しろいくまとくすのき
「しろいくまとくすのき」川島誠/文渓堂(1996)\1359


 大きなくすのきのある森で、たった一人でくらしているしろいくま。体の色が白かったばっかりに、黒い熊のお母さんに置き去りにされたのだ。うろを住処にしているくすのきだけを友だちにして生きてきたしろいくまだったが、ついに森を出るときがやってきた。川1本を隔てた別の森へ。だが、初めて会った黒や茶色のくまは「色なし」「色なし」とからかいの言葉を投げるだけで相手にしてくれない。

 そんななか、崖に落ちて仲間から置き去りにされたイノシシの子供(しましま)と友だちになる。しましまと平和に暮らしていたしろいくまの元へ、ある日突然訪ねてきた黒や茶色のくまたちは言った。同じくま仲間として、森を破壊するにんげんと戦おう、と。

 くまたちはにんげんと戦うために、互いにいがみ合っていたオオカミとも共同戦線を張る。しろいくまは仲間に入れてもらったのが嬉しくて、はいいろオオカミとともににんげんを撃退した。

 しかし今度はくまとオオカミとの間に大きな戦いが勃発する。それに先駆けてはいいろオオカミから秘密裏に戦いの知らせを受けていたしろいくまは、くまのなかまとして戦うことを拒否する。何のための戦いなのか理解できなかったのだ。共ににんげんと戦った仲間なのに、なぜ戦わなければいけないのか?

 くまの仲間から虐げられ、戦禍の及ばないところでまた2人きりで暮らし始めたしろいくまとしましまだったが、災いから逃れることは出来なかった・・・。


 世に、戦争児童文学というジャンルが存在する。「おこりじぞう」「ちいちゃんのかげおくり」「ふたりのイーダ」「対馬丸」「ひろしまのピカ」「火垂の墓」「象のいない動物園」などなど。怖いねぇ、戦争って。何の罪もない子どもたちが空襲や原爆や飢餓で殺されていくんだよ。悲しいねぇ、愚かだねぇ、むごいねぇ。

 ・・・だから、何?

 これらの戦争児童文学は子どもたちに何も教えてくれない。ただ壊れたレコードのように戦争の悲惨さを繰り返すだけだ。なぜ人はいがみ合い、傷付け合い、殺し合うのか? なぜ人は無意味だと知りながら戦争をやめないのか、繰り返すのか? なぜ? どうして? この「あたりまえの疑問」に答えてくれる児童文学がかつて存在しただろうか。これまでの戦争児童文学と呼ばれるものは、ただ「死の恐怖」を見せ付けることで子どもたちの疑問に蓋をしているだけではないのか。

 しろいくまはコミュニティから隔絶されて育った無垢な子どもとして、くまたちが暮らす森に登場する。そこで自らが被る理不尽な差別と、繰り返される闘いに「なぜ?」と疑問をなげかける。なぜ、仲間外れにするのか、なぜ、いがみあうのか、なぜ、憎しみ合うのか、なぜ、差別するのか、なぜ、戦うのか、なぜ、殺し合うのか、・・・なぜ?

 答えは用意されていない。一つあるとすればはいいろオオカミが口にする「わからない」という言葉だけだ。でも、この物語は子どもたちに問い掛ける。ほうら、戦争の火種は今だって君たちの身体と心にくすぶっているんだ・・・。気が付いたかい?

 ついに、しろかった毛皮も自らが殺したオオカミの血で汚れ、しろいくまは呆然と、かつて仲間として共に戦ったはいいろオオカミと、今度は敵として対峙する。それでも問い掛けることやめはしない。どうしてこんなことになってしまったのだろう、と。

 終盤、差し伸べられた手を振り払い、しろいくまは恐らく児童文学では決して言ってはいけない言葉をつぶやいて、森を去る。深い深い悲しみと、重い重い痛みを抱きながら。

 

 

 でも、私たちは生きていかねばならないのだ。この、世界で。


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