『バトル・ロワイアル』高見広春/太田出版(1999)
1999.7.19読了
1999.7.23記

「絶望的な話に聞こえるよ」
「絶望的な話なんだ」

ざぼんの木
ざぼんの実

 城岩町立城岩中学校三年B組が、今年の香川県における"プログラム"の舞台に選ばれた。"プログラム"とは、大東亜共和国が行なっている戦闘シミュレーションである。毎年各県から中学校三年生の1クラスを任意に選出し、そのクラスに所属する生徒を隔離し、一人になるまで殺し合わせる、というもの。
 修学旅行の途中、バスごと拉致された42人も、否応無く殺し合いの渦に引き込まれていく。クラスの仲間を信頼して投降を呼びかける者、疑心暗鬼になり自滅する者、一所に隠れて動かない者、"プログラム"に積極的に参加して殺戮を繰り広げるもの……。七原秋也は、スタート地点で負傷した典子と共に行動するうち、脛に傷持つ転校生・川田に助けられる。川田はこのゲームから逃れる方法を知っているというが……。

 とにかく構成力が凄い。42人の生徒が、一人一人順に殺されていく様を、それぞれ書き分けているのだ。生徒が42人いるということは、42通りの生や死への思いがあるわけで、殺戮にいたる過程もそれぞれだ。信頼したり、裏切ったり、誤解したり、殺したり、殺されたり、ということが、量の多少はあれ、はしょることなく必要な量だけ書かれている。おかげで一人一人の死が、一人一人の死として響いてくるのがしんどかった。言ってしまえば、紋切り型というか、ステレオタイプの生徒像に、それぞれを当てはめているだけなんだけれども、きちんとその雛形を利用し尽くしているのが上手い。42人の書き分けが、知力に優る者、冷酷に殺戮に参加する者などの飛びぬけた人間を浮きだたせないだけのグラデーションを形成しているし。

 ストーリーも、もう奇麗にパターン通りなのだ。知ぬだろうなあという生徒が死に、生き残るだろうなあと思う生徒が生き残る。結局最後は愛と友情と勇気と信頼というのも、クサいといえば、クサい。どこかで見たような、まさに見え見えのパターンなんだけれども、やっぱり構成力でしょう。文章自体はそれほど上手いとは思えないし、生徒達の殺戮以外の部分(大東亜帝国とか、政府関係者とか、三村、川田の家族あたりの設定)に深みはない。むしろ、パターンに当てはめることによって、省くことに成功している。

 かなり極上のエンターテインメントだとおもうんだけれどもなあ。書店で見かけた三刷に、この本が角川ホラー大賞の選考から外れ、太田出版から刊行された経緯について書かれていたが、こういうものを読むと、今の文学賞・新人賞の選考体勢には本当に問題があるような気がしてくる。物語は確かに残虐だが、暴力に対する嫌悪感も書き込まれており、残虐なだけに終わらせていない。「望み」がきちんとあるから、「絶望」が書けるんだからね。大東亜共和国は、そのまま日本のように見えることを意図されているし、それに操られ、翻弄される生徒達は、将来に希望を見出せないが、望みは持っているこどもたちそのまま。良質の少年小説だ。

 そして、何よりこの著者には力がある。伸びるだろうなと思わせるだけの荒さもあるし、一体何が気に食わなかったのかが疑問。

 ともあれ、この作品が世に出たことには感謝!


ざぼんの木
ざぼんの実