識できない彼女は、不当な扱いを受ける苦痛を味わうことはなかった。しかし、そうだとしても、知らなければ、気が付かなければ幸せなのだろうか。  湿った喧騒が肌を撫で回す首都アグスティア。絶望の淀む城下の中央、切り立った高台には、聖なるラファイエット(王族、繁殖師)やラフィアがいるという。そこには、優しい風と微笑む陽光が溢れ、清水と酒が湧き出る泉と枯れることのない麦畑があるという。人々は争うことなく語り合い、何時でも静かに眠りに就け、そして傷一つなく再び目醒めることのできる、そんな究極のエリュシオン(想像上の楽園)である。地べたにのたうつバシネ達は、乏しい知識を駆使してエリュシオンを思い描き、しかし最後には決まって「妄想さ」と括った。  虚ろな瞳で媚びた笑みをたくわえるニフェ。そうやっていれば、行き交うバシネの一握りが彼女を飢えの苦しみから一時的に救ってくれた。代償として擦り傷と青痣だらけの貧相な体を与える。様々な生き抜く術を身に付け、彼女は死なずにはいられた。 〈剣侠(けんきょう)ハイデス〉ことハイデス・ルキアノスは敗戦を期にラフォルグ(技構師・剣師・発掘師・上級軍人等の軍人階級)の地位を追われた。  流浪の果てに辿り着いた場所、首都アグスティアのバストークで、己が命を懸けて守ってきた者達の、貧しく荒みきった心の様子に生々しい現実を知る。身分階級制度の最底辺であるバシネ達の中に更に差別があった。罵声を浴びせられてもなお笑顔でいる少女ニフェを庇うハイデスに、バシネの青年ビオ・ワスプが声をかける。  ビオは言った。哀れみ、施しを与え貴方はさぞ満足だろう。それは高貴な貴方の優しさかもしれないし、一時の気の迷いかもしれない。どちらだろうとしかし彼女は心から喜ぶだろう。しかし貴方はしばらく後にここを去り彼女はいつまでもここにいなければならない。貴方は、施しで彼女が更なる罵声と暴力を受ける事など気にもしないだろうし、勿論気にする必要も無い。それが身分の違いと言うものだから。今、貴方が何故ここにいるのかは知らないがいずれここを去る事を私は知っている。  ビオ・ワスプの言葉にハイデスは一言の反論も出来ず、何も答えられず、指の一つも動かせなかった。ただ、青年ビオ・ワスプも少女ニフェに罵声と暴力を与える者である事を彼はまだ知らないでいた。  ラブリュイエール家の剣師として再び自分を迎えてくれると言う、プレブスレン地方の若き領主エリゼ・ラブリュイエールの言葉に、ハイデスはすぐには返事を返さなかった。彼には解らなかったのだ。剣師として守るべきものとは一体何だったのかが。行く末を見極めかねているハイデスは、エスカロン(商業領)の酒場〈アンヌ・ド・トゥ〉で〈猫目のディージェイ〉と名乗る奇妙な女性と出会った。ころころと動く彼女の澄んだ瞳は、暗雲垂れ込めるエンフィールドにはまぶし過ぎるほど輝いていた。  翌日、年老いた剣師、ハイデス・ルキアノスの体験した一連の出来事は、彼や関係者以外にとっては取るに足らないものである。些細な、決して歴史の表舞台に現れる事の無い時間の断片である。 《一〇四一年U》  機師フォン・ハウサは混乱していた。  この国に、いや、秘密警察〈ネオテニー〉ハロアール伯爵に仕えての六年、そしてまだ二十三年に満たない彼女のささやかな人生で培った価値観に照らし合わせてみて、今、彼女の深緑色の瞳に映る、まさに起ころうとしている情景は全く持って理解し難いものであった。  彼女は正真正銘正式な命令を受け、エンフィールド工業都市共和国の首都アグスティアのエスカロン(商業領)に彼女の上官や数人の兵士、そして彼女のオブジェ〈バイバルス〉と共に今朝到着したばかりだ。とある人物≠ラティガン(門閥領)に居を置くミゼール・ラッダイトという名のネオテニー幹部に引き渡す、たったこれだけの至極簡単な任務であった。当然、上官に任務の全権があるのでフォンにはこれといってするべき事などなく、その日も連日の周辺警戒と同じく退屈な一日になるであろうと彼女は出発前も、そして到着してからも想像していた。  しかし、今、一体何が起きて、何が起きようとしているのか、フォンの想像力ではとても理解できなかった。  直属の上官である二十七歳の機師ジャンジュ・キャビアンを、フォンは機師としては尊敬していた。しかし、一人の人間としてはその浅黒い肌をした赤毛の男を恐らく軽蔑さえしていた。が、彼女自身それをはっきりと自覚した事はなかった。幼い頃から脳細胞に半ば強制的に、機械的に刷り込まれてきた機師の理≠ヘフォンに、彼女の上官ジャンジュやその上に君臨している筈の――直接見た事は唯の一度も無いのだが――ハロアール・クワント伯爵を崇(あが)める以外の一切の思考をほぼ完璧に排除してきた。  それでも、〈粛殺(しゅくさつ)のジャンジュ〉の文字通り、草木を損ない枯らす厳しい秋気の如き戦い振りは、フォンにそれまでは存在し得なかった感情を芽生えさせるに十分であった。  三年前、彼女の初陣である『王政区ダルトア制圧作戦』の折、待機中であった敵オブジェ群を夕闇に紛れ背後から強襲し、周辺に配された整備要員もろともオブジェをなぎ払う、両肩に真紅の交叉鉄鎚(こうさてっつい)≠象(かたど)る、神罰≠意味する名を冠したオブジェ〈マシュハド〉の姿と、〈マシュハド〉の主である〈粛殺のジャンジュ〉の無線から響く高笑いは、経験浅い機師フォン・ハウサの深層心理を揺さぶった。 真紅の交叉鉄鎚≠ヘ〈粛殺のジャンジュ〉の名と共にエンフィールド工業都市共和国の覇権の象徴として大陸辺境にまで知れ渡り、敵味方を問わず恐れ崇められていた。  そんな、絶対服従が当然の彼に向かって、そのくたびれた甲冑を着込んだ古傷だらけの年老いた〈剣師〉は……。 「三度は言わんぞ若造! すぐさま我が主に非礼を詫び、その木偶共々早々にこの場を立ち去れ! さすれば慈悲深き我が主、高貴なるアンナベルク様は、愚かな貴様をお許しになるであろう!」  エスカロン中に響き渡る老剣師の力強い声で、〈アンヌ・ド・トゥ〉と刻まれた看板の下からぼろをまとったバシネ(貧民階級)の野次馬がぞろぞろと出てきた。彼らが酒瓶を手にしているのを見てフォンはそこが酒場だと漸く気付いた。老剣師の発言は彼女に此処に到着してから数度目の眩暈を浴びせた。全身から血の気が退いて行く音が聞こえてきそうである。  剣師を従えて戦地に赴いた経験は彼女にもあった。オブジェのみで全ての争いが決着するほどに世界は、そして政治は単純ではなかったし、もしオブジェのみでけりを付けようとするのであれば、それは解決などではなく単なる破壊≠ナある。だからこそ彼ら剣師のような人道的な――あくまでオブジェに比べて――武力がどの国にも必要なのである。彼らの限界まで磨きぬかれた肉体と技、そして、時には無謀とさえ思える勇気を、フォンはオブジェ〈バイバルス〉の目を通して幾度と無く見てきた。  しかし、である。今、彼女の眼前では、剣師が機師に対して、その剣を突き付けている……。僅か三歩後方に彼の忠実なる武器、地上最強≠フ破壊兵器〈オブジェ〉が無言の圧力を放ち主の命を今や遅しと待ち構えている、その機師に対してである。  老剣師の握る剣が、絶対硬度のストロマトライト鉱をも両断するといわれる鍛えぬかれた超硬化アーマライト(装甲鉱)鋳鉄であり、刃こぼれどころか傷一つ曇り霞一つなく、彫りの深い皺だらけの顔に向け鈍い剣輝を放っており、その射抜くような鋭い眼光や隙の無い構えを見るまでもなく彼の剣技が間違いなく皆伝級であり、彼が――彼の言葉が真実だとし――ガイアナ連邦総帥をも唸らせる、あの〈剣侠ハイデス〉である事を踏まえた上でさえ、フォンには、そして声も無く見詰めている野次馬にとっても、その光景は明らかに歪であった。  さらに、ハイデスの剣先の機師が彼女の上官〈粛殺のジャンジュ〉で木偶≠ニハイデスが吐き捨てた背後のオブジェは真紅の交叉鉄鎚〈マシュハド〉ときた。とどめは、〈剣侠ハイデス〉ことハイデス・ルキアノスの我が主≠ェフォン達の目的であるとある人物≠ニ同一であり、そのニフェ・アンナベルクという名の十七歳の栗色の長髪をした薄汚れた少女が、自らが名門貴族アンナベルク家の次女であると解らぬほどの重度の精神障害、白痴(はくち)だという事。  たちの悪い冗談か喜劇の一場面としか思えないその様子を唯一理路整然と説明できそうな頭のおかしい老剣師≠ニいう言葉は、しかしハイデスの――内容はともかく――言動からはとても浮かんできそうになかった。 「き……、機師であるこの私よりも、その、その白痴女を選ぶと言うのか! 貴様は!」  辛うじて冷静さを保っていたジャンジュ・キャビアンだったが、その表情が見る見るうちに豹変していった。フォンは深い溜め息を一つ、〈バイバルス〉の操座に身を沈め、事の一部始終を思い返す。何故こんな理解不能な状況になってしまったのか……。  降下地点の正確な座標が〈マシュハド〉から伝送されてきたのでフォン・ハウサは目的地がエスカロンの広場だと漸く知った。オブジェ輸送用航空機〈カーゴ〉から空離し〈バイバルス〉の姿勢制御に手間取りつつフォンは、彼女が降り立つ予定の広場が住民で溢れている事を網膜に直接投影される索敵画面の映像から知ると、共用通信回線を開きジャンジュ・キャビアンに指示を仰いだ。  しかしジャンジュからの応答はなく代わりに〈マシュハド〉の腰部から信号焼夷(しょうい)弾が地面に向けて射出された。驚いて広場を映した索敵画面を覗いたフォンは、蜘蛛の子を散らすように住民が散会し彼女達の降下地点が確保された事を知った。 「下らん事で私の手を煩わせるな」  押し殺した声が無線から聞こえた。そんなやり方は士官学校では教わっていない、と喉まで出掛かったが、勿論フォンは押し殺した。  土埃を舞い上げつつ二体のオブジェ〈マシュハド〉と〈バイバルス〉が廃屋群の直中に降り立ち、〈バイバルス〉背部に収容されていた〈ネオテニー〉兵士二人が同じく地面に降り立った事を確認し、フォンは〈バイバルス〉の正面・背面視覚域を通常≠ノ設定するよう静電差エンジンに脳波信号を送った。それで温度感知視界の緑色と朱色の世界が見慣れた風景に戻った。視界右上の索敵画面の赤縁の星型が子供の姿に変わる。  ジャンジュは既に〈マシュハド〉から降機し先に降りた兵士に何やら指示を出していた。彼らが手近な建物に駆け込むとジャンジュは〈バイバルス〉の目を通してフォンを睨み付け「別命あるまでその場で待機」と、飼い犬に「伏せ」と命令するのと同じような調子でいい、兵士とは別の方向へ歩き出してから「警戒を怠るな」と付け加えた。  これで今日の任務は九割方完了した、殆ど確信しフォンは胸を撫で下ろし、操座の後ろから読みかけの分厚い冊子を手探りで取り出した。表紙に金文字で『山毛欅(ぶな)の木の下で 翻訳』とある。三年前に内地北方セエーヴェル地方で出版され瞬く間に大流行し各国語に翻訳された、戦場を舞台にした文学色の濃い純愛物語である。  目の前にぶら下がる照準装置を兼ねた硝子眼鏡を跳ね上げ両腿の間にある操作盤を数度叩くと、後頭部の覆いに接続された数百本の軸策バスを通じて静電差エンジンから絶え間なく送信され直接網膜に投影される〈バイバルス〉の視界が半分ほどに縮小され右隅に移動、フォンの目に『山毛欅の木の下で』の読みかけの頁が映った。これで心置きなく物語に没頭できるのだ。  こんな事も国立士官学校では決して教えてはくれないのだが、警戒任務中に彼女と同じくらい暇を持て余していた別の機師はそういった有益な技術を至極丁寧に教えてくれた。  そんな訳で暫くするとフォンは、美人薄命を突っ走るうら若き令嬢メルリーヌとなり、幾多の戦場を駆ける英雄カミオンとの甘く切ない恋物語を演じていた……。 「おお、麗しき方! そなたの美しき瞳は花々を嫉妬で身悶えさせ、そなたの美しき名は貴様! ハイデスとか言ったな――」 「わあ!」  驚きの余りフォンは冊子を操座の配線だらけの天蓋に力いっぱい投げつけてしまった。英雄カミオンの想像上の透き通った声がいきなり彼女の上官ジャンジュの野太く押し殺した声にとって変わり、フォンの九割方完了した本日の任務の残り一割が突然開始された。 「ラッツ伍長! 至急状況報告願います」 『山毛欅の木の下で』を背後に放り照準装置を降ろし視界を読書用ではない方の通常≠ノ設定するまでの動作を一秒以下でこなすと、フォンは〈バイバルス〉の視覚域にあるジャンジュに同行した兵士の一人、ラッツ・メイアー伍長に専用通信回線で呼びかけた。 「それがその、少尉……」  普通、機師は軍部とはほぼ完全に独立し、別格扱いなので軍隊内での階級は存在せず、作戦行動で部隊を編制する際に単なる呼称として一定の階級を与えられる事になっている。しかし殆どの場合一般兵や剣師などの下士官級より上、士官級となり戦闘の指揮を取る。今回フォンは士官最下の少尉である。 「我々はジャンジュ大佐と共に予定通り要人との接触に達したのですが、その、妨害に遭いまして……」 「……ボー、ガイ?」 〈バイバルス〉の白濁色の眼球が素早く動きジャンジュの後頭部を捉えた。フォンは視覚域の明滅する青十字の一つをジャンジュに重ね、彼を中心に画像を拡大した。頭の中に彼やそれ以外の人間の声が直接響く。 「誰の入れ知恵かは知らんが、先ほどそなたがその女と交わしてみせた忠誠の儀≠ヘ無しだ、私と交わせ。そなたほどの男にその女は相応しいとは思えんからな。その様な白痴女など……」  朗々と語るジャンジュの言葉はしかしフォンにはさっぱり訳が分からなかった。忠誠の儀が機師や剣師が仕えるべき主君と交わす誓いだという事は当然フォンも知っている。他でもない彼女自身がそれを口にする日もそう遠くはないのだから。しかし仮に今、彼女の視界にあるハイデスという老人が機師か或いは剣師だとしても主(あるじ)≠轤オき人物が見当たらない。  そこにはジャンジュとハイデスという名の老人、ラッツ伍長ともう一人の兵士であるリェージュ・ユクスキュル一等兵、そして十代半ばに見える恐らくバシネであろう少女ともうひとり、自分と同じ年代の、短く切り揃えた黒髪の女がいる。つまり、栗色の髪をした少女と、見ているだけで暑苦しくなる革製の腰丈上着を羽織り偉そうに腕を組んでふんぞり返っている女の、どちらかが老人の主という事になるのだが、当然そうは見えない。 「我が主、ニフェ・アンナベルク様を愚弄(ぐろう)するか!」  老人が怒鳴り、そして……。 「それ以上は〈剣侠ハイデス〉の名に懸けて、許しはせんぞ!」 「け、け、け、剣を、……抜いたの!?」  その老人が〈剣侠ハイデス〉と名乗った事を驚く暇もなくフォンは唖然とした。その名前は、軍隊に籍を置かない一般市民にも数々の偉業と共に知れ渡っていた。彼がルイ・ル・グロ神国のオブジェを一刀の元に両断し、窮地に立たされた連邦軍を救い出したとされる十二年前の『豪雨の神都内乱』の話は、ニフェの脳裏にも焼き付いていた。実際はオブジェの、直前の戦闘で大穴の開いていた胸部操座に乗り込み機師を斬り付けたそうなのだが、それにしたって普通は出来るものでないし、誰もやりたがらない。  派手な尾鰭が付こうが付くまいが〈剣侠ハイデス〉ことハイデス・ルキアノスは間違いなく現代の英雄である。いつものフォンであればすぐさま〈バイバルス〉から無許可で降機して握手の一つでも求めるところであるのだが、その英雄は事もあろうに彼女の上官に対して抜刀したのだった。いや、上官だとか部下だとかは関係ない。彼は、機師に対して、抜刀したのだ。  その事自体はガイアナ神法違反でもエンフィールド軍規違反でもなく、また禁忌の類でも決してない、が、世にいう常識を遥かに逸脱する行為に他ならないのだった。それは、児鼠が飢えた猫に対して牙を剥くに等しい行為である。機師に、つまりオブジェに対して争い挑む行為は、たとえオブジェ以外のこの世のありとあらゆる、考え得る全ての武器のどれでも好きなものを手に出来るとしても、満月を射落とすが如く=Aつまり不可能で無意味≠ネ行為なのである。  世の中には努力や意志、理想や奇蹟とは全く無縁な事も存在するのであり、オブジェにそれ以外で挑む≠フはそういった真理の最たるものである。そんな事は、手を捻られてばかりの赤児でも知っている理屈である。決してあり得ない光景がフォンの眼前に、あった。 「私は、ニフェ・アンナベルグ様の剣師となったのだ。剣師に主は二人も要らん!」  ラッツ伍長が何事か騒いでいるが、茫然自失のフォンの意識にはもはや届いていなかった……。 「貴様! 貴様はその剣で私を斬るつもりか? その飾りで我がオブジェ〈マシュハド〉と戦うと言うのだな?」「我が剣は、斬るものを選びはせん!」  回想していたフォンはジャンジュが〈マシュハド〉の静電差エンジンを起動させた事に暫く気付かなかった。彼が脳波による遠隔操作で〈マシュハド〉を僅かに屈ませ胸部操座にその身を埋めた頃、漸く彼女は我に返り専用通信回線に怒鳴り付けた。 「ジャンジュ様! どうされるおつもりですか!」  彼女への返答はなく〈マシュハド〉の頚部からの対外音声が彼の意思を代弁した。 「……良かろう。生身の無力さを――」  機師フォン・ハウサの意識が瞬時に暗転し、直後、閃光が瞬いた。 「――その白痴女共々噛み締めるが良い!」  フォンは無意識のうちに操演桿と踏板を操りつつ網膜隅部の索敵画面を非常≠ノ切り替え無数の数列を青く明滅する十字と共に表示させる。青十字は真ん中から二段になったフォンと〈バイバルス〉の視界域を飛び回り、上部正面視界の温感・電磁波映像の〈マシュハド〉の右腕と重なってから、内接する正方形を持つ円に姿を変え、相対距離などのあらゆる外部状況を意味する数列と共に彼女の瞳と同じ深緑に輝く。〈バイバルス〉の両腕が、真紅の交叉鉄槌の片割れを振りかぶる〈マシュハド〉の右腕肩口と手首を掴んでいた、まさに瞬間に、である。 「どういうつもりだ、……フォン・ハウサ!」  共用通信回線を通じジャンジュの、いや、今やすっかり豹変した〈粛殺のジャンジュ〉の声が軸策バスを通じフォンの頭に響いた。しかし一連の動作を機師の本能でやってのけた彼女は返答するのに戸惑った。どういうつもりだ、彼女自身が聞きたいくらいであった。そう、私は一体どういうつもりなのだ……。  口の中がすっかり乾ききり心臓の鼓動が耳を打つ。全身から気色の悪い汗が滲み出て手足は細かく震えている。視覚と聴覚が辛うじて正常なのはそれが〈バイバルス〉の静電差エンジンの制御に向けられているからであり、そうでなければ今頃は……。 「処分は帰還後だ! この腕をどけろ!」  再びジャンジュの声が響き、上部正面視界の〈マシュハド〉が彼女の、〈バイバルス〉の腕を振り解こうとした。フォンの視覚域では〈マシュハド〉の腕の瞬秒後の予測地点を示す黄線画像が現状視界に重なり、中央の深緑円に沿って数列が表示された。円に内接した正方形が半回転し〈マシュハド〉の現状・黄線画像二つの右腕の中央へ新たな正方形が出現、半回転した正方形との頂点を同色の線が結ぶ。側頭部から高音の非常警報が聞こえ―― 「どけません!」  それは意思とは関係なく発せられた言葉のように彼女自身には感じられた。機体が僅かに揺れ、〈バイバルス〉が〈マシュハド〉の挙動を押え込んだ事を彼女に知らせる。震える顎が音を立てる。歯がぶつかる小さな音が頭蓋を通して聞こえる事で、彼女は自分が恐怖を抱いていると気付いた。小さな手は汗まみれだが、それでもしっかりと操演桿を握り続けていた。何が、何が起きて、自分は一体どうするつもりなのだ。同じ言葉がくり返しくり返し頭を過ぎる。  突然視界に細かい目盛りの印された薄青の三次元十字が重なり、それに伴い新たな画面が二つ左隅に開く。未作動の筈の多次元照準装置が彼女の、今は〈バイバルス〉に直結されて外景を投影している、瞳に回路を開放したのだ。フォンは驚いたが、装置が彼女の意志とは関係なく動く事など決してあり得ないのだ。そして、左隅の全武装管制画面と戦術検討・選択画面、中央の立体照準は〈バイバルス〉とフォンが攻撃態勢≠取りつつあり、つまり二人が〈マシュハド〉を敵≠ニ識別している事を暗黙のうちに語る。 「せ、戦闘の許可は、オブジェの市街地使用許可は、下っていません!」  今度は何とか自身の言葉が出た。〈マシュハド〉からの返答はなく、しかし彼が動きそうな気配は消えた、気がした。背面視界を通常下方に切り替え彼女が救った人々を拡大する。そうか! ……私は、彼らを助けようとしていたのだ。何もかもをほぼ無意識でこなしていたフォンは自身の取った行動を理解した。  下方視界では相変わらず〈剣侠ハイデス〉が剣を構え、彼の後ろではアンナベルク家の次女が満面の笑みで石ころでお手玉をしている。どうやら二人共無事な……。 「あ、れ?」  思わず声に出して呟いた。何かがおかしい、そう感じた。……足りない? ……。  全く前触れなく、耳を劈(つんざ)く破裂音と空挺降下の数十倍の衝撃がフォンの体躯を貫いた。体中の骨が砕けるような激痛が襲い、事実何本かは粉々になっていた。操座前壁にしたたか顔面を打ちつけ額が割れ、滝のような血流が吹き出し操座内壁と薄手の戦闘服を黒く染め上げる。眼球は両方共潰れてしまったらしく殆ど真っ黒になった視界の僅かに生き残った部分の全機能停止・再起動不可≠フ文字を漸く読み取った。耳は全く聞こえない。砕けた肋骨が肺や内臓を貫き破裂させたらしく、口から血の泡が後から後から這い出してくる。  操座を埋め尽くしていた数々の装置群は真っ赤な瓦礫の山と化し、座席の背もたれが上部を覆い通常は正面である筈の方向に重力を感じる。どうやら〈バイバルス〉は前のめりに倒れているらしい。立体照準の欠片が完全に消滅し数列は判読不能な図形になっていた。脊髄の腰の付け根と肩甲骨の辺りが砕け、頚骨も折れたらしく頭を動かせない。赤黒い塊が口から吐き出された。意識と体は完全に隔離されもはや痛みは感じなかった。  何が起きたかさっぱり解らなかったが、どうやら自分が重傷を負い、程なく死ぬであろう事を彼女は実感していた。薄れて行く意識の中を先だっての疑念がよぎる。そうだ、一体何が足りなかったのだろう。……何が? ……違う! 誰が! そう、あの場には確かもう一人いた筈だ。確か……、確か……。 「――もしもーし、聞こえるかーい? ……おーい」  ……声が、聞こえた、いや、響いた。フォンの頭の中に直接その声は響いていた。静電差エンジンからの回線が生きているのだろうか。〈バイバルス〉を通して直接頭蓋を震わして聞こえる声には覚えがなかった。 「ああ、そっか。聞こえても返事が出来ないんじゃ意味がない、って事か。ちょっと待って――」  フォンの視覚が周辺部分から中央へ向け徐々に鮮明になっていった。天蓋が外されており高く上った太陽の光と逆光で真っ黒な人影がそこにあった。いや、おかしい。確か〈バイバルス〉は前のめりに倒れた筈だ。なのに、どうして太陽が……。……しかし、一体誰だろう? 意識は未だに霞がかっている。 「――よし、と。大丈夫? ……な訳ないか。とりあえずは彼≠フ生体維持機能を拝借してるけど、本格的な治療が必要なのは、言うまでも無いか。すぐにでも医者に運びたいところだけど、その前に、一仕事をば……。あいつを片付けないと、ね」  大きな雲が太陽光を遮ったおかげで、フォンはその女の顔を見る事が出来た。黒髪を短く切り揃えた二十代前半の小柄な女は、指先の露出する皮手袋をはめた手で操座側壁の装置をいじっている。お気に入りの玩具で遊ぶ小さな子供のようにその顔は実に楽しげであった。小ぶりな鼻や口に比べ、くっきりと大きく、そしてとても澄んだ黒い瞳。くりくりと動くまるで小猫のようなその瞳は、その時の不鮮明な情景の中にあってそれだけは鮮明にフォンの脳裏に刻まれた。  その日の彼女の記憶は、ここで唐突に終わる。  その猫目の女が〈剣侠ハイデス〉と一緒にいた人物と同一だった事に思い当たったのは、二ヶ月間の昏睡状態から奇跡的に意識を回復し、その後丹念な療養期間を更に半年費やし、彼女の復帰を祝う同僚や両親にもみくちゃにされてからであった。  フォンは事件後、ラッツ・メイアー軍曹から今回の任務の経過報告書を入手する事が出来た。 「……ボーソー、……ジコ?」  閲覧自由の報告書の写しをラッツ軍曹に手渡されたフォンは、寝台の上でしきりに首を傾げる。彼女は現在、自宅で静養中である。作戦経過報告書の内容は前後の状況から判断する限りでは事実のようであったが、彼女のかすかな記憶とは僅かにずれを生じていた。 『――機師ジャンジュ・キャビアン大佐以下三名は、治安維持機関〈ネオテニー〉東部方面軍政務大臣ミゼール・ラッダイトの要請で特級要人ニフェ・アンナベルク捜索任務に就任、首都商業区へ出動した。 ――中略――  要人確保の際、作戦任務に同行した東部方面軍所属機師フォン・ハウサ少尉の搭乗するエンフィールド製彫機(ちょうき)〈バイバルス〉の機体制御器官、静電差エンジンの故障による統制出力低下現象が発生、搭乗機師の操演制御を一時的に拒絶、暴走状態となる。作戦続行と周辺民間人の安全を憂慮し機師ジャンジュ・キャビアン大佐は作戦責任者に付与される権限で甲種警戒宣言≠発令、彫機〈マシュハド〉による暴走機体の静電差エンジン完全停止を遂行した。  彫機〈バイバルス〉は甚大(じんだい)な損傷により廃棄処分が決定され、分離された静電差エンジン故障原因の解明は技術団により現在も続行中。暴走機体停止に際し重傷を負った機師フォン・ハウサ少尉は一命を取りとめ――』  捏造された書類である事は一目瞭然であったが、この内容であればフォンが何らかの責任を追及される事も無く、関係者全員にとっても最良なのであろう。しかしフォンは胸が締め付けられる思いだった。〈バイバルス〉は彼女のかけがえのない仲間であり友だったのだ。もはや体の一部とまで感じていた〈バイバルス〉は彼の主の保身の為、只一人責任を被せられ、葬られた。  機師はその全てをオブジェに預け、オブジェもまた全てを機師に託す。フォンは自らが機師として決して失ってはならないものを、たとえその命に代えてでも守り貫き通さなければならない誇りや絆を、我が身可愛さに放り捨ててしまった、そう感じ、引き止める仲間を振り払って除隊した。  報告書にはフォンが出会った〈剣侠ハイデス〉らしき老剣師や猫目の女については一切触れられていなかった。彼らは存在しなかった℃魔ノなっているそうである。当初の任務である要人ことニフェ・アンナベルク捜索任務のその後については機密扱いで詳細を聞き出すに至らなかったが、フォンは存在しない二人の手により作戦が失敗したような気がしていた。理由は特になかったが、そうであれば良いのに、そう思っていた。上官であるジャンジュ・キャビアンとは彼の遠征任務とやらの為、結局顔を合わせる事は無かった。  自室の窓枠に肘を突き、小さな雲の欠片があるだけの抜けるような春空を眺め、フォン・ハウサは存在しない二人の事を考える。近頃はあの一年前の不可思議な事件を、それほど奇妙とは感じなかった。剣師ハイデス・ルキアノスはあの不幸な少女ニフェ・アンナベルクの中に、彼にしか見えない光≠見出しそれに対して忠誠を誓ったのではないだろうか、そう思ったからだ。  剣師や機師はその身に独自の真理≠持つ。時には誇りであり時には正義であり、また私益や野望である事も。それらは各人各様異なってはいても、それでも真理なのである。そして機師や剣師の忠誠とは彼らの真理を実践する行動に他ならない。彼らは自分であり続ける為≠ノ忠誠を誓い彼らの主に仕えるのだ。 〈剣侠ハイデス〉は「我が剣は、斬るものを選びはせん!」、そう叫んでいた。彼がオブジェを前にその剣を収めれば、主に危機が訪れる。手にした剣ではその危機を回避出来ない事はきっと当人が一番理解していたに違いない。だが、彼は退かなかった。  無駄死にではないだろうか、フォンは考えたが直ぐに首を振る。ハイデスが彼の主である少女ニフェを見捨てて逃げれば命は助かる、が、剣師の真理は消滅するに違いない。たとえ斬り付けるべき相手でも場合によっては剣を収める、そんなものは真理ではなく、だからこそ「斬るものを選ばない」のだろう。 「私には、もう無いのかな」  声に出しても返事はない。フォンは胸に大きな穴が空いているようなそんな居心地の悪さを感じ胸に手を当ててみるが、勿論穴など無く古傷が疼くだけだった。  もう一人については、先の老剣師ほど明快な解釈は出来なかった。あの猫目の女が自分の命を救ってくれた事は間違い無さそうだが、それだけではない筈、フォンはそう確信していた。あの女の表情や態度、そして「あいつを片付ける」という発言がフォンに何かとんでもない事≠やったに違いないと感じさせていた。  母親が昼食を運んできて、フォンの回想は中断された。  同日同時刻、エンフィールド南端にある〈ネオテニー〉オブジェ整備施設の若い技構師は、混乱していた。施設内では二体のオブジェが整備用足場に囲まれており技術者が走り回っている。そこには装甲を殆ど除去され原形を留めないほどに分解されたフォン・ハウサのオブジェ〈バイバルス〉の姿があり、その直ぐ隣には別のオブジェの上半身と下半身が別々に置かれていた。  オブジェの上半身部分の両肩にはかつての主の趣味らしい丁寧な徽章(きしょう)が描かれている。若い技構師は身の丈ほどもある色褪せた徽章、真紅の交叉鉄槌≠睨みながら独り言を吐く。 「……エンジンの止まったオブジェが動いたってだけでも驚きなのに、あいつときたら……、桁違いの性能差のあるオブジェを素手で、片手で真っ二つとは……。仕様書を見る限り、……そんなこたぁ不可能≠ネ筈なんだけどなぁ……」 《一〇四二年T》  ガイアナ連邦領の南東端、エンフィールド工業都市共和国の西に位置する広大なバルル湿地帯は、大陸全土に周到に張り巡らされた商業陸路や軍事主要航空路網からことごとく敬遠されていた。赤道直下独特の高湿気候は原生動植物の揺り篭ではあっても、人や、彼らの手によるさまざまな技術成果には、耐え難き不安因子でしかなく、その為バルル湿地帯は大陸中央という流通上の好条件にも関わらず長らく人跡未踏の、陸の孤島と化していた。  煌びやかな警戒色で己を飾り立てた野鳥の群れが、進化から逃れた両性魚類に向けられた包囲網を徐々に狭めて行く。ぬかるんだ大地から屹立する水棲樹木は、野鳥をいさめるかの如くその腕を虚空にかざし、足元に集う下草への陽光を柔らかく遮る。湿った密林に時折こだまする遠吠えは、獰猛な野獣と、彼らの餌だと運命付けられたか弱い哺乳動物達の悲痛な混声合唱である。  自然の摂理が全てを支配する、厳しくも正常な世界、バルル湿地帯はガイアナ大陸でも数少ない楽園であり、その平穏は未来永劫約束されているかのようだった。それゆえ、湿地帯の住人達の頭上に突如出現した錆色の大地は、彼らはもとより楽園そのものを大いに驚嘆させた。  当然、その圧倒的火力を喉元に突きつけられたガイアナ連邦諸氏とて同じくである。湿地帯に巨大な影を落とすエンフィールド工業都市共和国、秘密警察機構〈ネオテニー〉所属の拠点制圧兵器〈ベルンシュタイン〉。浮沈要塞の異名を持つ〈ベルンシュタイン〉の艦長オッフェンバックは、バルル湿地帯に座することにより、ガイアナ大陸全土・全国家を弾道砲〈イーゴリ〉の射程に収めたのだった。  オッフェンバックにより発せられた〈ネオテニー〉の宣戦布告は、対象がガイアナ大陸そのものという、常軌を逸した、或いは子供じみたものだった。にも関わらずガイアナ連邦以下全ての国家は、それを一笑に伏すことが出来なかった。彼の発言がたとえ冗談か狂人の世迷言だとしても、彼の意志を具現化するに充分な脅威を秘めた弾道砲〈イーゴリ〉は、紛れも無く実在するのだから。 〈シュバルツローゼ神式〉の手により切り刻まれ、眼下を埋め尽くす湿地帯に叩き落とされたオブジェは既に七十を超え、リシェリー・ユイットの早鐘と化した心臓は今にも彼女の口から飛び出しそうだった。  アーマライト装甲を襲う物理衝撃と静電差エンジンからの止めど無い反動が、リシェの脳髄を容赦無く殴り付け、彼女の意識は半刻ほど前から虫の息である。ガイアナ連邦軍〈ヴィクトリアス〉大佐を示す階級章を縫い付けた薄手の戦闘服は、リシェの生ぬるい汗を限界まで含み、襟元から足首まで黒く染め上げられている。 「リシェリー! 八時方向、仰角二度! 二体がそちらに行ったわ!」  朦朧とした頭に、それだけはくっきりとした音声が渡る。 「……了解、しました!」  サフィール・アハト・ユークの、年相応の冷静さを持った無線に応答し、リシェは顔半分を覆う立体照準の下で両目をこらした。その不自然なほどの聴覚と視覚の鮮明さは、彼女の意識とは機械的に分離された、〈シュバルツローゼ神式〉によるものである。視覚域で徐々に大きさを増す異国のオブジェに立体照準が補助画像を重ね、相対距離、兵装、到達予測座標などを示す数列を次々と吐き出して行く。 「抵抗は無駄です! 速やかに武装解除に応じ――」  リシェリー・ユイットの発する共用通信に向けられた勧告を無視し、〈殄滅師リシェ〉は操演棹を引いた。陽光に照らされぎらつく戦斧を振りかざしたオブジェは既に〈シュバルツローゼ神式〉の目の前である。 「――投降しなさい!」  とリシェは叫び、それは風を切る甲鉄刀に両断された二体のオブジェと、二人の異国機師への餞(はなむけ)となった。不規則に回転し湿地帯に吸い込まれる残骸を見詰め、リシェは数十回目の深いため息を吐く。 「もう、よしましょうよ……」  リシェの囁きは、それを向けられた男には届かなかった。だがたとえ届いたとしても、彼は一切耳を貸さないだろう。立体照準に映る錆色の大地、浮沈要塞〈ベルンシュタイン〉は、リシェに対し無言でそう教えた。 《一〇四二年U》 「――ふん。オブジェが、機師が世界を救うとでも、救えるとでも云うか」  静かでいてそれは、オッフェンバックの断末の咆哮に違いなかった。喘ぐような、掻き毟るような、磨り潰されたその声は艦橋の傾いだ床で跳ね、彼の周囲を満たす人工の静寂に相殺された。 「貴様ら機師どもに、出来損ないに我々人間の歩みを指図されるいわれはない」  耳を貸すものはもはや彼の周囲には生存せず、彼とてそれを充分すぎるほど理解していた。彼の言葉は部下達への鎮魂歌などではない。憎悪の矛先はただ一つ、ひび割れた硝子窓の外でオッフェンバックのぎらつく視線を避けるかの如く飛び回る、泣き妖精である。緑色の電離推進の軌跡を残しつつ滑空するその様は、何もかもを失おうとしている彼を嘲ているようにも見える。  反体制民間組織〈ルイ・ル・ノエシス〉の最後の一手=A機師ルジチカ・シュナイドルの駆るオブジェ〈エコー〉は、オッフェンバックと、そして〈ネオテニー〉の文字通り全てをなぎ倒し、粉々に砕いたのだ。紺碧に滞空する巨塊とそれを取り巻く無数の空挺オブジェ。彼は、死肉に集る蝿を連想した。死肉たる彼を窺う〈ルイ・ル・ノエシス〉と〈ヴィクトリアス〉、忌々しい〈碧瑠璃のサファイア〉〈殄滅師リシェ〉。要するに、濁った瞳に映る全ての存在が彼の所業を遮ったのだ。  欠けるほどに奥歯を噛み締めたオッフェンバックの足元を、一際激しい振動が流れた。推進部は云うに及ばず、至る所から黒煙を上げ、金属片を撒き散らしながら〈ベルンシュタイン〉は徐々にその高度を落としていた。だが恐らく、その巨体は大地に突き刺さるより先に爆砕し、幾つもの瓦礫の山と化すであろう。  そうなるよう慎重に破壊したのだからもはや身じろぎすら出来ない筈だ、不沈要塞をそこまで追い込んだ〈エコー〉とルジチカはそう確信しているのか、先刻の襲撃以降、沈黙を保っている。だがそんなルジチカの判断をよそに、終局が目前に迫った不沈要塞〈ベルンシュタイン〉は、生き残った四門の砲を喘ぐように旋回させた。基部が金属的な軋りを上げ、震える。 「何だ、こいつ。今更、何をするつもり――」  砲の動きを察知した〈エコー〉から、勝利を半ば確信していたサフィール・アハト・ユークの〈ノエシス〉へと映像が伝送される。サフィールが、光景とその意味を結び付けるのとほぼ同時に、二対の真っ黒な両眼は大陸の北と、東の果てを睨みつけた。そして、彼女が「あっ」と声を上げた直後、戦闘空域全体を揺さぶる爆音が轟いた。「まずは滅び、後に再生。これこそが救済なのだよ」  最後の最後で不沈要塞は、持てる力の全てに等しい弾道砲〈イーゴリ〉を放ったのだった。〈エコー〉〈ノエシス〉の眼前で輝いた炎の塊は灰色の筋と残響を青天に刻み、一瞬にして彼方へ走り去った。 「き、軌道計算! 急げ!」  狼狽を剥ぎ取り、声を吐ききるより早く数列がルジチカの視界に伝送された。だが確かめるまでもない。灼熱の災厄は、大陸の東端、王政区ダルトアと、そしてガイアナ連邦本部へ向け飛び立ったのだ。それもご丁寧に、それぞれに対し二つずつ。 「なんて愚かな……」  サフィールは面々の嘆きを代弁するかのごとく、静かに悲鳴を上げる。 「着弾まで……約三分!」  と鼓膜が震えた。連邦機師リシェリー・ユイットの部下、ノウェム・ラドクリフの声だったが、彼のオブジェ〈ルブルック〉は視界には無い。彼らしい静かな調子のようでしかし、焦燥を理性でねじ伏せた、そんな風にもサフィールには聞こえた。或いは遠距離通信による劣化かもしれない。リシェの声は無かった。溜め息すら微塵も聞こえず、余計に気に掛かる。王政区ダルトア、そこには連邦庇護下の善良な市民と、そして、リシェリーの家族がいる筈だ。筈、いや、間違い無い。そうだと彼女がサフィールに漏らしたのは、昨夜である。 〈イーゴリ〉発砲の反動により急激に傾いた艦橋で、オッフェンバックは満足げに頷いた。安堵の表情で深く腰掛ける彼の手には共用通信の端末が握られている。芝居掛かった仕種で端末を口元に上げ、空中で静止した〈エコー〉を睨む。 「……聞こえるな? 愚かなる機師よ。貧困、差別、我々人類の歪みは全て増え過ぎた人口によるものなのだ。間引きなのだよ、これは。環境淘汰を拒絶し、天敵を駆逐してしまった愚かな我々自身による。何故邪魔をする? 人間ではない貴様ら機師が――」 「この! 大間抜けがぁ!」  ルジチカの憤怒が軸策バスから静電差エンジンへ駆け抜けた。〈エコー〉は不沈要塞〈ベルンシュタイン〉との距離を一瞬にして詰め、艦橋で無線端末を握るオッフェンバックの眼前に躍り出た。 「人間はなぁ! 共食いするほど落ちぶれちゃいないんだ!」 〈エコー〉の掌が艦橋前部の展望窓を鷲掴みにし、捻じ曲がった鉄材と硝子片がオッフェンバックに降り注いだ。 「何が間引きだ! 淘汰されるのは――」  泣き妖精の右手が風を切って振りかぶられ、 「――貴様一人で充分だ!」  叩き付けられた拳により〈ベルンシュタイン〉艦橋は盛大に爆ぜ、人類を憂いたオッフェンバックは血肉となって四散した。  ガイアナ連邦本部の南、セエーヴェル地方のナバラ市の外れ。瀟洒な建築物の居並ぶこの街で、その石積みの塔は致命的に古びており、装飾が殆ど無いにも関わらず随分と目立っていた。時代に取り残された、そんな形容はこの塔の為に存在するのだろう。  単なる物見塔でしかないその建造物が、それ以上進行しようもないほどの老朽具合にも関わらず、どうして今の今迄残っていたのか、知るものはいない。それもそのはず、理由などないのだ。取り壊しを面倒がったナバラ市民の怠慢がその石塔を存続させたに過ぎない。  だが、同じくナバラ市民であるドゥーシーは、苔生す石塔の頂上に据えられた展望台へ辿り着くと、その眺望に満足し、足元の建造物に感謝した。 「アル様ぁ! わたくし、何時までも、ずっとずっとずーっと、待ってますわよ! だから必ず帰ってきて下さい!」  置いてきぼりを食らったドゥーシーは、聞こえないのは承知で〈ハイナイン〉目掛け、アルブレド・クラインゲルトに向けて叫んだ。 〈ネオテニー〉への総力戦配備により無防備となったガイアナ連邦本部へ迫る〈ベルンシュタイン〉の弾道砲弾。これに敢然と立ちはだかったのは、千年余りの眠りから目醒めた機師、アルブレド・クラインゲルトと金色(こんじき)の勇者〈ハイナイン〉だった。 「……たったの二つか……他愛ないな」 《一〇四三年》  ガイアナ連邦暦一〇四三年、王政区ダルトアの東端、いつもならひとけの無い岬で、数人の男女と一体のオブジェが、凍てつく様な潮風に晒されていた。その中の一人、反連邦組織〈ルイ・ル・ノエシス〉のかつての指揮者、女性機師サフィール・アハト・ユーク、またの名を〈碧瑠璃のサファイア〉は、くしゃくしゃになった煙草に火を付けながら、暗雲垂れ込める空を、屹立するオブジェを見上げ、誰にともなく呟く。 「……これで良かったのか? 本当に……」  呟きに応えるかの如く、大きな波が岸壁に打ちつけられる。岬を見下ろすように立つオブジェには、それを取り囲むように足場が組まれており、そこでは先ほどから全身を油まみれにした少女が、一心不乱に作業を続けていた。 「良いも悪いも無いんじゃないか? 第一あれは、元々譲ちゃんの師匠の、アドホッグ老のオブジェだ。譲ちゃんはあれをアドホッグ老に託されたんだから……」  連邦正規軍〈ヴィクトリアス〉の機師ヨアキム・グロースの言葉を打ち消すように、足場の上の少女が大声で作業の完了を告げた。 「こうする事で、忘れられるのなら……、そう思いたいですね」 「……ええ。……僕達は、彼女に何もしてあげられませんから」  ヨアキムの上官、〈ヴィクトリアス〉の隊長リシェリー・ユイットと機師ノウェム・ラドクリフ、二人のやりきれない表情を、足場の上の少女が捉えて放さない。 「……さよなら、〈エコー〉……。ルジチカをよろしくね……」  エンフィールド工業都市共和国の治安維持機関、秘密警察〈ネオテニー〉の連邦正規軍をも巻き込んだ三年に及ぶ大規模な政権奪取紛争『ネオテニー内乱』、後の『ガイアナ大戦』は、〈ルイ・ル・ノエシス〉の〈碧瑠璃のサファイア〉と〈ヴィクトリアス〉の〈殄滅師リシェ〉、そして準技構師フリアエ・ワクスマンと、彼に仕えた機師ルジチカ・シュナイドルの駆るオブジェ〈エコー〉により鎮圧された。 〈ネオテニー〉総司令ハロアール・クワント伯爵の野望の犠牲となった、希代の名機師ルジチカ。彼の主である少女フリアエにとって、そしてガイアナ大陸にとってさえも、それはあまりに大きかった。天才技構師アドホッグの作り上げた超性能オブジェ〈エコー〉、そのあまりに驚異的な能力はネオテニーの野望と共に機師ルジチカの命をも打ち砕いたのだった。  暗い大空を一筋の閃光が貫く。王政区ダルトアの東端から打ち出された閃光は、爆音を響かせながら遥か高く、少女の悲しい思い出を乗せ、暗黒の宇宙へと消えていった。 《一〇五四年》  国中にこの時期特有の、海洋からの強烈な季節風が渦巻き、今にも降り出しそうな天空が覆うその肌寒い日は、フリアエ・ワクスマンの、短い技構師人生のうちでも特に印象的であったと、彼女自身が密かに書き溜めた、十二冊にもなるとても丁寧な日記に綴ってあった。フリアエの生涯を通じての最初の、そして恐らく唯一の友人、連邦正規軍機師リシェリー・ユイットが、三十歳半ばに差し掛かり軍務を離れ、オブジェを降りて暫くして、そう私に教えてくれた。  言わずもがな、フリアエにとって特別の意味を持つのであれば、リシェや、彼女のかつての忠実なる両腕、ヨアキム・グロースとノウェム・ラドクリフにとっても、何より私にとっても、その日は前後の平凡な日常とは違う、良くも悪くも、特別な意味を内包していたのであろう。ただ、それでも、その後の数え切れない死を紡ぎ出した忌々しい混乱に比べれば、少なくとも私には、平穏で退屈な一日であった。  或いは、連邦暦一〇三九年、人馬の月の最後の日を他とは違うと感じるのは、その年、ようやく十四歳を迎えたばかりの準技構師フリアエ・ワクスマンと、彼女より十四年近く人生を使い果たした後、ようやくにして大陸辺境からその街に漂着した機師、ルジチカ・シュナイドルの二人だけなのかもしれない。当然それは推測でしかなく、しかし私は、当人達に確認する為に墓地を掘り返したり、暗洋(あんよう)(宇宙の意)へ飛び出すほど愚かでもなく、そして若くも―― 「サフィール様、そろそろ御休みになりませんと……」  筆を止め振り返ると、モーレスがいつもと変わらぬ控えめさで、戸口からこちらを窺っていた。彼の痩せた体躯と撫でつけた白髪は、仕立ての良い上品な服装にそぐい、筋の通った高い鼻と鋭い眼光は、隠そうとしても滲み出してしまう高貴さを際立たせている。 「……彼は、もう寝たのかしら?」  聞きながらも、サフィールの脳裏には彼女の良夫の姿ではなく、過去の断片が、相も変わらずよぎっていた。そこには眼前のモーレスという名の、彼女の執事の若かりし頃や、彼女にその命を惜しみなく捧げ、散っていった同胞達、そして彼ら〈ルイ・ル・ノエシス〉の理想と団結の象徴であるオブジェ〈碧瑠璃のノエシス〉をまとった機師、背中まである黒髪をなびかせる、二十六歳のサフィール・アハト・ユークの姿があった。 「構わないから貴方も先に休んで……、ねえ、モーレス……」 「……はい」  返事を一つ、背を向けたモーレスにサフィールは、思い付いたばかりといった調子で声を掛けた。それは、彼が姿を見せた瞬間に彼女の頭に浮かんでいたのだが……。 「……何か?」  再び体を向けモーレスは目を閉じ、低く静かな返事を彼の主人に返した。薄暗い書斎は耳が痛むほどの静寂で満たされ、開け放たれた窓から冷えた外気が、窓際のサフィールの脇を摺り抜け書斎に目掛け進入してくる。 「……私達は、……いえ、私は、何処で間違えたのかしら。……何を間違えたのかしら。自らが正義だなんて考えた事は一度だって無かった。だからといって、代償と言うには、ルジチカは、……彼を失ったのはあまりにも……」  それは明らかに、自身に対して向けられた言葉であった。年月を積むうちにサフィールの疑念は、確信に変わっていた。自らに対する憎悪であり、また、軽蔑である。モーレスは暫く思案し、彼なりにその場に相応しいと思われる考えに行き着き、言葉にした。 「選択は一切存在せず、我々の歩むべき道は常にただ一つ。結果が全てであり、またあらゆる結果は余す事無く、正しい、……あなたの言葉です。信じたからこそ私達は〈ルイ・ル・ノエシス(唯一無二なる真理)〉の旗に集ったのですよ。……御休みなさいませ」  モーレスが自室の扉を閉める音が微かに聞こえた頃、サフィールは声に出さず呟いた。 「自分に問い正される、……何時まで経っても私は独りか」  漆黒の夜空の一点を見詰めるサフィールの瞳には、三日月や星の瞬き以外の、彼女以外には決して見えない何か≠ェ映っていた。 《三九六九年》  繁栄を極めた人類の、そしてオブジェの技術の進歩。地上の支配者の如き人類の振る舞いはしかし、永遠にも似たガイアナ大陸史にとっては僅か一瞬の出来事でしかない。  人類の力であり、また、友でもあるオブジェの寿命が尽きる、想像すら出来なかった事態、それは即ち人類という種の寿命、それと等しかった。しかし、強大な力を失う事で、再び人類は一つになろうとしている。……ただ、あまりに遅すぎた……。  密かに機会を窺っていた者は、地上は言うに及ばず、遥か宇宙の彼方にまで存在していた。機は熟し、人類はその歴史において最も激しい戦いを、あまりに頼りない力で迎えつつあった。  人類という種の根絶を望むもの、自らの道具として支配しようとするもの、その行動原理は様々だが、結果は人類にとっては大差無い。勝機は、……皆無。滅びこそ宇宙の摂理、広大な銀河の片隅で、ほんの小さな存在が今まさに消えようとしている。抗えぬ大きな流れ、運命である。  ……だからこそ、何者も逆らえないからこそ、再び現れたのだろう。どれほど巨大で悠大な流れ、受け入れるべき運命であろうとも、押し付けられるのはまっぴら御免、そんな宇宙一の自己中心我がまま女〈猫目のディージェイ〉が。  ありとあらゆる生き物が平等で平和な世界、人はそれを求めて止まない。ある時代、各地で自らの教義を説く男がいた。彼は「共存平和」を達成するべく思想活動を続ける。懸命な彼に興味を持ったのか人にあらぬ者≠ェ語り掛けてきた。 「人間、君は面白い事を言う。皆が平等な世界とは一体何だ? 牧童と羊、漁師と魚、獲物と餌が平等な世界で君は生きて行けるのか?」  言葉に詰まる男に対し彼は続ける。 「君は人間だろ? 人間なら人間らしく、人間の利益だけを望めば良いんだよ。皆が自らの幸福のみを追求する、私はそれが一番自然だと思うがね……」  オブジェの構成要素、ストロマトライトは惑星地殻深部に鉱物、または溶融鉱物として存在していた。しかし、骨格である希少元素メテニウムは自然界には一切存在せず、また、人為的生成も不可能で、それは常に隆起断層から化石(石化では無く、生物の遺骸の意)として発掘された。発掘されたメテニウム骨格に、精練したストロマトライト合金を被覆し、アーマライト甲鉄で更に覆い、粒子静電差現象の場≠形成する、これが広義のオブジェ、機械騎士の姿である。  静電差エンジンと関連器官を搭載する事で、粒子静電差現象を人間の統御下に置く事が可能となる。その無限の空間相互転化力、恒星に匹敵するエネルギーはオブジェを最強≠ノ変え、人類を無敵≠ノ変えた。  メテニウム骨格の発掘量は、連邦暦元年『ガイアナ聖戦』以降減少傾向に転じ、連邦暦千五百年代、ついに零となる。連邦の、そして地上最後のオブジェは泣き妖精≠アと〈エコー〉であった。ガイアナ連邦は、旧世代のオブジェを繰り返し整備・調整し使用していた。だが、技術進歩により月(衛星フォコン)へ移住した者達は無数のメテニウム骨格を、地殻より発見・発掘したのである。  そして、第二の人類文明、〈グリス・グロス〉が誕生した。 《三九九二年》  ガイアナ連邦暦三九九二年、弱体化した連邦軍の殲滅(せんめつ)を策謀する反体制勢力〈グリス・グロス〉の、二十年に及ぶ母星制圧作戦は最終段階を迎えつつあった。  同年初頭、惑星ガイアナの衛星、移住星〈フォコン〉に本拠地を置く〈グリス・グロス〉の降下部隊は、ガイアナ連邦軍のオブジェ大隊防衛網を撃破し、遂に宇宙規模の制空権を完全に支配したのだった。 〈グリス・グロス〉の技術力は、本来自然発生でしか手に出来ない、知性鉱物ストロマトライトからなる生物兵器オブジェを自らの手で生み出すまでに進歩し、また、その制御者である奇形人類、機師をも研究室で作り出した。  それら人工的なオブジェや機師の能力は、連邦軍のそれとは比べ物にならず、連邦軍の切り札、八十機のオブジェからなる圏外防衛網主力精鋭部隊〈ヴィクトリアス〉は、部隊長〈殄滅師(てんめつし)アリス〉ことアリシェラ・バナレットと彼女のオブジェ〈ローゼーン〉を残し、全滅した。〈グリス・グロス〉の発掘したオブジェの一つ、〈ハイナイン〉ただ一機により……。  衛星フォコンと、その母星ガイアナの引力域中間点での戦闘、『第八次圏外紛争・静止戦』の〈ヴィクトリアス〉敗戦の際、連邦軍唯一の真機師(純血の機師)アリスは、大破した〈ローゼーン〉と共に母星に落下、その後消息を絶つ。 〈グリス・グロス〉からの、連邦軍への最後通告は次の年、連邦暦三九九三年に、共用通信回線を通して惑星全土に発信された。同組織の母星制圧兵器、規格外オブジェ〈ワンデルク〉による『惑星浄化計画』は、連邦軍はもとより、惑星ガイアナ全土を震撼させた。  長期間にわたる〈グリス・グロス〉との衝突により、既に連邦軍には部隊を編制出来る数のオブジェも機師も、また、新たにオブジェを生み出す技術すら、当の昔に失っていた。ガイアナ連邦軍は〈グリス・グロス〉に対し無条件降伏を告げた。にもかかわらず、事態に全くに変化は訪れなかった……。 〈グリス・グロス〉の『惑星浄化計画』とは、彼ら独自の優生学に基づき、人類を次なる段階へ導く為の計画の第一歩である。優生種のみで人類を構成し新たな社会秩序を構築する、その舞台が母星ガイアナであり、不要因子である惑星上の現存人種は全て抹消するのである。圧倒的な勢力差のある連邦軍が降伏しようが反抗しようが、彼ら〈グリス・グロス〉の計画には微塵も影響を与えないのだ。  ガイアナ連邦軍は事実上解体し、惑星ガイアナを、人類を、惑星浄化と称する殺戮(さつりく)劇から救えるものは唯の一つも無かった、……地上上には。 《三九九四年T》 「馬鹿じゃないの? 連邦軍でさえあの、ていたらくよ? あんたらに何が出来るってのよ! どうせ死ぬからって、進んで墓穴を掘る事は無いんじゃあない?」  ガイアナ連邦暦三九九四年、私設軍隊〈ファー・レイリー〉北部基地の面々は、既に十四時間にも及ぶ作戦会議で心身ともにへとへとになっていた。 「さっきからなんだよ! あんたには関係ないだろ! 俺達はそうする為に集まってんだよ! 外野にとやかく言われる筋合いはない!」 「旧世代のオブジェ数十体で、よくもまあ軍隊なんて名乗れるわね。勝てない戦争やるような奴は……」  先程から人一倍大声を上げている少女は、作戦室の面々を一瞥すると一息つき……。 「馬鹿! 単なる馬鹿よ!」  そう怒鳴り、腰掛けた。なおも食って掛かろうとする若い男を議長である老人が制し、静かに語る。 「アリスさん、だったかな? 貴方の言いたい事も解らないではない。だが、何もせずに死ぬ事を選べるほど我々は、そして他の人々も潔くはないんじゃ。生きる為にあがく事を貴方が愚かと言うのなら、地上の人間はどうすれば良い? 滅びを素直に受け入れる事など、私達のような凡人には無理じゃよ……」  ガイアナ連邦軍が無条件降伏を告げた年、〈グリス・グロス〉の脅威に立ち向かう軍隊は消滅した。  しかし、連邦の全ての軍人が消えてしまった訳ではなかった。連邦を離れた一部の軍人、主にオブジェの搭乗者・機師達は、なおも〈グリス・グロス〉に対抗すべく一般市民に決起を促した。僅かではあったがそれに賛同するものが各地で現われ、遂に彼ら、私設軍隊〈ファー・レイリー〉の結成となったのだ。  規模はあまりに小さく、その活動も「焼け石に水」程度だったが、惑星ガイアナ全ての人類を守ろうとする唯一の組織、絶望と悲観が立ち込める地上を射す、一筋の光(ファー・レイリー)である。 「将軍の言う通りだ。我々は! たとえ勝てなくても戦う! 奴等にむざむざと殺されてなるものか! 我ら〈ファー・レイリー〉に栄光――」 「大馬鹿っ!」  将軍と呼ばれた老議長の言葉を継ぎ、先程から少女――アリスの罵声を一手に引き受けていた若い男が拳を高々と上げると同時に、またもやアリスが怒鳴った。いつもの決まり文句を遮られた男は、驚き呆けている。 「ったく、どうしてこうも馬鹿なのかしら? ……よーく聞きなさい。あんたら〈ファー・レイリー〉の目的は、抵抗して死ぬ事、じゃあ無いのよ。でしょ? マリヴァー?」  鋭く指を差された若い男――マリヴァー・ルキアノスは、それには応えず睨(にら)み返す。どうやらすねているらしいがアリスは構わず続ける。 「あんたら〈ファー・レイリー〉は〈グリス・グロス〉と戦う為に集まってんでしょ? 戦争する為に。良い事? ……古今東西! 負けても良い戦争なんて、一度も無いのよ、い・ち・ど・も!」 「てめぇに言われなくったって! それくらい解ってんだよ!」  傾(かし)いだ木卓を殴り付けながらマリヴァーが、席の向かい側で朗々と語るアリスを怒鳴りつけた。いくらか先程の仕返しのつもりらしい。虚をつかれたアリスは口を小さく開け、まばたきを数回、マリヴァーを見詰める。しかしその沈黙があまりに長く、何時まで経ってもマリヴァーの顔から視線を外さないので、彼も同じくアリスの顔を見詰めるしかなかった。  大人顔負けの厳しい口調をもってしても、十七歳の少女、アリスことアリシェラ・バナレットのあどけなさは消し切れない。マリヴァーは、幼さの影から女性としての美しさを覗かせるアリスを真正面からじっと見詰める。その様な事は彼女がここ〈ファー・レイリー〉北部基地にやって来てから一度も無く、それ故、彼女を女性として意識した事など、同じく一度も無かった。  言動や態度の悪さを大いに減点しても、アリスは間違いなく美人の部類に入る容貌を持っていた。マリヴァーは自分達が何について論じていたかを忘れ、ただただアリスを見詰めていた。 「……どこ見てんのよ、すけべオヤジ……」  二人の只ならぬ沈黙を破ったのはアリスの静かな、それでいて鋭い一言だった。マリヴァーは、自分が彼女の胸から腰の辺りを、鼻の下を伸ばしきった顔で食い入るように覗き込んでいる事にようやく気付き、必死に取り繕う。 「あ? え? いや、その、……。お、俺は、ただ……。そ、そう、おれはまだ二十五で、オヤジじゃ……」 「オヤジじゃないの……」  何時の間にかすり替わった論点を修正したのは、二人のやり取りを見るに見かねた老議長、〈ファー・レイリー〉北部基地の指揮者で、かつてのガイアナ連邦軍機師ウィル・ジルコン将軍だった。 「確かに、アリスさんのおっしゃる通りだ。わしらは〈グリス・グロス〉に殺される為に仲間を募った訳ではない。地上を、惑星ガイアナの人類を、きゃつらの手から救うべく結集しておるのだ、確かに。だが、それが恐らく単なる希望でしか、理想でしかない事も……また確かなんじゃ。わしらの力はあまりに脆弱で、小さい。勝たなければならない戦いではあるが、勝てない戦いでもある、……認めたくはないがね」  ジルコン将軍の言葉で漸く現実世界に帰ってきたマリヴァーとアリス、先に口を開いたのは、やはりアリスであった。 「おっほん。……これだから老い先短い人は嫌なのよね。ジルコン将軍? 勝たなければならないが勝てない戦い、なんてものは無いのよ。世界はもっと単純で、解り易いのよ。あるのは、勝利と敗北、勝者と敗者、ただそれだけなの」 「おっしゃる意味が……」 「失礼、少しばかり抽象的に過ぎたわね。つまり、戦うのなら勝てるような戦いをしなさい、そう言いたかったのよ。端から負けを前提にした戦いなんてものには、まーーーーったく、意味はないのよ」  そんな二人のやり取りに、すけべオヤジ……もとい、マリヴァーが割って入る。 「あのなぁ、そんなもんがあるならとっくにやってるさ。これだからジャリ(子供)は嫌いなんだよ……」 「ジャ、……ジャリぃー? すけべオヤジの分際で偉そうな!」  二人の視線が激しく激突し火花を散らす。 「なんにも出来ないジャリが大層な口利くんじゃねえよ。大人のやる事にいちいち横槍入れんな」 「口だけで何にも出来ないすけべオヤジが偉そうに私に説教しないでよね」 「何をっ!」 「何よ!」  作戦室の一同が呆れ果てているのにも気付かず、二人の他愛ないやり取りは続く。そんなものでも、張り詰めた緊迫感を僅かでも緩和してくれるのなら有り難い、ジルコン将軍のそんな思いを知ってか知らずか、マリヴァーとアリスの子供の口喧嘩は一向に終わる気配を見せなかった。  大陸全土の〈ファー・レイリー〉による迎撃活動は、人々に僅かな希望をもたらしてはいたが、しかし、所詮それが単なる悪あがきでしかない事もまた、人々は承知していた。次々に降下する〈グリス・グロス〉の部隊を〈ファー・レイリー〉が撃退した所で、彼らの本拠地である衛星フォコンには、かつて連邦軍を完膚なきまでに叩きのめした主力が、かつての数倍の規模にまで拡大された上で待機しているのだ。  更に、母星制圧兵器、規格外オブジェ〈ワンデルク〉の成熟は最終段階にあるという。その実体こそ不明だが、彼ら〈グリス・グロス〉が最終兵器≠ニ呼ぶそれがどれほどのものか、もはや想像すらしたくない、地上の人々の正直な思いである。 「俺達のオブジェじゃ奴等にはかなわないんだよ! 性能が違い過ぎるんだ!」  マリヴァーの何度目かの怒鳴り声が作戦室に響く。と、罵詈雑言(ばりぞうごん)の応酬はぴたりと止んだ。もはや二人の言葉など聞いていなかった面々はその突然の静寂で、一体何事かとアリスを見る。  怒りも顕わだったアリスの形相は一転笑顔に変貌、余裕の表情でマリヴァーを見据えている。左手を腰に当て、右手人差し指を自らの前でぴんと立て、左右に振る。 「チッチッチッチッ」  目を閉じたまま口を鳴らすアリス。マリヴァー、そしてジルコン将軍を含む作戦室の全員が自分に注目した事を薄目で確認し、アリスは「散歩してくるわ」と同じような軽い調子で、こう言った。 「グリグロ(グリス・グロス)のへなちょこオブジェなんて、束でかかってこようと〈シュバルツローゼ〉の前じゃジャリよ、ジャーリ」 「……シュバルツ、……ローゼ?」  作戦室の面々は合唱の如く呟いた。天窓から差し込む美しい月明かりは、そこに彼らの敵が潜む事を、暫しの間忘れさせる。  夜空の朧(おぼろ)月、移住衛星フォコンの灰色の研究室で、機師アルブレド・クラインゲルトは二度目の眠りから目醒めた。  少なからず時が過ぎた筈だったが、彼の眼下には飽きもせず以前と変わらぬ、いや、更に下らなさを増した愚行を繰り返す人々で溢れ返っていた。反吐が出そうなその光景に、アルは抱えきれない無力感、底無しの虚脱感を覚え、悲しみに伏した。 「俺達のやった事は、味わった苦労は……一体何だったんだ? キャスやミディやドゥーシーの……」  アルが、その昔、彼の一風変わった女友達がやったのと同じ方法で人々の歩むべき道を示す事を決意するのには、それ程時間は必要では無かった。アルは、もう一人の、黄金色に輝く友、オブジェ〈ハイナイン〉と、〈グリス・グロス〉のオブジェ殲滅用無人兵器〈ワンデルク〉と共に、月を飛び立つ。 〈グリス・グロス〉の母星制圧作戦『惑星浄化計画』の切り札、規格外オブジェ〈ワンデルク〉は、連邦オブジェを殲滅する為に開発された無人兵器である。〈ワンデルク〉の中枢器官には、人間の生存本能が機械的に与えられており、故に〈ワンデルク〉は簡易自我・疑似人格を持つ。連邦オブジェへの敵対行動は、疑似人格に植え込まれている恐怖からくる闘争本能の表われである。 〈ワンデルク〉の基本構造は、オブジェと同じく粒子静電差現象の産物であったが、搭乗者である機師を必要としないので、人道的判断による搭載兵装の使用制限や、搭乗者の肉体的限界から来る機動性能の制限が一切無く、その、文字通り無限の能力を最大限まで発揮出来る。  更に、重力場干渉により母星へ小惑星群を誘導・落下させる能力を持ち、楔(くさび)≠ニ呼ばれる大質量隕石による母星爆撃を行う。まさに死刑執行人(ワンデルク)である。  アルしかしは、役者や舞台は違えども、最後の一手は過去と同じく〈殄滅師〉と〈シュバルツローゼ〉の役目であろう事を、心の何処かで予感し、また、期待さえしていた。 「でもなあ、こういうのは苦手なんだよな、こういう深刻そうな事はさ……」 「ったく、もうちっと、ぬるくしてくんなきゃあ。熱いのは苦手だっていつも言ってるじゃない……」  小雪が舞い下りる冬の夜、ガイアナ大陸中南部。ウランバル盆地を見降ろす高台の粗雑な丸太小屋で、キャラウェイは木卓の向こうの態度のでかい居候を見、柔らかくくねる赤い髪を所存無さげに指でいじっていた。 「……僕はね、こっちの方が好きなんだよ。第一、冷めた紅茶じゃ体が温まらないじゃあないか」 「そりゃあ、でもさあ……、苦手、なんだから……」  キャラは白い湯気の立つ陶器盃を一口すすり、今日はやけに物分かりの良い、猫舌の居候が悪戦苦闘する様を眺め、十日前、彼女が落ちてきた%を振り返る……。  突然丸太小屋を揺さぶった地鳴りで、キャラは危うく転びそうになった。月の奴等≠ヘこんな辺境をも、連邦軍施設どころか八百屋の一軒も無い僻地をも標的にするのだろうか。  半年前、地上最後の軍事施設、大陸東方の連邦軍エンフィールド工業区が、奴等〈グリス・グロス〉が楔と呼ぶ大質量隕石によって海洋の一部に変えられた。雑音だらけの共用通信受信機で連邦の無条件降伏と共にその事を知ったキャラは、さっぱりした気分だった。所詮は負け戦なのだから、手の打ちようが無ければ諦めもつく、そう思ったのだ。 「隕石でも何でも降って来い」  小屋を出てキャラの見た光景は、彼の頭の中を雪原と同じ色に塗り替えた。降ってきたのは隕石ではなく、大地に深深と突き刺さる……オブジェだった。その、装甲の焼け焦げたオブジェから人間が這い擦り出して来ても、彼の放心状態は続く。  雪に降り立った彼女は、悪戯を見付けられた子供の様な、何ともばつの悪そうな態度でキャラに歩み寄り、短く揃えた黒髪の後ろを掻きながら「やあ」と手を挙げた。キャラは同じく「やあ」と言い、自らの頬を力いっぱい捻り上げた。 「こんちわ、あたしはディージェイ。で、こっちは〈ナッシュバル〉。……よろしくね」  必死で息を吹きかけ、幾らか冷めたらしい紅茶を嬉しそうにすするディージェイにキャラが声を掛ける。 「その、アリスとかって人、友達なのかい?」  ディージェイは、遥か大陸北端のアリシェラ・バナレットという名の機師に用事があるとかで、明日の日の出と共に、彼女を目指し旅に出ると、昨日教えてくれた。「借りた物を返す」と言っていた。 「うーん、顔を合わせた事は無いから友達って訳じゃないんだけど、……まあ、近からず遠からず、かな?」 「へえ、何だか複雑らしいね」  笑みで返すと、彼女は再び紅茶に取り掛かった。キャラは自分の多くの友人達の顔を思い浮かべてみたが、それらが全てオブジェから逃げ惑う、恐怖におののく苦悩に満ちた表情だったので、慌てて頭の中から追い払った。 〈グリス・グロス〉は、楔の後に決まって無数のオブジェを空からばら撒き、辛くも破壊を免れた建物や、そこに住む人々を徹底的に掃討していった。それが奴等の言う浄化≠ナあるのなら、キャラ達地上の人間は染み≠セとでも言うのだろうか。  染みの一つ、キャラの母親は彼の二歩手前で瓦礫に磨り潰され、父親は瓦礫ではなくオブジェの足の裏で同じく磨り潰されたのだった。キャラの耳にはその時の両親の悲鳴が、染みの如くこびり付いている。 「どうなるんだろう、僕達は……」  深い溜め息を吐き、キャラは何時の間にか冷えてしまった紅茶を一息で飲み干した。やはり熱い方が美味い。  丸太小屋の木床を窓から差し込む朝日が照らし出し、新たな一日の始まりを告げる。  キャラは毛布に顔を埋め、部屋の隅から聞こえる衣擦れの音をぼんやりと聞いていた。僅か十日余りとは言え別れは辛く、キャラは、ディージェイの旅立ちを寝たふりでやり過ごそうと前日の夜に決めていた。彼女はきっと悲しむだろうが、彼は別れ≠ヘもう味わいたくはないのだ。  この十日余り、キャラは数年ぶりにゆったりとした時間や、どうでも良い下らない会話を、ディージェイのおかげで楽しんだ。きっと二度と手に出来ないくらい贅沢な時間を。これからは、そんな思い出を胸に残り僅かであろう人生を歩む、頭上に楔が打ち込まれるその日まで。そう決心したのだ。だが、悔しさからか悲しさからか、キャラの瞳に涙が滲む。 「わ!」  突然毛布が剥ぎ取られ、キャラは驚いて瞼を拭う。ディージェイが手にした毛布を床に放り、その大きな目で彼を見下ろしていた。深い湖のような澄んだ瞳だった。 「……悪いとは思ったけど、でも、僕は……」 「準備は済んだの? そろそろ出発よ?」 「………………え?」  長い長い沈黙。キャラは、ディージェイのころころ動く瞳を見詰めている。 「急かすつもりはないけど、急いでね。思ったより皆の動きが速いから。リシェから借りた〈ナッシュバル〉を返さなきゃアリスは〈ハイナイン〉に太刀打ち出来ないのよ。〈シュバルツローゼ〉でなきゃね。アルの奴ときたら……ったく世話の焼ける。ま、あたしにも、ほんのちっと責任が無くも無いから、わざわざ届けてあげるんだけど。  それにあの〈ワンデルク〉とかって物騒な玩具を止めるには泣き妖精≠ノ頼る以外無いわよ。幸い、ルジチカの了解は取り付けたしね。楔はあたしが、一つ残らず何とでもするから心配しないで。ここでは手を出すつもりはなかったんだけど、あんな調子じゃ情けなくて見てられないからね。さ、さ、荷造り開始!」  全く理解不能意味不明の洪水の如きディージェイの言葉に溺れそうになりながら、キャラはどうにか一言だけ返した。 「……な、泣き妖精って、……何?」  呆れた顔でディージェイは彼に言い放つ。 「何って……あんたが乗るオブジェに決まってんじゃないの。〈エコー〉よ、忘れたの?」 「……えこ?」  こうして、技構師フリアエ・ワクスマンと機師ルジチカ・シュナイドルの血を継ぐ、今では数少ない真機師(純血の機師)キャラウェイ・シュナイドルの月≠ヨの旅は、慌ただしく始まったのである。冬の直中の、澄みきった青空の美しい、肌寒い朝だった。 《三九九四年U》 〈ファー・レイリー〉北部基地。真機師アリシェラ・バナレットは、遥か昔に存在したといわれる伝説のオブジェ〈シュバルツローゼ〉が、対〈グリス・グロス〉の切り札になると同胞達に告げた。〈シュバルツローゼ〉、およそ四千年前にガイアナ連邦軍が所有していた高性能オブジェの名である。  だがそれは、連邦暦一〇五〇年前後を境に、歴史から忽然と姿を消していた。一縷(いちる)の望みを託した彼ら〈ファー・レイリー〉だったが、決死の探索も空しく、大陸上にオブジェ〈シュバルツローゼ〉は存在しなかった。 〈グリス・グロス〉の『惑星浄化計画』は最終段階に差し掛かろうとしていた。地上に降り注ぐ楔は、遂に完成し起動を待つのみとなった規格外オブジェ〈ワンデルク〉により質・量とも劣悪を極める事は必至だった。もはや一刻の猶予も無く、玉砕覚悟の決戦に挑もうとする面々。  そんな、緊張と焦燥で溢れかえる私設軍隊〈ファー・レイリー〉北部基地に、その二人は突然現れた。 「こんちわ、あたしはディージェイ。んで、こちらはキャラ。よろしく」  ことことという小さな音と甘い香り。母親の自慢料理、羊肉のシチューがもうすぐ出来上がる。絶品の味は、口にせずとも保証済み。小さなアリスは「お待たせ、お嬢様」といういつもの母親の言葉を、今か今かと食卓で辛抱強く待つ。  ことこと……。ふっ、と小さな溜め息の後、窓から射し込む日差しで輝く母親は、アリスを振り返り、いった。「起きろ! アリス! おい!」  両肩をがっしりと掴む腕を跳ね除け、目の前にあった顎目掛けて右肘を振り上げ、その勢いで飛び起き、更に体をくねらせ、よろめく相手の脇腹に渾身の回し蹴りを放つ。寝起きで視界もままならないアリスは、そこまでを反射でやってから、漸く瞼をこすり、左手の薄汚い壁でぐったりとしているマリヴァーを見付けた。欠伸を噛み殺し、伸びをする。寝台が固すぎたのか、節々が少々痛む。 「……ふぁ? 何? 呼んら?」  当然、返答はない。休憩室の騒ぎを聞き付けたのか、ジルコン将軍が勢い良く扉をくぐってきた。 「アリスさん! 早く来て下さい! マリヴァー! 何をして……」  ジルコン将軍は、口元のよだれを面倒臭そうに拭う、肌も顕わなアリスと、壁際の、何故かぼろ切れの如きマリヴァーを交互に見て、一瞬絶句する。 「マ、マリヴァーも。ともかく、二人共!」 「……ふぁい」 「…………ぐっ」  ジルコン将軍は、どうにか返答らしきものが聞けたので、来たときと同じ勢いで休憩室を出ていった。下着姿だったアリスは毛布を適当にまとい、未だ意識朦朧のマリヴァーの足首を掴み、ふらふらとジルコン将軍の後を追う。床のでこぼこに後頭部をぶつける度、マリヴァーの悲鳴ともうめきとも取れる声がする。アリスにはそれが、ことことというシチューの音に聞こえていた。 「……い、息が!」  というマリヴァーの必死の訴えは、アリスには「お待たせ、お嬢様」と聞こえたらしく、自然と口元が緩む。何せ、絶品なのだ。 〈ファー・レイリー〉北部基地の玄関先、肌寒い荒れ地は騒然としていた。ジルコン将軍と寝起きのアリス、どうにか意識を取り戻したマリヴァーは人波を掻き分け、騒動の源と対面した。面々に取り囲まれていたのは、小柄な黒髪の女性と、同じく小柄な、こちらは赤毛の少年だった。その背後には、見たことも無い型のオブジェが一体、静かに立っている。  ジルコン将軍がさっと手を挙げると、喧騒はぴたりと止んだ。鋭い眼光を放ち、押し殺した声がその二人を捕らえる。 「私が、ここ〈ファー・レイリー〉北部基地の代表、ウィル・ジルコンだ」  怒気をまとうその声色は、仲間でさえもどきりとさせる。赤毛の少年がたじろぐ。が、女性の方はというと……。 「ジルコンさん、ね。あたしはディージェイ。で、こちらはキャラ、キャラウェイ・シュナイドル。よろしく」  身じろぎ一つせず、笑顔のまま答え、やあ、といわんばかりに手を軽く挙げた。ディージェイと名乗った女性と、端から何も聞こえていないアリス以外の、ジルコン将軍を含むその場の面々がたじろぎ、どよめいたのは言うまでもない。うろたえを必死に押え、ジルコン将軍は続ける。が、声は微妙に震えていた。 「ディージェイさんに、キャラウェイさん、こ、こちらこそ、よろしく……」  ディージェイにつられて作った笑顔は、しかしぎこちない。 「んじゃあ、早速用件を」  いつの間にか二歩手前にまで迫っていたディージェイが声をかけ、ジルコン将軍は我に返り、あからさまに取り乱した。 「よ、よ、用件? なな、何かね?」  すっかり困惑しているジルコン将軍だったが、面々とて同じくだったので、彼が特別弱々しく見えることはなかった。 「えっと、まずは……」  ディージェイは右手人差し指を軽く顎に当て、雲の一つを注視する。赤毛の少年キャラは、ディージェイの背後にぴったりと寄り添ったまま、一言も発しない。 「えー、アリシェラ・バナレットさんは?」  雲に向けられていた視線がジルコン将軍の額に戻る。この状況の源や質問の意図を探るべく、ジルコン将軍はディージェイの黒い瞳を見詰め返す。が、それは、先程の怒気を放つ鋭い眼光ではなく、子供の好奇心にも似たものであった。  黒い、しかし透き通ったディージェイの瞳。深く深く、澄み切った泉の如き、一点の曇りも無い瞳。そこには、当初彼が向けた怒気や敵意の対象は一切なく、それどころか、何一つ無かった。無機質なそれはまるで……。 「ふぁーい」  背後からの寝ぼけ声でジルコン将軍は再び我に返る。彼は完全にディージェイの瞳に魅了されていた自分に気付き、慌てふためく。ジルコン将軍の脇から現れた、毛布をまとった寝起きの少女、アリシェラ・バナレットの両瞼は、辛うじて開いているといった状態だった。もっと正確に言うと、彼女は、まだ寝ていた。 「アリシェラさん?」 「ふぁい」  欠伸のようなアリスの返答に、ディージェイは満面の笑みを浮かべた。満足、そんな風な笑顔を。 「いちおう……」  そういいつつディージェイが腰から抜き放ったのは、黒光りする大型の輪胴拳銃だった。その脈絡の無さにジルコン将軍を含む一同は何の反応も出来ず、ただ光景を眺めているだけである。ディージェイは笑顔のまま、取り出した弾薬を一つだけ装填し、輪胴を勢い良く弾く。  からからと乾いた音がし、止まる。撃鉄を起こす重々しい音が一同の耳に届いた時、輪胴拳銃の銃口はアリスの額に向けられていた。ジルコン将軍の掠れた悲鳴より早く、ディージェイは笑顔のまま引き金を引く。  ……荒れ地を漂う風鳴り、あたりは静寂のままだった。 「本物ね。ま、確かめなくっても解ってたけどさ」 「……っくしゅん!」  アリスのくしゃみと同時に、とうとうジルコン将軍は腰を抜かして、その場に座り込んでしまった。 「ここは冷えるわ。良かったら中で続きを、どう?」  ディージェイは屈んで視線をジルコン将軍に合わせる。彼はこくこくと頷き、仲間に手で合図をする、それが精一杯だった。 「夏とはいえ、やっぱ、北は寒いわね、キャラ」  キャラもまた、こくこくと頷くのみ。そして、夢見心地のアリスもまた、こくこくと頭を揺らしていたが、こちらはどうやら違う意味らしい。  ぎゅう詰め状態の作戦会議室はしかし、静寂に包まれていた。議長席にはいつもの如くウィル・ジルコン将軍がつく。長い木卓の上座には将校が並ぶのが常なのだが、今、そこには、血気盛んな機師マリヴァー・ルキアノスと、未だ夢の中の真機師アリシェラ・バナレット。そして正体不明の来訪者、ディージェイとキャラウェイ・シュナイドルが座していた。  技構師、歩哨を含む〈ファー・レイリー〉北部基地の全員がその会議室に居並び、にもかかわらず、誰一人として声を発することなく、上座を、来訪者を凝視していた。 「お茶をもらえるとありがたいんだけど。何せ長旅でさ」  静寂を崩したのは、全員の予想通り、ディージェイだった。どうにか冷静さを取り戻したジルコン将軍はゆっくりと頷き、左手を軽く挙げる。数秒もせぬうちに上品な香りを漂わす紅茶が木卓にずらりと並んだ。炒れたてらしく、湯気が立ち上っている。と、これまで無言だった赤毛の少年、キャラがくすりと笑みをこぼし、何やらディージェイに耳打ちする。 「ほら、どうする?」  ちらりとキャラを見て、ディージェイは苦笑いを浮かべた。 「……待つわよ、ひたすらに。あたし好みになるまでね」  二人してくすくすと笑い合う。取り残された面々は仕方なく紅茶を飲んだり咳払いをしたり、ともかく待つしかなく、しかし好奇心は今にも爆発寸前といったところだった。  キャラが紅茶を一口啜り、盃を置く。彼の、ふぅ、という吐息を合図に、ディージェイが、彼女の言う用件とやらを語り始めた。 「〈グリス・グロス〉の――」  一同に緊張が走る。但し、アリスを除いて。彼女はマリヴァーの肩に頭をもたげ、小さな寝息をたてていた。 「――『惑星浄化計画』。大したものだわ。そんな間抜けなことを考えること自体もさる事ながら、それをやってのけるだけの装備なり準備なりを既に整えている、そこが凄い。あっぱれ、ってな感じかしら?」  ディージェイの視線は向かいの窓の外、彼女か、赤毛の少年、キャラのものらしいオブジェに向けられている。 「そして、それを阻止しようとする〈ファー・レイリー〉、あんた達も大したもんだわね。装備も準備もなしにそれをしようとするんだから」  黒い瞳がジルコン将軍を捉える。鋭い視線に彼は無言で頷く。 「とはいえ、その意気込み、いや、決断かしら? それは敬意に値する。あたしとしてはね。だから、ちっとだけお手伝いをしようと、そう思ったのよ」 「つまり? 貴方も我々と共に――」  いいかけたジルコン将軍をディージェイが制す。 「〈グリス・グロス〉の機師とオブジェ。あいつらはそう呼んでるみたいだけど、あんなものは機師でもオブジェでもない。単なる肉と鉄屑。ついでにいうと、〈ファー・レイリー〉の方も同じくね。但し、一人と一体を除いて……」  と、手が挙がった。腕を組んで朗々と語るディージェイの真向かいに座る、マリヴァーだ。 「い、意味が解らない、んだが?」  その声は踏み潰された蛙の断末魔のようにひしゃげていた。肩に乗せたアリスを気にかけつつ、右脇腹をさする。 「大丈夫? あんた、真っ青よ?」 「……だ、大丈夫、だと思いたい」  ほう、と軽く頷くディージェイ。了解、ではなく、ああそうなの、そんな風だった。 「じゃ、質問は後回しにしてくれる? とりあえずこちらの話を聞いといて。えっと……そう、オブジェ。あんた達がオブジェと呼んでるものは、実の所オブジェじゃあない。しいていうなら、オブジェみたいなもの、ってところかしら。ま、それでも、〈グリス・グロス〉の方もそうだから、問題無い、といいたいところだけど、そうじゃないから面倒なのよね」  一息つき、ちらりと紅茶を見、ちぇっ、と小さく舌打ちし、キャラがまた意味ありげな含み笑いをする。 「〈グリス・グロス〉の手に、機師とオブジェが渡っちゃったのよね……」 「黄色い奴か!」  マリヴァーが勢い良く立ち上がり、しかし慌てて座り直す。椅子に激突寸前だったアリスをそっと抱え、脇腹をさする。と、ディージェイの顔色が微妙に変わった。黒い瞳がマリヴァーを貫く。 「……あんた、名前は?」 「お、俺? ああ、俺はマリヴァー、マリヴァー・ルキアノス。機師……みたいなものってのか? 挨拶が遅れたが、よろしくな」 「マリヴァー・ルキアノス? ルキアノス……。歴史は繰り返す、なるほど、そういうことか」  険しかったディージェイの表情が再び温和に戻る。 「さっきのは修正。〈ファー・レイリー〉にはオブジェが一体と、機師が一人と、……間もなく機師、が一人だ。こりゃあ勝ったも同然ね。おめでとう、ジルコンさん」  向けられた満面の笑みに、しかしジルコン将軍が答えられる筈も無かった。 「いちおう教えておくと、〈グリス・グロス〉のその黄色いオブジェ、名前は〈ハイナイン〉。機師はアルブレド・クラインゲルトって男。根は良い奴なんだけどね……。でもって、現時点の〈ファー・レイリー〉が千個向かったとしても〈ハイナイン〉に傷一つ付けられないのは、連邦軍を見れば明白」  一同から溜め息が出る。ディージェイにいわれるまでもなく、彼らはそれを充分に知り、実感しているのだ。 「おまけに、あの〈ワンデルク〉って奴。あれもなかなかどうして、大した物。同じく〈ファー・レイリー〉じゃ太刀打ちできない、断言するわ」  溜め息が鳴咽に変わりそうな、そんな雰囲気だ。ディージェイはあたりを見回し、ふむ、と頷く。 「これが現状。間違い無いわね? ジルコンさん?」 「……確かに」  うなだれたジルコン将軍がか細く返す。作戦会議室に充満する落胆の中を、アリスの小さな寝息が漂う。 「で、ジルコンさん。確認しておきたいんだけど、あんた達〈ファー・レイリー〉は、〈グリス・グロス〉と奴等の『惑星浄化計画』を木っ端微塵にするつもりなのよね?」  ジルコン将軍の表情は険しかった。それは怒り、憤り、悲しみがないまぜになった、複雑な険しさである。 「確かに。じゃが――」  口元に人差し指が向けられ、又もジルコン将軍の言葉はディージェイに制された。 「了解。じゃ……木っ端微塵にしなさい。勝てるように、戦いなさい」  ジルコン将軍は呆気に取られ、口をだらしなく開く。一同もまたしかり。が、マリヴァーとアリスだけは違っていた。マリヴァーは脇腹と顎の痛みを堪えつつも、その表情を鋭くし、アリスは……相変わらず寝ていた。 「その手助けに、あたしとキャラは参上したのよ。ね、キャラ?」 「……え? 僕?」  キャラもまた、ジルコン将軍と同じくだったが、ディージェイは構わず続ける。 「〈ハイナイン〉と同等に戦えるオブジェはただ一つ、それは?」  その問いが自分に向けられたことを疑問に思うより先に、マリヴァーは返した。 「……〈シュバルツローゼ〉? だがよ、なかったぜ? どこにも」 「今はね」  ディージェイの笑みが親愛のそれから、不敵の笑みに変わる。マリヴァーの視線に鋭さが加わり、ディージェイを凝視する。 「〈シュバルツローゼ〉はね、ちっと変わったオブジェなの。どういうのか……そう、器用なのよ。昔々、訳あってその器用さを発揮して、お陰であんた達には見えなくなっちゃったの」  いいつつディージェイは、両手を肩の高さに挙げ、人差し指をぴんと立て、その両指をぴたりとくっつけた。 「これが〈シュバルツローゼ〉。器用な彼は……」  揃えていた指をぱっと離し、 「その昔、二つのオブジェへと姿を変えた。一つは……」  左指を見詰め、 「〈疾風(はやて)のローゼーン〉。その機動性能はガイアナ史上最速。恐らく今後も」 「……〈ローゼーン〉! それ、アリスの……」  マリヴァーはいいかけ、しかし絶句する。肩にアリスの吐息を感じる。会議室にどよめきが走り、ジルコン将軍などは今にも失神寸前といったところだった。 「もう一つは……」  周囲のことなどお構い無しにディージェイは右指を見詰め、続ける。 「〈雷鳴(らいめい)のナッシュバル〉。戦闘能力は向かうところ敵無し、同じく今後もね。さて……」  全員の――アリスを除く――視線がディージェイの両指に注がれる。離れていた右と左の人差し指がゆっくりと近付き、再びぴたりと揃い、それと同時にマリヴァーが叫んだ。 「〈シュバルツローゼ〉か!」  どよめきが一瞬にして歓声に変わった。 「そうか! その〈ナッシュバル〉とかってオブジェを探し出せば! よし!」  固く結んだ拳をわなわなと震わすマリヴァーに、ディージェイが意味ありげな笑みを投げかける。 「良い天気ね。おや? あれは?」  ディージェイは彼女の正面、マリヴァーの背後にある小さな窓を見て、呟く。いわれてマリヴァーは背後を振り返り、埃でくすんだ窓を見て……息を止めた。物凄い勢いでディージェイを振り返り、再び窓を見、それを数度繰り返す。 「ねえ、キャラ。あれ、オブジェよね? なんて名前だっけ?」  ディージェイはマリヴァーのそんな様子を面白がるように見つつ、傍らのキャラにいった。キャラは、これまでの会話が自分には無関係だと確信していたのか、冷静かつ淡々と、答える。 「名前? 〈ナッシュバル〉だろ? そういったのはディージェイじゃあないか」  キャラの何気ない一言で歓声が爆発し、作戦会議室は一転お祭り騒ぎとなった。悲鳴やら叫びやら。大した騒ぎにもかかわらず相変わらず夢見心地のアリスを見て、ディージェイは、やれやれといった顔をし、漸く彼女好みになった紅茶を呷った。キャラがなんといおうと、彼女にはこれくらいが一番美味しいのだ。  ジルコン将軍の表情は複雑だった。興奮、恍惚、充実、そういったものが入れ替わり立ち替わり現れる。彼のくすんだ瞳は、神話にある、闘いと勝利と平穏の神〈三神〉や、伝説上の勇者〈豹機カミオン〉の慈悲に向けられていた。  どちらも古ぼけた図書館にある、子供向けの絵本の中でのお話だ。奇蹟か夢か、そんな思いのジルコン将軍に、紅茶を堪能したディージェイが声をかける。 「……ねぇ、続き、いいかしら?」  ジルコン将軍は我には返らず、安堵のまま頷き、面々を静める。ディージェイは周囲をくるりと見回し、変わらぬ声色でいう。 「〈ナッシュバル〉は置いていくわ。もともとアリスのものだからね。ってことで〈ハイナイン〉、〈シュバルツローゼ〉の件は彼女に任せておけば問題無し。でも、問題はまだ残っている、でしょ?」 「〈ワンデルク〉か」  もはやこの場でまともに会話が出来るのはマリヴァーだけである。それを承知してか、ディージェイは彼に言葉を向けている。 「〈グリス・グロス〉全部を〈シュバルツローゼ〉で片付ける、ってのも出来なくはないんだけど、今のアリスにはちっと重いわ。多分、いや、間違いなく〈ハイナイン〉を相手にするので精一杯でしょうね。相手がどう出るかは解らないけど、〈ハイナイン〉と〈ワンデルク〉の両方は、アリスには難しい。だからアリスは〈ハイナイン〉に専念させるべきで、〈ワンデルク〉には別をぶつける必要がある」  収まったお祭りが漸く作戦会議らしくなってきた。程々の緊張感。但しアリスと、今度はジルコン将軍をも除いてだが。 「〈ファー・レイリー〉の戦力で、〈ワンデルク〉はどうにか出来るのか?」 「不可能。無理、無茶、無謀。断言するわ」  ディージェイの即答にマリヴァーは頷く。やはりそうか、と。 「〈シュバルツローゼ〉で〈ハイナイン〉を叩いて、アリスが戦線復帰するまで俺達で〈ワンデルク〉を足止めする、ってのは?」 「同じく不可能。マリヴァー、だっけ? 〈ワンデルク〉について、どれだけ知ってる?」  言葉を交わす毎に変化して行くマリヴァーの顔色。が、それに気付くものはディージェイただ一人であり、マリヴァー自身でさえも自覚していないようだ。その変化にディージェイが大した満足感を得ていることにも。 「〈ワンデルク〉……。〈グリス・グロス〉の最終兵器。そう呼ぶってことは黄色い奴、〈ハイナイン〉と同格か、それ以上、か? 楔を打ち込む張本人で、確か、機師不要のオブジェだとか。今の所、その程度だ」  合格、といわんばかりにディージェイは微笑んだ。 「〈ファー・レイリー〉の情報網も、なかなか大した物ね。機師不要のオブジェ、ってのがどういう意味かというと、ある点では〈ハイナイン〉、そして〈シュバルツローゼ〉をも凌ぐってことよ。〈ワンデルク〉も、まぁ、オブジェと呼べなくはないわ。ねぇ、マリヴァー、オブジェって……何?」  その問いにマリヴァーは軽く俯き、下唇を摘まみ暫く思案する。 「……兵器?」 「お見事! そう、オブジェは兵器。破壊そのもの。でもって機師ってのはそれを操るものなんだけど、それのない、不要なオブジェ〈ワンデルク〉」 「成る程。……つまり、容赦ない?」 「〈ワンデルク〉は、存在する限り破壊し続ける、延々と。誕生の経緯はどうあれ、そういう意味では、あれは確かにオブジェだ。だからこそ、ちと厄介。あれはね、人がどうこう出来るものじゃあない。ってことで……」  ぽん、と肩を叩かれ、アリスを見ているうちに同じく夢見心地だったキャラは、小さな悲鳴を上げた。ぶるぶると頭を振り、自分を凝視するディージェイの黒い瞳を、訳も解らず見詰める。彼女が奇麗に並んだ白い歯を見せるが、やはり意味が解らない。 「キャラ、あんたの出番よ」 「え?」 「は?」  キャラとマリヴァーが同時に声をあげる。 「ここに――」  ディージェイは手書きの、数列が並んだ紙切れをマリヴァーに渡す。 「――彼を運んで。それで〈ワンデルク〉の方は解決」  手渡された紙切れを注意深く見るマリヴァー。キャラの話らしいが、キャラには全く伝わっていない。 「これ……座標か? それにしても、この位置は戦闘宙域でもないし、そもそも何もない筈だが……」 「ええ、何もないわよ。それはね、待ち合わせ場所なの」  深呼吸を一つ、マリヴァーは真剣な眼差しで問う。 「誰との? ……教えてもらえると、幾らか安心出来そうなんだがな」  と、ディージェイは両拳を胸の前で握る。何故かとても楽しそうだ。 「機師マリヴァー、教えてあげるわよ、あんたになら。相手の名はルジチカ・シュナイドルと……」 「と?」 「〈ワンデルク〉を木っ端微塵にしてくれる、慈悲深くも残虐な泣き妖精=Aオブジェ〈エコー〉。どお?」  左掌に右拳を打ち付け、マリヴァーは一つ頷く。眼差しは鋭く、しかし口元だけは微笑んでいる。先のディージェイに似た、不敵の笑みである。 「安心したよ。……ところで、機師って……」 「〈シュバルツローゼ〉はアリスのものだけど、今の彼女のオブジェは〈ローゼーン〉。ってことで、オブジェ〈ナッシュバル〉は――」  ひょいと軽くマリヴァーを指差す。 「――あんた、機師マリヴァー・ルキアノスに、託すことにする」 「……俺で、いいのか?」  口調には戸惑いが混じっていたが、マリヴァーのまとう覇気は変わらない。ディージェイは笑みを崩し、黒い眼差しをマリヴァーに向け、しかしそれを真っ向から受け止める彼に、小さく頷いて見せた。 「あんた以外じゃ無理よ、機師じゃなきゃあね」  紅茶の最後の一口を啜り、盃を置くと、ディージェイの表情は笑みに戻っていた。音もなく椅子を引き、立ち上がり、両手を大きく広げ、派手に打ち鳴らした。 「さ、これでお終い。紅茶、御馳走様。キャラ、がんばってね」  目で礼を返すマリヴァー。キャラは呆気に取られ、ジルコン将軍は面々共々上の空。一同をよそに革靴を打ち鳴らし作戦会議室の扉をくぐりかけたディージェイだったが、歩を止め、マリヴァーを振り返った。 「ああ、もう一つ忘れてた。アリスに伝言を」  肩にあったアリスをそっと椅子に寝かせ、マリヴァーも立ち上がる。 「伝言?」 「『仕えなさい』、と」  一拍置き、むにゃむにゃと何事かを呟くアリスを横目に、マリヴァーは、了解、と頷く。 「んじゃね」  くるりと背を向け、ディージェイは作戦会議室を出ていった。マリヴァーはアリスの乗った椅子を素早く避け、彼女の後を追うべく扉に駆ける。  晴天の元の肌寒い荒野。吹き付ける砂埃の直中、てくてくと歩く彼女がいた。 「ディージェイ!」  マリヴァーが声をかけると、その歩がぴたりと止まり、ゆっくりと振り返る。相変わらずの笑み。 「どうかした?」  距離を縮め、マリヴァーは彼女の黒く澄みきった瞳を見詰める。 「礼をいっていなかった」 「……まだ早いわよ」  マリヴァーの肩に手を置きディージェイは小さく呟く。その眼差しはマリヴァーを抜け、何か別のものを捕らえているように見えた。 「そうか……そうだな。じゃあ、教えてくれ」  マリヴァーは自分が笑みを、ディージェイに似た笑みを浮かべていることには気付かずに続ける。 「ディージェイ、あんた……何者だ?」 「あたし? あたしはディージェイ」 「あと一言だけでいい……」  マリヴァーの眼光がとうとうディージェイのそれを捕らえた。ふう、と意味ありげな溜め息を吐き、ディージェイはもう一方の手も彼の肩にかけ、顔を目一杯近づけ、囁く。 「随分昔だけど、こう呼ばれていたことがあった――」  黒い瞳に自分の顔をが映り込んでいる。が、マリヴァーは微塵も表情を崩さない。 「――〈猫目のディージェイ〉ってね。どお?」 「……ありがとう」  くるりと体を翻し、マリヴァーに背を向け、ディージェイは再び歩き始める。と、強風で砂塵が舞いあがり、マリヴァーとディージェイとの間に砂の壁が立ちあがった。突風に目を細めるマリヴァーはそこで見たのだった。砂塵の隙間から微かに覗いた、四枚の白い翼と、白銀に輝く……何かを。 「んじゃね」  何処からかディージェイの声が聞こえた。砂塵は収まり、そして、辺りは無表情な荒野に戻っていた。 〈ファー・レイリー〉北部基地、作戦会議室。  目をぱちくりさせるジルコン将軍、会話に全くついて行けなかった面々。気が付けば置いてきぼりのキャラ。その時の〈ファー・レイリー〉の戦力は、機師マリヴァー・ルキアノスと、とうとう熟睡に入り、羊肉のシチューを堪能している真機師アリシェラ・バナレット、ただ二人であった。勿論、その時に限ってだが。 「……ごちそうさまれした……ぐぅ」 《三九九四年V》 「……〈疾風のローゼーン〉に、〈雷鳴のナッシュバル〉? ふふぅん。……楽しそうじゃあないの」  乾いた空気中に微細な塵が舞う〈ファー・レイリー〉格納区画。天井傍に穿たれた窓から薄曇りの陽光が射し、塵と、ずらりと居並ぶオブジェを浮き上がらせる。  が、その二体は、通常の整備位置とは別の、格納区画の片隅に特別に設えられた専用整備部に置かれていた。二体、〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉の足元に一人の少女。彼女は、先刻から二体の足元を、顔を綻ばせつつ、ぶつぶつと呟きつつ、一つに束ねた薄茶色の髪を振りつつ、右往左往していた。  彼女の名は、リリィ・ノイロン。連邦消滅以前、人類華やかなりし頃、民間のオブジェ整備施設に従事していた、今は〈ファー・レイリー〉に参戦している、数少ない技構師である。 「で……〈シュバルツローゼ〉? ……っくぅー! こりゃあ、もう、やるしかないってか?」  一人芝居に熱が入る。リリィは完全に自分の世界で舞い踊っている。先日、〈ナッシュバル〉がここに運ばれて以来、ずっとそんな調子だったので、リリィは背後に人が、それも彼女の上官級にあたる技構師、老齢のガボット・リャザーノフが迫っていることになど、全く気付きはしなかった。 「天才技構師、リリィちゃんの手にかかれば……」  くるりと身を翻し、リリィは絶句する。額に汗が浮かび、瞳孔の開いた目に、髭もじゃの鬼、ガボット・リャザーノフの恐るべき形相が映り込む。丸太のような腕が上がり、その先にある岩の如き拳骨が、リリィの脳天を直撃、格納区画に低く鈍い打撃音がこだまする。 「リリィ! 何度もいわせるな! お前には、緊張感が足りんのじゃ!」  掠れた濁声がリリィの鼓膜をびりびりと震わせる。撫でているつもりのガボットの拳骨はしかし、リリィの意識を分断したらしく、その六十二年の含蓄を持つ一喝は、彼女には届いてはいなかった。  こうして、技構師リリィ・ノイロンは十五年の人生に幕を閉じ……は、しなかったが、それから数日間、彼女は生涯で最高の仕事を手掛けることになるのであった。それも、技構師として最大級のものを……。  リリィが格納区画で昇天している頃、ジルコン将軍の質素な個室では、〈ファー・レイリー〉幹部による作戦会議が開かれていた。幹部の顔ぶれは、そのまま〈ファー・レイリー〉北部基地の主力と同義でもある。  指揮官にして機師のウィル・ジルコン。〈殄滅師アリス〉の二つ名を持つ真機師、アリシェラ・バナレット。今やアリスにも及ぶ覇気をまとう若き機師、マリヴァー・ルキアノス。そして、〈ファー・レイリー〉創設以来、ジルコン将軍と活動を共にしてきた二人の辣腕機師、カナデ・ヤシロとサイゾウ・ミブ。  ヤシロとミブは同郷、大陸南部出身者であり、また、恋仲との噂もちらほらと。 「――つまり、〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉はともかく、〈シュバルツローゼ〉は余りに未知数で、とても戦術には組み込めん。彼女、ディージェイさんのいっていたことが、全て事実だとしても、だ。同じ理由で、キャラウェイ君も戦力とは見なせないと考えるが、どうかね? アリスさん、マリヴァー」  ジルコン将軍の声色は厳しさと戸惑いを醸している。アリスはジルコン将軍を見詰めてはいたが、その瞳に彼は映っていないのか、何処かを凝視し、無言だった。アリスから返答がないのでジルコン将軍は、彼女の横に座るマリヴァーに視線を移す。 「〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉は他とは別格扱い出来る筈です。技構師の意見を待ちますが、まず間違い無く戦力の要。〈シュバルツローゼ〉とキャラウェイに関しては将軍と同じく、祈るのみ、ってのが妥当かと。現時点での〈ファー・レイリー〉北部基地は、現用各機と、先の二機のみでの戦術立案でしょう」 「私も彼と同じ意見です」  鋭い、しかし良く通る低い声でヤシロが継ぎ、続ける。 「つまり、〈ハイナイン〉と〈ワンデルク〉に限っては、出たとこ勝負。……こんなものが戦術と呼べるかどうかは疑問ですがね。本当に、祈るのみ、ね」 「ならば――」  ミブが立ち上がり、一同を見渡す。 「――北部基地の戦力は三つ。編制は、ジルコン将軍指揮の部隊と……」  アリスとヤシロを振り向く。 「アリシェラを先発としたヤシロ部隊、それと、マリヴァーが先発の私の部隊。但し、〈ローゼーン〉及び〈ナッシュバル〉の状況により、ジルコン将軍、ヤシロ、私の三編制ということも」 「……ふむ。そうじゃな。マリヴァー、〈ナッシュバル〉は?」  身じろぎ一つしないアリスを横目に気にしつつ、マリヴァーは答える。 「これからです。……ところで将軍、〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉に、技構師を一人、専属させてもらえませんか?」  途端に一同が顔をしかめる。何もかもに人手が足りない〈ファー・レイリー〉において、最も不足しているのが技構師なのだ。彼等は昼夜を問わない激務に追われ、にもかかわらず作業は一向に追いつかないでいる。  そんな状況で、別格とはいえ、たった二体のオブジェに技構師を一人、専属で付けたいというマリヴァーの提案は、余りに無茶だった。 「マリヴァー! それって余りに――」  食って掛かるヤシロを制したのは、意外にも、ジルコン将軍だった。表情はヤシロと同じく険しかったが、彼はいった。 「一人で、いいんじゃな?」  ヤシロが、今度はジルコン将軍に食って掛かろうとし、しかしそれをミブが力ずくで押え込み、マリヴァーに軽く頷いてみせる。滅多に見せない笑みさえ込めて。ミブはヤシロの胸座を椅子に押し付け、口を大きな掌で完全に覆っている。ミブの計らいに笑いを堪えつつ、マリヴァーはジルコン将軍に向く。 「……はい。誰でも、って訳にはいきませんが、一人で充分だと思います。選定は皆の了承を得た上で、そう……明日にでも。ヤシロ、駄目か?」  ミブの豪腕から解放されたヤシロは、細く端整な顔を奇妙に歪め、ぷいと顔をそらす。艶やかな黒髪がふわりと舞い、薄い香水の匂いが部屋を漂う。 「……いいわよ、勿論。でもね、ガボットを、なんていったら、その場で蹴り倒してやるからね!」  冗談か本気か、あるいはその両方か、ともかくマリヴァーは笑みで返し、場は和んだ。その後、暫くして作戦会議は終了したのだが、マリヴァー以外は、ジルコン将軍もヤシロもミブも、自らのことで手一杯らしく、結局アリスが一言も発しなかったことに気付かず、また、気に留めさえしなかった。  月の落ちた真夜中。基地裏手の凍える荒野でキャラは、満天の星空と、手にした紙切れを交互に見詰めていた。眩い星々は彼の視界を埋め尽くし、今にも零れそうなほどに瞬いている。キャラは思う。もう暫く後に、自分はあそこに行く、らしい、と。  焦ったり恐れたりするほどにキャラの心情は整ってはおらず、ディージェイにここに連れられて以来、彼はずっと呆けたままなのだった。紙切れの数列が示す場所がどの辺りか、それさえも解らない。ただ、そこが星空であるということ以外、何も。脅えるほどの余裕があれば、今頃は一人、逃げ出していたかもしれないが、そんな気力さえなかった。  ただひたすらに星空を眺めるキャラ、その空っぽの心に突然、それは響いた。 「頑固じじぃー!」  飛び跳ね、ひっくり返りそうになりながら、キャラは辺りを見回す。鼓動が加速し、星にも負けないほど目を瞬かせる。左手にある廃材置き場の脇に、音源らしい人影を見付けた。と、またも大音響。 「こんちくしょー!」  キャラは、駆け出している自分を不思議に思ったが、程無くその人影、小柄なキャラよりももっと小さな女の子の眼前に身を乗り出していた。 「あの――」 「ふっざけんなぁあー!」  いいかけたキャラは、その、ふざけた叫びに殴り付けられ卒倒、物凄い勢いで仰向けに倒れる。大きく見開いた瞳に満天の星空が映り込み、キャラは久方ぶりの感情、驚きを、思う存分味わった。出来事よりもその感情にキャラは翻弄されていた。  星空の一部が遮られ、女の子のそばかす顔が現れ、一転、囀るような声が届く。 「……貴方、どなた? で、何やってんの?」 「……キャ、キャラウェイ・シュナイドル……です。えっと……驚いて、ます……」  小さな手が差し伸べられ、キャラは置きあがり、大きな溜め息を吐いた。鼓動は未だ収まらない。 「キャラウェイ? ……〈エコー〉の……キャラ君?」  少しだけ見上げる様にしていう女の子の顔は、好奇心に満たされていた。大きな薄茶の瞳を時折ぱちくりさせ、キャラの返答を、がっしりと組んだ両拳と共に待っている。鼓動と驚きを必死で押さえ、キャラは喘ぐように返す。 「え? あ……はい、キャラウェイです……。〈エコー〉の……」  途端、女の子はその場で飛び上がり、きゃーきゃーと騒ぎ出し、果てにはキャラに抱き着き、一気に捲し立てた。 「私、私はね! 技構師、リリィ・ノイロン! 天才技構師リリィちゃん、って呼んでね。キャラ君? 凄い凄い凄ーい! グリグロのお間抜け〈ワンデルク〉を退治する、あの〈エコー〉のキャラ君? きゃー! すっげー! ねねね、〈エコー〉ってどんな? どんなオブジェなの? 〈エコー〉ってノーザス地方の泣き妖精≠フことよね? 羽根あるの? 飛ぶの? 緑色? ぴかぴか光る? ひょっとして物凄ーく、ちっちゃいのかしら? ででで、どうやって〈ワンデルク〉退治するの? やっぱ歌声かしら? らららーって澄み切った正義の歌声は、悪しきものを滅ぼす! 凄い! かっこいい! いつ? 明日? もう来てるのかしら? ねねね、キャラ君、〈エコー〉見せて見せて見せてー! 私も見たいし、いじりたいし、出し惜しみは無し無し無ぁーし!」  リリィの連続射撃は、キャラの感じた貴重な驚きを完全に吹き飛し、ついでに疲れやら呆けやらも遥か彼方へと追いやってしまった。ぎゅうぎゅうと体を締め上げるリリィに、キャラは全身の力を振り絞り、一言だけ、断末魔の如く発した。 「……リリィ、ちゃん? 君、……猫舌?」  満天の星空の元、運命に……いや、他人に振り回されっぱなしのキャラは、自分が何処で何をしているのか、何をするのかについて、そろそろ真剣に考えねばと、決意するのであった。  同刻、休憩室の一つ。鏡台に向かって髪をとくアリスは、そこに映る虚ろな表情を、銀髪の小さな顔の機師を、鏡像と同じく虚ろに眺めていた。照明に照らされた銀髪は、その下にある生気の枯れた瞳とは対照的に、美しく輝いていた。鏡台の横、小さな窓がかたかたと音を立てる。  基地周辺、荒野を渡る砂埃は彼女の心情と同じく、強くも、乾ききっているようだ。死人の叫び、或いは、自分を呼ぶ声か。彼女を親い、散っていった仲間達の……。風鳴りとは別の音が、そんなアリスに割って入る。背後の扉が数回、小さく叩かれ、「マリヴァーだ」と声がした。 「どうぞ」とアリスは答えたが、それは彼女の声帯が震えたに過ぎず、意識は未だ鏡台に映る虚像と、今は無き仲間達の元にあった。扉を静かにくぐるマリヴァーが、鏡の中のアリスの横に現れる。  肌の透けた薄手の夜着姿のアリスにマリヴァーは一瞬躊躇し、しかし扉を閉じ、彼女の休憩個室に入った。目のやり場に困りつつ、手探りで椅子を寄せ、左手の壁を向いて座る。視界の片隅に、辛うじて銀髪が映っている。さらさらという音、アリスは髪をといている。 「……悪いな、こんな夜中に」 「ん? いいわよ、別に」  薄汚れた壁へのマリヴァーの呼び掛け、鏡に反射するアリスの返答、小さな窓の軋みにかき消されそうな、そんな声。 「なぁ、アリス。……大丈夫か?」 「ええ。万事順調、問題なし。楽勝とはいかないでしょうけど、でも、勝てるわよ」  鏡に映るマリヴァーに笑顔を見せ、小さく頷く。が、マリヴァーの表情は変わらない。 「夕方の作戦会議の時……」 「ああ、ごめん。あの時はちょっと考え事をしてて、それで……」  笑顔のまま続けるアリスだったが、鏡越しでマリヴァーと目が合った瞬間、それは止んだ。銀髪をといた櫛が落ち、それを握っていた白い腕もまた、だらりと下がる。そのまま倒れてしまいそうな様相だったが、それを鏡越しのマリヴァーの視線が繋ぎ止めている。  十秒足らずが十年にも感じる沈黙の後、アリスの声は年月の為か、変わり果てていた。 「……連邦の精鋭部隊〈ヴィクトリアス〉、隊長〈殄滅師アリス〉。〈殄滅師〉……全てを滅ぼし尽くす者。〈殄滅師アリス〉……皆を滅ぼす、アリシェラ・バナレット。仲間をも、滅ぼす……」  アリスの瞳の曇りは、鏡のそれではない。マリヴァーの肩に緊張が圧し掛かる。 「……奴はいったわ。お前にお似合いの通り名は、〈殄滅師〉じゃあなく……〈死神〉だ――」 「俺のご先祖様に!」  唐突に、マリヴァーの明瞭な科白が割り込む。それは、部屋に充満する沈黙を全て消し去るほどの勢いを放っていた。 「ハイデスって人がいるんだそうだ。その人は凄腕の剣師で……ああ、剣師ってのは、生身で戦う軍人のことで、昔々はそういう戦争のやり方だったんだとよ。で、そのご先祖様、ハイデスの剣技は、それはもう見事で、何でも、生身でオブジェと対等に戦ったらしい。嘘か本当かってとこだが、それでついた彼の呼び名は……」  立ち上がり朗々と語るマリヴァーに、アリスは知らず顔を向けていた。鏡にではなく、彼そのものに。 「……〈剣侠(けんきょう)ハイデス〉! その鋭利な刃は、オブジェをも断ち切る! 機師もろともだ。……どうだ? 凄いだろ? ひょっとしたら俺にもその〈剣侠ハイデス〉の血が、少しくらいは残ってるかもしれないぜ? だとしたらよ、俺は〈剣侠マリヴァー〉ってか? この――」  腰に下げた短刀を勢い良く抜き放つ。護身用の、研ぎ澄まされた片刃に、アリスの顔が映り込む。 「――刃は、〈グリス・グロス〉のオブジェどもを一刀両断だ! 〈ハイナイン〉だろうと〈ワンデルク〉だろうとな。そりゃあ楽勝さ、なんたって〈剣侠マリヴァー〉様がついてるんだからな。……だろ?」  口の端を僅かに上げ、マリヴァーは短刀を仕舞う、その刃にも勝る眼光を、アリスに向けたまま。短刀と柄の合う音を合図に、硝子玉のようだったアリスの瞳に、数日来姿を隠していた感情が徐々に現れ、遂にそれは涙となって零れ落ちた。  一筋の、透明な嘆き。溢れる涙を拭おうともせず、アリスは再来した感情のまま、夜闇を恐れる子供の如く、叫ぶ。 「死ぬことなんて恐くはないのよ! 全然! でも……」  歯を食いしばり、マリヴァーに歩み寄る。頬は涙でびしょ濡れだった。 「でも、みんなが死ぬのは……嫌なの! 〈ヴィクトリアス〉は仲間だったけど、友達も大勢いたの。みんなの悲鳴が耳に染み付いて、頭に響くのよ! 苦しい! 熱い! 助けてくれ! 死にたくない! って。どうして? どうして私だけ、私だけが、ここにいるのよ! どうして死なないのよ! 〈死神〉だから? 奴のいうように。そんなのって……あんまりよ……」  固く結んだ拳がマリヴァーの胸板に何度も何度も打ち付けられる。が、力はなかった。アリスのいう奴≠ェ、〈ハイナイン〉の機師、アルブレド・クラインゲルトであることは明白だった。マリヴァーの、オブジェをも両断する研ぎ澄まされた眼光は、その、奴に向け、ぎらついている。胸元で縮こまるアリスの背中を、マリヴァーは優しく抱く。 「〈剣侠マリヴァー〉は二刀流で、敵は勿論、〈死神〉の鎌なんてのも、ぶった斬るのさ。だから……」  アリスがゆっくりと顔を上げ、マリヴァーはそれを静かに見下ろす。歳相応の幼さのアリスと、それを遥かに上回るマリヴァーの態度は、両極にあった。 「……何も心配するな」  マリヴァーの言葉がアリスに徐々に染み込む。暫くして彼女は小さく頷き、再び彼の胸元に顔を埋めた。十年の如き沈黙。十秒足らずの、しかし、充分な沈黙。砂塵が窓を打ち、かたかたと音を立てる。 「……マリヴァー、あんた、変わったね」 「ん? ああ、ヤシロに髪を刈ってもらったんだ。彼女、床屋の娘なんだとよ。どうだ? 似合うか?」 「じゃなくって……似合ってるわよ、まあまあ、ね」  明朝、まだ太陽が地平の下にある頃、いつもより随分と早く目覚めたカナデ・ヤシロは、基地内をぶらりぶらりと散歩していた。霞む思考で編制を練り直しつつ、同時に、終戦後の生活について思いを馳せていた。  場所は大陸南部、心地良い春風が漂う片田舎。鋏(はさみ)を片手の彼女の横には、今は戦友である亭主が、暖かい日差しの下、澄ました顔で佇んでいる。普段は鋭い顔つきのヤシロ、が、その時に限っては柔和だった。寝起きの為でもあるが、それでもまるで、恋する乙女の如くであった。  鉄板を張り付けた廊下をとことこと歩く床屋のカナデ。基地を横断する長く薄暗い廊下。その壁の一つでゆっくりと開く扉、そこから現れたのは、マリヴァー・ルキアノス。途端に床屋のカナデは、機師、カナデ・ヤシロに戻り、歩を止めた。開くとき以上の慎重さで扉が閉じ、一拍置いて、マリヴァーとヤシロはお互いを見詰め合う。それは文字通り、絶句であった。  ヤシロは半ば仰け反り、マリヴァーは逆に背を丸め、足音を殺して素早く歩み寄る。マリヴァーの上目遣いは、苦笑いと共にヤシロに向けられ、それを彼女は呆れた顔で見下ろす。 「……マリヴァー。どうして貴方が、そこ……アリスの個室から出てくるのかしら? それも、こんな時間に。それとも実は、貴方はアリスで、私がまだ目醒めていないだけかしら?」  ヤシロの声色にからかいを読み取ったマリヴァーは、ここぞとばかりに切り返す。勝負は常に、一瞬の判断に委ねられているのだ。 「多分……寝ぼけてるんじゃあないか? ヤシロはきっと、未来の旦那様と、夢の中で仲良くやってるよ。……だろ?」  お互い、姿勢はそのままだが、形勢は一転、五分五分となった。 「これから決戦って時に――」 「なんなら確かめてみようか? ……ミブにでも」  遮られたヤシロは悟った、今回は引き分けだと。ふん、と鼻を鳴らし、ヤシロは表情を和らげ、首を傾げる。 「あら嫌だ。私ったら寝ぼけているみたい。マリヴァーがいた気がしたけど、本当に妙な夢ね」  マリヴァーの肩をぽんと叩き、ヤシロは再び薄暗い廊下を歩き始め、大袈裟に欠伸などをしてみせる。 「また後でな、床屋さん」  そういうとマリヴァーは、ヤシロとは逆方向、自室へと忍び足を開始した。 〈ファー・レイリー〉北部基地。地平が白く輝き始め、無人の荒野と風鳴りを徐々に照らし出て行く。雲一つない青空には、薄い月が一つ、〈ファー・レイリー〉を待ち受けるように、佇んでいた……。 《三九九四年W》  昨日の、マリヴァーによる「専属技構師案」を検討すべく、ジルコン将軍を筆頭に、ヤシロ、ミブ、アリス、そしてマリヴァーは〈ファー・レイリー〉格納区画へと入り、その怒鳴りあいに遭遇した。二体のオブジェ、〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉の足元で、二人の技構師が激を、いや、罵詈雑言を飛ばしあっている。  火の粉を避けるように距離を置いて取り巻く面々。機師、技構師、その他、恐らく全ての仲間達がその二人、ガボット・リャザーノフとリリィ・ノイロンの鍔迫り合いを、固唾を飲んで見守っていた。単なるもめごととは明らかに違う雰囲気だ。  手近にキャラウェイを見付けたマリヴァーが、彼の背を叩く。 「キャラ、あれは何だ? どうしたんだ?」  身長差の為、上目遣いのキャラは、困り果てた顔で訴える。 「リリィちゃんが、その……」 「お前! 機師を殺すつもりか!」  歯切れの悪いキャラの言葉を突き破る勢い。格納区画に怒声が響き、マリヴァーとキャラは思わず耳を塞ぐ。技構師ガボットの、ジルコン将軍にも匹敵する咆哮だった。 「グリグロにやられるオブジェなんか、戦場に送り出せるもんかぁー! 頑固じじぃ! そっちこそ、機師を殺すつもりかぁー!」  今度は可愛らしい、しかし迫力と音量だけはガボットに匹敵する叫び。技構師リリィである。 「お前だって知ってるだろうが! 静電差エンジンからの反動は機師の精神に負荷を与え――」 「本当の機師は! 並の人とは全然違うー! ガボットじじぃ! 勉強不足だぞー! 反動じゃなくって、それはオブジェからの反応だぁー!」  ジルコン将軍を含む一同が目をむいた。あのガボットを、小さな、そばかすリリィが一喝したのだから当然だろう。しかも、リリィのそれには、一同を納得させるだけの覇気なり熱気なりが感じられた。 「年寄りの癖に歴史を知らなすぎるぞー! 昔の、本当の機師は、本当のオブジェを動かすんだー!」 「昔は昔じゃ! 今は――」 「同じだー! 反動遮断回路なんてのは! 邪魔邪魔邪魔ぁー! そんなもん、くっつけてるから、グリグロにやられるんだ! 機師とオブジェの本当の力を邪魔してるそんなもん、外せー! 断固として外せー! 殺す気かー! 拳骨なんか恐くないぞ! やっぱり恐いけど、こんちくしょー! とりゃあー!」  音量こそ同等だったが、ジルコン将軍も一目を置く老齢技構師ガボット・リャザーノフは、そばかすリリィに完全に圧倒されていた。その小さな体は、怒気だかやけだかによりガボットの数倍は大きく感じられる。マリヴァー、キャラは呆気に取られ、それは皆も同じだった。激突は睨み合いに変わり、しかし、それすら拮抗する。  押しつぶすようなガボットの威圧をリリィのつぶらな瞳は受け、押し上げてすらいる。そんな圧迫感を伴う沈黙の最中、マリヴァーの背後でアリスが小さく呟いた。 「本当の……機師? ……真、機師?」  と、マリヴァーは背後を振り返り、それを継ぐように囁く。その表情は一転、驚きに満ちている。 「……オブジェみたいな、もの?」 「人体実験まがいなことに仲間を晒せるか! それこそ機師を殺しかねん!」 「そん時は私も死んでやるー! 機師とオブジェは命を預けあって、でもって技構師と機師も命を預けあうんだー! 覚悟しろよー! うおー!」 「この! 頑固娘が――」  一際激しい怒鳴りと共に、ガボットがその岩の如き拳を振り上げた。対等、いや、優勢だったにも関わらず、リリィは思わず目を閉じる。体がそう反応してしまうのだ。が、老齢技構師の戒めの一撃は空を切り、鉄板床の上で静止した。ガボットの曇った目の前を一筋の光が、銀色の糸が過ぎる。 「わぁ、軽い! 貴方、お人形さんみたいね。お名前は?」  場違いなほどに軽やかな音色、一同はガボットの横を呆けて眺める。アリスと、彼女に両脇を抱えられ、弧を描きつつ宙を舞うリリィがそこにいた。 「リリリリリリィーちゃんだー! 目が回るー!」  リリィを両手にくるくると踊るアリス。旋律を刻む軽やかな足音と共にふわふわと漂う銀髪が、格納区画の照明により煌びやかに輝き、見るものを魅了する。埃だらけの格納区画にあって、そこだけはまるで舞踏会のようであった。満面の笑みのアリスと、文字通り目を回しているリリィに、観客は釘付けとなっている。 「リリィちゃん? あたしはアリシェラ。アリスって呼んでね。ははは! ほんと、かわいい!」  最後に無重力を体感したリリィは、漸く地面へと、ぴたりと揃えられたアリスの足元へと降ろされ、しかしそのまま尻餅をついた。再び銀髪をなびかせ、アリスは、その澄んだ瞳でマリヴァーとジルコン将軍を順番に見詰め、奏でるようにいった。 「この子、リリィちゃんで決定。反対は一切受け付けないわよ」  マリヴァーは「当然だ」と頷き、ヤシロとミブはジルコン将軍をうかがう、が、二人の表情は「勝手にしてくれ」といっている。ジルコン将軍は一同を見渡してから、ガボットに歩み寄った。 「……リリィ・ノイロン、だったかの? 彼女を暫く借りたいのだが、どうじゃろう?」  ジルコン将軍は濁った眼差しで言葉を補い、戦友を凝視する。ガボットは沈黙の後、それを渋々ながら承諾した。 「ふん! 煮るなり焼くなり、好きにしてくれ。……リリィ!」  未だ頭をふらふらさせるリリィに、ガボットが声をかける。相変わらず怒気を含んだそれは、しかしジルコン将軍やヤシロなど、ガボットを良く知る面々を苦笑させた。 「勝負は後だ! 技構師ってのはなぁ、口なんぞではなく、技術で、腕で競うんじゃ!」 「ののの望むところだぞー!」  リリィの決意を示す指先と視線はしかし、明後日の方向を向いており、途端、格納区画は笑いに包まれたのだった。  屋外、基地そばの荒野に移された二体のオブジェ、〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉は、整備用簡易足場に取り囲まれ、面と向かって立ち、無表情な大地に真っ黒な影を刻んでいる。〈ローゼーン〉の操座にはアリス、〈ナッシュバル〉にはマリヴァーがそれぞれ乗り込み、開け放った天蓋から射し込む強い日差しが操座装置群を輝かせ、二人はその照り返しに目を細めていた。天蓋下部、操座部分にあたるオブジェの胸元を横切る手摺のついた足場は、中央にある渡り歩路で二つの整備用簡易足場を、オブジェを繋いでいる。  数段になった足場の至る所に梯子や階段が設けられており、そこをがしがしと音を立て飛び回るのは、様々な工具を重装備した技構師リリィ・ノイロンと、その後を追うキャラウェイ・シュナイドルだった。 「よぉし、準備完了だー! 〈ナッシュバル〉……起動ー!」  リリィの満足げな雄叫びをよそに、マリヴァーは頭部操演端末の下で呟く。 「……なあ、キャラ。お前さん、何やってんだ?」 〈ナッシュバル〉の喉部にある対外音声装置から、マリヴァーの、当然ともいえる質問が響く。 「ぼ、僕は――」  突然、マリヴァーの世界が豹変した。走り回り、息の切れたキャラのか細い声を〈ナッシュバル〉の聴覚器官が拾い上げ、静電差エンジンで処理されたそれは後頭部にある配線束、軸策バスを抜け、マリヴァーの上頭部を覆う操演端末装置の先、彼の鼓膜の内側で再生される。雑音を取り除かれたキャラの声は、生身で聞くそれとは比べ物にならないほどに澄んでいる。 「――リリィちゃんの手伝いを――」  マリヴァーの視界は頭部の操演端末から伸びる数千本の軸策バスを介し、静電差エンジンと直結≠ウれており、彼の視覚域は上下二段、上は正面、下は背面に分割され、更に補助画面が両脇に幾つか開いている。その一つ、左隅の画面に、両手一杯の機材を抱えたキャラが、拡大され映し出されている。画像のキャラに幾つもの数列明滅表示がついてまわる。 〈ナッシュバル〉を基点にした対象――キャラ――の相対座標、相対・絶対速度や表面・内部温度、地軸を基点にした角度、輝度、兵装や耐久度や起動性能などの数値化された相対戦力、脈拍や血圧に至るまで、およそ考え得るあらゆる情報が、次々と吐き出されては消えて行く。勿論、今は全く不必要なものばかりなのだが。 「――しているんです。今は、やれることもないし、彼女、とっても忙しそう――」  右隅に開いた画像はリリィ、上部視覚域の大部分を占める正面視界は、整備用簡易足場に取り囲まれた〈ローゼーン〉と、操座に佇むアリスをそれぞれ捉えている。但しアリスの方は、正面視界に重なるようにして浮かぶ補助映像であり、これは〈ローゼーン〉側、アリス側との連携により実現されており、画像の片隅にそれを示すかの如く、〈ローゼーン〉という文字が明滅表示されている。 「――だから、せめてこれくらいは、と思って」  それらは全てマリヴァーの網膜に、性格には脳髄に、内側から£シ接投影されており、故にマリヴァーは、奇妙に歪んだ世界に、自分よりも遥かに巨大に見える、数列だらけの虚像に取り囲まれた異界に入り込んだ気分であり、実際、その通りだった。操演桿(そうえんかん)や踏板、頭部を覆う操演端末装置の僅かな感触が残っていなければ、彼は夢の中といった気分だったろう。  視線をリリィに向けようと……思う。その瞬間、片隅にあった補助画像が一気に視界を埋め尽くし、先のキャラの如く、余計なお世話ともいうべき数列が溢れんばかりに現れる。キャラの声が遠退き、代わりにリリィの独り言らしき音が頭部端末から響く。同じく、雑音を除去された上で。 「……キャラ君は私の助手なのさ、助手。さて、ほうら! やっぱ、ここはこれで……あれ? こっちか。……マリヴァー? なんか用?」  視界を埋め尽くすリリィがマリヴァーを振り向き、まるで耳元で囁いているかのようにいった。リリィの態度は自然で、しかしマリヴァーの方は不自然極まりなく、大袈裟に声を上げる。 「助手? ……ってそれよりも、リ、リリィ! なんで解る? 俺が今……」 「だって、こっち向いてるもん……目玉が」  まとわりつく蝿を払うような科白に、アリスの笑い声が重なる。彼女のそれも、目の前にいるかのような距離感。アリスを捉えた浮かぶ補助画像が、僅かに拡大され、やはり明滅する数列が出現し、今度は、その美声の周波数の高低や波長域を解析した波形図を伴い。 「ははは! マリヴァー、あんた、どうかしたの?」  と、アリスの姿は一旦下がり、直後、視界の右半分を、リリィを押しのける様にして再び現れる。マリヴァーと同じく操演端末を頭部にしたアリスは、そこだけ見える口元を大きく開け、耳元に囁くのと同じような微笑をたたえている。口の大きさは幾らで深さは……と、またも数列が並ぶ。彼女との距離感は、まるで枕元にいるかのようだった……昨晩のように。  この、十数秒足らずの体験は、マリヴァーを大いに驚かせ、ついでにおののかせた。彼は感じる。まるで自分が〈ナッシュバル〉のようだ、と。 「……アリス。そっちはまだ、あの反動遮断とやらがあるから、そんなことがいえるんだぜ。断言する、静電差エンジン、いや、オブジェと直結≠ウれたら、アリスだってきっと俺と同じくさ」 「うんにゃ! まだまだ、こんなもんじゃないのよ」  リリィが人差し指を突き立て、〈ナッシュバル〉の白濁した眼球越しにマリヴァーにいう。 「この状態でもまだ、反応速度は安全値の一割にも満たないんだぞ? 制限、限界、臨界、絶対値、想像できる? 極限の極限。今はまだ映像も二次元だし、体の方も稼動してないし、索敵・兵装管制も次元立体照準も、波動干渉炉も回折装甲も亜空間通信も、何もかも、まだだぞ。……ぜーんぶそろった時、それが! 本当のオブジェで本当の機師なのだー!」  力説する自称天才技構師、そばかすリリィ。マリヴァーはふと、背筋に冷たさを感じた。ガボットが口にした「人体実験」という単語が頭をかすめたのだ。 「……リリィちゃんよぉ、程々に、たのむぜ?」  今や〈ナッシュバル〉と化したマリヴァーは、そう囁き、しかしリリィは適当に頷くだけであった。キャラの必死の息遣いが小さく頭に響き、しかしそれを羨ましく思うマリヴァーだった。あっちの方が楽かもしれない、と。 「マリヴァーったら、今になって尻込み? くくく!」 「……その科白、そのまま返してやるよ」  そして、他人事であったアリスの笑い声は、数分後、悲鳴に変わった、マリヴァーの予言通りに。〈ナッシュバル〉の調整を終え、漸く〈ローゼーン〉にリリィの手が入ったのだ。 「――げっ!気持ち悪ぅー! きゃー! 何よこれ! 変なのが一杯……うわっ! た、助けてー! ――」  数時間後、〈ローゼーン〉及び〈ナッシュバル〉、二体の全ての基本調整は、無事、終了した。  旧連邦や〈ファー・レイリー〉では、オブジェを「操縦する」といい、実際その通りであった。機師と呼ばれる軍人達は、教本と教官に教わった通りに操演桿を右に左に動かし、操座を埋め尽くす装置群を叩きつつ、その中央にある画面を睨み付けては、照準装置越しに敵なり的(まと)なりを斬りつける。まるで、何らかの重機なり機械なりを動かすように。それがこの時代の、オブジェと機師の姿であった。  時代と逆行する機師とオブジェに対する技術はしかし、退化ではなく、激減する機師(真機師)資質に対する、人類のあがきの結晶でもあった。オブジェに頼る人類の……。  だが、二人の体験したそれは「操演」であり、それこそが「本当のオブジェ、本当の機師」の一部≠セと、リリィは二人に教えた。だが、本当の機師、真機師たるアリスとマリヴァーには、それを聞き、理解するだけの気力は、残っていなかった。  お互い肩を寄せ合い、休憩室でぐったりとし、生返事をするのが精一杯だった。その虚ろな瞳に、リリィとキャラは映ってはいない。圧倒的な物量の残像が、意味の無い図形としてこびりつているだけであった。 「ほらね?」 「何が?」  誇らしげなリリィにキャラが問う。彼もまた疲労気味だったが、それは眼前の二人に比べれば取るに足らないものらしい。 「死ななかったでしょ? これぞ天才技構師リリィちゃんの腕なのだー!」  キャラにはしかし、アリスとマリヴァーが絶命寸前にさえ見え、更に、暫く後には自分もこうなるのだと思い出し、先刻のマリヴァーに似た薄ら寒さを感じた。 「頑固じじぃめー! どうだ! 思い知ったかー! てやー!」  小さな拳が空を切る。彼女の宿敵、老齢技構師ガボット・リャザーノフがどう思ったかは不明だが、少なくともリリィのそばの三人は、それを充分すぎるほど思い知ったようである。 「……マリヴァー……生きてる?」 「死んでる……間違いなく……そっちは?」 「同じく……脳みそが溶けてる、絶対……」 「……これって、戦死なのか?」 「二階級特進? ……いらないから……寝る」 「……同じく……」  断末魔のような囁きはリリィとキャラには届いておらず、しかし届いたところで、キャラはともかくリリィが耳を貸す筈もなかった。彼女は、頑固じじぃ相手に、我流演舞の最中である。寝息すら聞こえぬ、深い眠り。夢さえ見ない、深淵の果て。アリスとマリヴァーが寝台に折り重なる様にして倒れるのを見届け、リリィとキャラは休憩室をそっと出た。  太陽は天頂目掛けてゆっくりと進む。機師達は決戦に備え休息を取り、技構師達は今まさに決戦といった様相で、慌ただしく駆け回る。天才かどうかはともかく、技構師であるリリィもまた、キャラの手を取り、駆け出していた。 「さー! 仕上げに入るぞー!」 「ま、まだやるの?」 「これからが、天才技構師リリィちゃんの腕の見せ所なのだー!」 「ぼ、ぼ、僕も?」 「キャラ君はリリィちゃんの助手! 当然だぞ!」  何処にそんな力があるのか、リリィはキャラを半ば引きずるようにして、一路、格納区画へと猛進する。本人が如何に決意しようとも、やはり他人に振り回される運命にある、キャラウェイであった。  扉越しのどたばたという足音に、カナデ・ヤシロはちらりと目を向け、ふっと溜め息を吐き、再び無機質な天井を眺める。固めの寝台に仰向けのヤシロを見守るように、壁際の椅子でサイゾウ・ミブが、腕を組んで座していた。瞑想、悟り、そんな形容が相応のミブに、寝返ったヤシロが微笑む。床屋のカナデの柔らかな笑顔である。 「……寝てるの? サイゾウ?」 「そう見えるか? 目を開けているぞ?」  ヤシロの笑みが笑い声に変わる。くすくすと、心底楽しそうに。目を細め、奇麗に並んだ白い歯をちらりと覗かせる。 「貴方なら有り得そうよ。違って?」 「カナデ、人を変わり者みたいにいうな。俺は普通だ」  女性にしては低めのヤシロの声色は、体格同様の重厚さを持ったミブのそれに比べれば、淑女の如きであった。 「普通の、仏像? ……くくっ!」  寝台で体を丸め、ヤシロは腹を抱えて笑う、まるで子供のように。それにつられたのか、ミブの顔にも僅かな笑みが浮かぶ。 「それでいい。カナデがそうだというのなら」 「あら嫌だ! ひょっとして、ぞっこん? 私一筋? 照れるじゃあないの、ははは!」 「それは……」  置物のようだったミブはいいつつ立ち上がり、ぎしぎしと床を鳴らし、寝台に、ヤシロの間近に腰掛ける。ミブの体重の分、寝台は沈み、傾いた寝床を彼の腰目掛けてヤシロが転がる。 「……お互い様だ」 「床屋に仏像を飾るの? くははっ! 妙だけど、でも、悪くないわね……。繁盛する……かも……ね」  ヤシロの休憩個室のからからという笑い声は、最初は大きく、しかし徐々にしぼみ、最後には止んだ。傷だらけの大きな掌に、白く細い指が絡む。敵、味方、無数の死を払いのけてきた、それぞれの掌。 「サイゾウ……死なないで」 「それも、お互い様だ」  休憩室の扉の外では、相変わらずどたどたと駆け回る技構師達の足音が響き、それでも、二人には充分な静寂であった。 「わしらではなく、皆の、若い者達の未来。我々が必死に守ろうとしているのは、そんなものだと思わんか?」  自室で、ウィル・ジルコン将軍は壁の飾りに向けて呟く。直線を描く背筋、腰の後ろでがっしりと組まれた筋肉質の両腕。突き出した胸板と、その分引いた顎の上には、白い眉が覆う濁った、しかし射抜くような眼光。  旧ガイアナ連邦軍の上級将校、機師ウィル・ジルコン。歴戦の覇者にして、現代の〈豹機カミオン〉と称えられた、正真正銘の戦士。背後に立つ熟練の技構師、ガボット・リャザーノフが、そんな戦士の呟きに頷く。 「かもな。だが、あいつらの未来はあいつら自身が切り開くのが筋で、わしらはその手伝いをしているに過ぎん。老後の為にな。世話をしてもらわねばならんからの」  ガボットの笑い声は雄叫びにも似たもので、ジルコン将軍と、彼の周りの大気をびりびりと震わせる。 「ふむ、わしらの為でもある、か。そうじゃな。孫の顔を久しく見ておらん。戻らない訳にはいかんか……」  壁に掛けられた額縁の一つ、色褪せた写真を見詰め、ジルコン将軍は自身を諭すようにいう。腰に下げた工具をがちゃがちゃと鳴らし、ガボットはジルコン将軍と肩を並べ、同じく写真を見る。  晴れた空にまばらな白い雲。何処かの小さな家の前に立つ、幾らか若いウィル・ジルコンと、その肩に乗る小さな女の子。傍らに彼女の親らしき夫婦と、知り合いの数人。何処にでもある、ごく普通の写真。昔はごく普通だった、今は無き、平穏な日々。 「わしは――」  首をごきりと鳴らし、ガボットは顔の前に拳を作る。数々の仲間を送り出し、そして帰還させて来た太い魔法の杖。その先端にある、彼の信念と同じく、岩の如き拳。 「――あの頑固娘と決着をつけねばならんからのぅ。技術屋として、いや、技構師として。この神聖な決闘に今の戦争は……邪魔だ!」 「リリィ・ノイロン、か? お前さん、孫のような娘を相手に決闘するのか?」  ジルコン将軍の、そのからかうような口調は、決して誰も知らない、ガボットだけが知る、彼の一面である。〈ファー・レイリー〉北部基地指揮官、ジルコン将軍ではなく、戦友、ウィル・ジルコンの面影である。 「あんな小生意気な孫は、根性から叩き直さにゃあならん!」 「まあ、精々、叩き直されんようにな」  皺だらけの顔をお互い眺めあい、二人は大声で笑う。 「ウィルよ、戻れよ……必ず」 「当たり前じゃ。孫はわしを好いておるし、何より、お前さんの鼻がへし折られるのを、見逃すつもりはないわい」  又も笑いあい、暫くして、二人は所定の位置に戻った。今は無きガイアナ連邦ではなく、〈ファー・レイリー〉北部基地のそれに。  格納区画、の屋外裏手。  一体のオブジェに、先の〈ローゼーン〉〈ナッシュバル〉と同様、整備用簡易足場が設けられていた。旧ガイアナ連邦軍の汎用機であるそれは、〈ファー・レイリー〉の戦力の大半を占める、ごく普通の、ゾエア級オブジェである。搭乗機を〈ナッシュバル〉へと変えた、マリヴァーの使用していたそのオブジェの背後には、重機が数台、仕事を終えて佇んでいる。 「ねぇ、これで?」 「そう。キャラ君はこれで暗洋(宇宙の意)へと、旅立つのだー!」  半ば強引に操座に押し込まれたキャラは、搭乗口から頭を出し、オブジェ頭部付近の足場に座り込んだリリィを見上げる。リリィの周りには配線やら装置やらが無数に転がり、彼女はそれを一心不乱にいじり回している。 「ねぇ、リリィちゃん。ぼ、僕も、マリヴァーさんみたいになるのかい?」  手にした無線端末に向けキャラは訴え、それが頭上にある、オブジェの対外音声装置で再生される。キャラにはオブジェの搭乗経験は無く、また、操縦なり操演なりをする知識も皆無だった。彼は民間人であり、当然といえば当然で、だからこそ操座にありつつ無線端末を握るのだ。  彼には自分を取り巻く装置群のどれもが、未知の塊なのだ。ただ一つ解るものといえば、操座正面中央にある画面に映るのが、リリィである、ということくらいだった。 「マリヴァー? なんないよ。キャラ君は〈エコー〉専門だから、変な癖、つけちゃあ駄目なの。これは〈エコー〉の待つ暗洋への、単なる旅支度なのさ」  背後、操座からのリリィの言葉に安堵するキャラ。と、彼の目の前にリリィが、梯子を滑って降りてくる。 「さ、交代。中、見るから。キャラ君はそこにいて、私のお手伝いだ」  搭乗口に飛び込むリリィを横目にキャラは、やはりどういうものか解らない装置やら機材やらの並んだ足場に立ち、なんとはなしに上を、オブジェの頭部を眺める。  ごてごてとしてはいるが、両眼があり、鼻や耳のように見える突起があるので、それは人の顔か、仮面のように感じる。見下ろせば四肢があり、手には五つの指もあり、それら全ての長短大小の比率は、キャラやリリィ、マリヴァーやアリスと殆ど同じである。キャラには、オブジェは大きな人、人間だと見えた。 「……小さなオブジェが……人?」 「キャラ君、それ、横の箱、取って」  いわれて我に返るキャラ。数年ぶり、漸く回転を始めたキャラウェイの思考。しかし、横にある無数の箱の群れのどれが「それ」なのかは、やはり全く解らなかった。 「……これ?」 「違うー! その横! 助手! ちゃんと働けー!」  キャラウェイがもし、オブジェに対して幾らかでも造詣があれば、彼の道先案内人であるゾエア級汎用オブジェの背を見て、仰天したであろう。超重量の塊であるオブジェを空中へと、更には宇宙へと運ぶ電離推進機構、通称〈アーマライト・リアクター〉。  知性鉱物ストロマトライトによる粒子静電差現象を応用した推力発生装置であるそれは、普通、いや、常識として、オブジェ一体につき一基が背部に搭載される。粒子静電差現象による恒星に匹敵するエネルギーによりオブジェは基本的に永久機関であり、それの応用たるアーマライト・リアクターとて一基あれば十分なのだ。  それが、その、キャラを運ぶ、リリィの玩具と化したゾエア級汎用オブジェには、三基、取り付けられていた。これが何を意味するのかは、リリィと他の技構師や機師にしか解らず、つまり、キャラ以外なら誰にでも理解可能であり、恐らく仰天して卒倒するか、卒倒して仰天するかの、どちらかであろう。 「ねぇ。あの……座標? 〈エコー〉の場所って、遠いのかい?」  知らぬが仏のキャラは、工具を手渡しつつ、そう尋ねる。操座でじたばたするリリィは体をよじり、頭をぴょこりと出し、にやりと白い歯を見せた。そばかす顔が柔らかくねじれる。 「ほんのすぐそこ、あっという間だぞ。そ、あっ! という間」  そうなのか、と又も安堵するキャラ。これぞまさに、知らぬが仏である。  頂点へと辿り着いた陽光は〈ファー・レイリー〉北部基地を、荒野、格納区画、休憩室、倉庫、武器庫、廃材置場、あらゆるものをまんべんなく照らし、また、各人に優しく微笑みかける。駆け抜ける砂埃もまた、激励するように風鳴りをあげる。やがて日は落ち、辺りは風鳴りと、静寂に満たされて行く。  マリヴァーとアリスは延々と眠り続け、ヤシロとミブ、仕事を終えた技構師や機師各人もしかり。〈ファー・レイリー〉北部基地は、久方ぶりの小休止といった様子だった。  ずっとこのままだったらどれだけ素晴らしいか、そう、誰かが呟く。そして、嘆く。その慌ただしくも平穏な時は、儚き寿命を一瞬にして終えるのだと……。 《三九九四年X》  漆黒の闇、遥かなる暗洋。  白く輝く真円、太陽と、それを取り巻く星々。無言の宇宙、静寂が埋め尽くす、永遠の沈黙。その片隅に、引力の鎖を断ち切り大地を発った、一筋の光(ファー・レイリー)が射す。深青を覆う白い大気、惑星ガイアナからのかすかな灯かりで背後を照らされた〈ファー・レイリー〉北部基地部隊、ジルコン将軍率いる、総勢百十二の機師とオブジェ達である。  その眼前に佇むのは、美しい半円の月と、彼等の敵〈グリス・グロス〉の展開した、壁であった。半円の月の下半分を隠す、圧倒的な大編隊、無数のオブジェ。『惑星浄化』を掲げる、膨大な殺戮兵器の壁である。 「……な、なんて数……」  カナデ・ヤシロの震える声が、通信周波帯を渡り、僚機、サイゾウ・ミブと、旗機、ウィル・ジルコン将軍に届く。 「索敵急げ! 先行した西部基地と東部基地の部隊は?」  ミブの怒鳴り声に、ジルコン将軍の歯ぎしりする音が重なる。間髪を入れず、ミブ隊の一人から通信が入る。 「敵の数は……お、およそ、二千八百! 西部及び東部部隊との交信は不通……いや、は、反応が、ありません! ……将軍!」  操座側壁を殴り付け、ジルコン将軍は喘ぐように、軋るように洩らす。 「……全滅、したのか? わしらが到着するまでの僅か一時間足らずで、……四百余りの同胞が? そんなことが! ……ミブ君、例の、〈ハイナイン〉か〈ワンデルク〉の仕業なのか、これは……」  ジルコン将軍のオブジェ〈フォーマルハウト〉が剣を放つ。押し殺した怒り、憤りの込められた、白く光る剣が、無言の暗洋を切り裂く。 「まだ、のようです。……ミブ隊、臨戦編制! 十秒以内だ!」  いいつつミブのオブジェ〈スパンカー〉もまた、反り返る刀を抜き、未だ射程距離外にもかかわらず、構える。彼に続き、三十余りの剣が抜かれ、機師達は眼前の敵、オブジェの壁を睨み付ける。 「ヤシロ!」 「ヤシロ隊、同じく……五秒で配置につけ!」  まだ戦闘は始まっていない。にもかかわらず、ヤシロの呼吸は荒立っていた。気密戦闘服の内側は既に汗だくで、しかし照準端末を睨むヤシロ自身はそれに気付いていない。ヤシロの駆るオブジェ〈グラナドス〉は盾を背に仕舞い、刀を、ミブの〈スパンカー〉と同じく反り返った刃を抜き、それを眼前の敵の群れに突き出す。切っ先が月光により白く鋭く輝いている。ヤシロの鋭利な眼光の如く。 「各機各人――」  ジルコン将軍の〈フォーマルハウト〉から、今やただ一つとなった〈ファー・レイリー〉全員に向け、静かな、しかし明瞭で力強い声が駆け抜ける。 「――ここが、最後の戦場だ。……死ぬな、決して、誰一人として、死ぬな。これは〈ファー・レイリー〉指揮官、ウィル・ジルコンからの……命令だ! ミブ君! ヤシロ君!」 「ミブ隊……迎撃開始!」 「みんな、ついて来て! 先行〈グラナドス〉、出るぞ!」  両翼を広げた〈ファー・レイリー〉の二つの爪が、無尽蔵とも思える壁に向けられた。そして、くちばしたるオブジェ〈フォーマルハウト〉もまた、それに続く。 「ジルコン隊、〈フォーマルハウト〉を先頭に左右に展開! ミブ、ヤシロ、両隊に続け!」  だがしかし、その様子はまるで、獅子の群れに飛び込む、ひな鳥のようであった。〈ファー・レイリー〉が進行を開始するのを見届け、獅子たる〈グリス・グロス〉の大部隊が、ゆっくりと動き始めた。惑星ガイアナ、ガイアナ大陸全土に中継される戦況に、人々はただ、ひたすらに祈るのみだった。ひな鳥の、獅子の群れになぶられるひな鳥のかすかな奇蹟を。有り得ない、夢の如きそれを、ただただ祈る。 「祈るのみか? ふん! 祈る時間くらい、稼いでやるさ! 床屋の鋏を甘く見るな! 刈り取ってやるよ! 丸坊主だ!」  先行する〈グラナドス〉、ヤシロが最初の一体と刃を交え、静寂に包まれた暗洋は、一転、戦場と化したのだった。獅子の群れとひな鳥の、無意味とさえ思える闘い。無謀の極みの……抵抗。人々の祈りすら玉砕する、獅子の雄叫び。『惑星浄化』という名の、遠吠え。  何もせずに死ぬ事を選べるほど我々は、そして他の人々も潔くはない。だからこそ、と、ジルコン将軍は呟く。 「戻らない訳にはいかんのだ……」  敵対反応警報音、照準装置を睨む戦士の眼光は、古びているが、しかし錆びてはいない。〈フォーマルハウト〉の剣は、それを示すかの如く、〈グリス・グロス〉オブジェの壁に叩き込まれた。 「〈豹機カミオン〉、力を、わしに力を授けてくれ!」 「――これで! 九つ! みんな、生きてるな? ちっ! きりがない!」 〈グラナドス〉を筆頭とするヤシロ隊は、〈ファー・レイリー〉本隊から切り取られ、周囲を、上下左右を完全に包囲されていた。まるで鳥かごのように。〈グラナドス〉の刀は確実に敵を捉える、が、その必殺である筈の太刀筋は、一撃で致命傷を与えるには至らない。オブジェの性能差、ただそれだけのことが、彼女、機師カナデ・ヤシロを大いに逆撫でる。オブジェ〈グラナドス〉は汎用機ではなく、だからこそ無数と思われる敵のうち、九体を落とすことが可能なのであった。  だが、彼女の部下達のオブジェはそうではない。旧連邦の、摩耗しきった汎用機なのだ。皆、降り注ぐ斬激を受け、かわすことで精一杯であり、開戦から僅か数分ながら、まだ一人として撃墜されていないのは、ヤシロ隊の旗機たるオブジェ〈グラナドス〉、機師カナデ・ヤシロあっての奇蹟であった。しかし、それが程無く限界を超えるであろうことは他でもないヤシロ自身が痛感しており、また、サイゾウ・ミブ〈スパンカー〉やウィル・ジルコン〈フォーマルハウト〉もまた、彼女と同じくであった。せめて数か、性能か、どちらかが拮抗していれば、剣を振るう〈フォーマルハウト〉、ジルコン将軍はそう思い、また、叫ぶ。 「……ほう。良く動く機体が幾つかあるな」  それは突然、戦闘宙域全員の耳に届いた。 「地上にもまだ、それだけの血が残っていたか……」  共用通信回線。戦闘・軍事用ではない、一般・民間仕様の、傍受自由なそれが、戦闘宙域を駆け抜けたのだ。〈ファー・レイリー〉があからさまに動揺する。 「……月にしか、〈グリス・グロス〉にしか無いと思っていたが。しかし――」  冷徹さを思わせる声色は、ヤシロ、ミブ、ジルコン将軍、その他多数の機師達を狼狽させ、その集中力を削ぎ取る。戦闘中に何故、共用通信? そんな無意味な……。疑念が溢れる。 「――機師はともかく、オブジェが伴っていない。ならばやはり、ないに等しいか。しかし、良い動きだ。落とすのは惜しい気もするが、それもしかたがないか。……まずは――」  十二体目の頭部をなぎ払った〈グラナドス〉の眼前に、それは突然現れた。息を切らしたヤシロの視界を埋め尽くす、黄金色の……。 「――貴様からだ」 「……な、何!」 「カナデ!」  ミブの叫びが真空を伝播する。  勝たなければならないが、勝てない戦いでもある。〈フォーマルハウト〉で同胞を庇いつつ、ジルコン将軍は自身の言葉を思い返し、噛み締めていた。開戦から僅か数分、戦死する暇すらない数分間にも関わらず……。  深青を覆う白い大気の下、ガイアナ大陸北部、地上最後の〈ファー・レイリー〉。  離着陸場に二体のオブジェが佇む。アリシェラ・バナレットの〈ローゼーン〉と、マリヴァー・ルキアノスの〈ナッシュバル〉である。二人は、半ば叫びと化した戦闘宙域からの通信に耳を傾け、断片的な映像を無表情で見詰めていた。頭上とは対極に、夜明け前のそこは闇と静けさに包まれていた。まるで、先の、ジルコン将軍の見た暗洋の如く。  二人は既に静電差エンジンへと直結されている。アリスは眼前で黙するマリヴァーに、小さく囁く。 「……どう? 行ける? リリィちゃんの話が本当なら、十秒であそこに辿り着けるわよ?」  ジルコン将軍達が三十分以上かけて到達した宇宙。惑星引力を電離推進機構により引き千切り、更にそのまま超重量のオブジェを星空へと、機師への負担を最小限に押さえて飛び立つには、最低でもそれだけの時間が必要だった。だが、それはリリィの言葉を借りれば「オブジェもどき」の場合であり、アリスとマリヴァーの搭乗するオブジェはそうではない。それはリリィにいわれるまでもなく、既に二人共、実感し、体感している。 「もう少しだ。……リリィちゃんは確か五秒以下だと、そういっていなかったか?」 「〈ローゼーン〉は、でしょ? 〈ナッシュバル〉に歩調を合わせれば、大体それくらいは必要よ。でしょ?」  二体はそれぞれ特化したオブジェである。起動性能を追求した〈ローゼーン〉、戦闘能力に長けた〈ナッシュバル〉。共に汎用とは桁違いの基本性能を有していたが、アリスのいうように、二体にはそれなりの差があった。 「よし、炉圧安定。歩調を……そうか」 「そうよ。さあ、そろそろ行かないと……」  視覚域を遥か上空、戦闘宙域に切り替える。〈ローゼーン〉は、〈スパンカー〉や〈グラナドス〉、ジルコン将軍の〈フォーマルハウト〉の中継無しにそれを出来、〈ナッシュバル〉もまた同じくであった。 「そうだな……。じゃあ……あ!」  と、それまで軍法会議か密談の如きであった会話に、マリヴァーの場違いな、頭の先から飛び出したような間の抜けた叫びがする。アリスがあからさまに顔をしかめる。 「ちょっと、何よ。この後に及んで忘れ物?」  その声色が「緊張感を壊すな」と訴えている。マリヴァー側の操作により、アリスの視界に彼の顔が拡大され、まるで間近で見詰め合うような具合になる。 「そう、忘れ物だ。アリス、君に伝言があった。……ディージェイから」 「……ディージェイ? ……ああ、例の猫背のなんとかって?」 「猫目だ。まあそれはいい。じゃあ、伝えるぞ……」  とぼけた口調が再び先刻の厳しさを取り戻し、アリスは構える。マリヴァーは一字一句、区切るように、明瞭にいった。 「『仕えなさい』、そう伝えろと」 「…………誰が? あたし? で、誰に? っていうか、何に? そもそも何で?」 「……知るか! ともかく、確かに伝えたぜ。さあ……行こうか。みんなが待ってる」 「ちょ、ちょっと!」  基地の通信室で、二体の様子をじっと見守っていた面々に緊張が走る。技構師、歩哨、戦えぬ機師、雑兵、発起した民間人、皆の見守る中、微動だにしなかった〈ナッシュバル〉の体躯がかすかな軋りを上げ、遂に動き出す。ゆっくりと膝を曲げ、屈み込み―― 「マリヴァー・ルキアノス! 〈ナッシュバル〉、出るぜ!」  ――重圧なアーマライト装甲板を敷いた大地を蹴り上げ、〈ナッシュバル〉が跳躍し、一瞬にして視界から、画面から消え去った。通信室でその光景を見た面々は、驚愕の余り絶句する。 「……な、何だ! おい! 今の! 何だよ!」 「リアクターは? どうやった? ……消えたぞ!」  電離推進機構〈アーマライト・リアクター〉による離陸が常識である彼等にとって、マリヴァーの、〈ナッシュバル〉のその跳躍は、文字通り常軌を逸脱したものだった。 「もう! ……アリシェラ・バナレット、〈ローゼーン〉、出撃!」  通信室の発声器が響き、惑星を中心に据えた電光表示の戦略地図上を、〈ナッシュバル〉を示す点滅が、文字通り光速で進み、次いで〈ローゼーン〉のそれが〈ナッシュバル〉に追いつく。技構師は真っ白になった頭で思う。何故、リアクター無しでオブジェが飛べるんだ? と。機体中の機師が肉片となって操座にこびりつく様を、皆が同時に思い浮かべる。が、画面の一つ、操座を写すそこには、笑顔こそ消えたものの、先程と変わらぬ姿の二人があり、それがまた技構師達を驚愕させ、眩暈を起こさせる。  人にあらぬ人、真機師は、瞬間を永遠に引き伸ばし、永劫の時を千思万考し、広大な虚構を歩む。無限に加速する思考、オブジェに、静電差エンジンにより加速される、幾万通りの諦観。鋭利な五感はオブジェの体躯。その最強の四肢は、時空を超えて、敵を討つ。 (ヤシロさん? 奴? マリヴァー、右、ミブさんの所へ。あたしは先に。奴が待ってる) (後で行く、無茶はするな。あいつ、半端じゃあないぞ) (知ってる、充分に。だから、急いで) (……了解。おとなしく待ってろ)  ヤシロの視界を埋める黄金色。 「――まずは貴様だ」 「いいえ、あんたよ!」  突然、〈グラナドス〉とカナデ・ヤシロの瞳に、黄金色の残像と、閃光が焼き付く。手で顔を庇うヤシロの仕草はそれらが消えてからの、それでも瞬間の反射であった。 「……な、何!」 〈グラナドス〉の索敵機能にはそれら、黄金色の残像なり閃光なりは、一切捕捉されていない。自分は死んだのだ、ヤシロはそう確信した。だが、苦しまずに、一瞬にして死界に辿り着けたことが、喜ぶべきことなのかどうかは、良く解らない。ともかく、自分はもはや無く、それを悲しむであろうサイゾウを思うが、ヤシロはそれすら実感出来ないでいた。 「カナデ!」  鼓膜を打つ声。サイゾウ・ミブの叫びで、ヤシロは我に返る。死界から戦場へと舞い戻る。 「何?」  操演桿を再び握り、ヤシロは照準装置と索敵画面に目をやる。どうやらまだ生きているらしいことを、彼女は徐々に理解する。〈グラナドス〉が再び動き出す。が、静止していたのは、ほんの一秒足らずである。戦況は全く変わってはいない……筈だった。 「何が……」  ヤシロは繰り返す。意識は元に戻ったが、理解がついて行かない。部下は、そのまま。〈グラナドス〉の被害もまた、変わらず。だが……。 「隊長! 包囲網の一部が破れました、離脱を!」  部下からの入電で索敵画面を確認する。下方、〈グラナドス〉と部下達の足元にあったオブジェの壁に、大きな穴がある。理解は後回しだと自身にいい聞かせ、ヤシロは叫ぶ。 「全機! 包囲網突破! 下方、ガイアナ方向だ! 急げ!」  部下の汎用オブジェはその最大出力で突破口目掛けて猛進し、しんがりに〈グラナドス〉、幾つかの追撃をなぎ払う。 「ジルコン隊、〈フォーマルハウト〉と合流して! 〈グラナドス〉は状況確認に残る……行け!」  恐らく十七体目であろう〈グリス・グロス〉オブジェを落とし、ヤシロは再度、命令を下す。刀を構える〈グラナドス〉。しかし、ヤシロ隊を包囲していた敵部隊は追撃を止め、後退を始める。いや、本隊と合流するつもりらしい。千だか二千だかの本隊と。 「ヤシロさん! 無事?」  無意識、反射で全てをこなしていたヤシロに、聴きなれた声がかけられる。 「……ア、アリス?」  味方識別反応の位置を確認し、ヤシロと〈グラナドス〉は頭上、暗洋を見上げる。そこで漸く、彼女は黄金色の残像の正体を知ったのだった。 「あれが? ……例の、〈ハイナイン〉か?」  そこでは、黄金色に輝くオブジェ〈ハイナイン〉と、もう一体のオブジェが睨み合っていた。 「アリス?」  またも繰り返すヤシロ。あの機体は確か、いや、間違いなく、アリスの〈ローゼーン〉。理解がどうにかついてきたヤシロだが、しかし、出てくる言葉は変わらない。 「アリス? アリスなの?」  落ち着け、冷静に、ひたすら自身に言いきかせる、カナデ・ヤシロ。その遥か上空で、〈ローゼーン〉と〈ハイナイン〉は、一触即発の睨み合いを続ける。真機師アリシェラ・バナレット出撃から、僅か十二秒後のことである。  遥か別宙域。  サイゾウ・ミブの部隊もまた、圧倒的な物量に押しつぶされていた。ミブの〈スパンカー〉の斬激は、砂漠に水滴を一つ落とすに等しい。一撃必殺はしかし、その対象が無尽蔵ゆえ、守りにさえならないでいる。 「ローキー機、被弾!」  部隊からの入電にミブは即座に判断しつつ、また一つ、撃墜する。 「コールドウェル! ローキーを援護しつつ後退しろ!」 「りょ、了解!」  二人が同時に返す。二十倍以上の数の敵、これでも全〈グリス・グロス〉の、ほんの一部に過ぎない、しかしミブを追いつめるに充分な敵の群れ。だが……。 「だが! 一体でも多く落とせば! その分は愚行が遅れる! 〈スパンカー〉を甘く見るな!」  性能差を剣技と覇気で補い、〈スパンカー〉の刃は次々と敵オブジェを両断する。しかしそれは、無限とさえ思える数の前では、余りにも途方もない行為であった。 「編制は――」  再度の入電。ミブは刃と同じく耳を研ぎ澄まし、その声に驚く。 「――俺が先行、だったよな? ミブ?」 「マリヴァーか?」 「すまん、遅れた。が、その分はすぐに取り戻す。そう……あっという間にな」  今まさにミブ隊に降りかからんとしていた敵の波が、弾け、そして、消えた。まず中央、数体の敵が砕け、そこに出来た穴が、まるで焼け焦げて行く紙のように徐々に広がり、無数の敵、の破片がミブ〈スパンカー〉に降り注ぐ。高速度で移動するそれを〈スパンカー〉が捉え、視界に伝送する。味方識別信号、機体名は……。 「〈ナッシュバル〉! マリヴァーか!」  ミブは先日、作戦会議での彼、マリヴァー・ルキアノスの言葉を思い返す。〈ローゼーン〉と〈ナッシュバル〉は……。 「……別格? これほど、これほどにか?」  その光景に目を奪われるミブ。彼が呟き終わる頃、無尽蔵だった敵の壁、オブジェの波は、無尽蔵の欠片へと姿を変えていた。そして、星屑と鉄屑の直中、一体のオブジェが「どうだ?」といわんばかりに、〈スパンカー〉を見詰めていた。 「……マリヴァー」 「これは貸しにしとく。帰ったら一杯おごれよ、ミブ」  マリヴァー・ルキアノスの駆る〈ナッシュバル〉。彼はいった。〈ナッシュバル〉は別格だと。そして、戦力の要だとも。 「ああ……久々に飲み比べでも、やるか。……ミブ隊各機はジルコン隊〈フォーマルハウト〉と合流する。再編制だ」 「底無しのお前とか? いいぜ。今度こそ負かしてやるさ。退路を確保する、任せろ」  アリス〈ローゼーン〉到着から遅れること、五秒、ミブ隊は移動を始めた。  アリス、マリヴァーの両機が出撃した頃、キャラウェイ・シュナイドルと、彼のゾエア級汎用オブジェは、〈ファー・レイリー〉基地を幾らか外れた場所に位置していた。空の上、戦場の様子は〈ファー・レイリー〉旗機からの通信と映像で、キャラにも届いている。 「リリィちゃん! 僕らも早くしないと!」  握り締めた通信端末に半ば怒鳴るキャラ。雑音だらけの通信と映像でも、戦場の緊迫感、迫り来る死の感覚は充分すぎるほど彼に伝わっている。リリィからの返答は地上同士であるので、雑音のない、聞き取り易いものだった。 「あいよ。座標確認……固定。リアクター電荷、その他もろもろ、ぜーんぶ完了。……キャラ君、旅立ちだぞ。でも、キャラ君の行くとこは、将軍さん達とは正反対って知ってる?」 「え? そうなの? じゃあ……」 「急ぐ気持ちは解るぞ。私だってさ。でもね、戦うのはそのオブジェじゃない、でしょ?」  解っている! そう叫びそうになるキャラだったが、それをねじ伏せ、ゆっくりと、慎重に呼吸する。ヤシロ達の焦燥が、自分にまで及んでいたことを実感した。目を閉じ、再び深呼吸、それでキャラは冷静さを取り戻した。 「……そうだった。僕は〈エコー〉で戦う。その為にリリィちゃんは一生懸命、準備をしてくれたんだ。そう……。ごめん。何だか……」 「とっても良く解るぞ。解るから……さあ、旅立ちだー!」  キャラは大きく頷き、通信端末を握り直す。目の前に貼り付けた二枚の紙切れ、目標座標と、操作手順を記したそれらを見直し、もう一方の手で、書かれた通りに装置を叩き、操演桿を引く。 「キャラウェイ・シュナイドル、出発します!」  基地内に響くキャラの声は、直後の、突然の大爆音により掻き消された。荒野が、大地が揺れ、振動は基地通信室にまで達した。ガボットや他の技構師達は足元をすくわれつつ、キャラのいた方向を映す画面を見て仰天、卒倒した。ガボットがあんぐりと口を開いて、各人を代表するかの如く叫ぶ。 「な、なんじゃあ? あれは! リアクターが……爆走しているのか!」  戦闘宙域とは反対の星空に向け、惑星に添って飛び立ったキャラのオブジェ。しかしその様子は、技構師達の知るそれとは全く違っていた。先の、アリス、マリヴァーとも違う、しかし技構師達を唖然とさせる、キャラを乗せたオブジェの輝き。それはまるで小さな太陽のような光を放ち、超速度で飛び去っていったのだった。先の二体には及ばないものの、それでも常識外れの速度である。 「は、早く、早く止めろ! オブジェが粉微塵になる! キャラウェイが挽肉になっちまうぞ! おい! リリィを呼べ、いや、わしが行く!」  呆気に取られた面々をよそに通信室の扉を蹴破り、ガボットはリリィの休憩個室へと猛進し、同じくその扉を蹴破りつつ叫ぶ。 「リリィ! あれはどういうことだ! キャラウェイのリアクターが! おい! 起きろ!」  怒鳴りつつ寝台にしがみつき、毛布を剥ぎ取ったガボットは、そのつぶらな瞳を見て、またもや口をあんぐりと開き、絶句した。毛布の下のつぶらな瞳。放心したガボットを慰めるように、かわいい熊のぬいぐるみが、にこりと微笑んでいた。 「……リ、リリィー! 何処に行きやがったぁー!」 「ここだぞー、頑固じじぃー」  基地内各所に設置された発声器から、かわいい熊のぬいぐるみではない、しかし可愛らしい声が響く。  うろたえ、休憩個室を見渡すガボット。再び通信室へと取って返した彼は、画面の一つを見て腰を抜かす。基地の面々に向け、舌をだして「べろべろばぁー」などという技構師、リリィ・ノイロンがそこにいた。勿論、それは基地面々に向けてではなく、頑固じじぃこと技構師ガボット・リャザーノフに対してなのだが、しかし皆もまた、ガボット同様、腰を抜かさんばかりに脱力する。 「……リ、リリィ! ……ここ? 何処だ? ……!」  画面の隅に浮く電光表示を見て、ガボットは気絶しそうになる。通信室に形容し難い沈黙が充満する。溜め息か鼻息か、そんなところだ。場違いは続き、通信端末の一つが、なにやら喋り出す。 「あれ? リリィちゃん? なんでそこに?」  別画面上のキャラが背後を振り返り、先の「べろべろばぁー」画面にキャラの赤毛の後頭部が映り込む。基地、ガボットをよそに、二人は茶会の如き和やかな会話を始め、通信室もまた、奇妙な茶会の様相となった。 「キャラ君、オブジェ動かせないでしょ? いちおう目的地は座標固定して自動操縦だけど、万が一、例えばグリグロがやって来たりしたら、逃げるとか戦うとか、必要だぞ。だからリリィちゃんがここにいるのだ」 「ああ、そうか。そういえば、僕、オブジェとかって全然解らないし、そうか、ありがとう。でも、〈エコー〉はどうなんだろう?」  地上に残った〈ファー・レイリー〉面々の放心をよそに、和やかな雰囲気は続く。ひなたぼっこか散歩かといった様相である。 「うーん。よく解んないけど、多分、〈エコー〉の方がキャラ君を手伝ってくれるんじゃない? でも、そん時に中身とかいじる必要があるかも知れないし、だから天才技構師リリィちゃんはここにいるんだぞ」 「そうか。何だか安心したよ。正直、不安でたまらなかったからね。リリィちゃん、よろしくたのむよ」 「あいよ! まっかせなさい!」  這いずる様にして通信端末へと辿り着いたガボットが、嘆くように、訴えるように、二人の会話にそっと入る。 「……た、たのむから、リリィ。リアクターのことを教えてくれ。わしはもう、今にも失神しそうじゃ。あの、お前さん達の加速、どうして、なんともない? それだけでも……後生じゃ!」  通信室全員の代弁でもあるそれに、リリィは当然といった風に、軽い調子で返す。 「早い方がいいからリアクターを三基くっつけて、加速衝撃は回折させてるのだ。ゾエア級は波動干渉炉に向ける出力がちっちゃいから操座の分しか無理だったけど、外装とかは全然大丈夫な筈だぞ、どお?」  ガボットは、自分が何かを問われているらしいことになど頭が回らず、断末魔の如くうめく。 「リ、リアクターを三基! 衝撃を……カイセツ? は、波動干渉、炉?」 「ストロマトライトの出力を静電差エンジンで分配して波動干渉炉に渡せば、三基のリアクターの分を差し引いても、操座の分の衝撃くらいは回折できるのだー! 常識だぞー!」  常識ではない、技構師達はそう叫ぶが、それはもはや声にはなっていなかった。 「頑固じじぃ! 勝負は後でだぞ! 待ってろよー! とりゃー!」  通信室の冷たい床に座り込んだガボットは思った。もう、とっくの昔に負けている、と。しかし、悔しさや嬉しさなどは一切感じない。彼と、技構師達の頭の中は既に真っ白で、そんな感情が入り込む隙間など全くないのだ。  彼女、自称、天才技構師リリィ・ノイロンの常識は、オブジェとその関連技術の常識ではあったが、彼女の生きる時代の常識ではなかった。ほんの少し前と後、一万年ほど前と、二百年ほど後の、常識である。  後に「ノイロン効果」と呼ばれる波動干渉理論と、それを実現可能にする画期的な発見。オブジェの放熱器官と位置付けられていたそれを、理論提唱者は〈波動干渉炉〉と名付けた。それは、ストロマトライトと静電差エンジンの粒子静電差現象に関する技術の、魔術的で非常識な応用により誕生した、神話を現実へと変える夢の如き機関である。  電波、磁場、光波、重力、そして衝撃。あらゆる空間的作用・波動に干渉し、自在に操作する機関、ノイロン効果を具現化する〈波動干渉炉〉。 「目標地点到達まで後、三、二、……到着しました! ……けど、何もないよ」 「向こうからやってくるんじゃない? ……〈エコー〉! どんなだろう、ぴかぴか光るかしら? 緑色? ちっちゃい?」  二人の嬉しそうな声が、只ならぬ沈黙を醸す通信室を渡る。ガボットを仰天させたリアクターの大爆音から僅か数分間の出来事であった。  美しい半月を背景の、閑散たるオブジェの墓場と化した宙域。  月から、そしてガイアナからの光により、そのオブジェは黄金色に輝く。複雑な紋様と装飾を各所に散りばめ、見るものを圧倒させる高貴さを醸すその姿は、かつて静かなる勇者≠ニ呼ばれ、また〈三神〉とも呼ばれた。太古、ガイアナ大陸の東部に位置したダルトア王国の、ダルトアール王家の象徴にして守護神。そのオブジェの名は、〈ハイナイン〉。 「……誰かと思えば、貴様か」  共用通信回線を渡るその声の主は、〈ハイナイン〉の主(あるじ)、機師アルブレド・クラインゲルト。神話、ガイアナ聖戦を演じた〈三神〉そのものである。〈ハイナイン〉と共に眠り、そして目醒めた、人にあらぬ人、正真正銘の機師である。 「……〈殄滅師〉」  体躯と同じ黄金色の剣先が鋭く指し示すそこに、〈グラナドス〉を、カナデ・ヤシロを、ヤシロ隊を静かなる勇者≠ゥら解き放った、暗洋に溶ける黒色のオブジェが、刀を構えている。 「気安い奴、なれなれしいわね。礼儀作法がなってないわよ」  同じく共用通信。旧ガイアナ連邦の精鋭部隊〈ヴィクトリアス〉隊長、今は〈ファー・レイリー〉に属する、〈殄滅師アリス〉の二つ名を持つ、真機師アリシェラ・バナレット。そして、彼女のオブジェ〈ローゼーン〉。 「初対面でもないだろうに。違うか?」 〈ハイナイン〉も〈ローゼーン〉も微動だにしない。宙域、そして惑星ガイアナの全人類が、その通信に耳を傾け、聞き入る。 「どうだったかしら? あたし、冴えない奴のことはすぐに忘れるのよ……――」  硬質な金属音が通信を駆け、オブジェの墓場に衝撃波が広がる。 「――腕の冴えない奴はね! 落ちろ!」 〈ローゼーン〉の初弾が黄金色の盾を撃ち、辺りに漂うオブジェの残骸が瞬時に消し飛ぶ衝撃波。野獣の牙に似た〈ローゼーン〉の片刃の一撃は、緻密な徽章を施した盾に弾かれた。 「……忘れる? 腕?」  位置はそのまま、ゆっくりと盾を降ろし、〈ハイナイン〉が再び剣を構える。〈ローゼーン〉は既に初弾を放った位置、睨み合いの、お互いの射程距離に戻っている。 「ふん。……自分が落とされたことさえ、忘れたとでもいうのか? この――」  暗洋に光の筋が現れる。細い、黄金色のそれは瞬きよりも速く〈ローゼーン〉に達し、その片刃を弾いた。 「――冴えない腕で落ちたことをか? 大したものだな、〈殄滅師〉よ」 〈ローゼーン〉の一撃は盾を震わせ、しかし〈ハイナイン〉の一閃は〈ローゼーン〉とアリスを吹き飛ばしたのだった。その違いは光景を見るもの、中継を聞くもの、そして、アリス自身が一番理解していた。 「そういえば……」  アリスと〈ローゼーン〉は、次元立体照準で〈ハイナイン〉を捉えつつ、初弾からここまでを解析し、静電差エンジンは戦術を数百に渡って弾き出し、軸策バスを通じてアリスの脳髄に伝送する。アリスの瞳には無数の明滅表示と、二体の仮想立体映像が飛び交っている。文字通り無数に。遠巻きにはヤシロ〈グラナドス〉や、マリヴァー〈ナッシュバル〉を筆頭のミブ〈スパンカー〉の戦況が、あらゆる情報と共に鎮座している。対〈ハイナイン〉の全戦術情報が芳しくないことに悪態をつく彼女に、それは、静電差エンジンを介する〈ローゼーン〉の反応よりも俊敏に、そして過敏に届いた。 「……〈ヴィクトリアス〉の皆は元気か?」  囁くような共用通信のその一言に、別宙域でミブ隊を援護していたマリヴァーと〈ナッシュバル〉がうろたえる。 「アリス! 耳を貸すな! 喋ってないで戦え!」 「や……喧しい!」  アリスの咆哮がどちらに向けられたものかは、アリス自身でさえ解らなかった。〈ローゼーン〉の刃が二度、三度、数度と〈ハイナイン〉を襲う。次元立体照準の明滅十字と補助映像、数列が猛速度で入れ替わり立ち替わりアリスの瞳と脳髄を駆け巡る。だが、〈ローゼーン〉の疾風の刃は空を切るか、盾を震わすかであった。〈ローゼーン〉の挙動、そして剣戟は、それを見るものを唖然とさせるほどの速度と威力であった。もはや、この時代の、オブジェという概念を超える、神技に等しいものだった。  だからこそ、それに対して構えたまま、盾を操り、四肢を僅かに動かす程度の〈ハイナイン〉は、それを見るものにとって、そして何よりアリスにとって、悪魔の成す奇蹟、災いそのものに思えるのだった。振るう毎に速度と威力を増し、今や静電差エンジンの臨界に達する〈ローゼーン〉の猛威は、しかし、〈ハイナイン〉を変えるには至らない。 「あんたが!」 「それは違うな」  怒気と刃を撒き散らして叫ぶアリスとは対照的な、淡々としたアルブレド・クラインゲルトの声色。それは〈ローゼーン〉と〈ハイナイン〉の様子とも等しかった。〈ローゼーン〉の太刀筋は既に汎用オブジェや、ジルコン将軍の〈フォーマルハウト〉でさえ捉えられないほどであり、映像は残像の塊と化していた。機体速度を示す数値はとうの昔に許容を超え、表示されていない。黄金色の〈ハイナイン〉を、月からの照り返しで黒光りする残像が覆っている。  地上で固唾を飲む技構師ガボットには〈ローゼーン〉が爆走しているように見えた。自身の常識が通用しないことはリリィのお陰か、既に承知しており、〈ローゼーン〉の性能は、知り得る全てを遥かに凌駕していることも承知している。だが、それでもやはり、爆走している、そう見え、知らず、拳を握り締めていた。リリィのそれとは訳が違う、そう彼の、技構師の熟達した勘が喚(わめ)いている。「それでは駄目だ」と。  全身を漂う彼の異様な殺気は、地上基地通信室の面々をたじろがせる。ぎりぎりというガボットの歯ぎしり。ただ画面を、様子を見ているだけであるにも関わらず、彼の息は荒く、全身は汗まみれであった。 「……〈殄滅師〉、貴様だ。皆を滅ぼす、貴様の仕業だ、エリュシオン(楽園。転じて、死後の世界の意)の使徒。哀れな〈ヴィクトリアス〉。次は〈ファー・レイリー〉か? なあ……」 〈ローゼーン〉の左肩を深々と切り裂く黄金色の光の筋。捕捉はしていた。〈ハイナイン〉の挙動の始めと経過を〈ローゼーン〉と、その静電差エンジンは余すこと無く捕捉していた。にも関わらず、〈ローゼーン〉の左肩の装甲は裂け、その、波動干渉炉の許容を超えた衝撃と、斬られたという事実が、アリスの深層を激しく揺さぶる。 「アリス!」 「……〈死神〉よ。そうだろう?」  共用通信回線。暗洋に匹敵する冷たい笑いが、アルブレド・クラインゲルト以外の、全ての地上人の鼓膜を震わせる。そして、〈ローゼーン〉は、……静止した。 「アリス!」  カナデ・ヤシロとマリヴァー・ルキアノスの、悲鳴の如き叫びが共用通信回線を渡り、ガボットは装置台を拳で殴り付け、咆哮を上げた。握り締めた拳からどす黒い血が滴り、冷たい床で小さな音を立てて爆ぜる。  満天の星空。何処までも続く無限の静寂。  ガイアナ大陸中南部、ウランバル盆地を見降ろす高台の、粗雑な丸太小屋に居を構えていた赤毛の少年、キャラウェイ・シュナイドルは今、どういう訳か暗洋の片隅に佇んでいた。その光景は彼を魅了して止まない。漆黒に広がる小さな光の群れ。振り返れば、青く輝く美しい惑星、ガイアナ。真円を描く白い太陽に照らされた、暗黒に浮かぶ、大地と大洋と白雲で彩られる、神秘の宝玉。 「……奇麗だ」  そんな陳腐な一言は、しかし彼の視界を埋める様々を形容するに充分である。高台から見下ろすウランバル盆地の霧景色も大したものだったが、今、キャラのいる場所はそれを遥かに上回る。美しさも、そして、高度も。静寂が耳を打つ暗洋。しかし、操座内はそうではなかった。見惚れるキャラの背後は何やら、がさごそとうるさい。同乗者が狭い後部操座で工具を振るっているのだ。 「――ゾエア級じゃ駄目だな。炉圧が全然安定しないぞ。エンジンの反応も鈍いし、調整してもきりがないー! うりゃ! てやっ!」  自称、いや、今や誰もが認める天才技構師リリィ・ノイロンの、喧しい独り言。だが、それを含めてキャラは自身を取り巻く現状に安堵し、満足し、堪能しているのだ。目を釘付けにする暗洋と、頼もしい限りの同乗者。 「ねぇ、リリィちゃん。君は宇宙に出たことがあるのかい?」 「むきー! なんでそんなに! ん? 何?」 「宇宙。ここ? 来たことがあるの?」  リリィの意識が漸く自分に向けられたらしいので、キャラは繰り返した。彼女の集中力は大した物で、猪突猛進どころの騒ぎではないのだ。 「ない、全然。だってリリィちゃんは天才技構師で、機師じゃないもの。宇宙に来れるのはオブジェだけだぞ」  暗洋、宇宙へと辿り着ける技術はオブジェのみが有する。そして、オブジェに乗れる、操れるものは機師のみである。リリィの返答は当然といえば当然であり、しかし彼女は今、宇宙にいる。機師ではないにも関わらず。 「でも、僕だって機師じゃあないよ」  キャラの返答もまた、ごく自然である。彼は大陸中南部に住んでいた、ごく普通の民間人である。 「キャラ君は、まだ機師じゃないってだけ。それはともかく、お星様と宇宙はみんなのものだから、誰が来てもいいんじゃない? 今はオブジェと機師だけでも、そのうち、みんなが来れるところになるのだー!」  その元気な声は、それを自分が実現させる、そうキャラには聞こえた。彼女に満ち溢れるものは、自信と野心と、夢と希望。キャラはふと考える。友達を、家族を、夢や希望を失い始めたのはいつ頃だったろうと。それらを全てを残らず失ったのは、いつだっただろうか。 楔=B失ったのではなく、突き崩され、潰された、それら。被害を免れるためウランバルへ脱出した当時のキャラは、自分に強く言い聞かせていた。これは避難だ、恐怖から逃げ出しているんじゃあない、と。しかしそれが単なるごまかし、虚勢であることを、見付けた丸太小屋にうずくまるキャラは程無く気付き、彼の生涯は一旦終わった。  目醒めの日のことは今でも忘れない。そんなに昔のことではない。たかだか数ヶ月、それくらい前である。楔ではなく彼女が落ちてきた、あの日。キャラが目醒め始めた、冬の晴れた日。 「……元気かな。今頃、どこにいるんだろう。……また、来るのかな」  奇妙な居候を思い返し、キャラはそっと、リリィに聞こえない様、小さく呟く。猫舌の、図々しい、偉そうな、……朗らかで、優しさを滲ませた、澄んだ瞳の―― 「来たー!」  突然のリリィの大声に、キャラは大袈裟に驚く。 「嘘? 来たの? また?」 「反応感知! 相対座標は……あっちだー!」  キャラを無視して、リリィは操座の正面右上を指差す。ウランバル盆地から操座へと戻ったキャラは、操座中央の画面を睨む。相変わらず美しい暗洋。眩い星空。 「……何も見えないよ? リリィちゃん」 「キャラ君、反応はまだ索敵区域外だぞ! でも、天才技構師リリィちゃんによる亜空間探査装置は無敵なのだー! 一粒たりとも見逃すものか! とりゃー!」  元気だか空回りだか、とにかく覇気に溢れるリリィを背後に、キャラは全身を強張らせる。 「そう……そうか。やっと〈エコー〉に――」 「敵機接近! 識別不能でこの反応は間違いないぞ!」  もはや完全にキャラを無視したリリィの咆哮。キャラは瞬間、息を止める。 「て……敵?」 「〈ハイナイン〉があっちで、識別不能の敵といえば、ただ一つ!」  キャラは操演桿を握った。それを操れないことなど忘れて。背を操座に押し当て、踏板に足をそっと伸せ、正面の画像とリリィの声に全神経を集中させる。リリィが工具を仕舞う音がし、また、後部操座に身を固定する音と、それを示しているらしい装置の瞬き。 「グリグロ最終兵器! 規格外オブジェ〈ワンデルク〉だー!」  暗洋を映す画面に変化はない。が、キャラとリリィを乗せたゾエア級汎用オブジェの操座内は一転する。技構師と民間人をのせた無力兵器、ゾエア級汎用オブジェは、中身だけ臨戦態勢となった。 「副司令! ……ガボットさん!」  通信担当のベレニケが叫び、ガボットはその怒りまみれの眼光を彼女に放つ。が、ベレニケはそれを逆に睨み返した。 「キャラウェイ・リリィ機より入電! しっかりして下さい!」  ガボットはそれには答えず、キャラ機操座と、機体の捉える映像を凝視し、どす黒い血で濡れた皮手袋で通信端末を握る。 「……状況を」 「キャラウェイです! えっと――」 「リリィ!」 「天才技構師リリィちゃんより頑固じじぃに超特急入電! 〈ワンデルク〉が出たぞー! 絶対・相対座標、その他盛り沢山を伝送! ゾエア級のエンジンじゃ解析が遅い。助手は頼りないから、頑固じじぃが手伝えー!」  可愛らしい、しかし迫力は変わらずのリリィ。通信室に響くそれを聞き、通信担当ベレニケを始め、全員がガボット・リャザーノフを凝視する。〈ファー・レイリー〉。ウィル・ジルコン将軍の指揮する私設軍隊。指揮官はしかし戦闘宙域であり、地上での全権は副司令官に委ねられている。副司令官は彼、技構師ガボットである。  ガボットは大きく息を吸い込み、一旦止め、ゆっくりとそれを吐き出す。そして、首をごきりと鳴らし、丸まっていた背筋を直立させ、通信室を端から端まで見渡し、画面の一つを睨み付ける。 「誰が頑固じじぃだ! リリィ! 手伝ってやるが、勝負はまだだからな!」 「おうさ! 負けるもんかー! うりゃー!」  通信室に充満した悲観を消し去る二人の銅鑼声。ガボットと、そして地上の〈ファー・レイリー〉全員の瞳に精気が、決意が蘇る。 「〈ワンデルク〉、確かか? キャラ! 何か見えるか?」 「いえ、まだ何も……」  次々と伝送される情報を技構師達がそれぞれの持ち場で解析する。敵味方識別反応無し。〈グリス・グロス〉であることは間違い無いが、それらのオブジェの反応とはまるで違う。粒子静電差現象による出力は桁違いで、さらに、別の数値が極端に高い。 「ガボットさん! これを!」  ガボットの眼前の画面に示されたそれを見て、彼は通信端末と、操座内の二人に向け、押し殺した声色でいう。 「強力な、頭抜けた重力場。計測器が振り切れる、間違い無い……〈ワンデルク〉だ。リリィ」  怒鳴るような、ではない。慎重極まりない呼び掛けに、リリィは無言で返す。 「ゾエア級では無理だ。例のオブジェ、〈エコー〉との接触まで、全力で回避。助手にもそう伝えて、おまえはそれを手伝え。……いいな?」  一拍置いて、リリィが返す。「とりゃー!」でも「うりゃー!」でも「頑固じじぃ!」でもなく、ただ一言。 「了解!」 〈グラナドス〉を除くヤシロ隊と合流し、ミブ隊を待つ〈フォーマルハウト〉率いるジルコン隊、いや、〈ファー・レイリー〉。地上基地、副司令ガボットからの入電に、ジルコン将軍は眉をしかめる。 「囮(おとり)ではない主力がこちらで、更に最終兵器が裏側……。これが戦略と呼べるのなら、奴等〈グリス・グロス〉には一体、どれだけの力があるというのだ?」  眼前の〈グリス・グロス〉主力部隊は後退し、彼等の本拠地である半月を背に、沈黙している。 「いや、戦略などではないのか。これが……『惑星浄化』で、……『計画』か」  合流したヤシロ隊、間もなく到着するミブ隊。戦闘不能となった機体を差し引き、残った戦力はおよそ八十。これが〈ファー・レイリー〉の主力であり、また、ガイアナの全てであった。戦術の立案は、順調に予定をこなす計画≠フ前では無力らしいことを、ジルコン将軍は改めて痛感する。彼に残されたことは、部下を生きて母星へ返すことと……。 「……祈るのみ、か。しかし、やれることは全てやる。そして、必ず戻る」  操演桿を放し、操座の隅に貼り付けた紙切れをそっと手にする。色褪せた写真。そこに写るのは、過去と、そして、彼等〈ファー・レイリー〉が取り戻そうとしている、未来だった。  突然の警告音に、キャラは度肝を抜かれた。操座中を急き立てるそれを後部操座のリリィが止める。 「敵、射程距離内! キャラ君、戦闘か撤退準備だ!」 「え? でも、何も見えない――」 「回折装甲の不可視属性だぞ! 見えないけど、目の前だー! そこにいる!」  何処だと辺りをうかがうが、キャラには意味不明な装置群と、暗洋を写す画像しか見当たらない。地上から敵対反応に関する解析情報が伝送され、リリィの、後部操座に設置された簡易端末に表示される。ガボットのいうように、それらは全て桁外れであった。リリィは彼女らしからぬ顔で思案する。が、それは独り言として口から全て漏れ出しているので、キャラにも、地上のガボットにも伝わる。 「でっかいな。戦うにしてもゾエア級じゃ歯が立たないし、逃げるのはなんか嫌だし。むー……あ、まてよ、キャラ君と静電差エンジンを直結させて反応速度を臨界まで上げれば、ゾエア級だろうとノープリウス級だろうと、ストロマトライトには代わりないか。性能に差があるにしても、それでもオブジェには違いないぞ。よし、これでいこう。っていうか、それ以外思い付かないし、考えるのは面倒だぞ。決まりだ。キャラ君!」  緊張しきったキャラにリリィは呼びかけ、同時に彼女の目の前にあった操演端末装置を蹴り付ける。突然頭を覆われたキャラは悲鳴を上げ、しかし体を操座に固定しているので飛び上がることはなかった。 「ななな何! リリィちゃん? 何?」 「時間稼ぎだぞ。〈エコー〉が来るまで、これで……戦えー!」  後部操座からの操作により、キャラの上頭部を覆う操演端末装置が灯る。次元立体照準が降ろされ、亜空間探査を開始。軸策バスからの無限の信号がキャラの後頭部を貫くように脳髄に達し、彼の世界は豹変した。 「戦えって、わ! ……あれ? 何? ……これは?」 「オブジェだぞ」  辺りを埋め尽くしていた装置群が消え、キャラは一人、暗洋に佇んでいた。背後からリリィの声が聞こえるが、振り向いても彼女の姿は見えない。数列がキャラを取り巻き、傍らに板切れのようなものが浮かび、そこに、リリィの姿を見付けた。 「オブジェ? マリヴァーさん達と同じ? でも、全然なんともない」 「そうなのだー!」  板切れからリリィが飛び出し、キャラの傍に立ち、えっへんとばかりに胸を張る。 「マリヴァーとアリスは、連邦仕様のオブジェの癖が体に染み込んでて、だからあんなにへばったのだ。キャラ君は連邦仕様のへっぽこオブジェを知らないから、全然平気なのさ」 「……そうなのかい? 難しくて良く解らないけど……」  呆けて辺りを見回すキャラは、右手前方に何かを見つけた。 「何だろう、あれ……」  と、そこに突然、巨大な塊が現れる。見たことも無い、訳の解らない、異様なものが。傍にいるリリィが、さも当然といった調子でそれに答える。 「あれがグリグロの〈ワンデルク〉だぞ。回折装甲なんて、天才技構師リリィちゃんと真機師キャラ君には通用しないのだー! いちおう基地にも伝えとこう。キャラ君、映像を頑固じじぃに伝送、よろしく」 「え? ああ、ガボットさんに伝えればいいのかい?」  キャラの体は操演桿を右に左に倒し、踏板を撫で、装置群を素早く叩いている。画面の一つに映るその操座内の光景に、地上のガボットが驚く。が、放心したり卒倒したりはもはやない。驚きつつも、リリィのやったこと、キャラの状況を、徐々に理解する。 「体の方は反応、いや反射しているだけで、意識は静電差エンジン、オブジェに直結か? キャラの体は今はオブジェで、しかし静電差エンジンからの莫大な過負荷に耐えられるのは、本当の機師、真機師。……そういうことだな? リリィ」 「む……やるな、頑固じじぃ。なかなか手強いぞ」  別画面にキャラからの伝送、〈ワンデルク〉の姿が、不可視属性を除去した上で、映し出される。その異形は、基地を只ならぬ雰囲気で満たす。ガボットはそれを凝視し、無数の毒蛇を生やした巨大な狼の頭を連想した。  陽光の元、錆色にぎらつく異様な姿。周囲に無数の岩石を侍(はべ)らせた奇怪なそれこそが、規格外オブジェ〈ワンデルク〉であった。人を模していない金属塊、触手を揺らす怪物の頭部。惑星ガイアナに、侍らせた大質量の楔≠打ち込む、〈グリス・グロス〉の最終兵器。その大きさは、キャラのオブジェの数百倍、かすかながら地上からでも見えるほどである。 「……規格外? そんなもん、断じてオブジェではないわ!」  副司令、技構師ガボットは吐き棄てるようにいい、キャラ機操座画面に目をやる。そこにはリリィの、声色とは裏腹の、形容し難い顔つきが映っている。彼女は何も言わないが、同じ思いであろうことはガボットや他の技構師にも察しがつく。 〈ワンデルク〉の錆色の触手が揺れる。手招きをするか、獲物を探るように。その触手の先端部分と、キャラ機、ゾエア級汎用オブジェが同程度の大きさで、しかしその触手が見た限りでは数十本はあり、本体の方は、途方も無く巨大である。ゾエア級だとかそういう問題ではない。単純に質量が桁違いなのだ。だが、ガボットは通信端末を握り、リリィに、同じ技構師にいう。 「リリィ。キャラウェイとゾエア級でやれるんだな?」 「時間稼ぎだ。それくらいなら問題無いぞー」  険しい、しかし頼もしいガボットの眼光。地上基地、通信室は無言で二人のやり取りに耳を澄ます。 「……〈ワンデルク〉は任せる。勝負は後でだ、リリィ!」 「負けるもんかー! キャラ君、戦闘準備! っていうかもう戦闘中だぞー!」  うかがうように揺れていた触手の一つがキャラ機に迫る。蚤を踏み潰す、そんな様相であった。 「キャラ君! 来た! 盾だぞ! 静電差出力を干渉炉に再分配! 波動干渉障壁、展開! やれー!」  ことことという小さな音と甘い香り。母親の自慢料理、羊肉のシチュー。袖を通したばかりの、着慣れない連邦戦闘服を嬉しそうに撫で、アリスは母親の肩を叩き「どお?」と聞く。窓からの春の日差しで黄金色の母親は、満面の笑みを浮かべる。 「良く似合ってるわよ、お嬢様。あら、機師さんかしら?」  くすくすと笑い合い、アリスは食卓を振り返る。彼女と同じ戦闘服を着た友達が数人、談笑している。アリスもそれに加わる。士官学校で出会った友達と、それ以前からの長い付き合いの友達。男女それぞれ。皆、今は友達で、これからは戦友となる、仲間達。  自慢料理を披露するというアリスは、それを自分が作るかのように誇らしげであった。食卓でヨセフスを論破したユーリーがアリスを見て、女性にしては掠れた声でいう。彼女のそれはしかし魅力的であり、ヨセフスが彼女をどうこうしようという魂胆を抱いているのは、皆に見透かされている。 「何だ。てっきりアリスが作るのだと思っていたのに、お母様じゃあないの。オブジェ以外じゃあからきし不器用なアリスが、あんなに自信満々だったのは、そういう訳なのね」 「でも、いい匂いだ。自慢するのも解るよ。これはもう口にするまでもなく、だね」  ふん、と鼻を鳴らし、アリスは胸を張る。 「だからいったでしょ? 絶品だって」  今日は大所帯なので煮込みに時間がかかるらしく、もう少し待つようにと母親がアリスに目配せする。それを皆に伝えると「じゃあ」とヘンナが襟を正す。 「飲み物は先に頂いても構わないの? アリス」 「ええ、勿論」  ヘンナは、甘い葡萄酒を満たした透明な硝子盃を手に立ち上がり、それにアリスが続き、ヨセフス、ユーリー、リベル、カピティアンもそれぞれ盃を手に椅子を引く。ヘンナに促され、各人を代表してアリスがささやかな宴、祝杯の席の幕を開く。 「では、不肖アリシェラ・バナレットが、僭越ながら挨拶など。……我ら、ガイアナ連邦、〈ヴィクトリアス〉に! ……御馳走あれ!」  間を置いて、一同から歓声が湧き、それぞれの盃を軽く合わせる。鐘の音のような澄んだ音色が、甘い香りを響き渡る。 「……〈ヴィクトリアス〉の皆は元気か?」  ええ。みんな、とっても元気よ。 「アリス!」 〈ローゼーン〉との回線は繋がったままだったが、ヤシロ〈グラナドス〉に応答はない。〈ローゼーン〉と〈ハイナイン〉から遥かに距離を置く〈グラナドス〉。これ以上接近すると、両者の鍔迫り合いによる強烈な衝撃がヤシロと〈グラナドス〉を襲い、それにヤシロも〈グラナドス〉も到底持ちこたえられないのだ。だが、このままでは……。カナデ・ヤシロは凍えた焦燥で必死に思案する。性能差どころの騒ぎではない。〈ローゼーン〉や〈ハイナイン〉から見れば、ヤシロの〈グラナドス〉など鉄屑に等しい。何か手が、方法が、全身の筋肉を硬直させるヤシロ。両掌は操演桿を握り潰す。そして、彼女の思案、混乱をその一言が両断した。 「……〈死神〉よ。そうだろう?」 「アリス!」  今度はリベル機だった。  彼の機体は上下に両断され、惑星ガイアナへと落ちて行く。猛速度で母星に迫り、真っ赤に光り、しかし大地に達することなく四散した。ユーリーを庇ったヨセフス機は、守るべき彼女もろとも串刺しにされ、落ちる前に爆砕。悲鳴が聞こえた。照準装置をカピティアンだった塊が横切り、脇にいたヘンナが彼女の部隊を引き連れて、そして、無数の欠片へと姿を変える。  四肢が震える。顎がかちかちと音を立てる。恐れ、ではない。憤怒だ。操演桿を握り、照準を、黄金色の敵に固定し、刀を構える。刺し違える覚悟。命くらい幾つでもくれてやる。だが、必ず、おまえもろともだ、そう決意し、口に出し、〈殄滅師アリス〉は刃を放った。  ことことという小さな音と甘い香り。みんな元気かしら。待ってて、私も行くから、まだ食べては駄目よ。みんな……。 「……〈死神〉よ。そうだろう?」 〈死神〉? あの黄金色が? いや、違う? 〈死神〉は……。 「〈死神〉は……」  ヤシロの耳にそれは小さく、囁くように、かすかに響いた。 「……アリス?」  ヤシロは耳を疑う。彼女の声だが、彼女ではない。まるで、そう、幼い子供のような、か弱い、小さな声。  次の瞬間、ヤシロの脳裏に閃光が瞬き、〈グラナドス〉は〈ハイナイン〉目掛けて、〈ローゼーン〉との間に割って入るように、限界速度で突入する。加速衝撃が彼女を操座に押し付け、呼吸もままならない。機体が悲鳴を上げ、装甲に亀裂が走り、被弾部分がめくれる。アーマライト・リアクターの噴射口と〈グラナドス〉の両足が溶けて、その輝きは白色に達する。ヤシロの意識は潰れて遠退き、だが、照準装置に向けられた射抜く視線だけは明瞭で、それは黄金色を捉えて睨み付けている。 「祈る時間くらい――」  振り絞るような叫びと、振りかぶられる〈グラナドス〉の反りかえった刀。 「――作ってやるよ!」 「……自己犠牲。それを必要とする、悲しき人類。繰り返される愚行にあって、しかしそれは栄誉だと思いたい。無駄だと知りつつ、あえてそれをするお前は、それでも人類で、だが、機師だ。機師とは何だ? それがもし、人類の次の姿なのだとしたら、愚行は終焉を迎えるのかもしれない。だからこそ、惜しい。それを断たねばならないということが……」  白い刃と化したヤシロには届かぬ呟きと共に、〈ハイナイン〉がゆっくりと黄金色の剣を構える。 「……或いは、これこそが愚行か……」  ゾエア級汎用オブジェの操座に衝撃が走り、キャラウェイ・シュナイドルとリリィ・ノイロンを貫く。  規格外オブジェ〈ワンデルク〉の触手、鋭い爪がキャラ機を襲い、しかしそれを両の掌で受け止める汎用オブジェ。その光景は地上基地の面々には奇蹟とさえ見えた。だが、操座内画面を凝視するガボットは、その奇蹟に歓喜することはなく、苦い表情だった。 「リ! リリィちゃん!」 「だー! 操座の分を減らしたから、衝撃を回折しきれないぞ! おえっ! 気持ち悪いし、頭が痛いぞー!」  リリィによって作られたキャラ機の唯一の兵装は、盾であった。それは波動干渉炉による回折作用を局所的に発生させた時空の壁、波動干渉障壁である。 「……出力が足りんのか! リリィ! どれくらい持つ?」  ガボットは通信端末を握りつつ、もう一方で装置を叩く。キャラ機の状態を示す数値を横目に、目線で仲間に合図する。 「ぐぅ。……多分、あと二回が限度だぞぅ」  ガボットのそばにある画面の数値もそうだといっている。 「キャラウェイ! 聞こえるな?」 「は……はい」  彼の声はリリィよりはましだが、しかし先の衝撃で極端に消耗している。 「ゾエア級……その機体では〈ワンデルク〉とは戦えん! 攻撃は可能な限りかわせ! 干渉……さっきの盾を使うと、機体ではなく、おまえらが持たない! いいな!」 「……は、はい。何とか、やってみます」  通信端末を一旦切り、ガボットは叫ぶ。 「〈エコー〉らしき反応は? 付近の筈だ!」  別の技構師は首を横に振り、ガボットは舌を打つ。 「キャラ機、被弾!」  通信担当のベレニケが叫び、操座画面が大きく揺れる。 「あ! 足が!」  キャラ機の左足の腿から下が粉々に砕け、その欠片が飛び散る。〈ワンデルク〉の爪の速度は、キャラ機の離陸、三基のアーマライト・リアクターに匹敵していた。それが四方八方から降り注ぐ。 「足なんて後でくっつければ――」  再び衝撃。今度は背後から。 「かすめた? かわせない!」  下から突き上げるように迫る爪を右腕で反らそうと構え、しかし爪は右腕そのものをもぎ取った。更なる衝撃。又もや背後から。 「まずいぞ! キャラ君! リアクターが壊れた! 分離――」  リリィの叫びを爆音が遮った。背後に青白い反応火球が現れ、キャラ機の背部装甲を吹き飛ばした。キャラは背骨を蹴り付けられた格好になり、そこに、確実に操座を目指す爪が迫る。 「た、盾!」  残った左手を爪に向けてかざし、大質量の爪を受け止める。途端、背後からの衝撃が爆発、操座を貫いた。爪に向けて波動干渉障壁の盾を展開したゾエア級汎用オブジェは、背部の電離推進機構〈アーマライト・リアクター〉の爆風を浴び、それは機体と、操座を容赦無く襲った。  突然の青白い反応火球に、爪の群れは一旦退く。霞む視界。キャラの呼吸は不規則で、鼓動は逆に忙しなく急かすようだった。知らず奥歯を噛み締めていたキャラは、傍らの画像を見て我に返る。 「リリィちゃん!」  操演端末装置を跳ね上げ、固定帯を外し、キャラは後部操座に身を乗り出す。彼の横をふわふわと漂うのは、幾つかの赤い玉。装置に額を打ちつけたリリィの血であった。リリィは片目は閉じ、もう一方を薄く開き、しかしそちらは真っ白である。小さく開かれた口は、呼吸をしていない。先のリアクターの爆発衝撃が回折されず、直接彼女を貫いたのだ。爪を受ける為に展開した干渉障壁により、無防備となった操座の後部を。 「リ……リリィ、ちゃん?」  唇が震え、声にならない。キャラの頭の中は真っ白になり、それは地上のガボットもまた同様であった。操演端末装置を切ったので操座内映像は消え、キャラ機の視界を示すそれもまた消える。キャラは止血剤をリリィの額に吹き付け、気密服の頭部分をリリィに被せ、自分も気密服をまとう。震える声はひたすらにリリィを呼び、しかし体は素早く動く。 「キャラウェイ!」  地上、ガボットからの声が通信端末からかすかに聞こえるが、キャラはそれに耳を向けていない。一旦退いた爪が再び揺れ出すが、それにすら目を向けていない。キャラは気密服に身を包んだリリィを抱え、操座側壁、装置の一つを力一杯蹴りつける。上部で小さな爆発が起こり天蓋が吹き飛び、暗洋、瞬く星空が顔を覗かせる。しっかりとリリィを抱き、キャラは一瞬の躊躇も無く座席を蹴り上げ、搭乗口から飛び出す。直後、無数の爪がゾエア級汎用オブジェを貫き、粉々に砕いた。 「キャ、キャラ機……撃墜、されました」  ベレニケが吐き棄てるように呟き、ガボットは遂に膝を突く。 「キャラ……リリィ……」  リリィを抱えたキャラウェイは機体の爆発で飛ばされた。不規則にきりもみし、ガイアナも月も太陽もない、漆黒の宇宙へと舞う。リリィの気密服、顔を覆う特殊硝子にキャラの顔が映り込む。その表情は地上のガボットのよう、ではなく、まるで、機師マリヴァー・ルキアノスかジルコン将軍のように研ぎ澄まされたものだった。両手でリリィを抱き、キャラはその眼光を辺りに撒き散らし、鋭く叫ぶ。 「〈エコー〉! 僕は、キャラウェイはここだ! 今だ! 今すぐ来い! ……ルジチカ・シュナイドル! 今すぐ……来い!」  キャラの叫びが真空を、こだまする……。  ガイアナ大陸北方には、古くから語り継がれている有名な民間伝承があった。森に住む樹木の精霊、緑色に輝く羽根を持つ、青い瞳の泣き妖精≠フ御伽噺(おとぎばなし)である。  大陸北端、ノーザス山脈の森の奥深くに、粗末な炭焼き小屋があった。父親からその小屋を受け継いだ麓(ふもと)町に住む青年は、毎年冬と共にその小屋を訪れ、数ヶ月を過ごすと、春の日差しと共に去っていった。三度目の冬、十九歳になった年に、彼は彼女と出会った。青年の掌に収まるほど小さな彼女、幼い泣き妖精と。  風の囁きにも似た幼い泣き妖精の美しい声と、文字通り輝く容姿は青年を魅了し、また、穏やかで曇りの無い青年の心に、幼い泣き妖精も好意を抱いた。二人は時を忘れて語り合う。下界や森の事、互いの兄弟や家族の事、そして、それぞれの種族の事を。ずっと一緒に、何度も交わした言葉を暖かい春風が包み、永遠の幸せに終わりが近付く。  ついに青年は、麓町で待つ人々を捨て、森の炭焼き小屋で彼女と共に暮らす決心をする。異なる種族同士、青年と泣き妖精は属する世界を離れ、共に暮らそうと約束しあった。だが、森の一族の掟は、二人の想いを許すだけの肝要さを持ち合わせてはいなかった。一族の長に問い詰められた幼い泣き妖精は、彼女の想いを疎ましく思った長により、言葉と姿を封じられる。  忽然と姿を消した幼い泣き妖精を来る日も来る日も待ち続ける青年の目は、自らの鼻先を漂う彼女を捉える事は出来なかった。幼い泣き妖精は日々青年に向け歌を囀(さえず)る。しかし青年の耳には、その歌は風の囁きにしか聞こえない。  次の冬の訪れと共に、青年は麓町へと帰っていった。夢だったのだ、そう何度も何度も自分に言い聞かせて。通じぬ思いに耐え兼ねたは幼い泣き妖精は、森にある澄んだ湖にその身を投げた。  幼い泣き妖精の物悲しい歌声は、主を失ってからもそよ風を漂い、こだま(木霊)となった。  この御伽噺が元となり、ノーザス地方では思春期を迎える頃の幼い女の児を泣き妖精≠ニ比喩するようになった。泣き妖精≠ヘ、現地語でエコー≠ニ発音する。  オブジェの頭脳たる静電差エンジンを二基搭載し、通常の二乗倍の出力と状況判断分析を行い、それに見合う過剰兵装と爆発的機動力を備えた、天才技構師アドホッグ作の超性能オブジェ〈エコー〉、別命泣き妖精=B  だが、その二基の静電差エンジンは機師の思考の肩代わりをするのでは無く、膨大で際限無い情報量で搭乗者・機師に過負荷を与えるのだった。〈エコー〉に搭乗した機師の頭の中には、各種情報がこだま≠フ如く響き渡るのである。  暗洋を漂う、リリィを抱えたキャラは、不規則なきりもみから一転、静止した。  リリィの頭越しには白く輝く壁があった。右と左、両脇から同じく白い壁が現れ、二人をそっと包む。壁ではない。それは、巨大な手だった。ゆっくりと視線を上に向けるキャラ。頭部、鼻梁と耳が突き出てまるで狐のような顔。一見すると白い、しかし惑星からの照り返しにより眩く輝く、宝石の如き白さ。キャラとリリィをそっと包んだ掌が持ち上がり、胸元で止まる。そして、輝く白の一部が口を開けた。天蓋が開くそこは、搭乗口。キャラウェイを呼ぶ声がする。彼にしか聞こえない、柔らかな音色。それはいう。さあ、乗れ、と。 「エ……〈エコー〉?」  キャラに向け、彼はいう。そう、君が呼んだ。だから来た、と。白い掌をそっと蹴り、リリィを抱えたキャラは、まるで吸い込まれるように、そこ、搭乗口へと飛び、操座についた。 「は! 反応感知! ガボットさん!」  通信担当ベレニケが悲鳴を上げる。膝を突き放心していたガボットが体を震わせ、彼女を見詰める。これ以上、何を失うというのか、彼の目はそういっている。だが、ベレニケはそうはいわず、立ち上がって画面の一つを指差し、こう叫んだ。 「未確認のオブジェです! キャラウェイとリリィが接触、いや、搭乗しました! あれが……」  ガボットは弾けるように立ち上がり、ベレニケの指し示す画面、電光表示の戦略地図上に現れた、一つの光を凝視し、呟く。 「……〈エコー〉?」  それに答えるように、沈黙していた別画面が灯る。そこに映るのは……。 「キャラウェイ! 後ろは……リリィか! 二人共……」  ガボットの濁った瞳にかすかな涙が浮かぶ。数年、いや、数十年ぶりだろうか。全身を身震いさせ、ガボットはキャラと、背後のリリィを見詰める。 「キャラウェイ・シュナイドル、リリィ・ノイロン両名は……」  その声色は、それまでのキャラとは明らかに異なっていた。淡々として、しかし限りなく頼もしい、力と自信が溢れる、そんな声色だった。 「……予定通り〈エコー〉に搭乗。ガボットさん、リリィちゃんは気絶しているだけです。軽症をおっていますが、すぐに目を醒まします」  こくこくと頷くガボット。その頬に一筋の涙が零れた。皮手袋を握り締め、震わす。 「キャラウェイ、〈エコー〉はこれより、〈ワンデルク〉を迎撃……消滅させます。戦況は伝送します」  先程までゾエア級汎用オブジェの視界を映し出していた画面が生き返り、再び〈ワンデルク〉の異形が現れる。更に、別画面が開き、それは〈ワンデルク〉と、白く輝くオブジェを映し出していた。 「あれが……泣き妖精=A〈エコー〉か?」  それを捉えられる位置にオブジェなり映像装置なりは一切無い。〈エコー〉による亜空間索敵の応用である。映像に基地通信室が釘付けになる。固唾を飲む面々の頭上をキャラの静かな声が渡る。 「さあ〈エコー〉、あいつを処分しよう。……規格外らしいからね」  カナデ・ヤシロとアルブレド・クラインゲルト、白色と黄金色の閃光。静止したアリス〈ローゼーン〉の頭上でそれは、交叉した。剣戟が火花となって散り、暗洋を激しく揺さぶる。そして、黄金色、〈ハイナイン〉の切っ先は暗黒に突き立ち、白色、〈グラナドス〉のそれもまた、無数の星屑に向けられていた。遅れて到達した衝撃波が〈ハイナイン〉と〈グラナドス〉を叩く。 「ったく、ミブの頼みは断れないからなぁ……」  共用通信回線。薄れた意識のヤシロは、その声に顔を起こす。操座内。計器類は全て停止し、静電差エンジンは補助動力に切り替わっている。戦闘不能を示す文字が、ちかちかと瞬く。推進装置、溶解。同じく使用不可。辛うじて生き残っているのは、補助動力でまかなえる程度の姿勢制御と、通信各種のみ。 「カナデを頼む、だってよ。聞いてるこっちが恥ずかしくなるぜ。ほんと、お熱いこって。なあ、……床屋さん?」  何時の間にか戦闘は終了したのか? ヤシロは一瞬そう思う。だが、そうではないことを、通信各種が教える。あれから、まだほんの二秒かそこらで、ここはまだ戦場だ。だが……。 「……マリヴァー?」 「よお、やっとお目醒めかい? 声が聞こえないから死んじまったかと思ったぜ。危うく俺がミブに絞め殺されるところだ。脅かしっこは無しだぜ」  姿勢制御、機体を反転させる。照準装置は死んでいるが、視界は生きている。星が流れ、そこに黄金色の〈ハイナイン〉と―― 「マリヴァー!」 「ああ、そうだってば。何度も呼ぶなよ。悪い……待たせたな」  ――マリヴァー・ルキアノスの駆るオブジェ〈ナッシュバル〉を捉えた。アリス〈ローゼーン〉と同じく、黒い機体。反り返った刀を二本握る〈ナッシュバル〉。 「……〈ハイナイン〉の剣を、流す? 貴様、何者だ?」  押し殺した声は、アルブレド・クラインゲルトだ。冷徹で、しかし、これまでとは微妙に違う声色。 「アリスは暫く動けない。ヤシロ、アリスを頼む。後で一杯おごるからよ、な?」 「……え? マリヴァー? ええ、でも……」 「といっても、ミブにおごらせる分をそっちにやるだけだがな。ははは! ああ、それとも、三人で飲み比べ、ってのもいいなあ。ヤシロを酔わせると、笑えるからな」  ヤシロはたじろぐ。彼、マリヴァー・ルキアノスは〈ハイナイン〉、アルブレド・クラインゲルトを完全に……無視している。〈ハイナイン〉が振り返り、その黄金色の切っ先を、マリヴァーの黒いオブジェ〈ナッシュバル〉に向ける。が、〈ナッシュバル〉は相変わらずヤシロの〈グラナドス〉を向いたまま、マリヴァーは場違いな与太話を続ける。 「……耳が悪いらしいな。何者だ、そう聞いたぞ?」 「笑い上戸の床屋さん。見てるこっちの方が可笑しくなるんだよなぁ。けらけらけら、ってな」 〈グラナドス〉の視覚域。〈ナッシュバル〉の背後で〈ハイナイン〉が、その黄金色の剣を構える。 「マリヴァー!」 「まあ良い……消えろ」  黄金色の一閃が暗洋を両断し、〈ナッシュバル〉を両断……しなかった。 「……うるさいぞ、金ぴか野郎」  背を向けたまま、右手に握る刀を肩に担ぐような格好の〈ナッシュバル〉。その頭部がゆっくりと背後を振り返り、漸く〈ナッシュバル〉は〈ハイナイン〉と対峙した。〈ハイナイン〉の放った一閃は、右手の刀により、流されたのだ。 「何者だ、だと? そうさなぁ。ま、ならず者ってところだ。どうだ、満足か? 金ぴか野郎」  左手の刀を柄に仕舞い、右の刀を真横に降ろす〈ナッシュバル〉。その両眼が〈ハイナイン〉を睨み付けた。 「片割れのオブジェで、この〈ハイナイン〉と対等とでもいいたいか?」  盾を横に、切っ先をマリヴァー〈ナッシュバル〉に向け、アルブレド・クラインゲルトの凍えた声が共用通信回線を渡る。 「この〈ハイナイン〉? ああ、その、貴族趣味で反吐が出る金ぴかの遺物のことか? まるで化石だな。博物館にでも飾ってやろうか?」 「……ふん。虚勢でも大した物だ。貴様のオブジェでは〈ハイナイン〉の性能を見定められないらしいな」  と、〈ナッシュバル〉は右手にした刀を器用にくるりと回して、今度は先程同様、肩に担ぐ。 「性能? なんだ? 金ぴか野郎。てめえは俺と、駆けっこか腕相撲でもやりたいのか?」 「……何が、いいたい?」  肩にあった反り返った刀が、そこで始めて〈ハイナイン〉に向けられる。 「随分と長いこと眠ってたそうじゃあないか。てめえ……寝ぼけてんじゃあねえのか? その派手な剣は、思った通り、錆付いてるってことか」 〈ハイナイン〉が動く。構え直したのだ。その異様なまでの殺気は、ヤシロの〈グラナドス〉にも達する。 「どうにも……。オブジェの性能差を剣技でまかない、それで〈ハイナイン〉と対等だと、そう聞こえるがな」 「残念。惜しいが、間違いだ。対等じゃねえよ。いっただろう、おまえの剣は錆付いてるって。それはなぁ、なまくらだって意味だよ」 「ふん、大した虚勢だ」  最初に仕掛けたのは〈ハイナイン〉だった。だが、〈グラナドス〉の索敵性能ではそれを捉えられない。それが可能なのは、アリスの〈ローゼーン〉と、マリヴァーの〈ナッシュバル〉だけである。閃光が瞬き、しかしヤシロにはその光と衝撃波と、二人の会話しか捉えられないのである。しかし、そこで何が起きているのかは察する。暗洋と通信回線を抜ける覇気と殺気により。 「虚勢? なあ、金ぴか野郎。寝てるか落ちるか、どっちかにしろよ」 「……」  閃光の瞬きが止み、二体は睨み合う。そしてヤシロは絶句する。どちらにも、傷一つ付いていないことに。先のアリス〈ローゼーン〉の、同じく壮絶な剣戟を見ていたヤシロ、だからこその絶句。 「解るかい? 金ぴか。てめえの剣技はなぁ、古臭いんだよ、錆付いてるんだよ」  起動性能を追求したアリスのオブジェ〈ローゼーン〉。そして、マリヴァー・ルキアノスのオブジェ〈ナッシュバル〉は戦闘能力に長けており、それは他の追従を許さない。ヤシロは誰かが言ったその言葉を、漸く理解する。 「……第一、刃の数が違うぜ、金ぴか野郎。二対一で、ならず者の俺様の勝ちだ。でも、一本でもいいぜ。なにせ相手は、博物館行きの、なまくらだからなぁ。物足りなくて仕方ねぇよ」  呆然とするヤシロを尻目に、マリヴァー〈ナッシュバル〉の反りかえった切っ先が、再び〈ハイナイン〉に向けられた。 「さあ、どうする? 開き、短冊切り、微塵切り、どれがお好みだ? ……原始人よぉ」  戦闘宙域。 〈グリス・グロス〉主力部隊を牽制する、ジルコン将軍〈フォーマルハウト〉率いる〈ファー・レイリー〉。〈ハイナイン〉と〈ナッシュバル〉のその光景は、カナデ・ヤシロのオブジェ〈グラナドス〉から、各機に余すことなく伝送されている。そして地上からの入電もまた各人に伝わる。眼前に広がる膨大な数の敵。しかし〈ファー・レイリー〉は威風堂々、整然としていた。誰も口にしないが、誰もが思っている。奇蹟なのか? と。圧倒的な勢力差であった〈グリス・グロス〉と〈ファー・レイリー〉が今や、拮抗している。 「戦うのなら……」  誰かが呟く。そしてそれをまた誰かが継ぐ。 「勝てるように、戦え……」  ジルコン将軍は祈ることを止め、色褪せた写真を覗く。可愛らしい孫と、息子夫婦。晴れた空と白い雲。それらを取り戻すのに祈ることなど無意味だと、彼は感じる。慈悲を求めることは無意味だと。ジルコン将軍は、豹機の再来と称えられた過去を吐き棄て、自身に言う。わしは大昔の英雄カミオン・シストラーなどではなく、ウィル・ジルコンであり、〈ファー・レイリー〉の機師だと。  そして、彼の元に集ったのは、地上に、ガイアナに再び光を取り戻さんとする、仲間なのだと。ミブの〈スパンカー〉がまた一つ、敵を撃墜する。敵の数は無尽蔵。しかし、彼等〈ファー・レイリー〉は臆すること無くそれらと対峙していた。 「……だあー! 盾だぞ! ……いてて、あり?」  額の傷を撫でつつ、技構師リリィ・ノイロンは周囲を見渡す。オブジェの操座であることは一瞬で理解する。しかし、自他共に認める天才技構師リリィちゃんは、目をぱちくりさせ、呆ける。オブジェの操座だが、見慣れない型の装置ばかりである。それらが何かは当然すぐに理解するが、彼女は一番肝心なことに気付かず、それを口にした。 「……ここ、どこ?」 「リリィちゃん! 良かった」  聞きなれた声はキャラウェイ・シュナイドル。それもすぐに理解し、彼が彼女の前に座していることにも気付く。しかしである。 「キャラ君? ここ、どこ?」  と、リリィの頭部を装置が覆った。操演端末装置の一種であるらしいが、機師ではないリリィに対しその、操れない、無意味である筈の装置は各種情報を、彼女の網膜に表示する。反動・負荷と呼ばれる静電差エンジンからの反応は一切ない。数列や図形はリリィの思うがままに切り替わる。それらを一瞥し、リリィは漸く気付く。 「〈エコー〉だ! そうだな? キャラ君! これ、〈エコー〉だぞ! 絶対そうだー!」 「うん。〈エコー〉だよ」  そしてリリィは歓喜、せずに怒鳴り散らした。 「リリィちゃんは〈エコー〉の姿を見てないぞー! キャラ君ずるいぞ! 見たいっていったのにー! 卑怯者ー!」  キャラは僅かに動揺し、しかし笑顔のままいう。 「見えるよ。中からでも。そっちで操作できる筈、やってみて」  とりあえずそれでリリィは収まる。彼女は言われた通り、操演端末装置に向け「見せろー!」と叫ぶ。でたらめなその命令に装置は答え、彼女の視界は、地上基地に伝送されているものに切り替わる。〈エコー〉と〈ワンデルク〉を映す位置に。〈ワンデルク〉ではない方、白く輝くオブジェ。リリィは「ほほぅ」などというが、その鼻息は荒い。 「緑色じゃないし、ちっちゃくもないけど……」  操演端末の操作に慣れたのか、リリィは視覚域を自在に切り替え、〈エコー〉の全景をなめ回すように見詰める。 「……ぴかぴか光ってる。……奇麗。それに、かっこいいぞ!」  手足をばたつかせ、リリィは喜びだか満足だかを体で表現する。その楽しげな雰囲気は、キャラや地上基地のガボットにも伝わる。ガボットは呆れつつ、しかし、それに勝るほどに安堵する。リリィが無事であった。ガボットにはそれで充分なのだ。 「顔が鋭いぞ! 手足が強そうだし、姿勢がりりしい! キャラ君。〈エコー〉はかっこいいぞー!」 「うん。僕もそう思う……〈ワンデルク〉が来る、リリィちゃん」  キャラは視覚域に映る、触手を揺らす巨塊〈ワンデルク〉を眺める。次元立体照準が降り、全ての触手先端と、その本体を、明滅する立体十字が洩らさず捉える。相対距離を示す数値がみるみる減り、しかし警告音などはしない。 「リリィちゃん。僕は〈エコー〉を動かせるけど、武器とか性能とかはこっちでは解らないみたいなんだ」 「今度はリリィちゃんがキャラ君の助手?」  リリィの声色は微妙だった。 「……駄目かな?」  一瞬の沈黙後、リリィは快活に答える。 「いいぞー! 〈エコー〉の副機師リリィちゃんだ! キャラ君、まかせなさい!」  迫り来る〈ワンデルク〉ではなく、リリィの方を警戒していたキャラは、安堵の溜め息を吐く。 「良かった。とりあえず、武器とか何か……」 「みなまでいうなー! リリィちゃんにおまかせあれだぞ!」  リリィはまず、〈エコー〉の設計図と静電差エンジンの結線図を呼び出し、兵装管制と機動性能を確認する。次々と切り替わる表示を素早く読み取る。そして、相変わらずの独り言。 「設計者が二人? アドホッグとフリアエ・ワクスマン……知らん。んで、……あれ? これは……おい! キャラ君! なんともない?」  リリィの呼び掛けが何を意味するのか解らず、しかしキャラは答える。 「なんともって? いや、別に。さっきのオブジェよりは随分と楽だよ。こう、なんていうのか、良く動く、そんな感じかな?」  キャラは感じたままを口にし、それはしかしリリィを困らせたようで、彼女は唸る。 「……そう? なんでだろう? 静電差エンジンが二基もあるのに――」 「何!」  リリィの独り言に割り込んだのは、ガボットの叫びであった。彼の喜怒哀楽の変化は彼自身を摩耗させていた。だが、それでもそう叫ばずにはいられなかった。 「む、頑固じじぃ。勝負はまだだぞ。それにこっちは結構忙しいから、後でだ。んでんで、キャラ君が平気だってことは、二つ目の静電差エンジンは……ああ、なるほど。んで――」 「リリィ! こっちにも教えろ!」  再度のガボットの叫びに、リリィは顔をしかめつつ、渋々答える。 「もー。解ったぞ。教えるから、静かにしろー。えっと、〈エコー〉には、まず二基の静電差エンジンがあって、それから、アーマライト・リアクターを内蔵してるぞ。小型化してるけど、出力は普通の奴と一緒で、それが十基、背中とか後側にくっついてる。でもって、えーと……」 「リアクターを内蔵! 十基!」 「静かにするー。ああ、これだな。なになに……〈ロゼッテ〉?」 「〈ロゼッテ〉って?」  これはキャラだった。 「ええと、〈ロゼッテ〉は……お! 凄いぞキャラ君! 〈ロゼッテ〉ってのは、静電差砲だ!」 「……何? その静電差砲ってのは」  キャラの質問はガボットのそれでもあった。ガボットは煙たがられるが、キャラには親切らしいリリィ。ガボットはその静電差砲≠ニやらについて、詳しく聞くことが出来た。 「えっとねぇ。静電差砲〈ロゼッテ〉は、ストロマトライトからの出力を指向性の粒子線に変換して放出する、つまりは鉄砲だぞ」 「鉄砲? でも、〈エコー〉は何ももっていないよ」  キャラのいう通り、〈エコー〉の両腕はなにも握っておらず、五指を軽く曲げているだけだった。 「〈ロゼッテ〉は両腕に内蔵されてて、ああ、だから腕が太いのか。なるほど。でもって、その威力はストロマトライトの出力、そのもの、だ、か、ら……」  リリィの声が止む。技術指南の講演会と化していた操座は一転、沈黙。キャラ、そしてガボットはその只ならぬ様子に緊張する。暫くして、リリィは溜め息を交えていった。 「キャラ君、〈ロゼッテ〉は使えないぞ」 「え? 武器なのに? 壊れてるのかい?」  即答せず、一拍置くリリィ。どうやら彼女はこれまで以上に真剣らしく、声色もまた、それを伝える。 「〈ロゼッテ〉は、静電差砲は、強力過ぎる。こんなの使ったら、ガイアナが木っ端微塵だぞ」  意外なリリィの返答にキャラ、ガボットは戸惑う。あのリリィがためらうほどの威力を秘める兵器。そんなものがあるのだろうかと。 「静電差砲はストロマトライトからの出力を指向性粒子線に変換して放出する。でも、ストロマトライトの出力ってのは無限なんだぞ。粒子静電差現象は永久機関の源だから無限だ。ってことは静電差砲の火力も、無限。だから、使えない」  リリィの声色は複雑だった。残念だとも聞こえるし、もどかしいとも聞こえる。どちらにしろ彼女は何やら困っているらしく、キャラはそんなリリィにほんの少しでも手助けが出来ればと、必死に、彼なりに考えていう。 「あの、全然解らないんだけど、その指向性なんとかっての、調整とか出来ないの? ほら、半分にするとか。さっきの波動なんとかって盾みたいに、切り替えたり――」 「あー!」  必死の提案を遮るリリィの咆哮に、キャラはうろたえる。一体、僕は何をしでかしたんだろうと。額に汗が浮かぶ。 「凄いぞ! キャラ君! そうだ! だから静電差エンジンが二基あるんだ! キャラ君! 天才だぞ! そうかそうかそうかー!」  と、地上基地の〈エコー〉操座画面に映るリリィが、画面越しにガボットをちらりと見て、にやりとする。 「頑固じじぃ……知りたい?」  リリィはこの後に及んでガボットをからかっている。ガボットがどう反応するかは、基地面々には手に取るように解り、実際その通りだった。 「リリィ! ふざけてないで伝えろ!」  拳をわなわなと震わせ、ガボットは叫ぶ。 「あいよ。……〈エコー〉は複座で、リリィちゃんが座っているここは、砲撃主が座るとこだぞ。つまり! 〈エコー〉は二人乗りのオブジェなのだー! 二つ目の静電差エンジンは静電差砲の制御専用で、十基のリアクターは静電差砲の反動を押さえる為だ。どうだー!」  開戦から幾度となく驚かされ、慄き、幾分慣れてきていた技構師ガボットだったが、これには文字通り度肝を抜かれた。  理屈ではどうにか理解出来る。しかし、技術的には到底不可能な筈で、にもかかわらず〈エコー〉は二千年以上は昔のオブジェである。つまり、現在では到底思い付かないような設計をした技構師が遥か昔に存在し、更にそれを〈エコー〉というオブジェとして具現化していたのだ。熟達したと自負していたガボットだが、彼にはまだまだやるべき事が山積しているらしく、闘志だか意地だかがふつふつと湧いてくる。リリィ、ガボット、二人の技構師はそれぞれ奮起し、それ以前に興奮している。そんな二人だったが、キャラの何気ない一言が、それをあっという間に萎縮させたのだった。 「じゃあ、リリィちゃんがその静電差砲の担当なんだね?」  二人の技構師の頭の中に、同時に雷が落ちる。 「あー! 違う! 全然違うぞー! だって――」 「リリィは機師じゃあない! 静電差エンジンの制御は機師、真機師以外では絶対に不可能だ! そもそも軸策バスからの信号受信も無理で――」 「いうなー! リリィちゃんの科白だぞ、それはー! そうだそうだ。複座だけど、こっちにもキャラ君が乗らなきゃ駄目なんだ! リリィちゃんじゃ静電差砲は動かないぞー! こんちくしょー!」  何やら訳の解らないキャラだったが、ともかく自分の言葉が二人を惑わせたらしく、責任を感じて取り繕う。 「え、あ、じゃ、じゃあさ、もう一人、例えばマリヴァーさんとかアリスさんとかに手伝ってもらえば? 機師……真機師? だったらいいんだろう?」 「違う違うー! こっちもキャラ君じゃなきゃあ駄目だぞー! 静電差エンジンの結線図を見ろー!」  リリィの操作によりキャラの視界と地上基地の画面に、その結線図とやらが表示される。キャラには意味不明なのはいうまでもない。が、ガボットや地上の他の技構師達はそこに示された図形を見て、納得し、溜め息を吐く。 「〈エコー〉は静電差エンジンを二基積んでて、一つは静電差砲専用なのに、この二基は直列してるから、機師が一人で二つの静電差エンジンを動かすか、全く同じ機師が二人で動かさないと〈エコー〉自体が動かないんだぞー! なんてへなちょこなんだー! かっこいいのにー! 騙したなー!」 「機師一人で二基の静電差エンジンの制御なんぞ不可能だし、全く同じ機師なんぞおるもんか!」  落胆が操座と基地を漂うが、キャラにはやはり意味不明だった。そして呟く。 「でも、リリィちゃん。〈エコー〉、動いてるよ? ほら」  白く輝く右腕を持ち上げ、〈エコー〉は掌で自身の顔を覆って見せる。沈黙は続き、しかしそれを破ったのは他でもない、キャラ自身の声だった。 「〈ワンデルク〉!」  ゾエア級汎用オブジェを粉々に砕いた爪が、〈エコー〉に迫る。速度は先程よりも増している。キャラの視覚域は近接する爪を捉え、その軌跡を立体映像化し、到達地点を知らせる。爪は〈エコー〉の胸、操座を狙っている。キャラの体は素早く操演桿を動かし、〈エコー〉は猛速度の爪を手刀でなぎ払う。〈エコー〉とほぼ同じ大きさだった爪はその一撃で両断され、〈エコー〉の脇をかすめ、粉々に砕けた。上下左右から次々と襲う爪を〈エコー〉は全てなぎ払い、〈ワンデルク〉からの攻撃は一旦止んだ。周囲に欠片が漂う。爪を切り裂いた〈エコー〉の手刀には傷一つなく、相変わらず白く輝いていた。 「……ふぅ。ねぇ、リリィちゃん。その静電差砲とかって――」 「なんでー! なんで動くんだー! 変だぞ! 絶対に変だぞー!」  リリィの声は今にも泣き出しそうな様相を呈していた。地上基地、通信室の様子を捉えるキャラの視覚域のガボットもまた、泣き出しそうな、或いは困ったような、そんな表情である。何が何やら、キャラは困り果てる。ガボットが恐る恐るといった風に尋ねる。 「……キャラウェイ、どうやった? 今、〈エコー〉は動いたぞ? 確かに、間違いなく。わしは見たぞ……」  キャラを取り巻く様相は戦況とは逆に、暗澹たるものだった。キャラは困りつつ、しかし思う。少しくらいは誉めてくれてもいいのにと。先の〈ワンデルク〉からの攻撃は大した物で、それを上手くやり過ごしたのだから、と。だからといって、それですねたりするキャラではない。以前ならそうだったかもしれないが、今は違う。何せ彼には力強い味方が二人もいるのだから。  そこまで考えて、漸くキャラは気付く。何がリリィとガボットを困らせていたのかを。 「そうか。リリィちゃん、ガボットさん。難しいことは良く解らないけど、多分、エンジンがどうのこうのっていうのは、きっとルジチカさんのお陰だよ」 「……解んないぞー!」 「ルジチカさん?」  キャラに対して、彼は呟く。自分の声は君にしか聞こえない、上手く説明してあげるといい、と。彼、二つ目の静電差エンジンに宿る機師、ルジチカ・シュナイドルは、そうキャラに優しく言って、微笑む。  ガイアナ連邦暦一〇四二年。  秘密警察〈ネオテニー〉の不沈要塞〈ベルンシュタイン〉との激戦『ガイアナ大戦』に際し、名付け親にしてオブジェ〈エコー〉の初代機師であるルジチカ・シュナイドルは、静電差砲〈ロゼッテ〉を放った。 〈ベルンシュタイン〉のみを消滅させるべく、二基の静電差エンジンをねじ伏せたルジチカの意識は、臨界を越えた過負荷の為、〈エコー〉の静電差エンジンと融着、機師ルジチカ・シュナイドルは人としての$カ涯を閉じた。  ルジチカの目醒めぬ眠りを未来技術に託し、彼の若き主、準技構師フリアエ・ワクスマンはルジチカの肉体を〈エコー〉の生体維持器官へ連結し、誰の手にも届かぬ宇宙へと彼らを打ち上げたのだった……。  眼前の敵、黄金色のオブジェ〈ハイナイン〉に対し、マリヴァーは次元立体照準を消す。  視覚域を埋め尽くしていた膨大な明滅表示の大半が消え、視覚域には、ほんの僅かな数列と、〈ハイナイン〉のみが残る。数えるのも面倒なほどの〈ハイナイン〉の斬激。もはや照準など必要ないのである。繰り出されたそれを受け流し、試しに刃を数回、盾に当て、マリヴァーは〈ハイナイン〉の、アルブレド・クラインゲルトの太刀筋を、剣の流派を見切ったのだった。それに対してマリヴァーは、自身の体得している刀技多刀流≠ェ大いに勝ることを確認し、改めてオブジェ〈ナッシュバル〉と〈ハイナイン〉の性能差を見返す。  繰り出した左、居合いが黄金色の盾を両断し、それを握る腕を深々と切り裂き、しかしこちらも無傷ではない。機動に支障をきたす被害はないが、それは相手も同じくである。両者は完全に互角だった。睨み合い、鍔迫り合い、牽制、致命傷に至らない一閃。寸分違わず拮抗している。 「……虚勢ではない、ということか」  共用通信回線を渡る声にマリヴァーは、相手が同じ答えに達したことを読み取る。暫しの思案。瞬間の、無数の判断で、マリヴァーは結論に達する。相手がどうかは解らないが、彼、マリヴァー・ルキアノスが達する結論はただ一つである。 「……アルブレド・クラインゲルト、とかいったな。聞いてもいいか?」  沈黙は了承である。マリヴァーは深い溜め息を吐き、からかうようでも、冗談のようでもなく、ごく普通の調子で呟く。 「お前は、何故そちら側にいる? 『惑星浄化計画』、〈グリス・グロス〉のいうそれは、お前には似合わない気がするぜ?」  アリスの〈ローゼーン〉に取り付いたヤシロ〈グラナドス〉は、それを聞き呆然とする。 「地上は、ガイアナは、そんなに汚れているか? そう、お前には見えるのか?」  長い沈黙の後、微妙に声色を変えたアルブレド・クラインゲルトが、返す。 「……名は?」 「……マリヴァー、マリヴァー・ルキアノスだ」  ヤシロは戸惑い、しかしその原因が解らず、余計に戸惑う。強烈な焦燥感が彼女の胸を支配する。不吉な匂いを感じる。 「……マリヴァー・ルキアノス。お前はまるで、俺のようだな。この〈ハイナイン〉に相応しいのは、或いはマリヴァー、お前かもしれない」  ヤシロは震える手で通信端末を握り、〈ローゼーン〉を、アリスを呼ぶ。溢れ出しそうな焦燥が、声を枯らす。 「アリス……お願い、答えて。マリヴァーが……アリス、アリス。彼が……ねぇ、アリス……」 「何故こちら側か……。さあ、どうだろう。偶然か必然か、それさえも解らない。ガイアナ、故郷を悪くは思う奴などいない、違うか?」 「……アリス」  叫ぶことさえ出来ない不安。ヤシロは必死に囁く。両目に涙を浮かべ、通信端末を両手で握り締め、必死に、必死に。 「それでも、あえて、そちら側に立つ。……オブジェ〈ハイナイン〉、俺の器じゃあない。お前ほど、俺は……」 「マリヴァー・ルキアノス。お前にはどう見える? ガイアナは、地上は……」 「……お願い、答えて」  マリヴァーの視覚域、背面視界がガイアナを捉える。三日月のような母星。白い雲で彩られた、青い星。 「奇麗に見えるよ……お前と同じにな。だが、それで納得出来ないからこそ、アルブレド、お前はそちら側に立つのか……あえて」 「……マリヴァー、機師よ。お前は誰に仕える機師だ?」 「仕える? ……お前とは違う主に、だと思うぜ。さあ、もうお終いにしよう……」 〈ナッシュバル〉が両手の刀を構え、盾を捨てた〈ハイナイン〉は黄金色の剣を両手で握る。 「……アリシェラ・バナレット! 答えなさい!」 「『仕えなさい』、そう伝えろと」 「ねえ、ユーリー。あれってどういう意味なの?」  堅苦しい式典を終えたアリスは、溜め息交じりで彼女に問う。ユーリーが振り返り「あれって?」と同じく溜め息交じりで返す。式典の重苦しくて退屈な空気は二人だけではなく、それに列席した全員が感じたものである。 「さっきの、ほら、しんらなんとか、って奴」  疲労を漂わすユーリーは、呆れた顔でアリスを見返す。 「アリス、あなたってば、意味も解らずに連邦に仕えたの?」  母親に諭されたような、そんな気分である。ユーリーはアリスと同年で、しかし見た目も中身も、アリスを数年は上回っている。要するに大人なのだ。「だって……」と言葉を濁すアリスは、子供そのものだった。 「ったく。まあ、アリスらしいといえば、らしいけど。……あのね、『森羅万象(しんらばんしょう)』ってのは、この世界全て。『灰燼(かいじん)に帰す』は、えっと、灰になって、要するに燃えて跡形もなくなるってこと。で、『盈虧(えいき)の果て』、盈虧は月の満ち欠けで、これはね、文明とか文化とか社会とかが月の満ち欠けみたいに、現れたり消えたりする、そういう意味よ。ほら、栄枯盛衰とかいうじゃない、あれよ。どお?」  ユーリーの説明に、アリスは眉間に皺を寄せ、唸っていた。 「……解ったような、解らないような。ねぇ……ぜーんぶを翻訳して、簡潔に教えてよ」  疲労を上回るユーリーの顔。呆れてものも言えないと、彼女の顔は言っている。だが、それでも彼女が教えてくれることをアリスも、そしてユーリー自身も知っていた。 「翻訳って……。『この世界の全てが消え去ったとしても、私は貴方を守り、共に戦い、そして、共に歩む』ってなとこかしら。どお、これなら完璧でしょ?」  曇っていたアリスの表情が明るく灯る。ぱん、と手を打ち「なるほど」などと頷く。 「じゃあ、『刃となりて』って部分を『伴侶となりて』にしたら、これって熱烈な恋愛詩じゃあない? 婚姻の儀≠ニかさあ」  はしゃぐアリスにユーリーは、肩を竦めて「かもね」と、溜め息を吐いた。  婚姻の儀=A婚姻、結婚。 「ねえ、アリス。誰にも内緒よ? ……私、この戦争が終わったらね、サイゾウと、……結婚するの」 「……アリシェラ・バナレット! 答えなさい!」 「ヤ、ヤシロ……さん?」 「『仕えなさい』、そう伝えろと」 「仕える? ……お前とは違う主に、だと思うぜ。さあ、もうお終いにしよう……」 「……マリヴァー!」 〈ハイナイン〉と〈ナッシュバル〉の、互いの必殺の一撃は、アルブレド・クラインゲルトとマリヴァー・ルキアノス、互いの命を奪い合う一撃である。時間が静止し、そして、動き出す。そのまさに一瞬前に〈ローゼーン〉が動いた。史上最速である機動性能により、一瞬にして二体の間に現れた。 「……何だ?」 「アリス?」 〈ローゼーン〉の両掌は、〈ハイナイン〉〈ナッシュバル〉に向けられ、それは「待て」と言っている。マリヴァーが驚くよりも速く、彼の視覚域は消え去り、操座内の装置群が現れた。全ての装置の光が順番に消え、警告音が響く。 「アリス、何だ? 天蓋が……開く? 降りろってのか! 何を!」  素早く気密服をまとい、漏れ出す空気共々、マリヴァーは暗洋へと放り出された。 「……今頃になって。しかし、結果は同じ。誰でも構わないか……」 「ヤシロ! マリヴァーだ! すまん、回収してくれ。位置は――」  言い終わる前に、マリヴァーはヤシロの〈グラナドス〉の手に収まった。ヤシロは気密服に身を包み〈グラナドス〉の搭乗口から顔を覗かせ、手招きする。傷とひびだらけの装甲を蹴り、マリヴァーは〈グラナドス〉の顎の下、搭乗口に取り付き、狭い操座のヤシロの背後に体をねじ込む。 「どうなった!」  マリヴァーは叫びつつ、索敵画面を睨み付ける。 「どう、って、アリスが――」  戸惑うヤシロの声は、次の閃光により制された。  アリスの〈ローゼーン〉が跳ね、無人の〈ナッシュバル〉が後に続き、両機は〈ハイナイン〉の遥か上空で接触し、そこに焼き付けるような閃光が瞬いた。その光は戦闘宙域全てを照らし出し、惑星ガイアナの夜を一瞬だけ真昼に変えた。恒星の如き輝きは、現れた時と同じく瞬時に消え、後には、一体のオブジェが残った。しかしそれは〈ローゼーン〉でも〈ナッシュバル〉でもない、別のオブジェであった。 「漸く出たか……」  索敵画面に釘付けのヤシロとマリヴァーは、同時に、確かめ合うように、呟いた。 「……〈シュバルツローゼ〉?」  新たに出現したそのオブジェは、巨大な、身の丈の倍もある槍状のものを右肩後部に備えていた。装甲、造形が鋭角的で、全身が刃のようにも見える。体躯は黒。照らすものがなければ暗洋に溶けるであろう漆黒である。高度を〈ハイナイン〉と合わせるように落とし、しかし背を向けている。 〈ハイナイン〉は動かない。動けないのではなく、あえて動かないのだと、マリヴァーには解る。静寂を過ぎ、その声は高らかに戦闘宙域と、月と、惑星ガイアナ全土に、余すことなく響いた。 「……森羅万象、灰塵に帰すその日まで、我は汝の刃となりて、盈虧の果てを、共に、歩まん」  アリスのその言葉に、誰も反応できなかった。が、ただ一人だけ、それに答えるものがいた。〈ハイナイン〉、アルブレド・クラインゲルトである。 「忠誠の義=c…貴様の目の前には、誰もいないぞ? 仕えるものなど、ただの一人も……」  彼の言うように、アリスの眼前には誰も、欠片の一つも浮いていなかった。だが〈ハイナイン〉に対し、アリスは返す。 「……我が名は〈殄滅師アリス〉! 体躯は〈月虹(げっこう)〉、月とガイアナを結ぶ虹……オブジェ〈シュバルツローゼ月虹〉!」  マリヴァー、ヤシロ、ジルコン将軍、ミブ、その他、宙域全員が固唾を飲む。ヤシロの背後でマリヴァーが囁く。 「〈シュバルツローゼ月虹〉? あれが……」  背を向けたままの〈シュバルツローゼ月虹〉、〈殄滅師アリス〉は続ける。 「我は機師。……ガイアナの、機師!」  それに弾かれるように、〈ハイナイン〉が剣を構える。 「ガイアナが! その惑星が! 大地が! 貴様の主だとでも?」 「我が主、ガイアナを脅かすものを、〈殄滅師アリス〉と〈シュバルツローゼ月虹〉は、全て……滅ぼす!」  ゆっくりと振り返り、〈シュバルツローゼ月虹〉は長大な槍を抜き放ち、〈ハイナイン〉を指し示す。 「……〈死神〉だと、そういったわね? それは、あんた次第よ」 〈シュバルツローゼ月虹〉の背後には、青く輝く惑星、ガイアナが静かに佇んでいた。  リリィは複座で必死に思案し、ガボットもまた同様であった。  だが、キャラには彼に必要な、充分な理解があり、故に次元立体照準を〈ワンデルク〉と、その全ての触手に向け、固定する。ルジチカがそっと手渡してくれたそれが、二人の技構師を悩ませているもの、静電差砲〈ロゼッテ〉であった。安心して使え、そう彼はいう。次元立体照準に別の明滅表示が重なる。標的の質量を計測し、それに見合った分の静電差粒子線量を弾き出すのは彼。引き金はキャラに委ねられる。準備完了だ、いつでもいい、好きな風に使え、そういい残し、彼、ルジチカ・シュナイドルは〈エコー〉の奥深く、静電差エンジンの奥深くへと帰った。 「照準固定!」  キャラが叫び、しかしリリィは懸命に現状を理解しようと躍起になっており、それに耳を貸さない。 「出力調整、完了……」  無数にも見える錆色の触手と、巨体。次元立体照準はそれらを余すこと無く捕らえ、決して離さない。 「リアクター電荷! リリィちゃん! 対衝撃姿勢!」 「なんでだー!」 「静電差砲……〈ロゼッテ〉! 発射!」  両の手を合わせた〈エコー〉。その先端が青白く輝き、そして無数の光の筋が一瞬にして広がった。それに呼応するように、〈エコー〉背部各所からアーマライト・リアクターが噴射される。緑色に輝くその噴射は、まるで〈エコー〉の羽根のように羽ばたく。 「な、泣き妖精?」  放たれた青白い閃光は自在に屈曲し、触手先端を目指し、それらを次々と消滅させる。一際大きな光の筋は〈ワンデルク〉本体を捕らえる。重力場を発生させ、それを回避しようとあがく〈ワンデルク〉だったが、静電差砲〈ロゼッテ〉はそれを貫通し、装甲を破り、内部に達し、そこで無数の光の筋へと姿を変えた。〈ワンデルク〉は周囲から光の矢を打ち込まれたように見え、その閃光と共に姿を消していった。悲鳴も塵も残さず、完全に消滅した。  全ての閃光が消え、画面と瞳への残像以外、辺りには欠片の一つすら残らなかった。緑色に輝く羽根をゆっくりと閉じ、再び静寂と化した暗洋に、白く輝く、惑星ガイアナのような、美しい宝石〈エコー〉は無言で佇んでいた。ふぅ、と溜め息を吐き、キャラは耳を澄ます。だが、ルジチカの声はもう聞こえない。どうやら彼は仕事を終えて再び眠りに就いたらしく、キャラは小さく微笑み、その栄誉を彼なりに称える。 「……終わった。リリィちゃん……」 〈エコー〉はその役目を終え、しかし、複座は今まさに臨戦態勢といった有り様だった。 「どどどどどどーして! おかしいぞー!でも、〈ワンデルク〉はやっつけたぞ! でもでも! うー! 〈エコー〉とキャラ君は勝ったけど、でもリリィちゃんと頑固じじぃは負けたような気がするぞ!」  キャラは満面の笑みでそれを聞き、眼下、惑星ガイアナと暗洋に見惚れていた。  黄金色の〈ハイナイン〉、漆黒の〈シュバルツローゼ月虹〉。惑星ガイアナを眼下に、二体は睨み合う。漂う気配は緊張でも焦燥でも覇気でも殺気でもない。無、永劫の無であった。月、ガイアナ、暗洋、全ての瞳が釘付けになる、虚無。だが、宴は終焉を迎えつつあった。 (アルブレド・クラインゲルト。……アルって呼んでいいかしら?) (何? 貴様……) (もういいの。ねぇアル、お芝居はここまで。みんなには聞こえないから安心して) (芝居? 何故そうだと?) (キャセロール・ユイット、キャスさん? 彼女がそう教えてくれたの。あたしと同じ髪の人が) (……〈殄滅師〉の血? それとも〈シュバルツローゼ〉の記憶?) (多分、両方だと思う) (……そうか。アリシェラ、アリスだったよな。そう呼んでも構わないか?) (ええ、勿論。アル、貴方はそこまでして……) (可笑しいかい? だろうなあ。自分でもそう思うよ。柄じゃあないんだ、実は) (お芝居が? それとも、悪役が?) (どっちもだよ。剣術とオブジェ、俺の得意分野はそれだけさ。だが……) (せざるを得なかった?) (……ああ。なあ、アリス。俺は、間違っているように見えるか?) (解らないけど、でも……とっても辛そうに見える) (そうだな。舞台裏ってのは大抵そんなもんさ) (全ての悪を背負って、人々を一つにする。そんな重たいものを、何故?) (彼、マリヴァーにいった通りさ。俺はガイアナが好きで、そこで争いが起こるのは嫌なんだ) (……他に、もっと良い方法があるかも、いや、あると良いのに……) (ああ。こんな役割は、誰もやるべきじゃあない。だが、マリヴァーならやる。ああいう奴は) (そうかもね。それに、あたしだってそうかもしれない) (……ずっと、このままなんだろうか、人々は。それでいいんだろうか) (解らないけど、でも、一つだけ気付いたの。それは貴方のやったことを否定することになるかもしれないけれど、聞きたい?) (当然だ。是非、聞かせてくれ) (ここからは、母さんの顔は見えないの。お家も、何も見えない) (……神の視点か。こんなに遠くからでは、人々は見えない、か。……きついな) (ごめんなさい。でも……) (ああ、アリス、君のいう通りだ。人々を、人類をと口にするような奴は、たった一人の顔でさえも見えない、そんな遠くからそれをいう。……間抜けかお節介か、そんなところだな) (強さも弱さも、栄誉も愚行も、全てを含めて……それで人々。そう思いたいの) (……多分、それが正解だ。誰かを救うには、その誰かの顔が見える位置に立たなければ、無意味。空の青さが罪だとしても、それでも空は青い。罪をも含めて、全て) (良くしようとあがくこと、それ自体を含めて、人) (そんな簡単なことに気付かない、それが神の視点の愚かさ、か) (でも、アル。貴方のお陰でガイアナと月は一つになる。自分を責めるのは……) (いや、俺はこれでいい。自身で選んだことだ。後悔はしない主義なんだ) (……ごめんなさい。もっと早くに気付いていれば……) (いいんだ、アリス。俺は俺の役目を、君は君の役目を、ただそれだけのことさ) (……〈イージス〉? これを使うのが、貴方に向けるのが、あたしの役目?) (すまないな、辛い思いをさせて。だが安心してくれ。それは兵器じゃあない。俺を何処か別の場所に飛ばす、水先案内人みたいなものだ。痛くも苦しくもないんだ) (反次元砲〈イージス〉。……ねえ、今のガイアナで暮らすつもりはないの?) (それじゃあ、せっかくの芝居が台無しだ、解るだろ?) (……なんて悪趣味な芝居なんだろう。辛い思いばかりで……) (役者はそうだが、観客はそれで大歓声。芝居なんてそんなもんだよ。〈ワンデルク〉も落ちた。そろそろ幕を引こう) (……他に、……無いのよね。ねぇ、また、会えるかしら?) (〈三神〉ってのは腐れ縁らしくって、いつの時代でも必ずで会うようになってるんだ。今の俺と君みたいに。次がいつかは解らないが、会うだろうな) (その時はもっと……) (ああ、楽しくて素敵な出会いを期待しよう。さあ、幕だ。……やれ!) 「愚かなる地上人類! 〈シュバルツローゼ月虹〉共々、全て滅びよ! これぞ『惑星浄化』だ! 〈殄滅師〉! 貴様もだ!」  黄金色のオブジェ〈ハイナイン〉が超速度で剣を振り下ろす。太刀筋の先、漆黒の〈シュバルツローゼ月虹〉はその槍を脇に抱え、刃を睨み返す。マリヴァー、ヤシロが息を呑む。 「ガイアナを脅かす! 滅びるのはおまえだ!」  アリスは叫ぶ。〈シュバルツローゼ月虹〉の槍が白く輝き、閃光を放った。反次元砲〈イージス〉。その一閃は〈ハイナイン〉捉え、黄金色のオブジェを一瞬にして、悲鳴も欠片も跡形も無く、消し去った。暗洋は再び静寂を取り戻し、戦場は沈黙する。 「一筋の光……ファー・レイリー」  ウィル・ジルコン将軍が呟く。〈ハイナイン〉は、消えた。脅威は去った。彼の意識をアリスが分断する。 「全〈グリス・グロス〉に告ぐ! 月へ帰還しろ! 〈シュバルツローゼ月虹〉は見た通り、お前達を月ごとでも木っ端微塵に出来る! だが、あたしは無益な争いは好まない。今すぐ帰還しろ! ジルコン将軍、いいわね?」 「……ああ。我ら〈ファー・レイリー〉もそれを望む。退け! 〈グリス・グロス〉よ!」  二人の言葉は徐々に伝わり、眼前に展開された壁は、ぽつぽつと穴を空け始める。玉砕覚悟などはただの一人もなく、程無く戦闘宙域の全ての〈グリス・グロス〉は姿を消した。  この瞬間、人々の心に垂れ込めた暗雲は晴れ、地上にファー・レイリー(一筋の光)≠ェ静かに射し込んだのだった。斯くして『第九次圏外紛争・降下戦』は、後の新ガイアナ連邦軍〈ファー・レイリー〉の完全勝利で終了した。  ありとあらゆる生き物が平等で平和な世界、人はそれを求めて止まない。ある時代、各地で自らの教義を説く男がいた。彼は「共存平和」を達成するべく思想活動を続ける。懸命な彼に興味を持ったのか人にあらぬ者≠ェ語り掛けてきた。 「人間、君は面白い事を言う。皆が平等な世界とは一体何だ? 牧童と羊、漁師と魚、獲物と餌が平等な世界で君は生きて行けるのか?」  言葉に詰まる男に対し彼は続ける。 「君は人間だろ? 人間なら人間らしく、人間の利益だけを望めば良いんだよ。皆が自らの幸福のみを追求する、私はそれが一番自然だと思うがね……」 《四万〇〇二二年》  灰色の雲から滴る水の全てが黒い雹となって大地を打ち、僅かに残った枯葉を粉々に砕いて行く。  砂埃と錆とさまざまな死骸を巻き上げながら大陸を永遠に行き交う乾いた風は、かつてその地に生き、暮らしたあらゆる生命の悲鳴のように、昼夜を問わず鳴り響いていた。ひび割れた大陸、静止した海、閉じた空。陽光の輝きは、厚く覆われた塵雲により断ち切られている。  微動だにしない、くすんだ硝子の如き海の傍ら、奇怪な風紋を刻む砂浜で、その人の形を模した巨大な白銀は美しく輝いていた。照らす光の失せた今でもなお、輝き続けていた。虚ろな砂地に片膝を突き、黒い髪を大地に繋ぎうなだれる様は、創造主に許しを請う愚民のようでもあり、愚民の過ちを嘆く指導者のようでもあった。白銀の胸元に佇む戦士は、視界を埋め尽くすその光景を、それまでに何度もそうしたようにじっと見詰めると、独り言のように呟く。 「……何度滅びれば、気が済むんだ?」  発せられた問いに答えるものは既になく、しかし彼女は、それに返る言葉を持っていた。ただ、その答えを自分以外の誰かから聞きたくて、その相手を探しさ迷ううちに、気がついたらここに辿り着いていただけなのだ。彼女はそれまでにも随分と考えた。  種が芽生え、やがて実を付け枯れる間、幼い子供が大人となり、子を生して後、年老いて死ぬ間、ずっと考えた。果たして、何が足りなかったのか。何を間違ったのか。そして……何に敗れたのか、と。だが、とうとうそれを彼女の耳元に囁くものは現れず、遂には囁ける全ての存在が消えてしまった。  彼女は、何度目なのか既に忘れてしまった絶望を噛み締めながら、それでも同胞に微笑み掛け、いつものように静かに目を閉じ、いつものように云った。 「さあ、共に眠るとしよう……何人たりとも手の届かぬ、永遠の眠りだ」  ひび割れた大陸、静止した海、閉じた空。かつてそこは、ガイアナ大陸と呼ばれていたことがあった。今やもの云わぬ墓標と化した白銀が〈オブジェ〉と呼ばれた、遥か昔のことである。もはやそこには何もなかった。名前も、それを必要とするものも。  こうして、地上最後のオブジェ〈デウス・エクス・マキナ〉は全ての終わりを見届けて、機師〈猫目のディージェイ〉を胸に再び眠りに就いた。華やかなりし人類の歴史は、ディージェイの瞳と共に静かに閉じたのだった……。 《五六億七〇〇〇万年T》  ガイアナ暦五六億七〇〇〇万年、ディージェイと〈デウス・エクス・マキナ〉は海洋の名も無き小さな島に降り立っていた。  島で唯一の人工物である煉瓦造りの小さな酒場〈アンヌ・ド・トゥ〉でディージェイは、彼女達宛ての一通の手紙を、店主である初老の男性から渡される。それは産みの親からの、ささやかな助言であった。 『君にとって大事なのは、「結果」なのか「経過」なのか」  結果とは、経過の蓄積。または、経過は必ず結果を生む。たとえそれが「無」という経過だとしても、「無」という結果が生じる。あたしが知りたいのは、大事なのは「どんな」結果や経過か? 『君にとっての「正義」とは何だ? 「正義」の剣を振るったなら、必ず「明るい未来」が待っていなければいけないのか?』 「私の」正義は、「私を除く」知る限り全ての人々に「明るい未来」がやってくること。 『それじゃ「勝てば官軍」と変わらないではないか』  それで良いの。もしもあたしが正義を旗に勝利すると「私を除く」知る限り全ての人々に、勝利の証である「明るい未来」がやってくる。そして戦った「あたしだけ」官軍と嘲られ、いずれ葬られる。これぞまさしく、私の正義。 『君のその正義の剣は、絶大で無力なんだと思うよ。言いかえれば、君は何時でも、勝利の無い戦いをしている。〈マキナ〉のみでは、只一人では、来たるべき破局を避ける事は出来ない――』 「……余計なお世話よ、なーんてね」  空に雲一つない、良く晴れた日の事であった。 《五六億七〇〇〇万年U》  溯(さかのぼ)ること百十三億四千万年前、静寂の海の直中で、それ≠ヘゆっくりと姿を現わした。六等星よりも小さなその輝きは、永遠の時を費やし、やがて一つの意志≠ニなる。  辺りを埋め尽くす重苦しい沈黙を眺め、自身について考える。そして、今迄たった一人孤独であった事を、これから孤独であり続ける事を知る。絶望を噛み締め、安らぎを、自らが再び静寂に帰す事を切に願った。しかしそれは誰の耳にも届かぬ、沈黙に相殺される無音の叫びであった。  自身を消す為に産み落とした一条の刃は、しかしその喉笛を掻き切る事無く、手の中で脆くも崩れ去る。決して消えぬ刃と、それを振るう者を求め、より以上の完全な実在≠求め、世界≠想像≠オた。  形は欠片(かけら)へと崩れ去り、生には死が訪れる。欠片は再び形となり、死は新たな生を産む。出会っては別れ、別れては出会う。出発は終着であり、終焉(しゅうえん)は発端である。永劫回帰の輪の中で、全ては巡る水車の如く、くるくると、くるくると……。  さらに永遠後、世界を産んだ意志は矛盾する二つの意志となった。全てを無に帰す、完全なる消滅を願う意志は〈想像者デウス〉として、それを拒み、有り続けようとする意志は〈惑星ガイアナ〉として具現化する。  悠久の静寂の片隅で、開闢(かいびゃく)の産声と共に世界≠ヘゆっくりと姿を現わし、消滅へと歩を進める。我らが母、〈想像者デウス〉の優しき眼差しにより、ゆっくりと……、ゆっくりと……、ゆっくりと……。  ……光の陰、……連綿なる欠片、……永遠の瞬間、……罪深き――正義。  静寂への回帰を願う〈想像者デウス〉に対し〈惑星ガイアナ〉は、投影にして自身、破壊の破壊者たる機械騎士〈オブジェ〉を創造≠キる。〈恩愛(おんあい)のシュバルツローゼ〉、〈嚴酷(げんこく)のヴァスクリュス〉、〈靜淵(せいえん)のハイナイン〉、そして〈叡智(えいち)のマキナ〉。電子をまと(まと)ったメテニウム結晶の重金属生命体、〈惑星ガイアナ〉の戦士、オブジェ達。  始まりは遥か昔の様でもあり、つい先程の様にも感じる。変化の無い経験が堆積する、ただ繰り返すだけの無色の記憶。  勝機など無い、私でなくともそれくらいは解る。「死んでも生き残るんだ」、奴の口癖だ。冗談なのか本気なのか、それを口にする時の奴の表情は、年頃の娘の屈託無い笑顔よりも輝いていた。嫌なら荷物をまとめて逃げ出せば良い。もちろん、逃げ込める場所があれば、だが。誰も強制などしないし、第一ここ≠ノ何かを強制できるような奴はいやしない。かといって、好き好んで集まっている訳でもない。  要するに、「そうするしかない」のだ……。 「ああ、信じたくはないが、〈ヴァスクリュス〉と〈ハイナイン〉は堕(お)ちたよ。良い策はあるかい?」 「……無い、……事も無い、だが――」 「だが、は無しだ。何でも、やれる事はすべてやる。良いか〈マキナ〉、死んでも生き残るんだ!」  瞼を上げる。私の辺りには、かつて同胞であった者達が、変わり果てた姿で散ばっていた。原形を留めていない戦友達が、視界を埋め尽くす。地と空、刃物で曳いたかの如き地平線のみで構成された荒涼たる風景。音も臭いも無く、紫色の天空が無数の絶望を覆い尽くす風景。  再び静かに目を閉じるとそこには私の、私達の唯一の記憶が、断片的な映像で浮かんでは消える。それは、ただ一色、灰色で塗り潰された戦い≠フ記憶であり、金色の翼をはばたかす奴≠フ貫く眼光である。もはや躊躇(ちゅうちょ)も後悔も、そして選択すら無意味なのだ。既に私は独りであり、策は一つ、たったの一つしか残されてはいないのだから。 「さあ、共に眠るとしよう! 何人たりとも手の届かぬ、永遠の眠りだ!」  圧倒的な力を振るう〈想像者デウス〉の前に倒れ行く同胞の姿。〈叡智のマキナ〉はその体躯と融合させる事により、〈想像者デウス〉を我が身もろとも深淵(しんえん)の眠りに突き落とした。  それから幾星霜(いくせいそう)、人類は地殻深部から無数の彼らの残骸メテニウム骨格≠ニ、〈想像者デウス〉との物理融合を果たし静かに眠るオブジェ〈デウス・エクス・マキナ〉を発掘したのだった。そして、誕生したばかりの人知の結晶、統一場統制解析装置〈静電差エンジン〉の試作第一号機〈ディージェイ〉により〈叡智のマキナ〉を目醒めさせる。  ……儚(はかな)き真理、……漠然とした決断、……愚かなる英知、……寂しげな――笑顔。 「なあシクス、不思議じゃと思わんか?」  研究資料や書物が高高と積み上げられ今にも雪崩を起こしそうな研究室で、エニアックは昼食の買い出しから戻ったシクスに声を掛けた。シクスの方は抱えた食料を床に置くと中身を確認しながら生返事で応えた。 「何が、です?」 「我々は夢の如き機関をこの手にしつつある。しかしじゃ、あの化石が結局何なのか、一番肝心な事が解明されておらん。メテニウムは自然界には存在せん、君も知っての通りじゃ。人為的に作り出す事も不可能……。ならば、あの化石は、……何を意味する?」  顔を上げたシクスは、エニアックを見詰め陽気に応えた。 「御褒美(ごほうび)じゃないですか? 博士への」 「御褒美? ……誰から、かね?」  顎に指を当て首を捻って思案するシクスは手を一つ叩くと言った。 「神様、じゃあないですか?」 『汝の手にあるその一本の羽茎(はぐき)(筆の意)は、汝が言葉を書き記す為の道具であると共に、その羽茎は汝が言葉を書き記すべきを、汝に示すものでもある。  汝の手にあるその一条の剣(つるぎ)は、汝の愛すべき我が子らを諸々の災厄から救う為の力であると共に、その剣は汝の愛すべき我が子らに諸々の災厄が見舞うを、汝に示すものでもある』  ディージェイと〈デウス・エクス・マキナ〉の二人≠ヘ、課せられた使命を、与えられた役割を果たすべく、自らの主≠求め、長い長い旅路を、ややのんびりと歩み始めた。 「ま、先は長い、気長にやりましょうよ。……ね?」  ――時は来た。  栄枯盛衰、文明の痕跡を僅かに残す月面で、〈想像者デウス〉が百十三億四千万年の眠りから、今、目醒める。惑星ガイアナとそこで繰り返された様々な営みを、それが存在したと言う事実を含め瞬時に消滅させる「権利」を有する者、神々の神〈想像者デウス〉。  幾億の星の瞬きの中、二対の、惑星軌道にも匹敵する巨大な光子翼がゆっくりとはばたく。〈想像者デウス〉の軟らかな眼差しが、全宇宙のありとあらゆる全ての物質に完全なる消滅≠フ訪れを、静寂への回帰≠告げる。燃え尽きた黒い太陽を背に、抗えぬ運命を、無慈悲なる真理を、自らの体躯から解き放たれた〈想像者デウス〉を、〈叡智のマキナ〉は只一人=A無言で見詰めていた。 《彼らの願いが、貴方の耳に届きますように……》  ついに、〈想像者デウス〉と〈オブジェ〉の、決戦の火蓋が切って落とされた。遥かなるガイアナの歴史の全ての時代、あまねく時間、あらゆる空間、様々な場所に同時に降臨した無数の実在〈想像者デウス〉は、彼女の手による一切を消滅させる為、微笑む。  希望、夢、挫折、真理、秩序、混沌、正義、悪、生、死、光、闇、創造、破壊、物質、生物、人間、そしてオブジェを……。  ――立ちはだかる敵、〈想像者デウス〉の力は絶大だ。我々に明日は無いのであろうか、世界は終焉の時を迎え、全ては消え行くのであろうか……。  ……いや、まだだ。  現在、過去、未来、遥かなる時を越えて彼ら≠ヘきっと我々の元に駆け付け、そしてこう言うだろう、「死んでも生き残るんだ!」と。それまでは耐え抜くのだ。だがしかし、恐れる事など無い。我々の手には一条の剣があるではないか。  原点にして頂点、時空最強無敵の刃、オブジェ〈叡智(えいち)のマキナ〉は目醒め、彼の静電差エンジン〈ディージェイ〉は既に臨戦態勢なのだから。  どちらが滅びるのか、母なる〈ガイアナ〉か〈想像者デウス〉か、それは……、そう、〈叡智のマキナ〉を駆る〈機師〉の腕次第だ。  ……森羅万象(しんらばんしょう)、灰塵(かいじん)に帰すその日まで、我は汝の刃(やいば)となりて、盈虧(えいき)の果てを、共に、歩まん……。 『――了解、……指令確認、任務再開。静電差エンジン、始動、……出力上昇中。回路接続、動力伝達、機能調整完了、動力確保、各部異常無し。全武装、安全装置解除。弾薬装填、火力上限開放。  ……索敵区域内に反応感知、映像・相対座標を正面視界へ伝送。……最優先殲滅(せんめつ)目標を三次元照準にて完全捕捉、絶対射程距離まで残り二秒、……んじゃ、そろそろやりますか? ……我らが主(あるじ)殿?』  機師よ! 後は任せたぞ! 『機械仕掛けの神』……完 2001年04月13日創元落選 2012年02月03日 2012年02月13日477→481 2012年02月24日推敲、479、粗筋 ******************** 2012年2月22日(水曜日)午後11時02分39秒 2012年03月26日 ******************** 2012年03月26日 第十三回応募締切 2012年7月31日(火)必着。 発表は2012年8月末を予定しています。 〒112-8001 東京都文京区音羽2-12-21 講談社 講談社BOX「講談社BOX新人賞Powers」係 御中 http://www.bookclub.kodansha.co.jp/kodansha-box/powers/ ※過去原稿で応募 ・タイトル〜機械仕掛けの神 『キャッチ(二〇文字)』 「開闢を目指す百十三億四千万年の遥かなる旅」 ***** 『機械仕掛けの神』 『粗筋』(八〇〇文字)  舞台は、地球と同じ姿ながら違う歴史を歩むガイアナ。  機械騎士〈オブジェ〉とそれを操る機師達は、それぞれの国や仲間、名誉や誇りを守るために戦い続けていた。  数多くの機師達の生き様は、それ自体がガイアナの歴史そのものである。  そんなガイアナの果てしなく長い戦争の歴史を陰ながら見詰める一人の女性〈ディージェイ〉と、最強のオブジェ〈デウス・エクス・マキナ〉は数千年に渡って彼らに関わる。  物語はガイアナと機械騎士〈オブジェ〉の誕生から始まり、途中、オブジェや機師の解説を含みつつ、ガイアナ大陸の闘争の歴史を騎士の視点から断片で切り取る形で紡がれて、文明が消え果た荒野を最後に据えて進行する。  抗えぬ運命、無慈悲なる真理、交錯する野望、一筋の光は勇者を再び目醒めさせる。  豹機の遺産、封印された記憶、剣侠の誇り、惑星浄化、砂漠で枯れゆく一輪の薔薇。  カミオン・シストラー、、ビクトリエ・ユイット、キャセロール・ユイット、アルブレド・クラインゲルト、ルジチカ・シュナイドル、サフィール・アハト・ユーク、リシェリー・ユイット、フォン・ハウサ、カナデ・ヤシロ、キャラウェイ・シュナイドル、マリヴァー・ルキアノス、アリシェラ・バナレット。  それぞれの時代で幾人もの機師がオブジェを駆り、一部は英雄として歴史に名を残し、また一部は記憶から消えてゆく。  知性鉱物ストロマトライト、想像者ゼウス、覇者無き攻防が今日もまた繰り広げられる。  そして謎の少女〈猫目のディージェイ〉と、最強のオブジェ〈デウス・エクス・マキナ〉、二人≠ェ目指すは宇宙開闢(かいびゃく)の記憶。  ガイアナの終末に、源にして頂点たる〈想像者ゼウス〉が、全てを無に帰すべく光臨する。対するは唯一残されたオブジェ〈デウス・エクス・マキナ〉、オブジェの頭脳たる装置〈ディージェイ〉と、それを操る機師のみ。  物語はここで終わるが、歴史は繰り返す、くるくると。 ***** ・400字詰め原稿用紙換算〜四百九四枚 ( )のフリガナ含む ******************** ・筆名〜飛鳥弥生(あすかやよい) ・本名〜佐藤晃彦(さとうあきひこ) ・年齢性別〜1973年5月生まれ、39歳、男性 ・略歴〜工業高校建築科卒業後、設計事務所勤務。 ・住所〜〒870-1125 大分県大分市市営大園団地2A4-72 ・電話〜080-6403-4141(097-568-8626) ・メール〜machina@bea.hi-ho.ne.jp ・人生で一番影響を受けた小説〜「異邦の騎士」島田宗司 ********************