『消えた少年たち』オースン・スコット・カード/早川書房(1997)
1998.01.25読了
1998.02.01記

 この本はなぜ11月に発行されたのだろう。多分、クリスマスの小説だから、ということなのだろうとは思う。が、あともう1ヶ月早く、10月までに発行されていれば・・・、各年間ベスト小説ランキングに間に合うように発行されていれば、恐らく同じ早川書房の『アルジャーノンに花束を』に匹敵する、あるいは類した衝撃を世間に与えられたろうに、と思わずにはいられない。この本は、そういう意味で「傑作」だ。

 物語はストゥベンに、プログラマのステップと妻のディアンヌ、そして3人の子どもたちが引っ越してくる所から始まる。ステップは、かつてゲームのプログラムを大ヒットさせたことのある腕のいいプログラマなのだが、大学院で歴史の博士号を取得した後、良い就職口に恵まれず、ストゥベンに引っ越してきたのも、プログラムのマニュアル書きという彼にとっては面白くもおかしくもない仕事のためだった。だが妻のディアンヌは妊娠中。3人の子どもたちのためにも、仕事をしないわけにはいかない。

 長男のスティーヴィが転校した小学校で友達ができずに空想の友達と遊んだり、ちょっと過剰なくらい心配症のディアンヌが日々子どもの身の安全に腐心したり、ステップが職場の理不尽な契約にむかっ腹を立てたり、ある日突然虫が押し寄せてきたり、近所で少年たちが神隠しに遭ったり、モルモン教の教会で変なおばさんに心を煩わされたり・・・。そんな風に、細々とした事件は起こっても、大きな出来事は起こらない、ただ納得のいかない退屈で不安な、でも時には愛に満ちて楽しい日常が、とつとつと綴られていく。

 はっきり言って、苦しかった。二段組で400ページも、ただ日常が続く。カードのあのえぐるように鋭い人間描写のおかげで、主人公たちの怒りも苦しみも自己嫌悪もびんびん共感できて、だからこそ、ちょっとばかりうんざりもする。「カード=SF」と思っていると全然それっぽくないし、エピソードが分散していてどこに話が転ぶのか予想がつかない。一家が敬謙なモルモン教徒なので、モルモン教ならではの出来事が頻発するが、全然宗教に興味を持っていない私には、あまり実感がない(でも、宗教臭さが鼻につく、ということはないです。「解説」以外は(^^;)。遅読の私は、結局10日くらいかかってしまった。

 だが・・・。

 結末に呆然。読み終えてみると、その倦怠感漂う日常も、その全てを抱きしめてやりたいほど愛しい物なのだ、ということに気付かされて、涙が止まらなかった。その悲しくも美しく、胸をえぐられるほど悔しい結末に触れた後は、何もかも、どうしようもなく懐かしく、大切な、失いたくないものだったのに、そのことを見逃しかけていたのだということに気付かされる。家族がそれぞれみんなを思いやる心、それだけを書き綴る物語だったのだ。時に盲目に、ひたすら一途に、ただただ、愛している、愛している、と叫び続けていたのだ。その声がきっと届くようにと、声が嗄れるまで、嗄れてしまっても叫ばずにはいられない・・・。涙で息が詰まりそうになるくらい、苦しいほどに、愛しい。そして、悲しい。

 愛している。いつまでも。

 私には子どもはいないけれども、でも、子どもを持つ親にはたまらない小説だろう。親を思う子の愛、子を思う親の愛。その切ない思いが、胸を貫くように感じられる。

 決して先に結末をめくることのないよう、真っ白な気持ちで読んでください。歴史に残る傑作かもしれません。


=>張られているので張り返し余所の書評
 ちなみに私は北上次郎の書評は・・・(以下自主規制(笑))

ざぼんの実