『真夜中の死線』アンドリュー・クラヴァン著,芹澤恵訳/創元推理文庫(1999)
2000.01.14読了・記


 6年前、20歳の妊娠中の女子大生が、何者かに射殺された。明日午前零時一分、その犯人フランク・ビーチャムの死刑が執行される。
 新聞記者エヴェレットは、事故に遭った同僚記者の代わりに、今夜死を迎える囚人のインタビューを命じられた。彼は、ビーチャムについて調べるうちに、その犯行に不審を抱きはじめる。聞こえたはずなのに聞こえなかった銃声、見えるはずがない場所から見た目撃者……。証拠はない。だが、エヴェレットの記者としての「勘」がビーチャムの冤罪を告げている。それともこれは、上司の妻との浮気が発覚し、仕事と家庭を同時に失いつつあることへの焦りなのか。
 刻一刻と近づくビーチャムの死。刑務所所長ルーサーは、厳粛に、規則通りに、死刑執行の準備を進めていく。
 ビーチャムは果たして冤罪なのか? 事件の真相は? 証拠は? エヴェレットは間に合うのか?


 元々私はサスペンスという奴が大の苦手だったのだ、と読みながら思い出した。一体先がどうなるのか、それが気になって、気が急いて、まともに読み進むことができない。結果、ルーサーが粛々と進める処刑の準備のシーンなどは読み飛ばしてしまった。勿体無い。でも、そうせずにはいられなかったのだ。読み出すと止まらない、久々にそういう感覚を味わえた。

 当初、ビーチャムが冤罪ではなかろうかという疑いには、確たる証拠はない。エヴェレットの勘、「この顔を見ればわかる」とかそういう一種の思い込みのみ。しかも、その時のエヴェレットの状況を考えれば、勘違いという可能性も十分にありうる。しかし、無実かもしれない人間が、法により殺されるまでに後数時間……、一人の人間の死の重みに耐えられない、だから動く。そこから出発して、制限時間内に、いかにして事件の真相に達し、なおかつ無実を証明するための、死刑の執行を止めるにたる「証拠」を手に入れのるか。

 エヴェレットが走り回っている間の、ビーチャムの心理描写も真に迫っていて良い。死への恐怖、生への嫉妬、あまりといえばあまりな境遇への怒り、そして絶望が駆け巡る。その間ビーチャムが望むのは、妻子の心に毅然とした自分の姿を最後まで留めておけるだけの力、それだけなのに……。

 この二人以外にも、エヴェレットと同じく「知ってしまった」と思われる(これもエヴェレットの勘)刑務所所長ルーサー、死刑囚に心の平穏を授ける役目にありながら自身が平穏ではいられなかった牧師フラワーズ等々、キャラクターがいちいち人間的で、読んでいていたたまれない気持ちになるのだ。

 とにかくまさに「ジェットコースター・ノベル」。お薦め。

 
ざぼんの実
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