800 TWO LAP RUNNERS
「800」川島誠/マガジンハウス(1992)\1,262
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● 1
なぜ八〇〇メートルを始めたのかって訊かれたなら、雨上がりの日の芝生の匂いのせいだ、って答えるぜ。
陸上競技場は、そんなにも特別なところだ。
いや、形は単純なのよ、形は。
一周四〇〇メートルのトラック、二本の直線と二つの半円で出来たやつが、すり鉢になったスタジアムの底に置かれてるだけだ。
でも、最初にその底に降りたときには、脚が震えたぜ。うん、ビビッたな、正直言って。
俺は、こんなひろい、はれがましいところにいるのは初めてだって気がしたね。空が違って見えるんだ、スタンドで見上げてるやつとは。
メチャメチャ大きい。
ふつうだったらさ、すぐに、じゃまする建物とかあるじゃない。それがね、なにもないの。ガーン、って、空だけ。
ウォーミング・アップで芝生の上にころがるやつがいたのよ。なんか、カッコいいからマネしてみたら、俺、二度と起き上がりたくないって思った。
まっ青な空に白い雲が飛んでて、世界に俺ひとりしかいない。
で、腹這いになってアゴを地面につけたら、芝生の草と草との間、ずっと遠くに人が動くのが見えた。四〇〇メートル・トラックの内側に、えんえんと緑のフィールドが続いてて、その向こう。
● 2
なぜ八〇〇メートルを始めたのかって訊かれたなら、なんて答えたらいいんだろう。陸上競技をやりたければ、一〇〇メートルでも五〇〇〇メートルでも、もちろん、もっとマニアックにいけば円盤投げだっていいはずだ。
でも、ぼくは八〇〇メートルという距離を走ることが気に入っている。
それは、不思議な長さだ。
一〇〇や二〇〇みたいに、決められたコースをただ思いっきり走ればいいってもんじゃない。あんなのは何も考えないでできる。本当は考えるんだけどね。スタートとか腕のふりかたとか、いろいろ。
五〇〇〇メートルなら、ともかく持久力。中高生にとって、やっぱり五キロを速く走るっていうのは、スタミナが勝負。
その点、八〇〇メートルは違う。短距離並みのスピードで、四〇〇メートル・トラックを二周(TWO LAPS)する。しかも、コースはひとりひとり分かれてなくてオープンだから、駆け引きがある。勝とうと思ったら、かなりの速さで走りながら、緩急をつけなきゃならない。
八〇〇っていう長さを決めた人は天才だって、時々ぼくは感じる。
テキ屋系ヤクザの次男で、工業地帯に住み、女と見ればすぐに飛びつく、元バスケットボール選手の中沢。山の手の、海が見える街に住み、800メートル以外の何事にも興味を持とうとしない広瀬。
この物語は、対照的な2人の少年が交代に一人称で語る構成になっている。交代で一人称と言っても、例えばリレーのようにバトンを手渡しにするようなものではない。何しろ、冒頭で同じレースを走ってから、初めて言葉を交わすまでに、総ページの2/5が費やされる。それからも、決してべったりくっつくことなく、他校の同じ800メートル走者の関係が続くのだ。ライバルというような形になることもない。常に2人は同じ時間の別の場所で生きていて、それぞれ悩んだり、恋愛したりしている。かといって、流れに一貫性がない、ということにもならずに、実に絶妙なバランスで物語が綴られていく。この小説の良さは、まず語りのテンポだろう。この巧みな構成は、それだけでも読む価値を持っている。
ストーリーは、一応恋愛を軸にしては、いる。ただ、ここで描かれる男女の結びつきは、関係だけを見るとメルヘンチックなくらい、現実離れしている(と、私は思う(--;)。近親相姦的な雰囲気を醸し出している兄妹、海辺で出会う美少女(物語の中でも、「安易」と言わせている)、「ガーン」と思うほど奇麗でクールなハードル選手。「こんなことないない(^^;」と思わず冷やかしてしまうような、漫画チックな恋愛模様が展開される。
だが、ここに流れる彼等の葛藤が実にリアルで、自然なのだ。好きなんだか何なんだかわからないんだけど、多分好きなんだろうと思ったり、フられた相手に背中から声をかけられて、振り向くことができずに背中に全神経を集中させたり・・・。本当に切ない、極上の恋愛小説にもなっている。
もちろん、スポーツ小説としてもものすごく面白い。私には陸上の経験がなく、だから当然、800メートルという種目がどのようなものなのかも全く知らなかった。なのに、
中距離っていったけど、アメリカでは八〇〇までをDASHと呼んで、それ以上をRUNと区別している。つまり、八〇〇までは短距離の扱い。八〇〇メートルを走ることが、どんなに楽しくて苦しくて特別なことなのか、少しはわかってもらえるかな?
なんていうことを言われてしまうと、思わず走り出したくなってしまう。レースの様子も、そういった駆け引きなんていうことを何にも知らないのに、ドキドキしてしまうほど面白いのだ。たかだか走るだけなのに、ってね。
それだけでなく、川島誠は「児童文学らしく」、様々な社会的な問題もストレートに物語に織り込んで見せてくれる。障害のこと、貧富のこと、生まれのこと。あくまでもさりげなく、いい子ぶることなく普通に、ありのままの形で。
そういった全てのことどもが、最終的に800メートルのレースに収束する。色々な思いを込めて、800メートルを全力で疾走する2人の姿は感動的だ。
私はこの小説にベタ惚れですm(__)m。
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