今江祥智「幸福の擁護」みすず書房(1996) p.355-356
初出「夢色の交遊録二つ」(毎日新聞大阪版1993.8.24-1995.5.1)より
川島誠さん
(前略)
それで思いおこすのが川島さんである。同業の二宮由紀子さんの連れ合いだが、初対面の時は、由紀子さんの付録だった。河合隼雄さんらと一年間開いた講座「子どもの宇宙」で、私が"童話を書く"を受け持った。百人の応募者があり、十枚の作品を書いてもらい十一人残ってもらった。二人もその中にいた。あとで聞くと、由紀子さんが応募するというので、当時男友達だった川島さんも応募したものらしい。その第一回課題に書いたのが「幸福とは撃ち終わったばかりのまだ熱い銃」で、ビートルズの歌詞を題名(タイトル)にした強烈な印象の短篇だった。セックスを鍵(キイ)に、今の子どもを生き生きと生生しく描いていた。私は嬉しくなって、編集部の反対を押しきって、責任編集をしている季刊誌「飛ぶ教室」に掲載した。一九八三年のことである。
最初の作品集『電話が鳴っている』を出したのが二年後のことで、私が編集したニュー・ファンタジー・シリーズの一冊だった。この作品集の持つ起爆力はたいしたものだったが、保守的なわが子どもの本の世界では無視され、外側にいる川本三郎さんだけが激賞してくれた。川島さんはそんなことにお構いなしに、若いランナーみたいに走り出した。そして『夏のこどもたち』『800』と、たて続けにダイナマイトみたいな本を書いて、あれよあれよというまに、私が最も敵(ライバル)視、しかも期待する書き手になった。
(後略)