『ナビィの恋』映画/中江祐司 原案・脚本・監督(1999)

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1999.12.11記

 東京からふらりと故郷・沖縄のあぐに島に帰省した東金城(あがりかねぐしく)奈々子。そのフェリーを運転するのは、ユタのお告げで彼女の許婚となっているケンジだった。ケンジは事あるごとに「結婚しよう!」と迫るが、彼女には全くその気がない。

 翌日、牧場に出かけた奈々子の祖父・恵達は奈々子とフェリーに乗っていた本土の青年・福之助と意気投合し、家に連れて帰る。奈々子、福之助、恵達、そして祖母・ナビィの4人の生活が始まった。

 しかしもう一人、フェリーからあぐに島に降り立った男がいた。ナビィのかつての恋人・サンラーだ。60年前、二人は深く愛し合っていたにもかかわらず、ユタのお告げによって別れさせられたのだ。再びユタにより、サンラーを島から放逐せねば、東金城の家は滅びると告げられる。ナビィの心は、サンラーへの忘れられない愛と、優しくいたわってくれた恵達との間で、揺れて……。


 沖縄の小島を舞台にした、老婆の恋物語。なんだか久々にいい映画を見たという気がした。

 沖縄という舞台の使い方が、まず巧かった。沖縄映画といえば、まともに見たのは『パラダイス・ビュー』と『ウンタマ・ギルー』しかないのだが、これらが沖縄を一種の異世界として描いていたのに対して、『ナビィの恋』はそのような捉え方をせずに描いて見せてくれたおかげで、すんなりとその空気に馴染むことができた。

 そして、場面場面を彩る歌と踊り。要所要所で歌詞を何度も変えて歌われる『十九の春』は言うにおよばず、クライマックスで雑貨屋のオペラおばちゃんが、アイルランド人の夫が演奏するヴァイオリンと、三線に合わせて歌う『ハバネラ』(『カルメン』の有名な奴)など、BGMというかたちではなく、常に「奏でる人ありき」の音楽の使い方も、感情移入の助けとなって、心に響く。

 でもとにかくこの映画は、ナビィの夫・恵達のキャラクター、これに尽きる。かつての恋人に心惹かれる妻に対するぎこちない愛情が、演技素人ならではのぎこちなさによく合っていた(すごい)。加えて、何と言ってもその沖縄弁と標準語と英語ちゃんぽんの台詞回し。この島の歴史を暗示しながらも笑いに持って行けるこの台詞が、映画全体を支配してくれた(アイルランドをいつまでも"アイシテルランド"と言って、思いを寄せるナビィもいいよな)。これがなければ三角関係はもっとドロドロしたものになり、これほどの感動は得られなかったに違いない。

 ただ、ナビィとサンラー、恵達の老人の三角関係が鮮烈だったのに対して、奈々子と福之助とケンジの若者達の描写が、最後まで置いてけぼりだったことは否めない。ユタのお告げによって無残に引き裂かれたナビィとサンラーの恋と、60年たってもまだ放逐を叫ぶ親戚とユタの反応を見ると、ケンジと奈々子が結婚せねば家が滅びるというお告げがあるにもかかわらず、すんなに事が運ぶようには思えないのだが。ナビィとサンラーのことがあったからこそ、奈々子も、という展開ではなかったのだろうか。ちょっとあれは唐突すぎる感があったので、もうちょっと絡めて欲しかった。【パンフレットには、浜辺で寝転がった福之助に抱き着く奈々子のスチールがあるんだが、カットされたのかな? このシーンがあるだけで、随分違うと思うんだが。ケンジはパンフレットの出演者紹介にも出てこないしさ(;_;)。

 以下、メモ程度に印象に残ったシーンなど。ネタバレの可能性があるので、改行します。


ざぼんの実
ざぼんの木

 

 

 

 

 



ざぼんの実
ざぼんの木