『ビート・キッズ』風野潮/講談社(1998)

 ドラムのひびきは、俺の心の花火やねん!


 
うーん、でも猪名川の花火じゃあねえ・・・。

 思わず、大阪弁と児童文学の二つについて、ちょっと考えてしまいました。この小説は講談社児童文学新人賞を受賞した作品なんですが、舞台は大阪の北部・北摂地域(の箕面市)。朝日新聞大阪版8/20朝13面、読売新聞9/17朝24面で紹介された記事を読むと、どちらでも、「せりふも地の文も大阪弁」ということが強調されています。舞台となった箕面市の隣の池田市の出身である私自身にとっては、ここで使われている大阪弁(というよりも、「北摂弁」)は母語なんですが、このようなものを他地域の方が読まれた場合、どのような受け取り方になるんだろうと考え込んでしまいました。

 率直に言ってしまえば、これが仮に標準語で書かれた小説であったならば、賞を取れただろうか、と(^^;。確かに小説とその文章というのは、切り離して考えることができないものとは思います。だから、仮に標準語で書かれていたら、なんていう前提は成立しえないとは思うのですが、でもこの小説の場合、「大阪弁で書かれている」というだけで過大評価されてしまったのではなかろうかと思ってしまったのでした。

 物語は大阪の南部・泉州から北摂の中学校に転校してきた英二が、わけわからんままブラバンの部長の七生に気に入られて入部させられ、ドラムに目覚めるというものです。英二は博打うちの父と病弱な母をもちながら、毎朝毎夕新聞配達に励む健気だけれども運痴でアホな少年。そして七生は音楽センス抜群・頭脳明晰・美形・音楽関係の偉い人の家の子でお金持ち。一見全くそりが合わなさそうな二人が、互いに影響しあい―というよりも、一方的に英二が影響され気味―友情を深めつつ、大人への道を踏み出す。展開は前半が「じゃりん子チエ」(朝日の記事には"男の子版「じゃりん子チエ」とあったが、台詞までまるでコピーだったのには参った(;_;))、後半が松竹新喜劇といった感じでした。

 とにかく「やりすぎちゃうん(--;」と思ってしまうくらいステレオタイプな展開に辟易してしまいました。それなりに山もあるし、それなりに感動的ではある。が、「ステレオタイプ」の枠を十分に活かしきった物ではないし、当然枠を超える物でもない。でも、きっとこの本の読者対象であるところの「児童」(読売の記事には"中学生向き"とある)には充分面白いだろうな、と思わないでもない。ひねくれた読者がスれた読み方をするような本でもないんだろうなあと思います。

 後半、畳み掛けるように訪れる幸・不幸(^^;も、「大阪弁パワー」(明るいとか、やわらかいとか、なんでも笑いになるとか??好印象らしいですねえ)で状況の割には悲壮感なくのりきってしまうのですが、大阪弁だと自動的に前向きっぽく見えてしまうだけのような気がなきにしもあらず。英二の前向きの意気込みが大阪弁でフォローされている以上には感じられず、大阪弁に負けているように思えました。

 最近再読した同じく関西系方言音楽青春小説『青春デンデケデケデケ』と思わず比べてしまうのですが、方言の面白味も、音楽に熱中することの楽しさもかなり見劣りするなあと思わずにはおれませんでした。比べる相手が悪いかもしれませんが(^^;。

 また、過剰に大時代的な英二と七生の家庭の設定には(すごく時代錯誤な気がしたのですが、私が知らないだけなのでしょうか、こういう家庭)ちょっと呆れ気味。

 でもまあ、全体として子供が読むぶんには全然悪くはないと思います。ただ、「残る」作品なのか、賞を取るに足る説得力のある作品なのかというと、首を捻ってしまうのでした。うーむ('-')。

 「児童文学のテーマはどんどん暗い物になっている。笑えたのはこの作品だけ」(朝日新聞)ということで審査委員全員が1位に選んでの受賞ということですが、・・・今まで暗いもんばっかりみとったから、目ぇがくらんだんとちゃうん(笑)とツッコミを入れたくなってしまったのでした。うーん(--;。


ざ・ぼん