《編制》 |
《ドミナス・ウィルバーフォースU》
パイロン州カタリカの街の外れ、地図上の黒い国境線に重なる辺りにその鍛冶屋の工房はあった。腕の良さ、技術の高さよりも偏屈な性格が有名な老人、ガボット・リャザーノフはその石積みの仕事小屋を住居と兼用し、一人静かに暮らしていた。引きこもった、と言うより追い立てられた観がある。良くも悪くも彼は職人であり、近代化の波の押し寄せるカタリカに彼の居場所は最早無くなっていた。
「……あの、直り、ますか?」
得体の知れない鉄屑がうず高く積み上げられた狭い作業場の壁際、傾いだ木卓の反対側で口をへの字に曲げているリャザーノフにドミノは恐る恐る尋ねた。二人の中央、木卓の上では海岸で出会った鉄塊、ケイビィが、高い天井からつるされた閃灯で黄色く照らされている。褐色の皺が伸縮し、老人の困惑した表情を形作る。針金にも見える白髪をひと撫でするとリャザーノフは大袈裟な咳払いをし、錆だらけの鉄塊の僅かに残った銀色部分を手にした金槌で軽く叩く。鉄琴のような澄んだ金属音が、昨晩から降り続く雨音に吸い込まれる。
「ウィルバーの、何だこれは?」
耳が遠いリャザーノフは殆ど怒鳴るような大声で言った。ドミノの父親の古い友人であるリャザーノフは、昔からドミノを「ウィルバーの」と呼んでいた。「ウィルバーフォースの息子」のつもりらしい。
「僕にも解りません」
「ん? 何?」
リャザーノフに聞き返され、ドミノは心持ち大きな声で繰り返す。
「僕にも、解らないんです」
二度三度頷き、リャザーノフは太い腕でケイビィを持ち上げた。錆だらけのケイビィを傾けたりひっくり返したりし詳細に観察する。
「自分じゃ詳しいつもりじゃがな、こんなもんは見た事が無いな。外の、異国の機械じゃろう、きっと。少なくともイザイではないのう。軍隊か、そんな連中の技術じゃろう。材質やら、継ぎ目の処理、これには目を見張る。大したもんじゃよ、うむ」
ケイビィを置き、リャザーノフは相変わらず叫ぶように言った。自分では独り言のつもりらしいがドミノは叱咤されているような気分になる。腕を組んで煤けた天井を見上げ喉を鳴らしているリャザーノフに、ドミノは負けじと大声で「それで、その、直りますか?」と再び尋ねた。
リャザーノフは丸い目で「直す?」と言うと、間を置いてから大声で笑い始めた。まるでメフメトの雄叫びのような、腹に響く笑い声だった。
「はは! なあ、ウィルバーの。お前さん、こいつが何なのか解らんと、そう言ったじゃあないか」
「え? はい、言いましたけど……」
「だのにどうして、こいつが壊れてると、そう思う? 可笑しな事を言うな、ウィルバーの」
リャザーノフは椅子に掛け、懐から葉巻を取り出し咥える。成る程、ドミノは溜め息を吐いた。眼前の、或いは過去の栄光にすがるだけの時代遅れの技術屋にしか見えない老人にドミノは感心した。使途不明な機械ならそれが故障しているか否か解ろう筈も無い、リャザーノフの言う通りである。彼の頭脳や勘は未だ衰えていないようだ。
「ええ、確かに。でもケイビィが、その、彼が自分で言ったんです、修理してくれって」
紫色の煙を吐き出しながらリャザーノフは、必死に訴えるドミノをじっと見詰めている。その眼差しは鋭く、そして僅かな疑念を含んでいるように思えた。ドミノは緊張した面持ちで続ける。
「ほ、本当です! この機械は喋るんです! 僕に、修理して、くれって……」
次第に声が小さくなり、終わりの辺りは殆ど聞き取れなかった。言い訳をしている、そんな嫌な気分だった。リャザーノフの工房に辿り着く少し前からケイビィは言葉を発しなくなっていた。
海岸を出て暫くして、ケイビィの発言に耳障りな雑音が混じるようになった。道中、ドミノの問い掛けに辛うじて雑音で応えるようになり、工房に到着する頃にはその雑音すら聞こえなくなったのだ。故障が悪化したのか、燃料のようなものが切れたのか、ドミノには解らない。リャザーノフはケイビィが喋る様子を目にしておらず、もしかすると彼は自分がからかわれているか、或いはドミノの耳か頭がおかしくなったと思っているかもしれない。送伝装置や拡声器など人間の言葉を仲介する機械はあっても、自分で喋る機械など大陸には存在しないのだ。当然、ドミノだってそれくらいは知っている。
リャザーノフの視線を避けるようにドミノは俯いた。幼い頃からの知り合いであるリャザーノフはカタリカの人々と違い、兵役志願を拒んだドミノに昔と同じように接してくれる唯一の人物であった。頑固者だが筋は通す、昔気質の出来た人物である。だからこそドミノはケイビィをここに運んだのだ。だが、ドミノの説明は老人に不信感を抱かせたのか、彼は顔をしかめ木卓の上のケイビィとドミノを交互に眺めては低く唸っていた。ドミノの顔は次第に陰り、不安と恐れが首をもたげてくる。
帰ろう、そう決心しかけた頃、リャザーノフはそれまでで一番の大声で「凄い!」と叫んだ。
「え?」
「凄いじゃあないか、ウィルバーの! 喋る機械とは、こりゃあ驚きだ! わしは随分と鍛冶や技師をやっておったが、そんな凄いもんは見た事が無いぞ! 軍隊にだって出入りしてたこのわしがじゃ! ほぉ、こいつがねえ」
満面の笑みで朗々と語るリャザーノフ。ドミノは呆けていた。
「ウィルバーの、約束は出来んがやれるだけはやってみるぞ。なあに、心配するな。歳は取ってもわしの腕は今でも一流じゃ」
リャザーノフは立ち上がり大袈裟に胸を叩いてみせる。
「し、信じてくれるんですか? その、ケイビィが、この機械が喋るって……」
驚き、震える声でドミノは言った。
「なぬ?」
「だって! 喋る機械なんてあまりに突飛で。それに、リャザーノフさんの前でケイビィは一度も喋っていないし、あの……」
自分でも何を言いたいのか解らなかった。
「なあ、ウィルバーの。可笑しな事を言うな。こいつが喋ると、そう言ったのはお前さんじゃろう」
「でも!」
尚も訴えるドミノを手で制し、葉巻を指で弾き灰を床に落とすとリャザーノフは心底可笑しそうに笑いながら続ける。
「お前さんがそう言うなら、そうなんじゃろう。じきに日が暮れる、今日はもう家に帰るんだな。わしはすぐにでもこいつを調べにゃならん。さて、忙しくなりそうじゃ」
木卓からケイビィを持ち上げ作業場の奥に運ぶ。泣きそうな、嬉しそうな顔でドミノはリャザーノフの背中を見詰めていた。来て良かった、心底そう思う。
「明日、いや、明後日の午後に来ると良い。その頃には幾らか調べもついているじゃろう」
「は、はい! お願いします!」
リャザーノフは振り返らずに右手を軽く上げる。その手には既に工具が握られていた。
「けびー、とか言ったか? すぐに修理してやるからの」
「ザガッいいえ、ケイビィです」
楽しそうに呟くリャザーノフの声に別の、彼のものでもドミノのものでもない声が重なった。
「ケイビィ!」
「なんと!」
リャザーノフとドミノ、二人の明るく弾んだ声が薄暗い作業場にこだました。雨模様の森に佇む工房のひびだらけの窓硝子から、青年と老人の歓喜の声が洩れてくる。