『バガージマヌパナス』池上永一
/新潮社1994年刊(第6回ファンタジーノベル大賞受賞作)

1998.10.09読了
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 タイトルの"バガージマヌパナス"は"私の島の話"の意のはず。言われてみると(って、本のどこにも書かれてはいませんが(^^;)、なるほど、となんとなくわかります。このタイトルのように、私たちが通常思っている"日本"からは近くて遠く、でも地続きな南の島のお話です。

 19歳の綾乃は高校を卒業してからというもの、仕事もせず、周囲の人々にフリムン(馬鹿者)と言われながら、毎日を近所の陽気な老婆オージャーガンマーとユンタク(おしゃべり)して過ごしていた。2人は年齢の違いに関わらず気の置けない友達だった。が、ある日神様が綾乃の夢枕にたち、ユタ(巫女)になるようにというお告げを下した。幼い頃から強い霊感を持つ彼女だったが、働くことが大の苦手であったのでそのお告げを蹴ることにする。しかし、自らも若い頃にユタになるようにお告げを受け、それを断ったことで不幸になってしまったオージャーガンマーは、綾乃の行く末を思い、彼女にユタになることを薦める。また神様も、怠けたいがためになんとか神様をごまかそうとする綾乃に数々の天罰を与え、ついに彼女も半ば無理矢理ユタになる決意をさせられたのだった。

 って粗筋を書いてもなんだか訳が分かりませんが、このお話の面白味は、超美人であるにもかかわらず、ぞんざいで怠け者でスケバンのようで、若さに満ち溢れる綾乃と、呑気で陽気に世の中の憂さから掛け離れたような生活をしながらも、実は人生の黄昏を生きているオージャガンマーのキャラクターにあるのだと思います。

 また、俗っぽい神様とユタとのかけひきもオモシロイ(*'▽'*)。神様―というか、宗教そのものは神道のものとほぼ同じ考えだと思います。といっても、私自身、実家が神道ですが(伯父が神主しています)お祭りの時しか触れる機会がないもので(^^;詳しいとはいいかねますが……。例えば人がなくなった時には神様に生まれ変わるお祝いとして赤飯や鯛を供えたり、お祭りの時の祭壇にはうずたかく果物を積んだりというようなノリはそのままですね。「ウートートゥ」で始まる祝詞も「あなとうとしみおやのみたま」(だっけ〜???)とよく似ていたりで、やっぱり私たちが住んでいる"ここ"と、物語の中の世界とは地続 きなんだよなあ、と思ってしまいました。

 人が死んだら神様になってあの世からみんなを見守っている、というのは世界的に伝統的な考え方だと思いますが(メーテルリンク『青い鳥』にも出てきますね)、そこから生まれる老いや死への優しい眼差しに溢れていて、良いです(^-^)。老人モノに弱い私は泣きまくりです(;_;)。

 最後にちょっとだけネタバレ感想を。

 


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 ラスト。ああすることなく、ただ近い未来そうなるであろうなあという余韻を残した終わり方にしてもらった方が良かったかもしれない(;_;)。オージャーガンマーやカニメガが突然しんみりし始める変貌ぶりが少し唐突な気がするので、あそこまでするのなら、あえて書くことはなかったのではないかと……、

 と思ったのは、私が電車の中でしか読書しないためにラスト10ページで「こ、これは読み続けるとマズイ(@@;」と思ってしまい、3日もかかったからなのですが(笑)。  


ざぼん
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