編制

2000/08/18
『カーニバル(謝肉祭)』
Carnival
for
"Heaven's House"

 この異常な事態、発端はごくありふれたものだった。
 ニュースキャスターが感情も込めずに『○○空港の検疫所で、輸入貨物から新種の細菌が発見されました』というのを、私も耳にした覚えがある。出勤前だか、夕方だかの報道番組で。しかし、その二日後、たったそれだけの時間で、キャスターの無表情すら懐かしむほどの状況になるとは、誰も、もちろん私も思っていなかった。

 ゾンビー、アンデッド、リビングデッド……呼び方なんてどうでもいいが、皆が腐れ野郎≠ニ呼ぶ連中が街中、国中を徘徊し、文字通り、人類を脅かしているのだ。検査機関に送られるよりも早く、その細菌は爆発的に広まり、人間を生きたまま殺した≠フだ。
 人を宿主とした細菌は、その肉体を自在に操り、細菌の存在理由≠フまま奔放に振る舞い、結果、人食い人≠ナ辺りは溢れかえった。腐れ野郎≠ノ噛まれたり引っ掻かれたりするだけで感染が起き、近所の知った顔が気色の悪い土色になるまでに、数日とかからなかった。
 警察や自衛隊は当然、緊急招集されたが、仲間が次の日には敵≠ノなるという絶望的な戦況で、拳銃やショットガンを持った腐れ野郎≠ノ蜂の巣にされた挙げ句、食われる連中が山積みになっていった。

残骸≠ゥら拾ったショットガンを抱え家に篭城し出して、もう一週間になる。命からがらかき集めた食料と、ボーイフレンドの写真の側にうずくまり、私は遠い家族の無事を祈っていた。ライフラインはおろか、携帯電話すら不通となった今、私に出来るのは、目を閉じて神様だか仏様だかに祈ることだけである。
 八日目の朝、玄関ドアをノックする音で私は浅い眠りから醒めた。ドカドカと、まるでドアを突き破るような激しい打撃音に、ショットガンを向けたままゆっくりと近付く。
 このショットガン、撃った経験などもちろんないが、アクション映画でそういうシーンを何度か観たことがあるので、その通りにやれば何とかなるだろう。恐る恐るドアスコープに右目を寄せ、ごくりと生唾を飲み込む。
「おーい! 僕だ! 返事してくれ!」
 魚眼レンズ形に歪んだボーイフレンドの姿と声に、私はドアを勢いよく開け放つ。安堵で涙が溢れて止まらない。
「あなた! 無事だったの! ……よかった!」
 半ば叫びつつ、私はボーイフレンドに抱き着き……はしなかった。飛び上がろうとした両足を上半身が制したのだ。息を止め、一歩引き、アクション映画さながらにショットガンを構え直す。
「……おい、どうしたんだよ? 僕だよ、忘れたのか?」
 いいながら彼は一歩近付く。私は、彼の土色の♀轤凝視したまま唯一の武器を強く握る。
「あなたは……あなた、なの?」
 奥歯を噛み締め、震えを押さえる。彼がまた一歩進み、私もまた一歩後退する。
「なにいってんだよ。ほら! 見ての通りさ!」と、土色の@シ手をかざす彼。
「いろいろ大変だったけど――」また一歩。
「――もう大丈夫らしい――」
 彼の手が私の肩に置かれる直前、目の前が爆発した。その反動≠ナ私は板張りの廊下に転がり、後頭部をしこたま打ち付けた。寝返りを打ち再びショットガンを構え直すが、耳鳴りと後頭部の痛みが意識を奪い、ほふく前進姿の兵隊人形のように、私は気絶した。
 途絶える直前の視界に、頭部を玄関の壁にぶちまけ、ドア枠にもたれかかる彼が微かに覗いた……。

 復帰したラジオ放送を、失神していた私は聞き逃した。それは、私がアクション映画を真似た一時間前から発し続けられていたものだった。

『――繰り返します。状況は収束に向かっています。人間をゾンビーにする、あの恐ろしい細菌は、非常に寿命が短く、また人の免疫に弱く、感染した人でも一週間もすれば元通りになるのです。皆さん、怖がらず、冷静に。そして、このことを周囲の人に伝えて下さい。怪我さえしていなければ≠キぐに元通りなのです。繰り返します――』

おわり